第218話 魔法学校進級試験篇⑩ 牛・羊・狼の因縁〜ちょっと怒る龍神様

 * * *



『あーあー、拡声魔法の試験中。拡声魔法の試験中。神官セルパッパによる気象予報によれば、本日のナーガセーナは終日晴れ。所によっては曇りのち雨。もしかしたら嵐になるかもしれないとのことです――――ってなんぞこれ! どうとでも取れちゃうじゃん!』


 風の魔法によって届けられたそんな第一声は人々を爆笑の渦へと誘った。

 小さく細切れになりながら「コラァ、クソ神官真面目にやれ!」ガタン、バタンなどというやり取りが聞こえてきて、人々はますます腹を抱えた。


『大変お見苦しいところをお聞かせしました。本日皆様のお相手を勤めさせていただきますのは、あなたの【声風こえかぜ】でおなじみ、リィン・リンド。あなたのリンリンがお届けします!』


 わあーッ! と大歓声が上がる。

 地元では有名な広域拡声風魔法の使い手であるリィンは明け六つから暮れ六つまで毎時間の訪れを街全体に届けるという重要な役割を持っている。


 時刻だけでなく、朝一にはその日一日の気象予報(精度低い)を発表し、中天には街から寄せられた市民の声を届け、ときには迷子の放送も行うという、ナーガセーナの市民から愛されるアイドル的な存在だった。


『はい、本日はナーガセーナの最大名物、獣人種魔法師共有学校、初等部のお子たちによる進級試験が開かれるとのことで、こちらアーク巨樹の中二階、特設放送席から実況と解説をお届けしたいと思います。皆さんを見下ろしていまーす。ごめんなさーい!』


 リィンの軽快な喋りに眼下にひしめく会場の人々はもうノリノリでリアクションを返していく。


 大勢の観客が詰めかける会場――――校庭は、アーク巨樹の校舎よりもさらに広くて大きかった。街中から、または近在から、はたまた遠方からはるばるやってきた様々な獣人種で超満員の様相だ。


 観客席の中央には大きな演台が用意され、入場口の向こうから試験を受ける子供たちがやってくるのを観客は今か今かと待ち構えている。


『はい、試験を開始する前に、本年度から導入された試験の新規約を説明いたします。解説はこの方、魔法師共有学校の最高責任者にして元列強十氏族でもありますハヌマ・ラングール学校長です。本日はどうぞよろしくおねがいします!』


『ほっほ。よろしく』


 いいぞジジイー! セルパッパはどうしたー!? などと温かい声援を受けながら解説は続く。


『えー、例年通りですと、魔法師共有学校の初等進級試験とは15級から9級までの試験科目を、担任教師推薦によって受験する……とのことでしたが、今年度からはどのように変更が加えられたのでしょうか?』


『本年度の進級試験は、担任教師推薦ではなく、生徒の自主性による自己推薦による試験選択が可能となりました』


『それは、実力に自信のある子なら、自分で自由に試験が受けられるということですか!?』


 おおお〜っというどよめき。野次馬根性や物見遊山で遊びに来ている者と、我が子たちの進級がかかっている親御さん達とでは目の輝きや解説への集中力が大分違うのが見受けられた。


 前者は屋台の食べ物飲み物弁当持参で、中には酔っ払っている者もいるのに対して、後者は一言たりとも聞き逃すまいと固唾を呑んで聞き入っている。


『正確には少し違います。本年度からの特別な規約として、自己推薦が可能になるのは9級に合格したものに限られます』


『私の記憶が正しければ、初等部の卒業資格が確か9級だったはずではありませんでしたか?』


『その通りです』


『で、では、本年度の進級試験では、9級以上の、準魔法師と呼ばれるような試験を受ける初等部の子供たちが出てくる、ということでしょうか…………?』


 ざわざわざわ。人々の疑問の声が波紋となって広がっていく。

 ハヌマ学校長は、たっぷりと溜めてからリィンの言葉を肯定した。


『――はい。それが本年度からの大きな特徴となります。今年は特に粒ぞろいの生徒が多いとのことで、このような措置が取られるようになりました。私も試験開始が今から楽しみです』


 喝采が――会場から沸き起こった。

 魔法師共有学校は年々子供たちの魔法師としての質が落ちてきているとされている。


 それがすでに初等部卒業相当の試験を受け、さらに上を目指す子供たちが出て来ると聞き及んでは興奮しないわけがない。


 魔法師とは氏族にとっての宝。それを目指す子供たちは正に宝石の原石のような存在なのだ。


『で、ですが、あくまで一般的な疑問としまして、そんな天才的な魔法の才能を持った子供たちが本当に初等部にいるというのでしょうかー!?』


 そうだそうだ! うさんくせえぞ! 誰だ今言いやがったのは! うちの子に限ってそんな! ……などという罵声が飛び交う。物見遊山の野次馬が前者。我が子を信じる親バカが後者と言ったところだ。


『そも今回の特別措置は一部の魔法教師による強い推薦があってのことなのです。あくまで背中を押してみるが、それ以降は子供たちの自主性に任せようと。そして挑戦をしてみたいと希望する子供がいれば、それを是非暖かく見守ってほしいと。なのでどうか皆さんも子供たちが失敗しても、どうか寛大な心で受け止めて上げてください。学校長として伏してお願い申し上げます』


 ハヌマ校長が席から立ち上がり、禿頭を見せつけるように頭を下げる。

 まばらな拍手が起こり、やがてそれは大歓声になった。

 未だ肌寒い季節に、会場は熱狂する人々で火傷しそうなほどだった。


『ハヌマ学校長からの試験解説でしたー。さて、この後半刻ほど置きまして試験開始となります。最初の難関は15級から12級、四大魔素の感応試験となりますが、えー、その前にもうひとり、本日はハヌマ校長以外にも特別な解説者をお招きしております。この魔法学校の支援者でもあり、ヒト種族に捕らわれていた多くの同胞を救い出すことに成功した最も新しき英雄、列強十氏族の一角、雷狼族のラエル・ティオス様にお越しいただく予定ですが――――どうやら到着が遅れている模様です。到着次第、改めてご紹介させていただきます』


 実はこの時、特別放送席からラエルを呼ぶ声は本人に聞こえていた。

 アーク巨樹の内部。特設会場からもほど近い教室の廊下にラエル・ティオスはいた。


 だがそこにいたのは彼女だけではない。

 魔法師共有学校の教員用ローブに身を包んだクイン・テリヌアス。

 そして高名魔法私塾メガラー派閥のアンティス・ネイテス――アン。


 同世代であり、互いに魔法を研磨し合った間柄の三名ではあるが、彼女らを取り巻く空気はひたすらに重い。


 そんな三名の間に挟まれ、石化したように固まっているのは、我らが三代目龍王、タケル・エンペドクレスだった。



 *



 なんでこんなことになってるんだ?

 そう、僕は子供たちの試験に先駆けて、ラエル・ティオスの送迎を引き受けた。


 僕と子供たちが行った魔法合宿は、管理された広大な土地が必要だったために、ラエル・ティオスの城館がある彼女の領内で行われた。


 子供たちはまだこのナーガセーナにはいない。

 ギリギリまで修行をし、今は休息を取っている最中なのだ。


 試験開始30分前がベスト。

 僕の聖剣が創り出すゲートをくぐれば、ラエルの領地からナーガセーナも一瞬である。


 一月にも及ぶ・・・・・・合宿で、それぞれ十分な手応えを感じるほどに成長を遂げた子供たちは可能な限り休ませてやりたい。


 だからこそ、それに先駆けて魔法学校の賓客として迎えられているラエルを送り届けたのである。


 人気のない校舎内の廊下にゲートを開き、恐る恐るといった風情のラエルの手を引いて降り立った瞬間だった。


 悪寒にも似た『憎』の意志が僕達を貫いた。子供たちの学び舎にそぐわない殺意の波動に何事かと駆け出し、角を曲がった瞬間――僕は後悔した。


 関わるべきではなかったのだ。

 見て見ぬふりをしてやり過ごせばよかったのだ、と。


「あらあ、懐かしい顔がいるわ〜」


「ラエル・ティオス…………!」


「アン、そしてクインか」


 牛の角を生やした美女――――やたらめったら服を着崩して、ほぼ半裸みたいな有様になっている。ふわりとウェーブした長い髪は、淡い葵色をしていて、彼女の妖艶な雰囲気によく合っていた。


 アンと呼ばれた美女と、至近距離から対峙していたのはクイン・テリヌアス先生だ。相も変わらず『憎』の意志力を椀飯振舞おうばんぶるまい垂れ流している。その様はまるで壊れた蛇口だ。もしかして彼女自身でも『憎』の意志をコントロールできていないんじゃないだろうか。


「久しいな。ふたりとも息災であったか?」


 ラエルがにこやかに二人に笑いかける。

 うむ。どうやら三名は友人同士でこれから旧交を温めるようだ。

 つまり邪魔者である僕はクールに立ち去るぜ。


「――――ッ、……おい、離せよ」


 踵を返した途端、逃さねーよ、とばかりにラエルが僕のローブを後ろ手に掴んでいた。


「いや懐かしい。こうして三名で顔を突き合わせたのはかれこれ6年グネぶりといったところか。当時はまだお互いに魔法を研鑽する学徒だった。それが今や、互いに立派になったものだな」


 心からの親愛の笑みを浮かべて、ラエルはアン女史、クイン先生に語りかけている。そんな雰囲気とは真逆に僕の服を掴む手は万力のようだ。頼む、巻き込まないでくれ。


「ふ。よく言うわ〜、龍神様に尻尾を振って、私達を置いてひとりで飛び抜けちゃったくせに〜」


「その通りね。お互いに立派になった、ですって? 列強氏族の一角になって領地を切り盛りしてるあなたと、アンは魔法私学の有名派閥の幹部。それに引き換え私はこんなところで燻ってる……。心の中では私を見下しているんでしょう?」


 おや、ラエルが現れるまでこの二名、喧嘩してたんじゃなかったのか?

 共有の敵を見つけた途端仲良くなっちゃって。呉越同舟ごえつどうしゅうっていうんだっけこういうの?


「クイン。いい加減に自分を必要以上に卑下するのはやめろ。私はおまえを見下したことなど一度もない。アン、ディーオ・エンペドクレス殿は我が一族の盟友。強くなるための切っ掛けを与えてくれこそすれ、それ以上の庇護はないぞ」


 ギリっと僕のローブを掴む手に力が入る。

 なるほど。なんとなくラエルの苦悩がわかった。


 ラエルとしては忌憚なく昔のように、お互いの身分や上下関係など気にせず話をしたいのだろうが、それは無理だった。なにせお互い地位も名誉も身分もそれぞれ異なるのだ。何もかも昔のまま戻ることなどできはしない。


「ふふ、相変わらず上から目線でムカつく〜。私達だけしかいないから言うけど、昔っからこっちの保護者を気取って色々お節介焼いてくるところ、大嫌いだったのわ〜」


「あなたが良かれと思って吐いた言葉は、何よりも残酷に私に突き刺さったわ。悪意がないなら何をしても許されるというの? 私をこんな風にしたのはあなたのせいよ!」


「アン、クイン、…………私は!」


 言葉はもはや無用なのだろう。

 どんな優しさも思いやりも、双方分厚いプライドに阻まれて届きはしない。


 ラエルがこの魔法学校に僕を派遣した目的は、僕を働かせる云々よりも、こんな風に自分のエゴや憎悪を振りかざし、子供たちに犠牲を強いているクイン先生を止めてほしかったのだろう。


 なんだか期せずして一名様を追加されたようだが、まあ仕方ないかな。


「負け犬の嫉妬は醜いなあ」


 いや、牛? 羊? あと狼?

 まあ獣人種とはいえ、ニュアンスは通じるはず。


「さっきから黙って聞いてれば見下しただの、してないだのと。こっちとしてはそんなのもうどうでもいいんですけどねえ?」


 僕の第一声から凍りついていた世界は、次の瞬間灼熱の煉獄と化した。

 一流魔法師であるクイン先生と、そして同じく実力者であるアン女史は完全に僕を敵とみなしたようだ。


「さっきからちゃっかりいるこの邪魔者ってどこのどちら様かしら〜。黙って突っ立ってれば極力気にも留めないようにしていられたけど、喋られると流石に我慢できないんだけど〜」


「ラエル・ティオスの係累として許される分は越えたわよあなた。試験が終わるまで生かしておいてあげてもいいと思ったけど…………そう、そんなに死にたいのね?」


 アン女史からは風の、そしてクイン先生からは炎の魔素がそれぞれ立ち上る。

 僕は固まったままだったラエルの手を振りほどくと、暴風と炎熱が渦巻く二人の死線をあっさりと横切った。


「え―――!?」


「今、一体何を!?」


 答えは簡単。

 僕は|両手に纏った魔素情報星雲エレメンタル・クラウドを使い、双方の魔素を綺麗に素早く剥ぎ取ったのだ。


 あとに残ったのは、魔素を欠いた魔力の残滓のみであり、世界へと発露されていた魔法という現象は一瞬で霧散する。


 呆然と立ち尽くすアン女史とクイン先生を交互に見やりながら、僕は口元を笑みを浮かべ、静かに告げた。


「お忘れですか、今日は子供たちの大事な試験の日じゃないですか。それが終わったあとだったら、あんたらが顔を突き合わせて罵り合おうが何しようが好きにすればいい。気が済むまで腹の中のものを全部吐き出せばいいんです」


 でもね、と前置きをしてから僕は、いい加減本気で怒りに顔を歪めながら、アン女史とクイン先生を睨みつけた。


「試験の最中に今と同じことしてみろ。その立派な角をへし折って口の中に詰め込んでやるからな――――!」


 そう告げた瞬間、ふたりはビクンっ、と身体を震わせて固まった。

 いや、肩が小刻みに震えている。懸命に僕を睨みつけながら、戦慄く唇を無理やり噛み締めているようだった。


 まあ、こんな怒り方僕の趣味じゃないけど、試験当日までこの有様じゃあしょうがないよね。少なくとも試験の邪魔をしやがったら、マジでビンタの一発も入れてやる。


「ふ、ふふふ…………!」


 凍りついた空気を打ち破ったのは、無邪気なラエルの笑い声だった。


「聞いたな? この者はやると言ったらやる男だ。我らの遺恨はひとまず置いて、それぞれの生徒のために全力を尽くすがいいぞ。私も列強氏族としての仕事をこなして来るとしよう」


 ラエルは僕を促しながらその場を後にする。

 立ち尽くしたままの二名が再起動するのにはもう少し時間がかかるだろう。

 本当に楽しそうに身体を揺すりながらラエルは、気安く僕の肩を抱きながら口を寄せて囁いた。


「先程のな、本当にディーオ殿に叱られてるみたいだったぞ。いやあ、三代目というのは伊達ではないな……!」


 何を他人事のように言ってるんだコイツは。


「あのな、さっき叱りつけた中に、おまえも入ってるんだからな。それ、ちゃんとわかってるか?」


「な、なんだと! あれはアンとクインを叱ったのではなかったのか!?」


 ギョッとして仰け反るラエルの服を掴む。さっきのお返しだ。逃さねーよ。


「僕から言わせれば、今日という大事な試験日にまで、この問題を放置し続けたおまえが一番悪い。あのふたりが何かしでかしたら連帯責任だからな」


「そんな! だ、だが私はほれ、この通り耳は無くなっているのだが?」


 カポっと僕があげた狼耳のカチューシャを取ってみせるラエル。

 おいおい、ついに自虐ネタまで覚えやがったよこのケモミミ娘。


「そうだな。じゃあおまえのその立派な尻尾を引っこ抜いて箒にしてやる。土埃が出なくなるまで、自分の屋敷の庭掃除をすればいいよ?」


 歩きながらそう言ってやるが反応がない。

 振り返ると、ラエルは立ち止まったまま絶句していた。

 そして――


「お、鬼! 悪魔! この龍神!」


 最後のは悪口か?

 まあいいや、とっとと子供たちを迎えにいこう。

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