第156話 聖夜の動乱篇2④ 解ける心とあるべき姿〜父と娘と精霊の神名(後編)

 *



 僕がたどり着いた先は中央改札口のロータリーだった。

 四方を駅の改札、商業ビル、そして線路とヨドバシカメラに囲まれたその場所で、僕はセレスティアを迎え撃つ。


 満身創痍の僕に対してセレスティアは無傷。

 だと言うのにその顔は真っ青になっていた。


 それはそうだろう。自分を穢し、殺したいほど憎いはずの男なのに、先程から彼女が口にしているのは、思慕の情が見え隠れする言葉ばかりなのだから。


 相反する憎悪と愛情が、今彼女の中でせめぎ合っている。

 そしてそのことに一番戸惑っているのがセレスティア本人なのだ。


「もう……逃がさない」


 セレスティアは全身から魔力を立ち上らせ、水精の蛇を作り上げる。

 さながらその姿は神話の怪物を彷彿とさせた。


「ああ。もう逃げない。来いセレスティア――!」


 彼女が両手を天に頂き、振り下ろす。

 幾本もの水精の蛇が放射状に広がり、僕たちの周囲を取り囲むように突き刺さる。


 それは牢獄。僕を逃さないための――否、もうどこにも行って欲しくないという、彼女の内なる心の叫びの体現だった。


「最後に、何か言いたいことはある?」


 セレスティアの手には、あの強力無比な切れ味の水精剣が握られている。

 彼女が僅かに剣先を振っただけで、足元のアスファルトが切り裂かれた。


 僕は恐れない。今の僕にはもう、目の前の美女が、泣きそうになるのを必死に堪えている子供にしか見えなくなっていた。


「そうだな。僕は――セーレスを愛している」


 ビシっと、セレスティアの眉間に亀裂のようなシワが刻まれる。

 だがそれと同時に口元には僅かな笑みが浮かぶのを見逃さない。


「どの口がほざくか! 死ね――!」


 セレスティアが跳躍する。

 剣を引き絞り、全身全霊を持って突きを繰り出す。

 僕は両手を広げ、まるで抱きとめるようにそれを受け入れた。


「きゃああああああああああああああああああああ――!!」


 駅から、そして量販店から溢れた人々から悲鳴が上がった。

 剣は――僕の胸部を貫き、背中から半分以上も刀身を覗かせていた。

 その光景を見て正気でいられる一般人はいないだろう。

 そして、それはセレスティアも同じだった。


「あ、あああ、ああああああっ――!?」


 剣を握る手がわなわなと震える。

 まるで自分がしでかしたことを今更自覚するかのように、あるいは悔いるように、ボロボロと涙を零しながらかすれた声を出し続ける。


 そうだ。この構図は、奇しくもシリアのときと一緒だ。

 あのときは水精の蛇が。そして今は水精の剣が。

 同じく彼女の手に握られ、僕の胸を貫いている。


 一週間前のセレスティアと、今日出会ってからのセレスティア。

 僅かな時間で極端から極端へと変わってしまった彼女を元に戻すため、僕は出会った時と同じシチュエーションを意図的に再現して見せたのだ。


「ああ、あああッ――――――あ……わ、私は、一体何を……?」


 セレスティアが剣から手を離す。

 ざあ――っと、剣も蛇の牢獄もただの水となって地面に降り注いだ。


 目の前の光景が信じられないというように後ずさり、その体が地面にへたり込む直前――僕は彼女を抱きとめていた。身長差があるため半ば彼女の胸元に顔を埋めるようにしながら口を開く。


「ようやく――初めましてだな」


 つうっと口角を血が伝う。

 僕はゴクリと喉を鳴らして吐血を飲み込む。


 いかんいかん。不安がらせちゃいけない。怖がらせちゃいけない。

 シリアのときは別として、素顔での対面は今が初めて。

 第一印象が大事なのだから。


「僕はタケル・エンペドクレス……キミはセレスティアでいいんだよな?」


「あ――わた、私は……!」


「大丈夫、大丈夫だから」


 僕は手を伸ばしてセレスティアの頭に触れた。

 至近から見つめるその顔立ちは、何から何までセーレスそっくりで。

 そういえばセーレスは頭を撫でるよりもこっちが好きだったな、と思い出す。


「ひゃッ――!?」


「あ、ごめん。驚かせたか?」


「み、みみみ、耳ッ! 耳はッ!?」


「悪かったって。セーレスはそこ撫でられるの好きだったからさ」


「あ」


 セレスティアは長い両耳を押さえ、みるみるうちに赤くなった。

 途端、今度は真希奈が大声を上げる。


『タタタ、タケル様、セクハラ! セクハラですよ!』


「馬鹿な。こんなの父娘のスキンシップだよ」


『小さなアウラをジャレつかせるのとは訳が違うのですよ! こんな乳デカ女2号を相手にするなんていけません!』


「やれやれ、妬いてるのか? お前にとっても姉妹みたいなもんじゃないかセレスティアは」


『ち、違います! タケル様に対して数々の無礼を働いた上に正気すら失っていたこんなおバカ精霊なんて姉妹じゃありません!』


「真希奈……、それ本気じゃないよな。怒るぞ?」


『う――うううっ!』


 まったく真希奈も素直じゃない。

 まあそれもこれも、僕を心配してくれるからこそ許せないこともあるのだろう。


「あ、あの……!」


 目の前のセレスティアが恐る恐るといった感じで声をかけてくる。


「お、お父様、ですか……?」


 ギュッとスカートの裾を握り、俯き加減から僕をチラチラと見上げてくる。いや、身長差があるので僕が見上げて彼女が見下ろすんだが、気分というか心の目を通せば、見上げてくるという表現が正しいだろう。そしてその顔は青くなったり赤くなったりで大忙しだった。


「セレスティア」


「は、はい!」


 僕は真剣な表情を作り出し、彼女の両肩に手を置く。

 そして、セーレスと同じ翡翠の瞳を覗き込みながら真剣に問う。


「その前に改めて答えてくれ。キミはアリスト=セレスの精霊、セレスティアでいいんだな?」


「は、はい、そうです……」


「そうか」


 僕は肩に置いた手に力を込める。

 セレスティアは何を勘違いしたのか、首を竦ませてギュッと目をつぶった。

 バカ。何を身構えているんだよ。


「え――」


 吐息とともに声が漏れる。

 僕はセレスティアを両手で思いっきり抱きしめた。

 無理やりその頭を胸元に抱き寄せていい子いい子してやる。


「ようやく逢えた。よかった、キミみたいな強い子がずっとセーレスのそばにいてくれて。ありがとう――生まれてきてくれて」


「あ……ああああ!」


 セレスティアの全身から力が抜ける。

 ペタンっと尻もちをついたかと思えば、今度は僕の腰にヒッシとしがみついてくる。そして――


「うううっ……うわーん!」


 子供みたいに泣き始めた。

 恥も外聞も関係ない。

 セレスティアの白い肌が着火したみたいに赤くなって。

 触れた場所から高い体温が伝わってくる。


 僕の腰元にすがって泣きじゃくるその姿は。

 本当にアウラくらいの小さな女の子がベソをかいているようで。

 僕にできることといえば、その頭を優しく優しく撫で続けてやることだけだった。


 パチパチパチッ――と、盛大な拍手が聞こえる。

 周囲にはいつの間にかとんでもない数の野次馬が集まっていた。

 よくよく見てみれば、その中には先程僕がかばったメイドコスの女の子もいたりする。


 ビルも壊したし、デパートもめちゃくちゃにした。

 怪我人だって当然いることだろう。

 色々と後始末が大変だけど。

 でも、終わりよければ全てよしだ。

 そういうことにしておこう。うん。



 *



 セレスティアはひとしきり泣いたあと、ヒンヒンと鼻を啜りながら言いながら、改めて僕にしがみついてきた。


「あの、ごめん。抱きつくのはいいんだけど、もうちょっと優しくしてくれる?」


「え――あ、ごめんなさいお父様!」


 僕の傷口を圧迫していることに気づき、慌てて顔を離すセレスティア。


「平気平気。もうすぐ再生だってするから。な、真希奈?」


『とんでもない! 今のタケル様は見た目より遥かに重症です! アブレシブ・ジェットですよ! 触れただけで腕くらい簡単に吹き飛ぶ威力なのに、それを体内に受けたから内臓器官がメチャクチャになってるんですよ!』


 おお、そうだったのか。通りで吐き気が止まらないはずである。


「本当にごめんなさい! ……でも私、どうしてあんなことを?」


 僕に襲い掛かってきたときの彼女は明らかに普通じゃなかった。

 どんなに見た目が大人っぽくても、今こうして話していればわかる。

 セレスティアは明らかに子供だ。その中身はずっと幼い。


 可哀想に。どういう事情か知らないが、彼女は精神年齢にそぐわない姿形でずっと無理をしてきたようだ。


 そしておそらく、彼女は利用されていた。

 僕を襲えと。周りを巻き込んで暴れろと。

 意識的、無意識に関わらず、自身の記憶すら歪められてそう命令されていたのだ。


 そんなことを誰が望むかなど決まっている。

 明確な理由などは知らない。

 だが、あの男・・・しかありえないではないか――!


「大丈夫だ。キミは全然悪くないよ。キミはずっと正気を失っていただけなんだ」


「でも……お願いです。せめてこれだけはさせてください」


 セレスティアが両手に水球を纏う。

 仄かな藍色の光をたたえたそれを、片方は僕の胸に。

 そしてもう片方を僕の背中へと回す。


「うわあ、じんわりとした熱さが……痛みが引いてくぞ!」


『患部から水の魔素を含んだ魔力が流れ込んでいます。代謝が活性化。治癒力急上昇。傷が修復されていきます……!』


「すごいなセレスティアは」


 僕は再びセレスティアの頭を優しく撫でた。


「あ――、えへへ!」


 にっこりと。

 頬を赤くして満面の笑みを浮かべるその姿は、本当に幼い子供そのものだった。


「さて――、いろいろと事情を聞きたいんだけど……まずは移動した方がいいな」


 ロータリーはとんでもない数のオーディエンスが集まっていた。

 クリスマスを過ごす恋人同士や家族連れ――などなど。

 誰も彼もがすべからく、僕らに向けてスマホや携帯を差し向けていた。


「あっ、すっかり忘れてた。イリーナとアウラは大丈夫かな?」


『ご安心を。すでに安全圏まで退避済みです。ふたりとも無事です』


「そっか。さすが真希奈だな」


『いえ――そうですね。もっと褒めてください。ふふん』


「む……!」


 セレスティアが僕を睨む。正確には僕の胸元――虚空心臓に格納された真希奈をだ。


 睨むと言っても氷のような殺気を放っていた先程までとは違い、ぷくっと頬を膨らませた可愛らしいものだったが。


『真希奈はタケル様御自らが創り上げた特別な精霊ですから。タケル様の命令がなくとも、その望むところは即座に察することができます。どこぞの暴力的な乳デカ女2号とは訳が違いますのではい』


 嫉妬深い真希奈は早くも対抗心むき出しで。セレスティアも中身は子供なものだから「ううう〜」と頬を膨らませて唸りだした。やれやれ、どうしたものかな、などと思っていると、セレスティアはシュンと項垂れて僕を見つめてくる。


「お父様は……大きいおっぱいは嫌い、ですか?」


 …………はい?


「いや、何を言ってるんだいセレスティア?」


 うおお! 体の芯が急速に冷えていく感覚が!? 

 真希奈が僕の一挙手一投足に注視しているのがわかる。

 答えを誤ると非常に厄介なことになりそうな予感。


「む、胸の大小なんて関係ないよ。まだ出会ったばかりだけど、僕はそのままのセレスティアが好きだなあ」


 セーレスの精霊なら僕の娘も同然である。

 当然真希奈やアウラに注ぐのと遜色ない愛情を抱くことができるだろう。


 ちょっと容姿が飛び抜けて――具体的にはエアリス並にスタイルがいいとは言えそんなそんな。邪な気持ちなど持ち得るはずがないではないか。はっはっは。


「本当? 嬉しい! 私もお父様のこと大好き!」


「うわっ!?」


 無邪気な笑みを浮かべてセレスティアが抱きついてくる。

 おお〜っとオーディエンスもビックリだ。

 僕もビックリだ。エ、エアリスよりデカい、だと?


『タケル様、この心拍数の著しい乱れの説明を――』


「さて! イリーナとアウラを迎えにいかないと! エアリスはどうしてるかな!?」


 有無を言わさぬキレ芸で無理やり話題を変える。

 真希奈はまだ何か言いたそうだったが、胸を撫でてやるとようやく大人しくなった。


 セレスティアのお陰でマシになったとはいえ、傷口の痛みは継続中だ。

 これ以上僕らが野次馬に晒されるのもよくない。さっさと退散してしまおう。


『タケル様、タケル様の幼馴染という綾瀬川心深はどうされますか?』


「そうか。そうだったな……放っておくわけいにはいかないだろうな」


 彼女は地球に現存する数少ない魔法使いだ。

 その力は強力故、多くのトラブルを呼び込むことになるだろう。

 あるいは僕らの庇護下に入った方がいいかもしれない。


「とにかく一旦全員と合流して人研にでも――――なッッ!?」


 全身が粟立つ感覚。

 一瞬して視界が暗転。

 平衡感覚が消失する。


 気がつけば目の前に壁が。

 違う。地面だ。

 とっさに手をついて転倒を防ぐ。


「なんだ……今の感覚は?」


 頭を振って立ち上がる。

 そして辺りを見渡し、僕は愕然となった。

 あれほど活気に満ちていた秋葉原の街が静止していた。


 理由は明白。

 目に見えるすべての人々が地に倒れ伏していた。

 駅も量販店もファーストフード店も何もかも。

 一瞬してすべてが沈黙していた。


 動くはずのない自動車、渡れるはずのない通行人。

 ただ虚しく信号機が青から赤へと変わる。


「真希奈、一体何が起こった!? 今のは――」


『【憎】の意志力です。何者かが拡散性の、とても強力な【憎】の意志力を発現させました!』


「【憎】の意志――、今のが本当に!?」


 ゾッとした。もし万が一、今の憎悪を燃料に魔法を着火させた場合、一体どれほどの厄災を齎し得ただろうか。いや、被害の一部はすでに目に見えている。その意志力に触れただけで、実際に多くの人々が昏倒してしまっているのだから。


 だが僕が真に思い知ることになるのはこれからだった。

 なぜなら、本当の厄災は、今まさに眼の前dえ解き放たれんとしていたのだから――



「あ――ああッ、ああああああああああああああああああああああッ――――!!!」


「セレスティア!?」


 突如頭を抱えて絶叫するセレスティア。

 彼女の全身から膨大な――それこそ湯水のように魔力が溢れ出す。

 やがてその足元からは間欠泉かと見紛うばかりの水柱が屹立した――!


 そのあまりの水圧に吹き飛ばされ、僕は停車していたバスに叩きつけられた。

 そして見たのは、周囲のビルをも飛び越えるほどに立ち上った水柱と、すべてを飲み込まんとする大波が発生する瞬間だった。


「セレスティア、セレスティアぁぁあああ――!」


 その声はもう。

 どんなに叫んでも彼女に届くことはなかった。

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