第192話 地球英雄篇2④ 重なるふたつの鼓動〜襲名・三代目エンペドクレス

 12月29日 午前1時00分

【アメリカ合衆国カルフォルニア州ロサンゼルス市沖合】


「――ッ!? これは……タケル、なのか?」



 *



 12月29日 午前1時01分

【アメリカ合衆国ネバダ州南部ラスベガス市内】


「まさか……これってお父様?」



 *



 12月29日 午後18時03分

【千葉県銚子市市街地上空】


「あああッ――!」


 背後から聞こえた突然の悲鳴に、百理は目をむいて振り返った。


「カーミラ!?」


 背中を預けていたはずの吸血鬼が、突然失速して市街地へと落下していく。

 紅の蝶たちは散り散りに、美しいシンメトリーを描く翼も消失している。

 百理は急ぎ霊獣を操りカーミラを受け止めた。


「カーミラ、カーミラ、どうしたのです!?」


「ううっ、はああッ――!」


 戦いに次ぐ戦い。

 お互いに疲労も限界を越えて、それでもなお終わりが見えないこの戦況。

 だがいきなり敵のど真ん中でこのような状態に陥るなど、何か異常事態が起こっているとしか言いようがない。


「お頭様! どうされましたか!?」


「ッ――、少し離れます! 一時ふんばりなさい!」


「はッ!」


 百理とカーミラが維持していた戦線に山伏と虚無僧がなだれ込む。

 それでもふたりの戦力をカバーするのにはまるで足りない。

 霊獣――索冥は螺旋を描くように遥かな空の高みを目指す。

 バケモノ共はそれほど高高度は飛ばないようだったからだ。


「ここまでくれば……カーミラ、聞こえますか?」


「え、ええ……平気ですわ」


「平気ってあなたっ、血が!」


 ドロリとした血涙がカーミラの両の頬を伝っていた。

 尋常ならざる事態に百理は息を呑む。

 カーミラは震える指先で瀟洒なハンカチを取り出し、目元を拭った。


「私の――神祖としての力が跳ね返されました」


「力……それは眷属という意味の?」


「ええ。そしてそれは、ベゴニアではありません」


「まさか、タケル様の身になにか!?」


 色を失う百理にカーミラはこくりと頷いた。


「先程まで、その存在だけは感知できていましたが、今はもう何も……」


「そんな……!」


 一体タケルの身に何が起きているのか。

 彼の者こそが最後の希望。

 その認識は百里もカーミラも同じだ。

 彼が負けるはずがない。

 だが今は――


「信じるしかありません」


「そう、ですわね……」


 ことここに至ってはもう祈るしかない。

 彼が必ず来ると信じて戦い続けるしかないのだ。


「さあ、休憩は終わりです。まだ休みたいなどとほざいたらほっぽり出しますよ」


「いらぬ世話ですわ。あなたの方こそ先程から息切ればかりしてるのではなくて?」


「言ってなさい――!」


 眼下を埋め尽くすバケモノの共の群れに、僅かな絶望が脳裏をかすめる。

 ふたりはそれを跳ね除けるよう凄絶に笑った。


 人外の巫女と吸血鬼。

 稀有なる力を有するふたりが正直すくむほどの状況。

 ならば、なんの力も持たない無辜なる市民の絶望は如何程か。

 泣き言など口にしている暇はないのだった。



 * * *



「僕ってこんなヤツだったんだな……」


『タケル様……?』


「いや……」


 12月29日 午後17時50分

【南硫黄島300メートル上空】


 タケルは今、世界最大規模の追いかけっこの真っ最中だった。

 硫黄島で発生した超々巨大サランガ――融合群体。


 全高150メートル以上、全長はなんと1000メートルを有に超える。見た目は黒山の塊としか表現できず、追いかけられるタケルからすれば、陸地が丸ごと迫ってきているように錯覚する。サランガ同士が合体結合した、まさに厄災そのものを体現した姿だった。


 タケルはなけなしの魔力で飛行を続けながら、炎の魔素を駆使して派手な花火を打ち上げ、自らが囮となることで、融合群体の誘導に成功していた。


 こんなモノを人里へ連れていくことだけは絶対に避けなければならない。

 結果、来た道を戻るように、何もない太平洋のど真ん中を飛行していた。


 何とかして融合群体を倒さなければ。

 だが決定的な魔力不足により、タケルの取れる手段は少ない。

 いたずらに時間を消費していく中、ふとタケルは自嘲的な笑みを浮かべていた。


「なあ真希奈。僕は一体何をしてるんだろうな」


『タ、タケル様?』


 主からの突然の問いに、さすがの真希奈も戸惑いの声を上げる。


「別に、手も足もでないこの状況に気が触れたわけじゃないんだ。ただなんというか、今の自分が信じられないというか、そんな感じで……」


『すみません、タケル様がおっしゃっていることが、よくわかりません』


「いや、うん……実は僕ってばだいたい今ぐらいの時間に起きてたんだよな」


『え?』


「辺りが暗くなり始めてからのっそりと起き出して、人目をはばかるようにコンビニに出かけて。今日は木曜日だからきっとチャンピオンとヤングジャンプを買ったりしていて」


『は、はあ……』


「いつも買うものは決まってて、カップラーメンとお茶とコーラ。たまに弁当も買ってたかな。それを一日分か、三日分くらいまとめて購入して。そんで家に帰ってからはずーっと飽きもせずネットゲームばっかりしてたんだ」


『…………』


「他にやることがなかったんだと思う。何をしていいのかわからなかったんだ。こんなこといつまでも続けられない。いつか終わりの時がくる。タイムリミットが迫ってることに目を背けながら、毎日をただ無為に過ごしていたんだ……」


 タイムリミットとは大人になる年齢。

 中身が例え子供であろうとも、否応なく社会的責任を負わされてしまう時期のこと。


 有り余る時間を過ごしながら、いつかは必ずやってくるその瞬間に、タケルは常に怯え続けていた。


「それが、そんな毎日が、ある日一変したんだ」


 突然放り出された違う世界。

 アリスト=セレスとの出会い。

 そして自らの死。


 ヒトであることをやめてまで願ったこと。

 愛しい者を取り戻したい。

 幸せだったふたりの生活に戻りたい。

 ただそれだけの、ささやかな願望。


 多分、今それは自分の手の中にある。

 でもいつの間にか願いは形を変え、新たな願いを産んでいた。


「僕の中にこんな気持ちが……。セーレスを救うだけじゃない、僕を助けてくれた人たちを、僕が関わった全てを、こんなに大切に思う気持ちがあったんだ」


 そしてそれは今、侵略者の手によって脅かされている。

 タケルが暮らしていた地球が、故郷が、仲間たちが蹂躙されている。


「魔力が足りないとか、そんな泣き言なんて言ってられないよな――」


『――ッ、タケル様! 海中に感あり! 来ます!』


 真希奈が告げたとおり、海中から巨大な水柱が屹立し、それを断ち割って黒い触手が現れる。それは融合群体が自身から分離させたサランガの集合体。水しぶきを上げ、海面を飛行する巨影がタケルを捉えるために差し向けた尖兵であった。


『タケル様、回避を――』


「いや、行くッ!」


『そんな、無茶です!』


 距離が近づくに連れて黒い触手がとんでもないスケールだとわかった。

 直径十メートル以上。全長は百メートルはあるだろう。

 その一つ一つはサランガが強固に集結した姿であり、攻撃など一見無意味に思える。


「――おおッ!」


 タケルはその黒い触手に、あろうことか素手で挑みかかった。

 魔力がほとんど通っていない、ヒトより以上の膂力だけで愚直に殴る、殴る、殴る。


 バラバラと、タケルの拳がサランガを一匹一匹、確実に仕留めていく。

 だが融合群体は、およそ数百万体にも及ぶサランガの塊である。

 決して諦めず、数百万回殴る覚悟がタケルにあったとしても、敵がそれまでカカシになってくれるわけはない――


『さらに動体感知! これは――タケル様、逃げてください!』


「なッ!?」


 左右後方、そして直上と直下。

 全ての退路を塞ぐように、黒い触手が屹立していた。

 もはや進むことも引くことも出来ず、タケルはただ静かに呟いた。


「ごめんな、真希奈」


『――ッ、タケル様!』


 ふがいない父親で。

 真希奈がそんな台詞を幻聴した瞬間、タケルの身体は塗りつぶされた。

 あらゆる方角から同時に迫った触手が彼の全身を丸ごと飲み込んだのだった。



 *



 光あれ。

 光とはフォトンであり、フォトンとは亜原子粒子のことである。


 一次元は点の意識、個の意識の世界。


 二次元はその個の意識が集合化した世界。


 三次元は意識が自立し立体化した世界。


 四次元はさらに時間の概念が負荷された世界。


 五次元。

 それは自我と集合意識が結実した世界。


 宇宙の伝達素子であるフォトンが充満した世界であり、意識という電磁気力を帯びたフォトンの集合体――エネルギーによって情報が離散集合する世界。


 五次元という、より高位の次元は、一次から四次までの物質世界に、フォトンという亜原子粒子を介して自在に干渉することができる。


 意識とはフォトン。

 フォトンとは光。

 光とはエネルギー。


 石にも鉱物にも、草や木や風にも意識が宿る。

 とりわけ五体を有した人型には、不雑精緻な意識というクラスタが発生する。


 創世記に曰く。

 光あれ。

 それはつまり意識よあれ――と。


 物質世界における意識の、光の、エネルギーの、その全てが満ちよ、満たされよと、そういう意味を孕んでいるのだ。



 *



 意識が沈む。

 何も見えない。

 何も聞こえない。


 ただただ孤独で、冷たくて。

 なのに全ての感覚がより鮮明クリアで。

 自分の体積が失われていく恐怖を、どこか他人事のように眺めている。


 これが死。

 そうだこの感覚は知っている。

 二度目だ。

 僕の目の前に、二度目の死が横たわっている。


 一度目の時。

 僕は理不尽に抗いたかった。

 翻弄され続ける無力な運命を跳ね除けたかった。

 セーレスさえ助けられればそれでよかった。


 二度目、二度目は今……。

 今僕は――


(このままじゃ終われない)


 一度目よりも大きな想い。強い想い。

 ひとりでいいなんて。

 他になにもいらないなんて。

 そんなのは嘘だ。


 自分に何もないからと。

 自分には何もできないからと。

 目を背けてきただけだ。


 でも僕は生まれ変わった。

 あの温かな世界を知ってしまった。

 手放し難い大切な人が――人たちが。

 今戦っている。危機に瀕している。


 僕にはそれを助ける力が。

 みんなを守れるだけの力が。

 あったはずではなかったか――


(くそ……ちくしょう……)


 どうして僕は。この身体は。

 セーレスを取り戻したのに。

 あと少しなのに。もう少しなのに。

 みんなを助けて、ついでに世界も救って・・・・・・・・・・


 力が欲しい。

 死を超えるモノが欲しい。

 それは僕の内に確かにあったのに。


 おい、ディーオ。

 お前の力は最強じゃなかったのかよ。

 全然たいしたことないぞ。


 こんなんじゃ駄目なんだ。

 まったくどこにも足りないんだ。

 僕の欲しいものは手にはいらないんだ。

 何かひとつでも欠けたら意味がないんだ。


 いつの間にか大切なモノが増えてしまった。

 アダム・スミスとは違って身軽だと思ったのに。

 こんなにも重くて、守りたいと思うものが両手に溢れている。


 だから、だから――



 *



「あれ?」


 不意に目が覚めた。

 見知った天井が視界に入る。

 今となっては懐かしい、僕の部屋の天井だ。


「は? ここは――うっ、ゲホゲホっ!」


 埃っぽい部屋の空気までそのままだ。

 換気換気。


「……嘘だろう?」


 ベッドから起き上がり、開け放った窓から見える風景は、酷く懐かしいものだった。


 何の変哲もない日本の町並みが広がっている。

 僕が短い人生の大半を過ごした、僕の家の自室から見える風景だった。


「まさか、夢オチ?」


 そんなバカな。

 いやそんなバカな。


「あんな現実感満載の夢があってたまるか!」


 別の世界に行って、セーレスと出会って。

 一度死んで、本気でヒトを殺して。

 聖都へ行って、セーレスを連れ去られて。

 聖剣を手に入れて、地球へ渡って。


 支えてくれるヒトエアリスがいて、仲間が出来て、娘が出来て、娘を創って。


 修行して、強くなって、戦って、弱くなって。

 それでも戦って、勝ったり負けたり。

 何度も何度も死にかけて、その度に助けられて。

 そんなみんなを守るために僕は――


「違う、絶対に夢なんかじゃない――」


 僕は踵を返し、部屋のドアを開け放つ。

 ホコリが積もった床に足を取られそうになりながら、すっ転ぶように階段を降りていく。


 ここは僕の場所なんかじゃない。

 全部が夢だったなんてありえない。

 僕はもう何もできないニートなんかじゃない。


「エアリス、アウラ、真希奈、セレスティア、セーレス……!」


 百理もカーミラもベゴニアも。

 イリーナやマキ博士。

 心深も学校の友だちも何もかも。

 全部なかったことになんて。

 絶対にしたくない――!


 外へ飛び出そうと玄関扉に手をかけたところで、僕はギクリとなって静止した。


 リビングの方から、テレビの音が聞こえてくる。

 甲高い笑い声やらBGMが鳴り響き、何やらバラエティ番組をやっているらしい。


 いや、問題はそこじゃない。

 僕は普段テレビを見ない。家にいる時は二階の自室でネットゲームをしていて、一階はトイレやお風呂にしか使わないのだ。


 一時期弁当を作っていたこともあったが、テレビをBGMにするようなことはしなかった。唯一古い記憶では父親が見ていたような気もするが……。

 

 そろりと、足音を立てないように、僕はリビングへと向かう。

 ドアの曇りガラスの向こうに確かなヒトの気配を感じた。


「――誰だ!?」


 勢い良くドアを開け放ち、開口一番問いを投げる。

 ソファの背もたれに腕を乗せていた大男・・が振り返った。


「うむ……随分と遠くまで来たな?」


「は?」


 見ず知らずの大男は、そんな意味不明な言葉を口にした。



 *



 男は大きな体躯をしていた。

 首が太い、腕も太い。

 身体の厚みなんて軽く僕の倍はある。


 エスニック風というのか、インディアン風というか。

 クルタのようなプルオーバーのシャツに、アラビアンパンツに似たダボッとしたズボンを穿いている。


 頭にはざっくりと包帯なのかターバンなのか判別できない布地を巻いており、隙間から黒髪がハリネズミのように飛び出していた。


「…………」


 ホントに誰だよ。

 見たことないよ。

 今までこんな男に出会ったことなんてない、はずだ。


「――ッ!?」


 改めて男の顔を見て驚愕する。

 まるで年老いた老犬のような、疲れきった瞳がそこにはあったからだ。

 これほどまでに精強な雰囲気を纏う男が、そんな死んだ目をしていることが信じられなかった。


「だ、誰だよおまえ……」


「うん? いや、一度会っているはずだぞ……だがまあ姿形などどうでもいい」


「いやいや、すごく重要だよ?」


「許せ。時間がないのだ」


「それは僕も同じだ」


「奇遇だな我もだ!」


 男は笑った。

 顔立ちは若いのに、深い深いシワが亀裂のように刻まれる。

 でも不思議と人懐っこい、嫌いになれない笑みだった。


「で、だな。要点だけ言う。心して聞け」


「勝手に話を進めるなよ」


「時間がないのだろう?」


「そう、そうなんだよ。急がないと日本が――地球がヤバイんだ!」


「わかったわかった。だが後にしろ。まずは我にしゃべらせろ」


「ああ。ごめん。どうぞ?」


「うむ……」


 こほん、なんて一つ空咳をしてから、男は「ふう」と大きなため息をついた。


「ヒト種族よ。いや、ナスカ・・・タケル・・・よ」


「え?」


 あれ? なんだかその呼び方、どこかで……?


「待たせたな。もう大丈夫だ・・・・・・


 男はその『大丈夫ごと』に関して絶対の自信があるのか、腕を組みながら大きく何度も頷いていた。


「な、何が? 大丈夫ってなんのことさ?」


「諸々だ。今まで苦労をかけた。だがようやくな、我も慣れた・・・・・


「だから何がさ!?」


 無性にこの瞬間が一期一会のような気がして、遺言のように感じられ、僕は強い焦燥に駆られていた。


 何か、もっと話しておくことはなかったか。

 目の前の男が誰かもわからないのに、何かを伝えなければいけない、そんな気がしてしょうがなかった。


「戯れに貴様の記憶の中で過ごしてみたが、いや腐るなこの生活は。これなる『てれび』とやらはなかなかに愉快だが、ずっとは飽きる。心身ともによくないぞ。ほどほどにしておけ」


「よけいなお世話だよ! っていうかそれどういう意味!?」


「あと貴様の創った娘・・・・、かなり優秀だな。貴様が扱い切れなんだ記憶と知識の優先権を渡しておく。好きにするがいい」


「おい、おまえまさか――!?」


「ハーフエルフの娘子によろしくな。我の娘も泣かせてくれるなよ」


「ちょっと待てって――!」


「我はしかと約束を果たしたぞ。次は貴様の番だ。見果てぬ先の、さらにさらに果ての世界を我に見せよ――三代目・・・エンペドクレス・・・・・・・


 男の身体が不意に掻き消え、世界が光に包まれる。

 目の前には金色の大きな瞳があった。

 大きな口と、鱗に包まれた巨体。そして天をつくような角。

 原初の姿を晒したあの男の、まん丸いムートゥのような瞳が僕を映していた。


「ディーオぉぉぉ――――!!」


 光の中に消える男に向かって、僕は力の限り叫んでいた。



 * * *



『タケル様、タケル様ぁ……!』


 はっ――と覚醒する。

 全身を這い回る激痛と不快感。

 そうだ、僕は今融合群体に取り込まれ、貪り食われている最中だった。


 真希奈が泣いている。

 ああ、ごめん、ごめんな。

 情けないご主人様で。

 でももう大丈夫だから――


「真希、奈ッ!」


『タ、タケル様、タケル様ッ! 気をしっかり、死なないでください! 今なんとか脱出を――ああ、でも申し訳ありません、もう魔力が、魔素分子星雲エレメンタルギャラクシーももう使い切ってしまって――』


「真希奈、大丈夫だ。落ち着け」


『は、はい……?』


 バリバリボリボリ。

 四肢の末端から、そして首から下も全部。

 全身を余すことなくサランガに食べられている中、僕は真希奈へと告げる。


「ちょっと一発キツイの行くぞ」


『は――? 何をおっしゃって……?』


 僕は素早く自分の内面世界へと埋没する。

 生きながら食われるという地獄の最中、僕の心は穏やかだ。


 いや、それは正確ではない。

 密かに溜めていたのだ。

 溢れんばかりの怒りを。


 でももう我慢は終わりだ。

 ペイバックタイムの始まりだ。

 ここからは全部僕のターンである。



 ――――――――ドンッ!



 それは音というより衝撃だった。

 ピタリと、糞虫共の動きが止まる。


『え――い、今のは――!?』


 ドクン(ドクッ)


 ドクンドクン(ドクッドクッ)


 ドクンドクンドクン(ドクッドクッドクッ)


 ドクンドクンドクンドクン(ドクッドクッドクッドクッ)


 ドクンドクンドクンドクンドクン(ドクッドクッドクッドクッドクッ)


 ドクンドクンドクンドクンドクンドクン(ドクッドクッドクッドクッドクッドクッ)


 ドクンドクンドクンドクンドクンドクンドクンドクンドクンドクンドクンドクンドクンドクンドクンドクンドクンドクンドクンドクンドクンドクンドクンドクンドクンドクンドクンドクンドクンドクンドクンドクンドクンドクンドクンドクンドクンドクンドクンドクンドクンドクンドクンドクンドクンドクンドクンドクンドクンドクンドクンドクンドクンドクンドクンドクンドクンドクンドクンドクンドクンドクン――――


(ドクッドクッドクッドクッドクッドクッドクッドクッドクッドクッドクッドクッドクッドクッドクッドクッドクッドクッドクッドクッドクッドクッドクッドクッドクッドクッドクッドクッドクッドクッドクッドクッドクッドクッドクッドクッドクッドクッドクッドクッドクッドクッドクッドクッドクッドクッドクッドクッドクッドクッドクッドクッドクッドクッドクッドクッドクッドクッドクッドクッドクッドクッ――――)


『こ、これは、心臓が――虚空心臓から心音がふたつ・・・・・・――!?』


 真希奈が驚きの声を上げる。

 糞虫共はまるで恐れを成すように動きを止め、潮が引いていくように僕から離れ始める。


『タケル様、一体何が起こって……!?』


「――魔族種龍神族」


 単一系統で他子・・相伝。

 一切の係累を持たない孤高の種族。


 何故ならその秘奥を継ぐことができるのはたったひとり。

 血筋に関係なく適合した者を超越存在へと召し上げる。


 それを成すのが虚空心臓。

 自己の内面世界という絶対不可侵の領域に初代・・エンペドクレスの――神龍の心臓を格納し、魔力を無限に精製し続ける『炉』へと変貌させる。


「そして二代目・・・エンペドクレス――」


 ディーオ・エンペドクレス。

 彼が引き継いだものこそ、初代の心臓だった。


 その力を抱えたまま、彼は自らの生命が天へと還る方法を探していた。

 だがそれは本来簡単なのだ。


 適合する次代に・・・・・・・引き継げば・・・・・いいのだから・・・・・・


 ディーオはそれを厭うたのだ。

 自らも虚空心臓となり・・・・・・・・・・無限の魔力を・・・・・・生み出す装置・・・・・・になってしまうことを・・・・・・・・・・


 その性質故に初代より次代、次代よりも三代目が遥かに強大な力を継承することになってしまう。


 それがわかっていたからこそ。

 自分の代でその楔を断ち切ろうと生涯を費やした。

 その気持ちが僕は今ようやくわかった。

 なぜなら――


『あ、あああ――ビ、ビート・サイクルレベル10を突破! なおも上昇中!』


「う、ぐッ、があああッ――!」


 欠損した四肢が一瞬で再生する。

 ボロ雑巾を焼き締めて風化させたような黒衣を纏い、僕は今海上に屹立していた。


 ただただ、嵐のような生命エネルギー――魔力の奔流が重力のくびきから僕を解き放っていた。


『ビート・サイクルレベル20――30――40――ま、まだ上がる――!?』


 感じる。

 僕の内面世界で今ふたつの心臓が――二頭の神龍が暴れている。

 どっしりと力強い貫禄の鼓動と、若く猛々しい粗暴な鼓動。

 そのふたつが反発しあい、ぶつかり合いながら、やがてはひとつへと融和していく。


『す、推定ビート・サイクルレベル999を突破――もう計測不能です! 余剰魔力を魔素分子星雲エレメンタル・ギャラクシーに変換――とても間に合いません!』


 それは共鳴。

 切れ間のない鋼の弦の震えはやがて、認識できる可聴域を越え、ただただ膨大甚大瀑布たる魔力を精製して精製して精製する。


『こ、こんな力強くて凄まじい魔力初めてで――、タケル様、真希奈は、真希奈はおかしくなってしまいそうですぅ――!!』


 宵闇が迫る空と海を金色の光が染め上げる。

 それはまるで遥か水平線に沈んだはずの黄金の太陽。


 目を灼く――どころか、地球を灼いたその光は、硫黄島の航空基地からも観測できるほどの光量だった。



 *



 光が晴れた時、僕の姿格好は一変していた。


「なんだ、これ……?」


 自分の両手を見下ろす。

 籠手、のようなモノに包まれている。

 僕は慌てて水の魔素で鏡面を作り出し、自分の全身を映し出す。


『ああ、あああ……感無量です。ご立派です。格好よすぎますタケル様っ!』


 僕の全身は見たこともない鎧に包まれていた。

 金色である。金ピカである。


 手足を包む黄金手甲と黄金靴おうごんか

 頭部の兜とか面具も、全部が全部派手派手のケバケバである。


 なんとなく全身のシルエットとか、鱗のデザインとか、龍をモチーフにしているように見えなくもないのだが……?


「これはッ!? 真希奈ッ!? おまえがッ――!?」


『いつか、いつか機会があればと真希奈が温め続けていた理想のお姿、そのお召し物を有り余る魔力を使用して創ってみました。――テへっ』


 テへって。いやいやいや。

 だが、今創った・・・と言ったか。

 それはつまり魔力を物質化・・・したということなのか。


 いつか、マキ博士が言っていた。

 魔力は光に似ていると。

 光とは即ち、エネルギーの基本形態だ。


 そしてエネルギーである光の物質化とは通常、コンプトン波長になった光が物質とぶつかり、電子と陽電子が対生成されることを指す。


 それに代表されるのが、かの有名な『E=mc^2』であり、これは光の物質化を示唆した数式でもある。


 本来『E=mc^2』に乗っ取るなら、エネルギーを生み出すためには質量の消失が必要であり、質量の発生には莫大なエネルギーが必要となる。


 そして確かに――この鎧からはとてつもないパワーを感じる。

 厳密な物理法則からは外れた、魔力というエネルギーの凝縮体。

 ビート・サイクルレベルに換算して測定不能な程のエネルギーを物質化しながらも、まるで重さを感じさせない。初めから自分の身体そのもののような――


 でも、でもこれはなあ……!


『いかがですかタケル様、多少真希奈の趣味も入ってはいますが、龍神族の長に相応しいカッコいいお姿をイメージしてみたのですが……』


「は――」


『は?』


「ハズいッッッッ!!」


 叫びながら右腕を振り下ろす。

 それは何の気無しの動作。


 だが手元から発生した魔力フィールドが衝撃波を生み、融合群体を切り裂いた。

 切り裂くだけでは飽き足らず、海面を割り、巨大な水柱が水平線の彼方にまで立ち上る。


『ただいまの攻撃で敵・融合群体の体積の27%消滅。形状を再構築中。活動再開まで約62秒――』


「は、はは……!」


 マジか。

 もはや乾いた笑いしか出てこない。


 あんなに苦労した融合群体が一瞬で1/4も消滅したって?

 どうなってるんだよこりゃあ。


『敵・融合群体、活動再開10秒前! タケル様、いかがいたしますか!?』


「完全消滅させる。一片たりとも残さない――!!」


『畏まりました。魔素分子星雲エレメンタル・ギャラクシー緊急散布!』


 黄金に包まれた僕から溢れ出した極彩の光。

 それは天の川銀河のような輝きを内包した四大魔素励起状態のフィールド。

 それが数百メートルはあろうかという融合群体を包み込み、星空の中へと持ち上げていく。


 融合群体は強力な魔力フィールドに包まれ身動きが取れない。

 危機を察知したサランガが結合を解き、群となって離脱しようとしているが、フィールドを突破できず、どうすることもできないようだ。


「タケル様こちらを」


 光が手の中にる。

 それは一瞬で形を変え、長弓へと変身した。


「僕、弓なんて撃ったことないぞ?」


『タケル様ならできます、絶対に!』


 その自信はどっからくるの?

 真希奈は『心の矢を撃つのです』とかなんとか言っている。


 それにしてもこの弓、弦が張られていない。

 本当に見よう見まねで矢をつがって撃つフリしかできないぞ。


 僕は極彩のフィールドに包まれた融合群体目掛け、矢が一直線にその中心を穿つイメージを解き放つ。すると――


「うおおッ!?」


 眩いばかりの閃光が、辺り一帯の海域を飲み込んだ。

 飲み込みながら急速にその光を収縮させていく。

 これはまさか――


「か、核爆発、なのか!?」


『正確には爆縮崩壊・・・・です。魔素分子星雲エレメンタル・ギャラクシーを強固なフィールドとし、魔力に含まれる疑似電子をフェルミ粒子に見立て、縮退星と同じ状態を作り出しました。タケル様が光のレーザーを撃ち放つと同時に核融合で爆縮するよう――』


「いや、もういい。わかった」


 今まで散々苦労をかけてきてなんだが、どうも真希奈のテンションがおかしい。

 有り余る魔力のせいでバッドトリップとかしてないだろうな?


「時間をかけすぎた。急ごう――!」


 日本へ。

 仲間たちが戦い、そして脅威に晒されている場所へ。

 全ての絶望を断ち切るために。

 今の僕なら必ずやれるはずだ。


 決着の時は確実に近づいていた。

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