第254話 龍王の帰還篇⑩ 成層圏から怒りを籠めて〜おまえはもう喋るな
* * *
俺様は王だ。
生まれながらにして一族の頂点に立つ宿命を負っていた。
幼き頃から王である父の姿を見て育った。
父は大きく強く、また誰よりも豪気であり、誰よりも苛烈だった。
だがある時、そんな父が見る影もなくなってしまった。
そびえ立つ岩山。
生家である城は見る影もなく押しつぶされた。
瀕死の父を連れ、家臣たちと共に安寧の地を求めて旅に出た。
最初は助けを求めて他の領地へと赴いた。
だがどこでも決まって冷遇された。
父である王が悪い仕事をしていたらしい。
報いだと、自業自得だと、後ろ指をさされ続けた。
父は病床に伏せながら龍神族の王へ恨み辛みを吐き出し続けた。
来る日も来る日も、朝から晩まで、寝言でも父は訴え続けた。
殺せ。奪え。同じ目に遭わせろ。ヤツの領地を蹂躙し、ヤツの臣民たちを根絶やしにしろ。
俺は疲れていた。
もううんざりだった。
来る日も来る日もなぜこんなに我慢をしなければならないのか。
領地を奪われ転々とすることもそうだし、腹いっぱい飯を食べられないこともそうだ。
そして、耳に障る父の呪いの言葉。今日も明日も明後日もずっと。
もう終わりにしよう。
簡単なことだった。
ようやく静かになった。
もう二度と父の声を聞くことはない。
「ゾルダ様! なんということを――――がはッ!?」
「うるせえ。ついでだ、お前らも死ね――!!」
* * *
ルレネー川の畔に突如として出現した岩石地帯。
千にも迫る石柱がそびえ立ち、
石柱に絡め取られしは皆、壮年期を過ぎた顔つきの我竜族たちばかり。
ゾルダ王の悪行に耐え忍んできた家長たち。前王の代から仕えてきた忠臣たちのようだ。
それとは全く関係がない男が一名……。
「うおお、クッ、抜け出せん! 龍神族の王よ、幻魔族の俺にこのような仕打ちをして、あとで後悔することになるぞー!」
石柱群の中で、ひときわ耳障りな一本があった。
アクロバティックな背面宙返りの途中で固まってしまったような男は幻魔族のスパイであるらしい。
ゾルダ王にその存在を感知され、白日の元に引きずり出され、そのままノリというか勢いというか、姿を消すタイミングさえ失って、闘いに巻き込まれているおバカさんである。
『タケル様、ファイトです!』
そんなおバカさんの顔の上に降り立ったのは真希奈だった。
「貴様、何をしとるか! 妖精だかなんだか知らんが俺の顔を足蹴にするな!」
『へえ、そんなこと言ってもいいんですか? あなたの顔半分を覆ってる布を取っ払ってもいいんですよ?』
「ひッ、やめ、やめろ!」
『ほーらほら。包帯状の帯をジワジワ解いて行きますよー』
「ダメええええ! 顔出しは厳禁なのお! お仕事できなくなるし、一族から放逐されちゃうからあああ!」
楽しそうだな。
まあ真希奈も暇つぶしをみつけたようで何よりだ。
『それで、まだ
僕こと龍神族の王、タケル・エンペドクレスは、腹を押さえて蹲る我竜族の王、ゾルダ・ジグモンドを見下ろした。
喀血混じりの吐瀉物に跪き、全身に脂汗を浮かべている。あれほど精強だった魔力も途絶えたのか、その体つきはすっかり元の矮躯へと戻ってしまっている。
ゾルダの戦闘力は脅威としか言いようがないものだった。彼に対抗できるものは、やはり同じ王しかありえないのだろう。
僕でさえ、生身で魔法なしなら敵わない相手だと言わざるをえない。
さて、ゾルダはどう出る?
僕としては、このまま彼が立ち去るというのであればそれで構わなかった。
龍の膝下でミクシャの部下たちが働いていた無法については何らかの賠償はさせるつもりだが、ゾルダの場合はまだ未遂だ。
敗北を認めて撤退するというなら是非もない。だが――
「くッ、カカカッ、イーヒッヒッヒッ――ヒャッヒャッヒャッ!」
ゾルダは狂ったように笑った。
ゆらりと立ち上がり、狂気が宿った瞳で僕を見上げる。
「当たり前だろうがボケが! 一発入れただけでいい気になってるんじゃねえッ!」
負け惜しみではない、本当に彼は自分の実力に一切の疑念を持っていない。王である自分が負けるはずのないという強力なエゴイズムの元、当然自分が勝つまで戦を続けるつもりなのだ。
ゾルダは、バカのひとつ覚えのように、自らの魔力を身体能力の強化へと回す。
驚いたことに、沸き起こる魔力量は先程と同等かそれ以上のものだった。
だが、彼の肉体はそうはいかない。僕が与えたダメージもあるのだろう、魔力を巡らせ、膨れ上がるはずの肉体はしかし、ブチン、ブシュ、と各所から血を吹き出し、穴が空いてなかなか膨らまない風船を彷彿とさせる。
地面に斑を作る血も、もはやコールタールのように粘ついて異臭すら放っていた。
「待たせたなあ……!!」
変身中のヒーローに決して手を出すことのない悪の軍団よろしく、僕はゾルダの肉体強化が終わるのを律儀に待っていた。
正直無防備を晒す変身中にすべてを終わらせようかとも思ったが、この男は全力の状態で叩き伏せなければどちらが強者か理解できないだろう。
「うおおッ!」
辺り一帯が岩石地帯となったお陰で、一段と鋭くなった踏み込みを幸いにと、ゾルダの拳は最短距離を駆けて僕の顔面へと突き刺さった。
「オラァ! こんなもんで済ますかよ!」
先の攻撃では使わなかった回し蹴りが炸裂し、僕の足元にヒビが入る。そしてそれからも砲弾のようなゾルダの拳が雨あられと僕の総身を打ち据えた。
「さっきまでの威勢はどうした! 手も足も出ねえか!? カカカッ、そりゃそうだよなあ、俺様に敵うヤツなんざこの世にいねえんだ――!!」
トドメとばかりオーバー気味に振りかぶられた右拳。ゾルダは体格差を活かして、ほぼ真上から振り下ろしてくる。僕はため息をひとつ、その拳を迎撃した。
「あ?」
振り抜かれたゾルダの右拳は明後日の方を向いていた。
拳の山になった拳頭部が砕け、中手骨をへし折り、皮膚を突き破った尺骨が肘の外側から飛び出している。
「なッ!? バ、バカな――!!」
修復不能となった己が腕を見つめ、ゾルダが狼狽えた表情を見せた。僕は無言で、迎撃した右拳にこびり付いたタールのような血を振り払う。
「ふざ、けるなッ、貴様が無傷で俺様だけがこんなッ、認めるかよおおおおッ――!!」
ゾルダは渾身の魔力を籠めた左拳を放つ。
「があああああああッ――!!」
巨岩のような拳に対し、僕は水の魔素を纏わせた五指で受け止める。
それはセレスティアの水精剣、アブレシブ・ジェットカッターと同じ効果を持っていた。
結果、ゾルダの左拳は短冊のように切り下ろされた。
居並ぶ石柱群に拘束された我竜族の面々が息を呑むのがわかった。
自分たちの王が為す術もなく破壊されていく。その事実も去ることながら、厳然と横たわる我竜族の王と龍神族の王との実力の差に驚愕しているのだ。
ある者はその姿を目に焼き付けようと瞳を見開き、あるものは口を引き結び、こみ上げるものをひたすら耐えている。またあるものは王の最後を悟り、瞼を固く閉じていた。
「ありえねえ! ありえねえありえねえありえねええええええッッ! 俺が最強なんだ! 俺が支配者なんだ! なのに、なんじゃこりゃああああ!」
ゾルダの王としてのプライドが現実を拒むよう、もう動かなくなった両腕を地面に叩きつけ八つ当たりを始める。
そんなことをしても動くようになるはずもなく。どす黒い血を撒き散らして吼える様は、泥遊びをする子供が駄々をこねている姿にも酷似していた。
僕はそんなゾルダに向け、底冷えするような声を投げかけた。
『我竜族の王ゾルダ・ジグモンドよ。最後だ。仲間と共に引け。貴様は王として、これだけの臣下を導く義務がある。臣下のためにこそ、ここは引くのだ』
この世界にやってきてまだまだ日が浅い僕だが、それでもバハやビオと僅かに話をしただけでわかることもある。
臣下にとっての王がどれだけ尊い存在なのかを。彼女たちでさえ、もう帰ってくることのない王を待ち続け、自らも殉じて命を絶とうとする程なのだ。
ゾルダが真の王であるならば、ここは潔く引く場面である。
だが、僕の目に映ったのは、眉を潜めて訝しむゾルダの顔だった。
「何を言ってやがるんだてめえは? 臣下のためだ? 何故王である俺様が下々のために動かなきゃならねえだ!?」
その瞳はある意味純粋だった。王に付帯する権利と義務。
その権利だけを極端な形で教え込まされたかのように、ゾルダという男はあまりにも未熟だった。
石柱に封じられし我竜族の面々は、あるものは悔しげに、あるものは諦観に暮れ、そしてあるものは涙さえ流していた。
『こちらには貴様の妹、ミクシャ・ジグモンドがいることを忘れてはいないか。彼の者は今質に取っている。これ以上の抵抗をするなら命の保証はしないぞ』
「ちッ――、街を支配するという命令を完遂できないどころか足を引っ張りやがって。クソアマが、あとで犯して殺してやる……!」
『…………ミクシャ・ジグモンドは貴様の肉親ではないのか?』
「あ? それがどうした? 肉親だろうが所詮女は男の道具だろうが。使えない道具なら、最後には穴ボコにするしかねえだろう――!?」
頭の奥の芯の部分が冷たくなっていくのを感じる。
背骨が氷柱に取って代わられたような薄ら寒い嫌悪が僕の全身を駆け巡る。
『ゾルダよ。おまえはもう喋るな――――』
最初に思い描いたのは風。
さらに風に圧縮された炎を思い浮かべる。
僕の背後で爆発した風と炎を推進力にして、ノーモーションでゾルダに肉薄。その顔面に鋼の拳を叩き込む。
「――――ッばぁ!」
そんな声を残し、ゾルダの巨体は水平に吹き飛んだ。
これで終わらすはずがない。僕は地面を蹴り上げ、ゾルダの進行方向へ先回り。
全身を
水平から垂直方向へ舞い上げられたゾルダが、風に煽られる木の葉のように青空へ吸い込まれていく。
『
僅かな呟きだけで、僕の周囲にはヒトの頭くらいの炎の玉が無数に浮かび上がった。
そしてそれは砲弾のような速度で次から次へとゾルダへと殺到。
ヤツの身体に触れればたちまち爆発を起し、ゾルダの身体を錐揉みさせながら、さらにさらに空の高みへと押し上げていく。
『おおッ――!!』
それはまるっきりロケットの発射だった。
長く尾を引く炎を噴き出し、僕の身体はぐんぐん高度を上げて、あの
遥か眼下にはヒルベルト大陸が一望でき、そして真下では丨ゾルダ《汚物》が重力に引かれ自由落下を始めるところだった。
僕は反転。再びアフターバーナー全開で突撃を敢行する。
断熱圧縮で鎧が赤熱化する。
その勢いのままにゾルダに拳を突き当てて加速――さらに加速――さらにさらに加速する。
その日、龍の膝下――ノーバの臣民達は見た。
ひとつの箒星がルレネー河川の方角に落下するのを。
その直後に起こった地震は、まるで龍の咆哮のような地鳴りを伴っていたという。
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