第180話 地球英雄篇⑤ とりあえず一発殴らせろ〜魔王様と道化師の和解協定成立?・後編
1、カテゴリー・ノル。
重力子レコードの影響により、サランガの因子を持つ地球上の昆虫・甲虫たちが一斉に凶暴化した姿。現在は真冬ではあるが、季節外れの害虫が大量発生をしているはず。脅威度は最も低く、市販の殺虫剤が有効。
2、カテゴリー・ティガ。
現在宇宙空間から地球へと進行しているサランガが全てこれ。
重力子レコードから無限に再生され続ける。
強い外骨格、柔軟な関節、獰猛な食欲と凶暴性、そして繁殖力を持ち、積極的に交配を繰り返す。地球の昆虫に比べ体躯が30〜100倍以上あり、重火器での対応が必要になる。
3、カテゴリー・スプルフ。
カテゴリー・ティガが交配し、進化した姿。
全てが飛行能力を持つ
体躯は元の100倍以上。
世代特徴が失われ、全く別の生物になる。
自由自在に空を飛び、人間を捕食する。
交配をするまでもなく卵を産み付け、そこから羽化したサランガは最初からすべて有翅種となる。
「サランガは有機生命体を根こそぎ捕食します。今ヤツらは海中を移動しながら海洋生物を残らず喰らい尽くしている最中でしょう。そしてその対象が人間になれば、未曾有の大繁殖を招きます。ですから私はハワイを切り捨てる他にありませんでした」
150万人からの人間を苗床に――いやハワイそのものをヤツらのコロニーにさせるわけにはいかなかった。まさに苦渋の決断と言えた。
「さて、一通り説明が終わったところでようやく本題に入れそうですね。エアスト=リアスさん、アウラちゃん、そしてセレスティア」
スミスは、再びヒトを小馬鹿にしたような軽薄な笑みを浮かべながら、とんでもないことをサラリと言った。
「北米大陸を守るために力を貸してください。断れば日本に核を落とします」
* * *
『ちょっと、待ちなさいよおっさん、今なんて言った――!?』
「おやおや、まだお若く見えますのにもう難聴ですか。それともそういうキャラ設定ですか?」
『ちが、そんなんじゃない――って、いい加減いちいちヘラヘラしながら会話するのやめなさいよ、ムカつくったらありゃしない!』
「申し訳ありませんが、この顔は生来のものですのでほっといてください」
『ああ、そう――ってだから違う! あんた今、日本にッ!?』
「ええ、エアスト=リアスさんたちという最大戦力を貸していただけなかった場合、日本を核ミサイルで攻撃すると言いました」
『――くっ、このぉ!』
「無駄です無駄です。発射装置は完全にスタンドアローンです。あなたが如何にウィザードクラスのクラッキング能力を有していても阻止はできません」
『うう、うーっ! うがああああああッ――!!』
「落ち着けイーニャ!」
携帯電話のスピーカーが割れんばかりにイリーナは絶叫した。
常に冷静な少女がここまで取り乱す様に、エアリスがすかさず止めに入る。
『落ち着いてなんていられないわよエアリスちゃん! こいつは、この男はよりにもよって核なんてものを――!!』
「おまえの怒りはわかった。だが一度心を鎮めるのだ。いつものおまえに戻れ」
携帯電話の向こうで、肩で息をするイリーナ。息をしながら画面越しにスミスを睨みつけている。スミスはそんな少女の視線にも動じることなく、エアリスへと賞賛を送った。
「さすがは精霊魔法使いといったところですか。その泰然自若とした様、感心しますね。日本はあなた方の生活拠点で顔見知りも多いでしょうに」
「確かに日本という国は我が主タケルの祖国だ。何よりあの龍の形をした国土がいい。他国と地続きになっていない様も孤高な感じがして好きだ。そして何より、多くの知友たちが暮らしている場所でもある」
「そうですかそうですか。異邦人であるあなたにそこまで慕われて、彼らもさぞ本望でしょう。だからこそあなた方は私に協力せざるを得ない。そんな大切な場所に核を落とされるなど、とても許せることではないでしょう」
「貴様、ひとつ聞いておくぞ?」
「おや、なんでしょう?」
「かく、とはなんだ?」
「うん、かくってなーに?」
「なに……?」
エアリス、セレスティア、アウラからの疑義に今度は誰一人――物音ひとつ立てられなかった。本当に心の底から驚愕すると、なんのリアクションも取れなくなるのだとその場にいる人間たちは知った。
「なるほど。無敵ですね」
そう呟くスミスは手先がプルプルしていた。
秋月楓もなんだかグデンとして目から光が失われている。
イリーナはフリーズしたまま動こうとしなかった。
そして――可愛らしいキョトン顔を見せる精霊魔法使い&精霊娘たちに答えをもたらしたのは、他でもない彼女たちのご主人様だった。
「
「タケル!」
「お父様!」
「パパ」
CICにタケルが現れた途端、セレスティアとアウラが抱きついた。
タケルは壁に手をつきながらもしっかと娘たちを抱きとめた。
「タケル、もう平気なのか!?」
「あ、ああ。セレスティアの治療のおかげだ。話の腰を折るのもなんだから途中から聞いてたんだ」
タケルはDDT特殊弾頭弾という化学兵器を体内にくらい、瀕死の重傷を負っていた。だが持ち前の回復力とセレスティアの水精魔法による治療を経て、こうして復活を遂げたのだ。
『…………』
「真希奈? どうしたの?」
『いえ、なんでもありません』
タケルの首から下げられたスマホに問を投げるセレスティア。
画面に映る真希奈はに硬く冷たい声で返答するのだった。
「うん、先程はなんだと? あの虚飾と虚構に満ちた聖都がどうしたというのだ?」
エアリスの物言いにスミスは苦いものを噛んだ顔になったがどうでもいいことだった。
「核だよ。核兵器。聖都はそれと同じもののせいで、誰も近づくことができない猛毒の坩堝になった。あれと同じことが日本でも起きる」
「な――、あれを繰り返すというのか! ならん、断じてならんぞ貴様!」
エアリスはツバを飛ばしてスミスに猛抗議した。
「セレスティア」
「なになに、お父様ぁ」
スリスリとセレスティアはタケルの首っ玉の匂いを嗅いでいた。
そんな彼女にも一発で事態の緊急性がわかるよう説明する。
「核を使われると、もう一生アイスが食べられない」
「大変だ! そんなこと絶対ダメ! スミスのバカ! 女好き! 足臭い!」
臭くありません! と何故かスミスは楓の方をちら見しながら言い訳した。
「アウラ」
「ん」
「核が落とされると、今日本にいるイリーナが死ぬことになる」
「――――ッ!?」
結果から言えば一番リアクションが大きかったのはアウラだった。
「うわッ」「きゃッ」とスミスと楓は耳を抑えてうずくまった。
アウラから発せられる風が空気の密度を操作していた。
とんでもない耳鳴りに襲われ、スミスは顔を真っ青にしながらタケルを睨めつけた。
「な、なかなか危機感の伝え方が上手いではありませんか。意外と教師が向いてるのではありませんか? あとセレスティア、私の足は絶対臭くありませんからね!」
「なんでそこだけそんなに必死なんだ? 水虫なのか?」
「ちち、違いますから! そんなんじゃないですし!」
タケルの突っ込みに、スミスは誰がどう見ても必死だった。
つま先をもじもじとさせながら、彼はタケルへと向き直る。
「ず、ずいぶんと余裕ですね。話を聞いていたというのなら、今がどういう状況なのか聡明なあなたなら理解できるでしょう。人類存亡の危機なのですよ。そして攻撃対象は日本に限ったことではありません。人口が密集した都市にサランガのコロニーが建設されることだけは絶対に防がなければならないのです」
「なるほど……そのために人間ごとそのバケモノたちを焼き払うというわけか。ハワイに撃ち込んだ化学兵器は使わないのか?」
「もちろんそれも検討されます。ですが個人的にはあまり使いたくない」
「今さら慈悲のつもりか。すでに150万人も犠牲にしておいて。いや、聖都の住民も入れれば250万人か。大量虐殺者め。そういう意味で貴様は既に『英雄』と呼べる存在なのかもしれないな!」
スミスは笑みを引きつらせながらタケルの誹りを黙って受け入れていた。
核兵器であってもパラチオン特殊弾頭弾であっても、サランガに対しての有効性が認められながらも、かたや熱波と衝撃波で消滅させるのと、地獄の苦しみを味わわせながら死に至らしめるのと、どちらが慈悲深いかと究極的に問われれば――前者だろう。
そしてその事実を一度でも各国首脳人に対して証明する必要がスミスにはあったのだ。たとえそれが史上最大最悪の規模の虐殺になったとしても。
あのハワイ島の地獄絵図を知ってしまえば、今後おいそれとパラチオン特殊弾頭弾を使おうとは思うまい。あれはスミスのいた未来では両刃の剣として人類を死に追いやった兵器なのだった。
「なんとでもいいなさい。ですがこれで私がやると言ったらやる人間だと理解できたことでしょう。日本を核攻撃されたくなければ、あなた方はステイツを守るために私に協力するしかないのです!」
だがそれは結局1億3000万人を見捨てることに他ならない。
そう遠くない未来、サランガによって日本が蹂躙され尽くせば、核だろうがパラチオンだろうが必ず撃ち込まれてしまうだろう。
だがスミスからの協力要請を蹴って日本を守りに向かった場合にも同じく報復攻撃が行われてしまうのだ。
スミスに協力するしか、タケルたちに道は残されていないように見えた。
だが――
「本当にそうか?」
タケルはセレスティアの腕を解き、つかつかと部屋の隅へと向かう。
そこには物言わぬ少女――アリスト=セレスが眠るカプセルがあった。
タケルを待ちながらずっと時を止めていた少女。
全ては彼女との出会いから始まった。
奪われた彼女を取り戻すためだけにタケルはヒトであることをやめた。
その本人が今目の前にいる。
それ以外に必要なものなどない。
「僕のゴールはここだ。これから先は全部消化試合だ。そんな僕がお前の言うことを聞いてやる義理がどこにある?」
「地球はあなたの生まれた星でしょう。そして日本はあなたの育った国だ。まさか見捨てるおつもりですか?」
「それは僕がまだ『成華タケル』だったころの話だ。人間だった僕はもう死んだ。
「……意外と根に持つタイプですね。正確にはリゾーマタ・バガンダの嘆願に私が許可を与えたものですが……ですがあなたはその御蔭で、ヒトの限界を遥かに超えた力を手に入れた。結果オーライと考えることは……できませんよね?」
犬歯をむき出しにして笑うタケルの姿に、さしものスミスも言葉を引っ込める。一度死線を越えて戻ったもののみが持つ凄惨で残酷な笑みを、今のタケルは浮かべていたからだ。
「地球がどうなろうと知ったことじゃない。僕が聖剣で『ゲート』を開いて、自分の仲間だけを連れて魔法世界へと逃げることだってできるんだぞ?」
地球を放棄する。
その発言にその場にいる人間たち――スミスと楓、そしてイリーナは息を呑んだ。
「……おや、確かあなたは今聖剣を――第七剣王異界をまともに使えなかったはず。それにもう間もなく混乱状態に陥る日本国内で、あなたが仲間だけを選別して助け出すのと、
「あまり挑発するなよ? 今すぐお前を縊り殺して、ホワイトハウスの大統領や高官たちを残らず血祭りに上げてもいいんだぞ?」
「ふ――、実に子供らしい発想です。逆に安心しますね。日本への攻撃を阻止しようとしているのなら無駄です。そんなことをしても止まりません。パラチオン特殊弾頭弾や核ミサイルを搭載した原潜は今も太平洋の何処かを回遊中です。その正確な位置は大統領ですら知りません」
核ミサイルの発射命令はもちろん大統領が出す。だがそれを仲介するのは特殊なエージェントである。
彼らは手荷物である施錠付きのアタッシュケースを常に携帯するよう義務付けられており、発射の命令が下されるとエージェントにはまず施錠の解除キーが送られ、初めて中身が確認できるようになる。
中に入っているのは発射ボタン――などと言うのは間違った認識であり、実際に入っているのは暗号化された発射コードである。それを受け取った原潜側で、改めて指令確認が行われ、初めて発射シーケンスが行われるのだ。
「例え大統領が戦時下で死亡した場合でも二重三重と次善策が用意されています。発射をすると決めたら必ず発射されます。そしてそのマスターコードは私自身も有していて――ってセレスティア、寝ないでください!」
得意げに説明してたスミスが色を失くして叫んだ。セレスティアは目をショボショボとさせながらタケルに寄りかかっていた。
「スミスの話しって相変わらず超つまんない。お父様、お母様を連れて早く帰ろう?」
セレスティアがどこに帰りたがっているのか、その場の全員が理解できた。
彼女の目的は母、アリスト=セレスを救うこと。アダム・スミスによって来たくもない地球へと連れてこられ、世界などという訳のわからない大きなものに、母は殺されかかっている。彼女の願いは最初から最後まで純粋なものだった。
「そうだな……」
タケルがそう答えかけたそのときだった。
「待ってください!」
スミスの影を越え、前に出てきたのは秋月楓だった。
彼女は何を思ったのかその場で――スミスの足元で、タケルに向かって土下座をした。
「タケル・エンペドクレス――いえ、成華タケルさん! どうかお力を貸してください!」
楓の言葉にスミスが目を剥く。
タケルは無表情にそれを見下ろした。
「何を都合のいいことを言ってるんだとお思いでしょう。今さら謝罪をしてもどうしようもないことだともわかっています。ですが、それでもお願いします。アダム・スミスにお力をお貸しください。彼だって本当はわかってるんです。もう残された手段は限られていることを。その中で最も希望が持てるのがあなた方の『魔法』なんです!」
魔法。
かつての人類にも備わっていた力。
だがサランガによって二度の絶滅の憂き目を見て以降、人類は衰退した。
旧人類よりも脆弱になり、病気や怪我が蔓延する世界になった。そんな世界に強い魔力を持ったアリスト=セレスを招聘し、再び人類に魔法をもたらすための研究をしていたのがアダム・スミスだ。
魔法によって強化された人類は、より大きく強い鎧を纏えるようになった。
さらに大きな鎧のを纏い、限定的だが魔法を再現することも可能になった。
だが、それでもあのバケモノたちを倒し切るには到底足りない。
秋月楓は床に額を擦りつけて、喉が破けんばかりに懇願する。
タケルとエアリスはそんな彼女を冷たく見下ろすばかり。
セレスティアとアウラはびっくりした様子で、タケルと楓を交互に見ていた。
「見返りが必要ならなんでもします。なんなら私を嬲り殺してくれても構いません。ですが、アダム・スミスは今後の人類に必要な男です。もしこの戦いが終われば、世界を平定するために忙殺されるだけの男です。なのでお願いです、私だけの生命を以って、どうか、どうかお力添えを――!」
楓の決死の土下座の上――アダム・スミスは笑みを浮かべたまま固まっていた。
だがその拳はギリリっと握りしめられ、震えている。
本来アダム・スミスという男はなんでもできる。
タケルにへつらうことも、土下座をすることも、なんなら靴を舐めることもできるだろう。
なぜなら彼は人類を救うためならなんでもする男だから。
今までも、似たようなことは散々しつくしてきた。
そうして彼は英雄と呼ばれ、悪魔と恐れられ、道化と謗られてきたのだ。
「お願いします! どうか、お願いします――!!!」
でもそんな彼の態度を許さぬものがいる。
彼にそんなことをして欲しくないと。
自分が代わりになるのならと。
恥も外聞も、そして生命でさえも。
彼のために差し出そうとする女がここにいる。
男の中には使命感しかない。
人類への奉仕という、それだけに特化した出来損ない。
でも彼女にとっては、彼だけが真実。
唯一無二の存在だった。
故にアダム・スミスは耐える。
彼女から唯一無二の拠り所を奪わないために。
彼は生まれて初めてこの上ない己自身への怒りと恥辱を感じていた。
「なんでも、と言ったか秋月楓」
「はい、なんでもと言いました」
タケルの声に楓が面を上げる。
擦りつけた額が破れ、つうっと血が滴る。
赤い雫がおとがいの先端からポタポタと落ちていくのも構わず、彼女はタケルを見上げ続けた。
「なら僕があなたに望むことはただひとつだ」
アダム・スミスの顔から笑みが消える。
だが彼が口を開くより早く、タケルは言った。
「マキ博士に謝れ。すべてが終わったらな」
「はい、わかりまし――――――はい?」
「楓さん、有給休暇って言ってそのまま消えただろ。マキ博士嘆いていたぞ。優秀な助手が居なくなったから仕事が回らないって」
「そ、それは――でも!」
「セレスティア」
「はーい」
セレスティアが楓の額に手をかざす。
それだけで瞬く間に血が消え、傷が塞がっていく。
「な、成華さん……ありがとうございます!」
再び頭を下げる楓に、タケルは「勘違いするなよ」と言い放った。
「別にあなたの願いを聞いたわけじゃない。僕にはもう既に先約があるんだ」
「先約?」
「先約……?」
「先約だと?」
楓、スミス、そしてエアリスがタケルを見る。
タケルは宙に滞空したまま、ずっと静観していた携帯電話――イリーナを見た。
『え、私!?』
「ああ、残りのお願いは全部これで決まりだろ?」
『あ――』
冬の城。
いたずらに世界の終わりを願った少女。
暗号を解いたご褒美はまだ宙ぶらりんだったはず。
『あ、あんたってばかっこつけすぎぃ!』
「決まりだな。エアリス、セレスティア。イリーナが指示をくれるはずだから、それに従って北米大陸を守ってくれ。いいな?」
「ふう。貴様は甘すぎる。まあ、それでこそ我が主なのだが」
「スミスは嫌いだけど、お父様がいいって言うならいいよ」
「アウラも、お母さんを助けてやってくれるか?」
「うん……!」
珍しく元気な返事をするアウラにタケルはその頭を撫でてやる。
そうしていると、思い詰めた顔でスミスが口を開いた。
「タケル・エンペドクレス……私は」
「おい」
スミスが続きを言うより早く、タケルの拳が彼の顔面に突き刺さった。
鼻血を撒き散らしながらスミスはU字型のテーブルを飛び越えて、中央モニターがある方まで吹き飛ばされた。
「何か寝ぼけたこと言おうとしたかおまえ?」
「く、ふふふ……早とちりですねえ。私がそんな殊勝なタマに見えますか。これは貸しにしておきますよ」
「ふざけるな、せいぜい利子分だ」
「そうですか。では次は
顔の下半分を鼻血で真っ赤にしながら、スミスは凄絶に笑った。
タケルは罰が悪そうに顔をしかめながら背を向ける。
歪な形ではあるが、ここに因縁の男同士による協定が結ばれることとなった。
「じゃあ、行ってくるよ。これが終わったら一緒に帰ろうな」
アクア・ブラッドに包まれたカプセルに触れる。
目覚めの時を待っている愛しい少女に、少年は出立を告げるのだった。
*
「話はまとまったみたいね」
薄暗い車内。
ふたりの少女を照らすのはPCディスプレイの明かりのみ。
フロントカメラの範囲外で今までの経緯を黙って聞いていた綾瀬川心深はスックと立ち上がった。
「行くの、心深ちゃん?」
「ええ、ちょっと派手にブチかましてくるわ」
「わかった。こっちのノートPC一式持っていって。戦いが始まったら送信を始めるから」
「ありがとう。最初は単なる思いつきだったんだけど、本当に実現できるなんて。さすがは天才ね」
「まあね〜――って、殆どはあのおばさん、マキ博士のシステムに便乗するだけだけど。でも、絶対必要なことだと思う。きっと百理ちゃんたちも動くと思うし」
「わかった。それじゃあ、行ってくるね。また――」
「うん。そっちも気をつけて」
キィっと20トントラックの荷台を開ける。
中天に近い冬の高い青空が心深を照らす。
学園裏の雑木林に張られた結界を抜け、彼女はとある場所を目指す。
それは自分の戦場。
自分にしかできない戦いがある。
それをするための場所に彼女は向かうのだ。
街の中は防災無線が垂れ流しになっている。
心深のスマホもさっきからずっと避難指示を受信している。
それでもまだ、街の人々の動きは緩慢だった。
自主的に避難を始めるものはごく少数。
だがやがてもう間もなく、あのバケモノたちがやってくれば――日本中がパニックになるだろう。交通機関が動いている今のうちに移動してしまわなければ。
「あのバカ、ホントにカッコつけすぎなのよ」
幼馴染の彼を思うだけで胸の奥が熱くなる。
それは冬の冷たい空気を跳ね除け、彼女の足を進める原動力になる。
自分はこれからとんでもないことを始めようとしている。
ともすれば足がすくみそうになるのに、今は胸の奥ではマグマが燻っている。
「だあああッ――、やっぱり好きだぞこんちくしょう!」
腕を振り上げ、一人絶叫する心深に、周囲の通行人がぎょっとする。
あまりの声の通りの良さと綺麗な声音、そしてどこかで聞いたことがあるアニメ声に誰もが振り返るのだった。
「やってやる……だからあんたも、頼んだわよ……!」
綾瀬川心深は、街の雑踏の中へと消えていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます