第200話 働こうよ改め働け篇② クイン・テリヌアス〜魔法学校の女王

 * * *



 ここはナーガセーナ。魔族種領ヒルベルト大陸と大河川ナウシズ運河とを挟んで隣接するラエル・ティオスの領地とは真反対に位置する東の地。


 いずれの列強氏族にも属さず、ラエル・ティオスを含む複数の列強氏族の支援の元に中立緩衝地帯という、かの東の果の地、エストランテ王国という永世中立国を真似て作られたモデル都市である。


 そこには比較的安価で通うことができる魔法専門の学校が存在し、高額な魔法私学塾にどうしても通えない、けれども将来は国を担うことが期待されている魔法の才ある子どもたちが多く通う。


 その名も獣人種魔法共有学校。


 七歳から十五歳までの子どもたちが数多く通う学校であり、お金がないが魔法の才能のある子どもや、魔法私学塾の試験に落ちてしまった子どもたちの受け皿として機能している。


 ただ、魔法師としての子どもたちの実力は決して高くなく。

 未だ親戚中から借金をしてでも高額な私学に通わせようとする親は数多い。


 現在の急務は子どもたちのレベルを底上げすること。

 そのために有名私学塾出身の教師を特別待遇で招き入れたりもしている。


 だが――現状で効果が上がっているとはとても言えない状況が続いていた。



 *



「今は時代が変わってきたのです、もう少し穏便にできませんかクイン先生」


 獣人種魔法共有学校の学長室に呼び出されたクイン・テリヌアス。

 先に述べた有名魔法私学塾出身で確かな実力の持ち主であり、大変優秀な女魔法師だった。


 本人は獣人種白羊族であり、靑柱石せいちゅうせきで作られた特注の眼鏡に、緩やかなウェーブを描いた亜麻色の髪、そして頭の両脇からは種族特徴を表す羊角ようかくが生えている。


 彼女の羊角は同族の間では大変珍重される形をしており、左右対称であることはもとより、頭頂部から両頬の脇に垂れ下がり、耳たぶのラインでくるりと円を描きつつ外代わりに先端が抜けるという、実に芸術的な形をしていた。


 白羊族にとってそれは何よりの美女の証。

 本人の整った顔立ちと、群青色のローブの上からでもわかる女性らしいまろやかなプロポーションとが合わさり、彼女は見た目・・・だけなら大変モテる容姿をしていた。


 ただし、現在学校長に注いでいる彼女の視線はそんな優れた容姿を台無しにするほど冷たく蔑みに満ちたものだった。


 本来目上であるはずの学校長にそんな視線を送りながら、彼女は学校長の言葉を完全に聞き流していた。


 あるいはその目は如実に不満を述べている。何故自分がそんなことを言われなければならないのか。自分は一切、何も間違ってはいないのだと、そう頑なに信じている者の目をしていた。


「お言葉ですが学校長、私の教育模範はかの有名な黒羊族の長であり、稀代の兵法家であったノンダス将軍の教えに基づくものです。それを否定するということは我ら一族をも愚弄することになりますが、そこまでの覚悟がおありですか?」


 クイッとメガネを持ち上げ、クイン・テリヌアスは底冷えするような目で相手を見下した。


 学校長は机の上で両手を組みそっと顎を載せている。口元は笑みを作っているが、頬には一粒の玉の汗が浮かんでいた。


 ちなみにこの学校長、出身は畢竟地帯デルデ高地を住処とする猿飛族えんぴぞくであり、自身も若い頃は巨猿拳きょえんけんと謳われた武芸者だったりする。


 だが、今は当時の面影はなく、ひょろっと細長い上に禿頭を頂くという好々爺だった。生徒たちからは人気者だが、威厳があるかと言われれば疑わしいのだった。


「ですが、どうもクイン先生が担任になられてから子供たちの成績が実技・座学ともに落ちてきているようなのです。授業への意欲も低いように見える。実際親御さんたちから子供が学校に行きたがらないと苦情が届いているのですよ」


 なるべく相手を刺激しないよう言葉を選びつつも、内容的にどうしても相手を非難してしまうものになってしまう。


 学校長はニコニコと笑顔を作りつつ、あくまでこういう意見もあるのですよ、と優しく彼女に伝えてみる。すると――


「それは当然のことでしょう。現代の教育方針によって甘やかされた子供にとって私の教えはさぞ厳しいものでしょう。ですが多少時間をかけてでも慣らしていくことで、将来はきっとよい結果が生まれるはずです」


「人魔大戦以前の教育に回帰するおつもりですかな? もうそのような軍隊式の学校教育は200年も前に廃れたというのに」


「古き良きものが今求められていると考えられませんか。実際、ヒト種族とはことなり、獣人種の魔法師の質は年々下がっていく一方です。現代の教育が合わないのなら、過去を回帰することも必要と考えます。そして私は、厳しいノンダス式魔法教育を受けてきました。どなたかお一人でもこの学校で私に魔法で勝てる方がいらっしゃいますか?」


「うーん、自信がおありだと」


「もちろんです」


 クイン・テリヌアスは優秀だった。彼女は元々有名私学塾の出身者だ。その実力派ハッキリ言って実践レベル。今すぐ戦争に趣き、最前線で戦えるほどの実力者だ。教師陣で彼女に勝てるものは一人もいない。


 故に女王。

 彼女の担当する教室は『女王の教室』と呼ばれている所以だった。


 有名私学塾内での派閥争いにこそ破れ、野に下った彼女だったが、その実欲故引く手あまただったと聞く。


 共有学校で教鞭を取ってくれるとなったとき、学校長も含め誰もが喜んだものだが、蓋を開けてみればとんでもない怪物だった――


「なるほどなるほど」


 学校長は椅子を引いて立ち上がると、校庭が見える窓の前に立つ。なんの気なしに見下ろすと、今まさに子供たちが隊列を成して、フラフラと駆け足をしている姿が写った。慌てて振り返る。


「クイン先生、今走っているのはあなたの生徒ですか!?」


「もちろん、そのとおりです」


「私に呼び出されている間、ずっと走り続けるようにと?」


「はい。休んでいる生徒など一人もいないでしょう。これこそが規律であり規範です。私の生徒が他の教室を凌駕するのはこれからです」


 ニヤリと、クイン・テリヌアスの綺麗な顔が歪む。

 教育者として道からも外れ、凝り固まった利己主義エゴイズム


 彼女はおそよ教師などではない。派閥争いで挫折してしまった自分自身の優秀性をもう一度体現するための道具として生徒たちをすり潰すつもりなのだ。


「わかりました。確かにあなたは優秀だ。魔法師という実力主義の世界において、あなたに意見を言える者はこの学校にはいない。それも認めましょう」


 幼い身空に軍隊式訓練で酷使される生徒が不憫でならず、わざわざ授業中に彼女を呼び出したというのに、それが裏目にでてしまったことを学校長は後悔した。


 そして、上から押さえつけるように彼女に命令したところで意味がなく、まかり間違って彼女の逆鱗に触れてしまえば、そのしわ寄せはすべて生徒へと帰結することも理解した。


 ならばもう何も言うまい。ただ厳然とした事実のみを告げるだけだ。


「最後に獣人種共有魔法学校の決定をお伝えします。明日より当校に新たな教師が赴任してきます。あなたの教室の副担任として迎えますのでそのつもりで」


「拒否します。生徒に悪影響があるといけませんので」


 即座に返された拒絶の言葉にさすがの学校長も空いた口が塞がらない。

 だが、これ以上の問答を続けては生徒たちがあまりに不憫だ。

 強引に話を締めくくる。


「決定です。これは列強十氏族、雷狼族の長、ラエル・ティオス氏からの要請でもある」


「ラエル・ティオスからの!?」


 初めて、クイン・テリヌアスの顔から余裕が剥がれ落ちた。

 一番新しい列強氏族にして成り上がり者。


 獣人種を脅かしていた人類種神聖教会アークマインのお膝元、聖都へと攻め入り、とらわれていた多くの同胞を救い出した彼女の功績は正に雷鳴の如く獣人社会に轟いた。


 氏族会議においての発言力も増し、近年隆盛著しい新興種族として羨望を集める女傑。それこそがラエル・ティオスである。


 だが、クイン・テリヌアスにとっては、因縁浅からぬ女として唾棄すべき対象と認知されているようだ。


「ラエル・ティオスの肝いりと。はっ、魔法学校の威信も地に落ちたものですね。たかが新参氏族の要請におもねるなぞ恥を知りなさい!」


「……なんとでもおっしゃってください。ですがこれは学校全体の決定です。いいですね?」


「……ふん、まあいいでしょう。ちなみにその副担任とやら、出身は?」


「雷狼族の係累、灰狼族の長の三男坊だそうです。名前は……ナスカ・タケル、と」


「灰狼……没落種族か」


 その呟きは独り言にしては大きい声だったが学校長は聞こえないフリをした。


 聞いてしまっては他種族を不当に侮蔑するものとして咎めなければならならず、だがその間に校庭で走らされている生徒が倒れてしまうだろう。


 以上です、生徒を休ませてくださいね、と念を押してからクイン・テリヌアスを下がらせる。彼女は肩を怒らせながら、暇の礼も告げず学長室を出ていった。


「はああ……。本当に頼みまずぞ」


 ラエル・ティオスが派遣してくれるその『ナスカ』なる人物が、彼女の言葉を信じるならば、唯一クイン・テリヌアス女史に対抗できる人物だという。


 学校長は誰もいない室内で、祈るように手を組んで、深々と机に突っ伏するのだった。

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