第147話 聖夜の動乱篇⑧ イブデートin御茶ノ水~最も冴えたストーカー撃退法

 *



 12月24日午前11時30分、御茶ノ水駅水橋口



「いやあ、結構な長旅だったなー」


 季節は冬なのに昼間は汗ばむほどの陽気だった。

 電車を乗り継いでようやく御茶ノ水に降り立ったマリアは「ん~」っと大きく伸びをする。


 陸上自衛隊習志野駐屯地にて、新たに新設された第1空挺団抽出の最精鋭部隊、歩兵拡張装甲部隊――通称工藤隊への特別教導のため、日本に出向となったマリア・スウ・ズムウォルト。


 そしてそんなマリアにくっついてきたセレスティアのふたりは、クリスマス休暇を楽しむべく都内観光へと繰り出していた。


「マリア、お尻痛い……」


「あー、確かに結構身体固まっちまったなあ」


 首を左右に傾ければ、ポキポキっと小気味いい音が鳴った。

 凝り固まった肩を回しながら、マリアはふと隣にいるセレスティアを見る。


(マジで半端ねえ可愛さだなこいつ……)


 ゴクリと同性のマリアが思わず生唾を飲み込んでしまうほど、今日のセレスティアの出で立ちはゴージャスの一言に尽きた。


「んー、なあに、どうかしたマリア?」


 漆黒のファーロングコートは夜鴉の濡れた羽のように艶めいていて、かかとの高いレースアップブーツも黒。かぎ編みベレー帽もまた墨を流し込んだような黒色である。だが金色の見事なロングヘアが、闇夜に輝く黄金の月のように映えていて、ダークトーンのコーディネートが重くならないよう上手くバランスが取れている。


(マジとんでもねーっつーか、駐屯地の男どもが騒ぐのも頷けるっていうか……)


 現在マリアとセレスティアは陸上自衛隊習志野駐屯地で生活している。マリアは教導官、セレスティアはそれのサポートという名目で士官用の個室をそれぞれ与えられているが、夜な夜なセレスティアがマリアのベッドに忍び込んでくるので、もう半分同棲生活みたいになっていた。


 なので当然、普段の生活は習志野駐屯地で過ごしているのだが、本日の隊員たち――特にセレスティアの装いを見た男たち(イブに予定もなく自主練に励もうか、夜の飲み会まで時間を潰していようという寂しい独身連中)はとんでもない騒ぎとなったのだ。


 なんなら結婚して駐屯地の外から通ってきている中高年の自衛官などは「メーテル」「マジでメーテルだ」「メーテルがいる!」と目に涙さえ浮かべていたりした。


 習志野駅から新京成線で新津田沼、徒歩で津田沼駅へ移動し、総武線で御茶ノ水駅まで行く車内でも、セレスティアは乗客たちの視線を釘付けにしていた。


 今こうして駅前で佇んでいるだけでも大勢の注目を集めている。誰も彼も全ての光景は、彼女というフィルターを通して見ると、まるで映画のワンシーンか、さもなくば完成された絵画を見ているような気分になってくるのだった。


「なんだか人間たちにジロジロ見られてるんだけど、私の格好ってそんなに変かな。私もマリアみたいな服にすればよかったかな?」


「……それもいいな」


 マリアの服装はアメリカ空軍のフライトジャケットにミリタリーパンツ、ミリタリーブーツといういかにもな格好だ。


 唯一、チェック柄のストールをマフラーにしているが、概ね質実剛健な装いである。まあ、普通の日本人がマリアを見てもまさか軍人だとは思わないのでミリタリーファッションが様になっている外国人くらいにしか思われないだろう。


 だがしかし、これをセレスティアが着用するのならば、ワンサイズ、いやさツーサイズは大きいものを買ったほうがいい。ダボついた袖口から指先だけ出して、ミリパンの裾は二重にめくるのがジャスティスであると言わざるをえない。


「やっぱりそう? マリアとのデートだから気合い入れてきたのに失敗したかも……」


「あ――いやいやいや、違う! そういう意味じゃなくて……おまえは何着ても似合うって意味であってだな、そんでもって今日のその格好はいい、すごくその……綺麗だ」


「ホント? よかったー!」


 セレスティアは無邪気な笑みを浮かべるとマリアの腕に抱きついた。

 ザワ――っと、そうしただけで駅前交差点の喧騒が強まった――気がする。


「お、おいセレスティア、今日出かけるときに約束しただろう。あんまり人前でベタベタしないようにって」


「えー、でもここちゅーとんちの中じゃないよ。じえーかんが見てないところなら抱きついてもいいんだよね?」


「そんなことは一言も言ってないぞ。あたしは人前でベタベタするのは勘弁してくれっていったんだ」


「ううー、ヤダっ!」


 セレスティアは意固地になってぎゅううっとマリアにしがみついた。

 もう気のせいではない、周りの通行人が足を止めてふたりを見ている。

 なんならシャッターを切ろうとスマホを向ける不届きものまでいた。


(はあ……、周りからはどんな風に見られてるんだろうなあたしたち……いい年した女同士がふざけあってるくらいに見えたらいいんだけど……)


 セレスティアの外見は完全に大人のカッコいい女性のそれである。ミスユニバース級が裸足で逃げ出すような超絶美女の中身が、実はまだ10歳にも満たない子供だとは誰も思わないだろう。


 セレスティアは精霊である。アリスト=セレスを守護する水の精霊。それが彼女の正体だ。もともと彼女たちが住んでいた世界――魔法が存在するという異世界からこの地球へと連れてこられたアリスト=セレスは、その渡航手段が不正規だったために、世界の秩序を乱す矛盾として自然の摂理から外に弾き出されようと――つまりは死にかかっていた。


 そんな母、アリスト=セレスを救うためにこの世界に降臨した奇跡がセレスティア自身であり、彼女が発現させた固有魔法『アクア・ブラッド』のおかげでアリスト=セレスは肉体崩壊の危機を脱し、彼女は現在その時間を停められ、厳重に封印されている。


 アリスト=セレスは長耳長命種――エルフと呼ばれる種族であり、母親を幼体化させ封印する際に、セレスティアはその年齢をも引き取る形で外見だけは大人の姿形をしている。


 セレスティアがセレスティアとして顕現してからは十年と経っておらず、彼女の精神年齢はまだ小学生並と言わざるをえないのだ。


 そんなセレスティアは長年、多大なストレスを抱えていた。母親を守るためにアダム・スミスに利用されるとわかっていながら、それでも言いなりになり続けてきた。


 彼女の周りには、セレスティア自身や母親を研究対象としか見ない大人たちばかりであり、そんな連中から母親を守るため、セレスティアはずっと気を張り続けてきたのだ。


 マリアは――外の世界全てに噛みついてきたセレスティアが、生まれて初めて心を許した唯一の存在である。


 セレスティアをイタズラに恐怖せず、その心を想いやり、マリアは優しく彼女を抱きしめた。


 それは彼女にとって初めての体験だった。誰かに抱きしめられ、そのぬくもりをかんじながら己の心を吐露したセレスティアは、生まれてからずっと抱えていた悲しみと辛さを涙と共に洗い流すことができた。


 そしてセレスティアは変わった。

 マリアという自分の肯定してくれる存在を得た彼女は、年相応の子供になった。


 母親に甘えられない分、マリアを友人としながら母親の代わりのように甘え始めただの。それはもはや依存に近く、一日中、放っておけば風呂やトイレにまでつきまとうようになってしまった。


 当然、マリアが日本に出向すると聞いたときは大変な騒ぎとなった。


「イヤ――! マリアと離れ離れになるなんて絶対にイヤぁ! にほん? そいつ殺せばいいの? とにかく絶対イヤったらイヤー!」


 などととんでもない騒ぎになり、その時引き起こしたセレスティアの癇癪で基地施設は大損害を受けたとかないとか。


 結局セレスティアもマリアに同道することとなったのだった。



 *



「はあ、まったく。しょうがねえ甘ったれだなおまえは……」


「えへへ……マリア大好き!」


 頭半分ほど。マリアより背が高いセレスティアに寄りかかられ、足を踏ん張って直立する。


 肩口に頬を擦り寄せる姿は、まるっきり猫が主人に甘える仕草そのものだった。いや正確にはしなやかで妖艶な女豹がしなだれかかるようではあったが。


 とにかく。マリアがため息混じりに金糸の髪を撫でてやると、セレスティアはゴロゴロとホントに喉を鳴らし始めてご満悦の様子だった。


「あたしにくっついて日本まで来ちまうし、魔法は使うなって言ってもことあるごとに使いやがるしよ。誤魔化す方も大変なんだぞ?」


「マリア怒ってる? いいよ、私のこと叱って? め、ってして?」


「怒られて嬉しそうにするやつなんざ初めて見たぞ」


「マリアは特別だもん。他のヤツが私にうるさく言ってきたら殺したくなるけど、マリアだったら何されても嬉しいんだもん」


 本当の本当に。見た目も中身も反則で卑怯極まりないヤツだ――とマリアは頭を抱えた。


「それにしても、今更言っても遅いかもだが、本当に良かったのか日本に来ちまってさ」


「うん、何が?」


「ほら、アリスト=セレス――母ちゃんと離れ離れになっちまっただろ。おまえ滅多なことがないかぎり、ずっと母ちゃんのそばにいて守っていたじゃねえか。それなのによ……」


 マリアたちが籍をおくAAT部隊はエリア51の中にある。

 広大な演習場内に基地があり、そのまた地下の特別施設にアリスト=セレスはいるのだ。


 セレスティアは基本的に母親のいる隔離フロアで生活し、何か用事がない限りずっとそこにいるのだ。それがこんなに長い期間、母の元を離れてしまうなど大丈夫なのだろうか……。


「ふえ? 何言ってるのマリア。私毎晩お母様のところに帰ってるよ」


「――は? 何言ってるんだおまえ?」


 突然わけの分からないことを言い始めたセレスティアにマリアは顔をしかめた。どんな手品を使ったら、夜の間に地球の裏側に行って朝帰ってくることができるというのか。


 だがセレスティアは「えっとねえ」と細い指先をおとがいに当てて、ビル群に切り取られた空を見上げて言った。


「お母様の側に私の『アクア・ブラッド』があるでしょう。アレって私自身なの」


「はい?」


「で、ここに今いる私も私なの。だからどっちにも私がいるの。あ、でもスミスが持っていった『アクア・ブラッド』はもう私じゃないの。なんか色々手を加えられると私じゃなくなっちゃうというか……」


「待て待て、全然話が見えてこない。何を言ってるんだ?」


 子供の戯言……ではないようだが、全く要領を得ない話にマリアは混乱した。当のセレスティアもよく理解してない様子で、「スミスはなんかね、『りょうしのもつれ』がどうとか言ってた」と宣った。


「漁師? 投網かなんかが絡まった――って意味じゃねえよな多分」


「さあ、よくわかんない」


 ふたりして首を傾げていると「あの」っと第三者からの声がかかった。


「もういい加減に移動されてはいかがですか。これ以上ここにいると衆目を集めすぎるようですが……」


「…………」


「……ねえマリア、コイツ殺す?」


「いや、やめとけ……今はまだ」


 マリアとセレスティアに移動を促したのは工藤功くどういさおという男だった。


 角刈りでメンズコートをビシっと着込んで紳士然としているが、どうにもカタギではない雰囲気を醸し出している。彼は習志野駐屯地で第1空挺団に所属する生粋の自衛官であり、階級は二尉である。


 第1空挺団に所属する自衛官はすべからく体力、技術、戦闘力に於いて最高峰の人材ばかりだが、その中でも空間把握能力や思考の柔軟性、耐G負荷への耐性などなど。


 諸々を勘案し『適性あり』と判断されたものたちが候補生として歩兵拡張装甲部隊へと選抜された。そして過酷な訓練を通じて見事、日本で最初の歩兵拡張装甲部隊隊長に任命されたのがこの工藤功34歳独身乙女座恋人ナシ――である。


「よう、おまえいつまであたしらにくっついてくるつもりだよ。やってることはまんまストーカーだぞ」


 カーンと見えないゴングが鳴った。マリアは隣にセレスティアを侍らせたまま、ハンドポケットで仁王立ちになり、ギロリと工藤を睨めつけた。


「どうぞ自分のことはお気になさらず。陰ながらお二人をお守りするだけですので」


 軍人としての経歴は当然工藤が上。だがI.E.Aの実戦経験はマリアが上だ。立場的にもマリアが上である。階級は二尉と中尉なので同程度でも、マリアは彼らを指導する立場にあるのでその点でも格上と言える。


 しかも、歩兵拡張装甲の操縦技術ではマリアは遥か雲の上におり、人間の限界を越えた三次元機動を難なくこなす彼女はここ日本に於いても天才の名を欲しいままにしている。


 ……でもそんなマリアも周りの大人からすればまだまだ女子高生くらいの子供にしか見えないのだった。


「いや、邪魔だから帰れって言ってるんだよ。今日はあたしたちふたりで遊ぶつもりだから」


「いけません。いくらお二人が並外れて――というかちょっと常識の範囲を越えてお強いのは知っていますが、見目麗しい女性が街を歩くともなれば、要らぬハイエナが寄ってくる可能性もあります。そういう連中からお守りするのも我らの役目なのです」


「我ら? 今我らって言ったかおいコラ?」


 くいくいっとマリアの袖を引っ張るセレスティア。「ちゅーとんちのじえーかんが人混みの中にいるよ。全員殺す?」などと物騒なことを口にするが一瞬それもいいかと思ったのは内緒だ。


 とにかく。今日は遊ぶだけが目的ではないのだ。こんな厄介者が居てはできる話もできなくなってしまう。


「帰れ工藤、いい加減にしないとあたしも実力行使に出るぞ……!」


「制裁上等であります! 自分だけではありません、他の連中も同じ覚悟です! なにせあのパーシー元太平洋司令官殿に直々に頼まれたのです、おふたりを――娘を頼むと!」


 拳を握り、暑苦しく力説する工藤。

 マリアは「ああもう、余計なことしやがってあのクソ親父ー」と毒づくのだった。



 *



 マリアが習志野駐屯地に着任してから数日後、事件は起こった。

 遠路はるばるアメリカから、超大御所の元軍人政治家が慰問にやってきたのだ。


 元太平洋方面第7艦隊司令官、パーシー・ズムウォルト。

 現在は退役軍人省ベテランズに便宜を図る現職の上院議員が彼である。


 マリアは現地妻である母親スウとパーシーとの間に生まれた婚外子であり、某かの事情があって母はマリアを連れて自らの父親が住むインドネシアはメルパカン島へと帰り、以来ずっと音信不通の間柄だった。


 そんな事情とは関係なくスミスに魔力の適正を見出されたマリアは、彼の導きで歩兵拡張装甲と出会い、彼が所属するステイツの軍属へと入隊することになる。


 年明けには二足のわらじだったハイスクールの卒業を控え、春からは正式な軍人――非対称戦争対テロ法案直下の歩兵拡張装甲部隊、通称AAT部隊のエースパイロットとしての活躍が期待されている。


 シリアでの『G.D.S』人質事件で、表向きは多大な戦果を上げたマリアは、ついにその名前を公にされ、パーシー上院議員の耳にも噂が入ることとなった。


 思わぬところから行方知れずになっていた娘の名前を聞き、しかも彼女の上司があのアダム・スミスだと知ったパーシーは「これは彼の盛大なイタズラか?」と疑ったのも無理からぬことだった。


 とにもかくにも。季節外れの大物政治家の来訪に、年明けの予算編成と臨時国会も終わり、自分の地元で有権者との友好に余念がなかった総理大臣、官房長官、外務大臣などの与党議員は急遽東京へと戻ることとなり――しかしその内容がごくごく私的な自衛隊基地の慰問と知って首を傾げることとなったのは言うまでもない。


 与党議員よりさらに泡を食ったのは当の習志野駐屯地である。


 年末気分が一気に吹き飛び、全自衛官が最敬礼で出迎えたその一角――第1空挺団の猛者たちに傅かれたマリア・スウ・ズムウォルトを見つけるなり、パーシー上院議員は駐屯地司令、副団長、幕僚長の握手もそこそこに両手を広げて娘へと抱きつこうとし――セレスティアの強烈なボディブローで昏倒するハメになったのだった。


「変なおっさんがマリアに抱きつこうとしたから殺そうと思った。後悔はしてないもん……!」


 怒髪天を衝くマリアの叱責に涙目になってそう答えるセレスティア。だが今度はマリアの方こそ後悔することとなった。


 パーシー上院議員がやってくると駐屯地内にお触れが出たとき、セレスティアにも事情を説明をしておくべきだったのだ。これはそれを怠った自分の責任である。


「あのな……、実はアレ、さっきのジジイな……その、あたしの、父親なんだわ」


「父親……マリアのお父様っ!?」


 ものすごい勢いで食いついてきたセレスティアに、マリアは「お、おう」とのけぞりながらうなずくのだった。


 そして、その後の展開はトントン拍子で進んでいった。


 医務室に運ばれたパーシー上院議員は肋骨を二本も折る重傷だったが、セレスティアが水球をまとった手で患部に触れると、あっという間に完治してしまった。


 ウソみたいな現実に全員がポカンとしている中、セレスティアは「ごめんなさい、マリアのお父様」と存外に素直な謝罪を見せ、全員の毒気を抜くこととなる。


 そんなセレスティアの姿に一番衝撃を受けていたのは当のマリアだったが、居並ぶお歴々に彼女は自らの事情説明を行った。


 自分はこのパーシー・ズムウォルトの娘であり、長らく行方を眩ませていて実に十年ぶりの再会であること。


 父と母が離れ離れになった事情はわからず、当の母親は既に他界していること。父親へのわだかまりはないこと。


 事情説明を怠った結果、セレスティアが自衛行動に出たこと。責任は全て自分自身にあるとして頭を下げた。


 確かに、セレスティアの行動は大問題だったが彼女は食客の身分であり、その所属はアメリカにある。被害者が日本人でもない限り、駐屯地司令が処分をする権限はないのだ。


 しかもパーシー上院議員の怪我は既に完治し、本人も年甲斐もなく成長した娘の姿に感激してしまったことを反省していた。


 つまり、万事問題なく、マリアは父親との再会を果たすことができたのだった。


 医務室で二人きりとなった父娘おやこは、僅か一時間あまりで会話を切り上げ、全員の前に姿を現した。


「マリア、なんか顔が優しくなった?」とセレスティアに指摘され、マリア自身も自分の中にあった険が取れていることを自覚した。


 そうしてその日は午後から、駐屯地の演習場にて特別な錬成訓練が行われた。


 歩兵拡張装甲第二世代型メランガーと、二・五世代型ケベラニアン――両機とも自衛隊仕様機――さらにマリアの騎乗する第三世代型I.E.Aブラック・ウィドウの機動訓練が披露された。


 歩兵拡張装甲は未だ秘匿された存在であり、高度制限があるため、第三世代型本来の三次元機動はできなかったが、精鋭と呼ばれる自衛官たちに檄を飛ばす娘の姿に、パーシー上院議員は終始目を細めていた。


 一日が終わり、パーシー上院議員は帰路へとついた。帰り際までには、すっかりセレスティアと打ち解けた彼は、祖父が孫娘に接するように彼女を猫可愛がりするようにまでなっていた。


 人生経験の差か、政治家たる所以か、セレスティアの本質を見抜いていたのかもしれない……。



 *



 ――というような事件があって、歩兵拡張装甲部隊、工藤隊のメンバーにも直接激励していったパーシー上院議員は、なにやら「娘を頼む」的なことを彼らに言ったようなのだ。


 もちろんそれは色気のあるような話ではなく。いくら軍人とはいえ、未熟な年齢の娘を心配しての親心からの発言だった。


 まさかパーシー上院議員も、マリア、そして特にセレスティアが、歩兵拡張装甲を降りても尚、駐屯地をまるごと殲滅できるだけの戦闘力を有しているとも知らず、公私混同した挙句に爪痕だけはきっちり残して帰っていったのだった。


「まさかベトナム戦争や湾岸戦争、イラク戦争まで体験した歴戦の英雄であり、引退後もまた祖国のためにその身を捧げるパーシー議員にお声をかけていただけるなんて。かつてこれほどまでに自分が男であり軍人であることを誇らしく思ったことがあったでしょうか――いやない!」


 再び力説する工藤にマリアは頭を抱えた。まさか父親の置き土産がこれほどの面倒事になろうとは。情にほだされやすい男を手の上で転がすことなど、軍人時代はもちろん、政治家ならば出来て当然の芸当なのだろうが……。


 駅前の雑踏の中、どうみてもカタギには見えない男に付きまとわれ、辟易とするマリアとセレスティアの姿は、それだけでも十分に職質事案と言える。早急になんとかしなければ……。


「工藤功二尉。命令だ、回れ右して帰れ」


「できません! こればっかりはいかなズムウォルト教官の命令でも聞けません。そもそも自分は本日は非番です。その行動を制限される謂れはありません」


 それはあたしらも同じだっつ-の。マリアはそう口にしかけるが、結局は水掛け論にしかならないと諦める。もうこうなったら仕方がない。強硬手段に出よう。


「セレスティア、ちょっと」


「なに? やっぱり殺す?」


 こいつはこいつで頭が痛いなあおい。


「それはナシだ。いいからちょい耳を貸せ」


「うんいいよ!」


 マリアが顔を寄せるとセレスティアは途端に抱きついてきた。必要とされるのが嬉しくて仕方ないようで、パタパタと尻尾を振る犬のようだった。まあ見た目はしつこいようだが女豹のそれなのだが……。


「あのな、アレ……周りは……あいつらだけで……できるか?」


「うん、うん。できるよ。どんな感じのヒト?」


「これだこれ。イメージ検索すりゃすぐ出てくる」


 ゴニョゴニョと囁き合い、スマホの画面などを見せたりしているふたりに工藤が訝しんでいると、ポツリ――と、彼の頭頂部を雨が打った。


(今日は終日晴れだったはず――)


 そう思いながら頭上を見上げると。


「うわっ!?」


 突如として目の中に雨の雫が入ってきた。一瞬目をつぶり、すぐに目を開く。平気だ。別段なんともない。そして雨も降ってはいない。空は雲ひとつ無い冬の快晴である。なんだったのだろう……?


「とにかくそろそろ移動をしましょう、ズムウォルト教官、セレスティアさん――」


 はたと視線を戻し愕然とする。居ない。二人の姿は忽然といなくなっていた。


 バカな。僅か数秒でどこに消えた? 工藤は慌てて周囲を見渡す。そこには変わらない雑踏があるだけで、マリアやセレスティアの姿はどこにも――


「――ッ!?」


 一瞬で目を奪われる。ひとりの絶世の美女が工藤を見つめていたからだ。


 長いまつげに切れ長の目。まるで自分を憐れむかのような憂いの瞳。金の光沢を放つ亜麻色の長い髪は腰元まで伸びていて、ケープ付きのロングコートやブーツ、アストラハン帽は喪服のような闇色だ。


 自分くらいの年代の男なら、子供の頃に一度は目を引かれ、あまつさえ初めてとなる恋心すら抱いたこともあるだろう。まさしく彼女は――


「メーテル……!」


 そう。本日のセレスティアの姿格好からどうしても連想してしまいがちだった彼の美女が、人混みの中から自分を見つめているではないか。工藤の耳からは一切の喧騒が遠ざかり、自分と彼女が結ぶ視線を遮る者は誰もいなかった。


 どうしてこんなところに彼女が……。そんな疑問を抱く暇もなく、視界の中でメーテルの口元が動いた。なんだ、彼女は自分に何を伝えようとしているんだ……?


(――こっちよ)


 確かに聞こえた。声など聞こえるはずのない距離なのに、なんならCV池○昌子でばっちりと聞こえてしまった。


 そうしたらもう工藤に迷いはなかった。きっと彼女の導く先にマリアとセレスティアがいるのだと確信する。


 メーテルが背を向ける。工藤はそれを追う。人をかき分け、見失わないよう歩を進める。突如として足が動かなくなる。見えない壁があるようだ。工藤は持ち前の身体能力でその壁を颯爽と乗り越え――


「――ぷわわあっ! ……あ、あれ?」


 気がつけば工藤は冷たい神田川の中にいた。マリアやセレスティア、メーテルの姿などどこにもなかった。


「じ、自分は一体何を――、何がどうなって――えええええッ!?」


 ぷかぷかと浮かびながら頭上を見上げれば、同じく習志野駐屯地からやってきた歩兵拡張装甲部隊の自衛官――独身でイブの予定さえ無い、マリアとセレスティアが着任しなければ今年も女っ気ゼロで飲み明かすばかりだった仲間のひとりが何の躊躇いもなく飛び降りてくるのが見えた。ざっぱーん。


「は――工藤!? 俺は一体何を――!? おおおおおッ!?」


 ざっぱーん、冷たっ! どっぱーん、隊長!? ばっしゃーん、ひゃあああ! ざぶーん、足攣った! ぶっしゃー……。


 その日、イブの珍事として道頓堀ダイブを神田川で敢行した馬鹿な男たちが居たとネット界隈で話題になった。


 概ね独り身を拗らせた独身男たちが世の恋人達への腹いせをしたのだと決めつけられていたが、あながち間違ってはいないのが悲しい現実だった。


 ビショビショの濡れ鼠になった工藤以下自衛官たちが自力で駅前に戻ったときには、当然のようにマリアとセレスティアの姿はなくなっているのだった。

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