第148話 聖夜の動乱篇⑨ イブデートin御茶ノ水~ゆりゆりしてもいいじゃない

 *



 12月24日。午後13時~15時付近。後楽園~水道橋~再びお茶の水。


「おお~、すげえ! さすが都内だ、品ぞろえが違いすぎる!」


 キラキラと目を輝かせて、マリアは感嘆の悲鳴を上げた。


 現在マリアとセレスティアの二人は御茶ノ水駅からほど近い、トゥールズ御茶ノ水店にいた。店内には所狭しと文房具や画材が並べられ、マリアは製図用の鉛筆コーナーにかじりついて試し書きをしている最中である。


 工藤たちをセレスティアの水魔法――視界を水のフィルターで塞ぎ、任意の像を見せる魔法によって、見事寒中水泳の刑に処してやったその直後、マリアとセレスティアは一路後楽園駅周辺へと逃げていた。ストーカーどもの追跡をかわすためである。


 巨大なビッグエッグ――東京ドームの真ん丸屋根を見たセレスティアの感想は「おっきー、そして美味しそう」であった。そしてそのすぐ隣、ドームと後楽園駅との間には、ふたりの遊び心を刺激する娯楽施設が鎮座していた。


「なにアレ……? ねえマリア、アレってビルの中を走ってるよ!?」


 旧後楽園遊園地改め、東京ドームシティ・アトラクションズ最大の目玉、『サンダードルフィン』は、ビルの壁面に空いた円形の穴を通る『輪くぐり』が特徴的なジェットコースターである。


 それ以外にも超巨大観覧車、両脇からリングを支えるセンターレスの『ビッグオー』などなど。都心の街中に突如として姿を現したアトラクションの数々にセレスティアは喜びの声を上げた。


「ね、ねえねえマリア、アレに私たち乗るの? 今から乗るの!?」


「そうだ、今から乗るぞ! すぐ乗るぞ! どうだ、わくわくするだろう!?」


「うん! すっごくわくわくする! 早く乗りたい! 行こう!」


 喜び勇んで長い列へと並び、ついにその時はやってきた。運よく車両の先頭をゲットしたふたりを乗せ、コースターは急角度のレールを昇っていく。


 期待感が最高潮に達した瞬間、急転直下――最高時速130キロものスピードで周りのビル群を見下ろす高所からの垂直ダイブ&急カーブ。


 ごおおおおおおぉぉぉぉ――っと、凄まじい風切りと轟音がして、右に左に体が振り回される。乗客は誰も悲鳴を抑えることができない。そんな中――


「ねえ、マリア」


「ああ、なんだ?」


「これ、もっと速くなる?」


「いや、多分ここらが限界だろ」


「そっかぁ……」


 ぷしゅー、お疲れ様でしたー、とコースターが停車し、満足そうな様子で降りていく客たちに紛れながら、ふたりはそっと囁きあった。


「なんかさ、ああいうの乗らなくても、あたしらって割と普段からおんなじようなことしてるのな……」


「うん。この間、おっきな飛行機から飛び降りたときの方が楽しかった……」


 職業的に、もはやちょっとやそっとのスピードと負荷ではまったく物足りない身体にされてしまったふたりは、そのままの足で観覧車へと向かう。


「ねえマリア、ここから飛び降りていい?」


「絶対ダメだ」


 いつもは瞬きの間に通り過ぎていく高所の風景を、15分もかけてゆっくりと堪能したふたりは、それなりの満足感を得ることができ、次なる目的地へと向かうのだった。



 *



 ラクーア内のショッピングモールを冷やかしたあと、ふたりは広々とした東京ドームの沿道を歩いていた。


 だがそこは人人人……。とんでもない数のヒトで溢れていた。どうやら本日は日本のトップアイドルグループによるクリスマスコンサートがあるらしい。


 グッズ販売の露天が数多く立ち並び、若い女性を中心としたファン層の中には、お母さんくらいの中高年女性に手を引かれた小学生、中学生くらいの女の子の姿も見受けられた。


「マリア、これってなんの騒ぎなのー! フェスティバルか何かがあるー!?」


「どうやらそうみたいだな! いや、すげー人混みだな!」


 喧騒にかき消されないよう、大声で会話するふたり。みんなが一様に同じうちわとA4くらいのパンフを握りしめ、各ゲートへと吸い込まれていく様子や、『チケットあります!』の手書き看板を持った集団が立ち並んでいる姿を物珍しそうに眺めながら、マリアはすぐ後ろを歩くセレスティアに手を伸ばした。


「セレスティア」


「あ」


 はぐれないようにとの配慮からマリアはとっさにセレスティアの手を掴もうとするが、「こっちの方がいいよ」と彼女が腕に抱きついてくる。マリアより長身のセレスティアが肩に頭を乗せて身を預けてくる。


 するとどうだろう、何故かは知らないがさぁーっと道が割れた。「ムフー」っと幸せそうな吐息を漏らすセレスティアとは対照的に、複雑極まりない表情のマリアは先を急ぐ。途中、ボクシングの聖地『後楽園ホール』が目に入ったがじっくり見ている余裕などなかった。


「はあ……あたしらって周りからどうみられてるんだろうなあ?」


「私達が? きっとすっごく仲がいいんだって羨ましがられてると思うよ!」


「みんながお前ぐらいビュアだったらどれだけいいことか……」


 マリアたちを見る周囲の女性たちの目は、何やら眩しそうに細められている。ヒソヒソとした囁き声とキャッキャとした黄色い声……セレスティアがマリアに抱きついた時はひときわ大きな悲鳴も聞こえたほどだ。やっぱりあたしらってそういう関係に見られてるのかなあ……とマリアは思うのだった。


「どうしたのマリア? 次はどこにいくの?」


「ああ、次は決まってるから、散歩がてら歩いて行こうぜ。工藤たちもいい加減散ってるだろうし」


 再び遭遇してしまったら、今度は逃げるしかない。精鋭自衛官の体力と追いかけっこは辛いものがあるが、今日のマリアはアクア・リキッドスーツなど持ってきていない。だが、隣を歩くセレスティアはニコニコとしながら「大丈夫だよ」と無邪気に言った。


「あいつらがまた私とマリアの邪魔をしにきたら、今度こそ殺しちゃうから」


 はたと、マリアは足を止めてセレスティアを見た。強い言葉を使う割に本人はまったくの無自覚で、無垢な笑顔を浮かべている。


 だが恐ろしいことに、彼女は本当に人間を簡単に殺傷できる力を有しているのだ。小さな子供がなんの罪悪感もなく地に這う蟻を踏み潰し、宙を舞う蝶の翅をもぐように……。


 セレスティアが人間社会で魔法を使えば、その被害は甚大なものとなるだろう。


 マリアと出会う前のセレスティアはほとんどの時間を基地の地下で過ごしていた。そのため、こうして外の世界を歩くことなど殆どなかったそうだ。


 それがマリアと行動を共にするようになったことで、今こうしてここにいる。セレスティアが精霊と呼ばれる存在であること。その情緒は幼いまま、強大な力を有していること。


 事情を知らなかったとはいえ、そんな彼女を外に連れ出してしまった責任は当然自分にあるとマリアは考えていた。


「なあ、そのさ、殺すってのやめねえか。するのも言うのもさ」


「えー、どうして?」


「あたしはさ、セレスティアが人を殺すとこなんて見たくねえな」


 マリアは先日のシリアの戦闘に於いて所謂『戦場童貞』を卒業した。ここでいう童貞とは『殺し』のことである。


 アサルトライフルや手榴弾、対戦車ロケットなどなど。まともに喰らえば致命傷は必至の殺戮兵器を本気で差し向けてくるテロリストに対して、マリアは一切の容赦なく彼らが振りかざす以上の暴力――歩兵拡張装甲の力を振るった。


 人間は簡単に壊れてしまう……とても繊細で脆弱な生き物なんだと、巨人の中に騎乗していたマリアは痛感した。


 そしてセレスティアはそんなマリアより以上に簡単に人間を壊してしまえる『魔法』という力を有している。こんな風にマリアに向けるのと同じ笑顔のまま、人間を容易く踏み潰してしまえるのだ。


「あたしは軍人だから、人殺しを否定できない。でもそれは任務上、守らなきゃいけないヒトたちが後ろにいるから仕方なく許容してるだけだ。例えばこの日本は世界でも有数の法治国家で安全性が高い。こんな街中でおまえの力は本来使っちゃいけないんだ」


「え、でもさっきは……」


「そうだな。あれはあたしも悪かった。おまえの力を便利がってつい頼っちまった。悪かったよ」


 マリアはペコリと頭を下げた。セレスティアは一瞬驚いた顔をしたあと、不安そうな顔つきになる。


「マリア……なんで謝るの? 私全然平気だよ。マリアのためならなんでもできるよ。魔法だっていくらでも使える。だからもっと頼ってよ、私に命令してよ」


 ギュウっとセレスティアが袖を握ってくる。その仕草は捨てられることを恐れているようでもあった。魔法とは、彼女にとってはごくごく当たり前にそこにあるものであり、彼女が彼女たる存在意義なのかもしれない。なら魔法を使うな、というのは違うのか――とマリアは思い直す。


「じゃあわかった。命令じゃなくあたしと約束をしよう。絶対に魔法でヒトを傷つけたりしない。無闇やたら使ったりしないって。本当に困ったり、誰かを守るとき以外は魔法は使っちゃダメだ」


「ええー、どうして? 魔法を使った方がずっとずっと簡単なのに、面倒くさいよう」


 鳥の羽を縛り付けて飛ぶな、というのと同じことを言っているんだろうなあたしは……とマリアは思いながら、それでも根気強くセレスティアに懇願する。


「そうだな……もしお前があたしとの約束を守ってくれたら、あたしはもっともっとセレスティアのこと大好きになる……と思う」


「え――ホント?」


「ああ」


 頷いてやると、かあっとセレスティアの頬に急激に赤みが差していく。


「マリア、私のこと好き?」


「ああ、好きだぞ」


「約束守ったら、大好きになる?」


「そうだな。好きな気持がもっと大きくなる、と思う」


「わかった。がんばる」


「そっか。じゃあ手を貸せ」


「手?」


 セレスティアの手からグローブを取る。顕になった小指――まるで芸術品のような細さと白さの指先に桜貝のような綺麗な爪が乗っかっている――にマリアは自分の小指を絡める。


「指切りだ」


「痛いのヤダぁ」


「ちげーよ。こうやって約束すんの。もともと日本の風習らいしいけど、アメリカだとピンキースウェアっていうの」


 スミスから借りたアニメコレクションでもよく見かける光景だ。指を繋いだあと、日本だとなんと続けるんだったか。呪文のようなものを唱えたはずだが……。


「まあなんでもいいけどとにかく約束だ」


「うん、わかった。約束する。今も周りの人間たちにすっごい見られてるけど、それもちゃんと我慢する」


「周り?」


 繰り返すがクリスマスコンサートの往来のただ中である。女性客ばかりが中心で、ミリタリーファッションをビシっと着込んだボーイッシュなマリアと、長身に黒衣のセレスティアはまるで宝塚の舞台役者のように見目麗しい恋人同士に見えた。


 そんなふたりが睦まじく、愛を囁き合うように顔を寄せ、お互いの小指を絡め合っているのだ。誤解するなという方が無理である。


「あ、ああ……違う、違うぞ! あたしらはそういう関係なんかじゃなくて――セレスティア!」


「わっ、マリア、危ないよ」


 慌てて走り出すがセレスティアは踵の高いブーツ履きである。つんのめって倒れそうになる彼女を支えるマリアの膂力は、勢い余って長身のセレスティアを抱き上げてしまっていた。


「あは、すごいすごいマリア、なんか私お姫様みたい」


 みたい、などではなく正にそのものである。一刻も早くこの場を離れなければ――その一心からマリアはセレスティアをお姫様抱っこして駆け出した。周囲からの視線と喝采を振り切るように、マリアという王子様はイブの街を爆走していく。



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