第179話 地球英雄篇④ とりあえず一発殴らせろ〜魔王様と道化師の和解協定成立?・前編

 * * *



「5、4、3、2、弾着――今!」


 スリーマイル免震建屋の中はコントロールルーム、とは名ばかりの簡易司令室になっていた。


 U字型のテーブルにはオペレーションシートがずらりと並び、その向こうにはパーティションされた巨大モニター郡が壁一面に設置されている。


観測衛星ランドサットの映像を」


「了解。中央モニターに映します」


 コードオータム――秋月楓は一台のパソコンの前に陣取り、オペレーターよろしく戦況を報告している。それを見守るのは楓と同じく漆黒のボディスーツ――アクア・リキッドスーツを着込んだアダム・スミスそして――


「なんだ、これは――!?」


「き、気持ち悪いよう……!」


 戦慄の呟きを漏らしたのはエアリスとセレスティアだった。

 エアリスは戦装束として着用している革製のスーツ姿。

 セレスティアは自前のフリフリ白ドレス。

 その二人の頭の上に浮かんでいるアウラは子供らしいワンピースに身を包んでいる。


「戦況分析――『パラチオン特殊弾頭弾』が高度500メートルで炸裂しました。被害が急速に拡大しています。オアフ島、モロカイ島、ラナイ島、カホオラウェ島、そしてハワイ島、及び半径500キロ圏内で猛毒のジエチルパラチオン拡散中。動体なし――ティガ・サランガの殲滅に成功しました!」


PACOMペイコム(太平洋軍司令部)は最後になんと?」


「――ハワイは地獄だ、と。この糞虫共を俺たちごと焼き払ってくれ――以上です」


「さすがはハリー……我が戦友です」


 スミスはしばし薄暗い天井を見上げ、旧友とハワイで犠牲となった自国民に対して黙祷を捧げた。そして――


「さて、取り引きといきましょうか」


 スミスはおどけた仕草で両手を広げ、エアリスたちを振り返った。

 エアリスだけではない――セレスティアも、そしてアウラでさえも、敵意が篭った目でスミスを睨み返していた。


「おふ。たまりませんね……見目麗しい精霊魔法使いと精霊おふたりからの凍てつくような視線。私、Mの遺伝子が目覚めてしまいそうです」


 場違い極まりない冗談を飛ばすスミスにエアリスたちは「?」と、言葉の意味はわからない様子だったが、抗議の声は別のところから上がった。


『エアリスちゃんたちが何も知らないからってに汚い冗談飛ばさないでくれる? おっさん、かなり不愉快よ!』


 それはエアリスが所有する携帯電話からの声だった。

 胸ポケットから端末を取り出すと、エアリスはその画面をスミスへと向ける。

 薄暗い背景にぼんやりと浮かび上がるのは、象牙色の肌にややボサッとしたブラウン髪の少女だった。


「ほう、そういうことですか。いかな精霊魔法使いとその精霊たちとはいえ、土地勘もない彼女たちが単独で動けるのだろうかと疑問に思っていましたが、あなたが司令官コマンダーですね。初めまして、アダム・スミスと申します。お名前を頂戴しても?」


『――イリーナ・アレクセイヴナ・ケレンスカヤ』


「おお、あなたですか! アレクご夫妻が冬の森に監禁していた天才少女というのは!」


『言葉に気をつけて。私は監禁なんかされてない。パーパとマーマの悪口は許さないから!』


「これは失礼。まさか旧ソビエト連邦のデザインチャイルドのラストナンバーにお会い出来るとは思いませんでした。ぜひ直接顔を合わせてお話がしたいものですが――」


「回りくどい社交辞令はやめろ」


 イリーナが映ったスマホを胸元に抱き寄せながら、スミスに混じりっけなしの怒気を送るのはエアリスだった。


「この子は我らたっての願いで協力してくれているに過ぎない。もし万が一貴様がこの子に危害を及ぼそうとした場合――」


「場合……どうしますか?」


「貴様をその国ごと滅ぼす」


「……冗談に聞こえないあたり恐いですね」


 ピリピリとまるで帯電しているかのような空気が流れる。

 スミスは「降参です。あなたを敵に回すほどバカではありません」と肩をすくめる。そんなスミスにエアリスはなおも噛み付く。彼女は怒っているのだ。


「いいや、貴様は馬鹿者としか言い様がないぞ。我らを敵に回すことの恐ろしさを知りながら、何故なにゆえセーレス殿を拐かしたというのだ?」


 エアリスが振り返る。セレスティアのすぐ後ろ、一抱え以上もある円柱型のカプセルの中には、藍色のアクア・ブラッドに包まれて眠る裸身の少女――アリスト・セレスがいた。


 先までその中身はスミス謹製のイミテーション・アクア・ブラッドという二次加工品で満たされていたが、今はセレスティアが自分のオリジナル・アクア・ブラッドに取り替えてしまっていた。


「多少のリスクを承知しても彼女の協力・・は必要不可欠でした。それにタケル・エンペドクレスは必ずアリスト=セレスを取り戻すと宣言もしました。私の主観からは長い時間が経過しましたが、彼は本当にすぐさま追ってきたようだ。その方法は半ば信じられないほどではありますが……」


 タケルの中に眠る聖剣。実物は見たことがなくとも、それがおそらく魔法世界マクマティカを平定するための神様のシステムであることをスミスは承知していた。


 故に信じられない。神という絶対者からそのシステムを力づくで奪ったタケル・エンペドクレス。それもアリスト=セレスを想えばこそなのか。


 スミスは掛け値なしにタケルを称賛しているのだが、常時ヘラヘラとしているためエアリスにはその誠意が伝わらない。「どこまでもヒトを小馬鹿にして」と逆に怒りを買うだけだった。


「そもそも貴様、先程の勝負もどこからどう見ても我が主の勝ちだった。貴様は最後にだまし討ちをしたにすぎないのだということをよく覚えておけ」


 それは多分に身内贔屓な発言だったがエアリスにとっては死活問題だ。

 我が主は負けていないと抗弁するも、さすがにスミスもムッとして言い返す。


「戦場に於いては卑怯汚いだまし討ちは正当な手段です。最後の伏兵だって、私や楓さんにトドメを刺さなかった彼の失態といえなくはないですか?」


「今貴様がそうして減らず口を叩いていられるのも、我が主の慈悲深さの賜物である。調子に乗っていると切り刻むぞ」


 手狭なCIC戦闘指揮所がエアリスの濃密な殺気で満たされていく。

 それを諌めたのはイリーナとそして楓だった。


『エアリスちゃん、気持ちはわかるけど今は抑えて』


「隊長、次の指示をお願いします」


 エアリスは「ふんっ」と唾棄するように視線を逸した。

 スミスは口元の笑みは相変わらず、器用に片眉だけを跳ね上げている。


 セレスティアはアウラを抱きしめながら「あんな難しい言葉でスミスと会話してるエアリスってすごい……」と見当違いな感心の仕方をしていた。


『本来ならタケルの敵であるあんたの言葉に耳を傾ける必要はない。でも、それでも今はそんなことを言っていられる状況じゃない。あんたは空からやってきた――今もやってきているアレをちゃんと名前で呼んだ。教えなさい。【サランガ】ってなんなの!?』


 エアリスの手の中、小さく生まれた風がイリーナが写ったガラケーを浮かび上がらせる。寸分のブレもない完璧なホバリングで滞空する画角の中、怯えを孕んだイリーナの視線がスミスを貫いた。


 知能が高くて世界中のどんなセキュリティをも突破してしまう天才少女であっても、そこはやはり普通の人間だ。そして今、少女は日本に居ながらクラッキング技術を駆使して、およそこの世界で起こっている状況を誰よりも理解していた。


 故に……彼女は問わねばならない。

 全人類を代表して、現在地球に起こっているこの危機的な状況のその原因を。


『あれは一体なんなの!? ハワイをあっというまに飲み込んで、そして、そしてまだ生きてる人たちごと殺さなきゃならなかったほどのものなのッ!? あのバケモノたちは一体なんなのよ――――――ッッッ!!!??』


 今や太平洋を臨む殆どの地域から見ることができるその黒い道筋。

 地球という青い星を侵すかのごとく差し伸ばされた、まるで星丸ごとを我がものにせんとする強欲なるかいな


 それは個の塊。

 それは群の集合体。

 幾万、幾億、幾兆という規模で地球へとやってきた侵略者インベーダーたちだった。


「さすがですね。こちらの機密情報がだだ漏れだ。ですがあの光景を見ておきながら、あなたも肝が据わってらっしゃる。観測衛星ランドサット――いえ、もしや島内にあるカメラですか。公共から個人ものに至るまで、それらの目を通してあの地獄を目撃してしまいましたか……」


 スミスはニィっと笑みを浮かべると、口元を手で覆い隠す。

 すると途端に表情が一変する。笑みに引き裂かれた口元が消えると、その目は真逆の、爛々と光る禍々しいものへと変貌した。


「惨たらしかったでしょう。醜かったでしょう。あの兵器・・・・は正常な神経と皮膚感覚をむき身の痛覚に変えるのと同じ効果を齎します。誰もが地面に倒れ伏し、のたうち回って死んでいったはずだ。体力のあるものはすべからく自らの頭を地面や壁でかち割って自死を選ぶほどの苦痛だ」


『やめて』


「体力のない女子供、年寄りは即死だったはずです。死因はショック死です。極大の痛みに脳が耐えられず自らの生命を一瞬で閉じてしまうのです。人間の生理機能自体が、死んだ方がマシだと、そちらの方が楽なのだと判断するからです」


『ヤダ、やめてよ……!』


「そうです。私が殺しました。あの糞虫共を殲滅するために、150万人の生命をもろともに奪ったのです――!!!」


『イヤぁ――!!』


「――ぶッ!?」


 パァン! とスミスの顔面が仰け反った。

 まるで見えない礫が炸裂したかのようだった。

 エアリスが指を差し伸ばしている。

 デコピンの要領で空気の塊をぶつけたのだ。


「よくはわからんが、貴様が同胞の死を嘆いているのは理解した。だが当たる相手が違っているぞうつけめ」


「……いやあ、まったくです。ありがとう、いい気付けになりました」


 額を割られ、ドクドクと血を流しながらスミスは笑った。

 口元だけではない、その瞳もまたニコニコと屈託のない笑みを浮かべていた。


「イリーナさんと言いましたか。申し訳ありませんでした。少々熱くなってしまったようです。心からお詫び申し上げます」


『もうそれはいい……。そのかわり教えて、あいつらのこと。そしてこれからのことを――』


「いいでしょう。エアスト=リアスさんやアウラちゃん、セレスティアも是非心して聞いてください。ヤツらの名前は『サランガ』。神様からの素敵なプレゼントであり、その御使いなのです」


 笑う男からの笑えない冗談に、楓を除くその場の全員が顔を不機嫌にしかめた。


「神の御使い、だと?」


 エアリスが呟く。

 彼女は神を信奉しない。

 正確には人間の創った神を信じない。

 なぜなら彼女にとって己の主と、そして己の『風』こそが神であり、信仰に値するものだからだ。


「本当ですよ。冗談のたぐいではありません。だってそうでしょう。天より頂く漆黒の太陽より現れ、地上に厄災を振り撒いていく。そんなものを遣わすのは『神』以外の何者だというのですか」


『それは……人間より以上の存在――例えば宇宙人やなんかが、意図を持って地球へと送り込んでいるってことなの?』


 エアリスたちよりも遥かに予備知識があり、この中でも突出した知能を有するイリーナが問いかける。だがスミスは、ため息混じりに首を振った。


「わかりません。私もその辺の真相を聞きたいところですが、なにせどこのどなたが寄越しているのかは不明なのです。故に形式的に神様と呼んでいるに過ぎません」


 そしてスミスは邪悪な形に口元を歪ませながら「でもひとつ確かなことがあります」と言った。


「このまま行けば地球は確実に終わります」


 あっさりと告げられたその言葉は、全くの冗談にしか聞こえないのだった。




 * * *



 かつて地球文明には絶頂とされる時代が存在した。

 現在では再現すら不可能な元素を操り、科学とも魔法ともつかない高度な文明を構築していた。


 レムリア、あるいはムー。

 今でもその片鱗や文明の痕跡などは世界中に残されている。


 共通して言えることは、なぜそれほど高度な文明をもちながら彼らは一様に滅んでしまったのか、ということ。


 自然災害、巨大地震や地殻変動、大津波や火山噴火などなど。

 その中でもとりわけ説得力があるのが巨大隕石の衝突である。


 地球環境を激変させてしまうほどの巨大隕石が、一夜にしてそれらの文明を消し去ってしまったと――


「ですが、事実は違います。地球はかつて二度、ヤツらに――『サランガ』によって絶滅させられています。生き残ることができたものは極々少数の人間たちだけです。彼らは数え切れないほどの同胞たちの屍の中から這い上がり、命を繋ぎ、再び文明を勃興させて来ました。ちなみになんでそんなことを私が知っているかというと、私の頭の中には人類の記憶が眠っているからです。私の脳みそ、古い記憶の引き出しに使う扁桃体がどうやら特殊らしいのですが……もしこれ以上私の秘密を知りたかったぜひベッドの上で二人っきりのときに――」


 さらりと最後に渾身の冗談をねじ込んだスミスだったが、イリーナが「ふん」と鼻で笑ったのみで、別段エアリスもセレスティアも反応しなかった。スミスは密かに肩を落とした。


「ヤツらは格子状神経系を持つ外骨格生物でしてね。地球にいる昆虫はヤツらの因子を持つ子供みたいなもんなんです。環境適応能力が非常に高く、宇宙空間のような劣悪な環境下や高温高圧にも耐性を持ちます」


『なんでそんなヤツらが……一体どこから湧いて出てきてるっていうの!?』


 イリーナの疑問にスミスはスッと天井を指差した。エアリスもセレスティアもアウラも、そして携帯電話越しのイリーナでさえも、自分の頭上を見た。


「宇宙からです。正確には地球近傍に出現しているであろう特異点――ブラックホールからやってくるのです」


「ブラック、ホールだと!?」


 エアリスが驚愕の声を上げる。

 セレスティアがカッと目を見開いた。

 アウラはギュッとセレスティアにしがみつく。


「――それはなんだ、イーニャよ?」


 ゴン、ゴンっ、『ゴッ』――と三連続で音がした。

 見ればスミスも楓も、遥か日本にいるイリーナも、壁や机に突っ伏して頭をぶつけていた。


『…………えーっとねエアリスちゃん、超重力の天体って言ってわかるかな?』


「重力……? 希力のことか?」


『ごめん、希力ってわかんないや私』


 ふわふわと宙を滞空していたアウラがつんつんと、同じく宙に浮いている携帯電話に触れる。


「うちゅう、ってなに?」


「おっとぉ?」


 こちらはスミスだ。

 彼がそのノリでセレスティアに視線を移すと、彼女は豊かな胸の前で腕を組み、やたらと偉そうにふんぞり返っていた。付き合いだけは長いスミスは「ああ、理解してない時の顔だ」と一発で看破した。


『えっとね、本当は全然違うんだけど、でもエアリスちゃんたちでも想像しやすく言うと、タケルの聖剣あるでしょ。あれみたいなもの、かな。違うけど』


「おお、あれか。あんな風に黒い『ゲート』からそのサランガというヤツらは出てくるのだな!?」


『うん、今はその認識でいいと思う。で、そっちのおじさん、本来ブラックホールってのは自分の重力圏に光さえも取り込んでしまうものでしょう。それなのに、どうしてバケモノどもを今も吐き出し続けてるっていうの?』


「あれは厳密にはブラックホールであってブラックホールではありません。イリーナさんはブラックホールに引き寄せられた物体がどのようにして内部に取り込まれるかご存知ですか?」


『大丈夫よ。世間一般で言われているブラックホールの特性は理解しているから』


 スミスは「それは話が早くて助かります。ホントに……」とため息をついた。


「とにかく、ブラックホールに引き寄せられた物体は二種類に分解されます。即ち『情報』と『質量』です。質量はアインシュタインが提唱した『時空の織物』――それを極端に歪めたブラックホール内部へと無限に落ちていきます。ですが情報だけはブラックホールの境界面に重力素子となって保存され続けるのです。私はこれを『重力子レコード』と名付けました。あたかもレコードプレイヤーのように保存された質量情報を再生し続けるからです。あ、ちなみにレコードとはCDみたいなものという認識で結構ですよ?」


 スミスはジェネレーションギャップを考え小賢しくも予防線を張った。


『ということは――あのバケモノたちって!?』


「お察しのとおりです」


「イリーナ、何がわかったのだ!?」


 エアリスの問いにイリーナは顔を青くしながら唇を震わせた。


『あのバケモノの本当の恐ろしさは物量。しかもブラックホールがあり続ける限り、境界面の重力子レコードからどんどん湧いてくる。無限の物量を持ってるんだ……』


「無限、だと……?」


 現在進行形で地表に到達し、ものすごい勢いで海を渡り、人口密集圏に向かっているであろうサランガたち。


 その数が無量大数だと聞き、流石のエアリスたちもヤツらのヤバさを理解したようだった。


「確かにヤツらの『無限物量』は一番の脅威です。ですが、本当に恐ろしいのは、無限に湧きながら、ヤツらは繁殖をするのです」


『ウソ――!?』


「ただでさえ無限に近いヤツらがさらに!?」


「ええ、そしてヤツらは世代を重ね進化します。私の中にある人類史の記憶から、ヤツらを主に三段階にカテゴリーしています」


 スミスは勿体つけるように、自分の中の知識を披露するのだった。

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