第158話 聖夜の動乱篇2⑥ 希望と絶望の夜~母と娘と精霊の唄・その二
*
12月24日
【東京都千代田区外神田・秋葉原駅上空】
「――っち、まだ飛んでやがる。どこの国のメディアもバカばっかりだな!」
ブラック・ウィドウのコックピットに騎乗したマリアは悪態をついていた。
戦闘空域内に未だに報道ヘリがいるためだ。
先程のように秋葉原駅の直上からはいなくなったが、数百メートルの距離を置いて付かず離れずマリアの方にカメラを向けているのがわかる。
「――こちらマザー1、戦況報告。外神田に出現した謎の閉鎖空間は半球状のドーム型。直径は約300から330メートル。直接触れなければ今のところ害は無し。送る――」
大きく広げたメインウイングに風を受けながら、マリアは秋葉原の上空を旋回していく。
眠らない街・東京。きらびやかなネオンが夜を彩るその最中で、ポッカリと口を開けた異質な空間。人口の灯りではない、魔素を帯びた藍色の光に満ちた、ドーム状の空間。
生身の人間が触れれば生気を失って昏倒し、その内部には数万からの人々が今も閉じ込められている――
「くそ、どうしちまったっていうんだよセレスティア!?」
マリアには、眼下のドームの正体がわかっていた。
あれは紛れもなく、セレスティアの固有魔法『アクア・ブラッド』だ。
どういう理由かはわからないが、とてつもない容積と質量――かつてないほどの規模で展開された水精魔法の領域であることがわかった。
その大きさは、マリアは知る由もないだろうが、ちょうどデートのときに見かけた東京ドームと小石川後楽園がすっぽりと入ってしまうほどの大きさであった。
あのあと――
セレスティアを見失い、工藤や他の自衛官たちと探し回っていたとき、緊急招集がかかり、マリアは後ろ髪を引かれながらも習志野へと帰還した。
国内初のテロリズム鎮圧に動くかもしれない。引いては対テロ法案に先駆けて出撃の可能性あり。歩兵拡張装甲部隊の隊長である工藤は、明らかに緊張した面持ちで命令を受けていた。
そして、マリアもまた作戦への参加を志願した。
本来AAT部隊所属であるマリアには出撃の要請は出ていなかった。にも関わらず志願したのは、秋葉原の惨状をテレビやツイッターを通じて知ってしまったからだ。
隔絶された空間。昏倒する人々。内部と一切連絡が取れず、事態はただのテロリズム鎮圧とは言い難い状況になってしまっている。ひいては戦闘アドバイザーとして参加をさせて欲しいと――
もっともらしい理由をつけてはいるが、マリアは確信していた。
あれは魔法によって引き起こされたものだと。
セレスティアが消えてしまったことであの事態が起きた。
危ういところがあると、決して一人にしてはならないと。
そうわかっていたはずなのに、これは目を離してしまった自分の責任。
間違いなく責任の一端は自分にあるとマリアは自覚していた。
マリアが参戦すると知ると、工藤たちは両手を上げて歓迎してくれた。指揮系統がふたつになるのは不味いと思い、マリアは指揮官の立場を工藤に譲るつもりだったが、全員の強い要望で戦闘に限ってはマリアの意見が尊重されることとなった。
そして今、マリアは威力偵察をしながら、立場と責務の間で雁字搦めになった己自信の鎖を打ち破るため、機体を急停止させた。ドーム内に収まりきれず、突き出たビルの屋上に降り立つと、コックピットハッチを開け放ち、力の限り叫んだ。
「セレスティア――! あたしの声が聞こえるか――!」
テレビカメラが見ていようが、野次馬に聞かれようが関係ない。
誓ったのだ。周りが敵だらけでも、あたしだけは味方になると。
「頼むから出てこい! もうこんなこと終わりにしよう――!」
何が原因でこんな事態になっているのかは知らない。
何故こんな大勢を巻き込んで大規模な魔法を展開しているのかもわからない。
でも彼女は約束してくれたはずだ。いい子になると。
愛する母親が目覚めたときのために、決して悪いことはしないと。
そうして日本の神社で祈りを捧げていた姿はまさに聖女のような神々しさを放っていた。その願いにウソはなかったはずだ。
「セレスティアァァァァァ――――ッッ!!」
もう何度目になるか。
マリアの叫びが冬の夜空に虚しく消えたその時だった。
まるで呼び声に応えるように、ドームの天井に穴が開く。
その中から弾丸の如く飛び出した人影に、マリアは覚えがあった。
「おまえは――」
「む。貴様、見た覚えがあるな」
風の魔素を纏い、蒼みがかかった銀髪をたなびかせたエアスト=リアスが、ブラック・ウィドウのコックピットに収まるマリアを見下ろしていた。
*
12月24日
【UDX前秋葉広場】
「タケル! 無事だったか――!」
歓迎は熱烈な抱擁だった。
僕はあの後、セレスティアから溢れ出した大量の水――魔素を含んだ大波に飲まれる直前、真希奈が展開してくれた魔力バリアのお陰で事なきを得た。
そして全身がバラバラになりそうな水圧に耐えながら、同じく風の魔素による結界を張っていたエアリスと合流することができた。
「はあっ――ふう……空気が美味い!」
エアリスが張り巡らしていた風の結界はかなり大きめのものだった。
地面に接地した直径五メートルほどの球形。内部は浄化された新鮮な酸素で満たされており、僕の残り少ない魔力で作り出した、最低限の魔力バリアとは比べ物にならないほど快適な空間だった。
「まったく貴様という奴は……、まあ無事ならば何よりだ」
『何を脳天気な! 無事だなんてとんでもない、今のタケル様は重症ですよ!』
ホッと胸を撫で下ろすエアリスに対して、スマホから真希奈が猛抗議する。事実僕は外見こそ大したことがないように見えて、その中身はボロボロだった。セレスティアを正気に戻すため、水精剣による攻撃を胸に受けていたからだ。
「なんだと、やはりあの水の精霊の仕業か!?」
エアリスが僕から離れながら怒気も露わに吐き捨てる。
エアリスの中でセレスティア印象は、シリアで出会ったときのままなのだ。
彼女にとっては、僕を傷つける憎き仇と認識されているのだろう。
だが――
「違うエアリス。僕はもうセレスティアとは和解した。どうやら彼女は、何者かのせいで正気を失っていたらしい。最初、シリアで出会ったときに攻撃されたのは誤解だってわかったんだ。でもさっきの攻撃は彼女の意思によるものじゃなかった」
ずっとずっとひとりぼっちで――
そう叫んでいたセレスティア。僕がセーレスを探しあぐねていたせいで、僕に憎しみを抱いてしまうほど、何か辛い目に遭っていたのは間違いない。それを考えれば、僕はもう彼女を叱る気にはなれなかった。
「……そうか、貴様がそういうのならば私も水に流そう」
「…………」
「どうした?」
いや、どうしたもなにも。
「えっと、いいの、ホントに?」
「いいもなにも、貴様の中にわだかまりがないというのならば、私はそれで構わん」
「いや、すごい剣幕で物騒なこと言ってたじゃないか」
貴様は殺すぞ、とか。必ず報いを受けさせるとか……。
何度も言うが、当時の僕は重症で気を失っていた。
その後、真希奈に色々状況を聞いて、久しぶりにエアリスの攻撃的な面を垣間見てゾクっとしたのだ。
「あのときは状況が状況だ。酷い有様の貴様を見て、私も取り乱していた。よくよく聞けば何もかもすべて、あの者にやられた怪我というわけではなかったのだろう?」
「まあ、そうだな」
「ならばいい。それにあの者がセーレス殿の精霊だというのなら、貴様にとってはアウラと同じく娘も同然なのだ。今は誤解され疎まれようとも、貴様が諦めない限り、
「――おまえ」
たまに。ごくごく稀に。実はエアリスさんは何にも考えずに、僕に都合の良い言葉を言ってくれてるんじゃないかと思うときがある。それは僕自身の従者を公言する彼女が僕に好かれたい一心で、心にもないことを口にしている――などと考えることは彼女への侮辱であることはわかっている。
実際に僕は一度、彼女の素の心にアウラを通して触れているのだ。自分の気持ちの置き所がわからず、悩み苦しみ、そのストレスからアウラを顕現させてしまうほどに、激しくも複雑怪奇な情動を抱えていることを僕は知っている。
決して彼女は状況に流されているわけではない。僕に都合のいい女を演じているわけでもない。なんというのか、感じ方やモノの見方、目線の高さが同じ……もしくは非常に近いと思う。いや、正確には近いところに合わせてくれている――ということなのか。
「――なッ! タケル、なにを!?」
とりあえずハグだハグ。この果報というか幸福というか、とても言葉では表せられない気持ちを伝えるには行動しかない。――ん? 果報と幸福って同じ意味か?
「コラ貴様っ、いい加減に悪ふざけはよさぬか……!」
うわ。ハグしてから気づく。なんというボリューム感。不可抗力だ。目の間にこんなたわわなお胸があるなんて僕は知りもしなかった……ホントだよ?
『……
「真希奈!?」
僕とエアリスに挟まれたスマホからダークトーンな声が響いた。
「む。それはどういう意味だ真希奈よ?」
ダメ、興味持っちゃダメだエアリスさん!
『セレスティアとも数瞬前まで戦っていたとは思えないほどとても親しくなっていました。ちょうど今のあなた達のように、睦まじく身を寄せ合って、抱き合って、カラダを密着させて。さらにタケル様はエルフの弱点である耳責めまでされていました。父娘? はっ――本当に娘に向ける気持ちだけだったのでしょうか、怪しいものですねえ?』
「貴様、よもや……」
よもや? なんだよ? 断じてそんなやましい気持ちはないぞ! 多分……。
『ああ、そういえば、『乳デカ女』の名前は返上しなければならないようです。セレスティアのバストサイズはあなたよりも上のようです。タケル様はセレスティアの大きなおっぱいが大層好きだそうです。心拍数が跳ね上がっていました……ねえタケル様?』
「何だと……!」
エアリスはショックを受けたように肩を震わせている。
僕は真希奈の嫉妬深さのおかげで身の破滅だ。どうしよう。
「そう、だったのか? このようにみっともない胸は嫌いではなかったのか貴様?」
「おお……!」
エアリスは、ニットセーターに包まれたバストをぐいっと下から持ち上げた。
V字の襟元に空間ができて、谷間がチラッと覗いている。
すごい、なんという魅惑の空間。僕の視線が自然と引き寄せられていく。
「実はその、告白するとだな。地球に来てから少し太ってしまったようなのだ私は。最初に貴様に買ってもらった衣類の
「なん」
『ですって……?』
知らなかった。地球に来てからというもの、食料事情は格段に良くなったとエアリスは言っていた。つまり、まだまだ育つ余地があったということなのだろう。
言ってくれれば下着を買うお金くらいすぐに出すのに。なんならスカジャンのときのように僕好みのものを選んで――いやいや、嘘だよ、冗談だよ?
戦慄と共に僕が感心しきっていると、僕より以上にショックを受けた人工精霊がついに雄叫びを上げた。
『ま、真希奈は、真希奈わああああああ――! もう我慢できません! 今すぐ例の計画を実行に移します! どうしてタケル様の周りには、タケル様を誘惑する女ばかりが溢れかえっているのですか! そしてどうして真希奈は同じスタートラインに立つことすらできないのですかああああああ!』
ギャン泣きだった。スマホのスピーカーから大音量の怨嗟が轟いてくる。
僕の愛娘の中で、何か大切な一線が壊れてしまったようだ。
「お、落ち着け真希奈! というか例の計画ってなんなのさ!?」
『うるさいうるさいうるさいです! タケル様の浮気者ー! 女たらしー! ムッツリおっぱいマニアー!』
「ちょ――浮気者って!? あとそんなマニアとか違うからね僕!」
「む? タケルよ、大きな胸が好きだということは、貴様が時折私の胸元や尻を見ていたのはどういう意図なのだ? もしやあれは嫌悪などではなく――」
「おまえもおまえでパンドラの箱を開けようとするな!」
わいわいわい、ギャアギャアギャア。
五メートルほどの風の結界の内部はかしましいことこの上もない。
本来こんなことをしている場合ではないというのに、僕らはもうしっちゃかめっちゃかで収集がつかない有様になっていた。
「――あんたたち、いい加減にしなさいよ?」
ボソっと暗く重い――けれども綺麗な声が僕らを打ち据えた。
鎮静効果さえありそうなよく通る美声だった。
でも隠しきれない苛立ちというか、怒りの感情も一緒に伝わってくる。
「このクソ狭い空間でツッコミ不在のトリオ漫才してんじゃないわよ! そんなことしてる余裕ないでしょうが――!!」
声の主はエアリスの背後――綾瀬川心深だった。
彼女はこめかみをピクピクとさせてこちら(主に僕)を睨みつけていた。
どうでもいいけど、彼女が着てるスーツってピッチリしてて普通にエロ――いえ、なんでもありません。
*
「最初はどの面下げてあんたに会えばいいんだって暗澹たる気持ちになってて。せいぜい膝抱えて隅っこでしおらしくしてようと思ってた矢先になにアレ? もうぜんぜんそんな気なくなった。私が止めなかったらあんたたち、ここの酸素がなくなるまで延々イチャイチャするつもりだったでしょ?」
「いや、そんなつもりはないっていうか」
「黙りなさいよ女たらし?」
怖え。質問してきたくせに黙れってのも理不尽だが、今の心深はそんな文句を寄せ付けない『凄み』に満ちている。
僕とエアリスは今、心深に説教を食らっている最中だった。
真希奈は『通信不全。一時退避します』とか言ってだんまりだ。裏切り者め。
「いや待ってくれ。そもそも女たらしってなんだよ。真希奈に言われるならまだしも、お前に言われる筋合いは――」
「ああ、ごめんごめん。ムッツリおっぱいマニアの方がいいのね?」
「どうぞ女たらしと呼んで下さい心深様」
昔っからこの幼馴染様に口喧嘩で勝てた試しがないのだ。だから極力面と向かい合わないよう心がけてきた。罵り合い? ほとんど僕がサンドバッグですがなにか?
とにかく。分が悪いと思った僕は、エアリスと心深に、どうして一緒にいるのかの説明を求めた。それによると、どうやらふたりは一度戦闘になったらしく、そしてやはりというか、心深もセレスティア同様正気を失い操られていたようだった。
心深を正気に戻すと同時に大波が発生し、エアリスは上空へ逃れようとしたらしいが、アウラやイリーナを案じて結界を張って残ったのだという。僕がふたりはすでに遠くに避難していると告げると、エアリスは心底安堵し、大きな胸を撫で下ろしていた。
「そ、それじゃあ心深がいい感じに突っ込みを入れてくれたことだし、改めて状況を整理しよう。真希奈ー?」
『――通信回復。感度は良好ですタケル様』
「裏切り者め」
『タケル様が何をおっしゃっているのかわかりません』
ホント僕の娘はいい度胸をしている。まあ駅前での戦闘のときは僕の名誉を守るためにマジギレしてくれたし、いい子ではあることは間違いないのだが、たまに紙一重だよね?
「現在僕らが置かれているこの空間に対するお前の認識を聞かせてくれ」
『畏まりました。――並列審議開始。――状況分析。――解答帰結。――この空間は魔法的に構築された【異界】であると推測されます』
「異界? それは今僕らを包んでいるこの風の結界のようなものか?」
『ネガティブ。タケル様が聖剣で作り出すダークエネルギーの空間が近いと推察されます』
「その理由は?」
『回答1、展開規模。風の結界内に入る直前までの分析では、この【異界】は直径約325メートルの半球形。秒速0.789ミリずつその規模を拡大しています。セレスティアの魔力が続く限り延々広がっていくものと考えられます』
325メートル。なんてこった。秋葉原駅を中心して万世橋から中央通りがすっぽりと入っちまう。クリスマス・イブを楽しむ人々+僕とセレスティアの戦闘を見物していた野次馬と併せ、一体どれほどの一般人が巻き添えになっているのか。
『回答2、この【異界】は特殊効果を内包したセレスティアの固有魔法である可能性が高いと考えられます』
「固有魔法? 僕が普通に水の魔法を使うのと違うっていうことか?」
『
さらりと告げられた言葉に僕は耳を疑った。マジかよ!?
「おいおいおい! じゃあ、今こうして風の結界の中にいるけど外では――」
『恐らく。タケル様の考えているとおりになっているはずです』
真希奈の肯定を飲み下すには重すぎる事実だった。
突然顔を蒼白にした僕に対して、焦れた心深が抗議の声を上げる。
「ちょっと待って。あんたさっきからスマホに向かって誰と話してるのよ。話の内容もちんぷんかんぷんだし。もっと分かるように話しなさいよ」
心深が口をへの字にしながらエアリスの肩を叩く。
「先輩も何か言ってくださいよ!」と煽った。
「ふん。大体いつもこんなものだ。タケルと真希奈の会話は専門的すぎて私にはわからんことが多い」
いや、思いっきり魔法のことについて話してたんだけどね。
『こほん。申し遅れました。真希奈はタケル様によってはるか1400光年彼方のケプラー星系で創造された人工精霊真希奈です。以後お見知りおきを――』
「なんだ、あんたのネットゲーム友達か。理解しようとした私が馬鹿だったわ」
『違います! 真希奈はシード・コアに宿った高次元の情報生命で――』
「真希奈、今はいい。後にしろ。それよりもさっき言ったことは本当なのか?」
悪いが心深の疑問を解消している時間はない。
もし真希奈が言っていることが事実なら、とんでもないことが現在進行系で起こっているからだ。
『観測と分析に基づく確かな結果です。現在真希奈の独自クロックとこのスマホが刻んでいる時間に於いて最大二時間弱の差異が発生しています』
「つまり、どういうことよ?」
心深が怪訝な顔で僕を見つめる。
エアリスも答えを求めて僕の瞳の奥を覗いている。
ざっくりと僕は噛み砕いて説明した。
「この結界――エアリスが展開してる風の結界の外は時間の流れが遅い。もしくは著しく停滞しているってことだ。僕ら浦島太郎だよマジで」
「なんだと――それは真か!?」
「はあ? 笑えない冗談なんですけど……?」
僕の言葉の前半にエアリスが食いつき、後半にはようやく心深が理解を示す。特に浦島太郎の逸話を知ってるものだから、心深の方が抱く危機感は強いようだ。その顔からは血の気が引いているのがわかる。
『現在、真希奈の独自クロックはグリニッジ準拠12時24分。東京時間では21時24分になります。ですがこのスマホの時計は19時30分を刻んでいます』
「つまり私の風の結界であっても、セレスティアの魔法の力には抗えない、ということか?」
『その通りです。私達がいる結界より外の通常空間において、時間はずっと早い進み方をしています。おそらく事態は明るみになり、政府対応が検討がされている段階でしょう』
「真希奈、外部との連絡は可能か?」
『
「そうか……、真希奈。僕は行けるか?」
『
「ということは――突破だけはできるのか?」
『……
「ですが、なんだ?」
『その後はこの風の結界の維持のため、残りの魔力を全て使用しなければなりません』
なるほど。そのために怪我の回復に魔力を回す余裕がなくなるってことか。
「なんだ、そんなことなら平気だよ。ウラシマ効果が幸いだな。多分体感時間的にはあっという間だぞ、な、エアリス?」
「無論だ。最速で片付けてくる。セレスティアのことも任せておけ」
エアリスから頼もしい返事をもらい、不覚にも僕の胸が熱くなる。きっと彼女なら上手くやってくれる。セレスティアを救い、異界に閉じ込められた人々も救ってくれるはずだ。
「ありがとう」
言葉は簡潔だが、心からの気持ちを込めて僕はそう口にしていた。
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ!」
異議を唱えたのは心深だった。
その瞳は戸惑いと驚きに彩られていた。
「あんたたち一体なんの相談してるわけ? まさかとは思うけど、この事態をどうにかしようとか考えてるの!?」
「もちろん、そのつもりだけど」
まあ肝心なところで役に立たない今の僕がそれを口に出すのは情けない話ではあるのだが……。
「正気なの!? こんなの警察とか自衛隊の領分じゃない! 私達はまだほんの子供で高校生なのよ! いい加減現実見なさいよ!」
ああ。本当に久しぶりに常識的な意見を聞いた気がする。地球じゃあ僕もエアリスもまだ高校生なんだよなあ。普通なら学校に通って、そろそろ大学受験のこととか進路を考えなきゃいけない時期なのか。でも――
「警察や自衛隊なんかの手に負える事態じゃない。魔法ってのはそういうものなんだ」
地球とは人々から魔力が枯渇してしまった世界である。魔素や愛と憎の意志力もありながら、エネルギー源である魔力だけがない。魔法は魔法を以てしか対処できないし、たとえミサイル攻撃をしたところで、このドーム状の異界をどうにかすることはできないだろう。
「それにセレスティアは僕の娘だ。身内のしでかしたことは身内でどうにかする。当たり前のことだろ?」
『とは言っても今のタケル様は、そこの乳デカ女に頼らざるを得ない状況ですが』
「いいんだよ、エアリスだって身内なんだから」
「タケル……!」
エアリスさんから熱っぽい視線を感じる。
あー、恥ずかしい。でもまあ悪い気分ではなかった。
さてと。いい加減そろそろ行きますか。
「道は僕が作る。残りの魔力も預ける。後は頼んだぞエアリス――」
今朝方再生したばかりの右腕に魔力を集中させる。
風の結界に穴を空けつつ外の異界にも穴を穿つ。
細かい制御や結界内の酸素を逃さないようにするのは真希奈の仕事だ。
本来、僕の魔法は大雑把だが威力だけが持ち味だしな――
「穿けーッ――!!」
魔力を纏った拳を天井へと突き上げる。
我ながら大砲のような威力で魔力の塊は直進し、遥か彼方に星星を切り取った小さな穴が穿たれた。うむ。我が生涯に一片の悔い無し拳と名付けよう。
『成功です。穴が閉じる前に急いで下さい――!』
「エアリス――」
残った搾りカスみたいな魔力をエアリスに渡そうとする。
方法なんてそんなの決まっている。
僕は彼女の腰を抱き寄せその唇に――
「待て」
厭うように、彼女の手が僕の口元を覆った。
このタイミングで物言い!?
何気に土壇場で拒否されるのはショックだ。
と――
「んううっ!?」
「……ふう。残りの魔力は取っておけ。今の私は何故かな――絶対誰にも負ける気がしないのだ……!」
まさかの逆襲だった。
魔力を渡すとか、そんな副次的な要素を含まない、ごくごく普通の睦み合うためだけのキスだった。
「それにな、貴様は不意打ちで私の唇を奪いすぎだ。次からはちゃんと事前に許可を取れ。いいな?」
「……はい」
そんな男前のセリフを言われてしまっては平伏するしかなかった。
エアリスは風を纏うと弾丸のような勢いで結界外へと飛び出していく。
彼女が無事に外に出られたかどうか、それを確かめる前に穴は閉じ、再び風の結界内に静寂が戻ってくる。
「…………」
『…………』
さてさて。
目は口ほどにモノを言うって感じの心深さんと、体の芯が凍えるような冷気を発する真希奈さん。どんな言い訳でふたりを取りなしたものかと、僕は頭を悩ませるのだった。
*
12月24日
【東京都千代田区外神田・元秋葉原駅上空】
「この機械人形は――」
「あんたは――」
不意に出会ってしまった異世界の魔法使い。
そして現存する数少ない地球の魔法使い。
「だますかすで見たな貴様は」
「シリアのときの魔法使いか!?」
そう。
セレスティアを追いかけていった先で出会った、セレスティアに匹敵する力を持っているであろう魔法使い。
それが何故アクア・ブラッドで形成されたドームの中から出てくるのか。
「答えろ! 何故この中から出てきた!?」
ジャキっとブラック・ウィドウの右手――袖の下からせり出した銃口をポイントする。相手の方が強いとか、自分より以上の魔法が使えるとか、そんなことは今のマリアには関係がなかった。
「何故かだと? 内部に居たからに決まっているだろう、馬鹿か貴様は」
銃口を向けられている意味がわからないのか、それとも脅威とは思っていないのか。エアリスはくるりと背を向け、改めてドームを見下ろしている。
「おまえは何か知ってるのか、秋葉がどうしてこうなっちまったのかを、セレスティアのことを――!?」
マリアは必死だった。このままではセレスティアがヒトを殺してしまう。そんな姿は見たくないし、純粋で無垢な彼女がこんなことをしてしまうのも信じられない。
僅かに目を離した隙に消えてしまった彼女が、自らの意志でこんなことをしているとはとても思えないのだった。
「今は貴様に構っている暇はない。セレスティアを正気に戻さねばならないのでな」
「なんだって――おい、今なんて言った!?」
「む。なんだこれは……!?」
異変が起き始めていた。
ドーム全体が藍色の明滅を繰り返し、そこかしこで雨に打たれたような、泡立つ波紋が発生している。ズズズっと不気味な地響きまでし始めていた。
「地震!? デカいぞこりゃあ――!」
「――ッ!? 避けろ貴様!」
「うわあ――!?」
言うが早いかエアリスから暴風が繰り出される。突然の浮遊感にブラック・ウィドウの安全機構が働き、開け放たれていたコックピットハッチがオートで閉じる。
マリアが中空で姿勢制御をしていると、今しがたまで立っていたビルの縁が突如爆発した。
「いや違う――爆発じゃねえ! なんだありゃあ!?」
大きな
それは巨大な巨大な蛇だった。
ビルの屋上に顎を乗せ、舌をチロチロと出し入れしている。
全身藍色の鱗がびっしりと浮き上がり、眼と眼の間にはライオンの鬣のようなものまで生えている。蛇と呼ぶにはあまりにも醜悪で、禍々しい姿形だった。
異常事態はそれだけに終わらなかった。
ドームからせり出した大蛇は一匹だけではなかったからだ。
ぶしゃああああああっと、さらなる水柱が沸き起こり、もう一匹、さらにもう一匹と数が増えていく。
合計八本。水柱はすぐに意味のある形を作り出し、ひとつひとつの身の丈が高層ビル程もある大蛇へと変貌していく。
その様はエアリスやマリアだけではない、報道ヘリに乗ったテレビカメラを通じて、全国のお茶の間へと届けられることになる。
聖夜の夜は悪夢と化した。
人々の心には、掛け値なしの絶望が刻まれることになった。
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