第246話 龍王の帰還篇② 帰ってきた龍王様〜その鼓動を憶えてる

 * * *



「暫く会わないうちに、そなた痩せたなビオ?」


「エ、エアリスちゃん? 本当にエアリスちゃんなの!?」


 男たちに腕を捕まれた状態でありながら、ビオは叫ばずにはいられなかった。


 かつては毎日のように食堂我が家にやってきて、祖母の料理を食べていたエアスト=リアス。


 ディーオ・エンペドクレス王の養女であり、国の中では実質的に宰相……みたいな立場にあった少女。


 だが今その有様はどうだ。親交のある僅かなものとしか言葉を交わそうとせず、常に周りに壁を作っていた険のある雰囲気が跡形もなくなっている。


 あのような心からの笑みを向けられたことなど、友人同士であったビオでさえ記憶にない。


 なにより、その腕に抱きかかえている浅葱色の髪を結わえた愛らしい幼子は、どこからどうみても彼女の――


「お、おいおい、こいつぁ……!」


「きゃッ」


 ビオを掴んでいた男たちが、もういらないとばかりに手を離す。

 拘束を解かれた途端、ビオは急ぎ祖母の元へと駆け寄った。


「おばあちゃん!」


「おお、ビオ。平気かい?」


「私は大丈夫。でも――」


 今や男たちの興味はすっかりエアスト=リアスに移ってしまっていた。


 そう、昔から発育がよくて、とても同年代には見えなかったエアリスが、今やさらなる成長を遂げていた。


 体つきはより女性らしくなり、そしてなにより触れれば切れる刃のようだった雰囲気が消え、とても柔らかいものになっている。


 それは親しみやすいと同時に、今まで遠ざけていたいらぬ男たちまで引きつける結果となってしまっていた。


「女、メイドか」


「しかも子持ち……むしろ未通女おぼこよりいいな」


「見ればみるほどいい女だ」


「た、たまらねえ……!」


 エアリスの肢体を前に爛々と目を輝かせる男たち。

 そんな男たちを前にエアリスはため息を一つ。


「まったく、オクタヴィア殿には感謝をしなくてはな。まさか龍の膝下で悪さをしようという愚か者が現れるとは驚きだ。よほどの腕自慢か、それとも単なる低能共なのか」


「なにぃ……?」


 気色ばんだ男たちがエアリスを取り囲む。ビオは小さく悲鳴を上げた。エアリスの強さは当然承知している。だが、男たちはただのむくつけ共ではない。


 王不在のこの国にあって、新たな王となる魔族種の、その配下の者たちなのだ。一時、退けたからといってそれが何になるというのか――


「女、我らを誰と心得る! この国の新たな王、我竜族のゾルダ・ジグモンドが妹、ミクシャ様の親衛隊であるぞ!」


「そう、ミクシャ様はこの国の新たな宰相になられるお方よ!」


「故に女、我らに歯向かえばただではすまんぞ?」


「恭順を示せ! 貴様も主君を持つものならば、より強い者に仕える方がよいだろう!」


 長身のエアリスよりもさらに大きな男たちに囲まれながら、エアリスは静かなものだった。それを男たちは都合のいいように解釈する。即ち街の臣民と同じく逆らう気力さえなくしたのだと――


 ――クス、クスクス。


 小さく漏れたのは幼子の笑い声だった。

 エアリスの腕の中、浅葱色の髪をした愛らしい子が無邪気に身体を揺らしている。


 極限まで高まった緊張感が霧散していく。

 傍から見ていたバハとビオも詰めていた息を吐き出した。


「アウラが笑うのも頷ける。貴様らは先程から『この国』『この街』としか言わない。龍の膝下に住む臣民ならばそのような言い方はしない。『祖国』と『我が王国』と親愛を以って口にするのだ。貴様らは所詮は余所者よ」


「何だとッ!?」


「それにな、我が主君は端から最強の男よ――」


 男たちが一斉に入り口を見た。

 それは異様な気配を察したからだ。

 バハとビオも釣られてそちらを見やる。


『邪魔をする』


 ズシン、と重い足音を立てて現れたのは、異様な風体の男だった。


 鬼を象った面頬めんほう半首はっぷりに獅子のような漆黒のたてがみ


 そして光と闇を混在させたような黒と白銀の全身鎧を身に纏い、その上から外套衣マントを羽織っている。


 一見しただけで只者ではないとわかる雰囲気に、たちまち男たちは激を飛ばした。


「貴様、何者だ!?」


 目が覚めたように戦闘態勢を取り、腰元の剣へと手をかける。

 隙きを見せればやられる。それだけの威圧感を鬼面の男は放っていた。


『我が名を知りたいか雑兵ども』


 仮面の下から届く声。

 静かなほどなのに妙に腹の底に響く。

 知らず、男たちの全身を冷たい汗が濡らしていた。


『我が名はタケル。今代の龍王――三代目エンペドクレスである』


 その名を口にした途端、男たちは一斉に抜剣した。

 大柄な身の丈に迫るほどの大剣。室内でそれを抜き放つ愚よりも怒りの方が勝っていた。


「いずれ出てくるであろうとは思っていたが、ついに現れたな。王の名を騙るまがい物め!」


「疾く切り捨ててくれるわ!」


 男たちは一塊の壁と化して鬼面の男――王の名を騙る偽エンペドクレスを圧倒するつもりだ。


 我竜族の瞬発力を持ってすれば、木造家屋の戸板など無いに等しい。存分に剣を振るえる屋外にて、数多の臣民の目の前で誅する腹づもりなのだ。だが――


「ぬうっ!?」


「何だと!?」


 前傾姿勢を取り、床を蹴った途端、男たちは身動きができないことに気づいた。傍から見ているバハたちには、その光景がことさら奇異に映った。


 前のめりになり、爪先を蹴り上げた状態で、男たちが静止している。剣を下ろし、あるいは柄頭を突き出し、肩を怒らせた突撃姿勢のまま空中に浮かんでいるのだ。


 そして気づいた。

 鬼面の男が手を差し出している。


 男たちを押しとどめるように軽く握り込まれた手型。

 まるでその手先から、見えない大きなかいなが飛び出し、男たちを丸ごと握りしめているかのようだった。


『この店は戸口が狭いな。お前たち、もう少し固まれ』


 ――ドクン(ドクッ)と、力強い何かが室内を叩いた。

 その瞬間、男たちが悲鳴を上げ始めた。


「あッ、ぐあああッ!」


「何だこれはッ! やめ、やめろ!」


「剣が、剣が食い込むッ!?」


「ほ、骨が折れ――ぎゃあああ!!」


 文字通り男たちは肉団子の有様になり、お互いの鎧や剣によって全身を傷つけ合いながらみるみる圧縮されていく。ベキン、ボキン、プシューっと、おぞましい破壊音が鳴り響いた。


『うむ。これで通れるだろう』


 鬼面の男が身体を半身に、突き出していた手を後方へ振り抜くと、本当に一塊になった男たちが、入り口の戸板を突き破りながら屋外へと放り出される。通行人の悲鳴が聞こえてくる中、エアリスは憮然と鬼面の男を見上げた。


「タケル。このバカ者が。結局壊してどうする。床も血で汚れたではないか」


『む。すまないな女将。あの連中を追い払ってから賠償の話をしよう』


「は、はい……!」


 鬼面の男から声をかけられ、ビオは引きつった返事をする。そしてバハは、穴が空くほど鬼面の男を見つめ、そのシワだらけの目尻からボロボロと涙を流した。


「お、おばあちゃん? どうしたの!?」


「間違いない。間違いないよ……。あれはあのお方の心臓の音だ。やっぱり王は私達を見捨てなどいなかった……!」


 男たちを追いかけ、入り口から出ていく鬼面の背中を見送りながら、バハはおいおい咽び泣いた。


 食堂の外へ出ると、結構な野次馬が集まっていた。そして男たちの姿を何処にもなかった。


『おい、今一個の塊になった仲良し四人組の男たちがここにいなかったか?』


「そ、それなら、すっ転ぶ勢いで向こうへ」


 なるほど。上半身はバキバキに破壊したが、下半身は存外無事だったか。それにしても四人八脚とは器用な。


 地面に転々と落ちる血の跡と、野次馬が指差す方角を見れば、小高い丘の上に聳える古城――龍王城が見えた。


 今はむくつけ共の根城となっている龍王の城である。それをひとしきり見上げていると、彼方から小さな影が舞い降りた。


『タケル様。偵察終了しましたです』


『ご苦労さん。どうだった?』


『各所で着けた火種を抱えて、我竜族共はみんな城へ逃げ帰っている最中です』


 この食堂――エアリスの馴染みの店にやってくるまでにも、目についた様々な場所で、先ほどと同様、好き放題無体を働く我竜族の尖兵達を誅して回っていたのだ。


 おそらく異常事態を察して上は警戒するだろう。即ち、エンペドクレスを名乗るものが街に現れたと。


『じゃあ、最後の仕上げと行くか――と、その前に』


 血の跡に転がる真っ二つにへし折れた戸板を拾い上げ、鬼面の男――タケル・エンペドクレスはどうしたものかと途方に暮れるのだった。

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