第242話 魔法学校進級試験篇㉞ 立つ鳥思いっきり跡を濁す〜エピローグ1

 * * *



 あれから一月が経った。

 僕ことナスカ・タケル、灰狼族(♂)はまだ獣人種魔法共有学校にいた。


 と言っても、生徒に対して教鞭をとることはなく。

 そのほとんどを共有学校の先生方への研修に費やしていた。


 魔法師進級試験で目覚ましい成果を上げた七名の生徒たちに加え、試験教官を務めた際の僕の魔法の実力から、教えを請う声が殺到したためである。


 それまではレスター式教育と呼ばれる、元私学塾者だった魔法師教育開祖の教えが共有学校にはあったが、後に『ナスカ式』と称される教育プログラムが主流になっていく。


『愛』の意志力の重要さ。

 明晰夢を利用した四大魔素との対話方法。

 イメージを立体的に捉えるためのデッサン授業の導入。


 あと何故かは知らないが、エアリス式カレーなる新メニューが食堂に登場し大好評を博したため、街の食堂でも発売されることになった。そのため、ちょっと今ナーガ・セーナのいたるところがカレー臭かったりする。


 驚いたのは、僕が講師を務める教員研修にクイン先生が積極的に参加していたことだ。ケイトとの試験教官を務めた彼女は、試合に勝って勝負に負けた、というのをキチンと自覚しているのかもしれない。


 それから生徒たち――クレス、ペリル、ケイト、レンカ、ピアニ、コリス、ハイアの七名は特別クラスへの編入が決まった。


 お休み大王ピアニの11級合格以外、全員が12級止まりなのだが、ケイト、レンカ、コリス、ハイアは1級試験の内容が高く評価され、また私闘をしていたために試験資格を剥奪されたクレスとペリルも、その後キチンと実力が認められた。


 これは試験審議官を務めたレオーノフ・コマロフ氏の強い推薦であり、レンゲル・メンデス氏とペネラ・スプートニク女史が直々にその実力を確かめ、「おもしろい!」と太鼓判を押されたことで実現した。


 そうそう。レンゲル氏とペネラ女史は定期的に特別クラスへ指導をしにきてくれるらしい。特にレンゲル氏はコリスとハイアがお気に入りのようで、何かにつけては試合形式の指導をしたがる。ふたりにとってはいい迷惑だと思われる。


 今後、僕の提唱する『ナスカ式』明晰夢術で自分の得意魔素を見つけ出し、自分だけの固有アビリティを引き出すことに見込みのある生徒は、クレスたちと同じ特別教室に編入することになる。


 そしてその第一号となる生徒はもう既に決まったようだ。ネエム・ピュロン。元メガラー私塾の徒弟であり、クレスに決闘を挑んだあの子である。


 彼は魔法の無断使用により上級生三名を傷つけ、なおかつクレスに決闘を挑み、ペリルをも巻き込んだ。


 結果的に自身の魔法制御に失敗し、瀕死の重傷を負ってしまうのだが、セーレスの癒やしの魔法のお陰で一命を取り留め、現在では全く後遺症もなく、無事に回復することができた。


 そして、彼には厳罰が処されることになる。

 それは、メガラー私塾の退学。実力が完全に見合わない者に対する『放逐処分』という一生涯後ろ指を刺される厳しいものだった。


 それをネエム少年に直接言い渡したのは、誰であろうアンティス女史だった。


『魔法の無断使用。そして制御の失敗による自爆。どちらもメガラーの名前を汚す恥ずべき所業よ〜。よってあなたをメガラーからの【放逐処分】とします。異論は認めないわ。何か言いたいことがあるかしら〜』


 ラエル・ティオスの館の一室を与えられ、意識が回復した後もセーレスの治療を受け続けていたネエム少年に対して、アンティス女史はそのように言い放ったそうだ。そしてそれに対する彼の返答は――――


『師匠、お世話になりました。…………ありがとうございます』


 ネエム少年はわかっていたのだ。

 試験でも成績を上げられず、私闘を巻き起こして自爆した彼の居場所はメガラーにはない。


 むしろこのまま戻ってもさらに厳しい処分がくだされることになる。そうなる前にアンティス女史は、自分の裁量で彼を切り捨てることで守ろうとしているのだと。


『私はあなたをクビだといってるのよ〜。お礼なんて言われる筋合いはないわ〜』


『そうですか。じゃあ言わせてもらいますけど……』


『あら〜、なにかしら?』


『師匠は毎晩毎朝、気がつくとお腹を出して寝てるので、今後は布団をかけて上げられなくなるので、腹巻きでもして寝るようにしてください』


『なッ――!? なななな、何を言ってるの!?』


『僕があなたの弟子になってから、あなたが寝冷えしてお腹を下すことはなくなったでしょう?』


『はっ――そ、そう言えば〜!?』


『あと、幹部の紋章徽章は紐でも付けてずっと首にかけるようにしてください。それから脱ぎぐせもほどほどにしないと、そのうち騎族院にしょっぴかれますからね?』


『う、うるさいから〜、そんなことくらいわかってます〜!』


『なら、いいです。もう何も言うことはありません』


『そう…………』


 そして、アンティス女史は振り返ることなく踵を返し、退室する直前言い放ったそうだ。


『ネエム〜、メガラーを放逐された汚名を跳ね返すくらいの魔法師になりなさい〜』


 ――――と。

 そしてネエム少年は、本人の希望といろいろな手助けによって、魔法師共有学校に途中編入することになり、クレスたちと同じ特別クラスの一員となった。


 これに大喜びしたのはもちろんクレスである。ちなみに編入する際に例の、彼がグランド・スピアで怪我を負わせた三名の上級生の元へと謝罪に行ったらしい。


 下級生にボッコボコにされたという体面を気にしてか、上級生たちはすっとぼけていたらしいが、誠意あるネエム少年の謝罪に「ちっ、おめーのグランド・スピア超キいたぜ」「正直もう勘弁な」「次は負けねえし」などと言い放ったとか。


 うん。もうネエム少年は大丈夫だろう。


 そして、この度もうひとり、メガラーから『放逐処分』を受けた者がいる。

 それは――――



 *



「なにかしら?」


「いやあ、あの賭けってどうなったのかなーと思って」


 本日は全校生徒をあげてのハイキング&大写生大会の日だった。


 今後は学校外への積極的な課外授業をしましょう、特に自然と触れることで魔素と対話しましょう、という僕の意見が全面的に肯定されたため、今日は学校からほど近い森の中の湖周辺で、めいめいが好きなものをデッサンし、お弁当食べて遊んで帰る……という授業が実現したのだ。


 もうそれを聞いたときの子どもたちの喜びようといったらとんでもないものであり、今までがどれだけ不憫で不遇だったのか涙を禁じ得ないほどだった。


 特に上級生になればなるほど、そのような授業が一度もないまま何年も過ぎてしまったため、本当にそんなことしていいのか? と怯える程だった。うんうん、いいんだよ、今までが異常なだけだったんだから。


 全校生徒を集めてハヌマ学校長の訓示を受けて、そして何故か僕が注意事項を伝達することになり、さらに意味不明な拍手万雷で迎えられてから、小一時間ばかりを歩いた先にある湖へえっちらおっちらハイキングである。


 僕は肩に停まった真希奈(人形)と今後のことも含めて色々話をしながら歩きたかったのだが、周りがもう放っておいてくれなかった。


 名前も知らない生徒たちから兎にも角にも話しかけられ、真希奈の人形をイジられ、それに怒った真希奈がプンスカ叫んで。そういえばこういう和気あいあいとしたハイキングの経験は僕自身も初めてかもなあ、などと感慨に耽ったりして。


 そうしてたどり着いた湖周辺で500名からの子どもたちが、それぞれ仲のいい子同士でグループを組んでデッサンを開始した。


 ああ、彼らに一冊ずつ与えられたクロッキーブックは僕がトゥールズ御茶ノ水店で大量買い付けをしたものである。鉛筆や練り消しも同様。一応原資はラエル+学校側からだ。僕はこちらの通過をなんとか日本円にできないか苦心していることは内緒だ。


 そして――


 生徒を見守り、何人かの先生と黙礼だけしながら、生徒からも先生方からも距離を置いて湖を眺めている美女がひとり。


 言わずと知れたクイン先生その人である。なんというか、すっかり険が取れた感じがする。ちょっと無気力にすら見えるほどだ。


 まあ無理もないだろう。彼女はネエム少年同様、メガラー私塾に実力が見合わないとしてアンティス女史から完全にクビを宣言されてしまったのだから。


「あなた、私を笑いに来たんでしょう」


「え、いやいや。別にそんなことはないです、けど」


「けど?」


「なんかこのまま消えちゃいそうですよ?」


 風が吹いたら飛んでいってしまいそうな、そんな儚げな雰囲気がある。前までのただキツかったときとは別の意味で怖い……。


「そう。それもいいかもね」


 おいおい、マジで大丈夫かこのヒト?


「冗談よ。死ぬつもりはないわ」


 口ではなんとでも言えますよね?


「それで、賭けのことが気になってるの?」


「ええ、まあ。一応」


 僕とあなたの接点ってそれだけしかないじゃないですか。


「確かに賭けは私の勝ちよね。あの子たちはピアニの11級を最高にして全員が12級合格。対して私のクラスの子はほとんどが15から12級どまりだけど、ひとりだけ8級に合格してる。確かに私の勝ちよね」


 ニヤっと少しだけ以前を彷彿とさせるイヤらしい笑みを浮かべ、フッ――とそれが和らぐ。


 さああっと、温かな風が吹き抜け、木々が揺らめく。降り注ぐまだらな木漏れ日に目を細めながらクイン先生は言った。


「あのときは、簡単に自分の生命を賭けようとするあなたに腹を立てただけ。別に本気じゃないわ。それに試合には勝ったけど勝負には負けたようなものだし」


 それは僕との賭けのことを言っているのか、それともケイトとの試験のことを言っているのか。多分両方なんだろうな、と思った。


 僕が押し黙っていると、「私ね」とクイン先生が語りだした。


「メガラーでのし上がっていくことが世界の全てだと思っていたわ」


 誇張でも何でもなく、洗脳にも近い刷り込みをされ、価値観がそれ一色に染まっていたのだろう。そう思った。


「ラエルのようにメガラー幹部を倒すほどの気概もなく、かと言ってアンのように他を蹴落としてでも上に行こうという意地もなかった。ただなんとなく居心地のいい場所にい続けた結果、流されていただけだったんだと思うわ」


 そうして流れ流れてやってきた共有学校で、メガラーでドンケツだった自分が一番になれることがわかっていい気になっていた、と彼女は告白した。


「ホント、ろくな教師じゃなかったわね。でも、メガラーから離れられてスッキリしたわ…………」


 しばし、木の幹に背中を預け、クイン先生は項垂れた。

 涙を流すことはなかったが、固く閉じられた瞼は震えているようだった。


「さて、見回りに行ってくるわ。初めての課外授業で羽目をはずして森の奥にまで踏み入ってる子がいないとも限らないから…………」


 よいしょっとおしりを突き出し、木の幹から離れるクイン先生。だが足元に転がる木の枝に足を取られふらついてしまう。僕はとっさに彼女の腕を取って支える。至近距離から見つめ合う。彼女の目が僕を――瓶底眼鏡越しに僕の瞳を見つめていた。


「あなた、絶対灰狼族じゃないわよね?」


「はい?」


「だって瞳の色が…………まあいいわ」


 言いかけて、でも何かが面倒になったように言葉を切る。その無気力な様が不安になり、僕はとっさに彼女にとある仕掛けを・・・・・・・してしまう。


「離してもらえるかしら?」


「ああ、失礼しました」


 パッと手を解き距離を取る。

 その大げさな仕草に少しだけ口元に笑みを浮かべると、彼女は背を向けた。


「私なんかに構ってないで、早くみんなのところに行きなさいな、人気者のナスカ先生?」


 その背中は、なんだか険が取れるかわりに存在感までなくしてしまったようで。

 ホント大丈夫かなあ。滅多なことがなければいいけど、と心配になってしまうのだった。


 続く。

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