第183話 地球英雄篇⑧ 舞い降りる戦女神たち〜子連れの女神様がやってきた!

 *



 銚子市の空は戦場の空だった。

 千葉沖から無限と発生したバケモノ共――サランガ。


 今や地を這うばかりでなく、つばさをも持った有翅種ゆうよくしゅたちは都市部を目指して進撃を開始した。


 それを迎え撃つは人外の徒。

 この国を裏から守護する影たち。


 本来なら決して表舞台に出ることはない彼らは、祖国と国民を守るため、必死の戦いを繰り広げていた。


 そして――戦場の空を見上げて佇む吸血鬼の眷属がひとり。


「ベゴニア」


「カーミラ様」


 紅の蝶を纏いて現れたのは神祖の吸血鬼。

 彼女の眷属であるベゴニアは恭しく跪き臣下としての礼を取る。


「ベゴニア、もはやこの戦い、私にも趨勢は読めません。あなたは遊撃に移りなさい。市井の中から救うべくを救うのです」


 尊大に。

 神の血を分けたと言われる神祖の吸血鬼に相応しい威厳を振りまきながらカーミラが告げる。それを受け止めるベゴニアはニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべていた。


「素直に街のみんなを助けてって言えばいいじゃないですか」


「バっ――何を言ってるのかわかりかねますわね」


 威厳は霧散し、カーミラは頬を染めてぷいっと明後日を向いた。


「素直じゃないですねえ。あーあ、カーミラ様にこんな可愛い一面があったなんて。もっと早くに気づいてたら、もっとたくさん愉しめましたのに」


「いい加減になさい。百理といいあなたといい、私、からかうのは大好きですが、からかわれるのは苦手なんですのよ……!」


「カーミラ様」


 ベゴニアは立ち上がり、スッと顔を背ける。

 主から視線をそらした――わけではなく。

 吸血鬼を前に横を向き、無防備な首筋を曝け出す意味はたったひとつしかない。


「……よろしいのですね?」


「カーミラ様には息切れとか汗とか似合わないんですよ。いつでも余裕で、それでいて優雅でいてもらわないと」


「わかりました」


 押し寄せるサランガの大群。

 だがそれはカーミラの紅蝶が作り出す球形のフィールドを突破することは適わない。触れればその箇所が崩壊し、生物として必要な機能が削がれ、ゴミ同然の有様となり地へと落ちていく。


 そんな紅蝶たちが守護するフィールドの最中で、カーミラは容赦なく迷いなく、鋭く伸びた牙をベゴニアの首筋へと突き立てる。その直前――


「ベゴニア――あなたはまだ若い。死に方を求めるにはまだ早すぎます」


 驚愕に目を見開きながらも、ベゴニアはもう言葉を発することは出来ない。

 吸血の最中、カーミラから溢れる赤光はますますその輝きを増し、そしてベゴニアの筋肉の隆起は、その骨格の搭載量を凌駕して膨れ上がっていく。


「帰ってきなさい。最後まで己に負けることは許しません」


 果たしてその言葉を理解できたのか否か。

 鬼が――紛うことなき生粋の鬼が、地面を粉砕しながら飛び立った。


 鬼が通った跡には、ただバケモノ共の死骸が撒き散らされるのみ。

 その勇ましい背中を見送りながら、カーミラははたと空を見上げる。


「さて、日本を――世界を救うとしますか」


 ポロポロと真紅の瞳から血の涙がこぼれ落ちる。

 玉の雫は地面に触れる前にヒラヒラとした蝶を形作り。

 バケモノ共を滅ぼす紅蝶へと変貌していく。

 だが――


「一羽につき十体と言ったところですか」


 分子崩壊を促す必滅の紅蝶も、無限に存在していられるわけではない。

 訳十体。それだけのサランガを道連れにすれば、自然と消滅してしまう。

 万と出現させている紅蝶で、屠れる個体数は単純にその十倍が限界だろう。


 足りない。圧倒的に手数が足りなかった。

 今やバケモノ共の個体数は数百から一千万単位を超える。

 それだけの数を前に、不利を覆す戦いをせねばらなない。


「楽しくてたまりませんわね……!」


 カーミラは笑った。

 あるいは未だかつて体験したことのない、自分の限界の更にその先を知ることができるかもしれない。


 ――だがそれも、あくまで余裕を持って優雅に。


「自分らしく、そして美しく、ですわ!」


 翼を広げて飛び立つ。

 その羽撃きを妨げるモノはなく。

 まるで踊るように、歌うように、彼女は空を舞う。

 自分が背中を任せるに相応しい美姫の元へ、一陣の風となって駆けつける。


「休憩は終わりましたか。なんならずっと休んでいてもよかったのですよ?」


「まあ、強がりを言って。あなたの視線はずっと感じていましてよ。私の姿が見えなくて寂しくて不安だったのでしょう」


「ふ――言ってなさい!」


 旗色は悪い。

 いや、最悪と言ってもいい。

 もう間もなく、最初に飛び立ったバケモノたちが首都圏中心部に到達する頃だ。


 既に戦闘開始から数時間。

 これからが正念場。

 まだまだ、戦の終わりは見えそうになかった。



 * * *



 12月28日 19時01分

【アメリカ合衆国カルフォルニア州ロサンゼルス市、サンタモニカビーチ】


 ありえない。

 戦闘開始から小一時間あまり。

 勇猛を誇るアメリカ陸軍の一個師団と海軍の艦艇があってもなお、戦線は崩壊し既にして負け戦の様相を呈していた。


 一個師団とは6,000〜20,000人規模で編成される戦略単位である。

 その編成は師団本部を筆頭に4個旅団+航空旅団からなる。


 さらに細分化すれば4個旅団は4〜5からなる歩兵大隊、騎兵大隊、野砲大隊、支援大隊からなり、それ以外にも幕僚部(憲兵、通信、会計、化学防護、音楽隊)などなどあるが、矢面に立って戦うのは主に前者の者たちである。


 本来なら10万人規模にもなる軍団規模を投入したかったところだが、場所が市街地に近かったためと、時間の関係もあり師団規模になってしまった。それでも短時間でかき集めたこの戦力を、通常撃破するためには3倍以上の戦力が必要となる。


 それが大敗。

 撤退戦は3割の損耗率を見越して始めるものだが、現在は約半数もの人的損害を出しつつ、尚も加速度的に被害が増していた。


 このまま行けば全滅は必至。ベトナム戦争時でも在り得なかった完全敗北を米軍は喫しようとしていた。


 何故なら敵との戦力差が3倍どころの話ではなかった。

 目に見えるだけで恐らく数十万以上。


 海中にまだいるものも含めれば――数百万、数千万体はくだらないバケモノが押し寄せてきたのだ。それはもう、無限の物量と言っても過言ではなかった。


 海岸に面したパラセイズ・ビーチロード。

 今やそこは死屍累々の有様だ。

 糞虫共の餌となり、仲間たちは醜い屍を晒している。


 ――その死体の中に埋もれるように、一人の兵士が最後の時を迎えようとしていた。


 彼を生かしてくれているのは戦友たちの亡骸。

 食い散らかされた非道い有様のそれが肉布団となって覆いかぶさり、隙間からチョコンと首だけ出している状態だった。


 彼は最後方の補給部隊に居た。

 いかにして短時間のうちに、戦線が崩壊していったのか。

 その一部始終を彼はその目に焼き付けていた。


 夜の海から湧き起こったバケモノどもは、スターマインのように夜空に広がったかと思うと、流星のような素早さで自分たちへと襲い掛かってきた。


 真っ先にターゲットとなったのは生身を晒している歩兵部隊。闇夜に紛れて滑空してきたヤツらに5.56ミリ弾などそうそう当たるはずもなく。


 押しつぶされ、将棋倒しになった兵士たちは、お互いがお互いを縛る鎖となり、身動きも取れないまま次々と食い殺されていった。


 軽装甲車の銃座で機銃を操作していた兵士も同様に、寄って集って貪り食われて死んだ。


 逃げ場のない車内で食い殺されたものも数多くいるだろう。例え気密性の高い戦車や装輪装甲車であっても、ヤツらはお構いなしに大集団で群がり、ギアシャフトやエンジンを破壊していく。


 動けない棺桶となった車内で果たしてどのようなやりとりがあったのか、突如として装甲車が内側から爆発した。外に出れば確実に食い殺される。そんな絶望をするしかない状況で、彼らが手榴弾のピンを引き抜いて自決を図ったとして咎められるものは誰も居ない。


 このような混戦の様相では航空支援などできようはずもなく、ろくな反撃手段もないまま一方的な蹂躙を許していく。


 街は――街はまだ無事なのだろうか。

 戒厳令下に置かれた市内は避難勧告が出されている。

 市民は指定の避難所や厳重に戸締まりをした屋内で待機中だ。


 だが、被害が出るのはもう時間の問題だろう。

 拳銃程度の武器しかない一般市民がこんなバケモノ相手に太刀打ちなどできるはずがない。


 死にたくはない。死にたくはないが、このままでは死ねないとも思う。市民を守れず、仲間もむざむざ殺され、ただ朽ち果てていくだけの自分がたまらなく悔しかった。


 死体に埋もれながら兵士は怒り、そして涙した。涙しながら見上げる。星々の瞬きさえ遮る糞虫の大軍団。見上げながら気づく。身体が動かない。


 でも右足だけが丸ごと心臓にでもなったように熱く脈を打っている。ヤツらの一匹に襲われた際、何かを体内に注入されたのだ。


 その瞬間から身体が痺れ始め、そして時間とともにそれがおぞましい胎動だと理解する。


 もうすぐ自分は糞虫の生みの親になる。

 そして産み落とした我が子は真っ先に自分をエサにするのだろう。

 ああ、誰か今すぐ自分を殺してくれ。


 神は居ないのか。

 救いのヒーローは居ないのか。

 誰でもいい。

 ヤツら以外なら悪魔でもいい。

 誰か、誰か――


「もし――ここは『さんたもにか・びーち』で合っているだろうか?」


 突然の突風。

 それが強かに兵士の顔を打ち据えると同時、そんな声が聞こえた。


 声は死にゆくばかりの五臓六腑に嫌というほど染み込んできた。

 目を向けた瞬間、兵士は息をするのも忘れた。

 エメラルドグリーンの輝きを纏った美少女が自分を見下ろしていたからだ。


 褐色ブラウンの肌。

 きらめく銀色の髪シルバーヘアー

 たなびくマフラーを風に遊ばせながら、琥珀色アンバーの瞳が自分を映している。


「……The best pickup came. Oh goddess. Please take me to heaven without pain.(……最高のお迎えが来た。ああ女神様。どうか苦痛なく天国へ連れて行ってくれ)」


 兵士の呟きを聞くと、褐色の女神は眉を潜め、ポンと己の手のひらを叩いた。


「そうか。ここは日本ではないのだったな。異国語なのか。参ったな。アウラよ、この男に通訳をしてくれるか?」


 現れた女神はなんと子持ちだったようだ。

 なんにもない空間から突如褐色の少女が現れる。


 端々に女神本人の造形を引き継ぐ、紛れもなく娘とわかる容姿をしている。

 可愛らしい子供服に身を包み、神の御使いらしく空中をふわふわと漂いながらこちらを覗き込み、そして口を開いた。


「ふーいずざがっです。あいむどろうずぃおあ、ふぁっきんあすほーる(誰が女神だ。寝ぼけてるのかクソ野郎)」


 小さな女神から発せられた強烈なスラングに兵士は固まった。

 まるっきり母音発音の英語だが、なんだかそんなこととはお構いなしに、頭の中にするりと言葉の意味が滑り込んできたのだった。


「素晴らしい語学力だ! さすがは我が娘!」


 女神は小さな女神を抱きすくめるとキスの雨を降らせる。

 小さな女神は何故か兵士を見下ろし、ドヤ顔でピースサインを作っていた。

 なんなんだコイツらは……。


「Oh, here is the beach of Santa Monica.(あー、ここは確かにサンタモニカのビーチだ)」


「おお、やはりそうか。イーニャが誘導した通り来られたのだな」


 先程から女神が話している言語が日本語らしい……ということだけはなんとなくわかった。


 何を隠そう、今肉布団になっている仲間が彼の国のMANGAやアニメにのめり込んでいたからだ。宗教観が異なる国なので、唯一神に対する信仰が少なく、創作物の中に独自解釈の神や女神が登場することがままあるそうだが――


「Guuu, ohhh!」


 兵士の身体を突如として激しい痛みが襲った。

 右足が灼熱を孕み、今にも爆発しそうだ。


 原因はわかっている。

 もう間もなく、あのおぞましいバケモノが生まれるのだ。

 食い荒らされた周りの死体と同じく、自分もまた屍へと変わり果てるのだろう。


「Ask. please kill me. As much as a food for the monsters, with your hands――(頼む。殺してくれ。化け物どものエサになるくらいなら、あんたの手で――)」


 兵士が言い終わらぬうちに、痛みが消えた。

 本当に唐突に、全身を刺していた痛みと倦怠感が消える。


 そして女神の手の中には、自分の右足があった。

 腿の半ばから切断さた、ミリタリーブーツを履いた成人男性の右足。

 それは服の上からでもわかるほど、内部で何かが蠢いてるのが見て取れた。


「ふむ。こうやってヒト種族の身体にたまごを産み付けるのか。それと同時に動けなくなるよう毒も注入すると。これは糞虫共の本能なのか。再生能力のないヒト種族には致命的だな」


 まるで重さを感じさせない動作で手を振ると、放られた右足が瞬時に細切れになる。服と肉と、そして生まれたばかりのバケモノ諸共、一緒くたにバラバラにされる。


 兵士は自分の足を切断し、事も無げにバケモノを屠った女神を驚愕の表情で見つめていた。


「Who the hell are you?(あんた、何者なんだ?)」


 痛みが消えたためか、彼はようやく気づく。

 死体の最中に隠れてやり過ごしていたが、今この場所はバケモノ共が我が物顔で人間を屠殺するキリングフィールドと化しているはず。それなのにもかかわらず、バケモノ共が一切襲ってこない。何故――


「――ッッ!?」


 周囲を見渡した彼の視界に異様な光景が映し出された。


 やっぱりここはキリングフィールドだ。バケモノ共がいなくなったわけではない。いやむしろ今もなお、汚穢な牙や爪を突き立てながら、こちらを押しつぶそうと四方は方から群がっていた。


 だが、ただの一匹も、牙の一刺しですら届かない。

 見えない壁が――エメラルドグリーンの光を湛えた不可視の壁が、バケモノ共の進行を完全に防ぎきっていた。


「正直、一部を除き、この世界のヒト種族にはなんの価値も見いだせないのだが――」


 光が溢れる。

 壁が湛えるものと同じ――いや、それ以上の輝きが、暴風と共に女神から発生していた。


「ホロウ・ストリングス」


 女神が呟いた瞬間、不可視の壁に群がっていたバケモノ共が絶命した。

 逃れ得たものは皆無。全身を切り刻まれ、醜いパーツを撒き散らしながら地面へと落ちていく。


「我が主たっての望みなのでな。乗りかかった船、ともいうのか。とにかく思う存分、全力で暴れさせてもらおう――!!」


 女神が繰り出したエメラルドグリーンの風。

 それはもはやハリケーン級の暴風だ。


 空を飛ぶモノ、地を這うモノ、それぞれの糞虫共が彼女に群がろうとするが、その前に悉くが切り裂かれ、あるいはミキサーにかけられたようにズタズタにされ、ただのゴミと化していく。


 右足を失った兵士は、仲間たちの屍からなんとか起き出すと、生きている通信機を求めて匍匐前進を始めた。彼が伝えるべきことはただひとつ。


 即ち、『子連れの女神が助けにきてくれた』と。



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