第233話 魔法学校進級試験篇㉕ 幕間・少女の見た流星〜空中散歩inアーガ・マヤ

 * * *



 王都諸侯連合駐在本部アーガ・マヤ最大の軍港マイトレア、その沖合約50キールキロ地点。


 海上都市グリマルディの接続水域ギリギリに浮かぶのは、ヒト種族史上最強と誉れ高い軍艦カルネアデス。その中の特等貴賓室に少女はいた。


「ああ、私は囚われのお姫様。誰か、私をここから救い出してください――――」


 最高級の透過硝子をハメ込まれた窓から星空を見上げ、オットー・レイリィ・バウムガルテンは今にも消えてしまいそうな声で呟いた。


 彼女こそ人類種ヒト種族最高の国家、王都ラザフォードを治める王、オットー・ハーン・エウドクソス14世の四女にして、現在は王位継承第四位の立場にいる公人である。


 青みがかかったカールヘアと17歳という年齢に相応な、非常になだらかでまろやかな体つきをしている。


 硝子越しに星空を見上げては溜息を零し、儚げな表情で涙などを浮かべ、超大国の王族として過酷な公務の日々を送る彼女が愚痴をこぼせるのは、郷里からも遠く離れた絶海以外にないのだった。


「レイリィ様ってば何を言ってるのかしら……自分から遠泳航海についていきたいって言ったくせに。付き合わされる私達はたまったものじゃないのに」


「しっ。あれで姫様は国民受けだけはいいから」


「そうそう。軍の中には姫様には内緒で親衛隊もいるとか」


「じゃあその方たちを慰労するために?」


「いえ、ただ単に退屈だったからでしょう」


 室内に控える側付きメイドたちがこそこそと囁き合う。

 そう。王女はなによりも刺激を求めていた。王宮の晩餐会も、周辺諸国への慰問も、そこで行われる数々のパーティも、みんなみんな飽きてしまった。


 最近ではまったく興味のなかった軍関係の式典、軍事施設、海上憲兵船などに乗り込み、日常とは違う非日常を毎日謳歌している。


「少し前までは魔族種の領内や、獣人種、果ては長耳長命族エルフの領域にまで特使として赴きたいと言っていたそうよ」


「まあ恐ろしい!」


「どうして王はレイリィ様の我がままをお許しになるのかしら」


 それは今が国難の時期だから。

 聖都消滅の原因となった魔族種を即座に討伐したことはよしとしても、その後聖都が毒の坩堝と化して周辺地域に被害を齎していることを、タニア連邦の小国群や諸国連合アーガ・マヤに問題視されているから。


 そればかりでなく、海洋都市グリマリディや、軍事要塞国家ドゴイまでもが、未確認ではあるが軍事行動の準備を見せているとして緊張が高まっているのだ。


 レイリィの行動は結果的に軍関係者の戦意高揚と結びついており、今はとても都合がいい。中には戦姫としてレイリィを持ち上げるものもいるくらいで、我がまま放蕩娘の行動にも目をつぶろうというものだった。


「それに、もしかしたら――――アレ、なんでしょう?」


「ええ。継承順位的にすぐにでも…………」


「諸国連合のいずれか?」


「もしかしたらドゴイやグリマリディかも…………」


 メイドたちが囁きあうのはお輿入れの話し。

 いずれかの国の王族、次男以下にレイリィは嫁ぐことが決まっている。


 それは生まれた瞬間から決まっていたこと。

 もう既に次女と三女、レイリィの姉たちは政略結婚させられてしまった。


 残るは四女のレイリィのみ。

 この後、国が落ち着けば、またぞろ父は男子の跡継ぎを作ろうと後宮通いを始めることになるだろう。


 それまでの間、長女であるレイリィの姉が女王となり、嫁いだ自分たちが夫の庇護のもと下支えをしていかなくてはならない。その宿命を思えばこそ、今のお目こぼしがあるのだった。


「あなたたち、今日はもう大丈夫です。休んでください」


「畏まりました。失礼します」


 部屋の隅にいたメイドたちが深々と礼をして下がっていく。

 最後の一人が退出し、扉を重々しく閉じた途端、レイリィは大きなため息をついた。


 メイドたちが話していたことは全部レイリィの耳に入っていた。


 レイリィは微弱な風魔法しか使えないが、気流を操作して小さな音を耳元に届けるという器用さを持ち合わせていた。


「王族に対してなんたる無礼な流言流布! 不敬の罪にて打ち首にしてくれる!」


 腰元の剣を引き抜くマネをしながらレイリィは立ち上がった。


 だが無人の部屋に虚しく声が響くだけで、振り上げた手は行き場を失ってしまう。


「なんて冗談も許されないんだよね私は……」


 昔、レイリィの教育係に同じようなことを言ったことがあった。


 その途端、側付きの騎士が猛然と教育係を引き倒し、連行していったことがあった。


 必死に誤解であることを訴えて事なきを得たが、その教育係は心を病んで辞めてしまった。


 その時に学んだのだ。自分は言葉だけで他者の人生をメチャクチャにできる身分なのだと。


「はあ。そろそろ覚悟しておけって、エミィ姉様にも言われてるし…………こんな生活もあと少しかなあ」


 幼い頃から市井の子供たちが羨ましかった。

 文官出身の母の影響により、王宮の外の世界のことを様々に聞かされて育った。


 ある時自分は将来冒険者になって世界を旅するのだと言って、大人たち全員から大笑いされたことがあった。


 あのときは笑われた意味がわからなかった。でも今ならわかる。それは到底敵わぬ夢なのだ。


「一度でいいから同年代の女の子と遊んでみたかったなあ」


 遊び相手はいつも4歳年上で従姉妹のエイミー・アクィナスだった。


 王国近衛兵団で最年少で隊長になった実力者である。本人はとっくに結婚適齢期を過ぎているのに、まったく気にした様子もなく、毎日仕事に忙殺される日々を送っている。


 確か今はリゾーマタという魔の森にほど近い王国領地に出張中であるらしい。


 自分の生き方を決められる。それはなんて羨ましいんだろう。嫁いでしまえば今までのような生活すらできなくなる。


 跡継ぎを産んで、乳母に預けて、夫となるものに王国への口添えを頼み、たまに公務をこなして、求められればまた子供を産んで…………。そんな人生。


「はあ…………」


 嫌だ嫌だ。晩餐会に雁首を並べる貴族や騎士侯たちのところに嫁ぐなど。彼らは家柄や身分に縛られた退屈な男たちだ。そんな男にはなんの魅力も感じない。


 ならば、と思う。

 自分は一体、どのような男が好みなのだろう。


 腕っ節は、まあ強いに越したことはない。

 顔は、普通程度なら夜も共にできるだろう。

 性格は…………これが一番問題だ。


「常識に囚われず、型破りで、意欲があって、優しくて、勇気があって、決断力もあって、私の知らない世界を知っていて…………」


 そんな男など、どこにいるというのか。

 レイリィは再び窓のそばに置かれた椅子へと座り込んだ。


 そのまま硝子へとしなだれかかり、ムートゥを見上げる。


 そして――――


「あれは…………?」


 金色のムートゥに小さな黒点が見えた。

 それはどんどんこちらへと近づいてくる。


 よく見えない。もっと何か、そう遠見の道具、加工した特殊な硝子を使ったあの道具でもあれば――――


 レイリィは小器用さを発揮して、風の魔法で空気を圧縮し、硝子レンズと同じ効果のものを眼前に作り出した。


 前後に並べた空気の層により、澄んだ視界の中で彼女は見た。


 その途端、レイリィは部屋を飛び出していた。


「姫様!?」


 外の廊下で待機していたメイドが叫ぶ。

「お待ち下さい、お部屋にお戻りください!」という声も無視してレイリィは走り出していた。


 歩哨の海上憲兵たちの脇をすり抜け、船内が騒然とするなか、甲板へ向けてひた走る。


「はあはあはあ…………!」


 見上げる。

 星空の中に人影があった。

 長く尾を引く炎をたなびかせ、人の形をした何かがムートゥを背景に飛んでいた――――



 *



『現在高度3200フィート。速度200マイル時を維持。防風殻シェル・プルーフを展開中。身体負荷2.7Gに到達――――』


『コリス――――どうだ?』


「さっ、最高ッ!!」


 僕の腕の中でコリスが叫ぶ。

 鎧に触れていれば、骨伝導効果で大声を出さなくても会話できると言ってあるのだが、理解していても声を出さずにはいられないのだろう。それくらい彼は興奮していた。


 僕らは今、夜の空中散歩を満喫していた。

 魔法世界マクマティカには航空機は存在しない。


 空を飛ぶ手段は大型の怪鳥ニィアオというのに乗るのが一般的だという。


 風魔法で空を飛べるものはみんな導師の称号を持つものばかりであり、そのものたちであっても、風を踏んでごくごく短距離を短時間、宙空を移動するのが精一杯なのだという。


 つまりこれほどの速度と高度を維持したまま長時間飛べるものは、まったくいないということを意味していた。


『――――真希奈、下方5時方向チェック』


『データベースに該当なし。近年建設された軍艦のようです。推測、現在はグリマルディとアーガ・マヤの接続水域付近です。鋼鉄製の軍艦は諸国連合アーガ・マヤ所属、マイトレア軍港より出立した戦艦と思われます』


「すっげええ! 先生、もっと近くでみたい!」


『気が合うな。僕もだ』


『タケル様、ステルスシールドは如何しますか?』


『いらない』


 別に攻撃する意図はないからな。それにヒト種族の軍艦に対空兵器はないはずだ。せいぜい大砲や弓が飛んでこない位置から高みの見物をさせてもらおう。


「あーッはっはっは! キラキラ光ってやがる! 何か超ウケる! デッカイ棺桶みたいだぜ! ナスカ先生、ド派手にぶち壊してやってくれよッ!」


『しないよそんなこと』


 こんなに楽しそうなコリスは初めてだ。

 なんかさっきから気が大きくなって、物騒なことを連発しているが、飛び始めたときはガタガタと震えて可愛いものだった。


 それがある時を境に雄叫びを上げ、興奮した様子を見せるようになった。まあ半分バッドトリップしているようにみえなくもないが、完全に恐怖心は克服しているようだ。よかったよかった。


 さて、それにつけてもかなり遠くまで来てしまった。そろそろナーガセーナに戻ろうかと思っていたとき、唐突に真希奈が警告を発した。


『タケル様、どうやら見られているようです』


『甲板の上か?』


 まだかなり距離があるというのに、ハッキリとこちらに顔を向けている少女が一人。


 軍艦に似つかわしくないドレス姿の女の子だ。誰か軍関係者の娘さんか何かかな。よし。少しサービスしてやろう。


『コリス、もっと近くで見るぞ』


「待ってました! ヤッちまええええ!」


 しないってばさ。

 僕は腹の下にコリスを抱えたまま、頭を下にして急降下を始める。


 真っ黒な海面が急激に近づくとコリスは手を叩いて喜びだした。


『警告。これ以上は艦砲射撃の曲射弾道範囲に入ります』


『じゃあこれくらいにしておくか』


「つまんねー! 乗っ取っちまおうぜ! 死にたくなかったら金目のものは全部出せーって!」


『それじゃまるっきり海賊じゃないか』


「そうそう、それそれ! ひゃっはー!」


 僕は軍艦の上を緩やかに旋回しながら真下の女の子に手なんか振ってみる。


 おお、気づいた彼女も千切れんばかりに両手を振ってくれる。


 まるで飛行機に向けて一生懸命手を振る子供のようだ。あ、飛び跳ね始めた。甲板の手すりから落ちそうになってるけど大丈夫かな。


 と、間一髪のところを後ろからメイド服を着た女中さんに羽交い締めにされる。するとぞろぞろと甲板にヒトが集まりだした。その大半は軍服を着た海軍兵と思われる。


『潮時だな。コリス、帰るぞ』


「つまんねー! 俺はもっと飛んでいたいぜ!」


『また今度な。真希奈』


『現在アクア・ブラッドドームの中は夕方です。夜までに戻るための速度を計算中。――約745マイル時(1200キロ時)と算出』


防風殻シェル・プルーフに加え、魔力殻パワーシェルも展開。コリス、帰りはもっとヤバイことになりそうだぞ。どうだ、楽しいだろ?』


「今よりもっと!? ナスカ先生、あんたすげえよ! もっと俺を追い詰めてくれ!」


『進路クリア、ラエル・ティオス領地へ向けて加速開始します』


 僕はコリスをしっかりと抱え直し、家路を急ぐ。

 最後に一度だけ後ろを振り返る。


 甲板の上の少女は大勢の軍人に取り囲まれ、それでもなお僕を見上げているようだった。


 僕が前を見据えると、途端、身体にかかるGが強いものになる。


 魔力殻パワーシェルでコリスを厳重に包み込み、身体への負担を考慮しながら速度を上げた。


 コリスは手を叩きながら大喜びだった。

 だが帰り着いた時には流石にグロッキーになっていて、ニヤケ顔のまま気絶しているのだった。


 続く。

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