第217話 魔法学校進級試験篇⑨ 波乱の進級試験開始〜ふたりは似たもの師弟

 * * *



 高く広く、そしてどこまでも抜けるような青空に、空砲が鳴り響く。

 風の魔素に炎の魔素を少しだけ足した音だけの花火である。


 ナーガセーナの街は朝も早くから活気に満ちていた。

 何しろ本日はお祭り――――みたいな日である。


 第一期魔法師昇級試験。

 アルゲンの月――――3月に行われる一大イベントである。

 獣人種魔法師共有学校を擁するナーガセーナは、多くの獣人たちで賑わうことになる。


 魔法師試験を受ける子供たちの両親はもちろん、祖父母や兄妹親戚も集まり、街の宿泊施設はどこも満杯だ。最近できた民泊制度を利用し、試験の前後だけホストファミリーになる家々もある。


 試験の一週間前から街には他方から様々な獣人種が集まり出し、当日の人出は最高潮となるのだ。


 この機会を逃すまいと行商人が集って市が開かれるため、街から魔法学校へと続く野道には幾つもの出店が並んでいる。串焼き屋や蜜菓子の屋台、小物や雑貨を取り扱う商店や、伝統工芸である護符づくりの店などが軒を連ねるのだ。


「見向きもされねえな」


 デン、と店の前で仁王立ちになり、試験会場である魔法学校へ向かう獣人たちの群れを前に、自分の作った伝統ある護符が一瞥すらされない事実にケイトの父、リシーカは憤りを覚えていた。


 彼の作る護符とは木でできた彫刻品である。

 決められた寸法に裁断された木製の符に、先祖伝来の紋章を彫り込む。

 簡略化された四大魔素を模した紋章を掘ったら、そこに特殊な顔料を流し込んで染色するのだ。


 これを肌身離さず携帯することによって無病息災がもたらされたり、家の軒先に吊るせば家内安全、商店が掲げれば商売繁盛……になるかもしれないとされている。


 …………とにかく、そんなありがたい伝統工芸品がこの護符なのだ(力説)。


「っかー、構うもんかい。俺は伝統を今に伝える工芸士。たとえ誰に見向きされなかろうと腐ったりなんかしねえぜ!」


 実際は腐っている暇などない、と言ったところか。

 魔法学校にケイトをやるため、実は親戚から借金をしているのだ。

 心配するケイトには『爺さんの遺産だ』と嘘をついているが、正直返済の目処は全く立っていない。


 それでも娘のケイトが――あの引っ込み思案で自己主張がまったくなくて、自分の後ろを「おとーたんおとーたん」とくっついて歩いてきて、たまに転んだりしてもニコっと笑ってこちらを悶え殺しそうになるほど可愛い娘が、『学びたい』と言ってきたのだ。たとえ死んだ女房を質に入れてでも金を作らなければなるまいて。


「さて。売れねえならいい。真面目に商売も馬鹿馬鹿しいや。さっさと店じまいして会場に行くか」


 なんと本日の昇級試験には娘のケイトと友達たちも参加するのだという。

 半月前、ケイトは常に無い強い決意が宿った瞳を父に向けながら「ナスカ先生と魔法合宿に行ってきます」と行って出ていってしまった。


 その時の娘からは、魔法学校に入りたいと行ってきた時よりも遥かに強い想いが伝わってきた。口では「おう、行って来い」などとぶっきらぼうに言っていたが、内心は聞きたいことがいっぱいであった。


「合宿って何処でやるんだ?」


「女の子の友達は一緒なのか?」


「野郎はどれくらいいるんだ?」


「あのナスカとかいう胡散臭いガキはおまえをイヤらしい目で見ていないか?」


 などなど。最初のひとつ以外は口にした途端娘が嫌そうな顔をするのがわかっていたのでかろうじて飲み込んだのだった。


「ケイト……半月も会わなかったらすっかり成長して女の子らしくなってるんだろうなあ」


 そんな訳はない。

 だが娘にしばし会えなかったボケ親父にツッコミを入れるものは皆無――でもなかった。


「おじさん、さっきからブツブツなにを言ってるの〜?」


「ああ?」


 娘の妄想に浸っている最中に声をかけられ、リシーカは不機嫌もあらわに振り返る。そしてギクリと身体を強張らせた。


 立っていたのは胸の谷間が見事に露出した美女であった。おっぱいデカイ。零れ落ちそうである。


 それもそのはず、頭の両脇から生える角から察するに牛人に属する獣人種のようだ。あそこの女性は昔からいい母乳を出すのが有名で、飢饉があったときなどは近隣から赤子を連れた母親たちが殺到し、母乳を分けてもらうほどである。


 だがその豊満な胸は何も赤ん坊だけのものではない。世の中のお父さんたちも興味津々なのである。


「なあに〜? ヒトのこと鼻の下伸ばしたイヤらしい目で見て。失礼なんだから〜」


「な、何言ってやがる! そんな商売女みたいな格好しやがって! 見るなっていうほうが無理だろうが!」


 確かにその通りだった。美女は首筋と肩、そして胸元が大きく開いた服を着ている。よく見てみれば、ロングスカートには大きな切れ目が入っていて、真っ白い太ももがチラチラ見えている。これでは見るなと言う方が無理な話だ。


 なのでリシーカの頭の中では「生まれたばかりのケイト」「初めて歩いたときのケイト」「初めておとーたんと言ったときのケイト」「お風呂の中でおとーたんのお嫁さんになると言ったときのケイト」を反芻することで誘惑を相殺していた。合掌。


「先生、何してるんですか!?」


 リシーカと美女のやり取りにはいつの間にか人垣ができていた。

 その人垣を割って現れたのは魔法師見習いの純白ローブを着込んだ利発そうな少年だった。


 同性のリシーカから見ても美少年である。ふわっと波打った赤髪に猫耳が乗っかっている。赤猫族の少年だとすぐにわかった。


「何って〜、お買い物?」


「そんなこと言って、また歯に衣着せぬこと言ってこのおじさんを怒らせたんでしょう。申し訳ありません、この通り少々浮世離れしたところもありまして、決して悪気はないんです!」


 突然現れた少年は誠意ある謝罪をしてきた。

 未だ幼く、年の頃もケイトと同じくらいに見えるが、ビックリするくらいしっかりした子供だった。


「いや、そこまで大げさに謝ってもらうことじゃねえさ。気にしなさんな」


「そうよ〜、このおじさんが私のおっぱいに夢中になってただけなんだから〜」


「違ッ、てめえ、衆人環視の中で何言い出しやがる!?」


「女はそういう視線には敏感なのよ〜」


 真っ赤になったリシーカが男の名誉を守るために拳を振り上げようとしたその時だった。


「わかります、ごめんなさい! ほら、先生もまたそんなだらしない格好してないで!」


 リシーカの機先を制するよう赤猫族の少年が前に出た。

 かなり無理をしながら背伸びをして、少年は美女の身なりを整え始める。もはやそれはふたりにとっては慣れた行為なのだろう。いっそ鮮やかな手際でサササッと開いた胸元を閉じ、肩を隠し、襟元を整えていく。


「――――なッ、あんた、そのローブは…………!!」


 胸元まで開かれていたのは魔法のローブ。しっかと胸元を紐で止めて、切り込みが入ったスカートもキチンと合わせれば、紛うことなき高位の魔法師にしか着用を許されない衣装が現れた。


「先生、使徒の紋章はどうしました?」


「さあ〜、朝目覚めたらなくなってたわ〜」


「また無くしたんですか…………」


 あちゃあ、と少年が頭を抱える。

 そして「本当にこれが最後ですからね」と首紐が付いた徽章を取り出し、これまたよいしょと背伸びをして美女の首にかけてやった。


「二対の角がついた盾の紋章――――あんた、メガラー派の魔法師だったのか!」


 リシーカがそう言った途端、辺りからはどよめきが起こった。


 魔法私学塾メガラー派。

 高名な魔法師メガラーを頂点にする超有名魔法塾だった。


 とてつもなく厳しい入塾審査と、目玉が飛び出るほど高額な入学金が必要であり、とんでもなく敷居が高いとされる私塾である。


 ただし、排出される魔法師の質は確かであり、特に戦闘魔法に於いては他の追随を許さないという。


「ま、まさか、坊主が今日の試験に参加するのか?」


「ええ、これも社会勉強になるかと思いまして。あ、申し遅れました。僕は赤猫族のネエム。こちらは付き添いで来ていただいた牛堅族ごけんぞくのアン先生です」


 辺りから「牛堅族ごけんぞくだって!?」と驚きの声が上がる。

 それもそのはず、現在の列強十氏族のひとつに数えられるのが牛堅族なのだ。


 鉄壁な守りから繰り出される攻防一体の攻撃は戦場に於いては常に一番槍を任せられる。そういうバリバリ武闘派の種族だった。


「それじゃあそろそろ失礼しますね。あ、これひとつください」


 さり際も涼やかに、しかも一番高い護符をさり気なく買っていってくれた。人混みの中に消えていく師弟を見送りながらリシーカは呟く。


「こりゃ、今年の主席合格はあいつで間違いないだろうなあ」


 周りにいた野次馬たちにも同じ感想だった。

 あれは誰も勝てない。メガラー魔法私塾の入学試験が実はすでに魔法学校の初等卒業程度の実力が必要と言われているのだ。


 あの歳でそれより以上の実力を身に着けていることは確実なネエム少年に、魔法師共有学校の生徒は誰も敵わないだろう。


 不合格でもいい。落ち込んだケイトをせいぜい暖かく迎えてやろう。ネエム少年が置いて行ってくれた護符代で今夜はご馳走にしてやろう。リシーカはそう思うのだった。



 *



 魔法師共有学校へと向かう道すがら、赤猫族の少年と牛堅族の美女はにこやかに昏い・・会話をしていた。


「まったく。尻拭いする僕の身にもなってくださいよ先生」


「ごめんね〜、今日は久しぶりに友だちに逢えると思うと興奮しちゃって〜」


 言いながらアンは再び胸元を開こうとする。一歩一歩進むうちに、どんどん露出が増していく自分の保護者にため息を尽きながら、ネエム少年はニコリと笑った。


「僕も楽しみです。つい数ヶ月前に別れたばかりの友達とどれだけ差がついたのか。今からワクワクしますよ…………!」


 それは邪な笑みだった。

 リシーカに見せていた爽やかな笑みなどではない。

 弱者を虐げることに喜びを感じるような、そんなイヤらしい笑みである。


「私も〜、メガラー派を追い出されたクインちゃん。せっかく魔法学校の先生になったのに、誰ひとりとして私の生徒に敵わないって知ったらどうなるかな〜。すっごく楽しみ〜!」


 この弟子にしてこの師匠あり。

 ふたりとも外面はよくても、その面の皮一枚下には、同じく歪んだ本性が隠されていた。


「ところでそのゴミ、どうするの〜?」


「先生が絡んでたせいで余計なお金使っちゃったじゃないですか。あとで弁償してくださいよね」


「今日の試験で一番になったらね〜」


「まったく」


 少年の手の中に炎が現れる。

 木製の護符はあっという間に消し炭になり、ボロボロと崩れて足元に落ちた。


 それを容赦なく踏みつぶしてから顔をあげると、森の切れ間から、大きな大きなアーク巨樹の姿が現れる。


 ネエム少年はニヤリと、子供らしからぬ酷薄な笑みを浮かべた。

 波乱の魔法師進級試験がもうすぐ始まろうとしていた。

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