地球英雄篇2
第189話 地球英雄篇2① 戦禍の中の希望〜誰がために戦う者共・前編
* * *
12月29日 15時30分
【東京都内某所】
「怯むな、前に出ろ! 歩兵拡張装甲の防御力を前面に出して市民を守るんだ!」
習志野歩兵拡張装甲部隊――通称工藤小隊は苦戦を強いられていた。
空からバケモノの群れが無数に襲いかかり、市民を虐殺するという耐え難い状況に陥っているためだ。
避難民が完全にパニックに陥るギリギリのタイミングで都内に入ることができたのは幸いだが、逃げ惑う人々や乗り捨てられた車輌に阻まれて、部隊間の緊密な連携が取れないのが現状だ。
工藤たちはもはや個々の裁量で動いている状態であり、一緒に連れてきた補給トラックから給弾することもままならなくなっていた。
「市民にバケモノを近づけるな――取りつかれたら、俺達にはどうすることもできない!」
二個小隊を率いる隊長、工藤功2等陸尉は血を吐くように呟いた。
6メートル強の体躯を誇る工藤たちの歩兵拡張装甲、二・五世代型ケベラニアンは装甲防御に優れる反面、それほどの
部隊内での運用を目的にしたスナイパーライフルを持ったマークスマン仕様の工藤機なら精密射撃も可能だが、バケモノに襲いかかられて、必死に抵抗する市民に向けて、発砲することなど不可能だった。
従って現在は現場の警察と協力し、歩兵拡張装甲一機につき、十数人からの警官と一緒になって戦っている状況だ。襲われている市民がいれば警官が総出で戦い、その頭上を工藤たちが守るという――本来の歩兵拡張装甲の理想に近い作戦を取っていた。
現状ではベストの戦術ではあるが、正直効果は上がっていない。バケモノに襲われた市民はすぐさま致命傷ないし、大怪我を負ってしまう。さらにミイラ取りがミイラになることも多い。助けようとする警官も重症を負うケースが後を絶たない。
目下工藤たちの最良の選択肢は、歩兵拡張装甲の特大火力で弾幕を張ること。そうしてバケモノ自体を避難する市民に近づけさせないことなのだが――
「いやあああッ!」
弾幕の間を抜けたバケモノが一人の女性の背中に取り付いた。
アスファルトに押し倒されて、無防備な背後から凶器そのものであるノコギリのような前肢を振りかぶる。
遠い。
すぐさま逃げ惑う市民の波に逆らって警官が殺到しようとするが間に合わない。
一秒後には女性は無残にも殺害されてしまう――
「――え?」
工藤が瞬きをした瞬間だった。
女性に取り付いていたバケモノが忽然と消えていた。
いや、振りかぶっていた前肢だけがその場に転がっている。
女性は無事な様子で、周囲の人々に助け起こされていた。
「い、一体何が……?」
状況が掴めず呆然とする工藤。
と、その時、部隊内で共有している無線から懐かしい怒声が鳴り響いた。
『何を呆けてやがる工藤! 射撃の手を緩めるな!』
「あ――きょ、教官? 教官でありますか!?」
工藤機の目の前に音もなく降り立ったのは、自機の倍はありそうな大きな歩兵拡張装甲だった。
――なんだこの機体は、と工藤は戦慄する。両肩と腕、そして脚部に対になった剣のような機構を有しているのを認めたからだ。
そしてその右手に握られた短剣状のハーケンには、躰のど真ん中を貫かれ、絶命したバケモノの亡骸があった。
「きょ、教官、その機体は――そ、それより今までどちらに!?」
『その説明はあとだ。残弾は!?』
「20%を切っています! 補給トラックは2ブロック後ろで足止めされていて――」
『よし、一時的にあたしが制空権を確保する。その隙に後退しろ!』
「制空権って、一体どうやって――」
言うが早いか目の前の機体――大型の歩兵拡張装甲が掻き消えた。
わッ――と周囲から歓声が湧き、頭上を仰ぐ人々に倣って工藤も空を見上げれば、そこには信じられない光景が広がっていた。
それは純粋な力の発露。
混じりっけなしの破壊の瞬間。
四肢を広げ、
その状態のまま機体が高速で空を駆け抜けると、黒い影で覆われていた空が払わる。そしてズタズタになったバケモノの残骸が汚穢な雨となって降り注いできた。
「なんだっ――あの歩兵拡張装甲は!?」
自分が知る常識を遥かに越えたその機動と戦い方に、工藤は戦いも忘れて見入ってしまっていた。
『た、隊長、今何かすごいものが空を駆け抜けて――』
味方からの通信にハッと我に返る。
工藤はすぐさま全機に向けて檄を飛ばした。
「教官だ、教官が帰ってきてくれた! 俺達は一時後退するぞ! 補給した後、体制を立て直す! 警官隊にもそう伝えろ!」
『りょ、了解です!』
隊員たちの声が弾む。
工藤自身も、先程まで感じていた全身の倦怠感がなくなっていた。
戦況をひっくり返せる。市民たちを守れる。そして勝てる。
あの人が帰ってきてくれただけで、それが夢物語ではなくなった。
知らず、絶望に支配されていた工藤たちの顔に希望の光が刺し込む。
たったひとりの奮迅がそれを可能とする。実感させる。
そのような希望をもたらす存在をなんというのか。
ヒトはそれを英雄と呼ぶのだ――
* * *
12月29日 15時05分
【千葉県銚子市上空】
「降下、降下、降下――!」
ジリリリリというけたたましいベルと共に、Cー130Hのサイドハッチから、次々と自衛官たちがが吐き出されていく。
「お世話になりました!」
機内に残った空自のロードマスターに敬礼をし、最後の一人が飛び降りる。
彼らが舞うのは戦場の空。
制空権が確保されていない敵地へと、死を覚悟して降下作戦を敢行する。
背嚢のパラシュートが開傘し、ゆっくりと滞空しながら、本来なら絶対にしない空中での通信を開始する。己が目でみたものをそのまま司令部へと届けているのだ。
「敵――バケモノの数は不明。とんでもない数です!」
「民家の頭上、目視300メートルまでを続々飛行中!」
「出現元はやはり銚子沖――いえ、九十九里にまで拡大している模様!」
「つ、翼の生えた人間が戦ってる!?」
その時、落下傘降下をしていた一人の自衛官が失速した。
急激にパラシュートがしぼみ、空気抵抗を失い錐揉みしながら落下していく。
「うわあッ――て、敵に取りつかれた!」
そう、一匹のサランガがパラシュートに突撃してきて大穴を開けたのだ。
自身ではどうすることも出来ずに、やがて彼は地面に叩きつけられてしまうだろう。だが――
「なッ!?」
次に彼に突撃をしてきたのはバケモノなどではなかった。
翼の生えた虚無僧と山伏――共に深編笠と大きな御札を貼り付け顔は見えない――が両脇から彼を支えていた。
「とんでもない無茶をするな人間」
「いやあ、近年このようなバカを見なくなって久しい。懐かしい気分になるのう」
「あ、あんたたちは一体――」
「むうッ!?」
自衛官が身につけるハーネスから伸びたバラシュート、萎んで下に垂れ下がった傘から、ラインロープを伝い、凶悪な形をしたバケモノが這い上がってくる。
「人間、今すぐコレを切り離せ」
「いや、あんたらが今ガッチリ俺の身体抑えてるだろ! 無理だから!」
「そうか、困ったのう」
「困った困った」
はははっ、と両側から笑い合う鳥翼の虚無僧と山伏。
「な、何を呑気に――!」
自衛官が突っ込みを入れた瞬間ボウッ! とパラシュートが燃え上がった。
青白い炎が大きく広がり、強靭なラインロープがあっさりと燃え落ちる。
そのまま真っ黒いバケモノ諸共に地上へと落ちていった。
「あなたたち――もう少し緊張感を持ちなさい」
首が痛くなるほど落下する火の玉を見送っていた自衛官の頭上から場違いも甚だしい声――少女の声が降りかかる。もう何が来ても驚かないぞ、という心構えで振り仰いだ彼は、しかしやっぱり
「もし、自衛隊の方とお見受けします。憂国の烈士としてこの戦いに参加をするのなら是非に助力を願います」
青白い馬に腰掛けた着物姿の美少女がペコリと頭を下げてくる。
ふと周りに目をやれば、他の仲間達も自分と似たりよったりの状況で、翼を持った虚無僧や山伏に助けられていた。
「わ、我々の報告は司令部に直結しています。指示をいただけるのであれば大変ありがたいのですが――」
自分よりもずっと年下に見える少女はボロボロだった。
露出した首元や手は酷い火傷を負っていて、全身は傷だらけだ。
それでも、その瞳は紛れもなく戦う者の目をしていた。
身にまとう迫力たるや、思わず平伏してしまいたくなるほどの鬼気に満ちている。
「では海を――敵の上陸に歯止めがかけられない状況です。我らでは海中を攻撃する手段がありません故、自衛隊の火力を持って飽和攻撃を。部隊の展開に必要な協力は惜しみません」
「か、かしこまりましたーッ!」
敬礼はできなくとも心では最敬礼を送りながら自衛官が叫んだ。
ヒトと人外の歴史的な協定が結ばれた瞬間であった。
* * *
12月29日 16時00分
【豊葦原学院高等部校舎裏雑木林】
「画像偵察衛星、情報偵察衛星、早期警戒衛星とのリンクはオッケー。あとは該当市街地で生きてる定点カメラの映像と軍事・民間の個人携帯端末から映像を引っ張って――」
真っ暗なコンテナ車の荷台。唯一の光源は十数台にも及ぶラップトップPCの明かりだけ。固くて冷たい床の上に膝をついたイリーナは孤独な戦いをしていた。
「西海岸とラスベガスの方はこれでよしっと。あと日本側はおばさんのシステムを借りちゃおう」
コンテナ内には大型の電源装置と床に並べられたパソコン以外、暖房器具の類は一切ない。それは奇しくも、郊外の冬の城に取り残され、寒さと空腹で死にかけていたあの頃――タケルに出会った時を彷彿とさせる。
「はぐ。もぐもぐもぐ……うーん黒みつきなこおいしー。そしてすかさずお茶。『おーい抹茶』のこの粉っぽい苦味が癖になるわねー。次は……うん? なにこれ大福なの中にいちご入ってるー。ああ、写メ撮っとけばよかったなあ。もぐもぐもぐ……」
辺りに散乱するのは先日タケルの友人たちが差し入れをしてくれた食料であり、イリーナは今は特に甘味を徹底的に摂取していた。
脳の栄養源はブドウ糖である。
ブドウ糖とは糖分の最小単位であり、例えばブドウ糖同士がくっつけば麦芽糖、さらに果物の糖がくっつけばショ糖になる。
麦芽糖だろうがショ糖だろうが、体内に入れば結局ブドウ糖に分解され血中から脳へ栄養源として運ばれる。その後、ブドウ糖は即座に消費されるのだが、本来脳にとって必要なブドウ糖の量とは一時間に5グラム程度だと言われている。
例えば通常の食事の中にはかなりの量の糖質が含まれている。その量は数百グラム単位であり、過剰な糖質の摂取は膵臓からペプチドホルモンの一種であるインスリンの分泌を促す。インスリンによって糖質は臓器へと蓄えられ、これが肥満の原因にもなるのだが――
「んぐんぐんぐ、ぷはっ。ふいー。こんなもんかな。放送が始まれば食べてる暇なくなるからなあ。うん、最後にキットカットも食べとこう。むしゃむしゃむしゃ!」
冬物のダウンコートの上からどんぶくを羽織り、さらに下履きはアンダーとスウェットの二枚重ねである。傍から見れば完全にコロっとした着ぶくれであり、実際胃袋の限界まで甘味を取り込んだイリーナのお腹は若干ポッコリしていなくもない。
だがこれは彼女にとって本気も本気になるときの『ローディング』だった。イリーナは旧ソビエト連邦が生み出したデザインチャイルド。
そんな彼女は普通の人間だったら肥満――というか血糖値の急上昇で体調を崩すほどの量であっても、決して太らず、臓器にも脂肪が蓄積することはない。
常人よりも遥かに活発な代謝によって血流が好循環し、体内の糖分は余すことなくブドウ糖として脳へと供給され続ける体質なのだ。
つまりどんなに甘いものを食べても太らない代わりに、極端な頭脳労働をするとすぐに栄養不足に陥るというデメリットを持っていた。
かつてイリーナはタケルたちが無作為に世界へとばら撒いたRSA量子複合暗号分を解読したとき、体内の血糖値が通常値のまま、脳みそをトップギアに入れて、そのまま死にかけたことがある。あのときは冬の寒さだけではなく、極度の低血糖と栄養失調が原因でもあったのだ。
「これはエナジードリンク? ブドウ糖とアルギニン、ナイアシンとカフェインか。行っとこうっと。くぴぴ……うえー、ジンジャー辛い〜!」
イリーナの前にはずらりとラップトップが並び、そして後ろはゴミの山。差し入れもあら方食べ尽くしてしまっていた。コンテナの内部はほぼ日が沈み始めた外気と同じ寒さになりつつある。
エアリスとセレスティアが張ってくれた結界も、さすがに地球の裏側からは効果を発揮しないようで、昨晩唐突に消えてしまった。つまり、今お尋ね中の人研のトラックは外部からも丸見えの状態なのだが――
「もうそんなのに構ってる暇なんてないよね。ライフラインが生きてるうちに何とかできればいいんだけど……」
現在は都市部に飛来したサランガに市民が襲われ始めて数時間が経過した。
電気、ガス、水道は未だ健在であり、放送電波やネットも問題はない。
だが今後それらがいつまで保つかはわからない。
最前線で未だに戦う者たち。
エアリスやセレスティア、百理の勢力にカーミラ、ベゴニア。
アメリカ軍や自衛隊、警察に消防、市民の有志たちなどなど……。
彼らはすべからく気づいているはずだ。
自分たちに戦いを終局へと導く決定打が存在しないことを。
あの宵の空に、我が物顔で居座り続ける黒い太陽がある限り、決してサランガの進撃は終わらないのだと。
「でも、だからって絶望なんてしてられない。私が、私達が届けるんだ――希望を!」
イリーナはスマホを取り出し、とある番号を呼び出す。
そして繋がった瞬間、まるで詰めていた息を吐き出すように盛大なゲップをした。
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