第181話 地球英雄篇⑥ 最上の遊び相手は霊獣に跨って〜人外頭領様と女吸血鬼旅立つ

* * *



 12月29日 正午

【警察庁警備局国際テロリズム対策室、第一取調室】


『現在、関東地方を中心とした、千葉、神奈川、茨城、埼玉、並びに太平洋沿岸の全域に特別避難警報が発令されました。住民の皆さんは指定の避難場所へ速やかに避難してください。繰り返します――』


「はあ……またか」


「天下の警察庁が聞いて呆れますわね」


 取調室の中――真新しい机を挟み一組の男女が向かい合っていた。


 一人は中高年に差し掛かったくらいの男性。

 実は先日マリア・スウ・ズムウォルトの取り調べも行っている。名前を三条三条といい、勤続20年を数えるベテランである。マル暴上がりであり、中国語に堪能であったために警察庁警備局公安課へ召し上げられた経緯がある。


 そんな強面の三条刑事の対面に座る女性――それはそれはとても美しい女性だった。


 歳は二十歳を過ぎたばかりといったところ。

 薄桃色のブロンドヘアを緩やかにカールさせ、厚手のセーターの上からでも抜群のプロポーションが伺える。なによりも印象的なのがひときわ伸びた牙のような犬歯と、血を流し込んだような鮮やかな真紅の瞳である。


 文句なく美しい。だが同時に妖しくもある。

 そんな特異な容姿の女性と狭い密室にふたりきり。

 だが三条に邪な思惑などあるわけもなく。

 現在は取り調べの真っ最中だった。


「いい加減にしてほしいものですわねこの放送。ここぞという時に邪魔をしてくれて。取り調べが一向に進まないではありませんの」


「おい、気のせいか? 朝から始めた取り調べの一部始終に、どこか建設的で自供につながる要素がひとつでもあったか? ないよな? おまえさんがのらりくらり躱し続けてるよな?」


「嫌ですわ。あまり細かいことをおっしゃってると散らかし放題の御髪が焼畑農業みたいな有様になってしまいますわよ?」


「散らかしてねーから! ちゃんと整髪料で整えてますから!」


「あらそうでしたの。ではさっきから漂ってるこの匂い、あなたの頭からでしたのね。男臭いったらありゃしない。ハッキリ言ってセクハラもいいところですわ。おそらく頭皮にも合ってないのではなくて? ……そう、長年培ったカーネーションのノウハウを転用して高級メンズブランドを立ち上げるのもいいですわね!」


「そういう意味での建設的な話は求めてねえから。いい加減うたったらどうなんだ!?」


 唄う、とは自供に該当する警察隠語である。

 今三条の目の前にいるのは、世間を賑わせている『秋葉原テロ災害』において主犯とされる国際テロリスト『タケル・エンペドクレス』を手引き、あるいは幇助の疑いがあるとされる容疑者――カーミラ・カーネーションそのヒトだった。


 ハッキリ言って三条でさえも、彼女にテロ関与の疑いがあると知ってショックを受けるほどの大人物である。遥か昔、まだ高額納税者公示制度(2005年廃止)が残っていた頃などは、毎年のように上位にランクインしていたその名前、即ち『カーネーション』。


 それは日本国内に於いては知らないものはいない一流ブランドの名前であり、今やコスメ、服飾、アクセにかぎらず、ジェネリック医薬品から国際貢献事業などなど、様々な分野で活躍する一流企業である。


 カーネーショングループの頂点に君臨するのは、初代社長の孫に当たるカーミラ・カーネーションであり、経営から商品開発、販売戦略まで関わり、時にはビジネス雑誌のコラムに登場し、さらには自身がデザインした衣装でモデルもこなすというスーパーウーマンだ。


 そんな彼女がテロを幇助。あるいは共謀。

 海外に多くの支店を持ち、数多の取引先と従業員を抱える会社だ。三条は「まさか」という思いと共に「ありえるのか」という気持ちが胸中を占めた。


 例え相手が若くして大企業の会長も務める才女であっても、スーパーモデル顔負けの美女であっても、決して気後れすることなく厳しい姿勢で取り調べをする。しなければならない。三条はそう思っていた――はずだった。


「それはそうともうお昼ですわね。私、食堂のカツ丼は飽きてしまいましたの。今日は出前を取ってくださらないかしら刑事さん?」


「まだ取り調べは一歩も前に進んでねえだろうが! こんな状況で飯だけ要求すんじゃねーよ!」


「私の美声で唄って欲しいのでしょう。なら『銀座かつぜん』の特選カツ丼でも持ってきてくださらないとお話になりませんわ」


「あのなあ、なんでも高けりゃいいってもんじゃねえだろ! 銀座でカツ丼って言ったら『梅林』のカツ丼が味もコスパも良くて最強だろうが!」


「じゃあ梅林のカツ丼一丁お願いしますわ。あ、お味噌汁もつけてくださいな」


「おう、昼時だから混んでるぞ。少し待ってろ」


「仕方がありませんわね。爪のお手入れでもしながら待つとしましょう」


 パンパン、とカーミラが手をたたくと「失礼します」と年若い婦人警官が現れる。彼女の手の中にはポシェットが握られており、カーミラはそれを受け取ると、自身のネイルを楚々と整え始めた。三条は受話器を取り上げ、「梅林って何番だっけな」と出前帳をめくり始める。


 ……………………。


「――って違うだろ! 取り調べしてるんだっつーの! なんで呑気にランチのリクエストを受けなきゃならねーんだ!」


「長いボケでしたわねー。仕方がないですわ。また食堂の薄っぺらいカツ丼で我慢してあげましょう」


「いい加減カツ丼から離れやがれ!」


 とまあ一事が万事この調子であった。

 取り調べをした他のベテラン刑事たちもカーミラにのらりくらりと躱され続け、既に4日で6人が音を上げていた。


「何なんだあんた、ヒトの心にするりと入り込んで来やがって! 変な催眠術でも使ってるんじゃねえだろうな!? おまえもなんでこの女の私物を持ち込んでるんだ!」


 指をさされたのはポーチを持ってきた婦人警官である。

 ちなみにマリアの私物を届けに来たのと同一人物だった。


「いや、なんか課長から許可はおりてるらしいっスよ?」


「何考えてんだあのハゲオヤジは……」


 三条はカーミラの対面で頭を抱えた。

 ここまで悪意がなくて手強い犯人ホシは初めてだった。


「まあまあ、男の盛りはまだこれからでしょうに。ため息ばかりではあなたも、あなたの御髪も枯れてしまいましてよ?」


「うるせえ、放っとけ」


 何故だ。何故この女には自分たちが鍛え上げてきた眼力だとか、凄みであるとか、そういったものが全く通用しないのか。年齢など、下手をすれば自分の娘くらい離れている女の子相手にだ。いや、三条に娘は居ないが。


 とにかく。

 あのルビーのような真っ赤な瞳に見つめられていると、まるで自分がよちよち歩きの子供なのではないのかと錯覚させられてしまう。


 気がつけば相手のペースに乗っかり、取り調べもあらぬ方向へと誘導されてしまう。もしやこの女、とんでもない詐欺師なのでは――などと三条は思い始めていた。


 と、その時。署内のスピーカーから再び不気味なサイレンと避難警報が鳴り響いた。三条は「またかよ!」と悪態をついた。


 先程から警察庁全体のサーバがハッキングを受けているのだ。

 そして勝手に防災無線を鳴らしていく。

 避難してください、津波が発生しました、慌てず落ち着いて速やかに……。

 延々垂れ流される定型句に三条たちはうんざりしていた。


「サイバー攻撃ですか。天下の警察庁が情けないですわね」


「やかましい。俺は専門外だが、基本的にサイバー攻撃は防御できねえもんなんだ。攻撃元を特定して、逆に攻撃仕返してやるしか手段がない。情けないとか簡単に言うな」


 映画や小説のようにサイバー攻撃に対して防御壁を展開、などというのは架空の設定である。現実にはネットワークに接続している以上、常に攻撃の危険に晒されている状態であり、いざクラッキングが始まってしまえば、それを防御する手段はほぼない。最大の防御対策はカウンター攻撃であり、やられたらやり返すのが最上の手段なのだ。


「あー、なんか攻撃元の特定にすっごい苦労してるらしいですよ。なんか海外サーバを何重も迂回してるーとか、ダミー走査で煙に巻かれるーとか、あたしも門外漢なんでわかんないっスけど。あと、これ今他の公共施設や防災無線でも同じ被害が出ているらしくて、市民からクレームの電話とメールが殺到してるらしいです」


「そんでおまえはこっちに逃げてきたのか」


「はい。守るべき市民におしかりを受けるなんてあたし超御免なんで」


「ったく……!」


 三条と婦人警官の会話をカーミラは黙って聞いていた。

 だがそれも僅か、再びネイルにグルーをつける作業に戻る。

 まるでその話題自体に興味がない、あるいは自分には関係がないのだと一線を引いているようにも見えた。


 実際、カーミラは内心で腐っていた。

 何故なら彼女はスケープゴートにされたからだ。


 タケルをテロの犯人に仕立て上げたのは、恐らく彼の想い人を攫った、この世界に根を張る『アダム・スミス』とやらの思惑だろうと予想がつく。


 相手はカーネーションや御堂の情報網を持ってしても姿を隠し続けた存在だ。恐らく超大国クラスの力を有しているはず。そんな相手を向こうに回して喧嘩を売ろうとしてたタケルを手助けすることは、もちろん自分自身で決めたことだし、あの子・・・も納得と覚悟をしていたはずだ。


 だが、カーミラは裏切られた。

 多分……いやきっと外圧・・に屈したのだ。

 自分は――あの子が味方でさえいれば、最後まで意地を張り続けるつもりでいた。


 例え国家を、そして世界を敵に回しても、喧嘩をするつもりでいた。

 だがあの子はカーミラを売った。

 自分自身と、自分の組織を守るために、カーミラを人身御供に差し出したのだ。


 確かに。日本に来て70数年の自分と、古来からこの国と共に歩んできたあの子とでは背負っているものも違うだろう。


 組織の規模はともかく、影響力という点ではあちらの方が遥かに大きい。カーミラでさえ、どんなに意地を張ろうにも、自分の社員を人質に取られては降参するしかない。


 だが――だがそれでも。

 あれほどまでに嫉妬に狂い、自分を本気で殺そうとしていたあの気概はどこに行ったのか。


 すまし顔で大人しいだけの小娘だと思っていたのが、もしや自分と同格以上の遊び相手になってくれる――長く長くずっと遊べる。どんなに強く振り回しても決して壊れることのない、もしかしたらこちらが壊されてしまうかもしれないほどの遊び相手。


 そのような期待さえ抱いていたというのに。いうのに……。


「もう、何もかも……どうでもいいですわ」


「あん? なんだって?」


「刑事さん、私がテロリストを日本国内に手引きしましたの。私は祖母や母たちとは違い、この国が大嫌いですから、何もかも無茶苦茶にしてやろうと、最低最悪の凶悪犯に破壊活動をしてもらうようお願いしましたの」


「なッ――……認めるんだな、自分がしたことを?」


 突然唄い始めたカーミラに面食らうも、三条は冷静な仮面を被り、調書を取り始める。


「ええ、ですからもう、終わりにしてくださいな。私は死刑でも無期懲役でも構いません。ですがこれは私の独断ですので、社員たちは全くの無関係ですわ」


「よ、よし、あー、12月29日午後12時32分、容疑者が自供を始めたので逮捕状を請求する。じゃあ、改めてそのタケル・エンペドクレスっていうのは――」


 三条がギラリと刑事特有の眼光を宿した瞬間、ドォンとどこからか爆発音が聞こえた。それにともない庁内から無数の悲鳴が聞こえてくる。


 さらに、ドォン、ドゴォン、バゴォン、と断続的に爆発音がし、そしてそれがこちらに近づいてくるではないか。


「な、なんだ、なんの爆発だ!?」


「テ、テロっスか! マジテロなんスか! 自分結婚もキスもしたことないのに死ぬのは嫌っス! もうこの際三条さんでもいいっス! ごっちゃんです!」


「落ち着けこの馬鹿野郎が――!」


 ついにドゴォンッ――と、取調室のドア――どころか廊下側の壁が全て吹き飛んだ。三条は婦人警官を庇うように倒れ伏し、カーミラは顔を覆って身構える。


「失礼」


 最初に聞こえたのはそんな鈴の音を転がすような可憐な声音。

 次いで聞こえたのはカツン、カポという、まるで馬が蹄を立てるような音だった。


「な――ななななッ!」


「う、馬っス! マジホースっス!」


 正確には馬などではなかった。

 競走馬よりも一回り以上も大きく、全身が青白い鱗に包まれ、まるでライオンのようなたてがみを有したそれは天魔。五行思想の金気に属する霊獣であり、名を索冥さくめいという。


「あ、あなたは――」


 カーミラの前に現れたのは霊獣の背に乗った白紬の少女、御堂百理だった。

 索冥は鬱陶しげに首を折り、破壊した壁をくぐると、手狭な取調室にその巨体をねじ込ませた。三条と婦人警官はあまりの事態にお互いをヒッシと抱き寄せ、部屋の隅で小さくなっていた。


 束ねたたてがみを手綱代わりにしていた百理がその背からスタっと降り立つ。

 改めて彼女の姿を見た時、カーミラは驚愕に目を見開いた。


 純白の紬がところどころ焼け焦げている。

 彼女の真っ白い肌も、露出している部分は赤くケロイドになっていた。


 さらに驚いたのが腰元まであった長く艶やかな黒髪がなくなっていた。

 炎に炙られたのか、短い毛先はチリチリになっており、焦げ臭い匂いが漂う。


「なんですか。鳩が豆鉄砲でも食らったような顔をして。何か言いたいことがあるのなら言ってごらんなさい」


「ま――」


「ま?」


「まるで焼き討ちの憂き目にあった武家屋敷跡から出土した黒焦げの市松人形のような有様ですわ!」


「的確な表現がムカつきますね!」


 百理は煩わしいとばかりに、黒炭化した振袖をむしり取り、床に叩きつける。

 そして燃え盛る鬼火が宿った瞳ではたとカーミラを見据えた。


「こんなところで油を売って何をしているのです。仕事の時間です。あなたもこの国を預かる企業人だというのなら、祖国と社員のために戦いなさい」


 その言葉を聞いた途端、カーミラは目を剥き、唇を釣り上げた。「何言ってますのこの子は?」と言った表情だった。


「どの口がほざきやがるんですか。我が身可愛さで私から何もかも――地位も名誉もすべて奪っておいて、ちょっと都合が良すぎるんじゃありませんの?」


「泣き言なら後でいくらでも聞いてやります。今は日ノ本を守るためにあなたの力を貸しなさい!」


「申し訳ありませんが、そういうご用件ならどうぞお一人でなさってください。私これから取り調べを受けて、あることないこと、洗いざらいぶち撒けて死刑になる予定ですので――」


「だまりなさい! このすくたれ者がッ!!」


 ――ゴッ!


 と、カーミラの視界に星が散った。

 やにわに近づいた百理が問答無用でヘッドバットを食らわせてきたのだ。


「あ、あなたいきなり何を――って?」


 くあーっと百理は額を抑えて蹲っていた。

 そしてキッと顔を上げると、鼻先を近づけて吐き捨てる。


「このっ、なんて硬い頭をしているのですか! 普段アレだけ好き勝手して生きてる癖に、もっと柔らかい頭になったらどうなのです!」


「言ってることがメチャクチャですわあなた! なんなのですか、突然やってきて、突然命令してきて! もう私のことなんて放っといてちょうだいな! 伝統も格式も規模も、どうせ御堂の方が上なんですから、どうぞこの国を守る役目なんて全部あなたが頑張ればよろしいじゃありませんの!」


「御堂などもう関係ありませんッッッ!」


 それはもうただの衝撃波だった。

 渾身の霊力が宿った声が強かに部屋の中を打ち据えた。


 三条と婦人警官は心臓を直接握られたように硬直し、カーミラも真顔になってマジマジと百理を見つめた。


「あなたに全ての罪を着せ、社員まで人質に取ったのは私の母、命理がしたことです。ですが、そんな言い訳などするつもりは毛頭ありません」


 百理は歯を食いしばり、カーミラの襟首を掴み上げると『ゴンッ』と再び額と額を強く打ち付けてくる。そのあまりの迫力というか、家名はおろか命さえ投げ捨てた形相にカーミラは息を呑んだ。


「いいですか、一度しか言わないからよく聞きなさい」


「な、なんですの……?」


 あと数センチで唇さえ重なってしまいそうな距離で、百理が紡いだのは意外な言葉だった。


「あなたは、私の理想の女性なんです」


「――――――――――は?」


 百理は額を突き合わせたまま眉間に皺を寄せ「はあああ」と息を吐き出す。

 火傷とかすすとか、そんなものでは断じてない、羞恥によってその顔は真っ赤になっていた。


「その髪も、目も、唇も」


 火傷で爛れた指先で、カーミラの髪を一房弄び、目元をなぞり、唇に触れる。


「ちょ、ちょっと、何を――」


「おっぱいも、お尻も、太ももも、脚も、何もかも――」


 乳房を撫でた百理の手先が、カーミラのまろびやかな腰の曲線を滑り、ぐわっと容赦なく尻肉を鷲掴みにする。「ひゃうッ!」とカーミラは悲鳴を上げた。百理はさらに激怒した。


「なんですか今の可愛らしい悲鳴は! まだそんな一面を残していたのですか! いい加減にしなさい、どれだけの武器を隠し持っていれば気が済むのですか!」


「ちょ、やめ、お尻、揉まないでっ! け、喧嘩売ってるんですのあなた!?」


「初めて会ったときから喧嘩腰ですよこっちは! 商才も容姿もカリスマも、何もかも敵わない女がずーっと目の前にいるのです! 目を背けたくともあなたはいつでもどこでもしゃしゃり出て来て! 可愛さ余って憎さ百倍って言葉知ってますか!? このすっとこどっこいが――ッッ!!」


 シーンと、辺りは静まり返った。

 時折り聞こえてくる防災無線がどこか遠くに聞こえるほど、室内は静寂に包まれた。


「……そ、それって、あなたまさか。私を目の敵にしたり、ことさら強引に戦いを仕掛けてきたり、あまつさえタケルに対して張り合ったりしたのも全部……?」


「悪いですか」


 百理はツンと拗ねたように唇を尖らせた。

 その仕草はまるっきり子供のそれだ。

 童顔の百理がそんなことをすれば、完全に見た目相応にしかならない。

 そんな姿を見せつけられたカーミラは――


「ふ――ふふっ、ほほほっ!」


 雅やかに、歌うように笑った。

 まるですべての疑問が氷解したとでも言うように。

 彼女は朗らかに笑い続けた。


「――あー笑いましたわ。かれこれ600年ぶりくらいの愉快な気持ちでしてよ。で、なんの用でいらしたんでしたっけあなた?」


いくさです。敵が来ます」


「あらまあ。それってあなたが常々言っていた?」


「厄災の日です。ワクワクして夜も眠れないのでしょう?」


「それはそうなのですが、でも今は先にお風呂に入りたい気分ですわねえ。獄中暮らしで私かなり汚れてしまって」


「終わったら御堂家の天然温泉に嫌というほど漬け込んでやります。全身がふやけてシワクチャのババアになるまで浸かればいいでしょう」


「さっき御堂とはもう関係ないっておっしゃいませんでした?」


「使えるものは使わせてもらいます。何か問題がありますか?」


「あなた吹っ切れ過ぎでしてよ!」


 言いながらふたりは、四肢を畳んですっかりくつろぎモードの索冥へと騎乗しようとする。その直前「ちょっとお待ちなさい」とカーミラは百理の後ろに回り、己の手のひらを牙で切り裂いた。


「戦場に赴くのなら、身ぎれいにしないと、ですわ」


 赤光をまとったカーミラの指先がハサミのようにチョキチョキと百理の髪を整えていく。


「まったく、今のあなた非道い有様でしてよ。あんなに綺麗な黒髪だったのに……」


「……脱獄するためには仕方なかったのです。女の髪は呪術的な増幅装置なので、咄嗟に犠牲にして、なんとかこの程度で済んだのです」


 僅か一分ほど。「あ、超かわいいっス」と同性の婦人警官から見ても合格点が出るレベルのベリーショートが出来上がった。


「……どうも」


「いえいえ」


 索冥の首の根元に百理が。その後ろにカーミラが騎乗する。

 その様は、まるで白馬の王子様に抱かれるお姫様のようだ。

 百理は部屋の隅っこにいる三条と婦人警官の方を向くと静かに頭を下げた。


「おさがわせをしました」


 そんな一言を残し「バコーンッ」と再び壁が破壊される。

 索冥は鬼火で出来た足場を蹴り上げ、空中へと駆け出した。


 そんな様を三条と婦人警官は呆然と見送るしかない。

 何人かの野次馬が百理たちを指差していたが、もうどうでもいいことだった。


 ふたりを乗せた索冥は蹄の音を響かせながらぐんぐん高度を上げていく。

 眼下の街にはまだ大きな混乱はないようだった。

 だがそれも時間の問題だろう。


 百理がそしてカーミラが同時に東の方角を睨む。

 邪悪な気配が膨れ上がっている。

 百や二百ではきかない。

 下手をすれば夜空にまたたく星々と同じくらいの規模――


「そう言えばタケルの方はどうなったのでしょう。あなた何か知らなくて?」


「私もずっと情報的に隔離されていました。ですが――」


「ですが?」


「あの方ならきっと大丈夫です」


「その根拠はなにかしら。須佐之男尊スサノオノミコトだから?」


「いいえ、私とあなたが見込んだ男だからです」


 きっぱりと言い放つ百理に、カーミラはまたコロコロと笑いだした。

 そしてひとしきり笑ったあと、彼女は百理の耳元で囁くのだった。


「あなた、私の遊び相手に昇格しましてよ。これからたっぷり絡んであげますので覚悟なさいませ」


「……不名誉です」


「ふ――」


「ふふ」


 冬の中天の元、これから戦場に赴くとは思えないほど楽しそうな、人外ふたりの笑い声が木霊するのだった。


 続く。

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