第250話 龍王の帰還篇⑥ 龍王城の制圧〜ミクシャ・エアリスの逆鱗に触れる

 * * *



 ミクシャ・ジグモンドは我竜族の王、ゾルダ・ジグモンドの妹である。


 父、ガルド・ジグモンドが病に伏せ、今際の際に残したまだ年若い魔族種である。あれほど強く逞しく、そして精力旺盛だった父が、最後は見る影もなく、枯れ木のようにやせ細り、逝ってしまった。


 ミクシャは子守唄代わりに、父の恨み節を聞いて育った。あな憎しや。あな殺したや。我らが国を奪い、我らを辱め、放逐せし男。ディーオ・エンペドクレス。


 我が子に託す望みはただひとつ。復讐を。彼奴は強い。なれど一矢報いて欲しい――と。


 我竜族がひとところに留まれず、土地を転々としなければならないのは龍神族のせいだ。我らが他種族から後ろ指を刺されるのは龍神族のせいだ。我らが奪うのも、盗むのも、そして殺すのも、すべては龍神族のせいなのだ――と。


「ここを、我らの安住の地にする。民草もすべて支配する……。ディーオ・エンペドクレスのせいなどにさせるものか。我らは我らの意志で戦い、殺し、奪う。この国を手に入れれば、我らは誇りを取り戻せるのだ――」


 龍王城大広間。ミクシャは玉座に身を沈めながら独り言のように呟いた。


 龍王城は古い城だった。恐らく人魔大戦よりもっと以前に建立されたものだろう。だが意外なことに、どこを探しても玉座らしきものはなかった。


 仕方なく、一番上等だった椅子を大広間に持ち込み、上座に置いてミクシャは王の気分を味わっているのだった。


 部下たちには好きに遊ばせている。殺し以外のことは全て許可していた。街や各地への物流を独占し、金目の物を売り払い、少しでも兄がやってくるまでの準備を整えておかなければならない。


 だが、とも思う。一人、伽藍堂の大広間。高すぎる天井を見上げながら、玉座とはなんと冷たく寂しいものなのかと。ミクシャやその兄があれほど渇望した王の証とは、思ったほどいいものではないのかもしれない。そう思っていたときだった―― 


「ミクシャ様!」


 ドカドカドカッ――、と大勢の足音が広間に迫る。

 ミクシャは何事かと玉座から立ち上がった。


「なんだ、騒々しいぞ!」


 現れたのはミクシャの部下、親衛隊員たちだった。


「そ、それが、我らに敵対するものが城下街に現れたようです!」


「なんだと? ええい、なんのためにお前達を市井で好きにさせていたと思っている。兄様がやってくるまでに人心をねじ伏せておけと命じていたではないか!」


 敵対するものが現れた。それを聞き当然だろう――などとミクシャは思わない。今この街を支配しているのは自分たちなのだ。我らが王なのだ。王に歯向かうものの末路はただ一つである。


「散ってる者たちに招集をかけろ! 兄様がやってくるまでもう時間がないぞ! 我ら全員でその者を血祭りにあげてくれる!」


「はッ――!」


 触れに走るため、一人が大広間を飛び出していく。

 大広間に残った者たちは誰も彼も痣や傷をこさえ、足を引きずっている。


 情けない。暴虐なることヒルベルト随一であると自負している我竜族のオスが全員ヤられて逃げ帰ってきたというのか!?


「おい、その敵対する者の規模と人数は!?」


「そ、それが……」


 手近な部下に威圧を込めて質問すると、どうにも歯切れが悪い。ミクシャは苛立ちも顕に激高した。


「まさか全員が不意打ちで相手の顔も見てないなどとは言うまいな。疾く答えろ!」


 そう言い放ったときだった。大広間の扉が強く開け放たられる。

 それは触れに向かったはずの部下だった。


「ミ、ミクシャ様!」


「今度は何事だ!?」


 全員の視線が入り口に集中する。男は大きな体躯を蒼白にし、ガタガタと震えた様子だ。


 そして、扉の向こうから微かな異音が近づいてくるのにミクシャは気づいた。ズルズル……、ガシャ、ズズズ、ガリガリ……。耳障り極まりないその音はついに、大広間の中へと侵入してきた。


「なッ――!?」


 奇っ怪な姿かたちだった。

 それは一つの胴体に八つの腕を持ち、前後左右にこれまた八つの脚を持っていた。


 魔物族モンスター!? いや、違う。魔物の類いなどではない。四人の我竜族の男が骨も肉も一緒くたに握りつぶされ、絡み合うように互いを支えながらフラフラと歩いているのだ。


 身体に深く食い込み、夥しい血を流させているのは、彼らが持っていた白刃によるものだった。


「な――なにがあったというのだ!?」


 尋常一様ならざる部下の有様に、ミクシャの背筋に寒いものが駆け上る。四体でひとつにされてしまった男たちは力尽き、グシャっとその場に倒れ込んだ。慌てて他の者たちが介抱に向かう。


「ええい、治療はあとだ! 今すぐ残ったもの全員で籠城する! 城に残っている親衛隊を大広間ここに集めろ!」


「はッ!」


 敵は相当な手練だ。鍛え上げた我竜族をいとも容易く退け、さらにあのようなおぞましい姿に成させしめるなど。まるで見えざる巨大なかいなに握りつぶされたかのようではないか――


 慌ただしく動き出す部下たち。彼らはミクシャの命令どおり、城の歩哨に立っている者たちに呼びかけるため、扉から出ていこうとする。


「ぎゃあああああッ――!!」


 不意の絶叫。振り返ったミクシャの目に映ったのは、ふたりの部下がのたうち回る姿だった。


 腕から鮮血が噴水のように吹き出している。足元には、ふたりのものだろう、肘から先の右腕と左腕が転がっていた。


「なんだ、何が起きたというのだ!?」


「わ、わかりません、急に腕がもげ落ちて――」


『全員動くな』


 不意に、聞き覚えのない第三者の声が頭上から轟いた。

 全員が見上げた瞬間、暗く高い天井が破れ、一人の男が降り立った。


 異形。そうとしか言いようがない。

 全身を漆黒と白銀の甲冑に身を包み、肩から真紅の外套衣マントを羽織り、その頭部には鬼面を貼り付けている。


 その強烈な威圧感は、ミクシャを始め、我竜族全員の脚を床に縫い留めていた。


 こいつだ。ミクシャは確信した。

 報告にあった敵対者とはこいつのことだ。


 部下たちが言いよどんだのは、この男ひとりにやられたとは言いづらかったのだろう。先程までのミクシャならばそれを聞いた途端激怒していただろうが今は納得だ。これほどの剛なる男、例え我竜族の男が束になっても勝てるものではない――


「わ、我が名は我竜族の王、ゾルダ・ジグモンドが妹、ミクシャである! 貴様は何者だ! 名を名乗れ!」


 部下たちの手前、いつまでも狼狽えているわけにはいかない。誰よりも早く正気に帰り、ミクシャはことさら尊大に名乗りを上げる。部下たちも金縛りから解かれたようスラリと腰の剣を抜き放った。


『ほう。貴様がこの場の長か。確かにいい胆力をしている。だが、名乗りを上げる前に警告をさせろ』


「警告? 何の話だ?」


 異形の男は大きく息を吸い込むと、首を巡らせ、全方位に向かって大声を上げた。


『いいか、この場にいる全員、これ以上四肢を切り落とされたくなければ大広間より外には決して出るな! 扉、窓、あらゆる場所には触れれば切断は免れない不可視の糸が張り巡らされている! 誰ひとりとしてこの場より出ることは適わんぞ!』


 男の声からは焦燥が感じられた。まるで本当に心からミクシャたちを心配するような労りさえ滲んでいた。


「不可視の糸、だと? それが本当だとして、我らの中に飛び込んできて、袋のねずみは貴様のほうではないか! ――者共、やってしまえ!」


『おい、僕の名乗りがまだ――』


 異形が何かを言いかけていたが構うものか。我竜族の男たちは一斉に剣を大上段にかかげ、あるいは腰だめに刺突の構えを取り、一斉に特攻をしかけた。ミクシャの視界の中、異形は四方八方から串刺しにされるかに思えた。だが――


 異形の男が掻き消える。それと同時に部下がまとめて数人、宙を舞った。異形の男があり得ない速度で包囲を突破し、その進路にいた数名を弾き飛ばしたのだ。


「なん、だと――!?」


『超特急・快・音速拳』


 男が耳慣れない単語を呟いた瞬間――


「ぐあッ!」


「げえッ!」


「ぎゃッ!」


「ぶはッ!」


 辛うじて分かるのは、男の残像のみ。

 それが大広間を縦横無尽に駆け抜け、そしてその度に部下たちが錐揉みしながら吹き飛んでいく。そして――


「――――ッッ!?」


 ズダンッッッ、とミクシャの足元が爆発する。

 ブワッと風圧に気圧され、全身を冷たい汗が濡らす。


 鼻先に突き出された拳。固く踏みしめられ陥没した床と。

 そして巌のような拳の向こうには、金色の妖しい瞳を覗かせる鬼の面があった。


「は――――あ」


 ミクシャは腰砕けになり、その場にへたり込んだ。

 周りを見渡せば、命令を下すはずの親衛隊たちは、全員が気を失い、床に仰臥していた。誰一人、うめき声を上げるものさえいなかった。


「き、さま……何者だ」


 戦慄く唇。声は震えていた。

 王者にあるまじき怯えた声だったが、今は疑問を解消するのが先だった。


『ふう……我が名はタケル・エンペドクレス。ディーオ・エンペドクレスより力を引き継ぎし、三代目エンペドクレスである』


 拳を引きながら男が口にした名前にミクシャは目を見開いた。

 バカな――という思いと共に、納得する自分もいた。


 我竜族の精鋭が手も足もでない。

 瞬きの間に倒されてしまった。

 まさしくこれはエンペドクレスの――王の器と呼べる所業だった。


「ふ、はははッ、そうか貴様が本物か。くッ、殺せ――!」


『誰が殺すか』


 容易くは殺さないと。

 どこまでも冷酷な男だとミクシャは震え上がった。


「そうか。では部下の前で存分に辱めるがいい!」


 デーン、とミクシャは手足を投げ出して仰向けになった。

 いつかこんな日が来るのだと覚悟していた。

 奪うもの殺されるものは、いつか自分も同じ目に遭うのだ。

 乙女の純血を散らされるくらいならまだ安い……。


『いや、しないっつーの。僕はお前ら野蛮人と違ってシティボーイなんだから。相応に反省して弁償してくれればそれでいいよ』


「してぃ? なんだと? 貴様、正気か?」


『正気だよ。けが人もあとで治療させるつもりだ』


 ミクシャからすれば異形の男、タケル・エンペドクレスの言葉は、それこそ異次元のものに聞こえた。これまで自分や兄がそうしてきたように、支配して滅ぼし、略奪して辱めるをしないなど到底考えられないことだった。


「ではお前は、お前は一体何をするつもりなのだ――!?」


 奪わず、殺さず、侵さず、辱めもしない。

 それ以外の支配の方法があるというのか。

 そんなものがあるというのなら見てみたいと、ミクシャは初めて思った。


『とりあえず僕が次にすることは――ミクシャ、おまえを守ることだ』


「え――っ!?」


 金色の瞳に射すくめられる。

 その瞬間、ミクシャの胸骨の裏、心の臓が痛いくらいに脈打った。


 全身が着火したように熱い。顔から火が出そうだ。

 なんだ、なんだこの感じは――!?

 そうして、ミクシャが生まれて初めての感情に狼狽していたときだった。


『危ない!』


 ミクシャの前にタケル・エンペドクレスが立ちはだかった。

 次の瞬間、大広間の壁が大爆発を起こす。

 そしてそこから、深緑の光を纏った風の刃が高速で飛び込んできたではないか。


『――ッ、きっつぅ。本気だな』


 タケル・エンペドクレスが両腕を交差させ、半月状の刃を受け止めた瞬間、刃は形を失い、深緑の粒子となって解けて消えた。


 ミクシャは驚きのあまり、へたり込んだままその光景を眺めていた。一体何が――


「き・さ・ま・か〜!?」


 崩壊した壁の向こう、怨嗟の声とともに現れたのは、褐色の肢体に銀色の髪を棚引かせ、まるでムートゥのような琥珀の瞳をした魔人族の女だった。


 その全身を包むのは高貴なる者に仕える者の証、女中メイド服だというのに、一切の優雅さを放棄し、ただただ怒りに肩を震わせている。


『落ち着けエアリス!』


 エアリスと呼ばれた魔人族の少女の首元には、浅葱色の髪を両側で結わえた、実に愛らしい容姿の御子がいる。その御子は一生懸命彼女の歩みを止めようと、グイグイ襟首を引っ張っているようだが、無駄な行為だった。


「これが落ち着いていられるか! きき、貴様あああ! よりにもよってディーオ様の書斎に踏み入り、あまつさえその蔵書を売り払いおったな! 絶対に許さん! 物の価値もわからぬ我竜族のメスごときがああああ!」


「ひいいい――!?」


 ミクシャ・ジグモンドは知る。

 この世には、決して他者には理解できないが、当人に取っては命のように大事にしている聖域があるのだと。そしてそこに土足で踏み入ったからには、死を持って償わなければならないのだと。


『ちょっと待てエアリス! 物の価値がわからないならお前もいっしょだろ! ディーオの書斎にはガラクタしかなかったって言ってたじゃないか!』


「うがああああ! ガラクタとは何事だー!」


『お前が言ったんだよー!』


 大広間に暴風が吹き荒れ、魔人族の少女が手を振るう度、まるで木の葉のようにミクシャの部下たちが空を舞っている。笑うしかない。この力を前には、逆らおうなどという気概など起こりようもない。


「そこに直れ女! 分子切断の糸でナマスにしてくれるわあああ!」


 このあと、ミクシャ・ジグモンドは生まれて初めて土下座した。

 我が身可愛さに恥も外聞もなく命乞いをした。


 王者の誇りという、大事なモノと引き換えに、彼女は生きることを選択したのだった。


 続く。

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