第248話 龍王の帰還篇④ ふたりの聖なる誓い〜こっちを向いて、恥ずかしがらないで
* * *
いつの時代にも悪は絶えない。
それと同時に栄えた試しも無いのが悪である。
人魔大戦とは、初めてヒト種族の王国がヒルベルト大陸に眠る未知の資源を求めて進軍してきた蛮勇戦争だった。
当時鎮守府が敷かれたのがヒト種族領の南端、リゾーマタであり、魔族種が迎え撃ったのが
この戦いに参戦した魔族種は、特に好戦派の種族――聖獣族、鬼戎族を筆頭に、幻魔族に魔犬族が主だった。
静観を決め込んでいたのが白蛇族を始めとする穏健派で、それ以外の種族はそもそも自分の領地が侵略でもされない限り、ヒト種族に関心を払うものなどいなかった。
そして龍神族の王、ディーオ・エンペドクレスもまた、ヒト種族との戦いには興味を示さなかった。
しかし、好戦派の種族たちがこれを糾弾した。ヒト種族がヒルベルト大陸に進行してくるなど前代未聞であると。この原因を作ったのは龍神族の始祖、初代エンペドクレス王にあると責め立てたのだ。
遥かな昔。
マクマティカは天変地異に見舞われ、プリンキピア大陸を凌ぐ超大陸、オルガノンが海に没してしまったばかりの頃。
残された大陸プリンキピアは、ヒト、魔、獣、長耳、魔物が入り乱れ、混沌としていた。魔族種は今よりもずっと野心に満ち溢れていて、血の気も多かった。プリンキピアの覇権を握ろうと血で血を洗う争いの日々を送っていた。
虐げられた他種族を救うべく、戦うすべを預けた者こそ、初代エンペドクレスだったのだ。
エンペドクレスは己が体系化した四大魔素による超常現象に『魔素と魔力による愛憎添加発露方法』と名付け、それが後の『魔法』となり、ヒト種族、獣人種、長耳長命族、そして一部の知性ある魔物族にも教えを説き、自衛のためにとこれを拡めていったのだという。
進軍してきたヒト種族の魔法を専門に扱う部隊は強力な火力を有しており、さすがの魔族種も油断できるものではなかった。ディーオは、始祖エンペドクレスが撒いた種がヒト種族を増長させる結果に繋がったとして、大戦に駆り出されることになったのだという。
そして、本来最初の戦端を築くはずだったのが、リゾーマタ鎮守府から最も近い、テルル地方を領地に持つ我竜族だった。だが、そこで戦いは起こらなかった。
我竜族はもう長いことヒト種族と商取引をしていた。扱う品は多岐に渡っていたが、その中でもディーオの逆鱗に触れたのが、同族を扱った奴隷売買だった。
魔族種の中でも比較的数が多くて戦闘力の弱い人魔族を間引いては、ヒト種族の貴族へと売りさばき、多額の利益を得ていた。
そしてまた、圧倒的な数で攻め入るヒト種族の軍隊をヒルベルト大陸へと誘致した裏切り者こそが我竜族だったのだ。
大きな混乱を巻き起こし、そのどさくさで商品となる珍しい魔族種を捕獲せんと計画し、一部のヒト種族の貴族と結託しながら、計画的に人魔大戦の引き起こしたのだ。
その事実をオクタヴィアから聞かされた時、聖獣族、鬼戎族、幻魔族は激憤したという。だが、気炎を吐く好戦派に対して、ディーオが取った行動は圧倒的で圧巻だった。
現在の世界地図を見てもらえればわかると思う。
テルル山地。別名『龍の
決して目を背けることのできない暴虐の象徴。
それはディーオ・エンペドクレスが魔法で成した奇跡だった。
我竜族の領地はディーオの神域の魔法により突然の大隆起現象を起し、進軍してきたヒト種族を退け、ヒトと魔の領域をこれ以上ないくらい明確に隔てる壁を創り出した。
それを見上げた瞬間、ヒト種族の軍勢は敗走し、以降二度と魔族種領には近づかないようになった。
そうして裏切り者、我竜族の領地は大きな岩山と成りはて、見上げれば思い出す屈辱の象徴として今も君臨し続けている。
大隆起のどさくさで、彼らの王は崩御。その後、一族は魔族種の誹りを恐れて散り散りに。もともと彼らも一枚岩ではなく、王の方針に不満を持っている者もいたそうな。
そうして現在、我竜族は長く根無し草の流浪の種族として忌み嫌われているのだった。
*
僕は今、森の中を進んでいた。
目的地に着くまでの間、少し考え事をする。
ラエル・ティオス――というより獣人種の列強氏族達はみな、沿岸部に面した領地を与えられ、そして必ずその反対側を魔の森と接するように屋敷を構えているそうだ。
魔の森は、獣人種の領地の約9割を占める目の上のたんこぶであり、列強氏族に課せられた使命は第一に、一般市民の防衛――魔の森から現出するモンスターの脅威から自分の領民を守ることがあげられる。
第二に統治と経済の発展。領内に治世を敷き、騎族院と協力して犯罪者を取り締まったりする。それと同時に国内需要を拡大させて、雇用を増やし、経済を回していかなければならない。まあ当然だな。
第三に、自国内の領地を拡げるため、魔の森を開拓する作業。
これは森林伐採と一緒にモンスターが現出することを前提としていて、護衛の兵士や魔法師が先行偵察をし、安全が確認された場所から少しずつ森を開墾していく。
領内の林業に需要を生むと同時に海岸付近での造船に欠かせない木材を提供するというサイクルが完成している。
とまあ、少し聞いただけでも、経済規模こそヒト種族の王都や
いや、しかしまさか、そこで得た知識を早速自分の領地で試すことになるとは思わなかった。
ああ、まだ取り戻してもいないのに気が早いかもしれないが、取り戻すことは確定している。元々ディーオの持ち物で、エアリスが欲するのなら、それはもう僕自身の決断なのだ。
そう決めた。決めることにした。今更だが僕は魔族種だ。そして龍神族の王である。そのことはもうとっくに受け入れている。
最初は力をコントロールできず煩わしくも思ったが、でもこの力のおかげで大切なヒトを取り戻すことが出来た。今ではディーオに感謝している。
僕はもう、元のニートだった頃のような生活はできないだろう。地球でも、
僕は強くなった。でも同時に弱くなった。誰の目も気にしない。誰に謗られようとも自分の思う通り好き勝手をして生きる……などということはできない。
彼女たちが見ている。
僕の一挙手一投足に注目している。
その視線を。期待を。裏切ることは、もうできないのだ。
*
明日にはディーオ・エンペドクレスの領地、その中心街である『龍の膝下』に入る。そのために必要な情報はオクタヴィアから『対価』と引き換えに得ることができた。
それにさしあたり、僕はエアリスから叱られてしまった。
『貴様、なにか大事なことを忘れてはいないか』と。
はて、と僕は首を傾げた。
ハッキリ言って身一つあればなんとかなるとは思っている。
それ以外に重要なことと言えばなんだろう?
エアリスは、さっきまで僕という男を大層持ち上げてくれていたのとは別種の、蔑みに近い目をした後、こう言った。
『セーレス殿の意思確認をしないでどうする。彼女は貴様の所有物ではないのだぞ』
そうか、そうだった。確かにそれは大事なことだ。
でも、果たして大きな力に対して経験が追いついてない僕に、ヒトひとりの人生を、ましてや相手は長命種族の生涯を預かる決断を安易にしてもいいものだろうか。
『とはいえのう、
いつものからかいなどない、誠実な言葉だった。
あるいは、母親が子供を諭すような、そんな慈愛を深くにも感じた。
オクタヴィアの言うとおり、僕はこの世界の
そして僕は、すぐさま屋敷の中の厨房へと走った。
昼食が終わり、のんびりと寛ぐメイドさんたちにお願いして、場所を貸してもらう。
『そんな龍神様がお作りにならなくても、私たちにお申し付けくだされば――』
ごめんね、でもこれだけは譲れないんだ。
久しぶりすぎて、見てて危なっかしいのはわかるけど、でも任せて欲しい。
料理の経験はそこそこある方なのだ。
とは言っても、プロからすれば素人に毛が生えた程度だろうけど。
そして僕は、出来上がった料理をお皿に載せ、その上から銀の蓋をして厨房を出た。目指すべきはセーレスのいる部屋。そこで僕は彼女に言わなければいけないことがある。
――――と。
「あれ?」
階段を登った左手奥の部屋。そこがセーレスとセレティアの部屋のはず。毎晩ふたりは仲睦まじく抱き合いながら眠っているらしく、メイドたちによってベッドメイキングされてはいても、彼女たちの薫りは部屋に染み付いてしまっている。その残滓があるだけで、部屋はもぬけの殻だった。
『タケル様』
窓の外から真希奈の声がした。
小さな妖精のように愛らしい娘は、ふくれっ面のままピッと森の方を指差した。
『セレスティアから伝言です。お母様はお池の方にいると』
「そっか。ありがとうな」
僕は窓を開け放ち、ベランダからフワリと階下に降り立つ。
うん。今でこそ当たり前のように風の魔素を纏って着地したけど、それもこれも真希奈がサポートしてくれればこそなんだよなあ。
「次、作るから。おまえの分も」
僕から借りた魔力を使い、ふわふわと浮かぶ真希奈にヒョイッと皿を持ち上げてみせる。
『はい? 真希奈はどうせ食べられませんよ?』
「食材は無駄になるけど、でも僕がおまえだけのために作るよ」
『うう……タケル様って質が悪いです』
天然女キラー……、なんて言葉を背中に受けながら、僕は森へと進んでいく。
彼女を求めて森を進むとき、少しだけ、リゾーマタの外れのあの森を思い出していた。
*
ラエルの屋敷から少し歩いたところに貯水用の溜池がある。雨ざらしで、濾過器に通さなければ飲用には耐えられないものだが、万が一屋敷が火事などということになったときのために必ず作っておくのだという。
「魔法使えばよくないか?」
「そなたな。セーレス殿でもない限り、屋敷を鎮火させるほどの水などそうそう作り出せるものか。それに魔法を使えない女中たちにも消火作業をさせるほうが効率的だろう」
なるほど、全くエアリスの言うとおりだと思った。僕は少々魔法バカになっていたようだな、と反省した。
獣道を踏みしめ、邪魔な木を切り倒した小道を通りながら、僕はセーレスがいるであろう溜池を目指す。
そうしているうちに、周囲に青い霧が漂い始めた。奥に進むに連れ、霧はどんどん濃くなっていく。
これ――全部励起状態の水の魔素だ。この微粒子を吸い込んでいるだけで全身を血流がめぐりだし、身体が熱くなっていくのを感じる。すごいなこれ。この霧のフィールドにいるだけで体力がずんずん回復していく。まんまベホ○ズンじゃん……。
そうしてたどり着く。
雨ざらしで濁っていた溜池はもう昔のこと。
今僕の前に広がるのは、恐ろしいほどの透明度を誇る清廉なる泉だった。
当然、セーレスが浄化して、今では精霊の加護を受けた水として、密かにメイドさんたちに霊薬として崇められていたりする。
霧が立ち込めているにもかかわらず、水面はキラキラと輝いていた。そう、それはかつてリゾーマタの川面でみた光景と同じだ。水の魔素たちが意志を持つかのようにさざめき、喜び合っている。それは彼女を祝福しているかのようだった。
「さて、セーレスは――」
泉の
――って、裸!?
沈むことなく泉の水面に立ち、一糸まとわぬセーレスが、羽衣のように水を纏い、纏わりつかれながら水浴びをしていた。
それはこの場所の風景と相俟ってとても幻想的な光景だ。そして僕は、自分が出歯亀していることも忘れて、その姿に魅入ってしまっていた。
玉の雫を跳ね返す白い肌の表面にうっすら浮かぶ葉脈のような血管であるとか。
濡れた金糸の髪に透けて見える蒼い魔素の輝きであるとか。
病的なまでにか細かったのに今ではすっかり健康的になった手足だとか。
そんな一切合切の、セーレスを構成するあらゆる要素に視線が釘付けになってしまったわけで……。
「タケル?」
「――ッ!?」
セーレスは背中を向けた状態で己を抱きながら、肩越しに僕を見つめていた。
見間違いでなければその頬は羞恥に赤く染まっているように見える。リゾーマタのあばら家にいた頃、ずいぶんと明け透けな態度になって、寝るときなんかは抱きまくら代わりにされていた。もしかしたら男として意識すらされていないのかもとか思っていたが……どうやらそんなことはないようだ。
セーレスがゆっくりと振り返る。
絶妙な隠し具合で水の蛇が絡みつき、彼女の幼い裸身をガードしている。
その姿はまるで、完成された一枚絵のような美しさだった。
「綺麗だ……」
他に例えようがない。
これはセーレスだから綺麗なのか。好きな女の子の裸なら誰でもそう見えてしまうものなのか。
どっどっど――と、虚空心臓ではない、僕のちっぽけな心臓が痛いくらいに高鳴っていた。
「――って、ごめん! 僕は何をじっくりと見て――」
慌てて背を向けながら後悔する。
せっかくこれから彼女に一世一代の告白をしようというのに。
そして一緒についてきて欲しいと、そうお願いをするつもりだったのに。
水浴びをしているシーンを覗いてしまうなんて最悪だ……!
「タケル、どうしたの? なんで後ろ向いてるの?」
「いや、ごめん、水浴びしてるとは夢にも思わなくて!」
「どうして謝るの?」
「だ、だって、裸、覗いちゃったわけだしっ!?」
「タケルは覗いてないよ?」
「へ?」
覗いてない? どういうことだ?
「霧は結界だもの。タケルが近づいてるのはわかってたもん」
「それって……」
え? え? それってまさか、僕が近くに来てるのがわかってて、水浴びを続けてたってことですか?
「うわあ……!」
顔が熱い。頭の奥がズクンズクンする。
ちくしょう、心臓が痛い……!
なんだこれ……!
「ねえ、タケル、こっち向いて?」
追撃が来た。
なんて破壊力!
そんなこと言われても心の準備ができてません!
僕が直立不動で背を向けていると、堪えきれなくなったのか、ついに彼女が強硬手段に出た。
無数の水精の大蛇が、僕の全身に絡みつく。そうしてあっという間に、泉の中に引き込まれてしまった。
「ちょ、セーレス、待って……って、なんかすごいデジャブだぞコレ!」
前にもこんなことがあったと思い出す。
初めてこの世界で目を覚まして、その翌日のことだ。
滝壺近くの水辺で、強制的に全身洗濯されたことがあった。
あの時の僕は無力で、為す術なく男の尊厳を失う結果になってしまった。
「やめて、やめ――勘弁してくださいセーレスさん!」
「ダメ。全部綺麗に洗ってあげる」
ひいい! あの時の悪夢が蘇る。でも今の僕は違う。こんな水精の蛇、
「タケル、動かないの。ほら、いい子にして?」
セーレスが水面の上にしゃがみこんでこちらを覗き込んでくる。
何度も言うが彼女は今全裸なのだ。
そんな無防備な姿で近づかないでください!
「あれ、何持ってるの?」
ピタリとセーレスが動きを停める。
裸の幼女が至近で僕を見つめる。
もちろん、必死の抵抗はコイツを守るためでもあった。
水精の大蛇の頭が裂けて、細い蛇に分裂する。
その一匹がパクリと取っ手を口に挟んで蓋を取った。
「これって……!」
すこーし火を通しすぎて固くなってしまったが、思い出のプレーンオムレツである。
リゾーマタにいたとき、事情を知らなかったとはいえ、彼女をヒト種族の街に連れて行って傷つけてしまったことがあった。
その罪滅ぼしというか、せめて彼女には美味しいものを食べて笑ってほしくてゲルブブ肉を換金した資金をつぎ込んで調理器具と調味料、材料を買い込んで、その夜はいつもより豪華な晩餐をこしらえたのだ。
思えばその夜からだ。セーレスが僕を抱きまくら扱いするようになったのは。
「その、こっちに帰ってきてから一度も作ってなかったから、身体も大丈夫になったみたいだし、久しぶりに作ってみました」
チラッと見てパッと目を逸らす。
僕は決して幼女趣味はないが、好きな女の子の裸だと思うとどうしても平常心ではいられないのだ。
「食べていい?」
「もちろん、それが本懐です」
「へんな喋り方。あ、そうだ、タケルが食べさせて?」
難易度が跳ね上がった。
そんな、色々なところが目に入っちゃうじゃないですか!
「ダメ?」
「ダメじゃないです」
「ちゃんと私を見て言って」
「勘弁してください」
「タケルぅ」
おねだりするみたいに言われて、僕はもう限界だった。油が切れたブリキ人形みたいに背けていた顔を戻していく。果たしてそこには、神々しいまでに美しい裸体が――なかった。
「へ? 服? いつの間に?」
セーレスは真っ白いシャツに、濃紺のフリフリスカートの上下をお召になっていた。
「今は水を纏ってるの。ちゃんと服を着てるみたいでしょ?」
「そうなんだ。そうか。そうだよね」
何故だろう。助かったはずなのにガッカリしてる自分がいてビックリなのだが。
「でも、ちょっと安心しちゃった」
「安心? 何が?」
セーレスはもじもじと顔を赤らめながら、水面にぺたんとアヒル座りした。ちなみに僕は蛇に絡みつかれたまま胸元まで水に浸かっている状態だ。皿を持つ手はバンザイしている。
「タケルはずっとエアリスと一緒にいたでしょう。エアリスって、その、色々大っきくてすごいから、もう私なんか女の子として意識してもらえないかと思って……」
なにを。
なにを言ってるんですか。
いいですか、先人は偉大な言葉を残したのです。
それはそれ!
これはこれ!
ですよ。はふん。
「でも、タケルがいいっていうなら、ずっとこの姿のままでも、いいかなあって」
「いや、違うぞ。僕は決して幼い体つきが好きなわけではなくて、たとえどんな姿になってもセーレスだから好きだという――」
いかーん。何を口走ってるんだ僕は。
セーレスも真っ赤になって俯いてしまった。
とりあえずは――
「そ、それじゃあ、あーんしてくれ」
銀のスプーンではなく、ここは抜かりなく木匙を用意してある。
セーレスもそれに気づいたのか、パアッと表情が明るくなる。
そうして、静かに目を瞑り、そっと顎を突き出すようにして口を開けた。
もうその表情だけで僕はお腹がいっぱいだった。
「どうだ? 本当に離れ離れになって以来作ってないから、少し失敗したかもなんだけど……」
セーレスは目をつぶったままお口をもぐもぐ、じっくりと味わっている。
ゴクリと、小さく喉が動いてから瞳を開く。目尻にはうっすら涙が浮かんでいた。
「おいしい。全然、あの時から、変わってない」
そっと、セーレスの手が伸びて、両手で包み込むように僕の頭を抱きしめた。
「変わってない。タケルはタケルのままだね」
ヒトから魔族種へ。
そんなあり得ないクラスチェンジをした僕は、やはりセーレスの知る僕とは違うのだ。でもその内面は自分の知るままだと、そうセーレスは言いたいのだと、言ってくれているのだとわかった。
「セーレス。聞いてくれ。僕はキミを取り戻すために魔族種になった」
「うん」
「でも、キミを取り戻して、それで終わりにするんじゃなくて、この力をくれた男が残した色々なこととも、きちんと向き合いたいと思ってる」
「うん……」
「僕は三代目のエンペドクレスとしてヒルベルト大陸に行く。そこで虐げられているディーオの臣民を助けたいんだ」
「うん……!」
「だから――」
だからこそ。
キミの心は本当は違うかもしれないけど。
でもわがままを言わせて欲しい。
そして願わくば、これからも僕と一緒に――
「僕と一緒に来て欲しい。本当は僕はニート……とっても自堕落な男なんだ。でも、セーレスを助けるって決めたから今まで頑張ってこられたんだ。セーレスが側で僕を見ててくれるなら、きっとまた頑張れると思うんだ」
今度は恥ずかしがらず、真正面から翡翠の瞳を見つめる。
せきを切った目尻から、ポロポロと真珠玉みたいな涙をこぼしながら、セーレスは言った。
「わかった。ずっと、これからも、タケルを見てる……見続けるね」
「ありがとう……」
ほーっと息を吐く。
大仕事を終えた気分だ。
全身が弛緩してしまって、そのままズブズブと泉に沈んでいく。
「タケル!」
視界いっぱいにセーレスの顔が広がって、ザブンっとふたりして水中にダイブした。対岸まで見通せそうな透明で冷たい世界の中で、一瞬だけ唇に何か暖かなものが触れた気がした。
「プハっ、セーレス、今!?」
「うん? なんにもしてないよ?」
いや、絶対なにかしたでしょう。
セーレスはたたたーっと水面を走り、湖畔に上がると、水精の蛇に避難させていたオムレツをパクパクと頬張りだした。ちゃっかりしてるなあ。
そんなこんなで、僕は龍の膝下へ行く準備を整えたのだった。
*
おまけ。
「じゃあお母様、いくね?」
緊張の面持ちでセレスティアは幼き母へと唇を寄せる。
これから行うことは、厚顔を絵に描いたような性格のセレスティアにとっても、失敗が許されない儀式だった。
一度はできたのだから二度目もできる。残念ながらそんな保証はない。
何事も試してみなければ気が済まないセレスティアではあるが、その実験台になるのが母の身体そのものであれば慎重にならざるをえないのだ。
「大丈夫だよ、きっと上手くいくから。お願いね」
母は太鼓判を押しながらついっと顎を上向ける。
セレスティアもかがみ込んで、幼い母の両肩に手をおいた。
ふたりの唇が重なり合う。
肉感的で、大人らしい厚みがある濃密な唇と。
幼く薄く、触れれば破れてしまいそうな繊細な唇。
それらがひとつになったとき、濃藍の光がふたりを包み込んだ。
「成功した? わー、私ちっちゃくなった!」
ぴょんと、セレスティアは可愛らしく飛び上がった。
そう、肉体が崩壊し始めていた母を健常な姿に保つため、60年以上もある
その為彼女は、実年齢が10歳にも満たないにもかかわらず、成人女性の姿かたちをして生きてきた。
中身は子供なのに、大人の身体を持ち、その魅力的な肢体故に、無遠慮な視線に晒されたこともあった。
だが
そしてセレスティアは年相応の、ややつり目がきつそうな印象を受けるものの、金髪長耳の美少女へと変貌を遂げた。
これこそが彼女本来の愛らしい姿。身長も今までの半分以下になり、慣れない子供の視点にピョンピョン飛び跳ねているのだった。
「お母様もこれで元通りね!」
目いっぱいの親愛を込めて、ヒト種族で言えば15歳ほどの見た目に戻ったセーレスにセレスティアは抱きついた。
「お母様? どうしたの?」
セーレスは無言だった。
何かマズイことが起こったのかと訊いてみたが、彼女は終始無言で、力なく首を振るのみだった。
「大丈夫なのね? 本当ね? じゃあどうしてそんなに落ち込んでるの? え、もう一回? もう一回戻るのね? うん、いいよ」
ふたりの唇が重なる。
そして――
「ふう。しょうがないけど、大きい身体の方に慣れちゃってるなあ」←バイーン
「…………(セーレス)」←ストーン
「この姿だとお父様、私が抱きついてもすぐ離れようとするしなあ」←バインバイン
「…………ッ!」←スルっ、ストーン
「でも、小さい姿なら、お父様に思いっきり甘えられるかも……!」
「……ッ、……ッ!」
「お母様? え、もう一回戻るのね? いいけど、ホントどうしたの? なんで泣いてるのっ!?」
「…………ッ、ううう」
水の精霊の加護を受けし稀代の精霊魔法使いアリスト=セレス。
だが肉体のごく一部にのみ、精霊の祝福も届かない呪いを彼女は背負っているのだった。合掌。
続く。
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