第247話 龍王の帰還篇③ 悠久の蛇姫様再び〜元ニート・男の決断
* * *
その先触れはまずセレスティアとアウラにより齎された。
「お父様ー!」
獣人種魔法師共有学校があるナーガ・セーナから帰還した翌日のことだった。
すっかり居心地がよくなってしまったラエル・ティオスの屋敷で、僕ことナスカ・タケルは優雅なアフターヌーンティーを楽しんでいた。
屋敷の庭から見える風景は美しい。
メイド長の趣味らしく、一面には花々が咲き誇り、僕らの見目を楽しませてくれている。
庭にある東屋の中、僕はティーカップを傾け、ほうっと息をつく。
平和だ。まさに大きな仕事をやり遂げた男に相応しいひとときである。
「オーケー・グー◯ル。この風景に相応しい音楽かけて」
『タケル様、真希奈は今初めてムッとしましたですよ』
はっは、ごめんごめん。調子乗ってるのは自覚してるけど、でもすごくいい気分なのだ今は。
ニートだった頃は、汗水流して働く連中の気持ちがわからなかった。でも日々の仕事をこなして小さな達成感を積み重ねることで、こんなにも充実した気持ちを味わえるのなら労働も悪くない。
などとそんなことを思っていたときだった。
野原で遊んでいたはずの娘達、水と風、それぞれの精霊が人の形を成して具現化したセレスティア、そしてアウラが喜び勇んで戻ってくるのが見えた。
セレスティアはもう完全に子供に戻っていた。
秋葉原以降、少しずつ子供っぽくなってきてるな、と思っていたが、セーレスを取り戻し、張り詰めていた緊張の糸が完全に切れてしまった。
僕も含めて、周りの者たちも彼女の正体を知っているために、一切の遠慮がなくなったのだろう。何かにつけてあの超絶ボディで甘えてくるのは堪ったものではないのだが……。
「お父様ー、なんだかね、ヘンテコな蛇見つけたー!」
キャハハっと風船みたいに浮かんだアウラを首元に引っ掛けたまま、息せき切らして突き出されたセレスティアの手は、どこか見覚えのある小さな白蛇が握られていた。
『解析。幽離エネルギー――いわゆるエーテル体で構成された蛇のようです』
僕の頭に止まっていた真希奈が素早く白蛇をスキャンする。
エーテル体、だって?
「あ、そぉい!」
僕はセレスティアの手から蛇を奪い取ると、力の限り全力でぶん投げた。
「あーっ! ひどーい、何するのお父様ー!」
「ダメだぞセレスティア、あれはばっちい蛇だから今後捕まえたりしてはいけません! アウラもいいねっ!?」
「わかった」
いい子だなーっとアウラの頭を撫でてやる。
すると対抗心を燃やしたセレスティアも「わかった! 私ももう拾ってこない!」とプンスカ怒り出す。
僕はそんな彼女をとりなすためにも、ことさらに優しく頭を撫でてやった。
ふう。とりあえずコレで平和は保たれたはずだ――
『無体なことをしてくれるのうタケル・エンペドクレスよ』
「ひぃぃぃ!」
まるで地の底から這い出てきたような声だった。
いつの間にか僕の足元に先程の蛇が絡みついていた。
バカな! 放物線を描いてお星様になったはずなのに!?
『儂が日々どれだけお主のことを想っておるか――』
『来るべき初夜に備え、一日千秋の気持ちでおるというのに――』
『肝心のお主はこっちに帰ってきてから一度も会いに来てくれはせなんだ――』
『この恨み、はらさでおくべきか――?』
東屋の周りには、僕の足元も含め、合計五匹ものエーテル体の蛇がいた。
それら一匹一匹が台詞を朗読するよう順番に喋っていくのだから超怖い。
「すみません、やっと手にれた生活なんです! どうか壊さないでください!」
「おい、娘たちの前でなにをしているか貴様は?」
足元の蛇を手のひらで掬い上げて土下座する僕を、お茶のおかわりを持ってきたエアリスが怪訝そうな顔で見下ろしていた。
そんなメイド服姿のエアリスを見て、エーテル体の蛇たちは一斉に声を上げた。
『おお、久しいなエアリスよ。時に龍の膝下が今大変だぞい』
エーテル体の蛇――白蛇族のオクタヴィア・テトラコルドから齎された情報は、今後の僕らの運命を決定づけるものとなった。
*
「
僕が言葉を発するより早く、エアリスはエプロンの端を握りしめながらそう絞り出した。
『然り。あの流浪の魔族種共がヒルベルト大陸全土で集結の動きを見せておる。既にお主が不在となって九つの月が過ぎた。その間に街では我竜族の王の妹、ミクシャ・ジグモンドがすっかり幅を利かせておる。物流の一切は独占され、臣民達は飢え始めておる』
「なんということだ……まさかディーオ様の領地に手を出そうとする愚か者がいたなんて……!」
エアリスは顔を真っ青にし、頭を抱えてしまった。
今、僕たちは東屋のある庭で、珍客を迎えていた。
先程までの五匹――僕がぶん投げた六匹目が戻ってきて、一匹により集まった白蛇。
魔族種根源貴族は白蛇族、その長であり王であるオクタヴィア・テトラコルドの眷属である白蛇は、白色というよりほのかな光を放つ透明な蛇といった風情だ。
あれはそう、聖都が消滅し、セーレスを地球に奪われた後、僕は彼女を追い掛けるための手段を探し、聖剣の情報を欲していた。
そのため、この世界でディーオ・エンペドクレスをも超える寿命と知識を有する根源貴族、白蛇族のオクタヴィア・テトラコルドを訪ねていったのだ。
魔族種領があるヒルベルト大陸ではなく、魔の森の深奥の古城にひっそりと暮らす幼子。それがオクタヴィアだった。
おそらく現存する最後の生き残りである、古代竜ワイバーンを従え、たったひとりのメイドと共に静かに時間だけを貪っている――かに見えたが、実はとんでもない耳年増&覗き魔だった。
彼女は自らの魔力を付加させたエーテル体の蛇を紡ぎ出し、世界中へとばら撒いては、他者のプライベートを覗き見て楽しんでいたのだ。
その結果、彼女は誰よりも情報通であり、インターネットもないこの
そして僕は、
『子胤をくれんかのう?』
白蛇族は単為生殖をすることで記憶の継承に成功した永劫の魔族種だ。
約200年周期で次の個体を妊娠・出産し、その後は普通の母娘となんら変わりなく子を育て、そして10〜15歳前後で記憶の継承を行うのだという。
記憶の継承が済んだ後、母娘の関係は変貌し、親と子で主従が逆転してしまう。そして、記憶を引き継いだ子はその後、肉体の絶頂年齢まで成長するのに対して、母体である前代のオクタヴィアは白痴美となり、残りの短い余生を過ごすのだ。
そうして7万年というとてつもない時間を過ごしてきたオクタヴィアは次の懐妊までに他者から胤を――遺伝子を提供してもらうことを思いつき、自らの輪廻の中に、何故か龍神族である僕を迎え入れることを熱望するようになってしまっていた。
『なんなら今回だけとは言わず、次も、その次も……儂らが滅びるその時まで相手をしてくれても――』
「今回限りでお願いします!」
とにかく、セーレスを追い掛けるため聖剣の情報を欲していた僕はそれを了承し、
*
オクタヴィアと感覚を共有するエーテル体の蛇はテーブルの上――頭をズズイっと伸ばしたかと思うと、紅玉のような瞳が一瞬で白く塗りつぶされる。瞬膜ってやつだ。白、赤、白、赤と繰り返しながらチロチロと舌を僕の方へと差し向ける。
『ほほ、わかる。わかるぞ。おまえさんよ、暫く見ないうちに随分と逞しくなったようじゃのう。正直見違えたぞ。何か大きなことを成し遂げた男の顔をしておるわい』
それは、まあ。
ニートをしていた頃とは比べ物にならないくらい色々している。
オクタヴィアと別れてから聖剣を手に入れ、地球へ渡り、仲間を見つけて真希奈を創造し、セレスティアと戦って、テロリストにされて、戦って、また戦った。多少は変わって当然だろう。
『百年後が待ち遠しいのう。なんなら今ちょっとつまみ食いしても――』
「おう。ちょっとこっち来ようか白蛇様」
僕はテーブルの上の白蛇(ちょっと大きくなった)を引っ掴むと、東屋から離れた茂みの中へと連れて行く。
『ま、まさか屋外? てっきり
僕に首根っこ捕まれながら、長い胴体をウネウネ動かし、終いには僕の首に絡みついてくる。こいつホント刺激に飢えてるんだなあ。
「エーテル体をどうこうするつもりはないよ色ボケ幼女。いい加減にしてくれ」
僕はそっと茂みの中から東屋を伺う。
項垂れるエアリスと、それを心配するアウラやセレスティア。
こんな状況でそんなヤヤコシイ話を持ち出してもらっては困るのだ。
「おまえな、僕らは今微妙な時期にいるんだ。横から余計な茶々は入れないでくれ。特にエアリスとセーレスの前ではその手の話はなしにしてくれよ」
セーレスとエアリスは先日の仲違いをしていた件も未解決なままだ。少なくともこのままでいい訳はないと僕も悩んでいる。だが白蛇様は僕の苦悩など些事であると切り捨てた。
『何を言い出すかと思えば。儂はとっくに優先権を放棄しておる。エアリスの後でも、セーレスの後でも一向に構わんと言っているのだ。なんならふたりを迎え入れたあと、側室扱いでもよいぞ?』
「僕の常識から言えば一夫多妻なんてあり得ないんだよ!」
こちとらろくな恋愛経験もないのにただでさえ娘同然の子供が三人もいて、おまけに僕を好いてくれているであろう女の子がふたりもいる。情けないけど正直いっぱいいっぱいなのだ。
『ふむ。まあその辺の意識改革はおいおいしていけばよいじゃろう。なにせお前さんにはこれから嫌というほどの時間が待っているのだ。少しずつ、こちらの常識に染まっていけばいいさ』
それは――確かに否定できない。
今どんなに心を固く閉じていても、10年後は? 100年後は?
さすがに1000年後も同じ心持ちでいられる自信はない。
ただまあそれでも、たったひとつ変わらないと断言できる想いだけはある。
「エアリィィィス!」
「な、なんだ――!?」
突如茂みの奥から起ち上がった僕に、エアリスを始めアウラもセレスティアもポカンとしている。僕はそんな彼女に向けて力強く言い放つ。
「ディーオの領地を取り戻しに行くぞ!」
「な――貴様、正気か!?」
おやあ? カッコよく決めたと思ったのに、正気を疑われたぞ。
「奪われたから取り返す。至極簡単なことだ。おまえにとってディーオの領地は故郷だろう。僕の故郷である地球をおまえが救ってくれたように、今度は僕が協力する番だっ!」
「タケル……」
たとえ1000年経っても変わらない気持ち。
エアリスやセーレス。そして僕を慕ってくれる者たちを大切に思う気持ちだ。
そのために居場所が必要だというのなら、僕はいくらでも戦うだろう。
『うーむ。まだちょっと違うのう。お前さん、ディーオ・エンペドクレスの領地に戻って無法者を蹴散らして、それでおしまいかえ? 今回の仕儀は【王】の不在によって引き起こされたのだぞ?』
「もちろん、それだってわかってるさ――」
ニート、復讐者、エトランゼ、テロリスト、魔法教師。
今更そこに王様が加わったところでなんだというのだ。
ラエル・ティオスのところで世話になり続けるのも、いい加減なんとかしなければと思っていたところだ。
「自分の居場所は自分で作る。僕はかつて与えられただけの環境に満足し、堕落していた。でもそんなものは他者の都合で容易く奪われてしまうだけなんだ。今度こそ、誰に恥じることのない自分だけの居場所を手に入れる。そこで一緒に暮らそう、エアリス」
「なっ――タケル、貴様今、うわあ……!」
おや。エアリスさんのお顔が真っ赤に。これはどうしたことだ?
『タケル様、勢いがありすぎてプロポーズみたいになってますですよ(怒)』
「うお!? いや、違う、そうじゃなくて……!」
「ちがう、の……?」
アウラの無垢な瞳が僕を見上げている。
その瞳は一切の虚偽を許さぬラーの鏡だ。
映し出されたが最後、自分の気持ちに正直になるしかない。
エアリスが祈るように僕を見つめている。
セレスティアは場の空気についていけず、黙り込んだ僕らをキョロキョロと見回している。真希奈は嫉妬のあまり例の呪いの面相になっているが今は放っておく。
「僕はタケル・エンペドクレスだ。その名にかけてエアスト=リアスと、それに付随する世界を守ると誓う!」
言う前は散々顔が熱くなっていたのに、口にした途端、スーッと熱が引いていった。その言葉が意味することの重さを今更理解したからだ。
でも後悔はない。エアリスが今まで僕に捧げてくれた献身と奉仕に報いるには、これぐらいじゃ全然足りないと思うから。
『まーだ逃げとるような気はせんでもないが及第点かの。なにより本人は大満足の様子じゃし。のう、エアリスよ』
エアリスは頬を上気させながらも、口を引き結び、切なそうな表情で僕を見つめていた。感動のためか目尻に涙さえ浮かべている。
「本当によいのかタケルよ。私のみならず、多くの臣民の運命をも背負うことにもなるのだぞ?」
「お、おう。もちろんだとも!」
ここは尻込みしてはいけない。正直まだ迷っていないといえば嘘になるが覚悟だけは本物である。
そんな思いから強く頷いて見せるが、エアリスはフッと肩の力を抜いて突然吹き出した。
「馬鹿者。無理をするな。顔に不安が出ているぞ。そんな表情を臣民の前に晒すようではまだまだだな」
「それは……面目ない」
ゲームやなんかのシミュレーションとは訳が違う。
セーブポイントも無いし、リセットだって効きやしない。
僕は不死身だから平気でも、失われるのはそれ以外の命なのだ。
「だが、そうして弱い部分を見せてくれた方が、側で支えるものにとってはありがたい。貴様の足りない部分は私が補えばよいだろう」
「悪いな。未熟な王で。よろしくたのむよ」
「こちらこそ。今は貴様が起ち上がってくれたことがなによりも嬉しい。うん、私は嬉しいのだ」
そう言ってエアリスは、泣いているみたいな潤んだ瞳で、心からの笑顔を見せてくれた。あ、久しぶりだ。秋葉デートの時以来だろうか。やっぱりたまらなく綺麗だなあ。
「私、も。がんばる」
ふわりと浮かび上がったアウラが小さな握りこぶしを作る。
逞しい、というより愛らしさが勝るその姿は、大いにエアリスの母性を刺激した。
「ありがとうアウラよ。また母に力を貸してくれ」
『うわあああ! 三人だけの世界を作るの禁止です! 真希奈のことを忘れないでください!』
「当たり前だろう。僕にはお前が必要なんだ」
『タ、タケル様……えへへ』
うわ。照れて笑うときも呪いの面相なのか。こりゃあ早く真希奈の入れ物も用意してやらないとなあ。
「ねえ、ちょっと待って」
ここでようやく状況を整理し終わったセレスティアが再起動する。
細いおとがいに指を当て、うーん、と宙に視線を彷徨わせる。
「今、お父様はエアリスと結婚するって宣言したってこと? それじゃあお母様はどうなるの?」
娘として。精霊として。
理解は追いつかなくとも、決して看過できない言葉を彼女は正確に把握していた。
いや、そもそも先程のは勢いでプロポーズ風になっただけで、結婚するとは一言も――
「それは違うぞセレスティアよ。そなたの父は今後の方策として、本来自分が治めるはずの領地を悪漢から取り戻すと、そう宣言したのだ」
「あ、そっか。お父様超かっこいい!」
「うむ、その通り。そなたの父は世界一強くて格好いい男だ」
セレスティアと一緒になって熱っぽく見つめないでくださいエアリスさん。でもそうだ。僕は自分の征く道を決めた。決めてしまった。本来なら
そして、僕が如何に本気なのかをキチンと伝え、その上で一緒についてきてくれるよう彼女――セーレスも説得しなければならない。
『いやあ、ますますお前さんの成長を感じられて儂は満足じゃよ』
盛り上がっていた現場に絶妙のタイミングで水を差すオクタヴィア。もうこの際だ、彼女から引き出せる情報は全部引き出してしまおう。
「それで、我竜族だっけ。そいつらってそんなにヤバイやつらなのか? どんな連中なんだ?」
「確か特定の領地を持たない流浪の種族だったか。ディーオ様は晩年老成したとはいえ、その影響力は計り知れなかった。不用意に侵略してくるものなどいなかったのだが――」
『確かにその通りじゃ。ディーオめがその力をタケルへと譲位し、この世界から消えてしまっても、その名声、悪名は未だに多方面へ睨みを効かせておる』
再び、東屋のテーブルの上で、白蛇様がとぐろを巻きながら、どこから発声しているのか謎のまま会話が続けられる。
『じゃがな、此度の件はおそらく我竜族と龍神族の長年の遺恨が原因と言っていい』
「我竜族と龍神族の遺恨――?」
僕達全員の視線を一身に集めながら、さも得意気に、オクタヴィアはとっておきの情報を解禁した。
『400年前、人魔大戦のどさくさで悪さを働き、ディーオに領地を滅ぼされた恨み骨髄な我竜族の復讐なのじゃよ――』
そうしてオクタヴィアは、
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