第243話 魔法学校進級試験篇㉟ クイン・テリヌアスの巣立ち〜エピローグ2

 * * *



 世界は、こんなにも光に満ちていただろうか。

 いや、輝く太陽サンバルはいつもと変わらず。

 感じる風の温もりも、聞こえる木々のさざめきもいつもどおりのはずだ。


 変わったのは私自身。

 メガラーから放逐され、もう何処にも帰る場所がなくなってしまった。

 でも、不思議とホッとしている自分がいる。


 心の中を覆っていた暗闇が晴れて、一歩を踏み出そうとしたはいいが、目の前に開けた道があまりにも広すぎて、二の足を踏んでいる……そんな気分。


 試験でケイトと戦ったときのことを繰り返し思い出す。

 視界を奪われ、魔法で風を起こすより早く距離を詰められていた。


 一瞬で懐に入ってきた彼女が、私の首に手を回し、「ああ、これはやられた」と負けを悟った。


 もし、私が負けていたら、試験の内容にかかわらず大きな問題に発展していたはずだ。


 あの試験は教官が勝ってあたりまえ。子供が負けて当然の前提で行われていた。なにせ相手は初等部低学年。魔法師としての実力が大人に肉薄し凌駕し得るのは高等部高学年になってからが殆どだ。


 つまり、初等部の子供が1級試験を行う意味とは、本当に見世物でしかないのだ。


 でも、最後の最後で、ケイトは私にトドメを刺さなかった。

 何故。どうして。同情された? 

 違う。彼女は自らの信念に殉じたのだ。


『私、目標ができたんです』


 それに従った結果、ケイトは他者を加虐するをよしとせず、自らの命さえ投げ出し、敗北を受け入れたのだ。


 私が普段、手本と称して攻撃魔法を見せる際、生徒たちの反応は三つに大別される。


 羨望、不安、そして恐れ。


 自分も同じように魔法を使いたいという羨望と、自分に同じことができるだろうかという不安。そして魔法自体への恐怖。ケイトは特に魔法に対する恐怖心が誰よりも強いようだった。


 あんなに怯えた目をしていた少女が、まっすぐ自分を見返していた。僅か半月。ケイトに一体何があったのか。


 それは他の子も同じことで、一体どのような修練を積めばあんな強さを身につけることができるのだろうか。もし、あの子たちにそれを成さしめたのが自分の指導によるものだったなら……そう思うと少し悔しい。


 改めて思う。ナスカ・タケル。

 彼は何者なのだろう。

 魔法師としての実力は向こうが上。


 私の見立てでは、その腕前はアンやラエルと同等かそれ以上。

 メガラー私塾の中でも、上位幹部の一握りに迫るほどだと思う。


 だが、彼の凄さはそれだけではない。

 浅い眠りの状態を意図的に作り出すことで、自己と世界との境界を取り払い、夢の中で魔素と対話する方法を思いつくなど前代未聞である。


 もしこの『明晰夢魔素対話法』が世間に広まれば、ケイトたちのような自分にしか扱えない個性的な魔法師が生まれてくるだろう。長年据え置かれている魔法師進級試験の内容も大改訂がなされるはずだ。


 現在、共有学校では教職員たちによる『明晰夢魔素対話法』の実験を繰り返している。安全性の確保に向けた手引き書を作成し、それが完成するまでの間は、既存の魔法にも応用が可能な、立体を図に起こして上質紙に描き取る授業を行っていくことになっている。


 この調子でいけば数年後、魔法師共有学校を卒業していく生徒たちの実力は飛躍的に向上するはずだ。多くの高名な私学塾でさえ、足元を掬われかねないほどの大改革がたったひとりの男の手によって成されようとしている。


 さしずめ私は、そんな歴史に名を残すほどの男に楯突いた愚かな女として、誹謗を受けていくことになるだろう。はは。


「うん? これは…………?」


 到着が遅れている生徒がいないかと思い、改めて来た道を引き返していたのだが、山道の途中で気になるものを見つけた。


 それは鉛筆だった。獣人種の間で販売されている粗悪品とは違う、完璧な六角形に裁断されたそれ。


 表面には光沢のある漆が塗られ、そこには見たこともない金色の文字が踊っている。ナスカ・タケルが独自の伝手から仕入れてきたという逸品だ。


 もしかしたら彼はヒト種族の王都に居を構える一流工芸士と知り合いなのかも……。


 私は鉛筆を拾い上げながら顔を上げる。

 鬱蒼と茂る深い森。山道には脇道などないのに、なんとなく木と木の間に、こちらを誘うような微妙な空間が見て取れる。


 ちょうどそう、ケイトたちくらいの背丈の子供なら分け入って行けそうな、そんな獣道が続いているのだ。


「まさか…………?」


 少し進んだら戻ろう。

 多分杞憂に終わるだろう。

 そんな軽い気持ちで、私は獣道へと入っていった。



 *



「ふん。なにが写生大会だよ。面倒くさい」


 バキンと支給されたばかりの鉛筆をへし折り、クイン教室のジニアはそのまま地面に叩きつけた。一緒に受け取った『くろっきーぶっく』なる紙束は、紙質が良さそうなのであとで鼻紙にでもしてしまおう。


「くそっ、僕より合格級数が下のクレスたちが特別教室だと? 納得いかーん!」


 彼はクインと同じ白羊族。そして彼女の教え子の中でも優秀な生徒だった。一ヶ月前の進級試験でも上級生を差し置いて唯一8級に合格した秀才である。


 四大魔素のいずれかで鬼火を作ることが初等部卒業資格9級である。ジニアはそれより上の8級――四大魔素のいずれかを使い、魔素に魔力を付加して球形状にすることができる――を見事達成した。


 あと一歩、それを投擲することができればなんと7級に合格できたのだが、試験のときは無理だった。でもこの一月あまり、こっそり修練を繰り返して、なんとファイアー・ボールを撃ち放つところまでできるようになったのだ。


 ジニアは密かに「僕って天才じゃね?」と増長しており、もうすでに中等部の位階にまで進んでいる自分こそが特別教室に入るべきだと常々思っていた。


「ちぇ、せっかくクイン先生の言うとおりに8級試験がんばったのになあ……」


 ちやほやされるのはクレスたちばかりであり、上級合格のジニアはまったく注目されなかった。「よくやったわね。偉いわジニア」くらい言ってくれると思っていたに、クイン先生は自分のことなどまったく眼中にないみたいだった。


 それどころかここ最近はあのナスカ・タケルの教員研修に参加してばかりで、まったく教室に姿を現さない。試験が終わった直後、「僕、先生の言うとおり8級に合格したんですけど……」と言うと、「そうね……お疲れ様」と項垂れながら言われたきりだった。


「くそッ、くそッ、くそッ――!」


 ザシュザシュ、と足元の腐葉土を蹴り上げながら進んでいく。

 ジニアは何度か湖周辺に遊びにきたことがあり、何を隠そう、魔法の練習をこっそりできる秘密の場所を知っているのだ。


 目印となる針葉樹の木の間を分け入り、ものの半刻も歩かぬうちに、ぽっかりと木々が開けた天然の広場にたどり着ける。


 ナスカ・タケル主催の授業など誰が出てやるもんか。僕はクイン教室の生徒だ。敵に尻尾を振るわけにはいかない。秘密の場所で孤独に魔法の練習をしよう。クレスたちなんかすぐに追いついて、今度こそクイン先生に褒めてもらうのだ――


「あれ……、え――?」


 生い茂る林冠により辺りは暗い。だが目の前に広がる秘密の広場には燦々と日差しが注いでいる。そこに、見慣れない奇っ怪なものが鎮座していた。


 背中を丸め、地面に突っ伏して眠る大きな大きなそれは――魔物族モンスターだった。


「なんで、一昨日まではいなかったのに……!」


 土色の地肌は隆々と筋肉が盛り上がり、剣で付けられたのだろうか、背中には隙間なく切創がついている。


 まるで死んでいるように静かだが、ムワッとした獣臭が漂ってくるため、生きているのだと分かった。とにかく一刻も早く引き返して誰かにこの事実を伝えなければ。


「いや、待てよ……?」


 こんな見たこともないような魔物族モンスターを自分ひとりで倒したとなれば、クレスたちを超えたことにならないだろうか?


 騎族院から感謝状とか送られて街で大評判になったりして? 昼間のリィン・リンド放送で特別出演できたりして?


 そうだ。もともとナーガ・セーナ領はずっと昔に魔の森に入植し、魔物族モンスターを残らず討伐して安全性が確保され続けてきた土地だ。


 従ってここにやってくるのはハグレの雑魚魔物族モンスターばかりである。放っておいても討伐されてしまうだろうから、僕がやっても問題ないはず……。


 ゴクリ。

 ジニアは緊張でヒリつく喉に無理やり唾液を流し込む。

 そしてクインの教えの通り、『憎』の意志力を滾らせる。

 突っ伏するモンスターがピクリと反応した。


 一撃で仕留める――!

 ジニアはファイアー・ボールを創り出し、モンスター目掛けて叩きつけた。



 *



「はあ、はあ、はあ…………!」


 獣道を分け入ってすぐ、不安が的中する。

 足元には踏みしめられた草地が続いていたからだ。

 すくなくとも誰かが定期的にここを通っている。


 息を殺し、静かに、だけど素早く進んでいく。

 嫌な予感がする。急がなければならないという気持ちと、このまま引き返してしまえという誘惑が交互に襲いくる。


 なにをバカな。

 もし万が一、誰か生徒が森で迷っているとしたら大変なことになりかねない。引き返すことなど論外だ。だが、進めば進むほど息が苦しく、足取りが重くなっていく。


 これはなんだ? まるでメガラーの大幹部と決闘をしたときのような重圧を感じる。そして――


「これは……『憎』の意志力? 一体誰が!?」


 森の奥から魔法の気配を感じる。

 絡みつく悪寒を振り払い、私は疾走った。

 木々が開け、大きな広場に出た途端――――


「ぐるぁ、ああああああああガガあ唖々嗚呼吁あああぁぁ――――!!」


 目をつぶり、思わず頭を抱えたくなるほどの絶叫が轟く。

 それをせずに済んだのは、声の主の異様な姿に目を奪われたからだ。


 それは初めて見る魔物族モンスターだった。

 身長は周りの木々の半分にも届こうかという大きさ。


 胴長に短足という極端な体型だが、下半身は細く引き締まり、蹄のついた二本の足で地面を踏みしめている。対して上半身は筋肉の鎧を身に纏ったかのように膨れていた。


 さらに体毛がビッシリと生えた野太い腕が四本。両肩と両脇からそれぞれ生えている。特に異常なのがその顔だ。隆起した両肩の間には天を衝くような黒黒とした角が生え、その下、凶悪な面構えが胸部に埋まっている。


 敵わない――と。

 獣人種に備わった先天的な危機感知能力が告げる。


 この生物には絶対に勝てない。逃げろと。

 だが――――


「せ、先生」


 モンスターの足元でか細い声がした。


「ジニアっ!?」


 自分の教え子が、顔をグシャグシャにして泣いていた。咆哮を終えたモンスターが足元のジニアを見下ろし、次いで私を見る。そして当然のように弱い方に狙いを定めた。


 瞬間、私の憎悪はかつて無いほど荒ぶった。カッ――と、お腹の底から沸き上がった殺意に身を任せ、気がつけば両手にファイアー・ランスを握りしめて叫んでいた。


「私の生徒に、手を出すなッッッ――――!!」


 肩が抜けてしまうのではないかと思うほど、渾身最速で放たれたランスは、狙い違わずモンスターの胴を射抜いていた。


「は、はは……すごい、さすがクイン先生だ!」


 腰が抜けた様子のジニアが賞賛をくれる。

 私も少し拍子抜けした。

 まさかこんなにあっさりと倒すことができるなんて。


「ジニア、あなたこんなところで何をしてるの? まさか課外授業をサボって遊んでいたのかしら?」


 ランスに貫かれ、がっくりと項垂れるモンスターの肩口には体毛が燃えた跡がある。おそらくジニアの魔法が炸裂した箇所だろう。


 勝手に順路を外れ、森の中でモンスターと遭遇し、魔法を使用して戦っていたなど。ちょっとやそっと叱ったぐらいで済む問題ではない。


「そ、それは……魔法の練習をしようと思って」


「ひとりで? 魔法を使用するときは、私達教師のいる前で行うのが決まりになっていたはず。いえ、あなたここに来るのは初めてじゃないわね? ということは、これまでも私の見えないところで魔法を使用していたのかしら?」


 もし万が一、魔法の制御に失敗し、あのネエムという子のように重症を負う結果になってしまったら。しかもこんな人気のないところで発見が遅れれば、それこそ死に直結してしまう。そしてその責任はすべて私に帰結してしまうというのに。


「ご、ごめんなさい、でも……」


「でも? なにかしら?」


「僕、少しでも早く魔法が上手くなりたくて……、そうすれば先生だって、もう恥ずかしく・・・・・・・なくなるでしょう・・・・・・・・!?」


 ガツン、と金槌で頭を殴られたような衝撃だった。

 ジニアから視線はそらさず、額を抑えて後ずさる。


 気づかれていた? 教師として、大人として、心に秘め置かなければならないこの醜い感情を。


「いや……」


 思えば当然かもしれない。

 私の教室で唯一の8級合格者となったジニア。


 だが1級試験に挑んで敗れたケイトたちの方にばかり人気が集まり、私は私で自らの感情の置き所がわからず、ようやく落ち着き始めたのはごく最近の話だ。


 その間にひとり思い詰めたジニアが、自らの成果が足りずに私に捨て置かれたと感じてしまうのも無理はない。そうか、それを払拭するために、彼はひとりで魔法の練習をしていたのか。


 つまりそれは……全部私のためなのか。


「はああ〜…………ジニア」


「は、はい……!」


「やるなとは言わないわ。でも次からは必ず私に声をかけなさい。私の見てる前でなら、いくら練習しても構わないから」


「――ッ、わ、わかりました!」


 私は視野が狭すぎたようだ。

 今まではあらゆることをメガラーのせいにして言い訳が可能だった。


 でも私はもうメガラーではない。せっかく重荷が取れたのだから、少し肩を回して背をただし、周りの世界に目を向けるべきなのだ。


 ラエル、アン。

 私、ようやくあなた達から卒業できそう――――


「ジニアッッ!!」


 直感のまま身を投げた。

 最速で教え子の元にたどり着くため、防御も考えずに飛んだ。

 結果的に、それが功を奏した。


 ジニアを抱え、受け身も考えず地面を転がる。 

 モンスターが動き出していたのだ。まるでポイズンダガーのような汚穢な爪が、ジニアの立っていた地面を深々とえぐっていた。


「バカな、あれほどの致命傷を受けてどうして――」


 それはまるで答え合わせのように。

 胴に突き刺さっていた私のファイアー・ランスが頼りなく揺れて消えていく。


 私は魔法を解除などしていない。世界から汲み取った炎の魔素も還していないし、魔力も通わせたままだった。


 即ち、モンスター側からの働きかけで魔法が無力化されたということ。


「グルぅ、がああああああッ――――!!」


 完全に私達を獲物と定めたのだろう、血走った眼とかち合う。

 モンスターは凶器そのものの腕を突き出し、私達を捕まえようと迫りくる。


「舐めるんじゃないわよッ!!」


 紅蓮の炎を纏いながら、相手の懐に飛び込む。

 突進の勢いを利用し、手の中のファイアー・ランスを相手に突き刺す。


 醜い顔の眉間部分に、ランスが半ばほども埋まる会心の手応えに安堵せず、私は次から次へとファイアー・ランスを生み出し、モンスターの肉体に片っ端から突き刺していく。


「このぉ、これでトドメぇ――――!!」


 最後の一本を突き刺し、私はガックリと膝をつく。

 まるでハリネズミだ、とジニアがつぶやく。


 その通り、見るも無残な針山と化したモンスターの姿がそこにはあった。

 これだけやればさすがに――――


「キャッ!?」


「先生!?」


 左右から伸びてきた大木のような腕が私を拘束した。バカな、これほど穴だらけにされてどうして生きていられる――!?


 疑問の答えはファイアー・ランスの崩壊と共に知れた。先程と同様、形状を維持できなくなり、付加した魔力ごと消滅したのだ。


 その途端、私を拘束する腕が倍ほどにも膨れ上がった。

 まさか、魔力を吸収してるの――!?


「あっ、ぐッ、あああッ――――!!」


 締め付けられ、骨が軋み、呼吸さえできなくなる。

 頭の中が痛みに塗りつぶされる。

 魔法制御に集中できない。

 マズイ、このままでは死――――


「クイン先生ッ!」


 ジニアの声に意識を繋ぐ。

 そうだ。我が身可愛さで諦める前にやることがあった。


「ジニア、逃げ――逃げなさい! 早く、私はいいから――――!」


「い、嫌だ! クイン先生!」


 ボグッ、と左肩から物凄い異音と共に激痛が走った瞬間だった。

 私の視界全てを、深緑の閃光が覆い尽く・・・・・・・・・・していた・・・・



 *



「おーい、中天だぞー、飯にしろー」


「はーいナスカせんせー」という数百人からの返事に、湖の周辺が震えた。獣人種共有学校創設以来初めてとなる写生大会は大成功と言えるだろう。

 

 朝一で出発して小一時間ほどで到着した湖は風光明媚でいて、四大魔素がまんべんなく充満するパワースポットのような場所だった。海岸と同じく、水辺と魔素はとことん相性がいいらしい。


 僕はみんなのデッサンを後ろから覗き込みながら、時にアドバイスをし、時に質問に応えながら、ほぼほぼ全校生徒を見て回っていた。


 中には本当に絵心のある生徒もいて、魔法師を諦めて芸術家になれ、と言おうか本気で迷ったほどだった。


 いや、それにしても疲れたな。

 昼飯くらいゆっくり食いたいのだが――――


『タケル様、こちらです』


 真希奈(人形)が手を振っている。

 そこには特別教室に編入したケイトたちがいた。


 クレス、ペリル、ケイト、レンカ、ピアニ、コリス、ハイア、そしてネエムだ。

 全員、低学年の生徒とは少し違うデザインのローブを着ている。

 固有アビリティを発現させた者だけが着用を許される特別な制服だった。


 ネエムはどうやら僕の創り出した剣に感銘を受けたようで、本気で魔法剣を目指すそうだ。髪の毛が燃えてしまったので、まだ生えかけのモンチッチみたいな頭だが、本人は気にしていないようである。


「あーあ、ナスカ先生もすっかりみんなの先生になっちまったなあ」


「ホント、ちょっと前まで先生は愚か保護者にも胡散臭がられてたのにね」


「仕方ないよ。私たちはそれを喜ばなくっちゃ」


「でも毛並みのいい女の子をイヤらしい目で見るのは変わらないの」


「ひッ、先生、そんな目でピアニたちを? セーレスさんとエアリス先生に言いつけるです!」


「けっ、やめてくれよ。あんたが捕まったら一緒に恥をかくのは俺たちなんだぜ」


「正に英雄色を好むでござるなあ。ナスカ先生が多少羽目を外すくらい、ウチのじいちゃんも許してれくるでござるよ。はっはっは!」


「さすがに淫行罪をもみ消したら、ハヌマ学校長も罪に問われると思うけど……」


 クレス、ペリル、ケイト、レンカ、ピアニ、コリス、ハイア、ネエムの順である。


 コイツら、やっぱり可愛くねえなあ――などと思っていたときだった。

 僕は自分が施した魔法が発動するのを感知した。


「――ッ、今のは…………真希奈!?」


『アクティブ・マイン発動を確認。風刃シルフ・レイが顕現しました!』


 マジか。保険かけといてよかった。


「真希奈、位置を特定!」


『方位337、距離22』


 念のためにとクイン先生にかけた『アクティブ・マイン』が発動したのである。

 僕の魔素分子星雲エレメンタル・ギャラクシーを対象に纏わせ、致死性の攻撃を引き金に発動させるカウンター技だ。


 つまり、今クイン先生は死にかけているということを意味する――――


「全員そのまま昼食を続けて、湖の周りからいなくならないように!」


 そう告げると僕は全身に風を纏い、地面を蹴り上げる。「わっ!」と周囲の生徒たちがどよめく。


 僕は大樹の林冠も飛び越え、生徒たちを遥かに見下ろす高度を取ると、今度は炎を吹き出して22キロという距離をゼロにするべく一気に飛び立った。


 その直前、僕の姿を見上げていたクレスが「今更ナスカ先生が空飛んだくらいじゃ驚けねえな」と呟いたのが妙に耳に残っていた。



 *



「クイン先生! クイン先生!」


 霞がかかっていた意識が一気に晴れる。


「ジニア…………――!」


 左肩に激痛。でも、まだ生きてる。

 視界の隅にモンスターが映りギョッと目を見張る。


「一体、何が……?」


 モンスターは泣き叫んでいた。

 せっかくあった四本の腕が、今では半分になっていた。


 私を拘束していた腕は、肘の先から切り落とされ、細切れになって地面に転がっている。


 さっきの深緑の閃光は風の魔法が発動した証拠だ。

 でもそれは私が放った魔法ではない。

 こんな問答無用の切れ味の風の刃など、私には到底出せないからだ。


 この魔物族モンスター、推察するに魔法そのものを己の肉体に吸収し、無効化することができるようだ。それなのにもかかわらず、風の刃は防ぐことができなかったようだ。


 それは何故なのかと考えるより早く、魔物族モンスターが憤怒の形相で私達を見た。首がないため、体ごと角を震わせ、私達を串刺しにせんと狙いを定める。


 痛みが酷くて魔法が出せない。

 それでもジニアだけは逃がそうと最後の力を振り絞る。


「グブゥ、うがああああッ――――!!」


 だがそれより早く魔物族モンスターの巨体が迫る。

 何としてもジニアが逃げる時間だけは稼がなければ――


「グベラァ――!!」


 結果的にモンスターの角は届かなかった。

 汚穢な爪も、恐るべき巨体も。

 何もかも全てが防がれている。


 私たちの目の前には『壁』が立ちふさがっていた。

 それは馬鹿馬鹿しいほどの魔力量で創られた不可視の壁だった。


「何だコイツは――――」


 頭上から聞き慣れた声がする。一ヶ月間の教員研修で嫌というほど耳にした声の主が風を纏い、足元から炎を拭き上げ飛んでいる。


 風の魔法で空を飛ぶこと。それは誰もが憧れる絵空事。同時に制御するべき情報が多すぎて、常人にはとてもできないはずの飛行魔法を、彼は事も無げに行いながら地面へと降り立つ。


『ライブラリに該当なし。ですがカウルスと呼ばれるミノタウルス系の魔物族モンスターの亜種であると推察されます』


 彼の肩――妖精種の言葉に、確かによく見ればカウルスかも知れないと納得する。いや、そうじゃなくて――!


「そいつは魔法を吸収する特性を持っている! どんな攻撃魔法も通用しないわ!」


 あれ、でもさっきの風の刃は通じたっけ?

 え、私の魔法は吸収されるだけで、ナスカ・タケルの魔法(多分)は通じるの?

 そんなの納得できない……!


「なるほど。魔法師殺しってことか。でも問題ないですよ」


 魔力の壁に弾かれた魔物族モンスター――カウルスの亜種が渾身の威力を込めて体当たりを繰り返している。


 だが、それ以上一歩も前に進むことはできないようで、両腕を振り上げ、己の拳が壊れるのも構わず壁を殴り続けている。


『魔力による防御壁は健在。推定膂力は平均4トンに達しています。この程度ならばいささかの痛痒も感じませんね』


「随分珍しいモンスターみたいだな。正直色々調べてみたいところだけど――」


 ちらりと、彼が私を振り返る。瓶底眼鏡を取り払った妖しい金色の虹彩に射すくめられ息をするのも忘れる。


「よくもウチの先生を傷つけてくれなたなあっ!!」


 彼が吼えると同時、何かが空間を強く叩く音がした。 

 それはとてつもなく巨大で、強い生物が奏でる心臓の音だった。


 私とジニアは潰れた悲鳴を飲み込む。

 何故なら、ナスカ・タケルの全身から、活火山のような膨大な魔力が噴き出していたから――――


『虚空心臓から魔力を精製――完了。ビート・サイクルレベル10、どうぞ』


「消えろ」


 暴れるカウルスの亜種へと彼が拳を突き出す。

 地響きが――それこそハイアがアンを相手に見せた拳術を遥かに超える衝撃が駆け抜ける。


 僅かな血煙だけを残し、魔物族モンスターは跡形もなく消滅していた。


「ナスカ・タケル、あなたは――――誰なの!?」


 灰狼族だなんて絶対に嘘。

 この力――アンやラエル、メガラーなんて目じゃない。


 そんなものを遥かに超越している。

 あなたは一体…………?


『ふっふっふ――! この羊女め、さんざんタケル様に無礼な態度を取ってきたことを後悔するがいいです。ここにおわすお方をどなたと心得る! 恐れ多くも三代目エンペドクレス、龍神族の王となるタケル・エンペドクレスなるぞー!』


 妖精種の宣言に私は言葉を失った。

 龍神族。それは魔族種根源貴族の中でも特別な存在。

 永遠に近い寿命と比類なき魔法戦闘力、そして深淵の知識を有すると言われる、神にも等しい名前だ。


 ラエルの後ろ盾には龍神族がいる。

 だからこそ、今日こんにちの彼女の大成があったと言っても過言ではないのだが――


「おいおい、なにバラしちゃってるんだよ」


『いーえタケル様、この女の態度は目に余りすぎます。そろそろガツンと思い知らせるべきです。あ、あと真希奈は妖精ではなく【精霊】です。タケル様御自ら創り上げた人工的な高次元生命体ですので覚えておきなさい!』


 あー、スッキリした、などと言いつつ、主の肩に停まる妖精種――もとい精霊が彼の首に抱きつく。人工精霊? 自分で創った? ダメだ、頭が追いつかない。


「亜脱臼してるなこれ。どれ、ちょっと治療に行くか」


 そう言ったナスカ・タケルの手の中には、いつの間にか抜き身の剣――らしきものが握られていた。


 飾り気など皆無のそれを振り抜くと、目の前の空間がパックリと裂け、極彩色に輝く孔が顕になる。


「な、なに、今度はなんなの!?」


「驚かなくていいです。聖剣で『ゲート』を開いただけですから。俺の知り合いに水の精霊魔法使いがいますから、治療してもらいに行きましょう。大丈夫、あっという間に到着しますよ」


 龍神族、人工精霊、水の精霊魔法使い、極めつけが『聖剣』。

 お伽噺にもなっている伝説の存在『聖剣』。それが今、目の前に――!?


「いやあ、それにしても見直しましたよクイン先生。身を挺して生徒を守るだなんて。あなたのこと、自分しか考えていない冷血な女性ヒトだと思っていた僕を許して下さい」


「は、はは…………そう。好きにしてちょうだい」


 見直したのはこっちの台詞だわ! と、叫びたかったけど、痛みが酷くてできなかった。私は彼に右手を引かれ、ジニアは人工精霊とやらに導かれながら、多分生涯最初で最後の『ゲート』とやらを潜るのだった。


 続く。

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