第234話 魔法学校進級試験篇㉖ コリスの全力全開〜狂気を宿す風魔法

 * * *



「むぅ!?」


 レンゲル氏が警戒も顕に棍を構え直す。


 彼の眼前にはコリスがゆらりと立ち上がっていた。

「はッ、はッ、はッ」と、荒く激しい呼吸を繰り返しながら、やや瞳孔が開いた目で見据えられ、これまでとは違う雰囲気を感じたようだ。


「よくぞ立った小僧。だがそれがどうした。ただそうしているだけでは私は倒せないぞ」


 棍を片手に突き出し、レンゲル氏は踏み込みながら体を開いた。押し出され、唸りを上げて迫る棍の先端はコリスの脇腹を掠める。銅の真ん中を狙ったはずがローブを引き裂くにとどまったのだ。


「なにっ!?」


 レンゲル氏が驚くのも無理はない。

 今までコリスは攻撃に対して下がってばかりいた。

 それが今は絶妙なタイミングで前へと進みながら躱してみせたのだ。


 本当に危ないのは恐怖に屈して不用意に下がること。

 前に出ながら躱すことはそれ以上の恐怖だし、とても勇気のいることだが、本当の活路は進むことでしか得ることができない。それが戦いの……武道の鉄則なのだと僕の師匠が散々言っていた。


「ふッ――――!」


 レンゲル氏は突き出して伸び切った棍に回し蹴りを叩き込む。棍が横薙ぎに迫り、コリスそれを飛び上がることで避ける。


 だがその飛び上がり方は異常だ。ブワッと足元が持ち上がり、身体を前のめりに、水平状態になったコリスのすぐ下を、棍が高速で凪いでいったのだ。お陰でローブの胸元がはじけ飛び、ほとんど半裸に近い状態になってしまった。


「審判待てだ。小僧、服装の乱れを直せ」


 レンゲル氏が自分の上官であるレオーノフ氏に対してタイムをかける。レオーノフ氏もコリスの有様に頷き、待ったをかけようとするが――――


「止めんなああああッ! せっかく温まってきたんだからよぉ…………!」


 歩み寄ろうとするレオーノフ氏を怒鳴りつけ、コリスはボロボロのローブをさらに引きちぎり、放り出すように靴も脱ぎ捨てた。


「何ッ!?」


 ローブの下から出てきたのは、子供らしく小さく、そして細く引き締まったコリスの身体。そしてその身体を包むのは、スポーツブラとショートスパッツだ。


 地球ではダンスレッスンなどに使われる子供用のインナーだが、魔法世界マクマティカでは下着にしか映らないだろう。


 完全に身軽になったと言わんばかりにコリスはその場で飛び跳ね、タイミングを図るようにステップを踏み始める。だがその行動はレンゲル氏の逆鱗に触れたようだった。


「貴様、神聖な1級試験をなんと心得る! その破廉恥極まりない格好を疾くやめよ!」


「うるせえ! アーク巨樹みたいに薄らデカイ図体して細かいこと気にしてんじゃねーよ。それともなんだ、てめえ俺の身体に興奮してやがるのか!?」


 コリスはその場で腹を抱えて笑いだした。

「ひゃーはははッ!」と下品な哄笑が演台に響き渡る。


「コイツは傑作だ。騎族院の審議官様ともあろうものが衆道者であらせられましたか! しかも小児趣味まであるとは恐れ入るぜ!」


「こ、小僧……! 我を愚弄するか…………!!」


 レンゲル氏の顔面は真っ青になっていた。

 それは怒りに伴い、脳に送られていた血液が全て四肢の末端に集まっていることを現す。つまり、本気の戦闘モードに入ったのだ。


「オラ、ちゃっちゃとかかってこいよ! 俺の尻の匂いを嗅いでみやがれ!」


 挑発に継ぐ挑発。

 遥か格上の相手を侮辱し怒りを掻き立たせるコリス。

 それもこれも全てはコリスの特性を際立たせるための計算された行動だ。


 試合開始からレンゲル氏は試験官としてコリスを必要以上に痛めつけることはしなかった。当然といえば当然の行動だが、それではコリスの真価は発揮できない。


 コリスは本当の危険が迫った時、生命を奪われそうになるギリギリのラインで、自分自身を対価に極限の集中力を発現させるのだ。


「もう終わらせるぞ。この汚れた試験はまったき無駄な時間であったわ!」


 繰り出される棍の先端は容易に目の速度を超える。

 それを認識して躱すことなど常人には不可能である。

 だが、獣人種の動体視力と身体能力はそれを可能にする。

 ただし、相手も獣人種であった場合にはその限りではないのだが――――


「なに!?」


 全身をフル稼働させて振り下ろされた棍が石畳を砕いた。

 コリスは既にその場にはいない。まるで横にスライドするように瞬間的に移動し、棍を躱してみせたのだ。


「フンッ!」


 再びレンゲル氏の回し蹴り。

 そのつま先は正確に棍の芯を捉え、凄まじい勢いで薙ぎ払いが行われる。


「遅えッ!」


 またしても空を切る棍。

 飛び上がったコリスを追撃するため、レンゲル氏は手元に棍を引き寄せて構え直す。だがもう既にその場にコリスの姿はなかった。


「小僧、貴様は――――!?」


 怒りよりも驚きの方が勝ったのだろう。

 レンゲル氏は瞠目とともに空中を見つめる。

 そこには、縦横無尽に宙を飛び回るコリスの姿があった。


『こ、これはどうしたことでしょう! 先程まで一方的だった戦いがここにきて大きな変化を迎えています! な、なんとコリスくんが空を飛んでいる――と言っていいのでしょうかハヌマ学校長!?』


『いえ、恐らくじゃがごく短い時間、強い風を噴射させて滞空しているようです――が、あの子は手だけではなく、足からも風を出しているようですじゃ』


『足からも、ですか!?』


 その通り。

 コリスは空を飛べるわけではない。

 瞬間的に手のひらと足の底から、自重を打ち消せるだけの風を打ち出すことができるだけだ。だがそれを連続で行うと――あのような変速極まりない機動になる。


 今のコリスは糸が切れたたこのようだ。

 くるくると回転したかと思えば、キリキリと錐揉しながら、右に左に上下前後に移動を繰り返している。


 その動きは完全にデタラメなのだが、デタラメ故に捉えることは至難の技だった。


「な、なんなのだ貴様、それは風の魔法なのか小僧!?」


 コリスは手足の先から風を打ち出し、まるで空中をピンボールのように跳ね回っている。そして「しッ!」という呼気。次の瞬間、レンゲル氏は自身の頭上を棍でかばった。


「チッ――――」


 コリスの舌打ち。

 彼の鋭い蹴りがレンゲル氏の脳天を打ち据えたかに見えたが――流石は審議官。僅かな呼吸の変化を捉え、すぐさま対応してみせた。


「まだだ、もっと速く――――」


「このっ!」


 レンゲル氏が棍を突き出すが、コリスは遥か高く飛び上がったあとだった。

 飛び上がるときもまるで足踏みをするように足を交互に踏みしめ、あたかも見えない階段を登っていくように上昇する。その様に堪らず会場からも歓声が上がった。


『ここにきてコリスくんが初めての反撃! 矢のような速度でレンゲル審議官に迫り、雷のような蹴りを叩き込んだ!』


『なんと……! 儂らは目が曇っていたようですな。あの一見メチャクチャに見える動き、なかなか見切るのは苦労しそうですわい』


 リィンさんもハヌマ学校長も、そして会場の観客もみんながみんな、首が痛くなるほど上空を見上げる。20メートルほども駆け登ったコリスが太陽サンバルを背負い、上下逆さまに突撃を開始する。


「舐めるな小僧!」


 棍を振りかぶったレンゲル氏はバッターよろしくコリスに向けてフルスイング。

 だがその直前、コリスの身体が曲がった・・・・


 垂直から直角にその身体がきりもみしながら流れ、再び凄まじい勢いでレンゲル氏に突撃する。


「馬鹿な!? これが先程までの洟垂れ小僧の動きだと言うのか!?」


 コリスの放ったロケットのような膝蹴りを棍の腹で受け止めながら、レンゲル氏は戸惑いの声を上げる。それはそうだろう。傍から見てたら完全にドラゴ◯ボールの天下一武道会準決勝みたいな戦いだもの。


「まだまだァ――、ひゃっはー!」


 コリスは止まらない。

 膝蹴りを受け止められるやいなや、返す足で回し蹴りを叩き込み、それすらも受け止められると、今度は足裏から風を吹き出しながらレンゲル氏に肉薄。目にも留まらぬ連続パンチを繰り出した。


「うおおおおッ、なっ、なんというデタラメな攻撃! だが――――」


 速い。

 武術の達人であり、魔法師でもあるレンゲル氏はコリスの遥か上の実力を有している。だがそんな遥か高みにいる彼に追いつける要素があるとすれば、コリスの速度と、そして予想困難な軌道から繰り出される攻撃だろう。


 手足を伸ばしたり縮めたり、手のひらや足の裏を僅かに傾けたりすることで、コリスは突如垂直に移動したり、水平に動いたりすることができる。


 それを連続ですることで、棍の打突点をずらしたり、瞬時になぎ払いの範囲から脱したかと思えば、即座に懐へと飛び込んでくるのだ。


 それを可能としているのがコリスの見切りの早さだ。

 見切りとは、武道において相手の動きに対する対応や、状況判断のことを言う。


 追い詰められたことで極限の集中力を発揮し、棍の動きを持ち前の動体視力で捉えたコリスは、ノーモーションで躱し、再びノーモーションで攻撃を繰り出す。


 それは起こり・・・を捉えるのが困難ということ。

 攻撃の際の前準備として腰を動かしたり、重心を移動させたり、肩を持ち上げたり……などと言った予備動作が殆ど無いため、レンゲル氏を追い詰めることに辛うじて成功しているのだった。


「ッ、かあああああッ――――!!」


 突然の奇声。

 レンゲル氏の周囲に再び土埃のベールが巻き起こり、コリスの視界を奪う。

 その隙きを見逃さず、繰り出されたレンゲル氏の棍がコリスの胸に突き刺さった。


 弾かれるようにコリスが吹き飛ぶ。

 レンゲル氏は土埃のベールを纏いながら棍を構え直した。


「軽い。そうか、手のひらから風を出して受け止めたのか――――」


 確かにコリスは両手のひらを胸の前に掲げ、棍の先端を受け止めたようだ。全くダメージのない様子で演台の上に着地する。


『し、信じられませーん! 僅かな時間の攻防でしたが、とてつもない密度でした。前半の動きが嘘のようなコリスくんの凄まじい攻撃。今までの試験を通して、これほど我々の胸を熱くさせてくれる戦いがあったでしょうか!』


 リィンさんの間隙を突いた的確な解説に会場から拍手が湧き起こった。

 だがその賞賛を受けるコリスは深い集中の淵におり、まったく周りの声が聞こえていないようだ。


 かんの目でレンゲル氏を見るともなしに視界に収めながら、再び軽快なステップを踏んでいる。


「ふ、ふふふ…………これで初等部低学年だと? 小僧、コリスと言ったな。まさかこれほどとは驚いたぞ。だがな――――」


 レンゲル氏の周囲に土の魔素が集う。

 彼を守るように渦を巻いていた土埃がその様相を変える。

 今まで細かな粒子状だった土埃が土礫どれきへと変貌したのだ。


 無数により集まった土礫は石と同じ硬度を持ち、それが互いに干渉することもなく完全に制御されたまま、レンゲル氏を守る壁と化している。


「我を守りし土礫の壁。この中に飛び込んでくる勇気はあるまい。飛び込んだが最後、四方八方から土礫が貴様に襲いかかり、全身が引き裂かれてしまうだろう。さあ、試験は終わりだ、疾く降参しろ!」


 それは、レンゲル氏がコリスを認めた瞬間だった。

 わざと己の真の実力を見せつけ、降参を迫る。


 これが本当に生命を奪い合う戦いなら、彼は黙って土礫の壁を展開すればいいのだから。


 だがこれ以上は彼も本気を出さざるをえない。怪我をさせるには惜しいと、コリスの実力を認めた上で譲歩しているのだ。だが――――


「けっ、つまんねえことほざくなよノッポ野郎が。最高じゃねえか。俺がくたばる前にてめえをブチのめしてやるぜ――――!」


「き、貴様、正気か! まさか狂っているのか!?」


 うん、そうなんだ。

 そうなったときのコリスは頭のネジが飛んじゃうんだ。

 でもそろそろだと思うんだけどな…………。


「行くぜッ、これが俺の全力全開だあああああ!」


 コリスは足裏で風を踏み上げると、両手の平を左斜めに揃えてまっすぐに突き出す。


 手のひらから発射された風がコリスの身体をクルクルと回転させる。

 その間にもコリスは風を踏み続け、滞空したまま高速で回り始める。


『速い速い速い――! どこまで速くなるのかコリスくん!』


『見てるこっちの目が回りそうですわい!』


 高速回転するコリスが不意に掻き消える。

 ボッ、と風を足裏から噴射させ、真横に、左に右に断続的に移動しているのだ。


 まるで独楽が反発して軌道を変えるような、あるいは浮遊するUFOのような動きだった。


いたし方なし! 引導を渡してくれるわ!」


 土礫の壁もまた渦を巻いて竜巻の様相になった。

 コリスはその竜巻の回転力+自身の勢いも合わせて飛び込むことになるのだ。

 まさにそれは決死の特攻を意味するのだが――――


「試験終了おおおおお! それまで――――!」


 極限まで高まった緊張感を打ち破る大声だいせい

 息を呑んでいた会場がざわめく。

 観客達の視線は演台に上がった僕へと集まっていた。


『レオーノフ審議官が唐突に試験の終了を宣言しました! 演台の上にはコリスくんを教え子に持つナスカ・タケル先生の姿があります! これは彼が試合を止めたのかー!?』


 まあ結果的にはそうなんだけど…………そろそろ時間だ。

 空中で回転を続けていたコリスが、グンっと、突然あらぬ方向に弾き出された。


 全身を投げ出した弛緩状態で、演台の外へと吹っ飛んでいく。

 僕はそれを追いかけてキャッチ。危なげなく着地する。

 腕の中のコリスは完全に気を失っていた。


「なんだと……どういうことだ?」


「悪いね、こいつ全力だと三ミン(分)しか戦えないんだ。だからあんたの勝ち」


 僕がそう宣言すると、レンゲル氏は土礫の壁を霧散させ、「解せぬ!」みたいな苦々しい顔をした。


『終了、試験終了です! 大健闘を見せたコリスくんでしたが、最後の攻撃を前に力尽きてしまいましたー!』


『いやあ、これは幸いでしたわい。あの速度で突撃すれば生命も危なかったかもしれませんなあ』


 観客たちもようやく、魔力を使い果たしたコリスが気絶したことを理解したようだ。前半の静けさが嘘のように拍手喝采を送っている。


 やれやれ、ヒヤっとしたな。

 いざとなれば飛び込んでいく覚悟だったが、時間切れが間に合ってくれてよかった。


「貴様――ナスカ・タケルと言ったな」


 演台の上から歩み寄ったレンゲル氏が僕を、正確には僕が抱えるコリスを見下ろしていた。


「貴様の教え子、見事であった! ただし、言葉遣いは直させよ!」


 それだけ言い残すとレンゲル氏は踵を返して去っていく。

 僕は丁寧で品のある言葉遣いをするコリスを想像してみる。


「そんなんまるっきり女の子じゃん。コイツの場合…………」


 やっぱりコリスは乱暴な口調の方がコリスらしい。

 僕はそんなことを思いながら医務室へと向かうのだった。


 続く。

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