第203話 働こうよ改め働け篇⑤ 女王の教室〜腐った果実の殺し方

 * * *



 見上げるばかりの大校舎。魔法共有学校唯一の自慢。

 各階は円錐状のアーク巨樹の内壁にグルリと建設されており、真ん中は天辺までぽっかりと吹き抜けになっている。


 最上階には学長室、職員室などがあり、下るごとに上級生、中級性、下級生の教室になっている。特に直径が大きい一階から五階までは、集会場や多目的教室、実習室、そして大食堂などになっている。


 ――――ふざけやがって。


 クイン・テリヌアスは校舎の中――正面玄関広場のど真ん中に立つ。


 見上げれば、ぼんやりと浮かび上がった魔光石による微かな明かりが見える。彼女は怒りのままに四肢をたわめ、思い切りジャンプした。


 風の魔法を使用した連続ジャンプで、吹き抜けを真上にスイスイと昇っていく。各階層の縁を足場にしながら、あっという間に半分ほどのところまできてしまう。


 ――――ふざけやがって! ふざけやがって!


 本来、職員なら一基しかない昇降機を使うことができるのだが、彼女はわざわざ魔法を使い、獣人種の身体能力を駆使して駆け上っていく。


 こんなこともし生徒がしていたら停学ものだ。だがクインは教師だ。しかも実力はこの学校で間違いなく一番である。それは誰も逆らえるものがいないという意味であり、自分の意見こそが最も尊い――はずであるとクインは思っていた。


 だがそれでも学校長に頼み込まれ、渋々部下・・を迎えに行けばなんだアレは。どう見ても子供。ろくに鍛えてなさそうな身体に低い身長。


 おまけに人形愛好家でもあるようで、隠しもせずに堂々と愛玩人形を肩に載せていた。極めつけは何だ、校舎の異様に驚くのはまだわかるが、まるで一人芝居でもするように肩の人形とブツブツ会話のフリなどして。


「気色悪い……!」


 あんな男が自分の部下になるなど絶対に認められない。

 徹底的に無視無理無体を決め込んで、とっとと田舎に送り返してやる。


 そうして、自分が担任を務める教室へと戻ってくる。

 中には三十人からの可愛い子供たちがいる。

 いずれも魔法の才能を認められ、各獣人種領から集まってきた生え抜きたち。


 彼ら彼女らを最強に育て上げる。それが今のクインの掛け値なしの夢。

 一度は自身の才能のなさに絶望したが、それだけが今彼女の元へと垂らされた微かな希望の糸なのだ。


「あんな気持ちの悪い男、私の可愛い生徒たちに近づけさせてなるものですか」


 僅かに上がった息を整え、教室へと近づいていく。すると――


「なあ、やっぱりおかしいんだよあの先生は!」


 教室の中から聞き覚えのある声がした。

 課題自習を命じていたはずなのに、何人かの生徒が教壇で演説をしているようだ。


「俺たちだけだぜ、理不尽な体罰を受けてるのも無茶苦茶な体力作りをさせられているのも。クイン先生はやっぱりちょっと普通じゃないんだって!」


 この声はクレマティス――クレスか。赤猫族の少年で赤毛の癖っ毛が可愛らしく、俊敏性に優れているので成長を楽しみにしていた生徒だった。


 魔法制御はまだまだで、正直来期の十級昇進試験すら危ういかもしれない。だが焦らず見捨てずゆっくりと育てて行こう。そう思っていたのに……。


 クインは心の内側に生まれた『憎』の感情を自覚する。自覚した途端、相好を崩した。それは白羊族でありながら肉食獣を思わせる獰猛な笑みだった。



 *



「みんな、ケイトを思い出せ、あいつは確かに他より物覚えが悪かったかもしれない。でも学校に来なくなったのはクイン先生のせいなんだぞ。あの先生が気に入らないって言ったら、俺たちだってすぐに追い出されちゃうんだぞ!」


 クレスの周りには特に最近特に厳しく・・・・・指導している生徒たちが集まっている。


 そうか。こうやって私の見ていないところで甘い果実とは腐っていくのか。一部の腐り落ちた者共のせいで、他の者たちまで膿んでいってしまうのだ。


 いけない。腐り落ちた部位はすぐに切り捨てねば、他の正常な部位にも影響を及ぼしかねない。涙を飲んで切断しよう。でもその前に他の子たちを惑わせた罰を与えなければ。


 ――――バダンッ!


 しん、と室内が静まりかえる。

 いけない、思ったより力が入って引き戸が歪んでしまった。

 カツカツとわざとらしく踵を慣らしながら入室する。


 みんな青ざめていた。

 クレスなど顔面蒼白だ。

 予想より早く私が戻ってきて驚いているのだろう。


「せ、先生……」


 弱々しい声。あら、もう戦意喪失?

 クレスはかろうじて私と目を合わせているけどそれ以外の者たち、レンカ、ピアニ、ペリル、コリス、ハイアはうつむいて震えている。


 昨日までは可愛いと思えたそれら怯えた表情も、今はただ不快なものとしか認識できなかった。


 私は教壇にいる彼らの前を通り過ぎると、開け放たれた窓枠へ手をつき、遥かな絶景に目を細める。


 ああ、空はこんなに高いのに。風はこんなに心地良いのに。私の心の中は12月フォラスのように凍てついている。


「続けなさいよ。まだ全部を言い切ってはいないでしょう。全て吐き出してしまいなさいな」


「――ッ、あ、ご、ごめんなさ」


「俺達は何も間違っちゃいない! 謝るなレンカ!」


 クレスが歯を食いしばりながら前に出る。怯える他の子たちを庇うよう、私に精一杯の敵意を向けてくる。


「クイン先生、俺達はもうあなたに教えてもらうのは嫌だ!」


「そう。奇遇ね。私もそうよ」


「え?」


 決死の覚悟で告げた言葉をあっさりと受け止められ、クレスは呆けた顔をした。ああ、なんてマヌケな顔なんだろう。もう見たくない。


「あなたについてるそのおっきな耳は飾りなのかしら? 副耳も聞こえない? 私もあなた達なんかに教えるのはもう嫌だと、そう言ったのよ」


 私は白水晶のような自慢の羊角を撫でながら、改めて元教え子たちを蔑みの目で見た。


「私の教えが厳しいって話しだったわね。クレスを筆頭に、特にあなた達には厳しい指導をしてきたことは認めるわ。でもどうしてあなた達にだけそんなことをしていると思う?」


「そ、それは……俺たちの成績が悪いから」


 ふむ。自覚していたのか。でもそれを口に出して認めるのは悔しいのだろう、クレスは罰が悪そうに目をそらした。


「成績なんて関係ないわ。私から言わせたら、魔法師の試験さえ受けていない初等段階のあなた達の成績の優劣なんて大して違いはないわ。みんな等しく悪いもの」


 クレスたちを左から順に流し見て、教室内の生徒たちもグルリと見渡す。ああ、成績が悪いなんて言われたからみんなしょんぼりしてる。でも大丈夫。あなたたちは教壇の前にいるクレスたちとは違うから。


「でもね、それは今だけの話よ。まだ当分成績は悪いままかもしれないけど、これからは必ずよくなるわ。だってあなた達は私の生徒で、そして魔法師の才能があるもの。来期にある魔法師初等試験だって絶対に受かるはずよ」


 俯いていた子供たちは顔を上げ、ホッとした表情をしている。よかったよかった。

 でもね――


「あなた達は別だけどね」


 ニッコリと笑ったまま、クレスたちを視界に収める。

 試験は受かるなんて言われ、喜んでいた顔から表情が消える。


「言ったでしょう。私が特に厳しくしていたのはあなた達だけだって。まさか目の敵にでもされていると思った? 違う違う。逆に目をかけてやっていたのよ。何故なら、あなた達には才能がないから・・・・・・・


「え……」


 声を漏らしたのはハイアかしら。どうでもいい存在は顔の判別も億劫になってくるわね。


「わざわざ教壇の前にまとまってくれて感謝するわ。あなた達に先生として、というより魔法師の先輩として過酷な現実を教えてあげる。あなた達は大成しない。それどころかこのまま行けば魔法師になれるかどうかも怪しい」


「そんな……!」


「うそ、うそよ……!」


 あはは。ガタガタ震えてる。レンカ? ピアニ? もうどっちでもいい。


「だからこそあえて厳しくしてやっていたのに。厳しく指導して、どうにか並の魔法師になってもらおうと心をオルクのようにしていたの。そうよ、あなた達以外のみんなにも同様に厳しくしていたのは実は連帯責任だったの。他の子たちは優秀だわ。でも劣等生のあなた達のせいでずっと辛い目に遭っていたのよ」


 どよめきが、クレス以外の子たちから巻き起こった。戸惑いはすぐに怒りへと変わる。


 自分たちが理不尽な目に遭っていた責任がクレスたちにあると知って『憎』の意志をたかぶらせている。


 やっぱり。この子たちは優秀だわ。いい『憎』の意志力。『憎』の意思の過多は攻撃魔法の要。この子たちはきっといい攻撃魔法を放つことができるだろう。


 何人かクレスの弁舌で揺れていた子もいたようだが、今や全員が私の味方だ。ふむ。もう私にとっては用済みなクレス達だが、最後に仕事をしてもらおう。他の子たちのために生贄になってもらうのだ。


「わかったかしら。あなた達は他の子全員の足を引っ張っていたのよ。それなのになんですって? 私がおかしい? 私が悪いですって? これならケイトの方がまだマシだったわね。私に責任転嫁なんかせずに自主的に消えてくれたのだから」


「あ……う……!」


 クレスは私を見つめたまま、何度も首を振りながら後ずさっている。でもレンカたちがヒッシと彼の背中にしがみついて身動きが取れないようだ。


 その間にも教室中の『憎』の意志力は高まっていく。ひとつひとつは大したことがなくとも、何十と寄り集まった統一の意志は未熟な幼子たちには息苦しいまでの圧力となって襲いかかる。このまま放っておけば精神に変調をきたすかも。別に構うものか。


「これ以上、みんなに迷惑をかけないで欲しいわね。あなた達がいなくなってくれれば、私だってもう連帯責任で厳しい授業をする必要もなくなるわ。だから、ねえ――いい加減にしてちょうだいよっ!」


 寄りかかっていた窓枠から身を乗り出し、クレスたちを怒鳴りつけた。私はなんの躊躇いもなく彼らに最大の『憎』の意志力を叩きつけた。


「あなた達なんか獣人種の恥だわ。きっと将来は何者にもなれない。せっかくあった魔法の才能を自ら腐らせた愚か者として後ろ指をさされながら生きていくのよ」


 はは、ピアニ、レンカがボロボロと泣いている。

 クレスも目尻に涙を溜めて、必死に泣くのを堪えている。

 さあ、そろそろトドメを刺すわよ。


「いっそ獣人種であることを辞めたらどうかしら。ラエル・ティオスのようにその耳を切り落とし、ヒト種族か、もしくはそれ以下のゴミクズのように生きていきなさ――」


 次の瞬間、私の声はかき消された。

 それは教室の扉が爆発し、消し飛んだ音だった。

 何事かと私は身構え、教室の入口に注目する。


 そこには男が立っていた。

 まだ幼い顔立ち。肩には愛玩人形ドールを乗せている。

 私の部下になるはずの男が鋭い眼光をこちらに向けていた。

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