第252話 龍王の帰還篇⑧ 名乗りをあげるふたりの王〜苛烈な闘いの始まり
* * *
「兄は――ゾルダは狂気に取り憑かれている」
僕らにそう呟いたのはミクシャ・ジグモンド。
我竜族の現王、ゾルダ・ジグモンドの妹だった。
妹とは言っても随分と年齢差があるらしく、100歳以上は離れているとか。
彼女の実年齢は聞いていないが、見た目通りなら僕より少し年上くらいだろうと思われる。
「兄は幼い頃からずっと前王ガルドの憎しみを植え付けられてきた。今では兄の心は真っ黒だ。正直に言えば……私たち我竜族はみんな兄を恐れている。兄の機嫌を損ねれば比喩ではなく首が飛ぶからだ」
『へえ』
僕がため息混じりに声を漏らすと、腕の中のエアリスがビクッと反応したのが分かった。
今僕はエアリスを羽交い締めにしている。龍王城の金目のものはあらかた売り尽くされており、その中にはエアリスの思い出の場所、ディーオの蔵書や形見も含まれていたからだ。
――老婆バハと別れた僕らは龍王城へと侵入を果たし、真希奈の的確なナビゲーションのお陰で、騒ぎを起こすことなく、速やかにお城の周囲にいた敵を無力化していった。
さあ、あとは城内の敵を倒すばかりとなったとき、「しばし待て、タケルよ」と、エアリスがある扉の前で足を止めたのだ。
「ここはディーオ様の書架が置かれている。晩年のディーオ様は寝室よりもこちらでお休みになられることが多くてな。あまりにも埃っぽかったので掃除をしようとすると、他者にモノを動かされるのは具合が悪いと珍しくすねたりしていたのだ。ふふふ……」
あれ、今のって惚気けられてるのかな。なんだかモヤモヤする。エアリスは扉を見上げながら懐かしそうに「まるで何十年も昔のことのようだ」なんて言っている。そうして彼女は、主が永久に不在となったその蔵書室の扉を開けてしまったのだ。
「――――ッ!?」
『どうした、エアリス?』
ドアを半開きにしたまま動きを止めたエアリスを、僕も、そして側に滞空するアウラも不思議そうに見ている。僕はヒョイッと中を覗き込んでみる。
『なんだ、空っぽだぞ?』
蔵書室は存外広そうだった。カーテンが締め切られた窓と、隙間から差し込む陽光で、室内はぼんやりと明るい。天井まで届きそうな書架がいくつもあるが、その中身は一冊もなかった。
「あ、……い……こん……誰が」
『エアリス?』
そこには顔面を真っ青にして、皿のように開ききった瞳で室内を見つめる彼女の姿あった。認めたくない現実を少しずつ咀嚼するように、彼女は小刻みに震え始める。
やばい。
直感的にそう思った僕は、その場にエアリスを残し、主不在の城の中で好き勝手してくれたであろうミクシャ・ジグモンドが、エアリスに八つ裂きにされるまえに保護しに行ったのだった。
*
さて。
城の中央に位置する大きなホールは、薄汚れているとはいえ絨毯ばりでシャンデリアっぽいものまであるという、なかなか豪華な大広間だった。
そこに累々と転がるのは、僕によって倒されたミクシャ親衛隊の面々であり、ついでにエアリスの風に吹き飛ばされて追加ダメージを負ったためか、割りと瀕死に近い状態にあるようだった。
そんなむくつけき我竜族を屠って(←殺してない)多少溜飲が下がったかと思ったが、敵首魁を見つけた途端、エアリスさんはマジで噴火した。
「よくもディーオ様との思い出の品を売り払ってくれたなああああっっ!!」
もはや錯乱状態にあるエアリスを、アウラの小さな体で止められるはずもなく。僕は必死に彼女を後ろから抱きしめ、魔法が暴走しないよう、目を光らせる必要があったのだ。
従って今僕はエアリスを後ろから抱きしめている状態であり、鎧と同調させてる感覚神経からは、エアリスさんの体温とか柔らかさとかすごくいい匂いまで漂ってくるわけで……って、そうじゃなくて。
とにかく、ミクシャは規格外の風魔法を使うエアリスにすっかり恐れを成してしまったようだ。
平伏し、
そうしてその折り、僕は偵察に出ていた真希奈からゾルダ王発見の知らせを受けたのだった。
「タケル、もういい。もう暴れないから離すがよいぞ」
『ん? ああ、いや。とかなんとか言って、離した途端襲うなよ?』
「しない。ディーオ様の名にかけて誓う」
そこまで言うなら大丈夫か。僕はちょっぴり名残惜しい温もりを手放した。
「やれやれ。そなたの殺気は実に鋭利だな。まるで心の臓を氷の手で握られたようだったぞ」
は? 何の話だよ。それって僕のことか?
まあいいけど……。
『ミクシャ・ジグモンドよ。これ以上抵抗しないと誓うのならば命は保証する。お前の部下たちも、後に治療を施そう』
まあ、戦意喪失して土下座までする女性をこれ以上どうこうするなんてないけどね。
僕はマントを翻し、テラスへと出る。そこからは城下町が一望できた。その城下町の遥か向こうに、我竜族の軍勢が集結しつつあると真希奈は言っていた。街にやってくる前に、全て倒さなければならない。
「ま、待て、無茶だ! 兄は、ゾルダはあまりにも強すぎる! 百人を向こうに回して純粋な力のみで屠り去るほどの男なんだぞ!」
『そうか。忠告痛みいるが、こちらも引くことはできない事情がある。最悪お前の兄を殺すことになるだろう』
「――――ッ、それは、戦いの果ての結末ならば、致し方ないことだ。いや、むしろ兄を解き放ってくれるのならば……!」
そう言ったきり、もう言葉にならないのか、ミクシャは祈るように手を合わせ、その場にへたり込んだ。
もともとは彼らの親の代、さらにその上の代に原因があるとはいえ、彼らはもう十分苦しんだのではないだろうか。少なくともこれから生まれてくる次の世代にも、同じ罰を強要することはできないだろう。
『じゃあ、行ってくる。万が一のときは街のみんなを頼むぞ』
背後のエアリスへと出立を告げる。すると彼女は、
「万が一などない。ディーオ様は最強だった。そのディーオ様から力を継いだ貴様が最強でないはずがない」
と、一点の迷いもなく言い放つ。
僕は鬼面の下で微かに笑うと、そのままテラスから飛び降りた。
「なッ!?」
ミクシャの声が聴こえる。だが案ずることはない。一息で到達するためには、より大量の風と炎を必要とする。せっかくのテラスを壊すわけにはいかないからな。
落下しながら、テラスの真下が岩山になってることを確認し、僕は風と炎の魔素に呼びかける。次の瞬間、僕の足元が爆発した。
岩山を砕きながら、落下スピードが相殺され、即座に猛烈な上昇スピードを獲得する。鎧を着ていなければできない、人間ロケットによる長距離瞬間移動術である。
そうして僕は先行している真希奈の元へと飛び立ったのだった。
*
「野卑な飛び方のくせして、相変わらず風を捕まえるのが上手い男よ。普段私とセーレス殿相手にも、あれほど上手く立ち回ってくれればよいのだが……」
放物線を描き、とんでもない速度で飛んでいったタケル・エンペドクレスをミクシャは呆然と見上げていた。
もしかすると、あの者ならば兄を倒してくれるかもしれない。その身に宿った狂気もろとも、兄の欲望を打ち砕いてくれるかも……そんな僅かな期待を抱かせる何かが、彼の者からは感じられたのだった。
そして――
「手を出さないとは誓ったが、貴様にはキリキリ吐いてもらうぞ。もし質草からディーオ様縁の品が消えていたら…………わかっているだろうなあ!」
まさに悪鬼の如き形相で、エアリスは崩折れるミクシャを見下ろした。
ああ、ホントもういっそ殺してくれ――とミクシャは胸中で己が所業を後悔するのだった。
* * *
「なんだコイツは――!?」
大河川ルレネーの袂に集いし我竜族――約一千名。
それは王、ゾルダの御名にて集められた流浪の者たち。
王のため最後の奉公を行うべく、ヒルベルト中より決死を抱いて馳せ参じた古参の男たちだ。
そんな彼らの動向に、他種族が注視しないはずがなかった。
特に諜報活動を得意とする幻魔族は、彼ら特有の特殊な隠形を用い、我竜族一千名の中に紛れ込み、ことの成り行きを見守っていた。だが、ゾルダの野獣の第六感により姿が露呈してしまったのだ。
幻魔族の隠形、
本来であれば、どのようなモノであっても、幻魔族の隠形を見破ることは適わない。それを成したゾルダの野生の勘こそ賞賛に値するものだった。
他の魔族種は領土の空白化を望まない。
王がいなくなったのなら、新たな王を据えればいい。
ちょうど各地を転々としながら無法を働く王がいて手を焼いていたのだ。
ゾルダも腰を落ち着ければ当面自分が手にした領地を食いつぶすことに執心するだろう。
――どちらにしろ、自分たちの領土は守られる。そんな打算の末に他種族はゾルダが龍の膝下に進行するのを許容していたのだが――
『恥を知りなさい! この不埒者共!』
ゾルダ、そして幻魔族の間者の頭上には、奇っ怪な人形が浮遊していた。少女を象った目鼻立ちに、瀟洒なドレス姿。背中から生える四枚翅から察するにもしや――
「妖精種か? 没した
幻魔族の間者は穴が空くほど人形――真希奈を見た。
マクマティカにも目撃情報はあるものの、実際にお目にかかるのは彼も初めての経験だった。
「妖精種だあ? そんなことはどうでもいい。おい貴様、この俺様を捕まえて不埒と言ったか。いい度胸だなあ……!」
ゾルダは王である。見下されていることも腹立たしいが、どうやらこの妖精種は喧嘩を売っているらしい。ゾルダから発せられる殺意の波動に、集まった我竜族たちはすくみ上がる。だが、当の本人はまったく臆した様子がなかった。
『不埒でないと言うのなら愚か者です! あなた達が攻めようとしている領地には、もうすでに王が存在します。それを知らず、出来もしない支配後の話を延々と続けるなど愚の骨頂! 恥を知りなさい!』
ゾルダは歯向かうものが女子供、年寄りであろとも容赦しない。
だが今の言葉の中には、決して感化できないものが含まれていた。
「おい、ちんまいの。今王が存在すると言ったか? あそこにディーオ・エンペドクレスがいるのか!?」
前王ガルドに深手を追わせ死に至らしめ、さらには我竜族の領地を永遠に奪った難き仇。ゾルダの生涯は己の欲を満たしながら、ディーオ・エンペドクレスを倒すための修行の毎日だった。
「くくく、たかがヒト種族ごときに遅れを取ったと聞いたときには耳を疑ったもんだが、やっぱり生きてやがったのか! いいねえ、俺様を差し置いて最強を名乗っているのが気に入らなかったんだ! どっちが一番強いか決着をつけようじゃねえか!」
血走った眼で凄絶に笑うゾルダは、怖気を誘うほどの殺気を醸し出している。それとは対象的に、真希奈はますます蔑みの目でゾルダを見下ろした。
『未だ大海を知らぬ蛮族の王よ、真希奈があなたの間違いをふたつ、訂正して差し上げましょう』
「なにぃ?」
ゾルダよりももっとずっと偉そうで、小生意気そうに鼻を鳴らしながら、真希奈は傲然と言い放った。
『まずひとつめ、先王ディーオ・エンペドクレスは確かに崩御しました。ですがそれは第三者の手にかかったというわけではなく、己自身の考えと信念の元、自らの生に終止符を打たれたのです』
「なんと……! それは真か!?」
反応したのは幻魔族の男の方だった。
未だ謎とされているディーオ・エンペドクレスの行方。
やはり彼の者は死んだ、ということなのか。
我竜族の偵察に来て、思わぬ核心情報が得られた。
『そしてもうふたつめ。あなたなど全く全然、ちっともこれっぽっちも最強などではありません! その程度の実力で強くなったつもりでいるなどチャンチャラおかしいです!』
「じゃかましい! 羽虫風情が!」
あまりにも好き放題言われ、ゾルダが切れた。
落ちていた剣を拾い上げると、寸分違わず妖精の少女へと投げつける。
だがそれは即座に不可視の壁によって防がれた。
空気が焦げ付くほどの速度で投擲された剣が粉々に砕け散る。
「魔力による盾だと!? あやつ、本当に妖精種か!?」
幻魔族の間者が心底驚いた様子で素っ頓狂な声を上げる。
ヒトの形に定められたるヒト種族、獣人種、長耳長命族、そして魔族種。
その中でも抜群の魔力保有量を誇るのが魔族種だ。龍神族の初代エンペドクレスはそれを魔法へと転嫁させることを思いつき、魔族種に虐げられていた他種族へとこれを拡めた。
いわば四大魔素による魔法とは龍神族が
対して他の魔族種は魔力を独自の方法で自らの技に転嫁させることを思いつき、それを研鑽し昇華させ、一族の秘伝としてきた。幻魔族の陰遁の術と対になる陽遁の術もその一形態である。だが、妖精種までもが魔力を持つとは寡聞にして知らなかった。
『今の力は真希奈の力ではありません。真希奈の主からお借りした力の一端――それは枝葉の先の葉脈の一筋程度の力でしかないのです』
「な――ッ!?」
「んだとぉ……?」
前者は驚愕。
後者は疑惑に顔を歪める。
幻魔族の男とゾルダそれぞれを存分に見下ろし、最後に真希奈は、ふたりが抱いている最大の間違いを指摘した。
『最後に、真希奈は妖精のように愛らしい容姿ですが、妖精種じゃなくて、人為的に創られた精霊種ですっ!』
その瞬間、真希奈の声は爆発によって遮られた。
もうもうと土埃が舞い上がる。
何者かが空より飛来し、爆音を伴って着地ししたのだ。
『お前ね、みっつになってるぞ、間違いの指摘』
『あっちょんぶりけ! なんということでしょう真希奈としたことが!』
『古いわーリアクションが。今度地球に行ったときは、ぜひ女の子らしい流行を勉強してだな……』
『真希奈はこれでいいのです!』
『はいはい』
土埃の向こうから現れたのは、異様な鎧を纏いし男だった。
漆黒と白銀が寄り集まった全身装甲。筋繊維の形に配されたプレートが密集し、互いが干渉することもなく、あくまで
棚引く緋色の
妖精種の少女は、男が降り立った瞬間から、甘えるようにベタベタと、鬼を模した面頬に抱きついている。それをあやす男もまた、随分と気安い口調だ。しかし――
(底知れぬ……! この者が全身から醸し出す魔力の波動。一分の隙もないように見えて、何か得体のしれなさも感じる……!)
幻魔族の男は正しかった。
ただそこにいるだけで威圧してくるゾルダとはまるで違う。
あまりにも静謐としていて、嵐が来る前の気まぐれな青空を見上げるような、大波がやってくる前の波止場に立っているような、そんな不安な感覚に襲われるのだ。
「てめえ、いきなり現れた分際で俺様を無視しやがって。一体何者だ――!?」
再び野獣のような殺気を放ちながらゾルダが誰何する。
妖精種の少女と戯れていた男がピタリと動きを止めた。
――――ドクン(ドクッ)
見えない何かが空間そのものを叩いた。
ゾルダも、幻魔族の男も、そして居並ぶ我竜族たちも、誰もがキョロキョロと辺りを見渡す。空間を叩く音は断続的に大きく、速くなっていく――――
『無礼者がッッッッ――――!!』
空気が爆ぜた。
爆発的な音の波が、物理的な衝撃波となってその場の全員に襲いかかる。
ただ単に地声が大きかったゾルダの怒声とは次元が違う。
まるで心臓を鷲掴みにされるかのような、魂そのものを握りつぶされるような、そんな叱咤だった。
『貴様らの有り様、それが王を拝謁するものの態度か! 疾くひれ伏せ――――!』
自ら膝を折るまでもない。
頭上から見えざる掌に抑えつけられるように、全員がその場に這いつくばった。
一千人からの我竜族が一様に打ち付けられ、幻魔族の男は膝を屈した。
ただ一人ゾルダのみが、見えない圧を受け止めるが如く、両手を頭上へと掲げ、結果、胸元まで地面へと没することとなった。
『此度のみ、特別に我から名乗りを上げてやろう。我が名はタケル・エンペドクレス。先王ディーオ・エンペドクレスよりその深淵を受け継いだ次代の王である!!!」
妖精の少女と睦み合っていたときはと違いすぎる。
圧倒的な魔力という生命エネルギーの奔流。
容易く一千人をひれ伏せさせる力。
間違いないと、幻魔族の男は確信する。
何もかもが規格外のこの男、紛れもなく龍神族の長たるもの。
三代目エンペドクレスを名乗るに相応しい大器だった。
「くくッ……!」
ハッと見上げれば、ゾルダが笑っていた。
両手を頭上に掲げ、地面に埋まった形で、こらえきれないとばかりに口元を釣り上げている。
「いい……いいぞ。これだ、この力だ。これを、俺様が超える――!!」
ゾルダからも間欠泉の如き魔力の本流が迸った。
瞬間、彼の矮躯が倍以上にも膨れ上がり、その反動で地面が消し飛んだ。
「なッ――!?」
幻魔族の男は驚愕の声を上げる。
自分の胸元にも満たなかったゾルダが、今やこの場の誰もを見下ろす存在となっていた。
過剰搭載された筋肉が骨格を押し広げ、足りない骨を堅牢に補いあい、急激な成長変化を遂げていた。
全身をマグマのように赤く滾らせながら、身の丈3メートルはあろうかという大男へと変身したゾルダは、鎧の男――タケル・エンペドクレスへと宣戦布告する。
「我が名は我竜族の王、ゾルダ・ジグモンド! 先王から続く因縁をここで絶つ! しみったれた復讐なんかじゃねえ! 俺様より強い男などこの世に存在しない! 貴様を殺してそれを証明してやる!!」
こうして闘いの火蓋は切って落とされた――――
続く。
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