第195話 地球英雄篇2⑦ Despair breaker〜降臨・黄金の英雄者・前編

 * * *



 みんな戦っている。

 そしてそれぞれが、それぞれの場所で、最後の時を迎えようとしている。


 誰ひとりとして利己的なものはいない。

 すべては自分以外の者のために。

 その生命を賭けて役割を真っ当しようとしている。


 日本全域を覆い尽くした魔素情報星雲エレメンタル・クラウドが、その事実を同時複数的に僕へと教える。


 仲間たちの高潔な姿に敬服を懐きながら、僕の心にはひとつの、激しい感情の波濤が湧き立っていた。


 ――許さん。


 僕の仲間たちに、そして故郷に仇をなすバケモノ共への激しい怒り。ただの本能に従い、尊いものを蹂躙しようとするその行為。断じて許すわけにはいかない。


「真希奈、僕の心がわかるか――?」


『はい。真希奈にも痛いくらい伝わってきています』


「なら、これから僕がどんな無茶を言おうとしているかももわかるな?」


『もちろんです。どうぞおっしゃってください。真希奈はそのために――不可能を可能にするために、偉大なる貴方様によって創造されたのです』


 真希奈が寄せる僕への全幅の信頼。

 それはもはや崇拝とさえ言えるレベルだ。

 今まではそれを大げさなものだと思ってきた。


 僕はたまさか大きな力を手に入れただけのただの人間なんだと。どんなにすごい魔法を使えても、世界を飛び越えても、たったひとりの女の子を救う力さえあればいいと思っていた。


 でも違う。それだけじゃ足りない。

 僕が僕らしく、彼女の隣で笑うためには。

 こんな理不尽を許してちゃあいけないんだ。


 僕という一個人に付随するすべての世界を、それに連なるすべてのヒトたちをこの手で救わなければならない。


 そのためにこそ今、僕は力を振るう。

 あらゆる絶望を断ち切るため。

 真の意味でヒトを超えなければならない。


 そのためなら僕は、神にでも悪魔でも、そして英雄にだってなってみせる――


「この日本から――いや、地球上からすべてのサランガを消滅させる。もう誰ひとりとして死なせないッ!!」


『イエス、全てはタケル様の望まれるがままに。そして真希奈は少しの間、タケル様の知る真希奈ではなくなってしまいますがご容赦ください――』


 それはどういう意味なのか。

 そう問いかける前に真希奈の呟きが耳に届いた。


『101110011100000111010011011010110000000010111000001110100110111111001100101101101001100111111110011100001110001010110111000001100011001000101001010101100010001011101110001100100011111000101001110110110100011001011111110010111101110011001110010000110001001100111110010010111110111101101010110101001101100111111110011010100100111111010100011100100101000011110001110101100011000011000111001011100000010100011011111110101101011111100001010100110011100010001000010000000101101010110110001001001000000111000111001110101000010111011111001000001100100010100000000111111100100011010011100000100111100100101010010010011010001000111011101001111100100100――――』


 それは2進数の高速マシン語。

 真希奈は今、僕へのレスポンスを捨てて、一切の処理を解析と計算に費やしている。ならば僕ができることはたったひとつだ。


うなれ、たけれ、えろ――僕の中の神龍しんぞうよ!」


 自身の内面世界に火を入れる。ふたつの心臓の共鳴効果により、ビートサイクルにして計測不能なほどの魔力が爆発的に精製されていく。


 グラグラと、黄金の鎧の表面がマグマのように湧き立つ。

 物質化した魔力の鎧が不安定になるほど、さらなる高準位のエネルギーが生み出されているためだ。


『大変お待たせしました。現在、日本国内で活動中のサランガの総個体数1277万6438体。太平洋に待機しているものも含めれば数億体を超えるものと推察されます』


「よし――すべて狩り尽くすぞ!」


『かしこまりました。鎧に蓄えられた全エネルギーを解放します――!』


 次の瞬間、僕の全身が爆ぜた。

 否、身体を包み込む黄金の鎧から眩いばかりの光が放出されたのだ。そしてそれは僕を取り囲むように配置された、水の魔素で作られた無数のレンズを通過し、光線となって降り注いでいく。


 魔素情報星雲エレメンタル・ギャラクシーによって掌握された市街地のサランガを、光のレーザービームが次々と貫いていく。ただの一匹たりとも逃れ得たものはいない。圧倒的な超広範囲・精密一斉射撃だった。


『第一弾全弾命中。タケル様、進軍を提案します』


「ああ、みんなを助けに行こう!」


 再び周りの景色が無限に伸びていく。

 光に迫る――否、光を越える速度で皆のところに駆けつけるためだ。

 絶望を断ち切るため、僕は遥か空の高みから最初の一歩を踏み出した。



 * * *



「あ、おっ母? わだし、マキだよ」


 人工知能進化研究所の薄暗い廊下。

 防火扉の前にへたり込み、マキ博士はうわ言を呟くように電話口の母と言葉を交わしていた。


「うん、わだしは平気。いや――ごめん、実はさっきまですっごく危なかったの」


 母を心配させまいと咄嗟に嘘をついた彼女だったが、やはり真実を正直に話すべきだと思い直す。


「あはは、死んでたらこんな風に電話もでぎねえべ。うん、間一髪だったんだあ……」


 マキ博士の目の前には、もう決して動くことはないだろう、バケモノ共の死骸が累々と転がっていた。


「うん、うん。そう、助けてもらったの、わだし達みんなが」


 よいしょっと立ち上がり、片手に握りしめたままだった消化器をそっと床に置く。


「誰にって、そりゃあ――」


 ふと目をつむり、瞼の裏に焼きついた残光を思い出す。

 絶望に包まれていた心が高揚する。

 破壊の一部始終は圧倒的だった。


「神様かなんかに決まってるでしょう。多分、恐いことはもうすぐ終わると思うから――」


 確信を込めて、マキ博士は呟く。

 あとは自分たちの仕事だ。

 生きているもの、怪我をしているものはいないか。

 それらを確かめるため、マキ博士は歩き出した。



 * * *



 最初にその異変に気づいたのはヒトではなかった。


『警告。超高エネルギー体、急速接近』


「なんだって!?」


 苦悶に顔を歪めていたマリアの顔がさらに歪む。


 今、サムラオウの全身はサランガに取り付かれていた。恐ろしいことにヤツらは皮膜状になった装甲下の蓄電シートを的確に攻撃してくる。


 だが振りほどこうにも、もう今のマリアにはそれを行えるだけの体力は残されていなかった。


 サムラオウの専用OSである桜花は、幾度となく機体放棄とパイロットの即時退避を進言し続けていた。そんな桜花が唐突に警告を発したのだ。


 そしてマリアは見た。遥か頭上から光の雨が降り注いでくるその瞬間を。


「ッ、回避――」


『間に合いません』


 被せるような桜花の解答にマリアが身を固くする。

 それは来るべき衝撃に備えてのものだったが――


「なッ――!?」


 数えるのも馬鹿馬鹿しいほどの光の雨は、信じられないことに機体に取り付いていたサランガだけを的確に貫いていくではないか。


 それだけではなく、街中の至るところ――地上で今正に人々を襲おうとしていたものから、空中で品定めをしていたものまで、寸分の狂いもなく的確に撃ち落としていく。


「なんだ、これは……!」


 戦慄とともにマリアが呟く。

 そして周囲を見渡し驚愕する。


 街中にあれほど溢れかえっていたサランガがすべて仰臥している。

 動いているものはもういない。

 まさか――


『全敵個体活動停止。脳幹を撃ち抜かれ死亡したようです』


「馬鹿な、今の一瞬で全部か――!?」


『上空――熱源、感あり』


 桜花がマリアの視界に光学センサーが捉えたウインドウを表示させる。

 一瞬「うっ」と顔を背けるほどの光量が目に飛び込む。

 次に視線を戻したときには、もうその光は居なくなっていた。

 だが間違いない。あれは――


『マスター・マリア、お知り合いですか?』


「ああ……まあ、認めたくはねえがな……まったく」


 マリアが脱力する。

 サムラオウが地面に着地し、その場で膝を折る。

 警戒は継続するが多分大丈夫だろう。


『教官、今の光はなんでありますか!?』と工藤たちから問い合わせが殺到するが、そんなものは無視だ。とにかく、もう疲れた……。


「おいしいとこ持ってきやがって」


 笑いがこみ上げるたび内蔵器が激しく痛む。そのうちマリアは安堵と共に気を失った。とても、とても気に入らないヤツに多大な借りを作ってしまった、という事実を噛み締めながら泥のように眠るのだった。



 * * *



 すべてのヘアスプレー缶も使い切り、松明も消え、モップの柄さえも破壊された三バカこと甘粕、針生、星崎は、イリーナとともにコンテナの内部に籠城していた。


「ちょっと甘粕、背後から音もなく近付かないでよ!」


「す、すまない。寒いんじゃないかと思って、上着をかけようとしたんだ」


「これ以上着膨れしたら動けなくなるでしょ。針生、あんた甘粕の首輪でしょ、犯罪をしないようにちゃんと繋いでないとダメじゃない!」


「いや、誰が悲しくてこいつの首輪なんぞやらにゃならんのだ。すげー不本意。あと俺らの立ち位置をちゃんと把握してるのなおまえ」


「私こう見えて天才ですから」


「ううっ」


「おい、どうした甘粕、どっか怪我したのか!?」


「ドヤ顔で天才を自称するイーニャたんマジ可愛い……!」


「キモッ! 『たん』付け超キモイから!」


「ち、ちなみに僕の立ち位置はイリーナちゃんの中ではどんな風になってるん?」


「星崎はお笑いとピエロ担当でしょう?」


「合ってるな」


「間違いねーぜ」


「ひどっ! そんなんあんまりや! たまにはホームランかっ飛ばすんやで僕も!」


「うるさい、あとあんた臭うから、端っこ行ってて」


「そんなぁ。しくしくしく……」


 イリーナは心からケラケラと笑っていた。

 最後の時がひとりではないというのは、それだけで救われるものだ。

 今こうして馬鹿話をしている間にも、コンテナは絶賛攻撃されている真っ最中だった。


 取り付いたサランガたちが、牙を爪をガリガリガンガンと突き立てている。それどころか、中身を押しつぶそうと、山のように集まって伸し掛かってきているのだ。


 だが、それでも。

 もしひとりでこの状況に陥っていたら、今頃イリーナは壊れていただろう。

 クラッキングの手を止め、無様に泣き叫んでいたはずだ。

 この三人にはそれなりに感謝をしなくてはいけないのだが――


「はあ、でもあんたたちみたいなガキと密室で一緒に死ぬなんて最低かもね」


「何言ってんだ、ガキはそっちだろうが!」


 針生がツッコミを入れる。

 すかさず星崎が質問をした。


「ほならイリーナちゃんは誰とやったら二人っきりになりたいん?」


「藤岡弘」


 ガンッ、と甘粕が床を叩いた。

 全員がびっくりする中、彼は実に悔しげな顔でイリーナを見る。


「あと40年待って欲しい。必ずキミ好みのロマンスグレーになってみせる!」


「そのときには私、あんたの好みからは完璧外れる年齢だと思うんだけど?」


「うがあああッ! そうだしまった!」


「うるせえ!」


「アホやん!」


 イリーナが声を上げて笑った瞬間、ついにコンテナがグラっと傾いだ。

 ミシミシミシっと各所が悲鳴を上げて、ついにイリーナもクラッキングの手を止めてしまう。


 三バカはイリーナを守るように身を固め、そして最後の時が訪れ――


 ガシャン! と、コンテナを支えるタイヤが地面に接地する。

 横転する一歩手前からもとの水平状態に戻ったのだ。


 コンテナにかかっていたテンションが不意に消滅し、まるで誰かが反対側から押し戻してくれたかのようだった。


 そして、あんなにうるさかったサランガたちの攻撃音も、今は完全に消え失せてしまっている。


「おい甘粕……」


「ああ、気配が消えたな」


「ちょ、ちょい、あれ!」


 星崎が指差したのは、コンテナ背部のハッチ。

 そこの隙間から、光が――金色の光が溢れている。


 三人が止める暇もない。

 イリーナはすばやく歩み寄ると、大きくハッチを開け放った。


 背中。大きな父親のような背中が真っ先に飛び込んできた。

 目を灼くほどの金色の輝きを放ちながら、その光はどこまでも優しい。

 そして周囲には、すべてのサランガが死屍累々と転がっているのが見えた。


「……早く、心深ちゃんや百理ちゃんたちも助けてあげて」


 黄金の背中が振り返った。

 兜に包まれた頭部がコクリと、小さく頷くと輝きは不意に消えた。

 痛いほどの静寂と夜の闇が甘粕たちを包み込む。


「何だったんだ今のは……!?」


「おい、ちびっ子、知り合いか?」


「何言ってんの。タケルでしょ」


「はあ!? あれがセンセやて!?」


 三バカが素っ頓狂な声を上げる中、イリーナは最後の配信をするため、決着の地である銚子市のカメラにアクセスし始めるのだった。



 * * *



「決して絶望しないでください。バケモノ共は必ず倒されます――!」


 ビシッ、ミシッ、パキッ――!

 一秒おきに公開ブースのガラスにヒビが拡がっていく。

 伸し掛かったサランガの質量が、ビル全体を圧迫してきているのだ。


 勇敢にも放送を続けることを決断したプロデューサーとカメラマンも、全身をブルブルと震わせ真っ青な顔をしている。心深も、カメラを前にポーカーフェイスを取り繕っているが、机の下の脚は小刻みに震えていた。


 恐い。

 だがそれを顔に出してはいけない。

 自分が恐怖に屈してしまえば、それが全国に――世界中に伝わってしまう。

 絶対にそれだけはしてはならない。


 だが、番組ツイッターやニコ生、YouTubeのコメントには、続々とスタジオの有様を指摘する書き込みが相次いでいる。


『画面の左に見切れてるの、バケモノじゃねーの!?』


『これを指示してるスタッフ馬鹿なの? 俺達は公開殺人ショーなんて見たくないぞ!』


『おいおい、マジヤバじゃん!』


『心深ちゃん逃げてー』などなど。


 さすがに限界だった。

 この放送は心深が持ち込んだ企画だ。

 だからその見切りも心深自身がつけなければならない。

 心のなかでイリーナに謝罪しながら、心深は決然と立ち上がった。


「大変遺憾ではありますが放送を続けることが困難になって参りました。私綾瀬川も、ここまで付き合って下さった勇敢なスタッフと一緒に避難をしま――」


 その言葉にカメラマンとプロデューサーがホッと胸を撫で下ろした瞬間だった。バキィン――、と一際甲高い音が木霊した。


 見ればガラスに穴が空いている。真っ白く縦に走ったヒビの間から、バケモノの長い短剣のような牙が覗いていた。


「うわああああッ!」


 カメラマンが発した悲鳴を誰が責めることができるだろう。

 その恐怖は一瞬にしてネット回線を通じ、日本中へと伝わってしまう。

 心深が長い時間人々に訴えかけてきた希望が絶望へと反転する。


 そして、ガラスが完全に崩壊し、待ち構えていたサランガたちが、心深たちへと一斉に襲い――かからなかった。


「え――」


 光が差し込んでいた。

 常にある街の明かりなどではない。

 強く美しく、そして温かな金色こんじきの輝き。

 長く暗闇に閉ざされていたブースの向こうは今、黄金の光に満ち満ちていた。


 そしてそこには一人の男の背中が。

 全身に華美な鎧を身にまとった、金色の男が立っている。


 そう、サランガがなだれ込むより早く、金色の光が通過し、バケモノの群れを薙ぎ払っていたのだ。

 

「あ、あんた、まさか――」


 心深が言い終わらないうち、さらなる閃光が爆発した。


 それは光の線。幾本もの黄金のレーザーが男から放たれ、うず高く――ビルよりも高く積み上がっていたサランガの大群に突き刺さっていく。


 あるものはカラダを砕かれ、あるものを脳幹を貫かれ、あるものは全身を消滅させられ、あるものは真っ二つに切断され、あるものは切断面から炎を上げて……。


 ただの一匹も、その光の線から逃れ得たものはいない。まさに触れただけでサランガに絶対的な死を齎す裁きの光だった。


 その様はイリーナが配信するまでもなく、スタジオのカメラによって日本全国へと届けられていた。再び、絶望が希望へと取って代わる。


 心深を含めた視聴者が固唾を飲む中、黄金の男が僅かに振り返る。

 その顔は光輝を放つ兜に覆われ、仔細に見ることはかなわない。

 だが――


「――ぷっ」


 と、心深の吹き出す声が聞こえた。

 黄金の男はその声を耳にしたのか、ギクリと動きを止め、引き止める暇もなく飛び去っていく。


「ふっ、ふふ、あはは――ぐすっ、うう……うああ!」


 男がいなくなったあと、笑い声はすぐ泣き声へと変わった。


「こ、心深ちゃん……?」


 プロデューサーの呼びかけが引き金になったのか、心深はその場に崩れながらボロボロと涙を流す。あれほど気丈に放送を続けていた姿が、今はもう見る影もなかった。


「私は……あんな……望んでなんて……ないのにっ!」


 ごくごく普通の。

 幼馴染の彼がいればそれでよかった。


 それなのにあんな。

 バケモノの大群を簡単に屠り去るほどの力。


 あんなものを手に入れてしまっては、もう彼の居場所はどこにもないではないか。

 少なくとも、もう自分と彼は一緒にはいられない。

 この戦いの収束は、即ち幼馴染との別離なのだと、今さら気がついてしまった。


 止まらない。止められない。

 彼女にしかわからない涙の訳。

 日本中に希望を発信し続けた勇敢な少女は。

 最後にくしゃくしゃの泣き顔を全国へと届けた。

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