第187話 地球英雄篇⑫ 人類の剣の復活(後編)
* * *
体育館内は騒然としていた。
たった今、バケモノに襲われていたトラックから男女二人を救出した金髪の女。
彼女は何やら大型のアタッシュケースを抱えながら戻ってくると、体育館倉庫の中へと篭ってしまった。
「ヒカルくん、起動準備を!」
「了解です!」
救出されたふたりは、一方がツナギを着た青年で、もう一方がフォーマルなスーツ――何故か胸元が乱れている――を着込んだ妙齢の美女だった。
二人は床にノートパソコンを広げ、周りの者たちから奇異の視線を浴びるのもお構いなしに、訳の分からない専門用語を連発していく。
「多積層型クアンタム・バッテリー起動!」
「コンテナ内部、紫外線照射開始します! ――機体各部、バルトナイズX02、励起構造変化現象を確認。バンドギャップ内に高圧電流発生中!」
「OS起動!」
「OS起動確認、コールサイン『
「武装チェック!」
「各武装――【肩部アーマー・ブレードアンテナ】、【サイド・リボルバー・クーロン・ハーケン】、【腕部スラッシュ・クーロン・ハーケン】、【腕部カナードブレード】、【脚部テイルブレード】、動作信号問題ありません!」
「補助武装チェック!」
「加速用プラズマジェット噴射口、姿勢制御用エアーブレーキ噴射口、電磁バリア投射口、各部とも問題なし!」
「以降のステイタスチェック、バイタルチェック、並びに起動タイミングを『桜花』に移譲……あとは――」
バンッ、と勢い良く扉が開く。
そこから現れたのは、真っ黒いボディスーツを着込んだマリアだった。
「あなた次第よ。マリア・スウ・ズムウォルト。いえ、秋葉原テロ災害の英雄と呼べばいいかしら?」
ザワッと、人々がどよめく。
そういえばテレビに映ってた……人命救助の……黒いロボットが……とまだまだ記憶に新しい単語が飛び交う。
「なんでもいい。今のあたしは加減ができるかわからねえ。機体を壊しちまったら勘弁してくれ」
「むしろ望むところよ。逆にあなたが壊れても、こっちは責任がとれないわ。それくらい
挑発的な富士子の物言いに、だがマリアは静かに頷く。
「ああ、コイツを見ればそれがわかる」
マリアが肩に担ぐのは、取っ手のついた円柱形の透明なポッド。
その中身は今
中身は当然アクア・リキッドであるとわかるが、濃度が明らかに高い。
本来純粋なアクア・ブラッドの藍色により近い青色は、それだけで彼女たちが持ってきた機体の危険度を表していた。
マリアはアクア・リキッドのポッドを肩に担ぎ、体育館内を横断。ステージ付近で治療を受けている麻莉愛の母親の元へと向かう。
「ズ、ズムウォルトさん……!」
出血と痛みで意識が朦朧としているのだろう。
玉の汗を額に貼り付けながら手を伸ばしてくる。
「無茶なお願いだとは重々承知しています。ですがお願いです、麻莉愛を、あの子を助けて下さい……!」
マリアは跪き、母の手を――血の通った温かな手をしっかと包み込んだ。
「必ず無事に連れて帰る。あんたはここで待っててくれ」
マリアは立ち上がりると、猛然と校庭のトラックを目指して走り出した。
*
トラックはこちらに腹を見せたまま横倒しになっている。
後部ハッチからコンテナ内部に入れると富士子たちに告げられ、マリアは急ぎ校庭を駆けていく。
「――ッち、糞虫共が!」
上空から黒い影が迫る。
それは動体であるマリア目掛けて一直線に飛びかかってくる。
相手にしている暇はない。
マリアは更にスピードを上げてサランガたちをやり過ごそうとする。
だがその行く手を阻むよう、三匹のサランガが降りたった。
構うものか――!
マリアは全身に魔力を滾らせながら大跳躍。
サランガの頭上を飛び越えると、さらに加速してコンテナを目指した。
わッ、と喝采が聞こえた。
暗幕を閉めた体育館や校舎から幾人もがこちらを覗いているのが見えた。
「ちゃんと隠れてろ……!」
背後からガサガサという足音。
迫ってきている。
だがこちらの方がギリ早い。
マリアはコンテナ後部のハッチを開けると、素早く中へと飛び込んだ。
ガチャン、とロックレバーを下ろすと同時、ガンッガンッガンッ、と扉一枚隔ててヤツらが身体をぶつけてくる。
「はあ、はあ、はあ……!」
マリアはアクア・リキッドポッドを抱え直し、改めてコンテナの内部に目を凝らす。
内部は意外と明るかった。紫色の光で満たされているからだ。
「ブラックライト? ――って、コイツは!?」
目が慣れた途端、衝撃がマリアに襲い掛かる。
そこには『力』の化身が横たわっていた。
手脚を拘束され、固定ワイヤーで雁字搦めにされ、翼を畳み、矮小に縮こまってはいても、隠しきれない貫禄と威厳が漂っている。
まるで相応しい乗り手による解放の時を待ち望み、静かに力を蓄え続けているようだ。
違う。今まで兵器然としてきたベルキーバやブラック・ウィドウとは何かが決定的に違う。それは正に刀匠が心魂込めた一振りの刀のような荘厳さだった。
マリアは悟る。
今自分がいるのは王の御前。
人造の王が封印された棺の中にいるのだと。
マリアが王の胸部までたどり着くと、そっとコックピットハッチが開く。ゴクリと、マリアは生唾を飲み込んだ。
「鬼が出るか蛇が出るか――って言うんだっけこういうの?」
マリアはコックピット内部に入り込むと、素早くあるべきものを探した。
アクア・リキッドが入ったポッドを固定挿入する箇所である。それは座席シートの背部にあり、その上にはホースから伸びたフルフェイスのヘルメットも用意されていた。
マリアはポッドを挿入。それ以上進まなくなってからフックレバーを半回転させさらに押し込んだ。ブシューっという音が響き、コックピット周りが青白い光で満たされ始める。
横倒しになったままのシートに背中を押し付けると、アクア・リキッド・スーツの固定具がカチッとハマりシートと一体化する。マリアはヘルメットを被り、口を開いた。
「アクア・リキッド充填開始」
呟いた途端、マリアの意識が消し飛んだ。
「――ッ、はあッ! あ、あああッ!」
一瞬で意識を失い、一瞬で覚醒する。
襲い掛かってきたのは、凄まじいまでの痛み。
頭が破裂しそうなほど内圧が高まり、そのかわり大切な何かが流出していく。
アクア・リキッドで満たされたヘルメットの中が曇っている。
それが自分の眼窩から零れた血涙だとわかり、マリアは凄絶に笑った。
もっと――もっと来いセレスティア。
これを受け入れればあたしはおまえに近づける。
今までよりずっとお前を近くに感じられるはずだ。
やがて引き潮のように痛みが引いていくと代わりに心臓がF1のエンジンになったように猛り狂う。手脚の末端が酷くうずく。鼓動度に毛細血管が破れては再生を繰り返しているためだ。
『――おはようございます。オペレーションを開始します』
「なんだ……?」
突然脳内に声が響き、マリアは顔を顰めた。
『アクア・リキッドを利用したエコー技術により、パイロットの命令形脳波を瞬時に判断、統計を取ることにより、操縦の補助に反映します』
「まてまてまて。いきなり小難しいことを言うな。お前は何だ、名を名乗れ」
『試作型人工知能S9シリーズOUKA。私のことは
「サムライ?」
『サムラオウ、です。強きモノ、猛きモノ、そして尊いモノの名を冠した現行最強の歩兵拡張装甲です。本機は単騎で戦術オペレーションを遂行するために建造され――』
「御託はいい。おまえはあたしの手脚になれ。あたしが壊れてもいい――力を貸せ!」
『了解。サムラオウ起動開始。クアンタムバッテリー残量1700%――各種兵装、各部ブレードとも問題なし』
ゾクっとマリアの背筋が震える。
可動残量がブラック・ウィドウの軽く四倍以上。
どんな高性能バッテリーを積んでいるのだと。
『……音紋センサーがコンテナ外部に取り付く敵動体を感知。総個体数11――』
「増えたなあ! まずは20ミリ機関砲を使うぞ!」
興奮している場合ではない。
何をするにしてもまずは周囲の敵を相当しなくては。
マリアは真っ先に使い慣れた武装を選択する。
だが――
『ありません』
「あ?」
『本機は一切の火器兵装を持っていません。そもそも日本には銃砲刀剣類取締法が存在し――』
「馬鹿か! じゃあ何ができるんだおまえは!」
『本機は中距離から超近接格闘戦専用機です。まずは――こちらの兵装が有効と思われます』
「――これは……実にあたし好みだ」
呟くと同時、マリアは不意に脱力した。
そして次なる一手――複数の挙動動作を頭の中で瞬時に思い描く。
すると――
「――なッ!?」
次に目を見開いた途端、マリアの視界には青空が広がっていた。
遥かな眼下にはまるでサメにでも食い破られたようなボロボロのコンテナが転がっており、その周りに散乱するのは硬い甲殻を持った糞虫共――
マリアがそれらを残らず殲滅しようと考えた途端サムラオウが反応する。
両手を不意に広げると、手首から肘にかけて取り付けられたカナードブレードに莫大な空気抵抗が生まれ、機体に急ブレーキがかかる。
一瞬の浮遊感の後、いつの間にか機体は頭を下にして地面に落下を開始していた。
とてつもなく鋭敏で繊細な
『サイド・リボルバー・ハーケン射出』
桜花が告げた瞬間、サムラオウの両脇に取り付けられたリングから二股の短剣が射出される。それは地面にぶつかる直前、何もない空間に突き刺さった。
投射された電磁フィールドをクーロンハーケンが貫き、絶対強固な固定点となったためだ。さらに内部機構に搭載された超電導ウィンチがハーケンに繋がるハイコーネックス・ナノワイヤーを巻き上げることでサムラオウは地面に向かって加速した。
アクア・リキッドに包まれたヘルメットの中――表示されるHUDには機体速度、敵個体数、そして一撃で残るすべてのサランガを屠るための理想的な機動曲線が描かれる。それを成すために必要な武装は――
『敵個体、全て撃破しました』
一瞬。正に瞬きの間だった。
地面に接触する直前、サムラオウは左手からハーケンを射出。
直下から真横に軌道が変更され、機体右側面を下にしながら――地面に転がるサランガたちの頭上を撫でる形で通り過ぎたのだ。
通り過ぎた跡に目をやれば、抉れた地面の上には、もはやゴミとしか言いようのない残骸が転がっている。ただの一匹も生き延びたものはなく、まるで内側から爆発でもしたかのように無残な屍を晒していた。
『肩部アーマー・ブレードアンテナを使用しました』
「何だって?」
『準第四世代型の新機構です。大型の肩部アーマーが廃止された代わりに、電磁フィールド収束装置であるブレードアンテナが設置されました。最大翼15.6メートルまで電磁フィールドを拡大展開できます』
「つまり翼にもなるし、今みたいに体当りしながら攻撃にも使えるってわけか」
『その通りです』
「おまえ、なんで今あたしが説明して欲しいことを先んじて答えたんだ?」
『アクア・リキッド・エコーにより、あなたの脳波は常に監視されています。【疑問】に類する脳波を感知したため説明をさせていただきました』
「勝手に人の心を読むな!」
『否定。心ではなく脳波です』
「おんなじだ!」
などと漫才をしている場合ではない。
マリアは再び上空へと機体を飛び上がらせると、ある区画に指向性マイクのセンサーを向けた。
『いやあッ、来ないでぇ!』
「――ッ、麻莉愛!」
早く、速く、疾く――!
少女を助けるために一秒でも疾く。
そう思った途端、桜花が再び新たな機構を解放する。
『進路をパイロットの視点から推定算出――固定。加速用プラズマジェット起動します』
もはや何でもありか――!
マリアがツッコミを入れるより早く、サムラオウは住宅街を駆け抜ける一筋の流星と化した。
*
あれからどれくらいが経っただろう。
十分だったかも知れないし一時間だったかも知れない。
とにかく、少女は極限状態に置かれていた。
立錐の余地もない建物と建物の間。
身体を反転させることもできず、唯一自由になるのは首だけ。
そして今、左、右、そして真上にはあのバケモノ共が山のように群がっていた。
ガサガサガサと爪で壁を引っ掻いたり、叩いたりしながら、少女という餌に手を伸ばし続けている。
出られない。
閉じ込められている。
決してヤツらの爪が届くことはないが、それでも身動きもままならず、おぞましいバケモノ共が次々と増殖していく様は、少女の精神に多大なる負荷をかけていた。
「ヒッ!」
今、身体のすぐ横に何かが落ちてきた。
本能的に隙間の奥へズレていくと、パタパタパタと雫が降ってくる。
唾液だ。粘性と臭気が強く、黄ばんだ唾液が上から滴ってきているのだ。
「いやあッ、助けて、誰か――お母さん……お姉ちゃん!」
本当は頭を抱えて蹲ってしまいたいのに、さっきからずっと無理な姿勢で立ちっぱなしだ。もしかしたら、このまま誰も助けに来てくれず、こんな暗くて狭い空間で自分は死んでいくのかもしれない……。
「そんなの、そんなの嫌だよう……!」
少女の思考全てが絶望に沈みそうになったその時――救いの声は空から舞い降りた。
『麻莉愛ッ、無事だな!? 真ん中に寄れ! 出来るだけ真ん中に行くんだ!』
「お姉ちゃん!?」
本当に、本当に戻ってきてくれた。
嬉しさと感動で声が上ずる。
絶望していた心の底から希望という活力が湧いてくるのを感じる。
少女はバケモノ共が群がる左右をキッと見つめ、隙間の中間地点へと向かう。
『この糞虫共が!』
――光が。
バケモノという暗闇に閉ざされていた空間に、太陽の光が差し込んだ。
左から頭上、そして右側と瞬時に闇が払われ、ズシンッと地響きがする。
『麻莉愛、もう大丈夫だぞ』
少女は声のする方へと歩を進める。
隙間から出る瞬間、眩しくて目を閉じる。
そして再び瞼を開けると――
「うわあ」
見上げるばかりの異様が屹立していた。
住宅街の建物より、そして電信柱よりもさらに大きい。
両脚、腕、そして肩に大きな剣がついた人型のロボットはまさにヒーローそのものだった。
『乗れ麻莉愛。母ちゃんのところまで行くぞ』
「う、うん」
現実感も希薄なまま、少女は差し伸ばされた大きな手の上に乗る。
五指に優しく包み込まれた瞬間、お尻が浮き上がるような感覚。
「うっ、わあ〜!」
大きな指の隙間から見下ろすのは都心の大パノラマ。
どういう理屈なのかわからないが、このロボットは今空を飛んでいた。
視界の中、小学校があっという間に迫り、再びふわりとした浮遊感。まるでエレベーターの昇降のようにロボットは音もなく校庭へと降り立った。
指の隙間からみんなの顔が見える。
校舎の窓から、目をまんまるにしたたくさんのヒトたちがこちらを視ている。
ロボットはズシンズシンと足音を立てながら、体育館の方へと歩き出し、そっと跪きながら手を地面へと下ろした。
『母ちゃんは中にいる。行け』
「……うん」
これは現実の出来事なのだろうか。
もしかして自分は死んでしまって、一時の夢を見ているだけなのではないだろうか。
だがそんな考えもお母さんの顔を見たら吹き飛んでしまった。
開け放たれた扉の奥、脚に包帯を巻いた母が、肩を支えられながらこちらへと近づいてきたからだ。
「ママ、ママぁ!」
「麻莉愛!」
母の腕に抱かれながらようやく自分が助かったのだと実感する。
ならばお礼を言わなければ。
自分を助けてくれたあのニートのお姉ちゃんにありがとうと――
それは適わなかった。
体育館の扉は再び固く閉ざされてしまう。
カーテンが引かれた窓の向こう、大きなシルエットが見えたが、瞬時に消えてしまった。
「ありがとう、ずむおるとのお姉ちゃん」
最後まで名前を間違ったまま、少女は自分を助けてくれた
*
『マスター・マリア』
「誰がマスターだコラ」
狭いコックピットの中、マリアは突っ込みを入れていた。
このOS、慇懃なくせに意外と気安く話しかけてきやがるのだ。
『マスター・マリア、質問があります。この脳波の乱れはなんですか? 現在のあなたが置かれている精神状態を報告してください』
「なんであたしがそんなことを教えなくちゃならないんだ」
『パイロットの精神状態を把握しておかなければ、的確な行動選択ができません。重ねて問います。あの母娘に対するあなたの精神状態をお教えください』
「はあ……安堵、そして憧憬、思慕ってところじゃねーの?」
『よくわかりませんが、脳波パターンに名称をつけてライブラリに保存します』
「変なOSだなおまえ」
サムラオウは今、東京上空を旋回していた。
市街地の各所からは煙が上がり、人々の混乱が加速度的に増しているのがわかる。
そして、地上の音声を拾えば、そこかしこから阿鼻叫喚の悲鳴が聞こえてくる――
『マスター・マリア、どうされますか?』
「片っ端から潰していく。とりあえず近場からだ。優先順位の判断は任せたぞ!」
『了解。人命救出を優先します。軌道進路をHUDに表示――』
「一匹残らず狩り尽くしてやる――!!」
やがて人々は知る。
今この瞬間、人類最強の剣が復活したこと。
そして絶望を跳ね除ける希望が誕生したことを。
もう間もなく、人々は知ることとなるのだった。
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