第157話 聖夜の動乱篇2⑤ 歩兵拡張装甲部隊見参~母と娘と精霊の唄・その一

 *



 12月24日午後21時05分

【首相官邸内、緊急記者会見場】


 政府与党から重大発表がある。


 その報を受けた記者たち――特に記者クラブを有する大手メディアの記者たちはクリスマス休暇返上で呼び戻され、急遽首相官邸へと詰めかけていた。


 現在、日本国内は緊迫した状況に置かれている。

 二時間前、東京・秋葉原において事件が起こった。


 同時多発的な交通事故が発生。

 乗用車とトラックが玉突き事故を起こし次々と大破。


 それ以外にも駅に隣接したデパートに大型トラックが突っ込んで店内がメチャクチャになったり、商業ビルが爆発され、壁面に大きな穴が開いてしまった――などなど、複数の未確認情報が錯綜していた。


 事件発生直後から現地にいる一般市民がSNSを通じて情報を拡散させ続けており、事件と関連性の高い写真などは最優先で使用許可を取るよう各報道機関は躍起になっていた。だが――状況が変わってしまった。


 最初は小さなことだった。

 個人が撮影したツイート写真の使用許可を求めていたところ、誰ひとりとして連絡が取れない。特にインターネットメディアに日常触れている若い世代は新聞やテレビの取材には消極的だ。だが、ひとりとしてレスポンスが無いというのはいまだかつてないことだった。


 仕方がなく取材クルーとともに現地へ赴むいた結果――秋葉原が当初予想していたよりももっととんでもない事態になっていることが明るみになった。


 現地秋葉原は封鎖されていた。

 出動した万世橋警察署により立入禁止にされている――だけではない。

 秋葉原という街そのものが物理的に封鎖されているのだ。


 壁。

 そうとしか言いようがない。


 藍色の輝きを帯びた、そびえ立つような巨大な壁が立ちふさがり、こちらとあちらを隔ててしまっていた。そしてどうやらその壁は秋葉原駅を中心にして四方をすっぽりと取り囲んでいるらしいことがわかった。


 果たしてその壁が何であるのか。そして内部には当時秋葉原の駅前を中心に休日を楽しんでいた数万人の人々はどうなってしまったのか。内部に閉じ込められている身内を心配し、家族が大挙として押し寄せ、非常線の前に陣取る警察と押し問答になった。


 そして、さらにショッキングなことが起こった。

 警察の制止を振り切った一人の男性が壁へと縋り付き――昏倒したのだ。


 まるで糸が切れるように、壁に触れた瞬間、もんどり打って転倒した。

 受け身すら取れず、頭からアスファルトに落ちる姿に周囲から悲鳴が上がり、慌てて駆け寄った警察官も、同じくその場で倒れ伏してしまった。


 中継用のテレビカメラが回っている中、その様は全国のお茶の間へと放送されることとなり――結果、国民感情は爆発した。


 目の前でヒトが倒れているのに助けを躊躇する警察に対する不満の声。内部に閉じ込められた数万人からの安否を気遣う声。警察では無理だ。自衛隊を出動させろ。いや米軍の力を借りるべきだ……などなど。


 その壁自体が一体なんなのかという興味本位と併せてインターネット上では『秋葉原閉鎖事件』の話題で持ち切りとなった。


 憶測が憶測を呼び、無節操極まりない流言飛語が次々と飛び交っていく。

 あの壁は政府が極秘裏に開発している化学兵器の暴走だと主張するものや、封印されていた平将門の呪いだとするものや、宇宙人が襲来し内部で人体実験をしているなどなど……そんなとんでない意見も拡散されていった。


 そしてついに政府与党による緊急記者会見が行われると通達があり、この『秋葉原閉鎖事件』に対して何らかの対応が示唆されるのだろうと、日本国中――それこそ海外からも急速に注目度が上がっているのだった。



 *



 登壇前に掲揚されている日本国旗に一礼。

 官房長官による記者会見は政府与党全体の、引いては総理大臣の言葉そのものである。


 厳しい顔つきで壇上に登った官房長官はマイクを前に再び一礼し、手元の資料に目を落としながら重く口を開いた。


「現在、東京都千代田区外神田一丁目を中心とした周辺一帯に起こっている異常事態に対し、政府の見解と対応を発表いたします」


 カシャカシャカシャ――各社一斉にその発言を一言一句間違えないようパソコンにタイピング入力していく。その内容はすぐさま本社へと送られ、新聞社なら政治部の記者が見出しと記事を作り上げ、朝刊、あるいは号外として発信され、キー局ならば特別報道番組の編成へと使用される。


 官房長官の隣では、大地震などの災害発生時にはもうお馴染みとなった手話通訳者がリアルタイムで翻訳をしていた。


「政府与党は今回の一連の事件を国内初の同時多発的なテロと断定。そして現在封鎖された外神田一帯の原因究明に向けて科学調査チームの編成と派遣、並びに自衛隊の特別派遣を決定いたしました」


 ざわッ――っと会場がどよめく。

 タイピングの音が一層強くなり、ほとんど叩きつけるような音となった。


「これは自衛隊法78条における防衛出動ではなく、また83条にある災害派遣でもありません。国内に於ける治安維持活動のため、また速やかな事態鎮圧に向けた、テロリズムに対する自衛隊派遣であります」


 テロ……。災害出動や防衛出動じゃない? それって憲法違反だろ……。


 記者たちのつぶやきは、やがて大きなさざ波となって会場内に広がっていく。それも当たり前の疑問だ。現在秋葉原を中心に起こっている異常事態。それをテロと断定すること即ち、何者かによって意図的に事態が起こされていることを意味するからだ。自動車を利用したテロならまだしも、秋葉原一帯を封鎖しているあの摩訶不思議な壁までも人為的なものだというのか。


 そして自衛隊による『災害派遣』は近年、地震や洪水などによる救助活動及び救援活動のため発令されてきた実例がある。だがそれとは違い『防衛出動』は『伝家宝刀』とまで呼ばれ、過去『安保闘争』や『学生運動』『あさま山荘事件』や『オウム真理教事件』の際に治安維持の名目で『検討』されたことがあったのみで、実際に発令されたことは一度もない。


 裏を返せば、防衛出動の名目がない限り、自衛隊が国内で武器を使用し、ましてや武力行使をすることは絶対にできないのだ。


「政府与党は今回の異常事態を新たなテロリズムの一環として捉えており、これは想定されていた未来型のテロリズムが現実のモノになった国内初の事例であると、そういう認識をしております」


 9.11同時多発テロ。

 そしてイラク戦争。

 アラブの春。

 ISIS(自称イスラム国)の台頭。


 国家ではない、軍人ではない、一般市民に紛れたテロリズムの脅威。

 それはやがて必ず日本にもやってくる。

 何年も前から想定されていたことだった。


「また年明けに発表を予定していた日米合同による新たな法案、『非対称戦争対テロ法案(Asymmetric war vs terrorism bill)』。これに先駆けてテロ対応をするため、只今より事態の収束までの間、『国家非常事態宣言』を発令するものとします」


 ――私からは以上です。質問をどうぞ。


 そう言った官房長官に対して、当然のように会場の記者たちは猛烈な勢いで挙手をした。いの一番で手を上げた記者は爛々と目が血走っており、下手をすればルールやマナーを破って野次や怒号を吐きかねない勢いだった。


「朝陽新聞の田根垣です。今の発言の中に看過できない単語がいくつもありました。ですがその中でも一番大きなもので『国家非常事態宣言』についてお聞きします。なぜ、テロであるかどうかも未だハッキリしない事案に対して『国家非常事態宣言』まで発令する必要があるのですか!?」


 第4の権力として政府与党を監視する役目があると自認している新聞メディアにとっては絶対に許せないもの。それが『非常事態宣言』なのである。


 武力攻撃、内乱、暴動、テロ、災害や疫病などに対しても発令されるそれは、特例法により、あらゆる国内法規、憲法の制約なく最善と判断された行動を超法規的に遂行することができる。


 阪神大震災のときも、東北大震災のときも、これが発令されていれば多くの救助活動がもっと早く、そして確実に行われていたはずである。


 だが戦後たったの一度だけ――1948年、GHQによって発令されたという国内ただ一度きりの事実がネックとなり、現在に至るまで非常事態宣言の発令はタブーとされ続けてきたのだ。


「先程も申しましたとおり、年明けに予定していた日米合同法案の発令前ということで、自衛隊を武装したまま国内展開する場合、現行の自衛隊法では不十分のため、特別法を発動します。その為の『非常事態宣言』です」


「その日米合同法案とは何なのですか! また日本国民の許可なく勝手なことをしているのですか与党は――!」


 ヒートアップした記者に対して『静粛にお願いします』と注意が入る。注意に従わなかった場合、強制退去もあり得るのだ。


 これほどの大事件となれば各社とも報道合戦になるため、会見場から追い出されてしまえばデスクから大目玉をくらってしまう。納得など一ミリもしていないという顔つきで、記者は渋々腰を下ろした。


「えー、改めて申し上げます。『非対称戦争対テロ法案(Asymmetric war vs terrorism bill)』です。近年ISISを始めとしたイスラム過激派によるテロが急増している国際情勢を鑑みて、その最大の被害を被っているアメリカ合衆国が先陣を切って取り組んだ法案です。速やかなテロの鎮圧と撃滅を主眼としたアクティブな対応を可能とする法案であり、また現在自衛隊においても完熟訓練中の新兵器を運用可能とする法案でもあります」


 ガガガガガガッ――新たな単語に記者たちのキータイプが加速していく。

 今度は別の記者が名乗りを上げ、その新兵器についての詳細を求める。


「新たな新兵器の名前は『Infantry Expansion Armour』。略称は『I.E.A』。自衛隊では和訳である『歩兵拡張装甲』という呼称を用いています。すでにアメリカ軍ではこれを専門に運用する特殊部隊が発足され、先だってのシリア邦人含む人質事件の際に多大な戦果を上げております」


 ――おおおっ!

 米軍の特殊部隊が救出に貢献したとされていたが、それが歩兵拡張装甲の専門部隊だったのか。自分たちの同胞を救ってくれたのがその新兵器とわかり、殆どの記者が感嘆の声を上げた。


「現在日本において『歩兵拡張装甲』は陸上自衛隊習志野駐屯地で試験配備がされております。今回派遣されるのはその部隊になります」


 これは大きな事件だった。現行憲法下では大きな制約がある自衛隊が、憲法を改正することなく大きな権力と新兵器という力を手に入れてしまった。一部の外国からは日本の軍備拡張に対して当然非難がくるだろうし、国内からも反発の声が相次ぐことだろう。


 だというのに、そんなことはどこ吹く風とでもいうように、鉄面皮と称される官房長官はひょうひょうと言ってのけた。


「千代田区外神田で起きている事件はすでに警察対応を超えており、また市民の安全を守り、かつ速やかな事態の収束を図るため、最も有効とされるカードを切らざるを得ないのが現状です。政府としましても人命を第一に考え、以降の判断はすべて国民のみなさんに委ねる方針です。以上、緊急記者会見を終了します」


 非難轟々の中、官房長官はそう言って会見を締めくくるのだった。



 *



「さあ始まりました、急遽番組を変更してお送りしております『四時まで生テレビ』。司会進行を務めます田村屋誠司です。オープニング早々視聴者アンケートを行っております。テレビの前の皆さん、チャンネルボタンを操作してどしどし投票してください。また、番組ツイッターからも意見を募集しています。さて現在までのアンケート結果はこちら――!」


 Q、あなたは今回の自衛隊派遣を――


 1、支持する……28%


 2、支持しない……64%


 3、どちらでもない9%


『えー、自衛隊ってホントに戦えるの?』


『国内の小さな事件に過剰反応して軍国主義に返り咲こうという保守派の意図が透けて見えるようだ』


『政府与党はこれを足がかりに再びアジア侵略に乗り出すつもりなのが見え見え』


『あれだけ思いやり予算を出しているんだから、こういうときこそ米軍を使うべき』


『自衛隊を出すのはかまわないけど、そんなにすごい事件が起きてるのか。警察対応ではダメなのか』


『明日秋葉に遊びに行くはずだったのにどうなってんの!?』


「L字テロップにはリアルタイムで寄せられたみなさんの意見が流れています。過半数を越える視聴者が『支持しない』を選んでいます。やはり今回の強引とも取れる政府対応には納得できないという意見が多いようです。さてコメンテーターの先生方にお伺いしていきましょう。いかがでしょう橋本八郎さん、今回の政府の対応は?」


「納得できないどころじゃありませんよ、これはもうね国民は怒ってるんですよ。おまけに自衛隊なんか出撃させちゃって。アジア諸国の反発を招きかねませんよ!」


「アジアというと中国を始めとしたおなじみの――?」


「アジア全体という意味ですね。これはもう国家百年の計を誤ることになりますよ。『非常事態宣言』もすぐさま撤回するべきです!」


「ここで『非常事態宣言』というものがどのような意味を持つのか、前例を交えて解説を――」


「おやめなさいッ! 説明などする必要はありません! 的外れでとんちんかんなものなんだから、もう間もなく撤回され――」


「ちょっと黙りなさいよ! 偏向したコメントは厳に慎むべきだ! ここは公平に解説をするべきで――」


「えー、番組では視聴者の意見を募集しています。番組ホームページ、あるいはツイッターアカウントをフォローした上で、ご意見を送ってください。コメントはリアルタイムで画面下に表示されますので――」


 紛糾するスタジオは、急ぎ集まれるやつだけに声をかけました的な人選の偏りとカオスっぷりだった。それを面白おかしく実況中継するコメントがネットには溢れ、また秋葉原の現状を純粋に心配する声と相まってさらに番組は混沌としていく。


 視聴率だけはうなぎのぼりだが、このままグダグダを続けては飽きられてしまう。すぐさまカンペが出て、司会者がコメンテーターたちの会話に冷水を浴びせかける。


「ここで一旦CMです。その後はなんと、秋葉原と中継がつながっています。引き続きチャンネルはそのままで――」


 スポンサーのコマーシャルが始まり、当然のように視聴者はチャンネルをぶん回し、新たな情報をもたらす報道がないかを検索していく。だが各報道番組も似たり寄ったりの有様で、再びCM明けの『四時生』へとチャンネルを戻していく。


 だが今や情報の最速最先端はテレビではなかった。スタジオにいるディレクターやプロディーサーたちも渋々認めていることだが、本当の現場の情報というものは今やネットメディアの方が圧倒的に早い。


 そして、現在ツイッター界隈では、物々しい雰囲気で隊列を成す自衛隊の運搬車両が密かに話題となっていた。都合十台にもおよぶ隊列は白バイに先導され、一方的な通行優先権を持ち、赤信号であっても知らぬ存ぜぬ止まりはせぬで猛進していく。


『今信号待ちしてたらすごい大きいトラックが何台も走ってった。多分あれが秋葉に行く自衛隊のやつだ』


『白バイに先導される自衛隊車両を見つけました。あの荷台、なにか大きなものを積んでいるみたい。シートが被せられていて見えなかったけど……』


『日本を頼んだぞー! 秋葉原を救ってくれ! (´p・ω・q`)ガンバ♪』


 成田街道を南下し花輪インターチェンジで京葉道路へ。首都高七号線に合流してひたすら西進。靖国通りで折れ、ついに彼らは万世橋の前までたどり着いた。実に50キロの道のり。一時間はかかるところをわずか四十分での踏破。


 そして、それはついに、日の目を見ることとなった――



 *



 いくら交通規制が敷かれ、非常線が貼られているとしても秋葉原に野次馬は大勢居た。


 先程全国放送されてしまったショッキングな映像。娘の安否を心配する中年男性が壁の前で昏倒し、駆け寄った警察官もミイラ取りがミイラとなってしまったその場所では「市民を見殺しにするのかー」とシュプレヒコールが上がっていた。


 昏倒してからすでに一時間以上。人々の不満は限界に達しつつあった。警察は通せんぼをするばかりで、誰ひとり助けに行く様子がない。男性の妻と見られる女性が繰り返しテレビカメラに映り込み、涙を流しながら「誰か夫を助けてください」と必死に懇願している。


 CM明けの『四時生』でもゲストコメンテーターたちが警察の対応を非難し、L字テロップにも『無能』『給料泥棒』『この国の警察は終わった』の文字が乱舞する。


 もはや報道は報道とはいえず、センセーショナルなショーと化している。

 そして、そこまで作り上げられた舞台装置にもう間もなく、新たな主役が颯爽と登場するのだった。



 *



『万世橋前から生中継でお伝えします。こちら、先程の男性と警察官が倒れたまま放置されている現場です。見えますでしょうか、非常線の後ろ十メートルほどの位置にふたりが倒れています。現在神田消防署のレスキューチームが救出を試みようとしています』


「現場の八木内さん、どうして男性と警察官は倒れてしまったのでしょうか?」


『――……はい、原因は不明です。ただあの壁に不用意に近づくのは危険であるとして救出が遅れている模様です』


「では、これから救出チームはどのようにしてふたりを助けるつもりなのでしょう?」


『――……はい、現在釣り針のようなものを男性と警察官の服に引っ掛けてこちらへ引っ張ることができないか検討中のようです』


「わかりました。引き続き何かあればすぐに知らせてください。――いやあ、現場はかなり混乱しているようですね。ここで元シンクタンク社長で現在は参議院議員である赤山盛治さんにお話を伺います。赤山さんはテロ対策の専門家でもあるとのことですね?」


「はい、そのとおりです」


「今回の自衛隊派遣について、どのような感想をお持ちですか?」


「僕は今与党議員という立場にありますが、そんなこととは関係なしに妥当であると判断します」


「それはどういった理由からでしょうか?」


「まず僕は民間時代からずっと言っていますが、9.11やフランスのときのような一般市民をターゲットにしたテロは日本でも起きる可能性はあると主張してきました。2020年の東京オリンピックに向けて確実にテロリストは日本国内に入ってきますので、一般国民にももうテロは遠い海の向こうの出来事ではなくて、悲しい現実だけどいつ起きてもおかしくない身近なものとして対策をしなければならないんです」


「私を含め、おそらく視聴者の皆さんは、これが本当にテロなのかどうかというところがまず疑問なのですが、赤山さんはテロであるとお考えですか?」


「事前に秋葉原で自動車による連続事故が起こっています。これは2016年、フランスはニースで起きたトラックテロに通じるものがあります。そして今回起こった秋葉原の閉鎖事件。おそらくあの壁は何某か、毒性のガスのようなものを内部に閉じ込めているのかもしれません。あくまで可能性です。可能性ですが、不用意に近づくのはかなり危険です」


「毒ガス――が内部には充満していると!?」


「あくまで可能性ですが、男性と警察官が昏倒したことからもその可能性が高いです。ですが残念ながら現在の警察、消防では地下鉄サリン事件のときの教訓がきちんと生かされているとは言えません。現場の警察官が未だに素顔を晒して防護マスクをつけていないのがその証拠です。毒ガスに対する万全の対策と装備を持っているのは自衛隊の特殊部隊だけです」


「なるほど、ではその自衛隊の特殊部隊が今向かっていると」


「その装備を含め万全の装備を持った特殊な部隊が来るはずです。私も長年付き合いがあるアメリカ軍の友人に言われました。ミスターアカヤマ、もうSFの世界だよ、と」


「はい? それはどういう――あ、はい、現場で動きがあったようです。八木内さん、状況を教えてくださ――――えッ?」


 ザワッとスタジオ内が騒然とする。

 テレビカメラが捉えた映像には、巨大な人型ロボットが立ち上がる瞬間が映し出されていた。


 L字テロップには早速『リアルロボットキタ━━━━(゜∀゜)━━━━!!』の文字が踊っていた。



 *



『現場の八木内です。自衛隊車両です、たった今自衛隊車両が到着しました。いちにーさん……十台もの大きな運搬用の車両です。あっ、今なにかシートのようなものが外され――きゃッ!』


 リポーターの女性が思わず悲鳴を上げる。

 突如として舞い降りた暴風がしたたかに彼女を打ち据えたからだ。


 続いてズシン、という重厚感のある着地音。

 それは車両の荷台からシートを跳ね除けて自ら飛び上がり、非常線の内側へと降り立っていた。


 見上げるばかりの異様。

 全長6メートルはあるだろうか。

 マッシブに引き締まった上半身と、細く長く軽やかな下半身。


 両肩と両膝には折りたたまれた巨大なシールドが。

 あれは広げれば航空機のような翼になるのではないだろうか。


 全身が漆黒に彩られており、機械的でありながら、どこか神話の彫像を思わせる造形美も持ち合わせている。


 そして他の荷台からも続々降車してくるロボット――そう、SF作品に登場するロボットとしか言いようのない人形の物体が次々と降り立ってくる。


 こちらは先の漆黒のロボットの半分くらいの大きさ。それでも近くで見ればとんでもない迫力だ。ずんぐりとした胴体にこれまたずんぐりとした手足がくっついている。


 足元には戦車のキャタビラのような下駄を履いており、右腕には物々しい砲身が見て取れる。誰がどう素人目に見ても武装している。そう思わせる確かな威圧感を放っていた。


 ――と、先頭に立って非常線の内側にいたロボットが膝を折った。

 ブシューっと空気の抜けるような音とともに背面のハッチらしきものが開き、人影が現れる。


「カ、カメラさん寄って、寄ってください! 早く!」


 リポーターが叫ぶまでもなく、その姿は全国の視聴者の前に晒されていた。


 女性だ。ピッチリとした漆黒のスーツ。大きな胸元と丸いお尻が女性であることの証拠。だが顔はわからない。首から上をすっぽりと覆うヘルメットは藍色の輝きに満たされていてその顔が一切判別できないのだ。


 その女性と思わしきパイロットは、ヘルメットを通しているとは思えないほどよく通る声で檄を飛ばした。


「工藤! 降りてあたしと来い!」


『了解であります!』


 肉声に対して方や機械を通した音声。

 次の瞬間、同じく空気の抜ける音とともに一体のロボットの胸部ハッチが開き、中から3型迷彩服にヘルメット、シューティングゴーグルと防護マスクを着用した男性隊員が現れた。


「他の者はバックアップだ! いつでも撃てるようにしておけ!」


『了解!』


 他七体にも及ぶずんぐりロボットから声が轟き、存外機敏な動作で非常線の横一列に居並んだ。


 ズシンズシンと鈍重そうな音を立てるかと思いきや、スウっと滑らかな動きで移動し、全員一斉に右腕をの砲身を掲げたのだ。


 そして先程の漆黒のスーツを着用した女性――と思わしきパイロットがロボットの背面から着地。背後に男性自衛官を引き連れ、壁のすぐ側、倒れ伏した要救助者の元へと慎重に、だが素早く近づいてく。


 全国民が固唾を飲んで見守る中、救助者の前に跪いた漆黒のパイロットがこちらに向けてハンドサインを送る。


 突き立てた親指。続いて人差し指を立て、くるくると手首を回す。

 無事。救護を回せ。


 わッ――っと現場に歓声が溢れた。

 それはスタジオはもちろん、テレビ、パソコン、スマホを前にした全ての人々の喜びの声だった。


 だがその時だった。

 聳え立つ壁の表面――藍色の輝きが突如波紋を立てる。

 ニュウっと大きな影が姿を現し、蛇のような形を作り出した。


 藍色の輝きを内包した長い長い胴体。人間の頭部くらいありそうな大蛇が全身をうねらせ、今まさに救助者を抱えようとしていたふたりに襲いかかった。


「オラァ――!」


 耳をつんざく怒声。そしてガインッ! という硬質の金属音。

 いつの間にか漆黒のスーツに水色の輝きを湛えた女性パイロットが、全身を疾駆させ、激甚なる拳を振り下ろしていた。


「工藤、二人を抱えて疾走はしれ!」


「了解です!」


 迷彩服の男性自衛官が両脇に成人男性ふたりを抱える。

 普通に走るよりは遅いが、だがしっかな歩みで非常線へと戻ってくる。


 その後ろ、壁の間近では、ファイティングポーズを取った女性パイロットが襲い来る大蛇を相手に拳の連打で迎撃を繰り返している。


 何だこれは――何が起きているんだ?

 唖然とする現場。スタジオ。そして視聴者。


 壁の波紋はさらに大きくなり、また一体、さらに一体と藍色の大蛇が次々と頭をもたげてくる。


 危ない!

 誰かが叫んだ。

 大勢の見守る前で、三体に増えた蛇がパイロットに牙を向く。


 そして人々は見た。

 認識速度すら追い越し、人間の放つ拳が空気すら切り裂く様を。


 同時に襲いかかるかに見られた三体の蛇の微妙なタイムラグを瞬時に見抜き、女性パイロットから左右のストレートが放たれる。


 ガガガ――ンッッッ!

 と、一撃に聞こえる三連打が叩き込まれ、大蛇が怯んだ隙に大跳躍。


 女性パイロットが人間の限界を遥かに超えたジャンプ力で引き下がると同時、ついに救助者ふたりを抱えた男性自衛官が非常線にまで到達した。


「てぇ――ッ!!」


 合計七体。ずんぐりしたロボットの右腕が一斉に火を噴く。

 二〇ミリ腕部機関砲の猛撃に晒された大蛇は、たまらず壁の中へと首を引っ込めるのだった。


「全機、手はず通り非常線が敷かれている七ヶ所に分かれて警戒に当たれ! その際非常線の距離を今の倍は取るよう指示をしろ! 工藤、以降の地上の指揮は任せる!」


「了解しました! マリ――、隊長はどちらに!?」


「あたしは第三世代型の機動力を生かして遊撃に出る! あとそこの――!」


「は、はい、私ですか!?」


 突然指をさされたリポーター――八木内女史が自分を指差して目を剥く。

 ズカズカと歩み寄った女性パイロットが大きく右手で空を仰いだ。


「報道ヘリを飛ばすんじゃねえ! 邪魔だ――! 他の連中にも伝えておけ!」


「え、ええ……!?」


 確かに頭上にはどこかの局の報道ヘリが周回をしている。

 だが、他に警察や自衛隊のヘリが飛んでいるならまだしも邪魔になんてならないのではないだろうか……?


 そう思っていた矢先だった。

 女性パイロットが膝を折っていた漆黒のロボットの背を駆け上がり、内部へ滑り込む。すぐさま背面のハッチが閉じるとロボットが動き出す。


「え――!?」


 真っ直ぐに屹立したかと思うと、両膝脇に折りたたまれていたシールドが残像すら置き去りにする勢いで高速回転を始める。そして――


 ――ピシャ――!

 雷鳴のような音と共にその場の全員が目を閉じる。

 目を開けた時にはロボットの姿は消えていた。


 ファインダーを通してカメラマンだけが捉えていた。

 次いで人々もようやく気づく。


 あそこだ――!

 誰もが振り仰ぐ夜空の中に巨人の姿はあった。


 極彩のイルミネーションを全身に浴びながら、航空機のような両肩の翼を広げて、遥かビルの頭上を滑空している。


 その姿は報道ヘリのカメラにこそ大きく大きく映し出されていた。

 強く逞しくそして美しい姿が。


 人類が誇る最強の兵器――歩兵拡張装甲は鮮烈なデビューを飾り、人々の視線を釘付けにしていた。


 そして『四時生』の視聴者アンケート、『あなたは今回の自衛隊派遣について支持しますかしませんか』について二回目の投票が行われる。結果は――


 1、支持する……92%


 2、支持しない……3%


 3、どちらもでない……4%


 こうして、歩兵拡張装甲という新しい兵器は、日本国民に好意的に受け入れられるのだった。


 続く。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る