第251話 龍王の帰還篇⑦ 我竜族の王ゾルダ登場〜幻魔族の間者を添えて
* * *
大河川ルレネー。
龍王城があるノーバの街から約10キロ北上した先に横たわり、ヒルベルト大陸の貴重な水源として機能している。
またゴルゴダ平原を挟んださらに向こうにはルグルー大河川があった。ルレネーもルグルー同様、南に進むに連れてひとつに交わり、巨大河川ルレグルーとなって、大海ジオグラシアへと注がれる。
そして今、ルレネー河の畔には、千に迫る軍勢が集結しつつあった。
天を衝くような長身、全員が種族敵特徴である竜斑紋と呼ばれる、うろこ状に角質化した皮膚を部分的に有している。背中、腕、そして首筋と。それらはすべて流浪の種族、我竜族の特徴だった。
「刻限か」
集まった我竜族を睥睨するように、ひときわ小高い場所に居座った男が目を開く。その瞳は漆黒ながら、白目の部分が赤く血走り、男が異常な興奮状態にあることを知らせる。
男の名前はゾルダ・ジグモンド。
我竜族の先王、ガルドの息子であり、
ゾルダは血走った瞳のまま立ち上がり、各地から集った進撃部隊をぐるりと眺めた。それだけでビクリと、本来荒くれものであるはずの我竜族の男たちは首をすくめた。
ゾルダは矮躯である。身長なぞ成人した我竜族の半分程度しかない。それはヒト種族の小柄なメスとなんら変わりなく、本来ならば種族の中で嘲笑の対象となるものだ。だが彼を笑うものはひとりとしていなかった。
「なんだこれは……」
小高い盛土の上であってもなお小さなゾルダがつぶやく。
王が何を指してそう言うのかわからず、男たちが首をかしげた瞬間――
「なんだこれはって聞いてんだよおおおお――ッッ!」
それは雷鳴のような怒号だった。
許容量を超える音波が鼓膜を震わせ、我竜族の男たちは一瞬立ちくらみを起こす。だが、倒れることはできない。懸命に歯を食いしばり、王の激を浴び続ける。
「ついに我らの悲願である領地が手に入るというのに、ヒルベルト中に触れを出して、集まったのがたったこれぽっちとはどういう了見だッッ!!」
あまりの声量に、川岸で羽を休めていた鳥たちが一斉に飛び立つ。だが次の羽ばたきには意識を遠のかせ、そのまま川に落ちていく。
「せっかくこの俺様が! ゾルダ・ジグモンドが! 奪う楽しみを! 侵す悦びを! 殺す快楽を分け与えてやろうとしているのに! いつから
ゾルダの怒声は大地を震撼させ、地面からフワリと砂埃が舞い上がるほどだ。どんなに小さな身体をしていようとも王。誰よりも激しい気性を持つが故に、ゾルダは我竜族の王として君臨していた。
「――ちッ、どいつもコイツも寝ぼた顔をしやがって……!」
実際、ここに集まった我竜族はヒルベルト大陸中から駆けつけた古参の男たちばかりだった。
領地を持たないということは安住の地を持てないということ。どこに行くにも差別と蔑みの目で見られ、他種族の領地へ立ち入りを禁じられることもある。
なんとか自活しようにも、最低限の物資は売っている街まで買いに行かなければならない。そしてそこでも足元を見られ、高値などを吹っかけられることも日常茶飯事だった。
ここにいる者たちは、そんな
親から子へ、先王の最後と、なぜ領地を失うことになったのか、我竜族の悲運も伝え聞いている。
その原因、他種族たちを拐かし、それを売り払って収入にしていたことを反省し、ここに集った各家長たちは、もう二度とそのような行為には手を染めぬよう、ゾルダの知らぬところで協定を結んでいる。
親の世代の罪を背負い、それでも慎ましくまっすぐに生きている彼らが、何故今日、ゾルダの呼びかけに従い、この地に赴いたのか。それは一重に、最後の奉公のためであった。
「いいか、我らの領地はもう目と鼻の先にある。妹ミクシャが先行して街に入っているが、やはりディーオ・エンペドクレスは現れなかった。ノーバの街には魔人族と獣人種の丨間の
ゾルダの顔が笑みに歪む。これから巻き起こる惨劇に身を震わせながら。血しぶきを、悲鳴を、阿鼻叫喚を想像し、悦に浸っている。
我竜族の家長の誰もが、それを痛ましげに見つめていた。
生まれながらにしての王、ゾルダ・ジグモンド。それは事実。生まれながらにしての敗残者。それもまた事実。先王ガルドは、息子ゾルダに対して敗残者としての姿しか見せないまま逝ってしまった。王としてのあり方を、矜持を教えずに崩御した。
自ら何かを生み出し、創り育てることも無いまま、足りないものを他者から奪うことしかしてこなかったゾルダに王たる資格は本来ない。
それでも、そんな男であっても、ゾルダは王なのだ。ここにいる我竜族の家長たちの頂点に立つものなのだ。そんな王を持つことになってしまった不運こそが、我竜族という一族最大の悲劇なのだった。
誰も彼も、放浪の旅のさなかでも手放さなかった、親の代からある戦装束に身を包み、抜けばなまくら同然の剣を引っさげて推参している。
家族との別れは既に済ませてある。家長たちはみな、死ぬ覚悟だった。
先王から引き継いだ妄執をゾルダに叶えさせる。そのために今一度忌まわしき我竜族の本性に立ち返る。
街を侵略し、壊し、殺す。そしてゾルダが数多の屍の上に君臨した姿を目に焼き付け――自害する覚悟をしていた。
ここが、彼らの夢の終わり。
己が命と引き換えに、先王より続く妄執に幕を引く。
治めるべき家臣がいない、無人の領地を前にすれば、ゾルダもきっと目が覚めるはずだと、そう信じて――
*
「んん?」
忌々しく我竜族の家長たちを眺めていたゾルダが片眉を跳ね上げた。
スンスン、と大して高くもない鼻をひくつかせ、ギョロギョロと目玉を動かしている。
「――――そこだッ!」
閃く白刃。
誰が何をいう暇もない。
ゾルダが抜き放った剣が空気を切り裂き、ひとりの家長の胸に吸い込まれた。悲鳴にも似たざわめきが駆け抜ける。
ゾルダは動かない。剣を投げた格好のまま、たった今殺した家長を見つめている。
一体何が。どんな理由があって王は誅罰を与えたのか。その真意を質そうと何人かが口を開きかけたそのときだった。
「お見事。腐ってもやはり王は王か」
胸を貫かれた家長が、その場に崩折れると同時、ひとりの男がその背後から陽炎のように現れる。
全身を黒衣の装束に身を包み、
「この陰気臭い感じ……
幻魔族。
27根源貴族の一角、陰陽王メリザンド・アモーリーを王に頂く。
幻のように現れては消えていく神出鬼没な一族だ。
「何の用だ。邪魔立てするならてめえから殺すぞ?」
「私はただ偵察を命じられ、その任を果たしていただけだ。ゾルダ王の行動を制限せよとは言われていない」
「うろちょろされるだけで目障りなんだよ。今すぐ消えろ……!」
「あいわかった」
幻魔族の男の姿が不意に薄くなる。
まるで少しずつ透明になっていくように、かたちが輪郭を失っていく。
「ところで、ゾルダ王よ、たった今、そなたの大切な家臣が息を引き取ったようだが?」
胸から剣を生やした我竜族の家長は絶命していた。ゾルダは面白くなさそうに鼻を鳴らした。
「兵隊が一匹死んだところで狼狽える王がいるもんかよ」
その言葉を聞いた瞬間、我竜族の家長達に動揺が走る。ゾルダにとって自分たちの命など路傍の石も同然。
今回の進軍に参加したのは、己の命を持って稚拙な王へと進言する陰腹のごとき意味合いを持っている。
だが、その果てにあるものは、意味のないことなのではないか。
ゾルダはひとり、裸の王様として、孤独の頂きで笑い転げるだけなのではないだろうか。
そんな様子を見て取り、幻魔族の男は口元を歪める。マスクの下で醜く嗤いながら別れの口上を告げる。
「我ら幻魔族も王不在による龍神族領地の空白化は望んでいない。そなたの思うがままの治世を敷くがいい。ノーバを平定されたのなら、我らが陰陽王より祝辞が届けられるであろう」
幻魔族の男は首から上を残して風景と同一化していた。
どのような理屈なのかはわからないが、彼らは本当に敵陣の最中、自由に現れ、自由に消えることができるのだ。
ゾルダは幻魔族の男を凄絶に睨みつけながら宣言する。
「メリザンド・アモーリーに言っておけ。次はてめーのところを滅ぼしに行くってなあ!」
「な、なんだと!? あまり調子に乗るなよ、敗残者の息子めが――!」
ゾルダの顔が笑みに引き裂かれる。
幻魔族の男も己が失言を自覚しながら身構える。
ゾルダは全身の筋肉を隆起させると、四足獣のごとく地面に伏せ、縮めた手足を解き放ち、猛然と飛びかかる――――!
『はいはいはい。喧嘩はそこまでにしてください!』
絶妙な
突如として降って湧いた第三者の声に、ゾルダは突撃の時機を失い、幻魔族の男も目を剥いて辺りを見渡している。
果たして、可憐なる声の主はパタパタと上空より現れた。
『双方そのまま。もう間もなく、龍神族の長、タケル・エンペドクレス王が降臨なされます。目ン玉 ひん剥いて拝謁の栄誉に浴しなさい!』
小さな体に不釣合いの尊大さで、人工精霊・真希奈は千の軍勢を前にそう言い放つのだった。
続く。
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