第235話 魔法学校進級試験篇㉗ 私闘を見守る牛娘と狼娘〜もう昔には戻れないけど

 * * *



「あっはっは、ダメでござったか! あーはっ――――あが、いだだだだ、でござるぅ!」


「おとなしく寝てろ」


 医務室の上等なベッドの上には全身包帯だらけのハイアが横たわっていた。

 全身筋肉痛で首を動かすこともできないようで、天井を見つめたまま瞬きもせずに笑っている姿はちょっと怖い。


 僕はハイアの隣のベッドに気絶したコリスを横たえ、あとは医務室の先生に任せる。


 コリスは魔力を限界ギリギリまですり減らして、疲労困憊で失神といったところだ。前半にレンゲル氏から受けていたダメージが気になるが、それほど大事はないだろう。たっぷり寝て、起きて飯食って寝てれば治ると思われる。


「で、おまえの調子はどうだ?」


 僕は水差しをハイアの口に近づけると少しずつ、舐めさせるように水を飲ませた。


「んぐ、んぐ、ぷは。正直言って、首を動かすのもシンドいでござる! 指一本動かせないでござるよ! もっともっと鍛えないと『ちょうとっきゅう・かい・おんそくけん』は使いこなせないでござ――るっ!?」


 ハイアは再び馬鹿笑いをしようとして、全身の痛みに押し黙った。

 やれやれ、たった一発でこのザマだが、本人はとにかく嬉しそうだ。


 無理もない。ずっと落伍者の烙印を押されていた子どもたちが、自分自身の力で大人たちを見返しているのだ。まさにしてやったりの心境だろう。


「そんな無理して鍛えなくてもいいぞ」


「ござる? 先生、それはどういう……?」


 僕はハイアの胸に手をおいてグリっと押してやる。途端「アダダっ!」と痛がった。


「今までが今までだから嬉しいのはわかるけど、焦りすぎるのはよくない。おまえはまだ子供なんだ。放っといたって年々身体はでかくなるし、それに比例して魔力も増えるだろう。逆に無茶な鍛え方をすると、成長を阻害するぞ」


「ござる、ござる! 分かったでござる!」


 僕はパッと手を離しながら、そういえばと思い出す。


「クレスとペリルを見なかったか? あいつら昼休みからずっといないんだよ。医務室ここに顔出さなかったか?」


「いや、来てないでござるよ」


「マジか。どこ行ったんだあいつら……」


 うーん。まさかとは思うが、今更試験にびびったのだろうか。

 いや、合宿のときもアレほど手応えを感じていたのだ。

 何もしないで試験放棄などしないはず。多分。


「ラエルに捜索を頼んでたけど、どうなったかな…………?」


 クレスとペリルが間に合わないとなると、次は順番的にケイトだ。

 相手は彼女のトラウマの元凶であるクイン先生。

 この対戦は実はケイトが自ら進んで選んだものである。


 ケイトには目標ができた。

 師であるセーレスのような癒やしの魔法を習得し、困っている者や怪我をしている者を癒やしていくという目標が。


 それを成すために、彼女は自分のトラウマを超える必要がある。

 彼女はやれる。もう以前のようにクイン先生の『憎』の意志に飲み込まれることはないはずだ。


『会場内に業務連絡です。ナスカ・タケル先生、ナスカ・タケル先生、次の試験が始まります。至急演台へお越し下さい。繰り返します――――』


 医務室にまで轟くリィンさんの拡声風魔法。

 僕は苦いモノを噛んだ顔でハイアに手を振り退室する。

 ホント、どこ行ったんだあいつら――――



 *



 試験会場の熱気も程遠い鬱蒼とした森の中。

 共に赤猫族の少年ふたりが闘志も顕に対峙していた。


 片方は土精の剣を手に憎悪をむき出しにして。

 もう片方は口元に涼やかな笑みさえ浮かべていた。


「なんだ、何をしてるんだキミは……!」


「よっ、ほっ、何って、へへ、『りふてぃんぐ』って言うんだってさ。ナスカ先生が教えてくれたんだ!」


 クレスは鮮紅の火球を、一定の間隔で交互に蹴り上げている。


 炎の尾をたなびかせながら膝の上で跳ね返ったそれをさらに足で蹴り上げ、落下してきた火球の下にするりと頭を滑り込ませ、なんと額で受け止めてしまう。


 さらに首や身体を前後左右に動かしながら、火球が落ちないように保持しているではないか。


 その光景を見たネエムはギョッとした。


「あ、熱くないのか!?」


「えー、なんで? 自分で作った魔法で自分が怪我するわけないじゃん!」


 さらりと告げられた言葉にネエムは言葉を失った。

 相手を傷つけるために創り出された魔法で自分が怪我をしないなんてありえない。

 つまりそれは最初から相手を傷つける意図がない、ということなのか!?


「クレス、キミってやつは……、どこまで僕を惨めな気分にさせたら気が済むんだ!」


 滾る『憎』の意志。

 ほとばしる魔力。

 蒐集される土の魔素に従い、クレスの足元が泡立ち始める。


 それを認めた瞬間、クレスはファイアー・ボールを大きく蹴り上げる。

 と同時に四肢を地面につき、猫のように跳躍した。


 クレスの身体は掻き消え、今まで彼がいた空間を幾本ものグランド・スピアが貫いていく。


「あっぶねー!」


 クレスは大木の幹に手足を縮めた猫のように張り付いていたのもつかの間、木の幹を思い切り蹴り上げ、隣の木へと飛び移った。


「ネエム、森の木々は大事にしなきゃダメなんだぞー」


 ブラブラと、片手で枝に掴まりながら親友を見下ろす。

 ネエムが繰り出したグランド・スピアの先端が、大樹の幹を深々とえぐっていた。


「はあはあ、はあああ…………ちょこまかと動き回りやがって! さっさと串刺しになれよ!」


「嫌だよ。さらっと無茶言うねおまえ」


 枝から飛び降りたクレスの頭上からファイアー・ボールが落ちてくる。

 大きく胸を反らせてそれを受け止めると、再びクレスの『りふてぃんぐ』が始まった。


 ネエムの苛立ちは絶頂に達し、さらなる『憎』の意志を迸らせるのだった。



 *



「そなたの弟子の魔法……やや熱い、か」


「え、ちょ、なんなのこれ〜、もしかしてこれって〜?」


 どこからどうみても私闘である。

 ひときわ高い大樹のてっぺんから見下ろす先に、アンティスの愛弟子と、あの忌々しい灰狼族の男の教え子とが戦う姿があった。


「な、なんでこんなことになってるの〜! というか止めさせないと〜!」


「待て」


 足元を震わせながら太い幹にしがみついてたアンティス――アンをラエルが制する。


 見つめるその先には、再びグランド・スピアを繰り出すネエムと、それを軽快に躱しながらファイアー・ボールを手足のように操るクレスの姿がある。


 ラエルはふたりの戦いを見つめながら、その周辺にも素早く視線を送り、「ふう」とため息をついた。


「今暫く見守るぞ」


「な、なに言っちゃってるのラエルちゃん〜! 今すぐとめてよ〜! っていうかうちの子に喧嘩売ってるあの子をとっちめてやらないと〜!」


「そなた本気で言ってるのか? どこからどうみても暴走しているのはそなたの弟子の方ではないか」


 言われた瞬間、アンは足場の悪さも忘れてネエムに掴みかかった。


「ふざけないで〜! うちのネエムに限ってそんなことするわけないでしょ〜! あの子は大人しくて素直で、すっごくいい子なんだから〜! それに魔法だって優秀だし〜!」


 純粋に弟子を信じ、庇ってやるアンの姿は尊い。だがラエルは哀れみの表情を浮かべながら、優しく諭すように言った。


「それはきっと、そなたの前では面従腹背めんじゅうふくはいだったのだろう。そなたには見せない本当の顔があの少年にはあったのだ。見てみよ」


 そう言ってラエルは、ふたりの少年が戦うさらに向こうの、木々が開けた場所を指差す。


「あれに横たわるは魔法学校の生徒である。掘り返されたような地面の跡から察するに、そなたの弟子の魔法によって気を失っているようだ」


「そ、そんなことありえない! なにかの間違いよ〜!」


 ラエルのマントを掴み上げながら、アンティスは震えていた。

 自分の風魔法で飛ぶ以外では基本的に彼女は高所が苦手なのである。


 それなのにもかかわらず、一本枝に屹立したまま、弟子を庇うために必死に食い下がっている。彼女がそこまで懸命になる理由にもまた、ラエルには覚えがあるのだった。


「自分の知らない弟子の一面を認めるのが怖いか? また再び裏切られたようで、目を背けたくなるか?」


 アンティスの表情が凍りついた。

 その瞳は光を失い、遥か過日を思い出すように揺れている。


 かつて三人で研鑽し合ったメガラー派閥の徒弟。

 アンティス、クイン、ラエル。


 何一つ不安はなく、怖いものはなにもなかった。

 だがある日突然、ラエルの強い決断によって、それまでの日々は脆くも崩れ去った。


「言い訳をするわけではないが、私は後悔していない。そなたたちとの日々は楽しかったが、このままではメガラーという大きなうねりに飲み込まれるとも思っていた」


 希望を抱いて入った名門私塾は蠱毒こどくの壺だった。

 やがて無二の親友たちとさえ殺し合いをしなければならないほどに。


 他者を蹴落とし、踏みつけ、さらにトドメを刺さなければ生き残れないほど、暗躍と裏切りが渦巻く恐ろしい場所……それがメガラーだったのだ。


「メガラーが私を汚すものでしかないとわかったとき、私はメガラーを辞める決意をした」


「だったら、どうして私やクインちゃんに相談してくれなかったの〜……!」


「許せとは言わん。それは私自身の弱さだった。そなたたちを巻き込む勇気がなかった。結果的に、アンにもクインにも悪いことをしたと思っている」


「今更そんな言葉なんか…………!」


「そうだな」


 ラエルはアンティスを抱きしめる。

 あの頃よりずっと魅力の増した女性らしい肢体。


 でも、気弱で泣き虫なところはまるで変わっていない。

 ズボラで脱ぎグセのあるところもそのままだ。


「ヒトには誰しも秘めたる思いがある。他者には見せられない自分だけの領域があるのだ。それをさらけ出すのは、たとえ相手が親友とはいえ恐ろしい。拒絶されるかもしれない、否定されるかもしれない。相手が大切であればあるほど、巻き込むことを躊躇してしまう」


「私は! クインちゃんだって! ラエルちゃんがいなくなったことのほうがずっとずっと嫌だった!」


「そうか…………。私はその言葉が聞けただけで満足だ。だが、せめてそなたとクインだけは今からでも歩み寄って――――」


 ラエルがそう言いかけたとき、アンティスは突き放すようにラエルのぬくもりを振り払った。


「もう何もかも遅いの〜! 私とクインちゃんはもう、昔のようには戻れない。それだけのことを私は彼女にしてきた――――今更なかったことになんてできないよう〜!」


 アンティスはメガラーの教えに飲み込まれた。

 一番の親友を蹴落とすことで彼女は今の地位にいる。


 それは取り返しのつかないこと。

 時間を巻き戻すことはできない。

 だが――――


「そうだな……だが新しい世代は違う。少なくともあのふたりは、互いの胸襟を開き、本音でぶつかりあっているように私には見える。私たちにはできなかったことだとは思わないか?」


「ネエムが…………?」


 眼下の戦いを振り返りながら、アンティスの目尻からポロポロと涙が零れる。

 ラエルはその肩を背後から抱き寄せようとして、やめた。


 ラエルはいつでも飛び出せるよう、魔力を滾らせながら、赤猫族少年ふたりの戦いを見守る姿勢に入る。


「今は好きにさせよう。無理やり止めてしまえばきっと後に禍根が残る。私達のようにはなってほしくはないからな…………」


「うん…………」


 ぐすん、と鼻をすすりながらアンティスはへたり込んだ。

 枝に跨り、『憎』の意志を撒き散らす愛弟子を見つめる。


 子供が可愛ければ可愛いほど、大切であればあるほど、大人とは切れない剣を与えてしまいたくなるものだ。


 だが、時に痛みを伴わなければ覚えないこともある。そして弟子の成長を信じてただ見守ることは、とてもつらいことだった。


「私〜、一体あの子の何を見ていたんだろう〜?」


 手のかからない子だと思っていた。

 物覚えがよく、礼儀正しく、世話焼きな子だった。


 いや、きっとそれはアンティス自身が、自分にとって都合のいい部分だけ切り取って見ていたのだ。あの子の聞き分けのよさに、彼女自身も甘えていたのだ。


「教育って、すごくすごく難しいね〜」


「それは同感だな」


 下では、火球と土精の剣がとがぶつかり合い、激しい火花を散らしているのだった。


 続く。

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