第202話 働こうよ改め働け篇④ ハヌマ・ラングール〜アーク巨樹と腕試し?
* * *
『獣人種領中立緩衝地帯――通称ナーガセーナに到着しました。気温22,1度、湿度50.6%、風速1,5メートル南南西。非常に快適な環境のようです』
真希奈(ドール)が僕の肩に座りながら優雅に報告する。
それはとびっきりハッピーな情報だね。
「おおー」
馬車の窓から顔を覗かせた僕は感嘆の声を上げた。
緩やかな海岸線に沿う形で作られた街道からは煌めく大海原が見える。
本来なら獣人種の魔法学校までひとっ飛びして行こうかと思ったのだが、わざわざ向こうから迎えを寄越してくれるとのことで、馬車による長旅を堪能することになった。
そしてこれは僕自身が獣人社会を舐めていたことでもあるのだが、彼らのインフラ整備は非常に行き届いたものだった。
ごくごく原始的な馬車での移動は、お尻が痛くなることも覚悟したのだが、そのようなことは全くなく。一定のリズムで刻まれる振動に僕はつい船を漕ぎ始めてしまい、真希奈の優しい声で起こされるまで惰眠を貪り続けたほどだった。
「まるでリゾート地に来たみたいだな。ちょっとわくわくしてきたかもっ!」
実際海なんて小学校の林間学校以来だから、もう8年くらいぶりになるのか。引き上げ式の窓を開ければカラッとした風が流れ込み、爽やかな潮の香りが車内いっぱいに広がる。
「元気がいいなあ。少し拝借しようか。真希奈」
『かしこまりました』
僕は規則的に揺れる窓から海へ向かって右手を差し出す。そうして心の中で優しく問いかける。「ちょっとうちの子になりませんか?」みたいな誘い文句だ。
地球でもそうだったが、この
だがやっぱり、それぞれの魔素が存在しやすい地形というものが存在する。炎の魔素は活火山や地熱が発生している箇所で活発だし、川や海の近くでは水の魔素がとても元気になる。
水の中以外ならどこにでも存在する風の魔素は、特に空の遥か高みでは、酸素が薄くなる代わりにその密度が濃くなる傾向にある。
土の魔素はヒトの手が入っていない原初の状態に近い森の奥く深くなどでは力強い印象を受ける。
魔法師が放つ意志力とは魔法を形作る強固な意思。そして魔素との対話力のことを意味する。
愛の意志、憎の意志は実は魔素へと呼びかけるときにはあまり意味がないのだと僕は気づいていた。
重要なのは魔素への呼び声。つまり意志力が強ければ強いほど魔素は集まりやすくなる。そうして集まった魔素に対して攻撃に転じるなら憎の意志が、守りや癒やしに転じるなら愛の意志が初めて必要になるのだ。
特に
愛憎、どちらの意思にも染まっていないまっさらな純白の魔素こそが、
『風の魔素、水の魔素を捕獲完了。魔力を付加した後、虚空心臓内に保管します』
僕の思惑を寸分違えることなく、真希奈が成功を告げる。
指先に纏わせた風の魔素をくるくると弄びながら僕は、改めて車窓の風景にため息を漏らす。
「いいとこだなあ。……みんな連れてきたかったなあ」
セーレスももう少しすれば完全回復すると言っていたし、そうしたらエアリスにお弁当作ってもらってみんなで海水浴でもしようか。
あれ……この世界って水着とかどうなってるんだろう。流石に裸で泳ぐ習慣はないよね? 水着……セーレスとエアリスの水着姿……。
『タケル様』
「はッ――!?」
いかん僕ともあろうものが、思春期特有の青い衝動を爆発させていた!?
『今何を想像していたのですか? 非常にだらしないお顔をされていたのですが――』
「御者さん、あとどれくらいで到着ですかッッッ!!」
僕は真希奈の追求を躱すため、学校に到着するまでの間ずっと、迷惑そうな御者さんとぎこちない会話を繰り返すのだった。
* * *
「ここが獣人種の共有魔法学校……」
海岸線を折れて内陸へと入り、街を抜けて森を進んでしばらく。突如として目の前が開けた。
郊外の森の中にポッカリと口を空けた広大な敷地。その中心にそびえ立つ魔法学校の異様に僕は興奮していた。
「すごい、すごいぞ真希奈! アレって全部木だよな!?」
そう木だ。僕の目の前にはあまりも大きな巨木が
どっしりと大地に鎮座し、空に伸びるほどに細まっていく円錐状の巨木。見上げた首が痛くなるほどの大きさだ。
その根本には正門と思わしき大きく開かれた入り口と、各階の教室ごとに規則正しく窓枠が取り付けられている。
耳を澄ましてみると、いたるところから子供たちの笑い声が聞こえてきた。
『
真希奈が説明してくれる。太く大きく広く、そしてあまりに頑強な巨木アーク巨樹という木があるらしい。
一般的には『
アーク巨樹の硬い部分は露出している分厚い外皮のみであり、穴を掘って根本から内部を彫り抜いて空洞にしていけば、こうして巨大建築物として転用することが可能なのだという。
『厳密にはアーク巨樹は
「ほええ〜」
期待を裏切らない、実に魔法世界然とした光景に僕は感心しきりだった。
ちなみに、なんで魔法世界にやってきたばかりの真希奈がそんなことを知っているかというと、これはディーオの知識だという。
真希奈は現在、暇を見つけてはディーオから譲り受けたこの世界での知識をライブラリ化している最中だ。
使用頻度の高い、風土、文化、言語と地理を優先的に整理整頓をしているのだという。
地球にメンテナンスに行って、しばらくは停滞していたようだが、早速精力的に取り掛かってくれているようだ。もう優秀すぎて真希奈様様だった。
「もし、ナスカ・タケル先生ですかな?」
突然の呼びかけに、見上げていた首を戻す。
目の前には見事に禿げ上がったつるつる頭を頂く長身の好々爺が立っていた。
おお。僅かに残った髪の毛が、グルリと頭の周りを一周している。孫悟空の輪っか、
「初めまして、獣人種共有魔法学校長を務めます、ハヌマ・ラングールと申します」
「ハヌマン、さん?」
「はい? いえ、ハヌマですハヌマ。はは」
惜しい。一文字足りない。さっきからお尻のそばでゆらゆら揺れてる尻尾からして『猿』の獣人種なんだろうとは思っていたが、斉天大聖にあと一文字足りない。実に惜しい。
「本日は遠いところからご足労頂きありがとうございます。全校生徒への紹介はまた朝礼のときにでも行いますので」
「あ、はい。改めてナスカ・タケルです。それからこっちは真希奈です」
僕が促すと、僕の肩に腰掛けていた人形が飛び上がる。
『初めまして、真希奈は真希奈と言います。タケル様の妻になりたい生後四ヶ月の娘です』
「どうぞよろしく――って今何つったおまえ?」
『イエナニモ』
僕の非難を込めた視線に対してパッと背中を向ける真希奈。頼むから他所様で変なこといわないでくれよ。
などといつものように漫才に近いやり取りをしてしていると、ハヌマ校長が沈黙しているのに気づく。彼は目玉が零れ落ちそうなほど真希奈を凝視していた。
「そちらは人形、などではなく……まさか――」
「ええ、実は精れ」
「妖精種ですかもしかして!」
「いえ、真希奈は精れ」
「なんとなんとなんと。妖精の存在など祖父が生きていた時代に聞いたきりで、伝説や伝承の類だと思っていましたのに、まさか本当に存在するとは!」
「……………………」
あれ、なんか精霊って言い出しづらい雰囲気だぞ?
妖精でこの驚きようなのに、精霊なんてバラした日には超めんどくさそう。
――よし黙っていよう。
「さすがはラエル・ティオス殿が紹介してくださった御仁だ。まさか伝説の存在である妖精種を飼いならしているとは頼もしい。いえ、実は先程から気になっていたのですが、てっきり人形愛好家の方なのかと。個人的にそのような趣味を持つことは全く問題ないとは思うのですが、子供たちの前では遠慮してくださるようにお願いしようとしていたのです。ですがまさか本物の妖精とは!」
なるほど。この世界でもドール愛好家はなかなかニッチな趣味として理解されているようだ。少なくとも子供に悪影響があると思われるほどには。
どの世界でも自分の『好き』を貫くって大変だなあ。でも今はそれよりも――
「ハヌマ学校長、ひとつ訂正を。僕はこの娘を飼ってなどいない。自分の家族として、娘としてこの子を愛しています。今後僕の娘をペット――家畜扱いはしないで欲しい」
『タケル様……! 嬉しゅうございます! でも真希奈はタケル様の愛の奴隷でもいいんですよ?』
「それ僕が嫌だから!」
何だよ愛の奴隷って。それでも真希奈は感激のあまり僕のホッペにキスの雨を降らせてくる。
ハヌマさんは「おお……」などと言いながら、深いシワに埋もれた両の眼から強い眼差しで僕たちを見ていた。なんだかやたら熱っぽい視線だぞ?
「失礼をしました。妖精種とは本来、気まぐれにその姿を見せるだけの存在なのです。一目でも逢うことが叶えば、目撃した者には必ず幸福が訪れるという伝説があります……」
へえ、なるほど。そんな一期一会の存在である妖精が僕といる姿を見て、僕が真希奈を一方的に従えている関係だと思ったのか。
ふーむ。ディーオの知識だけでは推し量れない現場の生の声、とでもいうのか。やっぱり知識で知るのと、相手と話して体験するのとでは違うなあ。
「まさか我ら獣人種と妖精種とが対等の交友関係を築いている上に、あなた方はそれより以上の深い絆で結ばれているようにも見える。いや、これは期待が持てそうだ」
ハヌマさんは目尻に涙さえ浮かべながらコクコクと頷く。
そうしてから不意に――――彼は変貌した。
「――ッ!?」
禿頭を頂く好々爺だったハヌマさんから強い圧のようなものが放たれる。
表情や姿勢はそのままに、纏う雰囲気だけは静かな湖面から激流くらい変貌していた。
これは所謂『闘気』以上『殺気』未満というやつだろうか。僕が即座にそのことに気づいたのが嬉しかったのか、ハヌマさんの顔には笑みというシワが幾重にも刻まれていく。
「実は先程お声を掛ける前、私の隣にはもうひとり、あなたをお迎えすべく女性教師がいたのです。彼女はあなたが配属される教室の担任ですが、アーク巨樹の校舎に感激するあなたを見て『田舎者の没落種族』と吐き捨てて立ち去ってしまいました」
「ええ?」
なんだそりゃ。僕ってばそんなめんどくさいヤツと働かなきゃならないのか。
「失礼ながら私も、あなたとお話するまでは侮っていました。ですが今は違う。是非本気であなたを確かめさせていただきたい」
なんだなんだ、ノリがバトル漫画みたいになってきたぞ?
「えっと……どうするんです?」
「手を」
スッとハヌマさんが手を差し出す。手の甲を向けてきたので同じように手の甲を合わせる。
「
「え”ッ! ちょっと待ってハヌマさ――――」
「さあ、行きますぞッ!」
ダメダメダメぇ、そんなこと急に言われたら手加減が――
*
結局、自身の許容量を遥かに超える魔力を体内交換したハヌマさんは、噴水みたいに鼻血を吹き出しぶっ倒れてしまった。
早々に道案内を失ってしまった僕は老体を抱えたまま、保健室に該当する場所を探してアーク巨樹でできた校舎へと闖入していくのだった。
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