第241話 魔法学校進級試験篇㉝ 魔法師試験終了〜小さな勇者たちへの賛歌

 * * *



「お、おい酒屋の。もう試合は終わったか?」


 観客席の一番うしろ、立ち見席にいるケイトの父親、護符屋のリシーカは友人に声をかけた。


 その姿は床に跪き、顔を両手で覆っている。誰もが注目する1級試験に娘が出ると知ったときから顔を真っ青にして、試合が始まれば娘が戦う姿を見ていられないと、このような情けないありさまになっていた。


「ケイトはもう負けただろう? し、試験だし、そんな怪我とかしてねえよな? な?」


「いや、負けるとか怪我するどころか、もしかしたら勝っちまいそうだぞ。おまえの娘……!」


「なんだと!?」


 最後尾の立ち見席から見下ろす演台の上は炎がくすぶり、黒煙がもうもうと立ち込めている。「急に立ち上がるやつがあるか!」と酒屋の持っていた飲み物をひっくり返したリシーカは大顰蹙を買いながら、ようやっと戦っている愛娘の姿を目に収めた。


「ああ、しばらく見ねえうちにすっかりいい女になっちまって……!」


「そんなわけねえだろ!」という酒屋のツッコミも届かず、リシーカは戦う娘の姿を目に焼き付ける。


 なんだかよくわからないが、ケイトが手を差し出し、教官役の先生の身動きを封じているようだ。降参を迫る凛とした声が響いてくる。


「ちくしょう。涙で前が見えねえぜ……!」


 涙と洟で顔をぐしゃぐしゃにしながら、娘の成長に歓喜する小汚い父の姿がそこにはあった。



 *



「――いっそふたりで負けちゃおうか」


 それは僅か数年前。

 幹部昇給を賭けた大一番の勝負の直前に言われた台詞だった。


 ラエル・ティオスが幹部との一騎打ちに勝利し、メガラーを抜けて以来、彼女と特に仲のよかった彼女たちは何かと冷遇され続けてきた。


 アンティスとクイン。ふたりは今日、ひとつしかない次期幹部候補の座を巡って戦うことになっていた。


 肩身の狭い思いを続けながら互いを励まし合い、魔法の研鑽を続けてきたふたりに降ってわいた大きな機会だった。そしてこの機会を逃せば、もう二度とふたりが日の目を見ることは無いだろう。


「私達ふたりとも相打ちになって、そうしたらメガラーからも見放される。外に出たらきっと自由になれる。私達の魔法の腕前があればどこでもやっていける」


 ことさら幹部の座に固執していたアンティスがそんなことを言うだなんて、クインは驚きすぎて言葉が出なかった。


 でもそれはとても魅力的な提案だった。ラエル、アンティスと過ごした日々は、この地獄のようなメガラーの中にあって陽だまりのような時間だった。


 そうだ、アンティスと一緒にメガラーを抜けられればきっとまた三人で一緒にやっていける。雷狼族の当主となるはずのラエルの元に身を寄せれば、あの頃と同じ時間が過ごせるかもしれない。


 そうしてクインは負けた。

 ここぞという時に、アンティスの甘い言葉が頭をよぎり、まったく実力が出せなかった。


 本気でやれば彼女を傷つけてしまう……。次の一撃でお互いが上手く撃ち合ったように見せれば……。次は、次こそ……。そうして最後に這いつくばっていたのはクインのほうだった。


「この女はメガラーの真意を理解することはできない半端者です。なので共有学校の間者として送り込みましょう。内部より動向を探らせるのです」


 言い放たれた言葉が理解できなかった。

 見下ろすアンティスは幹部の証である紋章と法衣を受け取り、クインを見下ろしていた。


「クイン、あなたはメガラーの門戸と叩くべきではなかったのよ」


 ああ。

 なんてことだ。

 こんなことならはじめから。

 殺すつもりで戦っていればよかった。


 友情なんて。愛なんて。

 なにひとつこの身にはいらない。

 心のすべてを黒く染め上げてしまえば。

 もう絶対、誰にも負けないはずだから――――



 *



『まさか、まさかまさか! 我々は今歴史的な瞬間に立ち会おうとしているのでしょうか!? ケイトさんの手から伸びた水精の糸が試験教官を務めるクイン先生を拘束しています! クイン先生の動きを封じてしまえば確かに試験終了となってしまいますが――』


『前代未聞もいいところですじゃ。もし初等部低学年の子供が1級試験に合格すれば、すなわちその瞬間から魔法導師号を得ることになりますわい。間違いなく最年少記録ですじゃ!』


 地鳴りのようなどよめきが会場を支配する。

 私は手綱を握り直すように水精の糸を持ち直した。


 お願い、これで終わって。

 私は祈るように糸を引き締める。

 糸を通してクイン先生の鼓動が伝わる。

 そしてこれは初めての経験だが、なんとなくだけど感情も伝わってくる。


 深い悲しみと絶望、そして激しい怒り。

 それらほの暗い感情が糸を通して私に流れ込んでくる。

 こんな、こんなことってあるの?

 これ以上触れていたら、私の心も黒く染まってしまう。


 そうして少しだけ、気持ちが緩んだ瞬間だった。

 これまでと比べ物にならないほどの炎と風が、クイン先生の全身から放たれた。


『こ、これは――、拘束されたクイン先生から熱風が吹き出ている!?』


『うちの学校の先生ながらホンに恐ろしい女ですわい!』


 ハヌマ学校長の言うとおりだ。

 クイン先生得意の炎に加え、今度は風の魔法まで。

 魔法師は本来全ての系統の魔法を修めなければならない。

 でも、基本的に一度に使えるのは一系統が限界だ。


 ――ネエムくん。

 ペリルに聞いた話しでは、彼は大怪我をしてしまい、恐らくナスカ先生と一緒にセーレスさんのところに向かったのだと思われる。そんな彼が土の剣に炎を纏わせて使っていた。


 ふたつの系統を同時に使うのは非常に難しい。

 魔素の制御もそうだが、なによりふたつの系統を組み合わせたことによる『反発』が予想されるからだと、ナスカ先生は言っていたが――――


「いいわ。あなたケイト、だっけ。一度見捨てた子の名前はすぐに忘れることにしているのだけど、また刻んであげる――――」


 グラグラ、グツグツと私の糸が蒸発していく。

 セーレスさんの『アクア・ブラッド』は何人にも侵すことのできない特別な水だと言っていた。


 でも私の創った糸は、炎に触れれば当然のように蒸発してしまう。先程から何度もクイン先生の攻撃を防いでくれた糸は200本分の糸を一本に寄り合わせたものだが、もう既に半分以下の強度になっていた。


「あなたの糸、とても強い糸だけど、こうして直接手を介さないと使えないのは不便よねえ。でも私の魔法は違う――――」


 先生の元に炎と風の魔素が急速に集まっていく。

 そして先生というし器を通すことで、『憎』の意志を付加された恐ろしい魔法へと変貌していく。


「あの時にもこの魔法を使っていたら、きっと今の私とアンの立場は逆転していたはず。当時の私には躊躇いがあった。優しさがあった。でももう迷わない――――!」


 熱風が私の目と肺を焼いていく。

 壁役の先生たちもどうにもできない熱い風が観客に襲いかかる。

 当然、私にだってどうすることもできない。


 手にしている糸も、どんどん蒸発している。

 伝わる憎悪の感情に、私自身も飲み込まれてしまいそう。

 この拘束が外れたらもうおしまいだ――――!


「ケイト、諦めちゃダメなの!」


「ケイト、がんばるです!」


「ケイトーッ!」


 演台の外から声が聴こえる。

 レンカとピアニだ。ペリルも一緒になって応援してる。


「ケイトッ! もういい! 試験なんてどうでもいいから、だから怪我だけはしないで、それだけでいいから――――!」


 観客席から聞き覚えのある声。お父さんだ。

 ホント、魔法学校に入りたいと言ったときも、そして勝手に行かなくなったときも。そして今こうして戦っているときも。いつも私のことを一番に考えてくれている。


「けっ、なにちんたらしてんだか。目覚めたらもう終わってると思ってたのに、まだ手こずってやがるのかっ!」


「ケイト、意地を見せるでござる! 自分の全部を出し切るでござるよー!」


 魔力を使い方して医務室にいるはずのコリスとハイアまで。

 ふたりして互いを支え合うように通路の入口にもたれ掛かっている。

 まだ全然動けないはずなのに無理して……。


「なんかすげーおもしろいことになってる!? やっちまえケイトー! クイン先生をぶっ飛ばせー!」


 クレスの声だ。

 見ればいつの間にか観客席の最前列にいる。

 彼がここにいるってことはネエムくんは無事だった?

 そして当然その隣には――――


「ナスカ、先生……!」


 私の魔法に意味を与えてくれたヒト。

 ふたりの精霊魔法使いと想いを通じ合わせるヒト。

 私たちには到底理解できない、不思議な魔法を使うヒト。


 そんなナスカ先生が私を見ている。

 コクリと、先生が頷いた。

 なんでも思うとおりにやってみろと。

 そう言われている気がした。


 そうだ。

 状況はまだ私が有利なんだ。

 クイン先生をつかむ糸は健在。

 でも先生から発する炎のせいでその強度はどんどん落ちていっている。


 さらにこの熱風。

 次第に炎さえ孕み始めている。

 時間が経てば経つほど、私が不利になっていく。

 どうする、どうすれば勝てる?


 あれ、今私勝つって考えた?

 なんだろう。試験の前はそんなこと考えてなかった。


 ただ、自分の成長した姿をクイン先生に見せて、私は落第者じゃないって、認めて貰おうって考えていたはずだった。


 それがどうしていつの間にか『勝つ』なんてことになったんだろう。

 これが欲なのか。私の中にも勝ちたいという欲があったのか。

 うん。まずはできることをしてみよう。


 不意に、私はクイン先生を拘束する糸を緩めた。

 途端――――


「なんですって!?」


 拘束されていた先生を中心に、演台の上にはもうもうと真っ白い霧が発生した。

 私の魔法――水精の糸はその実、膨大な量の水を凝縮させてできたものなのだ。


 引っ張って千切っても、糸は糸のままだが、私が魔力を通すのをやめると、バシャンと水に還る。その量は糸一本あたり手桶5杯分。ナスカ先生は15りっとるくらいだと言っていた。今ので大体糸80本分くらいの水が霧に変じたと思う。


 ただの水に還った私の糸が、今のクイン先生に触れれば、たちまち沸騰して蒸発しようとする。結果、自分の手元すら見えないほどの濃霧が発生したのだ。


 私は猛然と走り出す。瞼の裏に焼きついたクイン先生目掛けて全力で走る。先生の風にこの霧がすべて吹き飛ばされてしまう前に速く――――


「いた!」


 クイン先生は拘束が解かれたことよりも、視界のすべてを覆い尽くす濃霧に戸惑っているようだ。自分がどれだけ無防備を晒しているのか、気づいた時にはもう遅い。


「先生!」


 私の声に気づいたクイン先生が身構える。

 でもそれより早く、私は飛びかかっていた。

 残った私の武器は20本分ほどの強度しかない糸のみ。

 それだけを手に、クイン先生の首っ玉に抱きつく。


「あなた、何を――――ッ!!」


 触れた部分から、クイン先生の身体が強張るのがわかった。

 私は先生の背中で糸を両手に持ち替え、そのまま全体重をかけて糸を――――引っ張らなかった。


 先生の首に抱きついたまま、無意味な時が刹那に過ぎる。

 初めて間近に見つめるクイン先生の顔。

 厳しく他人を拒絶するその瞳は、やっぱり不安に怯えてる。

 こんなヒトを相手に、もうこれ以上何かをするなんて――――


「できるわけないじゃないですか」


「ひッ――――」


 呟いた瞬間、私の身体が浮き上がった。

 高速で遠ざかるクイン先生。

 視界が一気に晴れて、ようやく自分が風の魔法で吹き飛ばされたのだとわかった。


 受け身も取れない私は、そのまま演台の外にまで飛ばされ――そして、狙いすましたようにナスカ先生の腕の中へと収まった。


「ナスカ、先生」


「おつかれ」


「私、やっぱりできませんでした……」


「うん。そうだと思った。でもそれでこそケイトだな」


 張り詰めていた糸が切れてしまった。

 私は性も根も尽き果てて、ナスカ先生の腕の中に身を任せた。


『ケイトさんが場外!? 突如発生した濃霧の中で一体何があったのか!? ですが、結果だけ見ればケイトさんの敗北、クイン先生が勝利したようです!』


『対象的なふたりですじゃ。勝利したはずのクイン先生は呆然と立ち尽くし、負けたはずのケイトくんの方が全てを出し切った満足げな笑みを浮かべていますわい』


 どよめく会場。観客たちもどうして試験が終わったのかよくわかっていないようだ。


『とにかく、試験終了です! 前代未聞の第1級試験となりましたが、合格者は誰もいない結果に終わりました。ですが皆様、大きな拍手をお願いします!』


『敵わずとも難関に挑むその勇気、その姿勢に儂らは感動を禁じえませんわい。小さな勇者たちよ、感動をありがとう』


 そうしてようやく拍手の雨が私たちに降り注いだ。

 いつまでもいつまでも止まない拍手だった。

 私は耳をつんざくような賞賛の声を耳にしながら、ゆっくりと意識を手放した。


 続く。

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