第166話 人理に背きしもの篇③ ご主人様はテロリスト?〜さらば人工知能進化研究所

 *



「なるほど。シリアの事件はあんたが……。そういうことをしていたわけなのね……」


 まるで自分に言い聞かせるように。

 そう呟いたのは心深だった。

 彼女は誇らしげに顔を上げ、タケルを見つめる。

 その目は、何か眩しいものを眺めるように細められていた。


「スミスと名乗った男は言っていたわ。あんたは凶悪なテロリストなんだって。そしてエアリス先輩はテロリストの走狗となったあんたに与えられた内縁の妻で、性奴隷なんだって」


 タケルは「そんな馬鹿な……!」と不機嫌になった。テロリスト扱いされていたのもそうだが、エアリスのことまでそんな風に言われて心中穏やかではいられない。だと言うのに当の本人エアリスはどこまでも呑気だった。


「うむ。別に間違ってはないな」


『いやいや、妻じゃないし、断じて性奴隷でもないでしょう!』


「そんなものは誤差の範囲だ」


『でっかい誤差ですねえ、え? 乳デカ女、妻扱いされてちょっと喜んでるんじゃないですよ!?』


「はて、なんのことやら……」


 エアリスは腕を組みながらプイッと明後日の方を向いた。


「いいなあエアリス。でも『せいどれい』ってなんだろう?」


 セレスティアは「ねえねえ、お父様、せいどれいってなに?」とタケルを困らせるも、心深は気にせず話を進めるのだった。


「とにかく、私はスミスの話を信じたわ。春先から姿を消したあんたが、外国に行ってテロリストになったんだって。そうしてあんなボロボロの身体になっちゃったんだって、もうそれしかないって思った」


「心深、おまえ……」


 何を言い出すんだ、とタケルは笑い飛ばすことができなかった。

 彼女の身になって考えて見れば、それも無理からぬことだと思った。


 突然消えた幼馴染の男の子。

 数カ月ぶりに再会してみれば、昔とはまるで違う立場と名前。

 おまけに隣には見知らぬ異国美女を侍らせて。


 テロ組織に身をやつし、そこで現地妻を与えられたのだと言われれば信じてしまうかもしれない。奇しくも今の時代はそんな嘘話すら許容できてしまう潮流にあるのだ。


「そして捜査に協力する見返りとして私に与えられたのがそのスーツだった。あんたは魔法という新しい手段を使う超常のテロリスト。そしてそのスーツは耐魔法力に優れているって。スーツを着た途端、意識は途切れて、気がついたらエアリス先輩に抱きかかえられていたんだけど……」


「そこからは私が話そう」


 エアリスが前に出る。

 当事者である心深、そしてセレスティアを見つめながら口火を切る。


「私とタケルの前に現れた心深は明らかに正気を失っていた。そして心深はセレスティアを私たちにけしかけてきた。止める暇もなく街中で戦闘になった」


 私情を交えず淡々と話すエアリスにマリアが待ったをかけた。


「ちょっと待て、そこがわからねえ。どうしてセレスティアは綾瀬川心深と行動を共にしてたんだ。直前までずっとあたしと一緒にいたはずなのに。ほんの一瞬目を離した隙にいなくなっちまったんだ……!」


 神田神社でお参りをしていたはずなのに。

 セレスティアは忽然と消えてしまった。

 そして、それから僅か数時間後にタケルたちへと襲いかかった。

 そこがどうしても繋がらないとマリアは首を捻る。


「うーん、多分、呼ばれたから、かな……」


 当の本人であるセレスティアがつぶやく。おとがいに手を当てながら虚空を見つめている。


「呼ばれた? その時の記憶があるのかセレスティア?」


「うん、途切れ途切れなんだけど、なんとなく。すごく綺麗な歌が聞こえて、私、行かなくちゃって思って。気がついたら教会の前に立ってた。そこで、そこで私は――」


「セレスティア!?」


 突然、自分の肩を抱き、蹲るセレスティア。

 マリアの呼びかけにも答えず、荒い息を繰り返している。


「あれは、お父様、じゃない……、多分別の誰かの夢だった。夢、そう……お、お父様!」


「ああ、どうした!?」


 性急な様子で名前を呼ばれ、タケルが駆け寄る。

 セレスティアは唇を戦慄かせながら膝立ちになると、タケルの腰に両手を回した。

 そのまま強く抱き寄せ、お腹に顔を埋める。

 熱い息が吐き出され、そして吸われる。


 マリアもエアリスも心深も、そんなセレスティアを黙って見つめていた。

 邪な意図など欠片もない、切実な様子が伺えたからだ。


「うん、やっぱり夢の中のお父様とは違う。ちゃんと優しいお父様だ……」


 そしてセレスティアはたどたどしく語った。

 夢の中で見た、別の誰かの凄惨な思い出を。


 ろくな食べ物もなく、ゴミが散乱する部屋の中、夢も希望もなく、ただ生きていくために父からの虐待に耐え続ける日々。屈辱と恥辱と諦めと嫌悪に塗れた地獄の日々を。


「私はそれを自分のことだと思っていた。そして私とお母様に酷いことをするお父様を、殺そうって思ったの……」


「なるほど、それが楓の記憶なのか……」


 得心がいったとばかり、エアリスは深い溜め息と共にそう吐き出した。


「楓って誰のことだ?」


 マリアが当然の疑問を差し込む。エアリスは逆に質問してきた。


「楓。秋月楓。ここ、人工知能進化研究所の職員だ。私達の協力者でもあったが……アダム・スミスと行動を共にしている。小柄で痩せ型。いつも眼鏡をかけていたが、弱視だったのではないかな」


「弱視……」


「私の前に現れた二人――アダム・スミスと秋月楓って名乗ってた。楓ってヒトは大きなサングラスみたいなのをつけてた」


 心深の補足にマリアが声を上げる。


「そいつだ、そいつがオータムってやつで、アダム・スミスの秘書をしていて……!」


「なるほど……楓は元々間諜だったのだな。この研究所には元々いたようだから、私達と出会ったのは偶然か」


「おい、どういうことだ? どうしておまえはオータムを知っている? セレスティアの話す記憶の内容が何故彼女のものだとわかるんだ?」


 マリアの知っているオータムと、エアリスたちが知っている秋月楓の情報。それが噛み合わずマリアは混乱していた。


「秋月楓さんはこの人工知能進化研究所の研究員だった。僕が自分の魔力を調べたり、真希奈を創り上げるときにも協力してもらった……」


 エアリスの代わりにタケルが答える。

 今思えば、この施設で出会ったときから、彼女はスパイであり、そしてタケルの情報は筒抜けだったのだろう。今更過去は覆らない。諦めとともにタケルはため息をつくしかない。エアリスが話を引き継ぐ。


「そして、心深を操っていた者の正体が楓だったのだ」


 エアリスを拘束し、不用意に顔を近づけてきた心深。その内側から聞こえた小さな小さな音の波紋。それこそが秋月楓の声だった。


「そのすーつとやらは、水の魔素を応用したものだろう。水の波紋を立てて直接頭に命令を出す技術なのだと楓は言っていた。心深はその稀有なる魔法の才能を利用されたのだ」


「魔法の才能? 一体、そりゃあ――」


 訝しげにマリアは心深を見つめた。

 心深はちらりとエアリスを見る。

 コクリと、エアリスが頷いた。


「ふう……、ねえ、あなたマリアさんって言ったっけ?」


「あ? ああ、なんだ突然……?」


 エアリスとの会話の最中、改まった様子で心深に話しかけられ、マリアは戸惑う。

 心深の表情が引き締まる。すると周りの空気もピリリと帯電するような緊張感が生まれた。


「ねえ、マリアさん。今日はとっても寒いわよね・・・・・?」


「何言ってんだ、外ならそうかもしれねえけど、暖房が効いてるここはそんなこと――」


「いいえ。『とてつもなく寒いわよね?』」


「――ッッ!?」


 マリアの心臓が、一瞬で凍りついた。

 心臓が凍り、胸の奥から発生した極寒が四肢の末端へと広がっていく。


 寒い。なんという寒さだ。

 血が凍り、肉が凍てつき、全身の骨が氷柱に取って替わられたようだ。

 マリアは立っていることができず、その場にへたり込んだ。


「マリア!」


 駆け寄ろうとするセレスティア。

 それを手で制し、エアリスが魔法を紡ぐ。


「風よ。この者の躰と心を清め、呪縛から解き放て」


 エアリスが立てた指先に口づけをする。

 その指でマリアを指し、ヒュッと息を吹きかける。

 極寒が氷解し、ジュウウっと蒸発する音を、マリアは確かに聞いた。


「な――、今のは、え?」


「マリア、平気? 痛いとこない?」


「だ、大丈夫だ……」


 セレスティアに支えられ立ち上がる。

 マリアは強張った表情のまま心深を見た。

 若干の怯えと、そして懐疑が込められた眼差しだった。


「ねえ、タケル、今私がしたのって――」


「ああ……対象者を不特定多数から特定個人に絞り込むと、魔法の効果が劇的に跳ね上がるみたいだな。一定の魔法抵抗力があるものには効かないみたいだが、多分地球じゃ抗える人間は圧倒的に少数だろう……」


「魔法……、今のが魔法なのか!?」


 今度こそ、マリアは驚愕と畏怖を込めて心深を見た。

 そのまるで化物でもみるような視線に耐えられず、心深は目を逸らした。


「そうだ。僕は『言霊の魔法』と呼んでいる。心深は声優だ。声のスペシャリストである彼女は、演技をすることで役になりきる。なりきる過程で、自分の中で練り上げたイメージを魔力が篭った声を通して、耳にした者の脳内に直接叩きつけることができるんだと思う。結果、相手の生理機能や精神に重篤な影響を及ぼすんだ……」


 ブルリと、マリアは震えた。

 寒さによるものでは断じてなかった。


「おそらく楓はそのすーつを心深に着用させ、まずはじめに心深を洗脳し、次いで心深の『言霊の魔法』を利用し、セレスティアの正気を失わせたのだ」


 本来格上の魔法師であるセレスティアには、心深の言霊は届かないはずだった。

 だがアクア・リキッドスーツを着用したことによる魔力ブーストによって、精霊にさえも影響を及ぼすまでに至った。


 実際にはそればかりでなく、楓の持つショックイメージを叩きつけることによって、セレスティアの精神防壁を打ち砕くという非情な手段に出ている。純真無垢な子供に無修正のポルノを見せつけるような、そんな下劣極まる行為だった。


 そしてセレスティアは、心深の最大魔力が篭った『この世界を壊して』という願いを叶えるために、あのヤマタノオロチを顕現させたのだ。


「なんてこった……」


 マリアはソファに腰掛け、顔を覆った。

 まさか日本国内のみならず、今や世界中から注目を浴びている秋葉原事件が、秋月楓とあの男によって引き起こされたものだったとは。


「マリアさん、教えてくれ。あの男――キミがアダム・スミスと呼んでいる男のことを。僕は多分、その男と既に会っている。魔法が存在する向こうの世界で――」


 聖都の大深度地下、魔原子炉が設置された更に地下施設に建設された巨大な異界の門『ゲート』。そこで、セーレスを連れて地球へ渡航しようとしていた男。


「その男は人類種神聖教会の司教を務め、その教皇、クリストファー・ペトラギウスとセーレスを連れて地球へと渡って行った。その男によって、セーレスは今も捕らわれているはずなんだ。僕はセーレスを取り戻すため地球にやってきた……!」


 マリアは、決断を迫られていた。

 軍に所属する地球の魔法師として。

 機密情報に抵触することを喋らなければならない。


 だがそもそもこれは、タケル・エンペドクレスにまつわる、非常にプライペートな問題を孕んでいるのだ。すべての発端は、タケル・エンペドクレスの元からアリスト=セレスを奪ったあの男が原因なのだ――


「アダム・スミス……あたしの上司の名前だ。容姿はくすんだ金髪にオッドアイ、って言うのか、左右で異なる瞳の色をしている」


「やっぱり――!」


 ようやくたどり着いた。

 探し求めていた男は、たしかにこの地球にいた。

 そしてその男の元にセーレスが――


「スミスの奴は、世界中から魔力に適正のある者を集めている。あたしも一年以上前にスカウトされた。そしてセレスティアから齎された魔法――『アクア・ブラッド』を使い、このアクア・リキッドスーツを作り上げた。こいつの効果は、まあ知っての通りだ」


 マリアは薄手のタイトスーツを掲げ、ため息を吐き出す。

 自分は軍人失格である。だがそれとは別のところで、マリアの心はセレスティアや心深を利用するスミスへの不信感と猜疑心でいっぱいになっていた。


「セーレスは、彼女は今どこにいるんだっ!?」


 タケルはようやく、といった感でその言葉を吐き出した。

 高校一年生、15歳とは思えない忍耐力と理性と言えた。

 異世界での経験が、そして強大すぎる力を持つが故に、彼はもう子供でいることを許される立場ではない。


 そして、彼は自らの目的を片時たりとも忘れたことはない。

 今まで御堂やカーネーションに調べてもらっても、ようとしてその存在が知れなかった愛しいヒト。彼女は今息災なのか。元気でいるのだろうか。


 つい取り乱しそうになる自身を押さえつけるように、タケルはシャツの胸元を鷲掴みにした。そんな常にない様子のタケルを、驚いた表情で心深は見つめていた。


「……生きてはいる」


「生きては――!?」


 タケルが目を見開いた。

 その瞬間、マリアはハッと顔を上げた。

 何かが強く、空間を叩く音がしたからだ。


 心深やイリーナも驚いた表情で辺りを見渡している。

 ドクン、ドクン、ドクン――と、その音は心臓の早鐘だった。


『……ビートサイクル・レベル9を確認。タケル様のお怪我は現時刻を持って完全に回復しました。残りの余剰魔力はすべて魔素分子星雲エレメンタルギャラクシーの作成に使用、虚空心臓内に貯蔵します――』


 あくまで事務報告として、真希奈がタケルのステイタスを読み上げる。

 昂ぶった感情が引き金となり、あの暗黒空間で自我を取り戻したときのように、完全とは言い難いが大半の魔力は取り戻すことができた。これならばセーレスを救うために、戦うことができるだろう。


「おい、これって――マジなのか!」


 マリアは驚愕していた。

 タケルから溢れ出すのは腹に力を据えていなければ気絶してしまいそうなほどの魔力量だ。この場に於いて平然としていられるのは、精霊魔法使いであるエアリスと精霊であるセレスティアのみ。そして魔力が何なのか全くわからないイリーナだけだ。


 地球側の魔法師であるマリア、そして心深はただただ慄くしかない。

 自分たちの持ち得る魔力を松明の炎だとするのならこの魔力はなんだ?

 太陽――そう恒星の輝きに例えるしかない。


 マリアは己を恥じるしかなかった。

 魔族種とは、超越存在とはこう言うことなのかと。

 自分はスミスから齎される言葉の上辺だけしか理解していなかった。


 彼は本当に、『G.D.S』のメンバーを全員救出し、テロリストを殲滅するだけの実力を持っている。子供のヒーローごっこなどでは断じてない。そのことがようやく理解できたのだった。


「お父様、お母様は今眠っています。私のアクア・ブラッドの中で時を停めて、お父様が迎えに来るのをずっとずっと待ってるの」


 切実に、必死に、セレスティアが母であるセーレスのことを口にする。

 そして母が原因不明の病に倒れていることも。


 セーレスの肉体を健常なまま維持するために、母の年齢を自分が肩代わりしていること。そしてアクア・ブラッドの中で幼体のまま現状を維持しているのだと。


「スミスがアリスト=セレスを連れてきた手段は不正規のものだった。そう奴は言っていた。彼女はこの世界にやってきた特異点であり、矛盾した存在なんだと。そのせいでこの星の大きな力に抹殺されかかっているって。だから、アリスト=セレスを救うためには『セブンス・キングダム』を使って元いた世界に戻すしかない、そうだ」


 マリアの説明にタケルは頷いた。

『セブンス・キングダム』――セレスティアがかつて叫んでいたのを思い出す。

 あれは、母を元の世界に戻すために欲していたのか。

 ならば、それは『聖剣』のことで間違いないと推察できる。


 恐らくスミスにとっても、セーレスの病は誤算だったのだろう。

 あれほど欲していた魔法師をむざむざ死なせるためだけに、地球へ連れて行ったとは思えない。だが、それももうおしまいだ。


「僕はセーレスを取り戻す。マリアさん、あなたには悪いが、アダム・スミスとは戦うことになると思う」


「あいつと一戦交えることの意味、わかってるのか? それはステイツっていう世界中で火種作りと火消しを繰り返している戦争国家と戦うってことなんだぞ?」


「ああ、わかっている。それでも僕は戦う――!」


 血塗られた地球人類の歴史において、今や頂点を極めるであろう超大国。

 それこそが米国――ユナイテッド・ステイツ・オブ・アメリカなのだ。


 セーレスを救うことをはスミスと戦うこと。それは彼の背後に控える国家――異世界にまで影響を及ぼすほどの力を有した技術力、資金力、そして武力と戦うことを意味していた。


 そのためにタケルは修行し、人工精霊を生み出し、魔素分子星雲エレメンタル・ギャラクシーを作り上げた。未だ制御が難しい聖剣の問題はあれど、それでもまず、これ以上彼女を利用されないためにも、この手に取り戻す必要がある。


「セレスティア、セーレスの居場所はわかるか?」


「はい、大丈夫です。お母様を保護しているアクア・ブラッドは私の分身だから、いつでもどこでも、お母様の状態はわかります!」


 セーレスが地球に来て10年。そしてセレスティアが誕生して8年あまり。タケルとの時間のズレを感じつつも、これまでの苦労が報われようとしている。セレスティアの心は喜びに満ちていた。だが――


「え、あれ、お母様――!?」


 突然、セレスティアが天井を仰ぎ、叫んだ。


「何、ダメ! やめてッ! お母様、お母様ぁ――!!」


「セレスティア!?」


「おい、どうしたんだ!?」


 タケルとマリアがセレスティアを押さえつける。

 髪を振り乱して暴れそうになっていたからだ。

 セレスティアはがっくりと項垂れる。

 そしてポツリと、呟いた。


「お母様、見えなくなっちゃった……」


「なんだって、どういう意味だ!?」


「わかんない……けど、お母様を包んでいた私のアクア・ブラッドが消えちゃったの」


「それじゃ、まさかセーレスは……!」


「落ち着け。多分、スミスの仕業だろう」


 顔を青くし、最悪を想像しかけたタケルをマリアが窘める。


「あいつはセレスティアの魔法の研究をしていた。その集大成が、魔力があれば人間でも使えるアクア・リキッドだ。だが希釈する前のアクア・ブラッドだって保存しているんだ。それは人間の手が加えられ、セレスティアの分身とは言えないものになっているらしい。そうだな、セレスティア?」


「え、あ、うん。そっか、そうだった……」


「じゃあ、セーレスは水槽の水を取り替えるように、そっちのアクア・ブラッドに移されたってことなのか?」


「ああ。居場所をセレスティアにトレースされないために、移送もされてるはずだ。恐らくあたしたちから情報がおまえに渡ることも想定内なんだろう。――っち。悔しいが舐められたもんだぜ……!」


「あいつは、アダム・スミスは何者なんだ――!?」


 タケルの知るアダム・スミスは得体の知れない男だった。

 美丈夫ではあるが、ニヤニヤとした笑みを常に貼り付けて、ヒトをおちょくるような男だった。そのオッドアイの奥に、なにか並々ならぬ覚悟を背負っているとは思っていたのだが――


「おまえは魔族種と呼ばれる存在なんだろうが、まだ子供だ。経験や老獪さでは恐らくあいつの方が遥かに上だろう。なんたってあいつは――」


 スミスの隠された秘密。

 マリアでさえ未だに信じ切れていない事実を口にしようとしたその時だった。


 ヒタヒタと、スリッパをつっかけて、第三者がロビーにやってくる足音が聞こえた。誰であろう、この人研の最高責任者である安倍川マキ博士だった。


「お話中悪いんだけど、ちょっといいかな。緊急なんだよね……」


 いつもの白衣姿に、寝起きなのだろう、寝癖の付いたボサボサ髪だ。

 そしてその手には何故かロープが一束、抱えられている。


「タケルくん、これで今すぐ私を縛ってくれない?」


「はあ? マキ博士、あなた一体なにを……?」


「頼むよ。別に亀甲縛りしろって言ってるんじゃないからさ。哀れにも身動きが取れないように、生殺与奪を他人に握られてる風味に見せたいんだよね」


 まったくもってマキ博士の意図がわからない。

 マリアなどは頭を抱えて「クレイジー……」などと呟いていた。

 たまに奇行が目立つところがあるマキ博士だが、今日はとびっきり変なのだった。


『――ッ! タケル様、大変です! こちらを!』


 慌てた様子の真希奈に惹かれ、全員が液晶モニターを見る。

 そこにはキャスターが朝のニュースを読み上げている。

 そしてL字テロップに踊る見慣れた文字。


「え、僕?」


 テロップには『国際テロリストタケル・エンペドクレスを全国指名手配』と書かれていた。キャスターが読み上げる内容によれば、秋葉原のテロ事件の主犯であり、過去にも大々的な破壊活動を海外で行ってきた生粋の犯罪者であるとされていた。荒い画像ではあるが、ボサボサ頭にメガネの、学生姿のタケルの写真も一緒だ。


「なるほど。先手を打たれたな……」


 マリアが吐き捨てると同時にロビーにつながる玄関の向こう――正面ゲートから大きな破砕音が聞こえて来た。


『正面ゲート、破壊されました。12台のパトカー及び、特殊装備を着用した警察官が敷地内に展開中。裏門にも多数の警察車両が包囲しています。恐らくSAT(特殊急襲部隊)であると推察されます。タケル様、どうされますか――!?』


 事態は急を要する。

 だが、タケルの決断は早かった。


「逃げよう。ここで戦ったらあいつの欲しい絵を提供することになる。多分テレビカメラも来てるんだろう?」


『あ、そのとおりです。何故かテレビ局のクルーも同行している模様です』


「マキ博士、抜け道とかないかな?」


「あるよん。第八ラボに行きなよ。キミの鎧――プルートーの鎧はボロボロだけど、以前使ってた戦装束を載せたトラックがあるよ。資材搬入口ならまだ手が回ってないんじゃないかな。真希奈ちゃん?」


『はい、そちらはまだノーマークのようです』


 その時、ロビーに面したガラスが破砕した。

 そしてカンカンっと何か硬いものが床にぶつかる。

 途端、ブシューっと煙が吹き出した。


『催涙弾が打ち込まれました!』


「エアリス」


「任せろ。風よ――」


 吹き出した催涙ガスはタケルたちに届くことなく渦を巻きながら、穴の空いたガラスの向こうへと吸い込まれていく。恐らく連中もガスマスクなどは装備しているだろうが、逆流してきた催涙ガスに面食らって足が止まっているはずだ。


「よし、じゃあごめんねマキ博士」


 タケルはマキ博士の意図をようやく理解し、彼女から受け取ったロープでふん縛っていく。


「ああ、私今男の子に縛られてる。初めて(の拘束)を奪われて――痛、ちょっともうちょっと優しく縛って!」


「中途半端に縛ってたら疑われるでしょ。どうせすぐ解放されるだろうから今は我慢してください、よっと!」


 マキ博士を後ろ手に縛り、無体に床に転がす。

 途端彼女は棒読みで叫んだ。


「あん。あーれー、たーすーけーてー、おーかーさーれーるー」


「誰がそなたなど犯すか!」


「おお」


 エアリスが突っ込んだ。

 セレスティは「なんか楽しそう」とマキ博士を見下ろしている。

 イリーナなどは「こういう大人になっちゃダメだよアウラちゃん」と散々な評価だった。


「マキ博士、今までありがとう。全部終わって落ち着いたら、必ずお礼にくるから」


「博士って呼ばないでって……まあいいか。はは、その時は本気で色々キミの身体を弄くらせてね」


「お手柔らかに」


「博士、私からも礼を言わせてくれ。主共々大変世話になった。そなたに風の精霊の加護があらんことを」


「えっと、よくわかんないけど、お父様がお世話になりました?」


「うん、みんな元気でね。あと絶対負けんなよ!」


「そんな格好じゃなきゃ感動的なシーンだったのに」


「イリーナちゃんは相変わらずツッコミきついねえ。あ、アウラちゃんも達者でね」


「う、ん……」


「マリアさん」


 タケルがマリアを見つめる。

 だが彼女は首を振った。

 セレスティアが悲鳴のように叫んだ。


「嫌っ、どうしてマリア、一緒に行こう!」


「ダメだ。セレスティア、あたしは人間だ。そして軍人だ。もうそんなこと言う資格はないかもしれないが、あたしはおまえたちとは一緒に行けない。ここでお別れだ」


「そんなの嫌だ! ずっと一緒って、守ってくれるって言ったでしょう!?」


 マリアはセレスティアを抱きしめた。

 身長差があるにもかかわらずその頭を胸元に抱き寄せる。


「大丈夫だ。これからはおまえの父ちゃんが守ってくれる。そして母ちゃんだって必ず助けてくれるはずだ。そうだろう、タケル・エンペドクレス」


「当然だ。もう絶対、セレスティアを泣かせたりはしない」


「大きく出たな。こいつは泣き虫だからちょっとしたことですぐ大泣きするぞ?」


「な――、違うもん、私泣き虫じゃないもん!」


「バーカ、無理すんな。泣きたくなったら泣けよ。そんで父ちゃんを困らせろ。いいな?」


「え、うん……あ」


 頷くセレスティアに唇を寄せる。

 おでこに軽く口づけし、マリアはそっと離れた。


「お前はどうするんだ。魔力に適性があるなら、こっちにくるか?」


「お断りだわ」


 マリアの問いかけに心深は自分が着ていたアクア・リキッドスーツを抱えながら即答した。


「あんたの上司には一度煮え湯を飲まされてるもの。それに絶対私の能力を利用してタケルと戦わせるはずだわ」


「そっちに付くってことは、色んなものを敵に回すことになるんだぞ。おまえにその覚悟があるのか?」


「願ったりかなったりね。地球に居場所がなくなったらこいつに責任取ってもらうから」


「え? 心深さん?」


「何よ。ここまで巻き込んでおいて何か文句あるの?」


「いえ……今はそれでいいです」


 ふんヘタレ、と心深は唇と尖らせる。

 ガシャーン、と遠くから新たな破砕音が轟いた。


『東棟の窓から侵入者あり。タケル様!』


「わかった。行こうみんな!」


「タケル・エンペドクレス!」


 走り出そうとしたタケルの背中をマリアが呼び止める。

 振り返ったタケルに、マリアは言い放った。


「アダム・スミスは手強いぞ。あいつは自分の目的のためなら手段を選ばない奴だ。お前は本当に、孤独な戦いをすることになるぞ」


「ヤツの目的って何かな?」


「地球人類を救うこと、だそうだ」


 地球意志の奴隷。

 そして人類史をその身に宿す男。

 マリアは思う。

 タケルは確かに強い。

 だが、それでもまだスミスの方が上手のような気がしてならない。


「僕の目的はセーレスを助けることだ。いっぱい背負ってる奴よりずっと身軽だ」


「ブレねえな。それがお前の強みか」


「ホント、それだけが持ち味だしね」


 フッとマリアは笑った。

 タケルも屈託なく笑い返した。


 マリアが見送る中、タケルたちの背中が遠ざかっていく。

 それと入れ替わるようにガスマスクを着用した大男たちがロビーに大挙して押し寄せてきた。謎の逆流現象のせいで催涙弾は使わなかったようだが、その手にはMP5――短機関銃を持っている。


「確保、確保ー!」


「確保じゃねえよ馬鹿野郎ども。あたしは怪我人。こっちは人質。見てわかんねえのか?」


 銃口を向けられながらも平然とするマリアに戸惑う特殊警官たち。

 そんな彼らから視線を外しながら、マリアは胸中で独りごちる。


 元気でなセレスティア――と。



 *



「バッカじゃないのあんた!?」


 人研の地下にある第八ラボ――最大規模の実験施設兼核シェルターに到着したタケルたちは、そこに停められていた10トントラックの前で悶着していた。罵倒の言葉を浴びせたのは誰であろう、イリーナだった。


「仕方ないだろう、僕免許なんて持ってないし」


「私も。まだ16歳の女子高生だし」


「これがとらっくか。でかいな」


「機械のことって全然わかんない」


「あう」


 順番にタケル、心深、エアリスとセレスティア、そしてアウラだ。

 こんだけ雁首並べて誰ひとりとして車を運転できるものがいないのだった。


『すみませんイーニャさん。AIを搭載した自動運転車なら私がハッキングして操縦できるのですが……』


「だからって、私が運転経験があるのは『グランツーリスモ』だっつーの! ゲームよゲーム!」


「いやあ『F−ZERO』とか『首都高バトル』じゃなくてよかったよ。最近じゃゲームも運転免許の試験でも使われてるんだよな。な、真希奈?」


『基本操作は普通自動車と大差ありません。この中で最も運転に適しているのがイーニャさんなのです』


「だあああ、もう! もうもうもう! こんなの絶対おかしいよ!」


 散々悪態をつきながらガチャっと運転席のドアを開く。


「タケル、ここに座って。それで私を抱っこして」


「なんだ唐突に。甘えたくなったのか? ホームシックか?」


「ぶん殴るわよ! フットペダルまで足が届かないのよ!」


 ああ、なるほど、とタケルが運転席に座り、その膝によいしょっとイリーナが座る。


「右がアクセル、左がブレーキ。あんたは私が指示した方を踏みなさい!」


「了解。こっちの操作はしなくていいのか?」


「センターコンソールは絶対触るんじゃないわよ! このトラックはオートマ車だから、シフトレバーとクラッチペダルがないの! アクセルの踏み方で自動クラッチが働いて変速するから――って、あああ、超不安!」


『大丈夫ですイーニャさん、私がナビします!』


「お願い、マジで……」


「いざとなれば私が風を起こして車体を支えるぞ」


「私も、邪魔な奴らがいたら蹴散らすから」


「狭いわね、もうちょっと詰めてよ」


 どやどやとエアリス、セレスティア、心深が反対側のドアから乗り込んでくる。


「なんで全員フロントに乗ってくるのよ! 後ろの荷台に行きなさいよ!」


「あう、ごめん、なさい」


「ああ、違う、アウラちゃんはいいの! 謝るのはタケルの仕事だから! でも絶対視界は遮らないでね?」


「まあとにかく。女は度胸だ、GOイリーナ!」


「どうなっても知らないからね!」


 資材搬入用の巨大エレベーターにトラックを進ませると、ゆっくりと車体が登っていく。恐らく敷地内は警察に占拠され、周辺も同様だろう。派手な逃走劇になる。だがタケルはまったく不安を感じていなかった。


 すし詰め状態になった助手席を見る。

 そこには頼もしい仲間たちがいる。

 マリアは孤独な戦いになると言った。

 だが彼女たちが支えてくれうからこそ自分は戦えるのだ。

 ならば、負けるはずがないと確信する。


『間もなく地上です、カウントダウン10秒前――』


「タケル、右のペダルをベタ踏みしたらすぐ離してもう一度思いっきり踏んで!」


「了解した。ブレーキは?」


「もたもたしてたら捕まるから考えなくていい!」


「マジ?」


「エアリスちゃんはトラックがぶつかりそうになったら風で補助して」


「うむ。心得た!」


「セレスティア、だっけ? あんたは邪魔な人間が居たらふっ飛ばして」


「任せて!」


「あとは……」


 イリーナが一番左にいる心深を見る。

 彼女は一瞬あさっての方を見てからイリーナに言った。


「歌でも歌う?」


「アップテンポなのお願い!」


『3,2,1――今!』


 ぶおおおお、っとエンジンが唸りを上げる。

 それに合わせて心深が美声を発した。


「それでは聞いてください、『あんてぃなみー〜富士宮悠の生態事情』主題歌、綾瀬川心深で『私のご主人様は男の子? 女の子?』どうぞ」


「きゃー、私それ好きぃー!!」


 なんとも締まりのない逃走劇が始まった。



 *



おまけ


イ「実は私が一番ハマったのって『クレイジータクシー』なのよね」


タ「えッ!?」


心「ウソッ!」


エ「なんの話だ?」


セ「アイス食べたい」


ア「…………」


 続く。

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