第171話 魔族種の王VS人造魔法師篇② 魔王様が手にした友情〜決戦への旅立ち!

 *



「逃亡生活って意外と快適だったのね、知らなかったわ」


 綾瀬川心深は全身を包み込む水の中から顔だけを出してそう呟いた。


「ねえ、寒くないー?」


「いいえ、ほんのり温かいくらいで、ちょうどいいと思うわ」


 現在の心深は入浴中だった。

 とは言っても全裸でお湯に浸かるわけではなく、服も靴も着用したままだ。


 彼女を包み込んでいる水はセレスティアが創り出したものであり、浮力と粘性が強く、まるでゼリーかスライムの中にいるようだった。


 服や表皮に付着した汚れや老廃物を全て越し取り、先程まで感じていた不快感が急速になくなっていくのを感じる。


 心深は最後の仕上げとばかりに、ドボンと水の中に顔を沈め、顔をゴシゴシ、髪も一通り梳いて終わりにするのだった。


「では乾燥させるぞ」


 水球から出た心深をエアリスが指差しただけで、仄かに甘い香りがする風が纏わりついてくる。服の隙間から素肌に直接忍び込んできて、その感触に心深は「んっ」と艶めいた声を上げた。


「終わりだ。すまんな、ブラシのひとつもあればいいのだが」


「髪は手櫛でなんとか。贅沢は言ってられないですよ。ありがとうございましたエアリス先輩――とセレスティアも」


「ああ」


「えへへ」


 現在のタケルたち一行はお尋ね者として潜伏中だった。


 彼らが今いるのは、滅多に人が訪れないことで有名な豊葦原学院高等部の校舎裏に広がる雑木林である。本来なら真っ先に疑われて然るべき場所だが、タケルたちの偽装は完璧だった。


 まず雑木林の一帯に水と風の魔素を薄く張り巡らせ、侵入者があれば即知らせるパッシブな結界を張っている。


 彼らが拠点とする20トン車の周りには水の魔素を鏡のように張り巡らせ、周囲の木々と同化させている。そうして潜伏を始めてからすでに三日が経過していた。


「お父様ー、心深のお風呂終わったよー」


「はいよ。次は――おい、イリーナ逃げるな、おまえの番だろ」


「いや、なんか私、あれ苦手で。っていうかやめてよ、猫みたいに運ばないで!」


 トラックの影からイリーナの襟の後ろを掴んで現れたのはタケルだった。彼の首元には風船のようにアウラがくっついている。


「ねえお父様、心深の全身をくまなく洗ったこの水どうしよっか?」


「……なぜそれを僕に聞く? その辺の木の根っこに撒けばいいんじゃないのか?」


「新たに水を創り出すのも面倒だろう、私の風で浄化しよう」


 直径にすれば2メートルはあろうかという球体状の水が、形を変えて渦を巻き始める。深い藍色に鮮やかな深緑が混ざり合い、解けて一つになっていく。やがて空気が抜けるような音と共に風が抜けていき、キラキラとした輝きを内包した水だけが残った。


「まったく、放っておいたらパソコンばっかりしやがって。たまには目を休ませないとダメだぞ」


「元ニートのあんたには言われたくないわよ、っていい加減下ろして!」


「はいはい。セレスティア?」


「はーい。いつでもいいよー」


「ほっと」


「わっ、バカ!」


 タケルはバスケットのパスボールのようにイリーナを抱えると、球体状の水に向かって放り投げた。表面に触れた途端、水の触手が沸き起こり、イリーナの手足を絡め取って水の中に沈めていく。


「ぎゃあああ! 違うッ、これ絶対お風呂じゃない! 生ぬるい粘液の中に引きずり込まれる非捕食者的なアレな感じがする! いやあっ、服の中に入ってこないでえッ!!」


「アウラ、イリーナがうるさいから泡風呂にしてやって」


「うん」


 タケルの首元からふわっと浮かび上がったアウラが、水の中でジタバタと藻掻くイリーナにどーん、と突撃をかました。少女が水に触れた途端、ボコボコっと気泡が発生し、水球の中をグルグルと駆け巡り始めた。


「うっひゃひゃひゃ! くすぐったいからやめてーッ、なんか普通のお湯でやるよりも体にまとわりついてきてしんどいのぉ!」


 うにゃーっとイリーナはますます暴れ、そんな様を見て「私にはやめてよねあれ」っと心深はタケルに抗議するのだった。



 *



「さて、現状を整理するわよ」


 つやつやテカテカ。

 髪も肌も輝かんばかりにリフレッシュしているのに、ひどく疲れた様子でイリーナは口を開いた。


「私達が潜伏を始めてまる三日。都内全域には各種検問が張り巡らされ、街中にも監視カメラの目があるわ。本来ならとっくにお縄になっていても不思議じゃない、はずなんだけど……」


「いやあ、魔法さまさまだな」


 タケルの言うとおりだった。

 人研からの逃亡の際には20トントラックに風の魔法で光学迷彩を施し、周囲の風景と同化したあと、警察や報道陣の頭の上を、水の魔法で作り出した透明な道路・・・・・を悠々と駆け上り、見事包囲を突破したのだった。


 テレビなどでは、『国際テロリスト、タケル・エンペドクレス逮捕の瞬間!』などと特別番組が放送されたそうだが、内容はスッカスカで、人質になっていたマキ博士が解放される瞬間ばかりが繰り返し放送されているだけだった。ネット上では『犯人いねーじゃん。警察馬鹿なの?』などとクレームが相次いだそうな。


 そうして誰に目撃されることなく、走る先々に水の道路を作り出し、街を縱橫に駆け抜け、無事にこの雑木林までやってきたのだった。ハッキリ言って楽勝だった。


「まあ、それはそれでいいとして、問題は他にあるわ」


「そうね。物資が足りないわね」


 実感を込めて心深が呟いた。

 この雑木林を拠点に決めてからタケルたちは、魔法で姿を隠して街の様子を見に行ったりした。


 正月を目前にしてどこか和やかな雰囲気が立ち込める中、物々しい雰囲気の警察官がそこかしこを巡回しているのだ。買い物をして食料を調達するどころではなかった。


「真っ先に私たちのあぱーとに行ってきたが、そこにもすでに警察の手が回っていた。腹立たしいことに私達の家に土足で上がり込みおって。手打ちにしてやろうかと思ったほどだ!」


 苛立ちしげにエアリスがまくし立てる。

 タケルは「まあまあ」となだめるのだった。


「私が一人で買い物に行ってもいいんだけど、この格好じゃあねえ」


 心深の今の格好は酷いものだった。

 上下とも手術着を着用し、下履きはスリッパという有様だった。

 風と水の結界の中でなければ一発で風邪を引いてしまうような服装だった。


「いい方法があるよ! 私の水で見せかけの服を作れば――」


「却下。それじゃあ裸で出歩くようなものじゃない!」


 心深に突っ込まれ、セレスティアはシュンっと項垂れた。「絶対バレないのに」などと呟くが、本当にそれではストリーキングだった。


「僕やセレスティア、アウラや真希奈はいいとしても、エアリスや心深、イリーナには死活問題だな……」


 20トントラックの荷台には最低限の物資しかなく、後は通信環境とパソコンがあるだけだった。


 少ない食料――ブロック食品ばかりでここ三日、心深とエアリス、そしてイリーナでシェアしあっているのが現状だ。水だけはセレスティアのお陰でまったく不自由はなかったが。


「背に腹は変えられん。緊急事態だ。私が買い出しに行こう」


 エアリスが決然と言うが、即座にイリーナが「待って。それはダメ」と窘める。


「さっきまで警視庁のサーバにアクセスしてたけど、手配書にはタケルと一緒にエアリスちゃんとセレスティアの顔写真もあった。多分、街に出ていったら捕まっちゃうわ」


「おお、ネットサーフィンでもして遊んでるのかと思ったら、そんなことしてたのか!」


 タケルの呑気な突っ込みにイリーナは「あったりまえでしょう!」とブチ切れるのだった。


「そうすると、残りの食料はあとちょっぴりしかないよ?」


 また水飲む? とセレスティアが手のひらの上に水球を創り出す。清廉でスカッと爽やか。エアリスが空気中から二酸化炭素を凝縮させ、水に添加することで炭酸水を創り出すことにも成功している。


 どうやらセレスティアと戦った時に発現した『精霊と一つになる現象』以来、風魔法の制御力がさらに上がり、今まで見えなかったものまで見えるようになったそうだ。


 タケルが「もしかしたらそれは空気中の大気組成そのものが見えているのかも」と酸素や二酸化炭素、窒素などの概念を教え、「なんとなくこれはこうなりそう」というアバウトな感覚だけで炭酸水を作り出してしまったのだった。


 ちなみに『精霊と一つになる現象』について、タケルは『高次元の情報生命』と『有機的に量子結合』したのだと結論づけたが、エアリスは「あれは精霊合体だ」と宣った。


「いやいや、正確性を期すなら」と反論しようとしたところ、珍しく口を開いたアウラが「せいれい、がったい」と呟く。セレスティアも「あれは合体だよー」と脳天気に言った。


 タケルは困り果ててイリーナを見ると「当人たちが言ってるんだからそれでいいんじゃない」と裏切らた気分になるのだった。


 閑話休題。


「さすがに水ばかりでは限界だな」


 おっ母さん的存在であるエアリスが一番現状の食糧事情に憂慮していた。


「昔はこれよりも酷い食事をしていた私だが、一度贅沢を知ってしまうとそれに戻ることは酷く耐え難い苦痛なのだと知った。いやさそれよりも、主であるタケルを放っておいて私ばかりが食事をする現状に我慢がならない――!」


 拳を握りしめ力説する。アウラがパチパチと紅葉のような小さな手で拍手をした。セレスティアも一緒になって拍手をしている。イリーナにベシっと肩を叩かれて、タケルは頭を掻いた。正直ちょっとこそばゆいのだった。


「というわけで私は犯罪に手を染めようと思う!」


「おいちょっとマテ! 僕の感動を返せ!」


「何を言う、仕方がないではないか! ちょっと人里に降りていってすーぱーで食料をカゴに満載し、会計を通さずに逃げ出すだけだ。ああ、カゴは一つでは足りないな。最低三つに、水とすぐに食べられるもの、保存が効くものを入れなければ――」


「おまえにそんなことさせるくらいだったら僕はずっと飲まず食わずでいいぞ!」


「それが良くないと言っているのだ。貴様とて、いかな不死身とはいえ、定期的な食事は精神安定にかかせないと言っていたではないか! 今のその狼狽した様子、既に空腹感で追い詰められているのではないか!?」


「そんなわけあるか、今のおまえの暴走ぶりにくらべれば、空腹感くらい大した問題じゃない。食料はまだ数日は持つ。その間に他の解決策を模索すればいい!」


「結局早いか遅いかだけの違いだ。食料が尽きてからやるか、今すぐやるかだけだろう。なら私は今すぐ行くぞ――!」


「この――エアリスの分からず屋!」


「タケルの頑固者!」


 顔を突き合わせて「ギギギギ!」「うぬぅ〜!」と睨み合う。

 そんなふたりにビビったアウラとセレスティアはお互いに抱き合いながらアワアワしていた。イリーナは完全に観戦モードで「犬も喰わないわ」と吐き捨てている。


 そして――


「もしもし、そう私。ああ、ごめんごめん。大したことじゃないのよ。大丈夫、私は無事だから。それで悪いんだけどさ、なんにも聞かないで今から校舎裏の雑木林まで来てくれないかな。うん、そう、実はちょっと今季節外れのキャンプみたいなことしてて、食料が足りないんだ。うん、お金はあとで払うから。あと、女物の下着と服一式、靴もお願い。安いのでいいから。食料は持てるだけ買ってきてくれる? 飲み物とお惣菜と、なんか保存が効きそうなの。うん、大丈夫、着いたらまた連絡ちょうだい。じゃあ、ありがとうね――」


 ピッと通話終了ボタンを押し、心深が「ふう」と息をつく。

 その場の全員が目を丸くして見つめていた。


「こ、心深さん、どちらに電話をしていたのですか?」


のぞみのところ。あんたらが窃盗まがいのことをするしないで大騒ぎしてるから、友達を召喚することにしたわ」


「いや、僕たちは今逃亡中で、第三者に居場所まで教えるって正気かおまえ!?」


「何よ、最悪からしたらまだマシな手でしょう。多分ドンケツから三番目くらいの手段だと思うけど。盗みや窃盗が嫌だっていうなら、もう協力者に頼るしかないじゃない。あんたもあの三馬鹿に電話してみたら?」


「あ……。連絡先、知らない」


「バカなの? あんたなんのために学校に通ってたのよ。学校なんて友達作るためにいくとこじゃない。エアリス先輩は?」


「わ、私は、タケル以外の男には興味がなかったので……」


「じゃあ女子の友達は?」


「……いない」


「どっちもどっちね。あんたらふたりに私を非難する資格ないわよ。似たもの同士のおバカさんたち」


「ぐッ――」


「似たもの同士」


 タケルは二の句が告げず「ぐうう」と唸るのみだ。

 エアリスは心深の言葉が琴線に触れたらしく顔を赤くしてモジモジしていた。


「ふわあ、心深カッコイイ。ね?」


「うん」


 水と風の精霊ふたりは頷きあうのだった。



 *



「お父様」


「タケル」


 心深の友達召喚から二時間が過ぎた頃、セレスティアとエアリスが同時にタケルを呼んだ。どうやら彼女たちの結界に侵入者があったようだ。


「制服を着た女子がふたり……まて、他にもいるぞ」


「五人いるね」


「五人だって!?」


 心深が電話をしたのはひとり、朝倉希だけだ。だが同じく親友である支倉夢に連絡が行くことは想像がつく。では残りの三人は一体誰だろう。


「その三人まで予想ができないからあんたはまだまだダメニートなのよ」


 心深は「ふふん」とどこか嬉しげにタケルを小馬鹿にする。だが本当に残りの三人に思い当たるフシがないタケルは、またしても「ぐう、悪かったな」と唸ることしかできないのだった。


「エアリス、セレスティア、結界の中に全員入れてくれ」


 タケルの命令で20トン車を背にする全員の眼前、5メートルほどの距離を置いた場所に突如として豊葦原の制服を着た生徒たちが現れる。


 最前列には心深の親友、朝倉希と支倉夢。そして――


「おお、突然景色が――ってセンセ!」


「おっす、生きてたか!」


「星崎くんと針生くん!?」


「俺もいるぞ」


「甘粕くんまでどうして!?」


「そりゃあ、買えるだけ食料買ってきてくれって、私と夢だけだったら持ちきれるわけないでしょーが!」


 やっほ、と気楽な調子でタケルの疑問に答えたのは希だった。


「久しぶり、成華くん。あ、眼鏡はもうしてないんだね。髪もカツラだったの? そっちの方が断然いいよ〜」


 ポワポワとした喋り方。こちらは夢だった。


「ふたりともマジでありがと」


「心深ぃ、あんたお母さんに連絡くらいしなよ! 毎日うちと夢のところに電話がかかってきて大変なんだから!」


「そうだよ〜、もう捜索願も出されてて、私達も探すの手伝ったんだから〜」


「う。それは、本当にごめん。一応後で電話しておく」


 タケルとエアリスを叱っていた心深も、無断外泊で何日も家に帰ってない事実を出されれば謝るしかない。特に母が心配のあまり迷惑をかけていることには頭が上がらないようだった。


 そうこうしているうちに、「おおおッ!」と雄たけびが聞こえた。


「お嬢さん、わい……僕は星崎一平、乙女座の16歳! ぜぜぜ是非お名前を――!」


「いやーん、コイツこわーい! お父様助けてー!」


 星崎センサーに引っかかったのは誰であろうセレスティアだった。

 正直言って中身の精神年齢はともかく、見た目はエアリスよりも大人なので彼の好みにはドストライクなのだった。


 そんなセレスティアはタケルの元まで駆け寄ると、ささっと背中に隠れる。

 だが、タケルより頭ひとつ分も背が高いセレスティアでは隠れるというより抱きついていると言ったほうが正確だ。エアリスだけでは飽き足らず、金髪美女にまで縋りつかれ、もう星崎は爆発するしかなかった。


「お父様やてッッ!? ちょいセンセ、どういうこと!? そういうプレイなん!? こんなゴージャス極まりない金髪美女にお父様言われるって一体どんだけ大金積めば叶うドリームなんですかー!?」


「いやいやいや、これには複雑怪奇な事情があるんだけど――」


 どう説明したものかタケルが頭を抱えていると、今度はイリーナの悲鳴が聞こえてきた。


「アウラさんと一緒にいるキミ、是非名前を押して欲しい。俺の名前は甘粕士郎。近所の幼稚園ではボランティアのお兄さんとして名を馳せているナイスなガイだ。キミはもしやロシア系かな。薄く乗ったソバカスがチャーミングだね!」


「ひいいい、こいつの目、超怖いぃ!」


「ぬうう、甘粕、貴様! アウラのみならずイーニャにも手を出そうというのか!」


「手など出さない! 至近距離に置いて触らずに眺めるだけだ! だがそうか、イーニャという名前なのだな。やっぱりロシア系だ。それはそうとエアリス先輩、あなたはやはり俺の愛を阻む障害のようだな――!」


「愛? 愛だと!? 邪を体現したような貴様など、このふたりには指一本触れさせない!」


「だから触れずに愛でるだけだと何度言えば――!」


 わいわいわい、ギャアギャアギャア。

 結界内部に招待してから僅か数十秒でこの有様である。


「いやー、こないでー!」


「なになに、なんか初々しいですねお姉さん、いい意味で無邪気というか。あ、まってーなっ!」


「イーニャちゃん、今度お菓子をいっぱい買ってあげるから俺とお茶しないか?」


「やめよ、貴様のその汚穢な視線でふたりを汚すでない! 殺すぞ!?」


 もうシッチャカメッチャカ。誰がこの収集をつけるというのか。


「いや俺しかいねえだろ。すまん、ちょっと待っててくれ」


 そう言いながら喧嘩空手有段者の針生は、親友を諌めるべく、妙に手慣れた様子で拳を振り上げるのだった。



 *



「すまん、新たな幼女との邂逅に興奮してしまった」


「わいも、ホンマにごめんね、セレスティアちゃん」


 地面に土下座だった。

 まるでこれから斬首でも行うよう、全員に冷たい目で見下され、流石の甘粕と星崎も反省するのだった。


「そ、それよりも聞きたいことがあるんだけど……」


 希と夢+三馬鹿を受け入れて大所帯となった一同。

 口火を切ったのはタケルだった。


「今の僕の状況はみんなも知っての通りだと思う。それなのにどうして――」


 相も変わらず、学校にいたときと同じように接してくれるのか。

 タケルが一番に疑問に思ってるのがそのことだった。


 季節外れの留学生が実は国際テロリストだった。

 テレビ、新聞、ネットでもあることないこと散々に叩かれ、実はこんな年の瀬なのに、学校の正門前にはかなりの数の報道陣が詰めかけている。


 レポーターなどはカメラに向かって『御覧ください、こちらがタケル・エンペドクレスが生徒として潜伏していた高校です!』とツバを飛ばしまくっている。どこから入手したのか、一年生のクラス名簿から各家庭には取材申し込みの電話が殺到しているという。


 だというのに――


「いや、俺達もまさかなあとは思ったんだがよ、甘粕のやつがな――」


「秋葉原のあの事件が起こった時、センセがなんやごっつ戦ってるのは知っとたんやけどね、甘粕っちが――」


「あれは時系列を正確に追っていけば、おまえが主犯格とするには矛盾が多すぎる。割りとその辺を突っ込んでいるのはネット界隈には多いぞ」


 地面に正座したままえっへんと腕を組む甘粕。

 それに希と夢も続いた。


「成華くんってばカラオケの時、心深と二人でいなくなったでしょう。怪しいなあとは思ってたんだけど、そのあとこの三人と仲良くなってアドレス交換してさ」


「そう、私もテレビで見てから三人に相談したの。そうしたら甘粕くんが違うよ〜って教えてくれて。ああ、やっぱりな〜って」


「みんな……!」


 タケルは本気で感動していた。

 敵が罠を張り、タケルを陥れようとしている。

 自分が行うべきはセーレスを救うことだけ。

 今更タケルの社会的立場が失墜しようとも関係はない。


 ――そうは思っていても、こうして少なからず信じて否定してくれる友達がいるという事実は、タケルにとっては意外なことであり、とても嬉しい誤算だった。


「秋葉原では、そこの金髪女性が先に襲い掛かってきた。俺にはそう見えた。違うか?」


 相も変わらず種割れ、というか鋭い勘と観察眼を持つ男だと、甘粕に対してタケルは舌を巻く。ホントに彼の趣味さえなければ他の女子が放っておかないだろうに。


「ありがとう、信じてくれて。僕は確かにテロリストなんかじゃない。この子、セレスティアとは、ようやく逢うことができた、僕の娘――みたいな女の子なんだ」


 未だに星崎の視線が怖いのか、セレスティアはタケルの腕に縋り付き、涙目になっている。最初は「羨ましいなあセンセ」と言っていた本人も何やら複雑そうな事情に首を捻っていた。


「一体どういうことなんだ。おまえが只者じゃないのは俺が肌身で一番感じていることだ。でも、全国に指名手配されるほどの大事おおごとになってるのはどうしてなんだ?」


「それは――」


 針生の言葉を受けて全員がタケルに注目する。

 これは100%タケルだけの事情だ。

 なんの関係もない彼らを巻き込んではいけない。

 そんな思いがタケルを躊躇わせる。


「話せばいいじゃない全部。そいつらのこと、あんたが本当に友達だと思ってるなら、ちゃんと受け止めてくれるわよ」


 よいしょっとトラックの荷台から現れたのは心深だった。

 希たちが持ってきてくれた彼女らの洋服――カッターシャツにジーンズと冬物のブーツ。上からはダッフルコートを着ている。


 手に持っていたペットボトルが放り投げられ、タケルがそれをキャッチする。

 長話になるだろうという配慮か。


「……実はさ、僕ってば人間じゃないんだ――」


 見ず知らずの異世界で目覚めてから始まる、己が身に降り掛かった摩訶不思議な物語をタケルは友人たちに披露し始めるのだった。



 *



「魔法って」


「精霊〜?」


「やはりアウラさんの神々しさは……」


「くそ、不死身じゃ勝てねえわけだ」


「マジなん? ホンマのことなん? ゲームやんまるっきり」


 星崎が言ったセリフはまるで反論のしようもない。

 タケル自身ですら最初はそう思っていたほどだ。


「それやったら、エアリス先輩も精霊ちゅうやつなん?」


「私は精霊の加護を受けた魔人族――タケルと同じく魔族種である」


「私は水の精霊だもん!」


 セレスティアが金髪の一部を藍色の蛇に変化させる。すると何故かその蛇は星崎に向かってシャーっと威嚇をするのだった。


「ひぃぃごめんなさい、堪忍してぇ!」


「やめなさいセレスティア。アウラを連れてみんなが持ってきてくれたごはんを食べてなさい。ちゃんと『いただきます』してな」


「はーい。いこ、アウラ」


「ごはん……」


 タケルの首元からふわりと浮かび上がったアウラは、セレスティアが変化させた蛇をツンツン&シャーなどとやりがら、20トン車の荷台へ消えていく。そんな二人のやりとりを、クラスメイト五人は穴が空くほど見つめるのだった。


「今まで騙しててごめん、僕は――」


 仕方がなかったとはいえ、同級生たちを謀ることになってしまった。

 そのことに対してタケルが真摯に謝罪をしようとすると、それより先に甘粕が叫んだ。


「俺の目に狂いはなかった! やはりアウラさんの美しさは特別だったのだ!」


「なあ、ならあの時の勝負って無効か? 人間に負けたと思って落ち込んだんだが、急に自信が戻ってきたぞ。ああ、でも人間の範疇で強くってもなんだかなあ……」


「僕はぁ構わへん! エアリス先輩が何もんやろうと全然気にせえへんよッ!」


 確信を得るもの、やっぱり落ち込むもの、全くブレないもの。

 三馬鹿の三様を見て取り、タケルは一瞬ポカンとなってしまう。


「えっと、いいのマジで、三人とも……?」


 それで良いのか、とタケルが眉をひそめていると、希と夢も同調した。


「魔法だって! 精霊だって! ホントにあるんだねそういうの! ウハー、テンションあがる! なあ、夢!」


「実は私、心深ちゃんが声優してた魔法少女の変身グッツ買ってたの〜。ひとりでこっそり遊んだりしてたんだ〜。いいよねえ、魔法って〜!」


 エアリスも腕を組み、難しい顔をしていたと思いきや、希と夢の言葉に目が点になっていた。彼女をしても、彼女らのリアクションは意外なものだったようだ。


「――ぷっ。まあこんなもんよ、現代の高校生にとってみたら、あんたの抱えてた問題なんてゲームやアニメの延長線上のことなのよ」


 心深の指摘を受けて、タケルは一気に肩の力が抜けてしまった。

 ああ、今時の高校生ってこんなにあっさりしてるんだなあ、と自分も元高校生なのに妙に感慨に耽ってしまうのだった。



 *



『タケル様、大変です!』


 タケルが抱える事情を五人に打ち明けたあとは、ちょっとした宴会の様相になった。タケルとセレスティア、そしてアウラからすればまる三日ぶりの食事である。


 タケルとエアリスはおにぎりを、アウラはチョココロネの菓子パンを、セレスティアはお菓子ばかりをモギュモギュと頬張っている。


「あー、アイスも食べたかったなあ」とセレスティアが漏らせば、すかさず星崎が食いつく。


「セレスティアちゃん、アイス好きなん? ええよ、アイスクリームのごっつ美味しい専門店に連れてったるよ!」


 セレスティアはキョトンとしたあと、うーっと唇を尖らせ、スススっとタケルの後ろに隠れる。肩越しに思いっきり警戒しながら、「お父様と一緒なら行く……かも」と呟き、「それでもええ、全然かまへんよ!」と星崎は涙を流して喜んだとかないとか。


 全員が一通り食べ物を腹に収め、人心地ついた時だった。

 タケルが胸からぶら下げたスマホ――今までずっと沈黙していた真希奈が素っ頓狂な声を上げた。


「おお、今まで何してたんだ真希奈?」


「だーかーらー、私がしてた作業を真希奈ちゃんが引き継いでくれてたんでしょうが!」


 友達と一緒にいるからか、どこか幼くさえ見えるようになったタケルを、すかさずイリーナが叱りつける。


「してたこと。なんだっけ? ハッキング?」


「情報収集!」


 おお、彼女はそんな特技が……と甘粕が感心する中、尚もタケルのスマホが緊急を告げる。


『タケル様、タケル様、急ぎこの画像を御覧ください!』


「画像って――――これ、まさか!?」


 スマホに真希奈が転送した画像。それを後ろから覗き込み、セレスティアが大声を上げた。


「お母様ッ!?」


 そこに映っていたのは小さな小さな少女の写真だった。

 解像度が低く、細部はボケているが、金髪に裸体を晒した少女が、藍色で満たされたカプセルの中、閉じ込められいてるのがわかる。


 背景はどこかの施設の屋上と思われる場所で、その後ろには巨大なサイロと広大な運河が見て取れる。


「今しがたネットに流れ始めた画像みたいね。出元は解析してみるけど無駄かも……」


 トラックの荷台からノートPCを引っ張り出してきたイリーナは片手で器用に高速タイプしながら画像の流出元を探そうとする。


『画像を詳細に解析しました。セレスティアの身体的特徴から、特定の人物を照会――99.75%の確率でアリスト=セレス本人であると思われます』


 なんだなんだ、どうしたどうした、とクラスメイトたちがタケルの手元やイリーナのパソコンを覗き込んでくる。「おいこれって……」「セレスティアちゃん?」「幼女の扱いがなってないな」などと口にする中――


「タケル……」


 傷ましげなエアリスの呼びかけにタケルが目を剥いた。

 画像の右下にはたった一言だけ、文字が書かれている。

『Come Alone』――ひとりで来いと。

 紛れもなく、これは挑戦状だった。


「真希奈、画像の背景から場所を特定できるか?」


『お待ち下さい、これは明らかに罠です!』


「わかってる。だが行くしかない」


『ですが――』


「真希奈」


 止めたのはエアリスだった。

 スマホにそっと手を添え、まるで真希奈を諌めるように。

 静かに首を振りながら「行かせてやってくれ」と呟くのだった。



 *



 そして旅立ちのときがやってくる。


「なんだか初めて会ったときを思い出すわね」


 イリーナがそういう通り、タケルが身にまとうのは、彼女と初めて邂逅したときに着ていた戦装束だった。


 耐弾耐熱に防刃使用の黒衣と、たてがみを思わせる頭部はアラミド繊維を束ねたものだ。顔を覆い隠すのは鬼面を模した面頬めんほう半首はっぷりである。


 トラックの荷台からそのような姿で現れたタケルに、クラスメイトたちは一斉に写メを撮り始める。彼らからすればこれもコスプレの一種として写るのかもしれない。


「ああ、そうだな。あれからまだ三ヶ月も経ってないんだよな」


 世界が静止しかけたあの日。

 冬の森に閉ざされたお城で死にかけていた少女。

 それが今や、くびきから解き放たれて、自分に協力をしてくれている。


「色々とありがとう、イーニャ・・・・。多分これが最後になるだろう」


「そんなわけないでしょ。変なフラグ立てていくんじゃないわよ。あんたはちゃんと帰ってくる。いいわね?」


「ああ。そうだな」


 握手はしない。

 これが最後であるはずがないから。

 その代わりとばかりに、イリーナはタケルの尻を景気良く引っ叩くのだった。


「あの子を助けに行くのか?」


 甘粕の問いにタケルは頷く。

 そのために自分は死の運命を跳ね除け、地球へとやってきたのだ。


「妙に様になってるな。すっげえ強そうだ」


 針生が突き出した拳に軽く拳を合わせる。

 鬼面の奥でタケルは笑った。


「僕らには詳しいことはわからんけど、多分センセの方が正しいと思うよ」


 したいことしたらええんちゃう? と気楽に言われ手が差し出される。

 その言葉がありがたくて、タケルはしっかとその手を握り返した。


「みんな、聞いてくれ。僕はこれから、本当の意味でテロリストになると思う。それでも、僕はあの子を――セーレスを取り戻したい。どうしようもない男だった僕を、最初に助けてくれた彼女を救い出す。だからもし、僕の存在が邪魔になったら」


 忘れてくれて構わない。

 迷惑なるならテロリストとして切り捨ててくれて構わない。


「そんなことないよ。私らも伊達に普段からネットしてないって。お父さんとかお母さんとかの方が、テレビとか新聞で間違った知識持っちゃって、私なんかがそれ違うよーって教えること、よくあるもん」


「私はどっちにも疎いけど、心深ちゃんや希ちゃん、お友達が信じてることなら、大丈夫かなあって思うもん。だから成華くんのことも信じられるよ〜」


「ありがとう朝倉さん、支倉さん」


 まさかこんな時が来ようとは。

 自分は最後の戦いであってもきっと孤独だと思っていた。

 だがまさか友に激励され、笑って送り出されるときが来ようなど。

 本当に夢にも思っていなかった。


 タケルが皆から離れる。

 全員の視線を背中に受けながら、共に戦う相棒へと声をかける。


「真希奈、すまないがよろしく頼む」


『――真希奈はある意味、この時のために創られたと言っても過言ではありません。恋敵が増えるのは如何ともしがたいですが、乳デカ女への牽制にはなるはずです。というわけでさっさとアリスト=セレスさんを取り戻しましょう』


「ああ――!」


 ドクンッ、と拍動が結界内の空間を叩く。

 虚空心臓から生み出された魔力と意志力で、周辺に存在するエアリスやセレスティアの支配下にあった魔素を拝借する。


 風が、タケルの全身を包み込み、その身体をフワリと持ち上げる。

「おおお〜!」っという歓声。友人たちに振り向きながらタケルは軽い調子で出立を告げた。


「行ってくる」


 ボッっと真下の地面がえぐれ、次の瞬間にはタケルの姿は遥か空の高みにあった。

 結界を出た途端、冬の冷たい空気が肌身に突き刺さる。

 それをものともせず、タケルはさらにさらにさらに上昇を続ける。


『画像の背景から推測される地点――アメリカ合衆国ペンシルベニア州、スリーマイル島へと向かいます。現在のタケル様の回復度合いは約六割程度。ビートサイクル・レベルも6〜7が限界です。魔力を節約しつつ飛行を続けます』


「諒解した」


『高度1300メートル。水平飛行へ移行します。カウントダウン5――4、3、2、1、発進!』


 円錐形に展開された防風殻シェル・プルーフが空気を切り裂き、タケルの下、豊葦原の街並みが一瞬で遠ざかっていく。


 自分が住んでいた街。友達が住んでいる街。

 それらを目に焼き付け、タケルは前を見据える。


 脳裏に過ぎるのは幼く変質してしまったセーレスの姿。

 そして彼女を利用し、自分を誘い出そうとするあの男。

 オッドアイこと――アダム・スミス。


 真希奈言ったとおり、罠である可能性が高い。

 秋葉原事件の犯人とされる自分を引きずり出し、再び悪者にされてしまうだろう。

 だが――


 正しいと思うよ、と。


 友がくれた言葉が背中を押してくれる。

 今はただ、自分の中にある正しさだけを信じて征く。

 例え世界を敵に回しても、愛するものを取り戻すために。

 タケル・エンペドクレスは戦うのだ。



 *



「行ったな……本当に」


「目の前で実際に見ると信じられねえなあ」


「センセ、ファイトやで!」


 首が痛くなるほど空を見上げて、三馬鹿はタケルを見送った。

 そしてそれと入れ替わるように、トラックの反対側から心深が帰ってきた。


「心深ちゃん、成華くん行っちゃったよ〜」


「ああ、うん。ちょっとお母さんに電話してた……」


「はは、メチャクチャ怒られただろ!」


「まあね、まだ帰れないって言ったら雷が落ちたわ」


 ええ? っと希と夢は顔を見合わせる。

 まだ帰れないとは……?


「先輩たちも、このままじゃ終わらないんでしょう?」


「無論だ。私達は私達で動く。いいなセレスティア?」


「当然! 私だってお母様を取り戻すために戦うもん!」


 エイ、オーと拳を突き出すセレスティア。エアリスはイリーナの元に跪き頭を垂れた。


「というわけだイーニャ、すまないがそなたの力を貸してくれ」


「もちろん。タケルだけじゃ不安だからしょうがないよね!」


 ガシッと握手をしながら、エアリスは立ち上がった。


「貴様はどうするのだ、心深?」


「私は戦闘屋じゃない。でも自分のやれることをやるだけよ。――他の女を助けに行く手助けなんてすごく癪に触るけど」


「それは言わぬが花だな」


「なんだ、先輩も澄ました顔して、やっぱり不安なんだ?」


「当たり前だ。一時期はもっと酷かったが、アウラをあの者との間に挟むことで、上手く距離感が掴めた。そうでなければ貴様のように嫉妬に狂っていただろうよ」


「うへえ、そういう逆襲は勘弁してください……」


 なになに、どういうこと? と目をキラキラさせた希と夢が面倒くさい。

 とにかく、タケルとは別のところで、闘志を燃やす女性が四人――


「がん、ばる」


 訂正。五人。

 元ニートは、決して孤独ではなかった。

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