第214話 魔法学校進級試験篇⑥ 幕間・悩めるもうひとりの女神〜魔法師育成授業・二日目深夜

 * * *



 本日天気晴天なれども波高し!

 まさにそんな言葉がぴったりな朝だった。


 いや、マテ。

 まだそんな慌てる時間じゃない。

 どうしてこうなったのか、ちょっと頭の中を整理しよう。



 *



 昨夜僕は、聖剣で開いた『ゲート』を潜り、ラエルの屋敷へと向かった。

 もう大分遅い時間である。

 正門から裏に回り、勝手口のドアをノックする。


 僕は食客の身分ではあるが、魔法学校の仕事はラエルから押し付けられたものでもある。はからずも僕が受け持つ事になった七名の子供たちが食べる食材くらい、ラエルから援助してもらっても構わないだろう、という心算である。


 あ、ついでにお茶菓子ももらわないと。氷、すごく好評だったなー。それだけ地球のコンビニで買ってこようかな……。


「貴様、何をブツブツ言っている?」


「お」


 不意打ちである。

 後ろから声をかけられ慌てて振り返る。


「わぷっ」


「パパ!」


 振り返った途端、僕の顔面めがけて突撃してきたのは風の精霊アウラだった。


「アウラ! 元気してたか? 少し見ない間におっきくなったな?」


「そんなわけなかろう」


 顔にぎゅーっとしがみついてくるアウラをそっと剥がしながら、僕は声の主をはたと見た。


「えっ!?」


「なんだ、急に変な声を出しおって」


 エアリスさんである。

 どこからどうみても、紛うことなきエアリスさんだ。

 でも彼女はいつもの彼女ではなかった。

 それは――――


「メイド服」


 そう、今の彼女はラエルの屋敷で働くメイドたちと同じ服装だった。

 秋葉原あたりのメイド喫茶にいるような、やたらと胸を強調してたり、脚を出してたりするようなメイド服なんかじゃあない。


 ゆったりとしたワンピースタイプの上からフリルの付いたエプロンを纏い、頭にはヘッドドレス、首元にはブローチがつきのリボンという、まさに正統派と言った風情のメイドさんが立っていた。


 いや、やっぱり中身はエアリスさんだ。

 楚々として佇む、などということはなく、今は小首を傾げて手は腰に。

 風の魔素で紡がれた光球を小脇に侍らせ、なんだか僕を斜に見てらっしゃる。

 もしかして不機嫌かな?


「今日はどうした? 貴様は今、仕事でナーガセーナに赴いているはずではなかったのか?」


「え、あ、そうそう」


 アウラは早々に人形の真希奈を見つけて、ふわふわ夜空を揺蕩たゆたいながら遊んでいる。いや、『やめなさいー』「キャッキャ!」などとやっているので、アウラに一方的に追いかけられて、人形の真希奈が逃げ回っているみたいだ。


「貴様、昨日もここに戻ってきたらしいな?」


「ああ、子供たちの昼飯を用意しようと思ってさ。でも僕、こっちのお金もってないから、ラエルのところから分けてもらったんだ」


「そういうことか……。待っていろ、今見繕ってきてやる」


 エアリスの表情が和らぐ。どうやら僕が職場放棄して来たのではないかと疑っていたようだ。さすがにそんなことしないよう……。


「うん、頼むよ。あ、悪いんだけど少し多めにしてくれ。今日食わせてみたけど、子供とはいえ獣人種の食欲ってすごくってさ。いやあ、あんな小さなカラダによく入るもんだ」


「貴様、随分と楽しそうだな」


 ふ――――、とエアリスさんが笑った。

 おや、機嫌直ったかな?


「アウラよ、あまり遠くまで行くなよ」


「はーい」


『タケル様、見てないでアウラを止めてください!』


「うん、まあ頑張れ!」


 そんな子供心をくすぐる格好をしている真希奈が悪いよね?

 僕はエアリスに導かれながら、勝手口をくぐる。


 エアリスは手早く、台所内のカンテラに火を灯すと、ぼんやりとした優しい光が僕らを包み込んだ。


「今日は街の有志からクルプの肉が数多く献上された。セーレス殿の治療行為による感謝の印だという」


「そりゃよかった。セレスティアがポカして、帳消しになってるかと思ったよ」


「……………………」


 あれぇ? なんか会話が続かないなあ。どうしちゃったんだろう。


「クルプは地球で言うところのチキンに肉質が似ている。まあ鳥類だから当たり前だが。淡白な味わいは一緒だが、チキンとは違いクルプには多少の臭みがある。ただ単に焼いて食べるよりかは、煮込み料理にした方がいい。そこでこれだ」


 エアリスさんはドカッと布の大袋を取り出す。

 テーブルの上に置かれた途端、なんとなく懐かしい匂いが漂い始めた。


「これ、カレーの匂い? 中身ってカレー粉なのか?」


「然り。貴様の好物のひとつだったな。正直言って魔法世界マクマティカの食文化は地球のそれと比べてもまだ拙い。なんとかこちらの食材で地球の味を再現できないかと、隙を見ては研究を続けてる。これはその試作品だ」


 おおお、すっげえ! 袋を開いて匂いを嗅ぐとますますカレーっぽい!

 これを魔法世界マクマティカの食材だけで再現したのか。


「私は数えるくらいしか食べたことがなかったから自信がなかったが、貴様が言うのなら大丈夫そうだな。どれ、少し作ってみるので味も見てくれ」


「かしこまりっ!」


 エアリスはかまどの前に立つと、火打ちを使って火をつける。多分風の魔法も使ってるのだろう。薪への炎の回りが圧倒的に早い。


 鍋の中に入れた水がポコポコと沸き立ち、その中に予め用意していたであろう野菜やクルプ肉を投下、アクを取りながらエアリスは大袋の中身を匙で掬い、慣れた手つきで鍋の中へと入れる。その途端――――


「まんまカレーの匂いだな!」


 台所中にカレーの香りが爆発した。

 これは堪らない香りである。

 あ、でもこれはどうかなー。


「どうした?」


「うーん、カレーの匂いって強烈だからな。獣人種で鼻のいい子は嫌がるかなって思ってさ」


「なるほど。確かにこの匂いは残りそうだな」


 そうこう言いながらエアリスは出来上がったカレーもどきを皿によそい、僕の目の前に差し出してくる。僕は「いただきます」と手を合わせてからスプーンで掬い、フーフーしてから口に運んだ。


「おお。確かにカレーっぽい味がする! 美味いよ! お前も食べてみろよ!」


「そうか、どれ…………」


 僕の側まできたエアリスの手が彷徨う。たまたまテーブルの上にはスプーンがなかった。僕は自分のを差し出す。


「ほら」


「いや……それは」


「遠慮する仲でもないだろ」


「そう、だな。では借りる」


 僕の手からそっとスプーンを受け取ったエアリスは、カレーをひとつ掬い、静かにゆっくりと口をつけた。味わうように目をつぶり、コクリと喉を鳴らす。


「うん。やっぱり獣人種の子供には向かないな。匂いはもとよりこの辛さは子供にはよくないだろう」


「うーん、好きな子は好きだと思うんだけどなあ」


 クレスやペリル、コリスにハイアは大丈夫そうだ。なんでも食うだろう。

 女子組にはちょっと辛いかな。ケイトは黄犬族だし、鼻にも来そうだ。

 ダメかなカレー。いいと思うんだけどな。食べさせてやりたいなあ。


「そんな残念そうな顔をするな。どれ、少し待っていろ。匂いと辛味を抑えるよう、香辛料と薬味の調合を変えてみる」


「え、そんなことできるの!?」


「元来カレーとはそういうものだろう。薬学的な調合により複雑で濃厚な味を出す料理だ。配合具合は全部頭の中に入っている。試作品を作るのでしばし待て」


「いやあ、すごいなあ。是非頼むよ!」


 僕は手を動かすエアリスの後ろ姿を見ながら、子供たちのことを話して聞かせた。

 落第者と言われているが、全然そんなことはないこと。

 全員魔法の才能があって、それぞれ個性があっておもしろいこと。

 今日の授業のことや、お昼ごはんのこと。氷が好評だったこと。

 そして魔力しか使えない生徒に、少しだけお手本を見せたことをつらつらと報告した。


「その子はついてるな。普通魔法師になれないとわかっただけで、学舎から放逐されていてもおかしくはない。さすがは、魔法を一から覚え、自ら精霊を作り上げたほどの男だ」


「なんだよ、変に持ち上げるなよ。僕なんて全然大したことないって」


 だって元ニートですもの。まあ心深の会見のお陰でようやく地球を救ったという実感は湧いてきたけれど。


「相変わらず貴様は……そんな貴様だからこそ私は……」


「なに?」


「いや――――」


「エアリスさんですか?」


 屋敷内へと通じる扉が開く。カンテラを持った狼耳のメイドさんが室内を覗き込んでいた。


「また料理の研究ですか、精が出ますね――――あっ!」


 目が合う。僕がどうも〜、と手を振ると、「失礼しました」と入室し、キチンとしたお辞儀をしてくれる。顔をあげたメイドさんは途端、ニヤリというイヤらしい笑みをエアリスに向けた。


「本日はもう主はお休みになっております。メイドたちも業務を終えております」


 あら、そうなの? まだそんな遅い時間じゃないと思うけど……。


「私も台所の見回りが終わったら部屋で休ませて頂きます。しばらく見回りはない予定です。どうぞごゆっくりとお楽しみくださいませ」


「え、はい。どうも」


 カレーの試食の話だよね? そうだよね?


「失礼致します」


 パタン。パタパタパタとはしたない足音が遠ざかっていく。

 何だったんだろうね、とエアリスを見る。あれれ?


「おまえ、顔赤いぞ? 大丈夫か?」


「なっ、なんでもない! こっちを見るな!」


「そんなこと言われても。おまえ以外に見るべきものなんてないだろここ」


「そんなことはない! そこの竈、職人が作ったかなりの一品らしい。耐久性と火の回りに優れ、手入れも簡単だという話だぞ!」


「はあ、そうなのか。おまえこういうの欲しいの?」


「いや、欲しい欲しくないという話ではなく――――」


「はっきり言って料理の腕はもう完全に抜かれちゃったしな。ウチで台所を作る時はエアリスの要望が大事になるだろう。これからは・・・・・全部おまえに任すよ・・・・・・・・・


「それは………………これからも私を貴様の側に置くつもりがあるということか?」


「は? 何いってんの? 当たり前だろそんなの」


「――――ッ、そ、そうか。そうなのか…………!」


 エアリスは香辛料が入っているであろう、小分けの袋から大小様々な匙を使って一つ一つを深皿の中へと落とし込んでいく。硬い大粒の実もあるようで、それを乳鉢と乳棒のようなものでゴリゴリと潰して混ぜていく。


「できたぞ。少し待て」


 再び竈の前に立ったエアリスは、沸騰した湯の中に、先ほどと同じ手順で具材を入れ、調合し直したばかりのカレー粉を入れた。お、さっきより随分と優しい香りになったような。


「食べてみてくれ」


「ああ、いただきます」


 相変わらずとろみのない、カレースープといった感じである。ホクホクとした芋の味わいと、柔らかく煮崩れた根菜の歯ざわり、そしてジューシーなクルプ肉の食感がたまらない。文句なくこれは――――


「美味い。これはいい。子供にも大受けするぞ!」


「そうか。ではカレー粉はこれでいこう。他の具材も鍋に入れておくから、あとは火を入れてカレー粉を投入するだけで完成するようにしておく。真希奈に管理させればそうそう悪くなることもあるまい」


「悪いな。助かるよ!」


 そうしてエアリスは改めて子供たち用のカレー粉の大量生産体制に入った。

 作業を続けながら、ポツリと彼女は言う。


「…………セーレス殿の部屋は二階へ上がった左手奥だ」


「なに?」


「行って来い。帰る頃には用意も終わる」


 いや、僕としてはもう寝ているかも知れないセーレスのところに行くつもりはないのだが。その旨を伝えると、エアリスは僕を振り返った。訝しむような、疑うようなそんな視線がが向けられる。


「貴様、彼女は万難を排してようやく取り戻した愛し子だろう?」


 そんな愛し子って。照れるじゃないか。


「照れてる場合か。またナーガセーナに帰らなければならないのだろう。時間を無駄にするな。行って来い」


「いや、いいって。それにセーレスにはこの間会ったし」


「それは本人から聞いている。だが、二人きりにはなれなかったのだろう。今がその機会だ。セレスティアが邪魔なら私が押さえつけてやる。だから――――」


「セーレスとの約束なんだよ」


「なに?」


「次は自分に会わなくていいから、エアリスとだけ会ってくれって。なんか有無を言わせない切実な感じだったんだけど…………」


「だから、貴様は私に会いに来たのか?」


「いや、別にセーレスに言われたからってわけじゃないけど」


「けど、なんだ?」


「どうしたんだおまえ、なんか変だぞ?」


「私はどこもおかしくない。――――いたければいるがいい。勝手にしろ」


「最初からそのつもりだって」


 それからは一言の会話もないまま、僕はエアリスの背中を見守り続けた。

 その背中が、僕からの一切の言葉を拒絶していたからだ。


「じゃあ、ほんとにありがとな」


 寸胴の大鍋一杯の煮込み野菜と肉。そして大量のカレー粉を持って、僕は勝手口を出た。エアリスはアウラを抱きしめたまま視線を落とし「ああ」と短く呟いた。結局それが別れの挨拶になった。


 僕はナーガセーナの海岸に降り立つ。

 ふたつのムートゥと星明りだけが漆黒の大海を照らしている。


 僕は人通りが殆どないのをいいことに、魔力フィールドで大鍋やら、クーラーボックスを持ち上げ、自分の宿へと急いだ。


 今日のエアリスはやっぱりどこかおかしかったような気がする。

 なんというか、僕からセーレスやセレスティアの話題が出る度に態度が変わっていたような気がする。


「なあ真希奈」


『タケル様、次なる質問の予想はついています。真希奈からの答えはただひとつです。ご自分で考えてください』


「僕の娘は厳しいなあ」


『愛のムチです』


「はいはい」


 そうして、答えの出ないまま一晩を明かし、翌日、海岸の青空教室で事件は起こったのだった。

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