龍王の帰還篇

第245話 龍王の帰還篇① 混沌の街に吹く風〜少女はメイドになりました

 * * *



 多種多様な種族が暮らすヒルベルト大陸。

 魔族種龍神族ディーオ・エンペドクレス領、通称『龍の膝下』と呼ばれる城下街首都ダフトン。


 その街は――否、その国にはかつて、孤独なひとりの王により治められていた。


 王は寡黙であり、滅多なことでは臣民の前には現れず、国の運営なども、基本的に民たちの自治に任せていた。


 王には絶対の信頼が寄せられていた。

 それは王が『最強』であること。魔族種の中でも稀有とされるその力は、抑止力として有名を馳せ、他種族からの干渉や、犯罪者の多くを遠ざけてきた。


 人魔大戦以降、約400年に渡る平和がダフトンには齎されており、臣民の多くはそれが永遠に続くものと信じて疑わなかった。


 だが――――



 *



「クソがッ! なんだこの冷や飯は! 残飯を出しやがったなババア!」


 怒声と共に食台の上の料理が床にぶちまけられる。閑散とした食堂の店内には柄の悪そうな大男たちが四名ばかり。そのうちの一人が出された料理に口をつけた途端、激昂した。


 かつては『龍の膝下』一番の歓楽街と呼ばれていた中心街ノーバ。

 だが今やその栄華は見る影もなく、むくつけ共が数多あまた跋扈ばっこする混沌の街へと変貌を遂げていた。


 大衆食堂の店主バハは御年100にもなる老婆である。魔人族と灰猫族との混血である彼女は、物心がつくかつかない時分に『龍の膝下』へ住み着き、以来、その生涯をノーバの発展へと捧げてきた。


 今では孫娘と二人っきりの生活であり、穏やかでそれなりに忙しい生活を送ってきたバハの心残りは、孫娘の輿入れのみ。それ以外はもう自分はいつ死んでも構わないと思っていた。


 だが、ある日突然、街の平和は崩れ去った。

 外からやってきた野盗まがいの魔族種たちが、あっという間に街を占領、我が物顔で『王』を名乗り始めたのだ。


 そのあまりの蛮行に、街を治める区長を始め、地元では名士と呼ばれる者たちは口を揃えて彼らへと諫言を送った。


 曰く、ここは『龍の膝下』。それを治めしは稀代の魔族種、龍王ディーオ・エンペドクレスであると。


 曰く、彼の王は穏やかなれど、その昔は残虐王と揶揄されるほど血も涙もなかったこと。


 曰く、王は市井に干渉はしないが、その右腕は高名な精霊魔法使いであり、この街の、ひいては国の秩序を守っているのだと。


 故に悪いことは言わないから、王の怒りに触れる前に出ていったほうがいいと、心からの親切でそう教えたのだった。


 それに対する彼らの返答は嘲笑だった。区長や名士たちを前にして、指をさしながら腹を抱えて笑いだしたのだ。そうしてひとしきり嘲笑を終えると、こう言い放った。


『貴様らの王、ディーオ・エンペドクレスは死んだ! 今より半年も前、狭間の境界リゾーマタより出兵した大軍団がゴルゴダ平原まで進撃し、貴様らの王と戦い、激闘の果てにこれを討ち果たしのだ!』


 その場にいた誰もが、言葉の意味を理解できなかった。

 王は長く隠遁に近い生活をしており、上告や訴状のすべては王の養子である精霊魔法使いを通じて行うことに決まっていた。


 確かにここ暫く、王は愚かその精霊魔法使いの姿を見たものはいない。いや、だからと言って野盗たちの言葉が真実だとは到底信じられない。あのディーオ・エンペドクレスが死んだなどとても信じられなかったからだ。


 しかし、結果から言えば、区長たちは男たちの支配を受け入れるしかなかった。王が健在ならばこのような男たちを放っておくわけがない。


 だが、野盗たちは数も多く、街の自治組織では臣民を守りきることができないと判断し泣く泣くの降伏だ。


 そして、野盗たちはさっそく暴虐の限りを尽くした。酒、飯、寝床。街は諾々と要求を受け入れた。こんな横暴、王が許すはずがない。王がきっと助けにきてくれる。それまでの辛抱なのだと臣民達は自らの心を殺し続けた。


 だが一月が経ち、二月が経ち、ついに三月が経った。

 王も、そして王の養子たる精霊魔法使いも助けに来てはくれなかった。

 そして野盗たちは再び、臣民たちに向かって言い放ったのだ。


『いい加減事実を受け入れろ。貴様らの王は死んだのだ。貴様らは今日から卑しく汚らわしい《棄民》を名乗るがいい!』


 棄民。それは王が崩御し、その臣民たちが露頭に迷うことをいう。臣民ひとりひとりの心の中には常に王の存在があり、王こそが太陽サンバルであり、神なのだ。


 普段の生活で太陽のありがたみを、神の存在を意識することはない。だが、いざという時、臣民達の心の支えはやはり王であり、王なくして自我同一性を保つことができない。


 また、長命で強大な王が崩御するなどということは、魔族種においてはあまり前例がないことであり、もし万が一そのようなことになった場合、臣民たちは根こそぎ、生きていく希望と活力を失ってしまうのだ。


『なあに、心配することはない。もう間もなく、ヒルベルト大陸に散らばった我らの同胞が一斉にこの街へとやってくる。我ら我竜族がりゅうぞくの狂葬王ゾルダ・ジグモンドが、この領地を治めることになるだろう』


 臣民達の心が折れる。新たなる横暴な支配者の言葉を絶望と共に受け入れる。


『恭順を示すのなら今のうちだぞ。忠誠を誓う者は歩み出ろ! さすれば狂葬王の妹であるこのミクシャ・ジグモンドが特別に口を利いてやろう。貴様らを我らが臣民として受け入れてやるぞ! はーはっはっは!』


 臣民たちの心は静かに、だが確実に息絶えようとしていた。



 *



「も、申し訳ありません。すぐに作り直しますので」


 バハ手製の料理を足蹴にする男たち――我竜族ミクシャ・ジグモンドと共にやってきたその手下たちである。


 大柄の体躯に、まるで本物の竜のような鱗が首元、腕、そして背中などに生えているのが特徴だ。彼ら我竜族は特定の領地を持たない。故にヒルベルト大陸の各所を根城にしており、必要とあれば盗みも略奪もする無法集団だった。


「俺たちにこんなマズイ飯を食わせて、どうなるかわかってるんだろうなあ?」


「そ、それはもちろんでございます。す、すぐに代わりのものをご用意しますので」


 バハは腰が悪いにもかかわらず、その場にしゃがみこんで手早く料理を片付けようとする。だが、酒瓶を片手にした男が作業をするバハの背中を小突いた。足の爪先で押され、バハは腰に鈍痛が走るのを感じながら床に手をつく。


「何をしている、早く片付けんか。衛生状態がなってないなこの店は……」


 ドボドボドボ……酒瓶を傾けると、その中身を床の料理にぶち撒ける。バハが再び片付けようとすると、別の誰かが背中を小突く。床に這いつくばらせては「早くしろ!」と恫喝するを繰り返す。それでもバハは力ない笑みを浮かべながら根気よく作業を続けようとした。


「やめてください! これ以上祖母にひどいことをしないで!」


「――ッ、ビオ!」


 ビオと呼ばれた少女は男たちから祖母を守るように立ちふさがった。


「お止め、婆は平気だから奥へ隠れておいで」


「でも私、もうがまんできない!」


 男たちの嫌がらせは連日に及んでいた。

 祖母に料理を作らせ、それに難癖をつけて床にぶちまけ、気の済むまで何度でも作り直させる。


 そもそも祖母の料理にはなんの瑕疵かしもない。男たちが来てから街の流通が止まってしまっているのだ。今や臣民の間には食料を調達することすら難しくなっている。少ない食料の全ては我竜族どもに吸い上げられているのだ。


 そんな少ない食料で懸命に料理をこしらえても、男たちがすべて台無しにしてしまう。


 飯ひつが殻になって、バハやビオの食べる分などもうほとんどない。連日の嫌がらせと店の片付けや空腹。すでにバハもビオもフラフラの状態なのだった。


 もうこれ以上の横暴には耐えられない。そう思い、飛び出してきたのだが――


 怒りに燃えるビオは気づかなかった。彼女が姿を表した途端、男たちの表情が好色そうに歪められたことを。


「ほう、これは……。ババア、食料エサがないだと? よくも俺たちにウソを吐いてくれたな?」


「ああ、少し痩せちゃいるが、まずまず食いでがありそうだな」


「いい器量だ。その灰色の耳から察するに、汚らわしい獣人との混血か。惜しいな』


「まあ遊んで壊すにはちょうどいい玩具だろう。娼館の女どもにも飽きてきていたところだ」


 男たちは節くれた醜い手で、ビオの身体を抑えつけた。腕を肩を掴まれただけで、ビオは悲鳴すら飲み込んだ。バハは己の命を絞り出すかのように、男たちへと懇願した。


「お待ちを! どうか、どうか孫娘だけは見逃してください! 他のことならなんでも致します! なんならこの老骨の生命も差し上げまする! ですからどうか――」


「だ、大丈夫だよおばあちゃん。私、こんな奴らになんて負けないから」


 男たちに掴まれた手は震えているのに、ビオは気丈にもバハに笑いかけた。今にも壊れてしまいそうな、薄氷のような笑みだった。


「いい覚悟だな小娘。その反骨心があれば多少乱暴に扱っても壊れないだろう」


 ビオは口元を嫌らしく歪める男たちを睨みつけると、恐怖を跳ね除けるよう言い放った。


「私はどうなっても構いません。ですからもう祖母にも、この店にも近付かないでください!」


「ビオ!」


 ああ。なんてことだ。

 このままでは、まだ恋すら知らない孫娘が蹂躙されてしまう。


 バハは一度だけ、野盗に嬲りものにされた少女を看取ったことがある。

 惨たらしくて悲しくて、とても正視に耐えるものではなかった。


 あんな姿に、最愛の孫娘がされてしまうのか……!


「どうか、どうかお助けを……ディーオ様!」


 バハは己の内なる神へと祈りを捧げた。

 この街の臣民達が、諦め、絶望し、自暴自棄になりながらも、やはり心のどこかで信じている存在。龍神。龍王。最強の魔族種。


 普段はまったく姿を見せない彼の王が、その存在を知らしめる時。即ちそれは戦の時なのだ。


 自らが定めた法を侵すものに対し、王は死という断罪の拳を振り下ろす。無慈悲に、理不尽に、一方的に。


 無限と湧き出る嵐の如き魔力と、紡がれれば必滅は免れない強大なる魔法。バハの生涯で一度だけ目の当たりにした戦う王の姿は、今も心の奥底に『神』なるモノとして刻まれ、色褪せることがない。


 その時、老婆の祈りが天に届いたのかどうか。

 男たちによって、雁字搦めにされながら連れ出されようとするビオの前に、救いの主が現れた。


「久しいなビオ」


 音もなく、店の入り口の前にメイドが立っていた。

 どこぞの貴人に仕える一流女中といった佇まい。


 濃紺のワンピースに、フリフリがついた純白のエプロンとヘッドドレスを纏っている。そして、その腕の中には、彼女の面影を色濃く残す幼子が抱きかかえられているではないか。


「エ、エアリスちゃん、なの……?」


「ああ、今戻ったぞ」


 同性であっても惚れ惚れするような笑顔を浮かべながら、龍王の養女、風の精霊魔法使い、エアスト=リアスは帰還を告げた。

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