第232話 魔法学校進級試験篇㉔ 臆病な自分を超えろ〜再び妖甲を纏う龍神様

 * * *



『皆様、一方的な展開になってきました。ですが御覧ください、本来第1級試験の難易度とはこれほどまでに過酷なものなのです――――』


 演台の上ではコリスが肩を押さえてうずくまっている。

 彼の1級試験教官を務めるレンゲル・メンデス氏の攻撃をモロに受けたためだ。


「立て。いかな初等部低学年とはいえ、1級試験の名を汚すことは許さん。その程度の実力で本物の魔法師に挑もうなど思い上がりも甚だしい!」


 ザザザっと彼の意思に従い、土埃が舞う。

 それは彼自身を覆い隠すだけでなく、演台の全てを包み隠す。


 極端な視界不良の中、立ち上がろうとするコリスの横合いから長い棒状のモノ――土精の棍が突き出される。


 コリスは素早い反射神経でそれを躱すが、土埃から伸び切った棍の先端がコリスを追い掛けるように薙ぎ払われる。


 背中を強かに打たれ、「がはッ!」と息を吐き出しながら倒れるコリス。再び土埃の中からレンゲル氏が現れた。


 彼は2メートル近い体躯を誇る偉丈夫である。

 柴犬のような耳を持った獣人種だ。


 だがそこには僕が知っている犬らしい愛らしさなど微塵もない。

 まるで修練者のような厳しい眼差しと口調で、容赦なくコリスを打ちのめしていく。


 レンカの時まではあった熱気が会場からは消えていた。

 観客の中にはあからさまに不愉快そうな顔をするものも多くいる。


 それも仕方がない。はたから見れば大人が子供に一方的な暴力を振るっているようにしか見えないからだ。


 これが1級試験という名の試練。

 そこにある厳正さ、公平さの前では大人も子供も関係がない。


 では何が違うのか。


 ハイア、レンカ、コリスと試験を受けて、大人が子供に勝利しようと全力を尽くす姿に観客は魅せられていた。誰もが熱狂し、大番狂わせジャイアントキリングを夢見ていた。


 だがコリスとレンゲル氏の戦いは本来あるべき現実の光景だった。

 獣人種騎族院。それは日本で言うところの警察に相当する治安維持組織である。


 審議官とは公平に罪を罰することを目的とした捜査資格者のことであり、魔法師としてはもちろん、武道の腕前に加え、学力も要求される誉れ高い職業だ。


 その審議官を相手に、僅か数ヶ月前に魔法学校に入学したばかりの低学年の子供が戦いを挑む。


 今演台の上で一方的な加虐が行われていることは、当たり前の光景なのだ。観客たちは夢から覚めたように、自らを恥じながら、早くこの試験が終わることを祈っていることだろう。


 ――――冗談ではない。


「面倒なものだな1級試験というのは。根気強く相手の底を確かめなければならない。実力が拮抗した相手なら応じようもあるが……。小僧、もしまだ抵抗する余力があるのならさっさと全てを吐き出せ。それとも――」


 背中を強打され、痛みに悶絶するコリスにさらなる追い打ちが迫る。

 もはや土埃のベールを使う必要もないと判断したのだろう、レンゲル氏は緩慢な足取りで近づき、這いつくばるコリスの腹部に土精の棍を差し入れると、凄まじい勢いで棍を蹴り上げた。


 棍の先端に持ち上げられたコリスの身体が宙を舞う。滞空する刹那、棍が僅かにブレた。


「はッ!」


 裂帛の気合。

 一本のはずの棍がまるで二本あるような、ほぼ上下同時にコリスの身体が打ち据えられ、がら空きになった胴に突きが決まる。


 まるでピンボールのように打ち出されたコリスは、演台の上を転がりながら吹き飛ばされて行く。


 試験開始からこっち、コリスは嬲りものにされていた。

 ほぼ無抵抗と言っても過言ではない。


 それでもコリスは諦めない。

 何度打たれても歯を食いしばって立ち上がろうとする――――


『ハイアくん、そしてレンカさんと、試験には合格しないまでも、目を見張るような活躍を見せてくれた子供たち。私たちはいつしかその光景を期待し、熱狂してはいなかったでしょうか。ですが、1級試験とは本来高等部以上の、実戦経験を積んだ魔法師たちが受けるものであり、低学年の子供が受けるものではないのです』


『今回、確かに自己推薦で好きな級数を受けるよう試験を改定をしました。ですがそれは正直中等部卒業程度の6級までしか想定していませんでしたわい。ハイアやレンカくんがあんまりにもいきいきと戦っていたため、儂らもついつい悪ノリをしてしまったようですじゃ。これ以上はもう……』


 解説のリィンさんもハヌマ学校長も、そして会場の観客たちも誰もかも。

 大人たちはみな口々に諦めの言葉を発している。

 このままでは試験が止められてしまう。


 僕はさっきからそれだけが心配だった。

 試験を見守るケイトやレンカは目を背けてはいないが、とても辛そうな顔をしている。


 さて、もうそろそろいいんじゃないかなコリスくん?

 これ以上自分を追い詰めると、キミの身体が持たないぞ――



 *



「なあ、ナスカ先生、ちょっと頼みがあるんだけど…………」


 アクア・ブラッドドームを使用した時間遅延合宿が始まって十日が経ったときだった。


 夜も遅い時間、子供たちは全員就寝している。ちなみに彼らの寝床はキャンプ用のテントに、セレスティアが作ったウォーターベッドを敷いている。


 身体の凹凸に合わせて的確に変形するため寝心地は抜群。さらにセーレスの癒やしの魔法効果もあって疲労回復もしてくれる。なにげに最高のベッドだった。


 ちなみにセーレスはセレスティアと共にケイトたちのテントにお邪魔し、エアリスもアウラを連れて、ドームの上空で浮かびながら寝ていたりする。僕は本来セーレスとエアリスにとあてがったテントでひとり寂しく寝ている状況だった。


 初日のようにセーレスとエアリスが喧嘩をすることはなくなったが、なんとなくふたりはお互いを避けているように思う。とにかく、二人っきりにだけはならないよう、お互いが注意を払っている感じが伝わってくるのだ。


 僕はこの合宿の間は子供たちのことを最優先に考えている。いずれ三人で話し合わなくてはならないことはわかってる。だが今だけは私情を捨ててこの合宿を乗り切ることだけを考えていた。


「なあ真希奈…………超怖いんだけど」


『そうですか?』


 いや、怖いよ。ほのかな鬼火が照らすテントの中、呪いの人形がじーっと僕の寝顔を見つめているんだぞ?


 人形だから瞬きもしないし、息遣いだって当然ない。ただの人形を置いてるだけだと思いこむようにしていたが、やっぱり落ち着かないものは落ち着かないのだ。


『眠れないのなら何かBGMをかけましょうか。ネットからダウンロード購入した各種癒やしの環境音もありますよ?』


「いや、今はできるだけ子供たちと同じ環境に身を置いていたいから、そういうのはいいかな」


 眠くなるまで真希奈につらつらと話し相手をしてもらおうか。

 そんなことを考えていたときだった。


『タケル様』


「ああ」


 隠すつもりもないのだろう、ザッザッと草地を踏む足音が近づいてくる。

 そうしてテントの外から僕を呼んだのは、意外なことにコリスだった。


「おまえが来るなんて珍しいな」


「けっ、そうかよ」


 正直言って子供たちの中で一番距離を感じていたのがコリスだ。この合宿が始まって水と風、それぞれの精霊魔法使いを子供たちに引き合わせたことで、相対的に僕への信頼度もグンと上がったように思う。


 それでもコリスだけは相変わらず、僕からもみんなからもどこか一線を引いているように見えるのだ。初日のことがトラウマになっているのか、エアリスにだけは一切逆らわず、熱心に指導を受けてはいるようなのだが…………。


「あのさ、正直に言ってほしいんだけど…………俺って、魔法の才能ないだろ?」


 思い詰めた表情で何を言い出すかと思えば……。


「なんだよいきなり。それはクイン先生に言われたことだろう?」


「いや、実は自分でもわかってるつもりなんだ。俺はみんなとは違うって」


 コリスはただ静かに、残酷な事実を口にした。

 セーレスとエアリスと出会ったことで、確かにみんなの中の意識が切り替わった。


 魔法に対する理解度。魔素に対するアプローチの仕方。精霊という究極の高次元生命を間近にしながら、生きた魔法の授業を受け続けること。それら全てによって、子供たちは真綿が水を吸うように急速な成長を遂げている。


 ハイアは微弱ながら魔素を操れるようになってきたし、ピアニの魔素との対話は目を見張るものがある。


 レンカは自分の魔法特性を受け入れ、もう戦術を組み立ているし、クレスは持ち前の運動神経の良さと魔法を組み合わせる術を模索している。


 ペリルは僕の鎧を土の魔素で再現しようと躍起になっているのが結果としていい修行になっており、ケイトもまたセーレスという最高の師の元で、ようやく切っ掛けを掴んだところだ。


 さて、そんなみんなと比べて自分は明らかに劣っている、とプライドが高そうなコリスが素直に自分自身を評している。ここは肯定するべきか、それとも否定するべきか判断に迷うところだが――――


「何かさっき、僕に頼みがあるっていってなかったか?」


「ああ、うん。実はさ、その…………」


 随分と口が重い様子でもじもじとしている。

 それにしてもコイツ、本当に見た目だけなら美少女だな。本人はそう言われるのが嫌なようで、自分の容姿にもコンプレックスを持っているようだ。


 初見ではほぼ100%女の子に間違われてしまうらしく、故に最初から彼が男であることを見破ったセーレスには色々と素直な態度を見せている。


 なぜなら彼女の前では毒は吐かないし、エアリスの前でもトラウマからか絶対に暴言を口にしない。あれ、そうするとコリスが毒吐くのは今のところ僕だけか?


「言いよどむなんておまえらしくないな。いつもみたいにズケズケ言ってくれていいんだよ?」


「わ、笑わないか?」


「笑わないさ」


 というか僕は結構お笑いには厳しいんだ。むしろ笑わせてみせろよと言いたい。


「わかった………………実は、俺のことをもう一度空から叩き落として欲しいんだ」


「………………は?」


 僕は真希奈方を見る。

 真希奈(人形)もショックを受けたようで、顔が呪いのそれになっている。


 僕は小指の先端を耳の穴にグリグリ入れてからもう一度問いただす。耳くそ詰まってたかな。今度エアリスに膝枕してもらいながら耳掃除してもらおうかな。


「聞き間違いか…………。コリス、悪いんだけどもう一度言ってくれるか?」


「お、俺、実は結構ビビりなんだ…………」


 おおう。聞き間違いでスルーすることは許されないようだ。

 コリスはテント前の草地に跪くと、膝の上で真っ白になるほど拳を握り、告白を続けた。


「こ、子供の頃から血を見るのが極端に嫌いで、里にいたとき山で遊んで怪我をして、単純に手を切っただけなのに、そのまんま気絶して一昼夜発見されなかったことがあるくらいなんだ」


「マジか。おまえが?」


 意外だ。人は見かけによらないというか。

 いつも飄々としていて、みんなの中では一番クールで大人っぽいコリス。

 必要以上に乱暴な言葉づかいはもしかして、そういうビビリな心根を隠すための強がりなのだろうか。


「正直いってクイン先生なんてすげー怖かった。でも生徒は教師を選べないし、我慢してついていくしかないと思っていた。でも今はエアリス先生の方が遥かに怖い」


 それはマジでごめん。

 でも不用意に僕をイジらなければ、基本彼女は優しいから。


「それで、どうしておまえはさっきの頼み事を僕にしたんだ?」


 エアリスが罰として与えたメテオ・ダイブをもう一度したいだなんて。

 あれを例えばジェットコースターのノリで楽しもうというのなら、ちょっと精神的に危ういと言わざるをえない。


「あ、あの時、すげえ怖かったんだ」


 うん。そりゃそうだろうよ。


「でもなんか同時に、もう死んじゃうんだって思った時、ものすごく冷静になれたっていうか…………上手く言えないけど、一気に目の前が広がって、妙に周りの景色に集中できたっていうか、遅くなったように感じたんだ」


「おまえ、それは…………」


 冷静になった、恐ろしく集中でき、目に見えるものが遅く感じられた。

 これは彼の心の比喩ではなく、実際そうなったのだろう。


 死を覚悟するほどの状況で、極限の集中力……それは所謂ゾーンというものだ。

 アスリートなどがその状態に入ると、周りの雑音が一切耳に入らず、感覚が研ぎ澄まされ、目の前のことだけに没頭してしまう。


 それによってコリスは今まで体験したことのない世界を垣間見てしまったのだと考えられる。


「そうしたら、なんにもできない自分や、臆病な自分とか、かっこ悪い自分なんかがいっぺんにどうでもよくなってさ。そうしたらすごく自信が湧いてくるっていうか、なんでもできそうな気がしてきて…………!」


 正直、今まで一番掴みどころがないと思っていたコリス。

 だがクイン先生と僕が無茶な賭けをしたとき、真っ先に立ち向かう意志を示したのは彼だった。


 他者より劣る部分を認めることは辛いことだろう、悔しいだろう。それでも彼なりに懸命に考え、小さなヒントから打開策を探ろうとしている。


 それは恐怖で以ってさらに恐怖を克服しようという、教師なら本来止めなければならない類の苦行を希望していた。でも――――


「おまえ、自分がどれだけ危険なことをしようとしているのかわかってるのか?」


 コリスは口を真一文字に引き絞り、コクリと頷いた。


「頼むよ先生。多分ちょっとやそっとじゃ俺の中の臆病の虫はなくならない。俺はもっと自分を追い詰めなくちゃダメなんだ――――!」


 まさかこんなに熱く激しく自殺未遂の片棒を頼まれるとは思ってなかった。

 こんなこと誰にも、真っ当な魔法学校の教師ならできはしないだろう。

 でも幸いにして僕は真っ当な魔法教師ではないのだった。


「真希奈」


『畏まりました。魔法合宿深夜の部を開始します。緊急起動シーケンス発動。オールシステムチェック開始。ブートアップ完了まで10、9、8、7――――』


 僕はコリスの手を取り立ち上がらせる。

 そして彼にその場に待機するよう言い聞かせ、ひとり草原のど真ん中へと歩いていく。真希奈のカウントダウンがゼロになった。


 ズシンッ、という着地音。ざあああっと草原に風が吹き抜ける。

 アクア・ブラッドドームの外壁から内部に飛び込んできたそれが、僕の目の前に降り立ったのだ。


「ひとつ言っておくけど――――エアリスがやったのは、生意気言ってたおまえにお仕置きをした程度の優しいものだ」


 コリスへと振り返りながら、僕は大きく両手を拡げる。

 途端、背後のヒト型の装甲が僕を飲み込むように大きく口を開く。


 未知なる古代金属と、シルバーチタニウムが描く、漆黒と白銀のコントラスト。

 それは夜闇の中でも冴え冴えと輝きを放ち、愕然とするコリスの瞳に鈍い光を反射させていた。


『全装甲をロック。全感覚神経の同調完了。プルートーシステムを起動します。虚空心臓による魔力精製を開始――――!』


「あ、あああ――ナスカ先生、あんたは…………!?」


 怪物が目覚める。

 最終決戦にこそ間に合わなかったが、イリーナとマキ博士によってレストアされた『プルートーの鎧』が、その謳い文句に違わぬ伝説を再現する。


 すなわち、たったひとつの命と引き換えに、誰でも超人になることができるという呪いの妖甲――――ふたつの心臓から精製された魔力というエネルギーを糧に、比類なき膂力、機動力、装甲防御力に加え、真希奈というOSを介することで完全に制御可能になったそれは、魔法を組み合わせた戦闘を遺憾なく発揮できる最強の鎧となった。


『ふう…………久しぶりだけど上手くいったな』


『アフアーマティブ。プルートーの鎧マーク2起動完了しました!』


 以前より身体への負担が格段に少ない。

 それはレストアによって改善されたためか、それとも目覚めたディーオの心臓が齎す破格の魔力供給によるものなのかはわからない。だが、とりあえず今は――


『さあ、コリス』


「は、はい!?」


 突然カミナリに打たれたみたいにコリスは飛び上がった。

 僕はそんな教え子に鋼鉄に包まれた右手を差し出す。


『ちょっとふたりで刺激的な空中散歩に行こうか』


「…………うすっ!」


 昨日の自分を超えるために。

 臆病な風や恐怖を克服するために。

 そして僕はそれを望む生徒の安全を最大限確保するため。

 再び呪いの妖甲を装着したのだった。


 続く。

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