第186話 地球英雄篇⑪ 人類の剣の復活(中編)
それは。
『力』の化身だった。
小さな棺の中で翼を畳み、手足を拘束されている。
今はただ、相応しい乗り手による解放の時をただひたすら待ち続けている。
暗闇の中でなお威光を放つ人造の王がそこに横たわっていた。
* * *
12月29日 午後14時36分
【東京都港区竹芝ふ頭公園、二階展望デッキ】
半円状の中央広場、その二階に広がる展望デッキ。
臨海に建設された憩いの公園は、突如として舞い降りたクリーチャーにより戦場と化していた。
空より現れた汚穢なる悪魔。
ヒトの世にあってはならない漆黒の異物。
生理的な嫌悪を植え付けるフォルムと、見るからに凶悪そうなノコギリ状の爪がついた前肢。
それを今まさに、棒立ちとなった少女へと、バケモノは振り下ろさんとしていた。
(――ッ、間に合わねえ!)
全身を弾丸と化しマリアは疾駆する。
だが足りない。少女まで絶望的な距離が横たわっている。
なんでもいい、何かあのバケモノの気を反らせれば――
「――ッ!?」
マリアは驚愕した。
少女の後ろから迫る人影を認めたからだ。
「オラァッ!」
マリアは這うようにバケモノへと迫り、背を向けるその胴体を思い切り蹴り飛ばした。
「あッ――くぅ!」
「ママ!?」
茶色いダウンスウェットを着た40代くらいの女性。
小柄で、非力そうで、足だってマリアより圧倒的に遅いはず。
だが彼女は間に合った。
後ろから娘に覆いかぶさり、地面に伏せさせる。
そしてバケモノの爪は、彼女の左大腿部を切り裂いていた。
「ママっ、血が出て――!」
「ダメ、じっとしてなさい
ドクン。
マリアの心臓が一瞬跳ね上がる。
自分と同じ響きの名前で少女が呼ばれたからだ。
耳の中に懐かしい声が蘇る。
それと同時に腹の底から激しい怒りがこみ上げてきた。
「てめぇええええ!」
マリアは全身を
ガンッ、とアクリルかプラスチックでも殴ったような感触。
思ったよりも軽量なのかザザザっと地面を転がっていく。
バケモノはひっくり返り、脚をバタつかせながらバッと鞘羽を開き、
マリアは瞬時に肉薄すると、バケモノが羽撃きで起き上がる前にダンッと片翅を踏みつける。凶器そのものの
「このぉッ!」
ズブリとした感触。
踏みつけた足を踏ん張り、渾身の力で腕を振り抜くと、ブチブチっとバケモノの胴体が引き裂かれ、上と下に泣き別れした。
マリアはジタバタともがき続けるバケモノの残骸を油断なく見つめる。
その外見に違わず、昆虫の神経節を持っているためか、上半分と下半分は未だに元気よく動き続けている。
だが、全くバランスが取れないようで、のたうち回ることしかできないようだ。近づかなければ問題がないと判断し、マリアはヌルヌルとした汚穢な液体を振り払うと、一目散に
「お、お姉ちゃん、ママがママが!」
血を流す母の姿に、少女――
そしてマリアも、一瞬だけ背筋に冷たいものを感じる。
脳裏に過るのは最後に母を看取ったあの日の光景。
暑い暑い熱帯夜に、握りしめた手がどんどん冷たくなっていく死の感触。
マリアは幻影を払うよう頭を振ると「大丈夫だ」と言いながら止血のために母親の腰からベルトを抜き取り止血帯にする。
そしてマフラーを包帯代わりにすると、患部にキツく巻きつけた。だが不味い。この傷では到底歩くことは適わないだろうし、適切な治療が受けられる場所に運ぶ必要がある。
そうこうしているうちに街のあちこちから、遠く残響のように人々の悲鳴が聞こえてきた。頭上を振り仰げば、大きく黒い物体がいくつも過ぎ去っていくのが見える。地面に転がるバケモノと同様のモノが市民を襲っているのだとわかった。
「ここにいちゃ危ない。確か避難するって言ってたな。そこまで行こう。あんたはあたしが背負う。ガキ――麻莉愛って言ったか」
「う、うん、そうだよ」
「避難する場所はわかるか?」
「うん。私が通う小学校だから」
「じゃあそこまでの道案内を頼む。荷物は本当に必要なものだけ持って置いていく。なるべく広い通りを避けて、建物の影に沿って移動するぞ。いいな?」
「うん!」
ゴシゴシと涙を拭き、麻莉愛は元気よく返事をした。動揺した者を落ち着かせるためにはとりあえず役割を与えるのがいい。少女自身も元々賢いのだろう。今はそれが母を救う最善であると理解しているようだ。
「あの、助けて頂いてありがとうございます。あなたお名前は?」
患部に触れないよう慎重に背負っていると、背中からそんなことを聞かれる。
マリアは咄嗟に「ズムウォルトだ」と名乗った。
「ずむおると〜? 変な名前!」
「こら、恩人になってこと言うの! ……ズムウォルトさんはもしかして警察関係のお仕事をされてるのかしら。なんだかすごく頼りになるわあ」
「いや、あたしは――」
「違うよママ、お巡りさんが日がな一日ベンチで寝てるわけないじゃない。きっと無職のニートかフリーターなんだよ!」
「こ、こら、そんなこと言っちゃ悪いでしょ! ……すみませんズムウォルトさん」
「いや、間違っちゃいねえよ。今は仕事してないしな」
そう言いながらマリアは歩きだす。
もう街は、先程までの平和な街ではない。
ダマスカスでテロリスト二個小隊と戦ったときより以上のピリピリと張りつめた空気が漂っている。
なんとしてもこの母娘だけは無事に送り届けなければ……。
マリアは改めてそう決意する。
*
『お父さんを恨まないであげて』
そう言われた瞬間、言葉に託された願いとは裏腹に、マリアの中には激しい憎悪が生まれた。
そんな娘の心情がわかったのだろう、母はベッドに横たわりながら力ない笑みを浮かべる。
「あのヒトは私達を捨てたんじゃない……、でも離れ離れになるしかなかった。あなたにもいつかわかる時がくる……」
マリアは激しく
嫌だ。この胸の悪感情は必要なものだ。
母が居ない明日からの世界を生きていくために、これは失くしてはいけないものだと、マリアの本能は悟っていた。
そうだ。マリアはもう既に母の死を受け入れている。
口では死なないでと言いながら、母が居なくなってからの生活のことを、我が身のことを、頭のどこかで考えている。
そんな薄情な自分が許せなくて、情けなくて、マリアはボロボロと涙を流した。
いくら泣いて見せても自分の本質は変わらない。そんなものは死にゆく母への贖罪にすらならない。
ままならない感情と本能。
そのふたつが幼いマリアの中でせめぎ合う。
そして母は――やっぱり母だった。
自分の分身であり、あの人の分身である我が子マリア。
強く高潔でありながら、自己矛盾を受け入れられず過度に内罰的になろうとするその性格。
だから母はそんなマリアにひとつの生き方を提示した。「誰かのために生きなさい」と。
この娘はまっすぐ過ぎて、いつか自分を優先することすら卑怯と断じるだろう。
ならば誰かのために役立つことをして、そしてそれが自分の喜びと感じられる人間になって欲しい。
そうすればこの娘は笑っていられる。
多くの人々に囲まれて、愛されながら生きていけるはずだ。
その名前が示すとおり、慈愛を以ってやがては救世主となれるように。
彼女自身が人々を照らす希望の光となれるように――
「いい子……いい子ねマリア」
息も絶え絶えに、その憎しみも打算も受け入れ、娘が少しでも自分を許せるよう、優しく優しく頬を撫でてやる。自分に残された最後の時間を全て、愛し子のために費やす。
やがて静かにゆっくりと呼吸が浅くなっていき……満ち足りた顔で母は逝った。
頬に添えられた手を握りしめながら、マリアは母の今際の顔を一晩中目に焼き付け続けた。
* * *
街は、混乱に陥っていた。大きな通りには逃げ惑う人々が溢れ帰り、乗り捨てられた車が避難民の足を邪魔する最悪の矛盾に陥っていた。
空から飛来したバケモノたちは、そんな人々の群れに突撃をすると、瞬く間に己が本能を満たすための行動を開始する。即ち食事と産卵である。
ヤツらの硬い甲殻と表皮は正に凶器であり、取りつかれたが最後、人間には抗うことなどできない。
だが産卵や食事中は動きが止まるのを知り、消化器やバール、トンカチなどを用いて反撃を試みる者も中にはいたが、あまり効果は上がらなかった。
マリアが行ったように、バケモノの身体を引き裂いたりでもしないかぎり、ヤツらは多少のダメージを与えてもしつこく動き続ける。
一度死んだと見せかけてから、ノコギリのような爪がついた腕を振り回し、周囲の人間をまとめて殺傷するモノまで現れていた。
警察官が総出で市民を誘導しながら戦っているが、38口径程度の拳銃弾では効果は薄い。
犠牲者は増え続けるばかりで、目下一番の対処法は『逃げること』。
そして頑強な屋内にて気配を殺して隠れ続けることだけだった。
*
マリアは負傷した少女の母を背負い、複雑に入り組んだ狭い路地を移動中だった。
やはり人の波が集中する大通りが真っ先に狙われ、ここにはまだヤツらの影はない。
辺りに人気はなく、どの家からも気配は感じられなかった。
息を潜めて隠れているのか、それとももっと大きくて頑丈な建物へと避難したのか。
先を急ぐ道すがら少女は「ママ、痛くない?」とマリアに負ぶさった母親へと何度も繰り返し語りかけている。その度に「平気よ麻莉愛、大丈夫だからね」と優しい声がマリアの耳をくすぐった。
自分と同じ響きの名前を呼ばれるたび、マリアの中に懐かしい面影が
その声をもっと聞いていたいと思う。
自分の母とは容姿も言語も何もかもが違うというのに、呼びかけるときに宿る優しさだけは、亡き母と瓜二つなのだった。
「――ッ!?」
次の瞬間、マリアの直感が警鐘を告げた。
頭上を仰ぐより早く「走れ!」と少女に告げる。
ブゥーンという
クワガタ、に似ているだろうか。だがその身体は大型のシベリアンハスキー並に大きく、手足も太い。
恐らくマリアたちの背にのしかかるつもりで着地したかったのだろう。硬い地面の上に降り立ち、小刻みに身体を震わせていた。
「急げ、走れ麻莉愛!」
「う、うん!」
だがこの時、マリアはひとつのミスを犯した。
大人ひとりを背負っていてもなお、マリアの方が身体能力に優れている分、速度に差が出てしまった。
そのことに気づいたときにはもう手遅れ。振り返れば十メートルほどを隔てた後方に、懸命についてくる麻莉愛の姿が。そしてそれを隔てるように二匹のバケモノが間に降り立った。
「麻莉愛!」
母親の悲痛な叫び。バケモノたちはその巨体をクルクルと旋回させ、交互にマリアと麻莉愛を見つめ、そして当然のように弱い方の麻莉愛を餌に定めた。
「――ヒッ!」
ジリっとにじり寄るバケモノ二匹に、麻莉愛が身をすくませる。
そうしてマリアは瞬時に決断を下していた。
「麻莉愛ッ! 右の隙間に入れ! 早くしろ!」
少女の右手には建物と建物の隙間、室外機を設置することもできない狭い空間があった。麻莉愛の目に一瞬力が宿り、すぐさまその隙間に飛び込む。
途端、バケモノ共は地面を蹴って、少女の元へと殺到した。
「いやあああああッ、来ないでぇ!」
「麻莉愛、もっと奥に行け! ヤツらの爪が届かない距離まで入り込むんだ!」
建物の隙間は硬い甲殻を持ったバケモノが侵入できるだけのスペースはない。
小さな少女であっても立錐の余地もない隙間だが、今はそこに入り込むしか生き残れる術はなかった。
「麻莉愛! 麻莉愛!」
背中から手を伸ばし、母親が必死に娘の名前を呼ぶ。
「お願いです、助けて、娘を助けてください!」
「――今は、ダメだ」
相手は二匹。
そして角の向こうにはもう一匹がいる。
戦うことなど絶対できない。
もし戦えば、一匹を相手にしているうちに、動けない母親が襲われてしまうからだ。
非情ではあるが、麻莉愛という餌がヤツらを引きつけているうちにここを離脱しなければ今度はこちらが標的になってしまう。
「麻莉愛ッ、必ず戻ってくる! それまでそこにいろ! いいか、絶対に外に出るなよ!」
それだけを言い放つと、マリアは背を向けて走り出した。
「嫌、ダメ、待ってください! 私はどうなってもいいから娘を、麻莉愛を助けて! お願いします! 麻莉愛を、麻莉愛だけでも――!」
「ダメだ、あんたを死なせるわけにはいかねえ!」
「麻莉愛ぁ、麻莉愛……!」
頼むからそんな悲しそうに名前を呼ばないでくれ。
もう二度と母を失いたくないんだ――と思いながら、マリアは避難所までの道のりを駆け抜けるのだった。
*
「開けろ! 怪我人がいるんだ! 早くしろ!」
数分後。
たどり着いた小学校は避難民で溢れかえっていた。
校舎や体育館の扉にすがりつき、中に入れてくれと人々が群がっているのだ。
それを近くの窓から監視し、万が一にも中にあのバケモノが入ってこないよう警戒をしている。必要なこととはいえ、もどかしくてしょうがない。
ようやくバケモノ共が居ないとわかり、体育館の扉が開かれる。
十数人からの避難民が一斉になだれ込み、マリアもようやく中へと入ることができた。
「誰か、怪我人がいるんだ! 手当できるものはいないか!?」
「こっちに連れてきてちょうだい!」
ステージ近くに白衣を着た中年女性がいる。恐らく小学校の保険医だろう。
彼女の周りには血がついた包帯やガーゼが散乱しており、怪我人が何人も横たわっている。だがその傷は避難してくる過程で転んだりしてできたものだろう。バケモノに一度襲われて生還できるものはまずいないはずだ。
「バケモノの爪で切り裂かれた。20分ほど前だ。患部を徹底的に消毒してくれ」
「直接襲われたの!? よく無事だったわね……」
言いながら保険医は血まみれのマフラーを解き、患部を確かめて顔を顰めた。
「少し深い。この傷でよく……。あなた偉いわ、完璧な応急処置だったわね」
「そんなことはいい。早く治療してやってくれ」
言いながらマリアは周囲を見渡す。
体育館の中には100人ほどの避難民がいる。
誰もがスマホを片手にテレビやネット、ラジオを着けて情報を得ようとしている。
『とにかく屋外にいるのは危険です! 家の中か、もしくは頑丈な建物の中に今すぐ避難をして――』
テレビ局のニュースキャスターが懸命に呼びかけているのが聞こえた。
恐らくこの体育館もこれからどんどん避難民が集まってくるだろう。
母親を保険医に預けたまま、マリアは体育館倉庫へと向かう。
何か武器になりそうなものを探すためだ。
誰か協力者を連れて麻莉愛を助けに行こうかと思ったが、体育館の中にいるのは殆どが家族連れ、もしくは年寄りばかりだった。
若い男も居たがまだ中学生くらいだ。とてもではないが、バケモノと戦うことを強要することはできない。
倉庫の中はバスケットボールやバレーボールが入った籠と跳び箱とカラコーンがあった。籠を破壊して鉄パイプにするか。いや――
「工具箱!」
奥にひっそりと隠れるように、工具類がぎっしりと入った箱を見つけ、マリアは中身を漁った。
だが、意外と使えるものが少ない。ハンマーは鉄製ではなく強化プラスチックで出来たプラハンだ。こんなものであのバケモノどもを叩いたところでダメージは望めないだろう。
マリアはプラスとマイナスのドライバを持てるだけ。後はメイン武装にバールを選択した。
「待ってろよ麻莉愛……!」
これが……おそらく自分にとって最後の仕事になる。
例え生き残ることができても、もはや五体満足ではいられないだろう。
だが、例え手足を食いちぎられようとも、腸を引きずり出されようとも、あの少女だけは絶対連れて帰る。必ず母親の元に送り届けるのだ。
「それにしても……スミスの野郎が言っていたのはこれのことだったのか」
やがてくる滅びから世界を救うこと。
そのためにセレスティアの魔法を研究し、歩兵拡張装甲を開発し、AAT法案を考え、そしてタケル・エンペドクレスをスケープゴートにした。
社会秩序の崩壊。愛するものが、隣人が食い殺されていく恐怖。これを一度でも味わったものは、狂気の中へと捕らわれて二度と帰ってこられなくなるだろう。
アダム・スミスがやろうとしていたことは到底許せない。
セレスティアを騙し、マリアをも騙し、傷つけなくてよい人々まで傷つけた。
だが、それでも全人類が死滅する危機を目の当たりにすれば、やむを得ないのかもしれない――そうも思う。
「はっ。なんなら、今だったら叫んでやってもいいんだけどな」
――あなたは必ず私を頼るはずです。その時はどうか天に向かって叫んでください。スミス隊長ごめんなさ――
ドカンッ、と壁の向こうからとてつもない破砕音が聞こえてきた。
「なんだッ!?」
急ぎ体育館内に戻ると、外からキキキキ――っとタイヤが地面を激しく擦るスキール音が聞こえた。
二階の窓に張り付き、暗幕の隙間から外を監視してる中年男性にマリアは叫ぶ。
「何があった!?」
「でっかいトラックが校門を破って突っ込んできた!」
「事故か!?」
「わからん、今は校庭グルグル回って――あッ、運転席にあのデカイ虫が張りつてるぞ!」
「ちッ、扉を開けろ!」
マリアは全身に魔力をたぎらせながら外へと飛び出していった。
*
水城ヒカルと麻生・スカルノ・富士子の乗ったトラックはサランガに襲われている真っ最中だった。
もともと時間の許す限りマリア・スウ・ズムウォルトの探索に当てようと思っていたが、ついに限界がきてしまったようだ。
ラジオから流れる陽気な音楽番組が逼迫した緊急ニュースに取って代わり、車窓から見える街の空気も目に見えてピリついたものに変じたのがわかった。
大きい通りはもう無理だ。そう判断し、どこかトラックの巨体を停車できる場所を求めて、近くの小学校を目指していたそのとき、ガン、ガガン、と屋根の上に何か硬いモノが降ってきた。
「何かしら、でっかい雹でも降ってきたのかしらね?」
「それならなんぼか嬉しいですけど――うわッ」
ガリリ、と爪を立てたサランガの腹がフロントに張り付き、驚いたヒカルは一瞬ハンドルを埒外の方へと切ってしまう。路肩の縁石に乗り上げたトラックは、道路沿いに張り巡らされた小学校のフェンスを薙ぎ倒しながら進んでいく。
「きゃーッ!」
「富士子さん、こっち!」
ヒカルは助手席側の富士子をぐいっと引き寄せる。
『消火栓』と書かれた赤い標識をなぎ倒しながら、もうすぐ校門が見えてくるはず――
「嘘、閉まってる!」
「富士子さん僕にしっかり捕まって! 突っ込みます!」
「私にも突っ込んで!」
「下ネタうざいッ!」
ヒカルは叫びながらアクセルをベタ踏みした。
並行に近い角度から急激にハンドルを左に切り、反動でコンテナのケツが道路の対岸にぶつかる。
そしてドカンッ、という衝撃と浮遊感。20トン車の巨体が一瞬浮かびあがり、鉄製の校門をなぎ倒しながら校庭へと侵入を果たす。
「しつこいなあッ!」
それでもサランガはフロントに張り付いたままガシガシとガラスに爪を立てていた。ダメだ、このまま運転していては校舎にぶつかる。かと言って停車するにはスピードが乗りすぎて――
「うわわッ!」
「ヒカルくんッ!」
舗装路から芝生の校庭に移ったことで完全にコントロールを失った。
あくまで普通の大型運転免許しか持たないヒカルには、スピンした車体を立て直すスキルなどない。
結果、トラックは横倒しになり、地面を削りながらようやく停止した。エアバッグが作動して、ふたりはフロントガラスに頭から突っ込むことだけは免れたが――
「富士子さん、大丈夫ですか?」
「うーん、気持ち悪い。吐きそう」
「あんなに飲んでて、こんだけシェイクされたらそうなりますって。あたたっ」
「ヒカルくん、怪我したの!?」
「大したことありません。あなたがこうならなくてよかった」
今トラックは校庭のど真ん中で運転席側を下にして横倒しになっている。側面のドアに激しく右肩をぶつけてしまったヒカルは、腕全体に痺れと痛みを感じていた。
「そして……まだいるか」
よほど上手いところに手脚を引っ掛けているのだろう。
あれほど激しく揺さぶられながらも、相変わらずサランガはフロントに張り付いたままだ。
ヒカルたちを捕食せんとする本能のなせる業なのか、口と思わし器官を開き、鋭い杭状のものを突き立ててくる。
「キャッ!」
ガン、ガン、と大きな刺突音。
フロントには放射状に薄くヒビが入り、一撃度にそれが拡がっていく。
「富士子さん僕が囮に――」
「待った。一緒に死んでくれるんでしょう。なら野暮なことは言いっこなしよ」
「そう、でしたね。でも……あなたには死んでほしくないなあ」
「そりゃ私だって同じ。私は食べられてる間にキミだけでも逃げて欲しいけど……」
ガン――ガン――ガン!
「そんなのダメです。やっぱりあなたは生き残るべきだ。今後の人類にとって、あなたの頭脳は必要不可欠なはず。だから――」
続く言葉は言えなかった。
シートベルトを外し、のしかかって来た富士子によって唇が塞がれたからだ。
車内はビールやらワインの空き瓶が転がり、目の前には肴のスルメが転がっている。そんな最低の環境でもしばし状況を忘れ、ふたりはお互いの唇を貪りあった。
「私だけ生き残ってもダメよ。キミがいない世界に私は生きていたくないから――」
「富士子さん……」
ガン――ガン――ガン!
「だからね――Hしましょう、今すぐ!」
「はい?」
爛々と目を輝かせながら富士子はヒカルの上着を脱がせにかかった。
「ちょ、何してるんですか、まさかこんな状況で――!?」
「こんな状況だからでしょう! 三分、いえ、一分もあれば十分よね!?」
「それは僕が早いって意味ですか!? なななな、何を根拠にそんなことを!」
「この際早漏は美点よ! 仕込むだけ仕込んだら、私は全力でお腹の子を守るために逃げるから、後はよろしく!」
「もうヤダこの女――!」
ガン――ガン――ドカンッ!
ついに。
完全にフロントが破壊され、角が丸くなったガラス片がヒカルたちに降り注ぐ。
「え――?」
だがフロントを壊したのはサランガではなかった。
胸部の複板から金属片が――バールの先端が覗いている。
串刺しになったバケモノの身体を打ち捨てたのは、簡素なスウェット姿の金髪の女だった。
「おい、無事か――って、何してんだよあんたら!」
マリアの目が釣り上がる。
ヒカルも富士子も衣服が乱れに乱れた状態だったからだ。
「いや、これは違くて――って、あれ?」
「あらら。もしかしてあなた――」
「あん? なんだよ……?」
「「マリア・スウ・ズムウォルト!?」」
いきなりフルネームで名を呼ばれ、マリアは思いっきり渋面を作るのだった。
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