第182話 地球英雄篇⑦ 有翅種テルバン・サランガの脅威〜世界で起きてる本当のこと知りたくない?

 * * *



 12月28日 18時00分

【アメリカ合衆国カルフォルニア州ロサンゼルス市、サンタモニカステートビーチ】


 西海岸の有名な観光スポット、それがサンタモニカビーチである。

 ショッピングエリアやグルメスポットが軒を連ね、温暖な気候のビーチは本来冬であっても賑わいを見せる。


 だが、今そのビーチには観光客はおろか地元民の姿すらない。

 ハリウッドからもほど近いサンタモニカビーチには現在、アメリカ陸軍そして遥かな洋上にはアメリカ海軍の巡洋艦が緊急展開していた。


 国家存亡の危機が迫っている。

 敵勢力を水際で迎撃せよ――、と前代未聞の作戦が通達されたのだ。

 だが、一体自分たちは何と戦えばいいのか。

 それを正確に理解してるものは誰ひとりとしていなかった。


 ロシアか中国かノースコリアか。

 まさか、エイリアンと戦えと言うわけではあるまい。

 HAHAHA、と笑いながら兵士たちが頭上を見上げれば、日が落ちた夜空に瞬くのはいつもの星空と、不気味に輝く見慣れない黒い太陽・・・・である。


 夜空の中でひときわ存在感を放つそれは、皆既日食のダイヤモンドリングのように美しく、そして不気味な光を放っている。あんなものは昨日の夜まではなかった。何か異常なことが起こっている。だが恐れることはない。何故なら見よ――この勇猛たる戦力たちを。


 長い海岸線にずらりと並んだのは戦車大隊だ。

 M1エイブラムスの長大な砲身が整然と沖合を指している。


 それだけではない、ストライカー装甲車や重機関銃を搭載した装輪装甲車輌が蟻の這い出る隙間もないほどに配備されている。


 パラセイズ・ビーチ・ロードには黒山の人だかりとなった歩兵部隊がひしめき、さらに後方には民間施設を徴用した補給部隊も陣取っている。


 歩兵の装備も大盤振る舞いの様相だ。

 まず標準装備に最新式のアサルトライフル、M4A1カービン。

 9ミリハンドガン、ベレッタM9をサブとして。

 さらにショットガン500MILLS、M870を背中に背負い。

 分隊支援火器として一個分隊に一丁、軽機関銃のM249が支給されている。

 向こうに見えるたくましい砲身はブローニングM2重機関銃だ。

 後方にはM224迫撃砲部隊もずらりと並んでいる。


 まさに一度引き金を引けば地面を銃弾で耕せるほどの武装であり、これらを前にして喧嘩を売ろうなどというバカはまず居ないと思わせる最強の布陣である。


 唯一それらの戦力の中に、あの例のロボット兵器――《歩兵拡張装甲》の姿はない。


 AAT法案の会場で大統領を守ったラプターや、昼間にネット上の動画で見かけたあの白い大きなロボットは、海兵隊と共にワシントンDCの防衛に回るのだという。


 あんなSFもどきの兵器など必要ない。俺たちだけで十分だ――

 兵士たちひとりひとりの胸中には、そんな挟持と誇りが炎のように燻っていた。


『Incoming!!(敵襲来)』


 何が相手でも怖くはない。

 最強の兵器と武器、そして頼もしい仲間たち。

 俺達は無敵だ。

 だが――


『Fire!! fire!!』


 共有情報で座標が指定され、ミサイルと迫撃砲弾が発射される。

 火を吹きながら飛び上がったそれらは、一旦高く舞い上がり、遥か洋上で炸裂した。漁火を凌駕する爆発の炎が咲き誇り、誰もが瞬時に決着がついたと確信する。


「What's that?」


 誰かが呟いた。

 サーチライトで照らされた冬の海。

 爆炎の向こうから黒い何かが湧き出てくるのが見えたからだ。


 それは個の集合体。

 無限の物量を持つ軍勢。

 自らを乗り越え、踏み台にし、群がることで、結果として迫りくる大波となって現れたのだ。


 ビーチ・ロードに居並ぶ歩兵たちは戦慄した。

 それと同時に沖合に停泊していた一隻の巡洋艦の明かりがふと消える。

 サーチライトも、艦橋の照明も、なにもが闇に塗りつぶされる。

 なんだ、一体何が起こっている――!?


 暗闇の中、ボンっ、と海上で火の手が上がった。

 炎に炙られ浮かび上がったのは、巡洋艦のシルエットだ。


 歪で、モザイクがかかったように見えるそれが『敵』によって集られ、押し潰されたのだと理解し始めたとき、ついにこらえきれなくなった一兵卒が、号令を待たずに発砲した。それを合図に一斉射撃が始まる。


 お粗末にも攻撃などとは呼べない、海に対して砲弾をばら撒くだけの行為。だが、奇しくも目に見える海面すべてが敵なのだ。恐怖心のあまり引き金を引くなど愚の骨頂だが、今回に限っては有効な攻撃だった。


『航空支援要請! S−52−47!』


 歩兵部隊からの指示を受け、上空で待機していたB−2スピリットが洋上に向けMk−82無誘導爆弾を雨あられと投下し始める。海岸線手前から沖に向けて炎の大道が出来上がり、十分距離を置いている歩兵たちの方まで海水が豪雨のように降り注いだ。


 ずぶ濡れになった彼らはそこかしこで喝采を上げ、手をたたいて口笛を吹いた。

 だがそれもつかの間。すぐさま兵士たちは悲鳴を上げることとなる。何故なら、海水と一緒に何か硬くて大きな物体が自分たちへと降ってきたからだ。


 それは尾脚、それは腕節、それは爪、それは牙、それは小眼しょうがん……。


 水生属であるアイ・サランガのバラバラになったパーツたち。

 自分たちが知る、いかなる昆虫甲虫よりも遥かに大きくそして醜悪な形をしている。


 ――なんだこの気持ち悪いものは……!

 ――本当に俺たちはエイリアンと戦っているとでもいうのか!?


 そんな恐怖と不安が押し寄せてきたとき、海の方から一斉に異音が鳴り響いた。


 ずっと聞いていると気分が悪くなるような断続的なノイズ。

 その正体は翅音はおとだった。


 進行しながら海中で交配を繰り返し、カテゴリー・ティガ(2)のサランガたちは、カテゴリー・スプルフ(3)へ急速に進化したのだ。


 炎が晴れた海面すべてを覆い尽くす有翅種ゆうよくしゅ――テルバン・サランガたちが、本能の赴くまま一斉に獲物・・へと襲いかかる。


 突如として夜空を覆い尽くした醜悪なエイリアンたちに、半狂乱となった兵士たちが一斉に攻撃をするも、自在に空を飛び回る有翅種対してはなかなか当たるものではなかった。


 例え一匹二匹を仕留めたところで、今のサランガたちの個数は容易に兵士たちの総数を凌駕している。結果、銃弾を掻い潜ったサランガたちに取りつかれ、その鋭い牙を突き立てられ、あるいは肉を食い破られ、生きながら食われるというこの世の地獄を体験する。


 さらに捕食する以外に繁殖欲を催したモノは、腹部の露出した尾節板を人間たちへと差し込むと、自らのたまごを植え付ける。体内の奥深くへと差し込まれた孵は、瞬く間に羽化を始めた。


 苗床である兵士たちを食い破りながら現れたのは、タガメやコガネムシに似た甲殻虫であり、彼らは真っ赤に濡れた鞘翅さやばねを開き、穢れたツバサを広げると一斉に夜空へと飛びたった。


 ブゥーンと不快な翅音の大合唱が轟き、瞬く間にロサンゼルス市内に拡がっていく。防衛戦が崩壊した軍隊にどれほどの価値があるのか。未だ個々に散発的な反撃を試みるものもいるが、そんなものは格好の的である。まるで蟲笛に呼ばれるように群がられ、あっという間に捕食、あるいは苗床にされてしまう。


 人間を相手に無敵を誇っても、未知の怪物たちにはコレほどまでに脆い。

 それも当然だ。なにせ怪物と戦うのはヒーローの領分。

 彼らは超人兵士でもなければ鋼鉄のアーマーを纏って空も飛ぶわけでもない。

 無敵の盾を持ってもいないし、雷を放つハンマーも持っていないのだ。


 夜に瞬き始めた星々と同じ数だけ羽撃きを始めたテルバン・サランガたちは、無辜の一般市民を襲いながら全米へと拡がっていくことだろう。もう既に大多数が内陸部を目指して飛び立ってしまった。


 ああ。

 人類はもう終わりだ。

 こいつらを屠るためには、愛する国土ごと焼き払う以外に術はない。


 ハワイが敵の手に落ちて島ごと焼き払われたとする噂は本当だった。

 なんてひどい話だと思ったが、今なら納得だ。


 こんな生きながら食い殺される苦しみを味わうくらいなら、一瞬で焼き殺された方がまだ慈悲深い――


 生き残った兵士たちは絶望に打ちひしがれ、誰もが糞虫共のエサになるのを待つしかないかに見えた。


 ――だがその時、救世主は現れた。

 兵士たちの頭上から暖かさを孕んだ一陣の風と共に女神が舞い降りた。



 * * *



 12月29日 午後13時20分

【千葉県銚子市黒生町、君ヶ浜しおさい公園】


 ベゴニアと水生属アイ・サランガたちによる我慢比べはまだ続いていた。


「はあはあは……あ、あああああああッ――――!!!」


 もう幾度になろうか。都合十を越えたあとは数えるのも止めてしまった。

 バケモノたちはバカのひとつ覚えのように、太平洋に突き出たこの犬吠埼に橋頭堡を築こうと愚直な前進を続けている。


 ベゴニアはその度に――ヤツらが自分たちを乗り越え、組み合わさり、大波となって上陸せんとする度に渾身の『超特急・快・音速拳』をその横っ腹に叩き込むことでヤツらの進行を防いでいた。


 だが、無情にもベゴニアの限界は近づいていた。

 既に吸血鬼の眷属としての回復力の許容値は越えている。


 左右で一撃ずつ、右拳が潰れれば左拳を、左拳が潰れれば右拳を。

 そうやって海岸線を押し潰さんとするバケモノ共を薙ぎ払っていたのも数合前まで。


 彼女の左の拳はもうなかった。

 孵、らしきものを植え付けられたのだ。


 ジクリと剣山の塊を差し込まれたような痛みを感じた瞬間、体内に汚穢な脈動の気配を感じた。


 その瞬間ベゴニアは左肘の内側に膝を当て「ぬんっ!」といっそ清々しいまでに左腕を引きちぎった。五指が回復しかかった右手の中に収まった左腕は、各所が嚢状に膨れ上がり、もぞもぞと体内を這い回る動きを見せた。


 それをバケモノどもで黒く染まった海に投げ捨てると、エサに群がるピラニアのように――新たに生まれつつあった仲間ごと、あっという間に捕食されてしまった。


「さぞ美味いだろう、私の肉は! だが代償は高くつくぞッ!!」


 吼えるベゴニアはいたるところがボロボロだった。

 硬い外骨格を持つバケモノの群れを相手にしていた彼女はは全身から出血をしている。


 左腕も肘から下を失い、右の拳は崩壊から回復している途中。

 鱗か爪か、先程目に刺さった異物を取り除いて以降、極端に左の視力も落ちている。だというのに、彼女の闘志はいささかも衰えない。


 彼女を支えるものはなんなのか。

 日本を守るという使命感なのか。

 主の命令を遂行する忠義心なのか。

 武人として戦場を求める本能なのか。

 はたまた自らの死を誉れとする挟持なのか。


 否。

 その全てでありながら、そのどれでもない。

 彼女が成していることは舞台を整えること。


 主役が踏みしめるべき真っ赤な絨毯レッドカーペットを丁寧に敷き詰めるが如く。主人が到着するそのときまで、無粋なバケモノどもを相手に、演出のなんたるかを拳で教え込ませること。


 だが――所詮は微細な脳神経節しか持たない糞虫ども。

 ベゴニアの意図など知らぬ存ぜぬと言うように。

 ついにヤツらは橋頭堡の確保を放棄した。


「な――にぃ!?」


 そう、諦めた。

 犬吠埼一帯からの上陸を。


 ヤツらは小賢しくも見えない海中でさらなる徒党を組みあげ、さらにさらにさらに――なだらかに連なる海岸線、否、もはや陸地そのものを飲み込まんと規模を拡大していたのだ。


屏風ヶ浦びょうぶがうらの方まで――いや、九十九里まで達している!?」


 それは正に悪夢のような光景だった。

 海から立ち上がったのは、大山のようなサランガの群れ。

 その大きさは君ヶ浜公園から屏風ヶ浦をまるごと飲み込み、飯岡海水浴場――九十九里浜の一部まで飲み込むほどだった。


 ベゴニアは頑張りすぎたのだ。20キロメートルはあろうかという巨大な山が、太陽を覆い尽くさんばかりに聳え立ち、そして重力に引かれながら倒れ落ちてくる――


「くっ――無念!!」


 せめて一撃。

 そうベゴニアが身構えた次の瞬間だった。

 ゴォォォッッッ――と冬の青空が震えた。


 それは一瞬にして周囲一帯の酸素が極端に燃焼され尽くした音。

 真空状態に陥った空間に回りの酸素が急激に流れ込む音。


 燃えていた――汚穢なる大山が。

 お焚きあげのように天辺から根本へと青白い炎が走り抜けていく。


 それでもなお――黒炭化し崩れる仲間を踏み台に海中から現れたるバケモノどもだったが、そのことごとくを万と群がった赤い蝶たちにより、今度こそ粉微塵に打ち砕かれてしまう。


「――ははっ」


 その光景を見届けてようやく。

 ベゴニアは戦闘開始から張り詰めっ放しだった緊張の手綱を緩める。


 緩めた途端、笑いが出た。

 全身が鉛を詰めたように重くなる。

 だが、主を前に無様は晒せない。

 ぐぐっと四肢に力を込めて倒れないよう踏ん張る。


「ベゴニア――大儀でした」


 労いの声は頭上から。

 見覚えのある天魔に騎乗し悠然と現れたのは、ベゴニアの主とその最大のライバルであるはずの巫女の少女だった。


「ずいぶんと遅い到着でしたねカーミラ様。このベゴニア、危うく敵にトドメを刺してしまうところでした」


「あら。私の眼には最大のピンチを迎えていたように見えましたのに。ねえ百理?」


 ベゴニアはキツネに摘まれたような顔になった。

 主がその固有名詞を呼び捨てにすることに驚いたからだ。


 カーミラの胸の中で居心地が悪そうに身動ぎする白紬の(だいぶ黒焦げになっている)少女は確かに御堂百理そのヒトである。今は何故かイメチェンをして、長かった黒髪が短髪のベリーショートになっているが……。


 だが、我が主と彼女とは犬猿の仲だったはず。

 特にカーミラがタケルを手篭めにしてからは不倶戴天の間柄だったはずなのに。


「自らの従者を疑う発言はいただけませんよカーミラ。彼女ができると言うのですから、私達がしたことは余計なことだったのでしょう。謝罪をしますベゴニアさん」


 おやおや。まあまあ。

 これまでにないふたりの距離感にベゴニアは好奇心が芽生えるのを堪えられなかった。


「道中でずいぶんと仲がよろしくなったようですね。ですが百理様、お気をつけください。うちの主はどっちもイケる口ですので」


「なっ――ベゴニア! 何を――!?」


「ああ、通りで。ここに到着するまでにやたらと身体をまさぐられたのは、単なる手慰みではなくそういうことだったのですね?」


「百理まで!?」


「私には一切手を出してきたことはありませんので、恐らく少女趣味なのだと思われます。今後は防犯ブザーを懐に忍ばせるのがよろしいかと」


「ちょっと!」


「ご忠告ありがとう。肝に銘じておきます」


「あああああッ、なんなんですのふたりして! そんなに私をイジメるのが楽しいのですか!」


「楽しいですよ。当たり前じゃないですか」


「今まで自分がしてきたことの報いを受けなさいカーミラ」


「ぎゃふん!」


 天魔の上で頭を掻きむしって身悶えるカーミラと、これまでの意趣返しができて満足そうなベゴニアと百理。


 だがそんな弛緩した空気も僅か、海面から再び立ち上がらんとするバケモノどもの群れを認め、全員の顔が一瞬で引き締まる。


「やれやれ、無粋な連中ですわね。そして何より醜い」


「こんな奴原やつばらに日の本の民草を好きにさせるわけには行きません」


 カーミラが吐き捨てると同時、その背中から美しいシンメトリーを描く赤い翼が現れる。それは複雑精緻な文様を描く胡蝶の羽。それが僅かに震えると、彼女は途端重力の軛から解き放たれ、ふわりと浮かび上がった。


 百理は天魔に騎乗したまま、バケモノどもの群れを見据えると、もぞもぞと自らの袖の下を探ろうとして――


「燃えてしまったのでした。くすん」


 あまつさえ自分で破り捨てたのを思い出し涙目になる。

 気を取り直し、百理は自らの胸元に手を忍ばすと、そこから四枚の符を取り出す。そして朗々と祝詞を唱え始めた。


「天清浄、地清浄、内外清浄、六根清浄と祓い給う」


 ボッと、符から青白い鬼火が上がる。


「天は七曜九曜二十八宿を清め、地は三十六神を清め讃えよ」


 鬼火がついたままの符を投げ捨てると、それは風もないのにふわりと浮かび上がり、炎は小さな人の形を取り始める。


「八百万の神諸共に、天地一切祓い清め給え――啼きなさい鬼哭童子!」


 場違いな産声が木霊した。生まれたばかりの赤子の、火がついたような泣き声と共に、幼児ほどの体躯を持った式神たちが4体出現する。


 全員が胴着に身を包み、顔は頭巾と符によって隠れている。やがて産声は子供の姦しい笑い声へと――戦を前にした無邪気な哄笑へと変わっていく。


 百理が「ふっ」と手を振ると、途端声は鳴りを潜め、童子たちは天魔を守護するが如く陣を固めた。


「まあまあ、少しは抑えてくださらないと私の出番がなくなってしまいそうですわ」


 カーミラが背負う胡蝶の羽は、幾度も羽撃きを繰り返し、その度に自らの分身である真紅の蝶たちを生み出し続ける。


 その数は十や二十ではきかない。自らの霊力を血流に纏わせ、さらに触れるものを分子レベルで破壊する振動を付加している。


 それが辺り一帯、青空さえ侵食しそうな規模で展開される。その呆れるほどの個体数に百理はおもしろくなさそうにボソリと呟いた。


「天才め。それはこちらのセリフです」


「なんですの? もっと大きな声で言っていただかないと――」


「来ますよ!」


 水しぶきを上げて、まるで怪獣が首をもたげるように湧き起こったバケモノ共の群れ。それはさらに範囲を拡大し、目に見える大パノラマで襲いかかってくる。


 海はもはや全てが巨大な城壁と化し、これが陸地に雪崩込めば、銚子市が物理的に消滅してしまうと思われた。


「先にお行きなさい。取りこぼしは私が拾いましょう」


 カーミラの言葉に百里もベゴニアも目をむいた。

 いつもの彼女ならおもちゃを取り合う子供の如く、我先にと先陣を切ったはずだからだ。


「なんだか今はそうしたい気分ですの。よろしくて百理?」


 ベゴニアは穴が開くほど百理を見上げている。

 その眼は「どうやってウチの主を誑し込んだのですか?」と問うているようだった。


「己の行動の結果とはいえパンドラの箱を開けた気分ですね――往きますよカーミラ!」


 百理の気合と共に、索冥がいなないた。

 頭を持ち上げ、前足を泳がせ、後ろ足を蹴り出す。

 ボンッと地面が爆発し、その巨体が弾丸の如く宙を走り出した。


 その後ろに続くのは無邪気な笑い声。

 鬼哭童子たちがクルクルと螺旋を描きながら飛び回り、その様は索冥を頂点として鬼火を撒き散らす掘削機のようだった。


 次の瞬間、巨大な城壁に大孔が穿たれる。

 まるで紙ペラでも穿つが如く、バケモノの群れを焼き尽くした百理は、巧みに索冥と鬼哭童子たちを操り、裁縫針を表裏と布地に通すよう、次々と城壁に孔を開けていく。


 鬼火という糸を引きながら、数十キロもの城壁を駆け抜けた百理のあとに続くのは、万の紅蝶を従えたカーミラである。


 よしんば燃え盛る鬼火から逃れられた糞虫が居たとしても、必滅を体現した蝶の羽撃きからは決して逃れられない。あまねく全てが灰燼と帰し、母なる海へと叩き落されていく。


 すでにして開戦から二時間あまり。

 未だにただの一匹たりとも日本への上陸が敵わないサランガたち。

 たった三人の人外により、日本の防衛線は完璧に構築されていると言えた。


 だが――


「あれは!?」


「なんですの!?」


 海が泡立っていた。

 一面、見える範囲全ての海がボコボコと音を立て、海面から白煙を上げている。


 それは羽化。

 百理が、カーミラが、ベゴニアが見守る中、ついにヤツら・・・が目を覚ましたのだ。


「馬鹿な――!?」


「なんて穢らわしいんですの!?」


 海面から立ち上った泡や白煙はヤツらが飛び立つ前兆だった。

 一匹、また一匹と海より現れたるのは有翅種ゆうよくしゅたち。


 蝿を、蚊を、蜂を模した、けれどもそのどれとも違う異形の怪生物たち――テルバン・サランガ。


 それが今、未曾有の大軍団となって千葉県沖から飛び立とうとしていた。


「この、させません、させるものですか――!!」


 百理が縱橫に空を駆け抜け焼き尽くしても――


「雑魚どもが、どんなに数だけ揃えても――!!」


 カーミラが万の紅蝶を従え蹂躙しても――


「なんという……!!」


 ベゴニアの見上げる空一面が覆われていた。

 太陽を遮り、黒い雲海と化したテルバン・サランガたちが、もうこらえきれないとばかりに、一斉に進軍を開始する。


 百理とカーミラの奮戦は暖簾に腕押し、あるいは糠に釘といった風情。

 先程までのように寄り集まって壁と化していたときとは、あまりにも密度が違う。

 百匹を屠る間に、千匹が虚しくすり抜けて行くのだ。


 ヤツらが目指すのはより多くの餌場。

 人口密集地を目指してひたすらに飛び続ける。


 これほどの数が首都圏を中心に襲いかかれば、瞬く間に数十万、数百万単位の被害が出てしまうだろう。


 そんな最悪の結果を想像しかけたとき――


「この声は――」


 遥か内陸部の方から勝鬨が聞こえてきた。

 振り返ったベゴニアの目には信じられない光景が広がっていた。


「間に合いましたか!」


 天魔を駆る百理が攻撃の手は緩めずに歓喜の声を上げる。

 彼女が待ち焦がれていた増援が到着したのだ。


 それは同じく翼を持つ者ども。

 穢れた翅などではない。雄々しい鳥類の羽根を持つ、この国の妖怪たち――烏天狗からすてんぐたちである。


 表の世界の御堂財閥ではなく、その影――日本中の妖怪・バケモノを束ねる御堂。

 その戦闘員である隠密隊の面々であった。


 漆黒の翼を持つ虚無僧と、純白の翼を持つ山伏が、それぞれの手に錫杖と独鈷杵とっこしょを持ち、果敢にもテルバン・サランガたちへと挑みかかる。


 千葉県上空は途端、混戦の様相となった。


「百理様! 遅ればせながら参上しました!」


 近づいた一体の虚無僧より飛び跳ねたるは、目玉の怪異百々目鬼だった。


「ご苦労! よくぞ母を説得してくれました!」


「もったいなきお言葉。命理様も御堂の力を使い、人間どもにも働きかけるとのことです!」


「そうですか。確かに――」


 もはや、影であるとか表であるとか、そんなことを言っている場合ではなくなっていた。


 人間と妖怪が隔たれて久しい時代ではあるが、お互いが手を取らねば、糞虫どもに滅ぼされる未来が確実となってしまう。


 自衛隊、米軍、警察、消防、それら戦う者たち。

 そして無辜の一般市民たち。


 人々には希望が必要だ。

 決してヤケにならず、高い規律と規範を持って隣り合う者を助ける気概。


「人々の心の支えとなる何かもう一手があれば――」


 百理は憂い迷いながらも、自身を火の玉と化し、海面から無尽蔵に湧き立つテルバン・サランガたちと戦い続ける。


 頭上には、未だ我が物顔で地球を見下ろす黒き太陽が鎮座している。

 あれがある限り糞虫どもの軍勢は衰えるどころか勢いを増すばかりだ――


(タケル様――!)


 僅かばかり、彼女は自らの信じる希望の芽へと想いを馳せるのだった。



 * * *



「ねえプロデューサーさん、私と心中する気ある?」


 12月29日 午後13時50分

【東京都港区、共同通信会館内】


 インターネット放送、DNAシアタープロデューサー丘本の前に現れたのは、僅か半月前まで一緒に仕事をしていた女子高生だった。


「なに突然、心深ちゃん? どうしたの?」


 ブラックホールの祭日と呼ばれる地軸異常が発生し、ノストラダムスの大予言以来、地球の最後が叫ばれた例の事件の折り、アイドル声優として走り始めていた少女を抜擢し、無茶な生放送企画を敢行したことがあった。


 丘本はこれまでも見目麗しい女性タレントやモデルを起用し、むさい論客者や解説者だらけのスタジオに華を添え、女性視聴者の目線に立った『女性ニュース自身』などの時事問題トークバラエティ番組を手がけてきた。


 そんな彼が心深と行った放送企画は、数字が取れなければ一日で打ち切るはずのものだったが――意外にも幅広い年代層から好評を博し、二週間連続毎日8時間生放送という伝説を打ち立てるに至った。


 それもこれも、パーソナリティを務めた少女の急激な成長と、時折り見せる鋭い考察、そしてなにより人心を惹き付けるカリスマ性があったればこその伝説だった。


 その立役者であるアイドル声優、綾瀬川心深から一本の電話を受け、ここオリンポススタジオの控室にふたりは居た。


「プロデューサー常々言ってたよね、伝説を作りたいって。持ってきてやったわよ伝説を」


「なにこれ、ノートパソコン? 一体どういうこと?」


「知りたくない? 今世界で何が起こっているのか。ハワイがどうなってしまったのか。今地球の裏側のサンタモニカで行われてる米軍の大規模戦闘とか、現在銚子市の空で起こってる戦いのこととか。あと、この街中に今も鳴り響いてる警報のことも。フェイクなんかじゃない、全部マジなんだってこと――」


「え、ええ? ハワイとか米軍とか、本気で言ってるの? なんでキミがそんなこと知ってるんだい?」


「私の友達がね、政府が隠してること、人々が知らなければならないこと、全部公開してくれるって。ううん、そんなこと言って、実はもう始まってるの。もうすぐここも戦場になる。だからこそ私たちは地上波ではできないことを体を張って伝えなきゃいけないの。ね、プロデューサーさん」


 心深はそれが女子高生とは思えないほどの迫力を持って、自身の倍以上は生きているであろう第一線のテレビマンに対して啖呵を切った。


「この先100年は語り継がれる伝説、私が作らせてあげる。その代わり決死の覚悟をちょうだい。私は自分の声優人生と生命を賭ける。プロデューサーさんの進退も何もかも、人類が生き残ることが出来たら、後の世界に判断を任せましょう、ね?」


 ゴクリ、と丘本は喉を鳴らした。

 後に彼は語る。この時の綾瀬川心深は悪魔のように恐ろしかったと。


 続く。

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