第224話 魔法学校進級試験篇⑯ 幕間・エルフとメイドとの三角関係〜ようこそこの空へ!
* * *
半月前。
雷狼族ラエル・ティオス領内。
「ここって……」
「おっきい」
「なんなのこれ?」
「青色に輝いてますです」
「こんなもの見たことも聞いたこともないよ」
「けっ、十氏族っての随分羽振りがいいんだなあ」
「いや、そんな程度を遥かに超えているでござるぞこれは……」
クレス、ケイト、レンカ、ピアニ、ペリル、コリス、ハイア。
みんなめいめいの感想を言いながら、目の前に聳える小山のようなモノを見上げている。
「ナスカ先生、これって一体なんなの?」
全員を代表してクレスが聞いてくる。
いつもはやんちゃな男の子も、今は慎重な面持ちで恐恐と聞いてきている。
「うん、みんなには、これから試験までの半月間、この中に入って魔法の修行をしてもらう」
「この中って入れるんですか!?」
イエスだよケイト。
「先生、これって何なの?」
「それはキミたちの先生に直接聞いてみるといいよ」
僕はおっかなびっくりと言った様子のみんなを促し、目の前に聳える小山へと近づいていく。
おーい開けてくれ、と大声で叫ぶと、目の前の壁が波紋を打ち、ヒトがラクに通れるくらいの黒い穴が開く。「おおお」っとみんなが驚き、キョロキョロとしながら穴をくぐった。
「あん? 何もねーじゃん!」
真っ先にツッコミをいれたのはコリスだ。
真っ黒な穴をくぐったら、また外の風景――なだらかな平原が現れたのだからしょうがない。
「ここはね、もうお外じゃないんだよ」
はるか平原の向こうから、そんな耳に心地いい声が風に乗って届く。
その声に真っ先に反応したのは、誰であろう、ケイト、レンカ、ピアニの三名だった。
「セーレスさん!」
たたたーっと、獣人種らしい俊敏な走りであっという間に平原を走破し、女子組三名は車椅子に座したセーレスへと飛びついた。
「こ、ここここんにちは!」
「うん、こんにちはケイト。どうしたの? なにか緊張してる?」
「ふつうするの。しないほうがおかしいの」
「レンカは緊張してるようにはみえないよ?」
「必死に我慢してるの」
以前、夕暮れの湖畔で引き合わせて以来、ケイト、レンカ、ピアニはすっかりセーレスが大好きになってしまった。
セーレスもそうだが、ピアニは特にセレスティアと馬が合うらしく、「セレスティアは相変わらずデッカイです!」「ピアニはちっちゃいわねえ!」などと抱き合ってたりする。
「あの耳ってまさか……!」
「
「なんで獣人種の領内にエルフがいるんだよ」
「すっごい美少女と美女でござるなあ!」
男子組はそんなセーレスとセレスティアに目を丸くしながら、彼女たちの前へと集う。
「セーレス、セレスティア、こいつらを紹介するよ。猫耳で癖っ毛がクレス。でっかくて熊みたいなのがペリル。小生意気そうなのがコリス。はしっこそうなのがハイアだ」
「小生意気って、おい!」
コリスが睨みながら抗議してくるが、僕はその頭をグリグリと撫でる。
「こいつ女の子みたいだけど男だから。間違えるなよ?」
「ちょ、やめ、この……!」
「何言ってるのタケル。そんなの当たり前でしょう? どこからどうみても男の子じゃない」
ピタリと、嫌そうに僕の手を振りほどこうとしていたコリスが止まる。そのままセーレスの顔をマジマジと見つめていると、ニコっと微笑みを向けられ、慌てて目をそらす。コイツにしては珍しい反応だな。
「それから――――って、おーい! なんでそんな遠くにいるんだよ。こっちに来てくれ!」
何故か、セーレスと距離を置いていたのはメイド服に身を包んだエアリスだった。その胸の中にはアウラを抱いている。アウラが「パパー」と僕に手を振り、エアリスを見上げる。渋々といった感じで彼女はこちらへとやってくる。
「なんだ、何かあったのか?」
「別に。何もないぞ」
「じゃあなんであんなに離れてたんだ?」
「従者とはそういうものだろう。仕えるべきものからは一歩引いて接するものだ」
「一歩どころの距離じゃなかったぞ? 喧嘩でもしたのか?」
僕は真っ先にセレスティアを見る。「ひどい! 私、エアリスと喧嘩なんかしないもん!」と彼女は怒り出した。じゃあまさか…………?
「タケル、さっきまでね、少しエアリスとお話してたの。でもね、別に喧嘩したとかじゃないから。ね、エアリス?」
「セーレス殿の言うとおりだ。少々見解の相違があっただけだ。気にするな」
「そっか。ならいいけど…………」
何故か僕はセーレスとエアリスは無条件で仲がいいものだと思っていた。
でもやっぱり現実は違くて、なんだか少々ギスギスしているようにも見える。
本人たちは普通に会話もするし、なんなら先程申告したとおり、僕のいないところでも何かと話し合いをすることが多いらしい。
「お母様ならエアリスと相談があるって言って……」「ママ、セーレスのとこ」などと、別々の日にセレスティアとアウラから複数回、そのような返答をされてしまった。仲が悪いならそんな何度も話し合いなんてするわけないよね?
「えっと、じゃあ改めて紹介するか。彼女たちがエアリスとアウラ。そしてケイトたちも知っている通り、セーレスとセレスティアだ。これから
「得意な魔素、ですか?」
目をパチクリとさせているのはケイトだ。
「ああ。基本的な四大魔素を感じ取る修行はもちろんだが、それぞれみんなには相性のいい魔素が存在するよな」
クレスは炎。
ケイトは水。
レンカは風。
ピアニは炎。
ペリルは土。
コリスは風。
ハイアは無系統である。
「何を隠そう、ここにいるエアリスは風、セーレスは水魔法のエキスパート…………超熟練者だ。彼女たちを間近で見て、少しでも高度で洗練された魔法を目に焼き付けて欲しい」
僕はそう言うと、エアリスを目で促した。すると彼女はラエルの屋敷で覚えたのだろう、立派な礼節を持って優雅に挨拶をしてみせた。
「ナスカ・タケルの従者、エアリスだ。風の魔法を得意とする。短い間だが、少しでも皆の役に立てるよう努力することを誓う」
ふわあ、とため息を漏らしたのはピアニかな。
あんなに粗暴だった態度が見る影もなく、なんて立派な所作なんでしょう。
口調はやや尊大なままだが、真摯な気持ちはちゃんと伝わってくる。
「そしてこちらが私の娘、アウラだ。アウラ、挨拶をしなさい」
「アウラ。です」
ペコリ、とエアリスの足元に立ち、小首を傾げる。
わわわ、と悲鳴を上げたのはケイトか。
うむ。可愛らしさとコケティッシュさが同居した実に魅力的な仕草だった。
「質問なの」
そう言って手を上げたのはレンカだった。
セーレスとセレスティア、そしてエアリスとアウラを交互に見たあと、舌鋒鋭く質問を投げかけた。
「前に会った時、セレスティアはナスカ先生を『お父様』と言っていたの。それで今そっちのアウラちゃん? はナスカ先生を『パパ』と呼んでいたの」
「あ」「ええ?」「おお……!」と子供たちから気づき、戸惑い、喜びの声が――喜び? とにかく。それらの感情が伝わってくる。レンカは至極真面目な口調と表情で続けた。
「これって結構重要なことなの。正直言ってナスカ先生って正体不明すぎるの。列強氏族の係累というのはわかったけど、エルフと魔人族のお嫁さんと子供までいるってぶっ飛びすぎなの。お茶を濁すような説明じゃ到底納得できないの」
うむ。レンカの疑問はもっともだ。
でもセーレスとエアリスは嫁じゃないんだ。
「ふん。我らの関係など我らだけが知っていればそれでよい…………とは行かぬだろうな。いいだろう、答えようではないかレンカとやら。私はナスカ・タケルに生命を捧げたメイドに過ぎぬ。彼の者の伴侶となるべきはセーレス殿だ。アウラはただ父親のように
突き放すような厳しさ。だが、かたわらのアウラを撫でる手は慈愛に満ちている。一瞬寂しそうな顔をしたアウラは、その手の優しさに救われたように、エアリスのスカートを握りしめ、小さく頷いた。
「や、やっぱりそうですよね! セーレスさんとナスカ先生ってお似合いですもん!」
フンスっと鼻息荒く力説したのはケイトだ。
「へえ、やっぱ先生すげーんだな。その年で魔法学校の先生もやって、エルフのお嫁さんがいるなんて。あ、うちの姉ちゃんのことも忘れないでくれよ?」
誤解を与える言動は謹んでくれないかなクレス。
とくにこの二人の前ではやめてくれたまえ。
「それは――――違うよ」
まとまりかけていた話をひっくり返したのは誰であろう、沈黙を破ったセーレス本人だった。
「みんな、よく聞いて。私はね、タケルが好き…………でもね、私はタケルがとってもとっても大変だった時に、なんにもしてあげられなかったの。私の代わりにずっとタケルを側で支えてくれたのはエアリスだった。だからタケルにふさわしいのは私なんかよりずっと――」
「やめよっ!」
最後まで言わせず、セーレスの話を遮ったのはエアリスだった。
「その話はもう終わったはずだ。今更蒸し返すでない!」
その続きだけは言わせまいと、エアリスは話を終わらせようとする。
だがセーレスは車椅子から身を乗り出してエアリスに噛み付いた。
「なにも、なにひとつ終わってない。エアリスが勝手に終わらせた気になっているだけ――――!」
一方のセーレスも、僕にも見せたことのない必死な様相で食い下がっている。
なんだ、なんなんだこれ?
「子供たちの前でする話か! 疾くやめよ!」
「エアリスも、レンカの質問を幸いと私の気持ちを無視しないで。それって、すごく酷いことだよ――――!」
僕は。
エアリスとセーレスの言い合いを前にして、真っ青になっていた。
もしかして。
僕が知らないだけで、魔法世界に帰ってきてからこっち、ふたりはこんな会話をずっと繰り返してきていたのだろうか。
何をやっていたんだ僕は。
ニート生活なんかしている場合じゃなかった。
セーレスを取り戻し、こっちに戻ってきたことで完全に気が緩んでいた。
その影でセーレスとエアリスが僕との関係を巡ってこんな言い争いをしていたなんて――
いや、今はそれよりもこの事態を収拾しなければ。
決して子供たちを前にしていい会話ではない。
情操教育に悪いことこの上ない。
などと思っていたら――
「きゃーきゃーきゃー! 三角関係! まるで舞台劇の世界みたい!」
「思った通りなの。正直いってこんなドロドロ大好物なの。じゅるり」
「え? え? セレスティアがナスカ先生をお父様ってどういうことです?」
「バカ、エルフだぞ? 見た目通りの年齢なわけねーじゃん!」
「あ、そうか、見た目が大人なだけなんだねセレスティアさんって」
「セーレス殿は俺たちより年下に見えるのに、言動から感じられる知性は完全に大人の女性でござるな。対してエアリスさんのいじらしさは何か胸に迫るものがあるでござるよ」
ああ、みんな。
そんなに急いで大人にならないで。
あっという間に
意外と昼メロの世界って情操育成にいいの?
いやいやいや、もうここは強引にやめさせて――――
「けっ、やっぱろくでもねーなあんた」
そう、吐き捨てるように言ったのはコリスだった。
「少しはおもしろい授業する先生だと思ったのによ、子供まで産ませた女がいるわ、エルフの女まで侍らせてるわで、最低のゲス野郎じゃね?」
一部誤解もあるが、大筋では間違っていない評価に僕は何も言い返せない。
いや、正確には僕も子どもたちも、何も言葉を発することができない。
なぜならエアリスとセーレスの纏う空気が冷たく凍りついたからだ。
「クレスの姉ちゃんは違うみたいだが、きっとまだまだ他に女がいるんじゃねえの? まったく、そんなんでよくヒトにモノを教えようと思ったもんだぜ。俺だったら恥ずかしくてとてもじゃねえけど――――お?」
艶やかな笑顔を纏ったエアリスが、コリスの襟首を掴んでいる。
そのままの状態で彼女が振り返ると、これまた仁愛の笑みを浮かべたセーレスがコクリと頷いた。
「コリスと言ったな。感じるぞ。貴様は風の魔法の才能があるらしい」
「な、なんだよいきなり……っていうか離せよ!」
「同じく風魔法を使う私が招待してやろう」
「はあ? 何を言って――――」
「ようこそ…………この空へっ!」
そう言った瞬間、コリスの身体が風の魔素に包まれる。
深緑の光球と化した彼は、まるで弾丸のような勢いで空へと撃ち出された。
「な、にぃぃぃぃぃぃぃ!?」
遠ざかる悲鳴。
次の瞬間、セーレスが「真希奈、お願い」と呟くと、青空が広がっていた周囲の風景が、一瞬で藍色の壁に囲まれた異界へと変貌する。
そう、ここはセーレスの水魔法、アクア・ブラッドで作られた異界。
秋葉原を隔離したアクア・ブラッドドームの内部だ。今までは光を透過させ、周囲の景色に同化していたが、そのコントロールを司る真希奈が『畏まりましたー、そのまま宇宙までどうぞー(怒)』などと恐ろしいことを口走るのが聞こえた。
次いでエアリスが飛び立つ。
それと同時に風の光球は解け、生身のハイアがドームの天井を突き破り、穴の向こう、本当の空へと吸い込まれていく。
「はああああぁぁぁぁぁ!?」
豆粒みたいな大きさになっていたコリスは、見事空中でエアリスにキャッチされ、さらにそこから
「はあはあはあ…………!」
激突する直前、エアリスの風に受け止められ、当然コリスは無事だった。だが彼は全身冷たい汗でビッショビショになり、小刻みに震えていた。
「さて、今のをあと十往復ほどするか」
「もうやめたげて!」
コリスはもう限界よ! とばかりに僕は叫んだ。
その震えを止めるようにコリスを抱き寄せ全員に向けて説明する。
「エアリスは風の精霊魔法使い! セーレスは水の精霊魔法使い! アウラとセレスティアはそれぞれ風と水の精霊が顕現化した姿だから! 僕のことを父親のように慕ってくれてる可愛い娘たちだけど、血のつながりはないから!」
あと最大のピークになるはずだったアクア・ブラッドドームの説明を駆け足で行い、真希奈によって厳密に管理されたこのドームの中で過ごすことによって時間の流れが遅くなり、外の世界での半月が、ここでは一ヶ月になることを告げる。
「というわけで楽しい合宿の始まりだから!」
しーん、と痛いくらいの沈黙が流れる。
全員顔面蒼白だった。僕だって引き続き真っ青だ。
コリスなんか真っ白に燃え尽きたまである。
「せ、先生、俺、俺、ごめ――――」
「いいんだ、いいんだよコリスぅ!」
許すとも。許すともさ!
コリスの謝罪の言葉を聞いて、エアリスとセーレスも溜飲が下がったのか、満足げな笑みを浮かべ頷き合っていた。
いやしかしまさか、僕を悪く言われただけで、それまで喧嘩していたふたりがこんなに息ピッタリになっちゃうなんて。恐ろしすぎる…………!
アウラとセレスティアなんか抱き合ったままびっくりして固まっちゃってるよ!
まあ、そんなこんなで、僕の大事な生徒たちが若干マインド・フ●ックされたこと以外はごくごく平和裏に『精神と時の部屋』合宿は開始されたのだった。
続く。
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