第239話 魔法学校進級試験篇㉛ ケイトの糸は強い糸〜魔法高分子重合体

* * *



 例えば筆記試験。

 満点を目指した結果、九割しか点数が取れないことがある。でも、それは本来正しい。


 全力を尽くさなければ、恐らく九割にすら届かない。試験の点の取り方とはそういうものだ。


 当たり前にできるようになるまで問題をこなし、そうしてようやく満点という結果に近づくことができる。


 でも私の場合は違った。

 全力を尽くした。今までの短い生涯すべてを差し出してもいいと思えるほど力を振り絞った。でもその結果、1点しかとれなかったのだ。


 もちろん、私が満点――セーレスさんになれるとは到底思っていなかった。それでももう少し、せめて10点くらいは取れないかと密かに期待してしまっていた。


 だからこそ、私はとても落ち込んでいた。


「気にしちゃダメケイト、ね?」


 車椅子に座したセーレスさん。

 その傍らには藍色の鱗を湛えた水精の大蛇がいる。

 その大きさ、迫力はまるで神話の竜種そのものだと思った。


 これほど大規模な水の魔素の収束密度。

 そして魔力の強さ。『愛』の意志力。

 どれを取ってもさすがとしか言いようがない。


「プー、クスクス。なにそれー、すっごいちっぽけ。ホントに蛇のつもりぃ?」


 大蛇の頭の上に寝そべったセレスティア様が、私の手元を覗き込みながら笑っている。「こら、セレスティアっ」「だって〜」と母娘のやりとりが続くが、私は情けなくて涙目になった。


 セレスティア様の言うとおり、私がセーレスさんの大蛇を目指して創ったものは、どこからどう見てもヘロヘロの『糸』にしか見えない代物だった。


 セーレスさんのように動かすことなんてとんでもない。本当になにをどうしても蛇には見えない。なんでこんな物ができちゃったんだろう?


「おやつだぞー」


「お父様!」


『あいす』が入った袋を持ってやってきたナスカ先生にセレスティア様が抱きつく。抱きつかれた途端、ナスカ先生はビシっと岩のように固まった。そして顔を赤くしながら「落ち着けセレスティア。ゆっくり僕から離れるんだ」などと言っている。


 最近わかってきた。

 ナスカ先生って基本的に女の人が苦手なのかも。


 特にセレスティア様みたいな美女が抱きついてきたり、身体を押し付けたり、唇をせがもうとすると、途端に挙動不審になるのだ。


 セーレスさんはそんなふたりを微笑ましそうに眺めている。あくまで彼女の中でセレスティア様は自分の精霊、自分の娘なのだ。でもナスカ先生の方は、そうとは割り切れていないみたい。


 不思議だ。私のお父さんなんて、口では偉そうなことばっかりいってるけど、街に買い物に出ると、綺麗なメスの獣人を目で追いかけたりすることがある。


 それは、亡くなったお母さんのことは置いておいても男の人の性質で、仕方がないことなんだと思っていた。


 ましてやあんな綺麗なヒトに積極的に迫られれば嬉しくてしょうがないはずなのに……。


 ちょっとだけ。ナスカ先生って可愛いかも。


「ケイト?」


「は――――いや、なんでもないです!」


 不思議そうに首を傾げるセーレスさん。

 ごめんなさい。ホント一瞬だけの気の迷いです。

 何故かこの気持は深追いしてはイケない気がした。


「タケル」


 離れてもらう代りに、手ずから『あいす』をセレスティア様に「あーん」してあげているナスカ先生。そういうのは照れずに普通にしている。どういう基準で恥ずかしくなっちゃうのかよくわからないなあ。


「あのね、ケイトが初めて自分だけの魔法を使えるようになったの。見てあげて」


「おおっ、それを早く言えよ! すごいな、ついにか!」


 みんなの中では私が一番最後になる。

 今日で合宿の残りも十日。

 ようやく、自分なりの魔法を形にすることができたのだ。


「ケイトは確か、セーレスとおんなじ、水精の蛇を出そうとしていたんだっけ?」


「は、はい、一応、そうですけど……」


「どした? 早く見せてくれよ」


 ワクワク、といった感じでナスカ先生子供みたい。

 はッ――――いやいや、違う違う。

 でもでも見せるのはちょっと……。


「ケイト、大丈夫だよ。タケルに頑張った証、見せてみよう」


「は、はい……」


 がんばった。確かにすごくがんばった。

 でもその結果がこれってやっぱり恥ずかしい。


「あのねーお父様、ケイトったらね、ほら、そこの大蛇が創りたかったのに、できたのはショボショボなんだよー。プークスクスクス!」


「セレスティア!」


「ぶー、ホントでしょー」


 うう。セレスティア様の言うとおりだ。

 こんなの情けなくてとても見せられない……。

 試験まで残り少ししかないのにどうしよう。


「ケイト。いいから見せてごらん。最初から完璧なんて目指さなくていい。不完全で不器用な方が――きっと笑えるから」


「わ、笑うつもりなんですか!?」


 ナスカ先生ひどいです!


「はは。だってなあ、いきなり精霊魔法使いの創り出す水精の大蛇を創りたい! だなんて。ケイトって意外と夢が大きいというか、カッコつけたがりなんだもんなあ」


「ちが、私、そんなんじゃ……!」


 いや、意外とそうかも。

 学校に行きたくなくなったのも、クイン先生が怖いっていうのもあったけど、自分が『憎』の意志の元、魔法で相手を傷つけるのが嫌だ……なんて理由だった。


 今考えれば私ってば何を言ってるんだろう。まだ最低限の試験すら受けたことがない半人前以下の分際で、もう魔法が使える気でそんなことを言っていたのだ。実際自分で魔法の修行をしてみると、なんてバカなことを考えていたんだろうと呆れてしまう。


 魔素の収束ではピアニの方が遥かに上だし、魔力ではハイアの足元にも及ばない。レンカほど飛びぬけてもいないし、コリスほど吹っ切れてもいない。クレスなんてほとんど遊びながら魔法が上達してるし、ペリルも自分がどれだけすごいことしてるかまるで自覚していない。


 私ってすごく中途半端。

 もういいや。笑うなら笑え。

 これが今の私の全部だもん!

 文句あるか!


「〜〜〜………………ナスカ先生?」


「コイツは…………糸か」


 ナスカ先生は笑わなかった。

 真剣そのものの表情で私が差し出した手の中を見ている。

 その様子に笑っていたはずのセレスティア様も押し黙ってしまった。


「触ってもいいか」


「は、はい、どうぞ」


「ふむ。じゃ、失礼して」


 先生は指先で糸をつまみ上げる。


「ひゃん!」


「なに?」


「い、いえ、別に!」


 先生の爪で手のひらを引っかかれって声が出てしまった。

 私、すっごく緊張してる!?

 それとも相手がナスカ先生だから?

 いやいやいや……。


「細いな。ほうほうほう………」


 ナスカ先生は自分の手の中で糸を弄びながら、端っこと端っこを指先に絡めて、クイクイっと引っ張ったりしていた。


「なるほどね」


「なにがなるほどなんですか?」


「いや、もうちょっと待ってくれ。真希奈――!」


『はいタケル様』


 空間全体から真希奈先生の声がする。

 妖精種である真希奈先生は今はなぜか、この空間――時間の流れが外より遅くなる空間を維持するための制御をしてくれているらしい。


「いろいろテストをしたい。鎧を出してくれ」


『かしこまりました』


 出た。

 この合宿が始まってから何度も目にしている先生の鎧。

 明らかに禍々しい気配を放つその鎧は、見たことも聞いたこともない造形をしていて、こんなものとてもではないが獣人種の列強氏族だって造れはしないと思う。


 特にペリルがこの鎧の造形を気に入っていて、先生にせがんでは見せてもらっているようだが、正直私は見てるだけで背筋が寒くなってしまう。


「真希奈、遠隔操作モード」


『了解。遠隔操作モードに移行します』


 先生がそう言うとヒト型の鎧がひとりでに動き出した。中身が空っぽのはずなのに、まるで誰か入り込んでいるみたいになめらかな動きだ。


 鎧は先生から糸を受け取ると、先程先生がしたように、糸の端っこと端っこを指先で挟み、ピンっ――と引っ張った。


「真希奈、僕と視界をシンクロ。計測開始」


『魔力線によるラインを構築。視界同調。計測開始します』


「龍慧眼」


 言葉の意味はまるでわからないが先生は真剣な顔つきだ。

 セーレスさんとセレスティア様も固唾を呑んで見守っている。

 そして、ヒト型の鎧の手がグググっと動き、引っ張られていた糸があっさり切れてしまう。


「先生、あの……?」


「足りない。ケイト、もっと創って」


「え、ええ? どれくらいあればいいですか?」


「とりあえず、魔力が尽きるまで」


「えええ〜!?」


 なんなのもう、わけわかんない!

 でもナスカ先生は「早く」と急かすばかりだ。

 私はもう諦めた気持ちになって、水精の糸を創り続けた。


「真希奈、どうだ?」


『非常に大きな分子構造を持っています。もうすでにこの糸自体が単量体モノマーと呼べる存在です』


 ぶんし?

 ものまーってなに?


 ナスカ先生はさっきから何度も糸を引っ張っては千切り、引っ張っては千切りを繰り返している。

 

 もう限界。

 一体何本糸を創ったんだろう。

 これ以上は一本だって創れないよう。


「ケイト、つまりおまえの糸はこういうことだ」


 私が地面でへばっていると、ヒト型の鎧が動く。

 その無骨さからは想像もできないほど精緻で繊細に指先を動かし、私が創り出し、先生に渡していた水精の糸の束を器用に織り重ねていく。


 なんだろう、職人さんがはたを織るような感じに似てるかも。


 そうして出来上がった糸は、見た目は全然変わらないように見える。

 長さは、私が両手を広げたくらいあるだろうか。


「真希奈、再計測開始」


『かしこまりました。再計測を開始します』


 ヒト型の鎧が先程と同じように糸と糸の端っこを引っ張る。

 あれ、なんだかさっきより切れにくくなってる?


『100、200、400、700、900、1000、1400、1500――――限界です。高強度重合体ポリマー実験終了します』


「おおっ、すっげえ! はは、マジか!」


 ナスカ先生は手を叩いて大喜びだ。

 もう全然わけがわからなすぎて泣きそう。


「タケル、説明して。ひとりで喜んでないで、みんなで喜ぼう?」


「あ、はい」


 ちょっとだけ低くなったセーレスさんの声にナスカ先生が静かになる。

 でも楽しそうな顔はそのまま、ヒト型の鎧から受け取った水精の糸を私に差し出す。


「今ケイトが創った糸を100本ほど編み合わせて一本の糸を創ってみたんだ。それで聞いて驚け、なんと1,5トンもの張力があったんだよ!」


 私、セーレスさん、セレスティア様。

 三人が一斉に首を傾げた。

 とん、ってどんな単位?


「えっと、つまりだな、それ、そこの大蛇!」


 ナスカ先生はセーレスさんの水精の大蛇を指差す。とぐろを巻いた胴体と大きな頭部。舌先をチロチロ出しながら、地面の上にゆるゆると蠢いている。


「そこの大蛇の重さとおんなじモノを、その糸で引っ張ることができるってことなんだ!」


「えっ!?」


 いや、そんなバカな。

 こんな細い糸であの大蛇を?


「そうだな、もっと身近なもので説明すると髪の毛だ。髪の毛一本を引っ張って切るためには大体150グラム…………クルプの卵三つ分を持ち上げるのと同じだけの力が必要なんだ。ここまではわかるか?」


「髪の毛……クルプの卵……はい、一応わかりました」


「その髪の毛を一万本束にしたときの張力と同じ強度をその糸は持ってるんだ! これって超すごいことだぞ!」


「そ、そうなんですか!? 私の糸がそんな力を!?」


 それは確かにすごい。

 こんなに細い糸が髪の毛を一万本も束ねたときと同じ強さで、しかも引っ張れる強さはセーレスさんの大蛇の重さと同じだなんて。


「そ、それで先生、この糸、どう使ったらいいでしょうか。試験にもどんな風に臨んだらいいでしょう?」


 私がそう言うと、ナスカ先生は固まった。

 セレスティア様に迫られたときと同じようにカチンコチンに動きを止めている。

 あれえ……やっぱり私の魔法ってダメ? 使えないのかなあ?


「ケイト、僕の故郷には『あやとり』っていう遊びがあってだな…………」


「はい?」


 こうして私は、合宿が終わるまでの十日あまり、ナスカ先生の故郷の遊び、『あやとり』なるものの猛特訓をすることになったのだった。


 続く。

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