第168話 人理に背きしもの篇⑤ 新旧人外頭領対決再び〜個の極限VS群体の頂点

 *



 12月26日 深夜00時40分

【新宿御苑地下・御堂別邸】


「なんという――」


 御堂百理は戦慄とともに息を吐き出した。

 壁掛けテレビ画面の中、音割れ必至の大歓声が続いている。

 現在、遠く海を隔てた地球の裏側で行われている重要法案の演説をライブで視聴していたのだ。


「この男がタケル様の敵――!」


 それはここ三ヶ月あまり。

 御堂財閥が追っていた男の正体でもあった。


 左右で異なる虹彩の瞳。

 長身にくすんだ金髪。

 特徴的な容姿をしていながらも、ようとして行方がわからなかった男。


 御堂の長として知らないものはないと、自分に探せない人間はいないと自負していた。だがタケルから調査を依頼されても男の影さえ掴むことができなかった。


 いや、正確には影は掴まされていた。

 おそらくアダム・スミス側が意図して流した情報につられ、何度か空振りを繰り返した。


 敵はしたたか。それでいて大胆。

 そのような印象を受けていた百理は、自分の予想が正しかったことを今知った。


 そしてアメリカとロシアという大国の大統領と肩を並べるほどの男を前にして、完全に自分が出し抜かれたことを痛感した。


 そんな御堂百理を手球に取った男が今、小さな画面の中で、人々から賞賛されている。この世界に舞い降りた本物の英雄であると、讃えられていた。


 もし、タケルと知り合わなかったら。

 彼の事情を知らず、魔法の存在も知らず、自分の部屋のブラウン管テレビでこれを見ていたのなら、百里もまたあの聴衆の中のひとりとなって拍手を贈っていただろう。


 だが、彼女は今監禁されていた。

 今自分がいるのは、御堂が所有する幽閉場。

 人外の者を囚えて逃がさない牢獄だった。


 正面の格子には霊力を散逸させる符が親の敵のように張り巡らされ、それ以外は天井も床も分厚いコンクリートで囲まれている。


 牢の内部は六畳ほどの大きさがあり、冷たい床に畳が一枚敷かれているのみ。その上にはせめてもの気遣いなのか、ふかふかの座布団が置かれており、百理はその上にチョコンと行儀よく正座をしていた。


 彼女はクリスマス・イブの夜、財界人が出席する謝恩会に出席せねばならず、その帰り、突如として黒服の男たちに取り囲まれた。見知らぬものたちではない。彼らは皆、御堂のお庭番の者たちだ。ただし、指揮系統が違った。


 戦うことは適わなかった。なぜなら百理を世話してくれている女中が人質になっていた。車で百理の帰りを待ってくれていた彼女は、まったく状況がわからないようで、目を丸くしてキョロキョロとするばかりだった。


 女中である彼女は人間である。決して自分たちの闇の世界に巻き込んではいけない。百理もまた自分は御堂親族の子女という偽りの身分を貫いている。


 だが、本来は百理こそが御堂であり、そんな彼女に御堂の御庭番をけしかけられるものなど、たったひとりしかいないのだった。


 不意に格子の向こうに気配が生まれ、百理はハッと顔を上げた。


「お母様――!」


 老木が音もなく佇んでいた。

 御堂命理。

 齢400歳にして百理の前に御堂を束ねていた元人外頭領である。


 百理は命理と話し合い、御堂を表の世界でも日の本の発展に寄与させる組織へと変革させた。そして、命理は未だに百理以上の影響力を影に日向にもたらしている。


 そんな母が静かに口を開いた。


「どうだいその男、アダム・スミスは。おまえさんはヤツをどう見る……?」


 細身で長身。くすんだ金髪とオッドアイ。

 そして今や英雄と讃えられる男。

 だが百理は僅かな逡巡もなく言い放った。


「この男はタケル様の敵です!」


「敵か。まあ確かに、成華タケルからしたら想い人を攫った憎い男だろう。だがね、御堂はこの男の側につくことにしたよ」


「なッ――!?」


 半ば予想していた答えではあるが、改めて実母から聞くと衝撃は決して小さくなかった。百理は決然と眦を釣り上げて母を睨み据えた。


「そんなことは許しません。今代の御堂はこの私です。すべての決定は私が執り行います。お母様は引っ込んでてください――!」


「ほほ、言うじゃないか。だがね、娘が明らかに大局を見誤りそうなときには手を差し伸べるのもまた母の務めさね」


「私が間違っているとおっしゃるのですか……?」


「ああ、そうさ。おまえさんはまだまだ未熟だ。子供の火遊びで済むうちは放っておいてもいいが、これ以上はケツを引っ叩いてでも正気に返してやらなきゃね」


「そうして、カーネーショングループをもスケープゴートにしたのですかッ!?」


 今やカーネーションは日本中の憎悪の対象だ。

 秋葉原の事件を起こしたテロリスト、タケル・エンペドクレスを日本に手引きしていたとして、会長であるカーミラは逮捕されてしまっていた。


 そして、まだそのようなことにはなっていないが、AAT法案の発動を切っ掛けに、タケルの悪名と併せて彼女の名前も広まっていくはずである。そうすればカーネーションブランドは地に落ちる。世界中に支店を持つカーネーションの店舗は、恐らく暴徒によって焼き討ちに遭うことだろう。


「カーミラ・カーネーション・フォマルハウト――彼女は無事なのですか?」


「おやおや、恋敵の心配かい?」


「こ、恋敵などではありません!」


 ムキになって否定する百理に、ヒャハっと命理は欠けた歯の隙間から声を漏らした。


「まあ安心おしよ。今のところは無事さ。あの眷属の執事には逃げられちまったようだが、吸血鬼女はおまえさんと同じように閉じ込めてあるよ。捕まるときも堂々としたもんさね。あっさり投降したよ」


 吸血鬼としての彼女ならいくらでも逃げおおせることができるはずだ。だが経営者として、カーネーションを束ねる表の彼女は逃げも隠れもできなかったのだろう。


「まさか、彼女の社員たちを人質に使ったのですか!?」


「人聞きの悪いことをお云いじゃないよ。まあ、ちぃとばっかし大人数で押しかけて、何人かは拘束して見せたけどね」


「我が母ながらなんと卑劣な……!」


「効率的といいな。別に怪我だってさせちゃいないんだ。無駄がなくて結構さね」


 ヒャッヒャッヒャ、と命理は嫌らしい声で嗤った。


 おぞましい。長い付き合いではあるが、自分はこの母のことをどれだけ知っているのか。


 百理が人外化生改方じんがいけしょうあらためかたとして頭角を現してから、この母はさっさと現役を引退してしまった。


 以降は俗物的な性格を発揮し、長い余生を謳歌している。たまに仕事に口をだすこともあるが、基本的には百理の意見を尊重してくれる。ここまで対立することなど初めてのことだった。


「おやおや、へそを曲げちまったか。そんなにこの母の決断が気に入らなかったかい?」


「当たり前です、今すぐ私をここから出してください」


「それで、こっから出て、おまえさんはどうするつもりだい?」


「もちろん、不当に貶められているタケル様の名誉を回復します。あの吸血鬼女も、私の個人的な感情とは別のところで、冤罪を晴らすつもりです」


「はは、やれやれ。話にならないね。やっぱりおまえさんはそこで頭を冷やしてな。すべてが終わるまでずっとね……」


 命理はシワだらけで凹んだ眼窩の奥から憐憫の目を娘に向けた。

 聞き分けのない子どもに、怒りを通り越して哀れみすら催しているようだった。


 百理は怒りで顔が真っ青になっていた。

 そしてゆらりと身を乗り出しながら「お母様、あなたというひとは……」と格子越しに命理を睨みつけるのだった。


 そんな娘の感情を受け止めながら、命理はふと天井を見上げる。

 そして独白のようにポツリと呟いた。


「あんたは成華タケルに未来を賭けた。あたしも同じさ。自分の信じた男に未来を託す。ただそれだけのことだよ」


「信じた男……あの、アダム・スミスがそうなのですか?」


「そうさ。あれはなかなか怪しい男ではあるが、実はもう100年以上の付き合いでね。昨日今日現れた成華タケルよりかは信用できる」


「お母様はタケル様の何が信用できないというのですか!?」


「何もかも全てさ。いくら大きな力を持っていても所詮ガキはガキ。お前さんは日本以外の全ての世界をも救済しなければならないと言ったね? ならばこそ、あたしと同じくアダム・スミスを支持するべきだ」


「どうして――あの男は、お母様が昔から知っている人外の徒なのかもしれませんが、あのようなどこの出自とも知れない男を信用するなど――」


「人間だよ」


「は?」


 一瞬、母の言っていることが理解できなかった。

 百理は正気を疑うかのような視線を母に向ける。

 命理は眉間に切り傷のようなシワを刻み、真っ直ぐ娘を見返した。


「アダム・スミスは人間さ。正真正銘のね」


「なにを馬鹿な……、100年来の付き合いだと先程――」


「あの男は『神』に選ばれた男なのさ。選ばれた瞬間から歳を取らなくなったそうだよ。だが、それだけだ。中身はほとんど普通の人間と変わらない」


 ただの人間にどれだけのことができるというのか。それならばタケルの方がよほど、強い力を持っているというのに……。


「どれだけのことができるかだって? なんのためにわざわざ牢獄の中にテレビをつけてやったと思っているんだ。おまえさんも見ていただろうあの会見の一部始終を。米露の同盟関係を構築し、世界中の民衆を味方につけ、そしてあんなロボット兵器まで作り上げた。どれかひとつでも、おまえさんが支持する成華タケルにできたかい?」


「そ、それは……!」


 わかっている。これは母の誘導だ。すり替えの理論だ。

 それとこれとは別の話なのに、同じ土俵で敢えて比較させることでタケルを貶めようとしているのだ。


 だが命理は畳み掛ける。

 気持ちを落ち着ける暇など与えないとでも言うように。


「なあおまえさん、おまえさんは一体どれだけ成華タケルのことを知っているんだい? ポッと現れた異界の者を、本当に心から信じられると思うのかい?」


「あ、当たり前ではないですか。だからこそ私は『賢者の石』をもタケル様に託すことができたのです」


 百理はそう訴えるが、命理は「今更あんな石礫どうでもいい」と一蹴した。


「確かに成華タケルは元々こっちの世界の人間だったのかもしれない。だがヤツの力の源は別の世界のものだ。ヤツはきっと、自分の目的を果たしたら向こうの世界に帰っちまうよ。きっとそうさ。今時の若いのと一緒だね。地球がこれから先どうなろうと関係ない、自分のことだけが一番大事なんだろうからねえ」


「そんな、そんなことは――タケル様はそんな薄情な方ではありません! 私達が助けを求めればいくらでも――」


「どうしてそんなことが言えるんだい? あれかい、おまえさん、成華タケルとは寝たのかい?」


「はい――?」


 百理は、ポカンと口を開けてしまった。

 母の言葉を反芻し、でもやっぱり信じられないと聞き返す。


「なん、ですって? 一体、なんの話を……」


「――っち。大事なことなんだからすっとぼけてないで真面目に答えなよ! あんたは成華タケルの金玉を咥え込んだのかいって聞いてるんだッ!!」


 母のあまりの剣幕に引いたのも僅か、次の瞬間百理は真っ赤になって否定した。


「し、していません! と、唐突に何故そのような下劣なことを――!」


「下劣だろうが何だろうが、使えるものは何でも使うんだろうが。なんだい、案の定まだだったのかい。やれやれ、ガッカリだね。まさかおまえさんまでそこまでガキだったとは……」


 はあぁぁぁと、地の底に沈んでいきそうなほどのため息。

 命理は侮蔑も顕に自分の娘を見た。

 顔のシワが蜘蛛の巣のように放射状に広がっている。

 まるで憤怒の化身にでもなったような――そんな恐ろしい面相だった。


 百理は真っ赤になりながらも、「わ、私がタケル様に身体を許していなかったからなんだというのですか?」と問い返す。命理は吐き捨てるように言った。


「成華タケルにとって、おまえなんぞ路傍の石ころと同じだよ」


「――ッッ!?」


 百理は絶句した。

 あまりの言葉に固まってしまった。


 人外頭領として、御堂の会長として、そして女としてのプライドが辛うじてこの老獪な母に挑む勇気をくれる。


「いくらお母様とはいえあまりにも非道い。私とあの方のこれまでの何を以ってそのようなことを言うのですか!?」


「知ってるさ。おまえさんが成華タケルをシリアに行かせて『G.D.Sグローバルドクターズ』のメンバーを助けさせたことも、そして現地で重症を負った成華タケルを前に何もできなかったことも」


「お母様、あなたは――」


「そして、まんまとあの吸血鬼女に成華タケルを寝取られたみたいじゃないか。おまえさんは経営者としてもあの女に負け、そして男を巡る女の戦いでも負けたんだ」


 その言葉は、百理の胸を深く深く抉った。

 それは未だに自分の中で整理しきれていない問題。

 先ほどとは別の意味で、百理の顔面は蒼白になっていた。


「そんな……私は負けてなどは……そもそもそんなことで女の価値が決まるなど、あまりに前時代的すぎます……!」


「どんなに時代が変わろうが、ヒトの営みだけは変わらないよ。男と女が出会い、そして結ばれ子が生まれる。生まれた子はまた別の異性と出会い、子を育む。それが強固な絆となり脈々と繋がっていくんだ。おまえさんはこの世界に居て、未だにその絆を知らない。自分で作る努力もしてこなかった。おまえさんは数百万年と続いてきた人類の営みの外にいる存在なのさ」


 かつて恋をしたことはあった。

 だが接吻すらせずに手をにつなぐこともなかった。


 それから先は滅私の精神でただひたすらこの日本と国民に奉仕を続けてきた。

 自分が身を粉にする中で、出会ってきた数々の友人たち。

 だがそれと同じくらい彼らを見送り続けてきた。


 当然彼ら彼女らはすべからく結婚して子を成し、年老い、幸福の中で看取られていった。


 その姿に憧れなかったことなど一度としてない。

 その際に感じた孤独感。疎外感。取り残される自分。惨め。

 まさかそれがヒトの理から外れた外道の所業だったなど思いもしなかった。


「今まで甘やかし続けてきたあたしにも責任はあるんだろうよ。だが今回はそんな甘えが許される状況じゃあない。所詮外様の成華タケルなど当てにはできやしない。もしやお前が絆を結んでいるのなら、まだ手懐ける余地があるかもと思ったがそれもない。だからこそのアダム・スミスなんだよ」


「その男はそれほどの人物だというのですか。ただの人間に世界が救えると本気でお思いなのですか!?」


「人間を無礼なめるんじゃないよ」


「――ッ!?」


 凄まじい迫力だった。

 下積み時代、何度となく憧れた命理の強く気高い姿。

 たとえ老成した今でも、その時感じた力強さが今もなお伝わってくるようだった。


「あたしたちは人間の影だ。人間なしには存在できない。たまさか強い力を持っているからと調子に乗って人間を全滅させてご覧よ。とてもじゃないが生きてはいけないよ。本体をなくしたら影もまた消えるからね。そんな共生関係の表と裏が人間とあやかしなのさ……」


 言われるまでもなく。

 いつかエアリス相手にも話したことだ。

 人間という世界の下にできる闇。

 そこに巣食い、蠢くのが我ら人外の徒なのだと。


「おまえさんにもあたしにも、人間を根絶やしにすることなど絶対に不可能だ。個としては脆弱極まりないが、群体となった時の人間は――恐ろしいよ。ヒトの形をした個の極限が成華タケルだというのなら、アダム・スミスは人類という群体の頂点さ。あいつは人類意志そのものだ。この星の意思が作り上げた人類の王なんだよ」


「群体の頂点――人類の王!?」


「そうさ。人間でありながら時間という括りの外にいる存在。人間でありながら人類意志の総意がその躰には宿っている。奴は本物の始まりの男の記憶を持っているのさ」


「始まりの……アダム・・・・スミスとはそういう意味なのですか!?」


 永遠の楽園を追放され地上に降り立った始まりの男アダム。そしてイブ。

 それは神話の世界の存在ではないか。彼は本当に無限の時間の彼方からやってきた存在だとでも言うのか。


「アダム・スミスは人類を救うためならどんなことだってやる男だ。恐らく今まで数え切れないほどその手を血で汚してきた。だがそういう男だからこそ信じられる。なぜなら無駄に流してきた血など一滴たりとも存在しない。すべてを背負って進む男は強いよ。成華タケルにそれがあるもんかね。どうせ自分の女を取り戻したらさっさと消えるに決っている。だったら――」


「だったら、犠牲にしてもいいと? 愛するものを取り戻したいという、誰よりも純粋な願いを踏みにじってもいいと言うのですか!?」


 百理は全身が燃え尽きるほどの憤怒を感じながら頭の奥が冷えていくを感じていた。相手が母だろうが誰だろうが関係ない。絶対に反論しなければならない。そうしなければならないのだと、彼女の存在すべてが叫んでいた。


「お母様はおっしゃいましたね、群体となった人間は怖いと。そして、ヒトの個と個を繋ぐ絆もまた強いのだと。その通り、ヒトの身が持つ『愛』は強いのです。タケル様が貫くのは不撓不屈の『愛』です。例え世界を、星を隔てたとしても決して変わることのない、むしろさらに強くなり、周囲を巻き込んでより強固な絆を生み出します。タケル様が成そうとしているのは、そんな大きなものなのです。私もまたその絆の中にありたい、少しでも彼のお方の助けになればとそう行動してきたのです――!!」


 そうだ。

 あのアダム・スミスに感じていたおぞましさ。

 彼には『愛』が感じられない。

 それもそのはず、彼は地球意志が生み出した王。

 それは言葉は飾れど、奴隷とさほども変わらない存在ではないか。


 使命感だけに燃えて、一番大切な個々を踏みにじる彼に、百理は決して相容れないものを直感的に感じていたのだ。


 だが、命理は冷めたものだった。

 百理の訴えなど、一顧だにすることなく跳ね除ける。


「ふん、重症だね。愛の何たるかも知らないおボコの分際で、成華タケルを骨抜きにするどころか、すっかり心酔――いや、洗脳されちまってるじゃないか。やっぱりここから出すわけにはいかないね。まあ最もいかなお前さんでもこの霊力殺しの符を貼った鉄格子からは出られまい。そして周囲は厚さ500ミリのコンクリートで囲ってある。おまえさんの『白炎羅苦はくえんらく』なら溶かし切ることもできようが、こんな狭い空間でそんなもの使ったら無事じゃ済まないことくらいわかるだろう? そこで大人しく成華タケルがアダム・スミスに負ける姿を見ておきな」


「あのお方は絶対に負けません」


「……やけに自信ありげだね。その根拠はなんだい?」


「タケル様は須佐之男尊スサノオノミコトの化身。この星の危急には必ずやその偉大なる力を発揮し、我々をお救いくださいます」


「おまえ……」


 命理は痛ましいものを見るように顔をしかめ、うっすらと目尻に涙を浮かべた。


「成華タケル。どうやらとんでもない人誑ひとたらしのようだね。後のことは全て母に任せな。そうだね……封印を施したあとの成華タケルの抜け殻なら、おまえさんに宛てがってやってもいいさね……」


「あら、それはどうも。ぜひ楽しみにしておきます」


「ああ」


 最後は言葉少なく命理は立ち去っていく。

 百理は牢屋の奥に設えられた座布団の上で再び居住まいを正した。

 正面には暗転した壁掛けの液晶テレビだけがあった。


 今は沈黙するそれがいつ何時彼の者を映し出したとしても、即座に目に入るよう視界に収めたまま、百理は静かに息を整える。


 霊力殺しの符によるものか、百理の霊力は収束することなく霧散していく。だが体内に霊気を練る分には問題ない。


 少しでも集中力を切らせば収束は消えてしまうが、いざという時のために溜め込んでおかなければ。


 タケルは絶対に負けない。

 そして母は信じていないようだが、彼は本当にスサノオの化身であると百理は信じている。


 ただひとつ懸念があるとすれば――


(なんとか外部と――マキ博士と連絡を取る手段を手に入れなければ)


 噂をすれば影が落ちるように、人々の口端に上れば、虚構は現実へと帰結する。

 百理が提唱してきた『滅びの日』はここ数日で急速にその真実味を帯びてきたような気がする。


 世間が、世界がこれほどまでに英雄の誕生をすんなりと受け入れる今の状況は、裏を返せばもう間もなく、英雄が必要とされる場面が迫りつつある証拠なのではないか。


 つまりなにが言いたいのかというと――


(近い。そんな予感がする……)


 タケルのことは信じている。

 だが決して彼ひとりを戦わせはしない。

 むしろ彼が思う存分戦えるように、この日の本は自分が守らなければ。


(そしてあの女も――)


 おそらく自分と同じように監禁され、封印されているであろう女。

 硬い床にブーブー文句を垂れ流し、やれクッションが欲しい、ワインが欲しい、暇つぶしのゲームが欲しいなどと見張りのものを困らせている姿が目に浮かぶようだ。


 タケルのことを間に挟めば、醜い感情が未だに溢れてくる。

 だが呉越同舟というか、あの女も自分と同じ状況にあるという事実は、なんとも言えない奇妙な親近感を抱かせるのものだった。


(あなたにも働いてもらいますよ……そしてすべてが終わったら……!)


 神経を研ぎすませたまま、百理は瞑想状態に突入した。

 タケルの姿をまぶたの裏に思い浮かべながら、今はただ静かに、時が来るのを待つのだった。

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