第165話 人理に背きしもの篇② マリアと心深〜地球の魔法師が出会ったら?

 *



 12月25日 6時00分

【人研内、第一給湯室前廊下】


「いやあ、生き返った〜」


 頭から湯気を立ち上らせながら、イリーナはホクホクと笑みをこぼした。


「アウラちゃんと一緒にお風呂に入ると最高だね。エアー風呂、泡風呂、マッサージ風呂となんでもござれなんだもん。寒さも疲れも吹き飛んじゃった!」


「えへっ」


 ふわふわとイリーナの周りを浮遊しながら、嬉しそうにまとわり付くの風の精霊アウラ。


 風呂も食事も本来アウラには意味のない行為だが、食事をにすること、お風呂をにすること。高次元の情報生命である精霊には、他者の陽の感情を共有することに意味がある。イリーナの混じりっけなしの喜びの感情は、アウラにとっても食事とも言うべき好ましいものなのだ。


「あれ、あのヒトは……?」


 イリーナはロビーへ向かおうとして、曲がり角の前に誰かが立っているのに気づく。冬の朝日がようやく登り始めた時分の、頼りない陽光を窓から受けながら佇むのは、病衣に身を包んだ黒髪の少女、綾瀬川心深だった。


「どうしたのお姉ちゃん? 気分でも悪いの?」


 心深は壁によりかかり、己の肩を抱きながら、口元に手を当て、キツく目を閉じていた。イリーナがヒョイっと角から顔を出してみると、ロビー内のソファに介したタケルたちの姿が見えた。てっきり難しい話でもしてるのかと思いきや、なにやらワイワイと騒がしい様子だった。


「タケルったらまた遊んでるよ。まったく、大体のところはエアリスちゃんから聞いたけど、まだ問い詰めなきゃいけないことたくさんあるのに。ね、アウラちゃん?」


「うん……うん?」


 空中でバタ足をしながら、上下セットのパジャマに身を包んだアウラが首をかしげる。その視線は心深へと注がれていた。「はああ……!」と深く重い溜息がこぼれる。心深は目尻の涙をひとしきり拭ったあと、毅然と顔を上げた。


「お姉ちゃん?」


「うん、大丈夫。色々ショックな話を聞いちゃって。もう平気。なんかあるのはわかってたから。でも、ちょっと予想超えちゃってたみたい」


 イリーナを見下ろしながら、心深は笑顔を見せる。

 明らかに無理をしているのがわかる、そんな力ない笑顔だった。


 だが、そんな心深に目を丸くしたのはイリーナの方だった。

 数瞬視線が天井を彷徨い、「あ」と声を上げる。


「すごい、間違いない、『柾木莉於まさきりお』ちゃんの声だ! え、お姉ちゃんってもしかして……?」


 心深は目を丸くしたあと「ん、ん、んん」と喉を整えてから口を開いた。


「……こんなに早々に正体がバレてしまうとは、やりますねあなた。いかにも、莉於は富士宮家に仕えるマフィアン・メイド柾木莉於ですがなにか――?」


「ほ、本物……! ふわああ! 本物の声優さんだ! えっと私、イリーナ・アレクセイヴナ・ケレンスカヤです、初めまして!」


「イリーナ。何やら新キャラに出てきそうな名前ですね。あなたは莉於の敵ですか、味方ですか?」


「味方味方! 超味方だよ! あ、私のことはイーニャって呼んでください!」


「ではイーニャと呼ばせていただきましょう。ああ、この響きは私にとっても好ましい…………ってねえ、この辺で勘弁してくれない?」


「――ぷっ」


 突然素に戻った心深にイリーナは吹き出した。

 心深も苦笑を返しながら手を差し出した。


「私は綾瀬川心深。ちゃんと『中の人』の名前も覚えてよねイーニャちゃん」


「あ、うん、それはごめん。でももう覚えたから。あ、こっちはアウラちゃん。ふわふわ飛んでるけど、ちょっと特別な女の子なの」


「うん、初めましてアウラちゃん」


 アウラはついっと空を泳ぎ、心深の口元に耳をそばだてるように近づく。


「私の声、気に入ってくれた? あなたにも、色々とごめんね」


 アウラはくりっと小首をかしげ、フルフルと首を振った。


「なんで心深ちゃんが謝るの?」


「え、それは……、また後で、ね」


 くしゃっと顔を歪ませる。

 笑おうとして失敗した……そんな感じだった。

 イリーナは深くは追求しなかった。


「ふうん……じゃあ、心深ちゃんはなんでここにいるの?」


「うーん、色々と複雑なんだけど……実は私、タケルの幼馴染なんだ」


「ええ……、それってすごく大変そう」


「うん、ホント、超大変だった!」


 心深はイリーナと話しながら、すっかりいつもの調子を取り戻し、角を曲がった。

 タケルたちが視界に入ると、何か決意を宿した瞳をしながらズンズンと歩を進めていくのだった。



 *



「いったーい。マリアもエアリスも酷いよ〜、私が何したっていうの!?」


『しました!』


「しただろ!」


「いい加減にしろ貴様!」


「ふえーん、真希奈まで怒るぅ……お父様ぁ!」


「ひッ!」


 縋り付こうとしてくるセレスティアに、タケルは一瞬怯えたように身を引いていしまった。


 それがマズかった。セレスティアはショックを受けたように固まったあと、瞳には大粒の涙が溢れていく。


「ふえ――お父様……、セレスティアのこと、嫌い?」


「違う、違うんだって! 今のはそういうことではなくてだな! ほ、ほーらほらほら、セレスティアはいい子だなー!」


「あ、えへへへ……!」


 鳴いたカラスがなんとやら。

 タケルに全力でいい子いい子され、セレスティアはご満悦な様子でカラダを寄せようとする。――ブロック。再度セレスティアが抱きつこうとする。――ひらりと躱す。


「もー、なんでぇ! お父様のイケずぅー!」


「頼む、お願いだから大人しくしててくれ。じゃないと僕はこの怖いお姉さんふたりに殺されてしまう。僕は極めて死なない、けど多分あらゆる手段を講じて抹殺されてしまう……!」


 先程からマリアとエアリスが爛々とした目を向けてくるのだ。タケルが不用意な行動を取ったが最後、制裁はセレスティアのみならず、タケルにまで及ぶことだろう。


「ぶー。……じゃあ後でふたりっきりのとき、こっそりさっきの続きさせてね?」


「――ぐはッ」


 耳元で囁いてくるセレスティアに盛大に吹き出す。


 油断してはならない。

 セレスティアは中身は子供でも肉体からだは大人。

 某少年探偵とは真逆の性質を持っているのだ。


 しかもその顔はセーレスの面影を残しながらも、成長した姿を彷彿とさせる。

 正直、タケルはドキドキが止まらないのだった。


『何を言いやがりますか! 真希奈がいる限り絶対ふたりっきりになどさせません! いい加減諦めなさいこのおバカ精霊!』


「真希奈うるさいー! 真希奈の方がバカなんだからー!」


『バ、バカはあなたでしょう!?』


「違うもん、私バカじゃないもん! それに最初にバカって言った方がバカなんだもーん!」


『うがああああっ、ああ言えばこう言う! 腹立たしいぃ!』


 話が進まない。

 マリアとエアリスの厳しい視線は依然としてタケルに注がれており、この状況をなんとかするのはお前の仕事、と口より以上に目が語っていた。


 真希奈もすっかり精神年齢的に幼くなった――というより年相応になったようで、セレスティアと散々に張り合ってヒートアップしている。もうどうしたらいいのか……。


「あんたたち、いつまでやってんの。少しは【静かにしなさい】よ」


「お」


「わ」


『なんと』


 声はタケル、セレスティア、真希奈の順番だ。

 特にセレスティアと真希奈はピタリと口論をやめた。


 やめたというより、言い争うほどにささくれていたふたりの心の波濤が急速に収まり、言い争うような精神状態ではなくなった、という感じだった。


「色々としなきゃならない話、あるんでしょう。私も当事者のひとりとして参加させてもらうわ」


「ちょっと待て」


 エアリスの隣り、頭を抱えた様子のマリアはギロリ、と心深とその後ろをついてきたイリーナを睨んだ。


「本当にここは託児所か。さっきからガキしか出てきてねえじゃねえか!」


「あんたこそ誰よ。さっきからずっと偉そうにして。ヒトをガキ扱いする前に名前くらい名乗ったらどうなの。それにこの中で一番の部外者って案外そっちなんじゃない?」


 心深は腕を組んで傲然とマリアを見返す。

 タケルは「ブレねえなあこの幼馴染様は……」と呆れを通り越して感心していた。


「なんだと? いきなりしゃしゃり出てきて随分だなあ。そこのタケル・エンペドクレスと同じくらいムカつくぞおまえ……!」


「タケルと同じ……」


 心深はキョトンとしたあと、コホンと咳払いをして視線をそらした。ちょっと顔が赤い。何かが彼女の琴線に触れたらしかった。


「まあいいわ。話が進まないから自己紹介してあげる。私の名前は綾瀬川心深。そこの成華タケルとは子供の頃からの幼馴染よ」


「はあ? ますますわからねえ。なんでそんなのがここにいるんだよ?」


「礼儀がなってないわね。私が名乗ったんだからあなたも名乗りなさいよ。常識がないんじゃないの親の顔が見てみたいわ。そんな有様じゃこれから先、社会でやっていけないわよ?」


 ビキビキぃっとマリアは額に青筋を浮かべながら、それでもタケルよりかは嫌悪感がわかないのか「はあ」っとため息をつきながら名乗りを上げた。


「あたしはマリア・スウ・ズムウォルト。階級は中尉。現在習志野駐屯地に出向中のアメリカの軍人だ。そしてそこのセレスティアは現在ステイツの所属、あたしのパートナーって名目で日本に来てる」


「つまり自分の監督下にあったセレスティアが問題を起こしたら全部あなたの責任になるってこと?」


「そうだ。そして理由はどうあれ、昨夜セレスティアは本来一般人には絶対に使用してはならない魔法を使って数万人からの被害をもたらした。もう間もなく夜が明ければ正確な被害も明らかになる。そうしたらあたしは――」


 マリアは辛そうに顔を顰めて俯いた。

 握り込んだ拳が震えている。


 軍人として、そしてひとりの人間として、セレスティアを裁かなければならない。

 そんな未来がもうすぐ現実のものになるだろうと予測し、彼女は必死に自分の気持の落とし所を探っていた。


「タケル」


「お、おう」


 いきなり現れていきなり仕切りだした心深。彼女から唐突に名前を呼ばれ、タケルはキョドりながら返事をする。有無を云わさぬ様子で彼女は問いを投げてきた。


「あんたならわかるんじゃないの、昨夜の被害状況の詳細」


「あ、ああ。ずっと調べさせてる。真希奈、とりあえずの報告でいいから、現状わかってることを教えてくれないか?」


『畏まりました』


 ロビーの液晶モニターに姿を現した真希奈が、まるで解説者のように字幕&グラフつきで説明を始める。


『昨夜の事件は『秋葉原テロ事件』『聖夜の怪獣事件』などと呼ばれ、現在もテレビ新聞、ネットで話題となっています。昨夜、タケル様たちが戦い始めてから、事件が収束するまでに関係した被害者は延べ6万7801人。そのうち重傷者は8名です』


「え、8人だけ、なのか?」


 タケルが驚きの声を上げる。マリアも「ホントか?」と片眉を跳ね上げて真希奈の解説モニターを覗き込んでいた。


『アファーマティブ。重傷者の分類は、セレスティアの展開した【異界】の外壁に無理やりよじ登ろうとし、精気を根こそぎ吸われた中高年男性、助けに駆け寄り同様に精気を吸収された警察官。周囲を飛行していたテレビ局の報道ヘリの搭乗員4名。そしてあのロボットに搭乗していたあなた、マリア・スウ・ズムウォルト。そしてタケル様。――以上になります』


「あれか」


「ああ、いたなそういえば」


 中高年男性と警察官を救助したのはマリアだ。

 そして報道ヘリが墜落したのは、セレスティアのアブレシブ・ジェットとエアリスのホロウ・ストリングスが激突したとき、衝撃波に巻き込まれて墜落してしまったのだ。おそらくあの時の者たちだろう、とエアリスは見当をつける。


 未だそんな数字が信じられないのがタケルだった。


「ろ、6万人強も巻き込まれて、ほんとに被害はそれだけなのか?」


『現在まで確認中ではありますが死者はひとりもいません。セレスティアの【異界】の内部に閉じ込められていた者たちは全員仮死状態にありました。後に一人残らず蘇生して自力で帰宅した者もいます。怪我をした者たちはセレスティアの魔法とは関係のない、関連災害に見舞われたものたちです。分類は帰宅の際に転んだもの、【異界】から開放された際に階段を踏み外したもの、走って逃げる際に将棋倒しになったもの、ガラスの破片で手を切ったもの、などなど。今朝までに首都圏内の総合病院に2万4010人が入院していますが、全員今日中に退院できるようです』


「よ、よかった……本当によかった!」


 タケルは安堵からセレスティアに抱きつき、その頭を抱きしめた。

 真希奈の報告を固唾を呑んで聞き入り、涙目になっていたセレスティアは、思わぬご褒美に「ふわああ……お父しゃま……!」と感激していた。

 

「と、言うわけよ。特に怪我をしたヒト、巻き込まれたヒトには、あとでコイツが借金してでも見舞金なり粗品なり持って謝りにいくから問題ないわ」


「いや、何勝手なこと言ってるんだ――まあ、そのとおりだけど」


 フンス、っと腕を組んで言い放つ心深にタケルが抗議する。

 だが彼女は知ったことか、とばかりにそれを黙殺した。

 うーん、とタケルは唸る。すっかり心深のペースで面白くないのだった。


「死者がいなかったのは幸いだが、ことはそう単純な問題じゃねえ。どうしてセレスティアがあんなことをするに至ったのか、それがまだ謎のままだ。それを解決しないことには、また同じ問題が繰り返される可能性がある。原因の究明とリスク・ヘッジは必ずしておく必要があるんだ……!」


 こういう思考ができる辺り、マリアは確かにこの中でも一番の常識人であり、大人であると言えた。もうすでにその資質が認められ、軍人としては一角の存在になっているのだから当然ではあるのだが。


 そして心深もまた、声優として幼い頃から大人の世界で仕事をしてきた経験がある。生まれや育ち、立場は違えど、十代にして既に責任のある仕事に従事している点では、ふたりの物の考え方や対応は、驚くほど似ているのだった。


 セレスティアの友として懊悩するマリアに、心深は深く息を吐きながら言った。


「原因なんて簡単よ」


「どういう意味だ、何か知ってるのかおまえ――!?」


 心深へと詰め寄ろうとするマリアを遮るように、心深は足元に置いていた紙袋を放った。


「なんだこりゃ――って、あたしのアクア・リキッドスーツ?」


 袋の中からは、病衣に着替えさせる際、脱着させたマリアのスーツと、そしてもう一着、同じくアクア・リキッドスーツが入っていた。


「おい、なんでこいつが2着もある……? どういうことだ!?」


「さっきここの安倍川っておばさんから預かってきたのよ。ひとつはあなたの。そしてもうひとつは私が身につけていたものよ」


「なん、だと?」


 心深の告白に、マリアは逆に冷静になったようだった。

 静かに、だが有無を言わさぬ迫力を持って心深にその意味を問う。


「おまえ、綾瀬川って言ったか。これをどこで手に入れた? これはステイツの中でも最高機密に抵触する装備だ。偶然手に入れたなんてことは絶対に有り得ない。そして、この装備を持っているのはあたしの仲間だけだ……!」


 グググっとスーツを握りしめ、マリアは殺気さえ孕んだ瞳で心深を睨んだ。

 心深はその瞳を正面から受け止め、少しも臆することなく言い放つ。


「私もあなたと同じ、魔力に耐性を持つ地球の魔法使い・・・・・・・だから。そして私にそのスーツを与えた奴らはこう名乗ったわ。『アダム・スミス』と『秋月楓』と」


「な、にぃ――!?」


 希少な地球の魔法師が出会った今この瞬間、ようやく事件の全貌が解き明かされようとしていた。



 *



 心深は僅か一日前の出来事をマリアに話した。


 突如として自分の仕事場に押しかけてきたスミスを名乗る男と、大きなサングラスをかけた秋月楓なる女性がCIAのエージェントを名乗り、捜査協力を求めてきたのだと。


「捜査協力だぁ? いやそれ以前にCIAって。あいつらなんでそんな嘘を……」


 自分の上司でありAAT部隊の隊長であるはずのスミスが立場を偽ることに、マリアは疑問を覚え首をひねった。


「何、あなたの知り合いなの?」


「……上司だ。あともう一人は……たぶん同僚、だと思う」


 サブカル好きで自分のコレクションを問答無用で貸し与えてくる困った上司と、そんな上司をこの上なく尊敬しているであろう同僚。


 マリアはオータムの素顔を見たことはない。だが今スミスの出張に同行しているのはオータムのはずだし、スパイなら偽名のひとつやふたつ持っているだろうとも思うのだった。


「彼らは私に言ったわ。タケル・エンペドクレスというテロリストを捕まえるのに協力してくれって」


「はい?」


「む?」


「ほえ」


『なな、なんですって!?』


 タケル、エアリス、セレスティア、そして真希奈が反応する。

 心深の隣にいたイリーナはなぜか腹を抱えて爆笑していた。


「ありゃあ、タケル、あんたついに年貢の納め時ってやつ? 色々無茶やらかしてきたのがバレちゃったんじゃないの?」


「随分と他人事だな。僕が捕まるとしたら、きっとおまえも捕まるぞ。シリアのときは色々と危ない橋渡っただろう?」


「残念だけど、足がつくようなヘマはしてませんー。私のクラッキングは完璧だからー。ペンタゴンの乱数セキュリティコードなんて、レッツゴー仮面ライダー歌ってる間に突破できちゃうんだから」


「おい今なんつったガキ?」


 物言いをつけたはマリアだった。

 仮にもアメリカの軍人なのだ。

 聞き逃せるはずがなかった。


「おまえが今言ってることは犯罪の告白だぞ。よくもあたしの前で言えたもんだな?」


「な、なによ、あのときは緊急事態だったんだから。実際、タケルが駆けつけなきゃ『G.D.Sグローバルドクターズ』の人たちだってヤバかったんだから!」


「……っち。やっぱり人質を助けたのもおまえの仕業だったのか、タケル・エンペドクレス!」


『G.D.S』のメンバーを助けたのも。そしてテロリストのキャンプでセレスティアと邂逅していたのも全て。あのけったいな鎧を身に着けていたのが彼だったのだとマリアは今確信した。確信した途端、怒りに似た感情が沸き起こってきていた。


「ああ、確かにあれは僕だ。スタッフ関係者の要人に頼まれてな。単独でシリアに飛んだんだ」


 タケルが認めた途端、マリアは激昂した。


「素人がヒーロー気取りかコラッ! おまえの勝手な行動のせいで人質全員殺されてたかも知れねーんだぞ!」


 マリアの怒りは当然のものだった。作戦を遂行するアメリカの軍人として、あの作戦に費やされた時間、予算、そして人員。莫大な労力と引き換えに、綱渡りのようなバランスの最中、ゴーサインを待っていた身として、文句のひとつも言いたくなるのだ。だが――


『訂正しなさい。タケル様は英雄願望などのくだらない理由のためにシリアに赴いたのではありません。素性を隠し、仮面をつけ、滅私の精神で戦ったのです。実際にあなた達、海兵隊とあのロボットで押しかけていっても、ロシア航空宇宙軍の空爆からは人質を守りきることはできず、必ずや人的被害を出していたはずです。魔法師として稀有なスキルを持ったタケル様が動いたからこそ、人質は全員生還できたのです』


「あたしは確かに魔法使いとしてはおまえとは比べ物にならねえだろう。だが本当に人命最優先で行動を起こすなら、なんで単独行動をしたんだ。あたしたちは弱いからこそチームで行動する。ひとりで足りない力を複数でカバーし合う。たったひとりの突出したスキルを持った軍人じゃあ、せいぜい使えるのは暗殺任務くらいだ。ましてや、ひとりで救出作戦なんてやるヤツをあたしは絶対に信用しない……!」


『それはあなた達人間の理屈です。タケル様は魔族種です。人間を超えた存在なのです。そして万が一をカバーするために私という人工精霊がサポートしています。万全に万全を重ねた作戦でした。結果はご覧のとおりです。まあ、功績はあなた方にかっ攫われてしまったようですが』


 人質を全員助け出し、テロリストを拘束したのは全てアメリカ軍の特殊部隊の功績になっていた。その武勲を引っさげて、今後マリアはメディアに顔を出すことにもなるだろうし『非対称戦争対テロ法案』の喧伝にも利用されるだろう。だが――


「何が万全だこの野郎、『タケル様を助けて』って救難信号を全方位で垂れ流したのはおまえだろう?」


『あ、あれは、予期しないトラブルがあって――』


「おいおい、やっぱりミスはあるんじゃねえか。魔族種だかなんだか知らねえが、神様だってトチったり失敗はするんだよ。もしそのトラブルとやらが人質救出の最中に起きてたらどうなっていた? おまえが勝手にくたばるならいいが、人質が殺されていた可能性もあるんだぞ!?」


『くッ、この、トラブルが起きたのは人質を救出したあとで――』


「確かにマリアさんの言うとおりだ」


 容赦ないマリアの突っ込みに、ムキになりかける真希奈。

 そんなふたりの間に入ったのはタケルだった。


「人質が無事だったというのは不幸中の幸いであり、結果論だ。僕はあの時、未だに自分の力の全てを把握しきれていなかった。魔力の分配タスクが過剰になり、僕の中に封印していた『聖剣』が暴走するなんて思ってもいなかった。本当に、人質を前に戦っている最中にそれが発現しなくてよかったと思う」


『タケル様……』


「マリアさん、本当に申し訳なかった。あなたに謝って済む問題じゃないし、依頼人に迷惑がかかるから、公式に裁かれるわけにはいかないが、僕個人としてはあなたに異論はない。謝罪する」


「――っち」


 マリアは舌打ちした。己の非を認めて素直に頭を下げるタケルを一瞬潔いやつだと思ってしまったからだ。


 先ほどマリアと言い合いをした時のように、また小賢しく反論してくるかと思いきや、潔く己の非を認めている。そんな風にされたらマリアは押し黙るしかない。彼女もまた、彼に文句を言える立場にはあれど、裁ける立場にはないのだから。


 それにタケルは要人から依頼されたと言っていた。あの時の日本政府の及び腰の対応はマリア自身も腹に据えかねていた。自分の国の国民が人質に取られているのに、すべての対応をアメリカに丸投げしてきたのだ。


 そのくせなにかあれば責任はこちらへとおっ被せてくるに決まっている。だからこそマリアは失敗できない作戦として張り詰めていた。タケルへと食って掛かったのはその反動なのだった。


「あん?」


 マリアは気づく。なにやら周りの空気が変わっていた。エアリスやセレスティアを始め、心深も熱っぽい目でタケルをポーッと見ている。イリーナだけは空中のアウラと目を合わせながら『ヤレヤレだねえ……』みたいな顔をしていたが。


 完全にアウェーじゃねえか、とマリアは面白くなさそうに息を吐き、ソファにドッカと腰掛けるのだった。

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