第194話 地球英雄篇2⑥ 絶望に染まる空〜命を燃やす兵ども・後編

 * * *



『もう限界! ここまでにしよう!』


 カンペにそんな文字が踊っている。

 綾瀬川心深は視線をカメラに戻して、もう百回以上にはなるだろうか、屋内への退避と戸締まり、そして火の元への注意喚起をアナウンスする。


 そして映像がスタジオから再び各地の戦闘映像に切り替わると、プロデューサー丘本は叫ぶように言い放った。


「もうダメだ! 避難しよう心深ちゃん!」


「ありがとう、プロデューサーさん。私の我がままにつきあってくれて。もうここは私だけでいいから、みんなは避難して」


 共同通信会館は地下二階まであり、下には大きな駐車場スペースがある。近隣の住民も含めて、みなそこに避難しているはずだ。


 丘本には責任者として、スタッフの安全を確保する義務があるし、それには当然心深も含まれる。


「キミを置いていけるわけがないだろう! こんなに頑張ったんだからもう十分じゃないか!」


「それ本気で言ってるのプロデューサーさん。テレビマンが視聴者が見ている前から逃げ出していいと思ってるの?」


「時と場合によるよ! キミこそ現実を見るんだ!」


 丘本は大きな手振りで右手側を指差した。

 道路に面したガラス張りの公開ブース。いつもならそこは通行人が足を止め、収録の様子が見学できるようになっている。だが今外は真っ暗で誰の姿もない。いや、ガラスの向こうで闇が蠢いていた。

 

「――ヒィ!」


 女性スタッフが悲鳴を上げた。

 それも当然、何故なら窓の外に広がっているのは夜の闇などではなく、ビッシリと張り付いたサランガの大群だったからだ。


 ツルツルとしたガラスに張り付いているわけではなく、小山になった群れがのしかかって来ているのだ。幸い頑丈な強化ガラスなので、今のところは耐えているが、いつまで保つかはわからない。


「このガラスが破られれば、キミ自身が最低最悪の映像を全国に届けることになるんだぞ! 希望を届けていた綾瀬川心深本人がバケモノに食い殺されるというシーンを! そんな映像は絶対に届けさせないし、キミを死なせるわけにはいかない! 冷静になって考えるんだ!」


「私は冷静ですよ。その上で逃げるわけにはいかないと言ってるんです」


「ど、どうしてキミはそこまで……!?」


「言ったでしょう。友達が戦ってるって。あの子は今もたったひとり、バケモノに襲われる恐怖と戦いながら配信を続けてる。少なくともあの子が配信をやめるまで、私が先に逃げるわけにはいかない。私ひとりでも放送は続ける。絶対に……!!」


 それはもうとっくに自分の死すら覚悟した者の目だった。

「映像、スタジオに切り替えまで30秒前――」とスタッフが告げる。

 丘本は苦しげに目をつぶり、大きく肩を落とした。


「……わかった。カメラ、悪いんだけど付き合ってくれ」


「うす」


「プロデューサーさん!?」


「ここは俺たちだけでいい! あとは全員地下に避難! 映像切り替わるぞ! 早く行け!」


「ちょっと、ここは私だけで――」


「キミこそテレビマンを舐めるなよ。ミキサーは俺がやるとして、あとはカメラマンとそんでキミ。コレが最低人数だ。キミ一人で放送を回すのは不可能だ。ほら、10秒前――8,7」


「ごめんなさい、ありがとう」


「5秒前――まったくだよ!」


「でも、あいつが来てくれれば――」


 心深は最後まで言うことができなかった。

 それは映像が切り替わったから。

 そして、ビシッ――と、ついにガラスに小さくない亀裂が入ったからだ。


 丘本とカメラマンが青ざめる中、心深だけはファインダーを見据えたまま、全く表情を変えずにアナウンスを続ける。


 バケモノは必ず倒される。決して絶望しないようにと。自身が死の一歩手前にいるにもかかわらず、すべての視聴者に希望を訴え続けるのだった。



 * * *



「畜生、畜生、畜生!」


 千葉県銚子市黒生町。

 バケモノ共が跋扈する無人の町中を一人の少年が走っていた。


「畜生、なんでこんなことになってるんだ! どこから来たんだよお前らバケモノは――!」


 彼の名前は相沢マサル。

 カーミラが逮捕され、ひとり警察の手から逃げてきたベゴニアを偶然保護した漁師の家の少年である。


 彼は今戦禍の空を見上げながら悪態をついていた。


 海岸から最も近い第一中学校の体育館に母親とともに避難をしていたマサル少年。父は避難が間に合わず、仲間の漁業関係者と共に近くのホームセンターに避難していると連絡があった。


 ホッと胸をなでおろしていたのもつかの間、近所で顔なじみのおばちゃんが大声で叫び始めた。


「お母さん、お母さん! すみません、うちの母を見ませんでしたか!? 先に向かったはずなのに!」と。


 どうやら避難所で合流する約束をしたおばあちゃんがまだ来ていないようだった。慌てて外へと探しに行こうとする彼女をみんなが引き止めた。


「お願い、探しに行かせてください! ああ……お母さん!」


 いつもは気さくにマサルにも挨拶をしてくれるおばちゃん。どこからどうみても大人の彼女が顔をくしゃくしゃにして泣いている。それを目の当たりにしたマサル少年は隣りにいた母にたった一言、ポツリと告げた。


「母ちゃん、ごめん」


「マサル? あんたまさか――!?」


 マサルは猛然と出口まで走り、体育館内に集めてあった武器になりそうなもの――自在箒を一本掴むと、門番の男性を押しのけて外へ飛び出したのだった。


「この音、全部バケモノの翅音はおとなのか!?」


 町全体が不愉快極まりない不協和音に包まれていた。日が沈んだ空は漆黒の闇に包まれており、普段なら見えるはずの満天の星空は霞んでしまっていた。星空を覆い隠す程のバケモノたちが、我が物顔で頭上を席巻しているためだとわかった。


「何なんだ、なんでいきなりこんなとんでもないことになってるんだよ……!」


 大声を出さないよう口の中で悪態をつく。

 声を出して見つかれば命はない。

 マサルは本能的にそれを悟っていた。


 先程から外灯を避けるよう、闇から闇へと息を殺して移動しているのも、もはや本能というか人間に備わる第六感が彼に正解を選択させていた。


 昆虫に似て非なる巨大なバケモノたち。

 硬い外皮に覆われ、頭がひとつだったりふたつだったり、手足が十本も二十本もあったり、ノコギリみたいな前肢まえあしがあるかと思えば、牙のような口もあり、刃物のような尾節を持っていたりもする。


 それは例え一匹だけでも、生身の人間では太刀打ちできないと感じさせる凶悪極まりないクリーチャーだった。


「それなのに箒一本しか武器がないって……馬鹿かよ俺は」


 それを言ったら今こうして外にいることもそうだ。

 何故自分はここにいる。何故安全な避難場所から危険な外に出てしまったのか。


 警察や消防、自衛隊が戦ってくれている。

 何かよくわからない、翼が生えた一団も戦っている。

 マサルごときただの高校生が英雄願望を発揮させる必要などなかったはずなのに。


「違う、そんなんじゃない……!」


 ただあの人が。

 ベゴニアがまだ町にいるのではと。

 もしかしたら彼女に会えるかもしれない……と期待しているのだ。


 彼女は言った。

 お前はなんでもできる。

 何者にもなれるのだと。


 ならば少しくらい夢を見たっていいじゃないか。

 近所の顔見知りのばあさんを探して保護するくらい俺にだってできるはずだ。


 そんなことを考えながらマサルは勢い良く住宅街の角を曲がった。

 そして自身のゲームオーバーを悟った。


「うわわわッ!」


 そこには道路をビッシリと埋め尽くすサランガの大群が居た。

 足の踏み場もなく、マサルは急ブレーキをして回れ右をする。

 だが――


「くそッ、来るな! 来るなよ!」


 獲物を見つけたバケモノ共はまるで狂喜乱舞するように、ビョンビョンと飛び跳ねながら迫ってきた。


 一匹一匹はバッタに似ている。だが体躯が人間並の大きさがあり、それが集団でこちらへと飛び跳ねてくるのだ。身の毛もよだつ光景だった。


 大きく跳躍した一匹が、マサルの頭上を飛び越える。

 まるで通せんぼでもするように身体を横にして道を塞ぐ。


「うわっ――うわあああッ!」


 側面のブロック塀に背中を預ける。

 たった一匹。されど一匹。のこのこ脇を抜けていこうとすれば、背後からのしかかられ即座に殺される。そんな未来を幻視して、マサルは身動きを封じられてしまう。


 気がつけばマサルはすっかり取り囲まれていた。

 バケモノの体高は彼の腰元まである。

 箒一本でどうにかできるわけがない。


「は、はは。ごめん、父ちゃん、母ちゃん……ベゴニアさん」


 結局何者にもなれなかった。

 自分はここでバケモノのクソになる運命だった。

 ギュッと目をつぶり、マサル少年が身構えた次の瞬間――


「きええええええええつッッッ――――!!」


 横薙ぎにバケモノ共がまとめて吹っ飛んでいった。

 密集していたのが仇になった。バッタに似た縦長の身体がガチンと合わさり、数十匹がボーリングピンのようにまとめて地面を転がっていく。


「おお、誰かと思えばマサルではないか!」


「ベゴ、ニアさん……?」


 外灯の下に照らされたのは僅か半日前に別れた恩人だった。

 だが、マサルは驚愕に目を見開いた。

 今の彼女はあまりにも痛々しい姿をしていたからだ。


「あ、あんた、その腕! 目も! なんで――!?」


 左腕がなかった。

 左目も暗く落ち込んだ眼窩が見えるだけ。全身の至るところから出血しており、筋骨隆々に見えた体躯は一回り以上も小さくなったように見えた。いや、それよりも今は――


「ああ、ばあちゃん!」


 ベゴニアの右腕に抱えられているのは背中の丸まった小さな老婆だった。

 それこそマサルが探していたご老人だった。


「近くの公園の茂みで動けなくなっていたのを見つけてな。保護していたのだ」


「そっか――っておい、ばあちゃん! ばあちゃん!?」


「無理に動かすな。息はあるから安心しろ。おまえを助けるために激しく動いたからな。目を回したのだろう」


「そっか、なら良かった……!」


 マサルは小さな老婆を大事そうに受け取った。

 本当だ。気を失っている以外、特に怪我はないようだった。


「そのご老人、相沢家の身内か?」


「いや、近所のおばちゃんの……避難所に居ないっていうから」


「まさか探しに来たのか!?」


「え、あ、うん。ごめんなさい」


 ベゴニアはガシっとマサルの肩に手を置いた。

 見上げれば、男のような太い笑みを浮かべ、ベゴニアが破顔していた。


「偉い! よくこの状況下で助けに行こうと思ったものだ! 男だなマサル! 私は嬉しい――ぞッッ!!」


 言いながらベゴニアは左のつま先を支点にクルリと自身を回転させる。

 振り向きざま、先程と同様に放った蹴りが、背後から飛びかかってきたバケモノを迎撃する。パンッ、と鬼灯が弾けるような音と共に、バケモノの頭部が砕け散った。


「行け、マサル。ここは私に任せろ」


「そんな、あんたも一緒に逃げよう!」


「少し数が多い。お前とご老人を守りながらでは無理だ。私が囮になる。その隙に――」


「どうしてだよ! 見ず知らずの俺達のために、なんであんたが犠牲にならなきゃいけないんだよ!?」


「マサル、ここで問答をしている暇は――」


 ベゴニアが一瞬、敵から目を切ったのが災いした。

 次の刹那、タイミングを合わせたかのようにサランガが一斉に跳躍する。ベゴニアは咄嗟にマサルと老婆に覆いかぶさった。


「ベゴニアさんッッ!」


 マサルが絶叫する。壁際に押し付けられ見上げた先に見たものは――ベゴニアの全身にバケモノが食らいついているという悪夢のような光景だった。


「……大丈夫だ。私は普通の人間より頑丈でな。これくらいでは死なんよ」


「そ、そんなわけないだろう! あ、あああ、酷え……!」


 ベゴニアに群がったサランガが口部と思わしき器官から、五寸釘のような牙をむき出しにしていた。


 そして一分の躊躇もないほど、その牙をベゴニアの背中に、肩に、腕に、脚に突き刺していた。


 手脚に刺さったものは貫通し、背中のものは内蔵にまで達しているだろう。ベゴニアはゴクリと、せり出した吐血を飲み下した。


「ぐッ――、マサルよ」


「ベゴニアさん、ベゴニアさん、ああ、もうダメだぁ、俺たち食い殺されるんだあ……あーっ!」


「しっかりしろ、諦めるな! 私が合図したら走れ! 振り向かずに避難所まで走るんだ!」


「嫌だ、あんたも、ベゴニアさんも一緒にぃ、一緒じゃなきゃあ……!」


「この――馬鹿者が!!!!」


 ベゴニアは唯一動く首をもたげると、マサルへとヘッドバッドをかました。


 マサルはその衝撃よりも、あまりの威力のなさに・・・・・・愕然とする。

 ベゴニアから伝った真っ赤な血が、マサルの顔面をまだらに染めていく。

 額を突き合わせたまま、ベゴニアは己の犬歯を剥き出しにして吠えた。


「見ろ、私の口元を! この長く伸びた牙が見えるか!? 私はただの人間ではない、吸血鬼の眷属だ! よく考えてもみろ、ただの人間が半日以上もバケモノと戦い、四肢が欠損した状態で動き続けられるものか! 全身を串刺しにされて生きていられるものかよ!」


「え、あ? えええっ……!?」


 唐突な告白にマサルは混乱した。

 吸血鬼? 眷属? そんな馬鹿な。

 でも嘘を言っているようには見えない。


「これ以上人間と馴れ合うのはおしまいだ。私は別にこの町を救いたいから戦っていたのではない。私は根っからの戦闘狂なのさ。戦いたいから戦っていたんだ。吸血鬼の戦闘本能が戦を求めて止まないのだ。これ以上私の邪魔をするな糞ガキめ!」


「うう、あああ……!」


「消えろ、この上まだ私の視界に留まり続けるなら、その老いぼれ共々くびり殺してやる――――ぞおおおッッッッ!!!」


 裂帛の気合とともに、ベゴニアが全身を隆起させる。

 正真正銘最後の力を振り絞り、群がっていたサランガを振りほどく。


「うああああッ、畜生、畜生ぉぉぉ!!」


 老婆を背負ったマサルは一目散に駆け出した。

 頼りない外灯が照らす歩道の彼方に、その背中が消えるのを見届け、ベゴニアはドウっと崩れ落ちた。


「やれやれ。本当に世話の焼ける大甥・・だ――」


 ベゴニアがここ、黒生町にやってきたのは偶然ではなかった。

 吸血鬼の眷属としての勘なのか、今がその最後の機会だと本能のままに行動していた。


 彼女はカーミラの眷属となって以来、暇を見つけてはカーネーショングループの情報網を使い、長年生き別れとなった母の足跡を調べていた。


 第二次世界大戦の最中で行方不明となった母の軌跡は、この関東圏でもっとも海に近い町で終わりを迎えていた。


 紆余曲折を経て黒生くろはい町に流れ着いたベゴニアの母は、ひとりの漁師と再婚し娘をもうけた。


 つまり、ベゴニアにとっては種違い・・・の妹である。


 妹――マサルの祖母は病気で早くに亡くなり、その娘であるマサルの母――ベゴニアにとっての姪とは昨夜初めて邂逅した。


 そっくりだった。別れた時分の母よりもずっと年齢を重ねていたが、面差しは瓜二つだと思った。


 本来、人間ではなくなってしまったベゴニアは、相沢家に干渉するつもりはなかった。


 カーミラの相手やカーネーションの業務が忙しく、過去を振り返る暇はなかったし、自分を捨ててフラリと居なくなった母のことなど、もうどうでもいいと思っていた。


 だが調査報告を客観的に判断すれば母もまた自分を探して本州を南下していた事実が浮かび上がってきた。


 そして1945年3月9日。東京大空襲の前日、母は奇跡的なタイミングで東京を後にしていた。もしかしたら、とベゴニアは思った。


 もしかしたら、お互いがお互いを探しながら、ごくごく近いところで私達はずっとすれ違いを繰り返していたのではないか――と。


 昨夜、相沢家で仏前に手を合わせ、年老いた母の写真と70数年ぶりの再会を果たした。そこには天寿を立派に全うしたシワだらけの母の姿があった。


『おばあちゃんは戦時中に亡くした娘がいたそうなんです。普段はそんな素振り全然見せなかったけど、亡くなる直前はよく名前を呼んでいたんですよ』


 ●●●――と。


 その言葉だけで救われた。

 一時は憎んだことさえもある母の全てを赦せた。


 だから、そのひ孫がどうしようもない糞ガキで。未だに自分の進路に迷い続けている姿を見かねて、少しお節介を焼きたくなってしまったのだ――



 *



 グルリと――ベゴニアの周りは、十重二十重とサランガの大群が取り囲んでいた。威嚇なのか、鞘翅さやばねを開き、下手くそなエレキギターのようにはねを震わせている。


 ベゴニアは動けない。

 もう指一本だって動かすことはできない。

 首だけをのっそりと動かし、ため息をこぼす。


「死に方を求めるにはまだ早い、ですか……カーミラ様」


 ジリっとサランガが包囲を狭める。

 口元からベゴニアを貫いた五寸釘のような牙を露出させる。


「でも――これもまた悪くない最後だと思うのですよ」


 いくら神祖の眷属でも五体を丸ごと喰らい尽くされれば死ぬだろう――死ねるだろう。


「カーミラ様、申し訳ありません……ここまでのようです」


 己の最期を覚悟して、ベゴニアはそっと目を閉じた。



 * * *



「おかしい……」


「ええ、おかしいですわ」


 全長六十六キロにも及ぶ海岸線――九十九里浜。

 一面の太平洋から湯水のように湧いていたサランガが、どういうわけか鳴りを潜めている。


 先程まで百理自身も部下たちを、そして自衛隊を鼓舞するため「敵は怯んでいる! さらに攻撃を集中させよ!」と号令を飛ばしていたが、さすがにおかしいと感じていた。


「お頭様、自衛隊が補給に入るとのことです!」


「わかりました。隠密隊を三つに分けます。役割はそれぞれ市街地のバケモノの掃討、自衛隊の補給部隊の護衛、負傷者の救助です。今のうちに怪我人を集めなさい。私の結界内に運び込むのです」


「は――!」


 辺りは死屍累々の有様だった。

 美しい白浜の海岸は、足の踏み場もないほどサランガの死骸で溢れており、味方の犠牲者も甚大なものとなっている。


 恐らく市街地――千葉県、ひいては首都圏もかなりの被害が出ているだろう。


「……なんですか?」


 ふと、百理はカーミラの視線に気づいた。

 まるで初めて会ったとでもいうようにこちらをマジマジと見つめている。


「いえ、あなたやっぱり商才よりも戦の才がおありなのですね」


「う」


 何の気無しの言葉だが百理には存外る言葉だった。


「わ、悪かったですね。どうせ私は戦いでもあなたに及ばず、商才では足元にも及びませんよ」


 ツーンと唇を尖らせて拗ねてみせる。

 もはやこの女には散々みっともないところを見られているのだ。

 いまさら取り繕ってもしょうがない、と百理はやけっぱちになっていた。


「その代わりに指揮能力に長けていて、器用に様々な術を使いこなすじゃありませんの」


 負傷者を守るための結界然り、召喚した索冥や鬼哭童子然りである。


「それに戦闘力で劣ると言っても、一緒に戦った限りでは、見劣りなどしませんでしたわ。いえむしろ……あなた、何かにつけて私に劣等感を抱いているようですけど、もっと自信を持ってもいいのではなくて?」


 そんな台詞を真正面から言われた百理は、喜んでいいのか悲しんでいいのか。とにかく、敵に塩どころか砂糖とみりんと醤油とお酢まで送られたような気分になってしまう。


 これはいけない。一方的な施しは日本人として実に心苦しい。何か、何かお返しをしなければ――


「あ、あなたの方こそ、戦う度に揺れるおっぱいが素敵ですよ?」


「は――?」


 カーミラは己の胸元を掻き抱きながら、ざざっと後ずさる。

 百理も正気に返ったのか、慌てて今の発言をフォローした。


「す、すみません。今のはなんというか、褒め言葉! 褒め言葉なのです!」


「訂正しますわ。あなた戦闘中に随分と余裕があるじゃありませんの。私のことをそんな目で見ていたんですのね」


「だ、だって嫌でも目に入ってしまうんです。ヒトは自分にはないものをこそ、相手に求めるものでしょう?」


「自分にないものを相手に求めるのは『ヒト』ではなく、恋人や伴侶の場合ですわ!」


「ああ、失言――でもないのですが……私は何を言ってるんでしょうね?」


「知りませんわよ!」


 叫ぶと同時、カーミラは「ぷっ」と吹き出した。

 百里も眉をハの字にして苦笑している。


 意外かもしれないが、戦場に於いてユーモアとは大事な要素である。何故なら焦りや恐怖は視野を狭め、思わぬミスや死を引き寄せてしまうからだ。


 特に掛け値なしの絶望を前にしたとき、笑い合える仲間がいることはそれだけで救いになるのだ。


「あーあ、まったく。もう少し早くあなたとはこういう関係になりたかったですわ」


「私もです。牙をむくだけでなく、真摯に向き合えば、あなたからは多くのものが学べたはずでした」


 過去形だった。

 お互い歩み寄り、握手を交わす。

 そして決然と、漆黒の海を見据えた。


「あれ――一体何なんでしょうね?」


「考えたくもないですが、どうやら敵の本陣のようですわ」


 ポウっと自衛隊が撃ち放った照明弾が、夜の海を真昼のように照らし出す。

 巨大な触手・・が海を割り、空に手をのばすように幾本も立ち上っていた。


 百理は荒ぶる索冥の背に乗り、カーミラもまた紅の翼をはためかせて飛び立つ。

 間一髪。二人が居た海岸を大波が薙ぎ払った。


「馬鹿な――!」


「ここまで常識外れだなんて!」


 その全容を目にし、百理とカーミラが色を失くして叫ぶ。

 大波を発生させた原因とは、遥か沖合から現れた陸地・・のせいだった。


 それは幾千万、幾億ものサランガたちが結合した姿――融合群体。

 だがその大きさは、ハッキリ言って硫黄島で発生したものより遥かに巨大だった。


 全高は300メートル以上、全長は10、000メートル――十キロにもなるだろう。


 真っ白い霧を発生させながら海面に浮かび上がり、さらに至るところから数百メートルはあろう巨大な触手を蠢かせている。


 もしあれが上陸してしまえば首都圏は――日本は終わる。


「不味いですね。あれを焼き尽くすにはまるで符が足りません」


「私も。もうコレ以上は鼻血だって出ませんわ」


 呟くふたりの声をかき消すように融合群体の上に炎の花が咲く。

 百理たちの頭上をフライパスしていくのは航空自衛隊のFー2戦闘機だったが、その爆撃でもまるで効いた様子がない。


 いや、厳密には効いているのだろう。だが、破壊された箇所に、あとからあとからサランガが集まり、あっという間に修復してしまうのだ。


「カーミラ、ここは私に任せてください。申し訳ありませんが、後のことはどうかお願いします」


「それは私の台詞ですわ百理。ここはカッコよく決めて、後々の面倒事は全部押し付けてやります」


 フッとお互いを見つめ笑い合う。

 事ここに居たり、辿り着いた最後の手段もまったく同じとは。

 本当に自分たちは数十年もの間、一体なにをいがみ合い、憎しみ合って来たのか――


霊言急急如律れいげんきゅうきゅうにょりつ――」


「ラ・アニマ・マステリーザ――」


 霊力や血液もすべて枯渇し尽くしたふたりに、それまでを凌駕する強大な力が宿る。


 最後まで決して手を付けていなかったモノ。それは己自身の生命力、魂そのもの。だが、自身の魂を燃やし尽くしたところで、あのバケモノの群れの一体何割を削り取ることができるだろうか。


「食べ残しは申し訳ありませんが、タケル様におまかせしましょう」


「そうですわね。これだけ大遅刻したのですから、尻拭いくらいしてもらわないと、ですわ」


 索冥の額を割り、雄々しい角が顕になる。

 カーミラが一際大きな蝶翼を広げる。


 青白い炎と紅の赤光が爆発的に膨れ上がる。

 ふたりはまさしく最後の特攻を開始した。

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