第196話 地球英雄篇2⑧ Despair breaker〜降臨・黄金の英雄者・後編



 * * *



 沈んだはずのベゴニアの意識が触れたのは、冷たく暗い闇の底などではなく、どこまでも温かな光の世界だった。


 死力を尽くして命を燃やし、魂を焦がして戦い抜いた。

 これほどまでに誰かのため、限界を越えて力を絞り尽くしたのは初めてだった。


 カーミラの秘書として下積みをしていた頃、主に聞いてみたことがある。

 なぜそれほどの力を持ちながら敢えて王道を行くのか、と。


 吸血鬼という言葉自体、カーミラと出会ってから初めて知ったベゴニアだが、それが人間を超えた、人間以上の強い生き物の名前なのだということはすぐにわかった。


 ならば何故力ですべてを支配せず、なんにもない焼け野原で一から商売を始めようなどとするのか。


 ベゴニアの質問にカーミラは実につまらなそうな顔で答えた。暴力による支配など面白くもなんともないと。そして苦労こそが最大の娯楽なのだと。


『私のような美しくて強くてなんでもできるパーフェクトな女は、苦労するくらいがちょうどいいのですわ。それに見てご覧なさい』


 カーミラが初めに店を出したのはアメヤ横丁の闇市であり、出店料だけでも莫大な金が飛んで行く。そして彼女が指した先にいる人々は、老いも若きも男も女も皆が必死な顔をしていた。子供でさえも、今日の糧を得るために歯を食いしばり、あくせくと働いていた。


『この国は今新たな産声を上げたのですわ! これほどまでに生命力と活気に満ちた人々がいるのです。大きな商売のチャンスですわよ!』


 彼女が取り扱った商品はごくごく小規模な服飾と、なんと女性用のコスメ品の今で言うその走りのようなものだった。当然誰にも見向きもされなかった。


『カーミラ様、こんなものは売れるはずがありません。みんな食べるのに必死で娯楽品は二の次なのです』


 ベゴニアがそう言うとカーミラは焦るでなく余裕の笑みを浮かべるだけだった。


 それに口には出さなかったが、カーミラの隠す気もない美貌や色気も絶対に逆効果だと思った。


 誰もが汗と泥に塗れてみすぼらしい格好をしている。女性だって割烹着やモンペがほとんどだ。


 それに引き換えカーミラは瀟洒なドレス姿。そしてベゴニア自身は大きな体格を生かしてフォーマルなスーツ姿だった。近寄り難いなんてものじゃない。


 一ヶ月が過ぎ、二ヶ月が過ぎ、季節の変わり目に変化が訪れた。

 ついに、初めてとなるお客がやってきたのだ。くしゃくしゃの壱円札を二枚握りしめて、化粧品とはまるで縁のなさそうな質素で見窄らしい女性だった。


 ベゴニアは思った。きっとこの客は自分の商品にふさわしくないと主に追い返されるだろうと。


 だがそんなことは全くなく、カーミラは待ってましたとばかりに女性に抱きつき、汗に濡れた顔を丁寧に拭いてやってから、懇切丁寧にコスメ品――今で言う乳液やローションに近いもの――の使い方を教えていた。


 女性は瞳をキラキラと輝かせて、熱心に話を聞いていたのを覚えている。


 それからはトントン拍子だった。

 ネットもない時代は事さらに口コミの力はすごかった。


 出店料を払うのもカツカツだった店は、どんどん規模を大きくしていった。

 カーミラは知っていたのだ。ヒトは食べるだけにあらず。

 お腹が膨れれば必ずそれ以外のものが欲しくなるのだと。


『見ていなさいベゴニア、この国の女性全員を私の商品で美しく彩って差し上げますわ。焼け野原なんてとんでもない、この国は真っ白いキャンバスですの。私の色に染め上げてやりますわ!』


 その言葉を聞いた時、半信半疑だった主への忠誠が本物になった。

 生涯この方のそばに居ようと、彼女の色に染められた日本の未来を見てみたいと、ベゴニアはそう思ったのだった。



 *



(なんだこれは……走馬灯なのか?)


 人が今際の際に見るという記憶の総決算。

 だがいくら待てど終わりの時はやってこない。


 それどころか、凍えるようだった全身が熱を帯びてきている。


 胸の奥が熱い。

 まるで零れ落ちたはずの命を、外から直接注がれているかのような――


「はッ――あ!」


 自立呼吸を取り戻し、肺に流れ込んだ外気にベゴニアはむせた。

 ひとしきり咳をした後、ベゴニアは自分が何者かに抱きかかえられていることに気がついた。


「タケル……か」


 眩しい。

 目を開けていられないほどの金の光芒。

 なぜその煌めきを愛弟子だと思ったのか。


 霞んだままの視界で見渡せば、辺りには多くのゴミが散乱していた。

 それがかつてのバケモノの成れの果てなのだとベゴニアにはわかった。


 黄金の光は自分を抱えたまましばらく歩を進めると、ゴミ共で汚れていないキレイな地面にベゴニアをそっと下ろす。


 そして何も告げようとせず、そのまま遠ざかっていく背中に、ベゴニアは特大級のナイフを突き刺した。


「今……私に接吻をしたな?」


 ピタリと、黄金の人影が立ち止まった。

 バケモノに食われるまでもなく。

 あのままでは、ベゴニアの命は潰えていたはずだ。

 それが一命をとりとめ、こうして生きてる理由などひとつしかない。


「私の中にカーミラ様以外の生命エネルギーが満ちている。これはお前の魔力か」


 沈黙が答えだった。

 振り返る勇気すらないのか。

 そんなに金ピカのナリをしていても中身はヘタレのままなのか。


「ふ――。エアリス殿とセーレス殿には内緒にしておいてやる。だから――すべてを終わらせてこい!」


 そう発破をかけてやると、黄金の光が飛び立った。

 長く尾を引く金の残光を描きながら漆黒の空を駆けていく。

 その様はさながら夜空を渡る黄金龍のようだった。


「死に損なったか……うむ、実に愉快だ!」


 呵呵と笑いながら、ベゴニアは頭上を――黒い太陽を見上げる。


 今のタケルならば、ひょっとするとアレすらも追い落としてしまうのではないか。そんな予感、というか確信が去来する。


 ベゴニアは地面に大の字になると、高みの見物と洒落込むのだった。



 * * *



 人という器に、人より以上の力と寿命を封じ込められたモノ。

 それはヒトの理を外れた存在。即ち人外。


 その人外が、己の長命を引き換えにすることでしか成し得ない、圧倒的な生命力の発露を以って、この世に具現した絶望そのものへと、今まさに挑みかかろうとしていた。


 蹄の音も高らかに天を翔ける式神『索冥さくめい』に騎乗した百理と。

 必滅の紅蝶を従え、自身もまた赤光の翼を拡げるカーミラである。


 立ち塞がるのは浮遊要塞――というよりもはや浮遊大陸と化したサランガの集合体『融合群体』。全長10キロメートルにも及ぶその異様は、人外であるはずのふたりからして常識を疑う程のものだった。


「図体は大きいようですが――」


「ええ、やはり動きは鈍いようですわね」


 海上には深い霧が立ち込めていた。

 融合群体の底部を幾百、幾千万もの有翅種ゆうよくしゅ、テルバン・サランガがその巨体を支え、浮かび上がらせているためだ。


 翅の振動に合わせ海面が波打ち、細かな粒子となって融合群体の姿を覆いつつあった。


 だが、敵の大きさは陸地並みの面積を誇る。

 的が巨大な分、攻撃は容易に見えた。


「百理、私が往きますわ!」


「お待ちなさいカーミラ、ひとりでは――!」


 常よりも大きな赤光の蝶翼を羽撃かせ、カーミラが猫のようにクルリと反転する。彼女はそのまま自由落下の速度も加味して浮遊大陸へと突貫を開始した。


 そんな彼女が引き連れるのは無数の紅蝶たち。一つ一つがすべからく分子崩壊のアビリティを付加されている。


 唯一、弱点らしい弱点を上げれば、直接触れないことには効果を発揮しないことだろうか。


えぐり抜いて穴だらけの有様にして差し上げますわ!」


 豪語するだけあってカーミラが発現させている紅蝶たちはとんでもない数だった。一羽につき約十匹。成体サランガを滅するだけのキャパシティがある。


 しかも今もなお、紅蝶は続々とカーミラ自身から生み出され続けている。触れたが最後、その部分から消滅し、崩壊が全身へと拡がっていくだろう。だが――


「カーミラ、右です!」


「――なッ!?」


 霧を突き破り、側面からが現れた。それは融合群体から生えていた触手の先端。全長数百メートル、直径は三十メートルはあるだろう。


 凶悪な牙を有した口部が密集し、まるで地面を削るボーリングマシンのようなそれがカーミラを押し潰さんと迫り来る――!


「くッ、このぉ!」


 驚くべきことに本体の緩慢さにくらべて、触手の動きは激甚げきじんだった。カーミラは横合いからのすさまじい圧力に押されながら、紅蝶たちを盾にし、牙を突き立てんとする触手に耐え続ける。


「私の不意をついたことは褒めてあげましょう! ですがこれしきのことでやられる私ではありませ――!」


「違います! カーミラ、早くそこから脱出なさい!」


 百理の喚起にハッとしたときにはすべてが遅かった。


「あああああああああああッ――!!」


 霧を突き破り反対側からも触手の先端が襲いかかってきたのだ。

 まるで地面と地面の間に閉じ込められるように。

 カーミラは紅の蝶たちと共に圧殺プレスされてしまう。

 その瞬間、彼女が悲鳴を上げたのは、決してサランガの攻撃によるものではない。


 自滅である。

 直接触れなければ効果を発揮しない必滅の紅蝶。


 一羽一羽はとても軽く、普段は羽撃きしながら互いが干渉し合わないよう適切な車間距離・・・・が取られている。


 だがそれも大質量、大面積に密着され、押し潰されれば別である。紅の蝶たちはカーミラを巻き込んでぶつかり合い、もちろんサランガをも滅ぼしながら発破のように炸裂した。


「カーミラァァァァ――!!」


 全身に青白い鬼火を纏い、索冥が突撃する。


 百理は密集したサランガを焼き尽くしながら内部を突き進み、自身もダメージを受けながら、結合した触手の接触面――カーミラが閉じ込めらている中心へと向かう。


「このバケモノ共がッ! 貴様らなぞにその女は渡しません!」


 硬い甲殻と牙と爪の海をかき分け、百理はようやく見つけたカーミラを抱えて離脱した。


「カーミラッ、しっかりなさい! カーミラッ!」


 騎乗で呼びかける百理に「あ……あ」と弱々しい返事が返ってきた。

 よかった、息はある。

 だが、その五体はメチャクチャに破壊されていた。


 全身の肉が削られ、ミキサーにでもかけられたようにズタズタである。


 彼女の攻撃の要であり、命そのものである血液も、止めどなく全身から吹き出し続けている。


 吸血鬼の回復力のお陰で少しずつ再生しているようだが、もう戦うことは出来ないだろう。


「百、理……」


「カーミラ、大丈夫ですか!?」


「ふ……、ドジりましたわ……かっこ悪いところを、見せましたね……」


「何を言うのです。もう少しの辛抱です、すぐに安全な場所まで運びます」


「いけません……一刻の猶予も……! 私はまだ、戦えます、わ……!」


 百理の腕の中、カーミラが身悶える。

 それだけだった。最早まともに動くことすらできないようだった。


「馬鹿な、もう無理です、あとは私に任せてあなたは休んでいなさい!」


「それこそ馬鹿な、ですわ。守るのです、この国を、民を……あなたと、私なら、できますわ……!」


「カーミラ、あなたという女性ヒトは……!」


 何故、と。

 幾度疑問に思ったことか。


 何故外様である彼女がこんなにも懸命に戦うのか。

 異国の地で発生し、流れに流れて日本に住み着いた彼女がどうしてここまで自分を犠牲にできるのか。どうしてそこまで日本の民草を想うことができるのか。


 愛国とは自分の故郷にしか抱いてはいけないのか。外から入ってきた者がその国と民を愛することはいけないことなのか。


 例え生まれた国が異なろうとカーミラは本物の愛国者である。そしてそれは、古来より日ノ本と共に歩んできた御堂の血を引く百理と比べ、なんら見劣りするものではない。


「――はっ」


 百理が目をやれば、融合群体の触手の一本が解け、それが霞のような大軍団となって進行を開始した。


 今この時、この場所で融合群体を止めなければ、さらなる被害が日本国内にもたらされてしまうだろう。


「カーミラ、あなたの日ノ本を想う心は本物です。どうかこの国と民をお願いします」


「百理……? あなた一体、なに、を……?」


「索冥! 最後・・の命令です、カーミラを連れて疾く離脱なさい!」


 プシュル! と小さないななき。

 百理は一枚の符を片手に索冥の背を飛び降りた。


「百、理ッ! あなたまさか……!」


 鬼火に包まれた符を足場に、百理は悠然と宙空に屹立する。

 カーミラを背に乗せた索冥は反転し、その場から海岸を目指し駆け出した。


「嘘、嘘嘘嘘ッ! 冗談はおやめなさい百理! それは、私の――」


 自分の役どころ、ではないか。


 後のことは全部誰かに押し付けて、自分ひとりで美味しいところを持っていく。カッコよく散って、華々しい名声だけを後世に残す。


 それは、所詮外からやってきたよそ者である自分にこそ相応しい役どころのはず。決して、由緒正しき日ノ本の正当後継者がやるべきことではない。


「だからですよ。そんなあなただから私は――」


 振り返った百理が遠ざかる馬影に呟く。

 口元を正確に読んだカーミラにも、それはしっかと伝わった。


「この――お馬鹿娘ぇぇぇぇ!」


 痛みになど構っていられない。

 カーミラは叫び、必死に手脚を動かそうと馬上で藻掻く。


「馬鹿は先刻承知――」


 自分の行為が愚かなことだとわかっている。

 多くのモノを投げ出す行為だと知っている。

 きっとすべての者に多大な迷惑をかけるだろう。


 だが、幸いにも。

 今は安心して逝くことができる。


 何故ならカーミラがいるから。

 彼女さえ生きていてくれれば。

 なんの憂いも後悔もない。


「霊言急急如律――」


 己の魂を燃焼させてり出した霊力に、さらにさらに、限界を超えて魂を焼べ続ける。


 青い鬼火はやがて超高温を示す白炎となり、百理の全身を包み込み、球体状に燃え広がっていく。


黒縄こくじょう等活とうかつ衆合しゅうごう叫喚きょうかん阿鼻あび灼熱しゃくねつ炎熱えんねつ無間むかん――最終必滅呪法、八大天獄・辰星落とし……!」


 それは、己自身が巨大な火の玉と化し、全生命力と引き換えに放つ自爆技。

 炸裂すれば、眼下の浮遊大陸とて無事では済まない。


 恐らくそれでも。

 すべてのバケモノを焼き尽くすことは適わないだろう。

 修復のために、内陸へと飛び立ったサランガが戻ってくれれば僥倖ぎょうこう


 再進撃までの時間を稼ぐことこそが目的なのだ。

 それまでにあの方さえ間に合ってくれれば――


(タケル様……!)


 巨星が落ちる。

 あたかもそれは白色矮星を彷彿とさせるほどの熱量を持った炎の顕現。


 百理という中心核コアから発せられるエネルギーを糧に、万物をあまねく焼き尽くす極大の炎だった。


 故に核である百理の霊力が――命が注がれ続ける限り、白炎が百理自身を焼き尽くすことはない。


 だが彼女が枯れ果て、その均衡が崩れた瞬間、確実な死が訪れる。

 即ち、百理は跡形もなく消滅するだろう。


「百理ぃぃぃ――!!!!」


 カーミラは叫んだ。

 叫ぶことしかできなかった。

 吸血鬼の神祖であるはずの彼女は今、全くの無力だった。


 百理の服が燃え、髪が焦げ、肌が灼ける。

 生まれたままの姿となった百理は、巨星の中心で胎児のように丸くなりながら、もはや自身ではコントロール不能となった術理のパーツとして、なすがままとなっている。


 危険を察知したのか、融合群体の触手が炎を受け止めようと手を伸ばすもす無意味。触れた先から、あまりの熱量に触手が燃え落ちていく。


 だが、直撃する寸前、カーミラは信じられない光景を目にする。


「あれは――!」


 陸地が激的に変化していた。

 百理が放った渾身の『辰星落とし』を厭うた融合群体が急速に解け、ドーナツ状――否、リング状に変化したのだ。


 当然白炎が直接触れるのはバケモノ共ではなく海面。

 その瞬間を想像し、カーミラが青ざめる。


 融合群体が作った花道を通り、今の百理が海に接触すればとんでもないことが起きるとわかったからだ。


「水蒸気爆発――」


 液体が気体に転じる際、体積が激的に膨張する現象。

 あれほどの超高温、そして広範囲。


 瞬間的に気化する海水は恐らく数十万トンにも及ぶはず。

 それが約1700倍に膨張すれば、どのような大惨事になるか。


 サランガを巻き込むだけならまだいい。

 だが最悪、百理が守ろうとした日本自体に大変な被害が及ぶ。

 発生した大津波は、たやすく彼女が守ろうとした国土と民を薙ぎ払うだろう。


「――ッ、百、理……!」


 たまらず、カーミラは索冥の背から飛び降りた。飛び降りずにはいられなかった。弱々しい赤光を纏い、白炎の余波に炙られながら、それでも懸命に友の元へと急ぐ。


「嗚呼、神よ――聖なるフォマルハウトの始祖よ」


 カーミラは己の信じる神、聖者の血を分けたという始祖フォマルハウトの名を無意識に呟いていた。


 例えフォマルハウトでなくとも、奇跡を起こせるのなら誰でもかまわない。70数年の時を経て、ようやく分かり合えた無二の親友をどうか救ってほしい。


 しかし、無情にも巨星は落ちていく。

 膨大な水蒸気が上がり、やがては衝撃を伴って大爆発を起こす――はずだった。


「これは……一体なにが……!?」


 静止している。

 百理という名の白色矮星は海面に触れる直前で停止していた。

 そしてアレほど立ち込めていた海水蒸気が今は一切発生していない。


 これはなんだ。

 一体何が起こっているのか――


「あ、あああ……!」


 カーミラの眼下には、奇跡の光景が広がっていた。


 いつの間にか、海面が極彩に覆われている。それは鮮紅せんこうが、深緑が、濃藍が、真黄しんおうが渾然一体となった魔力のフィールド。


 それが海面と白炎とを完全に遮断し、水蒸気爆発を防いでいる。


 極彩のフィールドと白炎の狭間から光が差し込んだ。

 それは目にも鮮やかな黄金の輝きだった。

 光はやがて白い炎を飲み込み、急速にかき消していく。


 炎を失った百理が落下する。

 その小さな身体は黄金の輝きにより優しく抱きとめられる。


 全身を包み込む華美な鎧と。

 まるで恒星そのもののような圧倒的な魔力の奔流。

 百理自身が言っていたように、正しく神話の英雄を彷彿とさせる姿。


「……タケル、様?」


 意識を取り戻した百理もまた、黄金の男がタケルであると知る。

 自分は今、生まれたままの姿で、太陽に包まれている。

 こうして触れているだけで、凍えるようだった全身が温かく――熱くなっていく。

 枯渇していた霊力が全身を駆け巡るのを百理は感じていた。


「タケル、あなたまさか意識が……!?」


 頼りない羽撃きで近づいたカーミラが異変に気づく。

 だがそれより早く、不快な翅音はおとが耳をつんざいた。


 攻撃の意志を示すように、解けた融合群体――今や億単位はくだらないサランガが一斉に翅を震わせたのだ。それは殺意の誇示あり、同時に怯えの証だった。


 周囲をグルリと取り囲んだ億単位のサランガたちが、中心により集まろうとする。

 再び結合して融合群体になろうとしているのだ。

 あるいは百理とカーミラにトドメを刺そうというのか。

 しかし、それは愚かな目論見だった。


「は――」


 タケルに抱かれた百理が気づく。

 強さを増した彼の全身の光輝を見てカーミラが悟る。

 とっさに二人は身を固め、両手で顔を覆った。

 その瞬間、光が爆発した。


 幾億もの光の矢が、タケルを中心に撃ち放たれる。

 黄金の鎧の至る所から放たれた光が、周囲に張り巡らされた水の魔素でつむがれたレンズを通し収束レーザーとなって解き放たれる。


 それはまるで荒ぶる龍の咆哮。

 ドラゴンブレスそのものだった。


 ただの一匹たりとも、サランガたちは百理とカーミラに近づくことも出来ない。

 汚物を洗い流すように、微塵の容赦もなく、バケモノたちが次々と消滅していく。


「タケル様、あれを――」


 百理が指差す方向、九十九里の方角から新手の到着である。

 それは触手から分離し、内陸へと飛び立ったはずのサランガ。

 融合群体のピンチに舞い戻ってきたのだ。


 タケルはカーミラへと歩み寄り、そっと百理を差し出す。

 無二の友をしっかと受け取ったカーミラは、タケルが上を指差しているのに気づく。


 海面が沸き立っている。タケルの魔力の猛りに合わせ、海一面に張り巡らせた魔力フィールドが活性化しているのだ。それが意味するところを察知し、カーミラは急ぎ飛び立った。


「百理、索冥は?」


「健在です、今呼び寄せています」


「ねえ、どれくらい離れればいいと思いまして?」


「恐らく、今のタケル様と、あのバケモノ共すべてを滅するためなら――どこまでも」


「嫌になりますわー。私もうお風呂に入って寝たいですのに」


「もう少しの辛抱です。最後まで見届けましょう」


「ええ……それにしても、結局あなたの言うとおりになりましたわね」


「でしょう? タケル様を散々馬鹿にしていた母が今頃吠え面かいてると思うと愉快でたまりません」


「よくそんな悪意のある台詞を満面の笑みで言えますわね――」


 そうこうしているうちに駆けつけた索冥に掴まり、カーミラと百理は少しでもタケルから離れるべく空を翔ける。やがて――


 銚子沖に恒星が顕現した。

 すべてを飲み込む爆発的な閃光はしかし、急速にその規模を縮小させて消えた。

 あまりに圧倒的で、絶対的な光景に、百理とカーミラはお互いを掻き抱いて絶句した。


「お、お頭様、今のは一体? 何が起こって!? 自衛隊からも再三説明を求められているのですが……」


 光が消え、浜辺へと帰還した百理とカーミラを隠密隊が出迎える。

 先程まで死力を尽くして戦っていたのに、僅かな時間でバケモノ共が残らず消えてしまったのだから無理もないことだった。


「聞きなさい! 危機は去りました――が、我らは警戒を続けます。怪我人の救助を最優先に、念のため市街地に残党がいないか見回りを強化しなさい!」


「は――!」


「自衛隊には――」


 百理はカーミラの腕の中、真っ裸だというのに、偉そうにふんぞり返って告げた。


「タケル・エンペドクレスが日本を救ったと伝えなさい」


 ドヤ顔で百理が言うと、カーミラはこらえ切れず吹き出した。


「それは――日本中が吠え面をかきますわね!」


「ざまあみろです、本当に」


 いたずらを成功させた子供のように、百理とカーミラは朗らかに人類の勝利を讃えるのだった。

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