第149話 聖夜の動乱篇⑩ イブデートin御茶ノ水〜マリア精霊様と約束をする

 *



「ちくしょう、あたしはノーマルだ。絶対そういう趣味はねえのに! ないのに……」


 水道橋西口から高架線を目印に東口の方までやってきたマリアは、そのまま総武線や千代田線を左手に皀角坂さいかちざかを登っていく。


 ちなみにもうお姫様抱っこはしていない。下ろすときにセレスティアが「ぶー、もっとしてよ」と言ってきたが、これ以上カップルに見られるのは耐えられなかった。


 そうして、本来ならお茶の水駅からいの一番でマリアが行きたかった店、トゥールズお茶の水店にたどり着く。新宿の世界堂まで足を伸ばそうかと思ったが、習志野からより近いお茶の水のトゥールズを選んだのだ。


 手狭な店内にひしめくのは、日本が誇る高品質にして低価格という文具の数々である。一階の半分がペンに関するコーナになっており、鉛筆からボールペン、シャープペン、インクペンにマーカーペンとなんでもござれの品揃えだった。


「ねえねえマリア、わざわざえんぴつなんて買いに来たの? えんぴつくらいどこでも買えるんじゃないの?」


「バカおまえ、コンビニやスーパーには一番の売れ筋しか置いてなくてだな、まあそれでもすげえクオリティ高いんだが、ここにあるのはまた違う種類のやつなんだよ。見てみろよ、9Hから6Bまで全部揃ってるんだぜ!」


「ふーん……?」


 どうやらセレスティアにはこの宝の山がピンときていないらしい。店内をキョロキョロと見渡しながら、マリアのフライトジャケットの裾をギュッと握ってくる。


「おお、なんだこれ、あたかも一緒に買って下さいと言わんばかりに鉛筆コーナーに置かれているこいつは――鉛筆削り? す、すげえ、短くなった鉛筆同士を繋げられるのか!? 恐れ入るぜ日本の文房具は……! こんな痒いところに手が届く発想が現実に商品化されてるとは……これも買いだな」


 マリアは箱単位で鉛筆を買い物かごに入れ、さらにノート、画用紙、水性絵の具のセットなども次々とかごに入れていく。その迷いない購入意欲にセレスティアは眉を寄せて疑問の声を上げた。


「ねえ、そんなに買ってどうするの? マリアひとりで使うには多すぎない? ちゅーとんちで配るの?」


「配るわけないだろ。これはあたしの分じゃないよ。メルパカンのガキどもに送ってやるのさ」


 買い物かごの中身、数十人分はありそうな文房具は、すべてメルパカン島の学校へと送るつもりだった。インドネシアは日本と同じく7歳から15歳までの9年間が義務教育期間だが、中学校以上の就学率は地方に行くほど低くなっていく。


 メルパカン島の学校はひとつしかなく、小学生と中学生が一緒に勉強小さな学校だ。全校で生徒数は二十人程度しかおらず、高校の教育課程は島を出るか、通信教育制度を利用するしかない。


 マリアは幼いころ、母や祖父を助けるために早くから働こうと考えていた。だが、母スウは勉強に関してはとても厳しかった。家の手伝い程度ですら勉強をサボるなと怒られたし、観光協会へアルバイトに行こうものなら大目玉だった。


 だがそんな教育方針のおかげで、マリアはたったひとりになってしまってからも自分の力で生きていくことができた。そこまで見越して母が勉強をしろと言っていたのかは定かではないが、マリアは周囲の子供たちよりも多くの選択肢を得られたのは事実だった。


 マリアが渋々と学校に通っていたとき、特にウンザリしたのが筆記用具の粗末さだった。硬くて紙を削るばかりの鉛筆や、キメの荒い濁った色のざら紙、全く消えない消しゴムなどなど。とにかく粗悪なものばかりで、板書をノートに取るなど物理的にできないことも多かった。


「まあ、毎日使うものだからな。こんなキレイに書ける鉛筆やノートがあれば、子供たちもちったあ勉強するのが楽しくなるだろう。アメリカにもちゃんとした文房具はあるけど高いしな。日本に来たらこういうの買って送ってやろうって思ってたんだ」


「……どうして?」


 セレスティアは口をへの字にしてマリアを見ていた。マリアの買い物かごの中はひとつひとつは大した金額ではなくとも、それが数種類、数十人分ともなれば万単位でお金がかかってしまうだろう。


 それは決してマリアのサラリーからすれば負担になるような金額ではなかったが、セレスティアが言いたいことはそんなことではない。


「なんでマリアがそんなことしなくちゃいけないの? お金って人間にとってすごく大切なものなんでしょう? なのにどうしてマリアが自分のお金を他人のために使わなきゃならないの?」


 全然わかんないよ……そう言ってセレスティアは押し黙った。マリアは「まあ、確かにそうだな……」と応じながらレジへと向かう。


「向こうの方からこういうの送ってくれって頼まれたわけじゃないし、送らなくてもなんら問題はないんだろうけど、でもそういうことじゃなくてだな……」


 大量の文房具をカード決済で購入し、さらに国際発送の手続きも行う。セレスティアがそのような質問をしてくるのは想定内だ。何故なら彼女は子供だから。


 誰かによくしてもらった経験が一切なく、搾取されるばかりが当たり前だった。無償の親切には縁遠く、必ずギブアンドテイク。理解できないのも仕方ない。


「今買ったのをあげちゃうのって見ず知らずの赤の他人でしょ? 家族じゃないやつにどうして優しくするの? そんなの変だよ、絶対おかしいよ……!」


 発送の手続きを終えて店を出る。周囲にはカレー、ラーメン、ハンバーガー、パスタなどなど。学生の街というだけあってリーズナブルなチェーン店が数多く軒を連ねている。ランチタイムはとっくに終わっているのに、どこもかしこも盛況な様子だった。


「そういや腹減ったな」


 セレスティアは基本的に食事を摂らない。移動続きなこともあり、つい昼食を忘れていた。マリアはヒョイッとすぐ角のファーストフード店に入り、適当なハンバーガーを購入する。


 持ち帰り用の温かな包みからファーストフード特有の香りが漂い、思い出したように腹が鳴った。マリアはハンバーガーの包みをひとつ取り出して齧り付いた。


 おお、パテが分厚い。食欲が止まらない。歩きながら次々と口に運んでいく。


「うめえ……!」


 ややボリューム感は足りないが、パンズはふわふわ。パテからは噛むほどに肉汁が溢れてくる。チーズもかなり濃厚。トマトケチャップのジャンク感が空腹中枢を直撃する。はぐ、はぐあぐ、っとあっという間に一個を平らげてしまう。


「あ、わりぃわりぃ。おまえの分はこっちな」


 そう言ってマリアは、セレスティア用にと購入した別の包みを渡す。まだ問いの答えを貰っていないセレスティアは、「うう~」と唸りながら紙袋を開けた。


「……アイス?」


「ジェラートサンドだと。あたしゃそういうのより肉の方が好きだけど、おまえってばアイスは好きなんだよな?」


「き、嫌いじゃない、かも」


 丸の内線お茶の水駅の交差点前、セレスティアは両手でジェラートサンドを抱え「あーん」と口を開きかけて止まる。キョロキョロと視線を彷徨わせ、「あうぅ」と赤くなって俯いた。


 マリアとは違い人前で、しかも歩きながら食べるという行為に抵抗があるのだ。こういうところはらしい・・・なあとマリアは思う。


 中身はおこちゃまのクセに、あたしとは違って育ちがいいというか、可愛げと恥じらいがある。先程からチラチラと周りの視線も気になる。晒し者にするのは可哀想だ。さて、どうしたものか。


「あー、じゃあここ通るか?」


 交差点を渡った目の前には、ポッカリ口を開けたメトロの入り口ともうひとつ――東京医科歯科大学の正門がある。冬休みで閑散としたキャンパスの中なら往来でパクつくより随分マシだろう。


「ぐるっと回って反対側の大きい道路に出たかったんだが、ここの校内を突っ切ればショートカットにもなるな。ほら、行くぞ」


「ちょっとマリア!」


 セレスティアの瞳が「勝手に入っていいの?」と不安そうに揺れていた。マリアは「ぷっ」と吹き出しながら言った。


「なんだ、普段は型破りが服着て歩いてるような無敵の魔法使い様のくせして。いいんだよ、ダメならごめんなさいっつってさっさと出ればさ――」


 セレスティアの背中を押しながらふたりは湯島キャンパスの中へと入っていく。途端マリアは「ほ~」と素っ頓狂な声を上げた。


 アメリカの大学とは真逆の作りに驚いているのだ。街を一区画まるごと敷地にしているような向こうの大学とは間逆――特にこの湯島・駿河キャンパスは正反対である。


 限られた土地の中に建蔽率ギリギリの背の高い研究棟が密集している。中には冬休みだというのに校内のスタバやコンビニに買い物にくる白衣姿の生徒もちらほらといた。


 誰もが一瞬、マリアたち――セレスティアの容姿にギョッとした顔をするが、別段話しかけてくるようなことはない。積極果敢に話しかけてくるようなヤツがイブに大学に来ているはずもないか、と偏見を持ちながらマリアは、ガーデンスペースのベンチを見つけて、セレスティアと共に腰を下ろした。


「ねえねえ、食べていい?」


「おう、いいぞ。あたしは冷たいベンチで尻が冷えちまって、そいつを見てるだけで背筋が寒くなるが……遠慮なく食べてくれ」


 マリアは包みから残りのバーガーを取り出す。お、これはフィッシュバーガーか。少し冷めているが、ザクっとした衣の歯ざわりと、淡白な白身魚の旨味が広がる。タルタルソースが美味いな。


「変なマリア。アイスは暑くても寒くてもいつでも美味しいのに。いただきまーす」


 そんな至言を残しながらセレスティアは満面の笑みを浮かべ、甘やかなバターデニッシュでサンドされたストロベリーアイスにかぶりついた。


「んん~、おいしぃ~!」


 口に入れた途端、セレスティアは嬉しそうに相好を崩した。こういうところは年相応な子供のようだとマリアは思う。


(本当に、色々と不憫なやつだ……)


 AAT部隊の基地にいた頃から、マリアはセレスティアが食事らしい食事をしているのを見たことがなかった。


 アリスト=セレスがいる地下で摂っているのかと思いきやそうでもないらしい。「別に食べなくても平気」と本人から聞いたときには、改めて彼女が人間ではないのだと思い知らされた。


 そして、食べなくても平気なら、食べても平気なのだろうと思い、出来る限りセレスティアを誘って食事をするように心がけたのだ。


 結果として、食事という行為は栄養摂取以外にもセレスティアの抱えたストレスを軽減するのに寄与することとなった。


(魔法が使えるとか、水の精霊がヒトの姿かたちをしてるとか、そういうのは関係ないんだよな……)


 セレスティアは泣きも笑いもする普通の子供だ。誰も彼も、彼女の外見と戦闘力に恐れをなして、本来大人がしなければならない子供への義務や教育を放棄してきたのだ。


(あたしだけはそれをやめる……!)


 それは、初めて出会ってボコボコにされた日から、そしてセレスティアの真実を知ってしまってから新たに決意したことだった。


 それにしても……。今日はクリスマス・イブだというのに、あたしは一体何をしているんだろうな。他人の心配ばかりしているとは……。


「なあ、そのまま食いながらでいいから聞いてくれ。さっきのお前がわかんないって言ったこと、答える前にあたしの方からも聞いていいか?」


「えー、なに?」


 フローズンベリーを摘んで口へと運びながらセレスティアはジャム・ソースがついた指先をペロリと舐めている。そんな無邪気な彼女にマリアは問いを投げた。


「家族以外のヤツに優しくしちゃダメな理由って何なんだ?」


「え?」


 ポロッと、プルーベリーが落ちる。芝生の上を転がってマリアのブーツの爪先で止まる。それをナプキンで拾い上げながら、マリアはセレスティアの方を見ずに続けた。


「お前があたしには出来て、あたし以外にはできないこと。素直になること、心を開くこと、優しい言葉を使うこと。そんな調子じゃおまえ、いつまで経ってもひとりぼっちのままだぞ?」


 ググっとナプキンを握りしめる。ナプキンに黒ずんだ血のようなシミが広がっていく。そんなマリアの様子に、セレスティアは慌てて聞き返した。


「え、ええ……どうしたのマリア? なんか怖いよ。もしかして怒ってるの?」


「いいや、怒ってはない。ただ心配してるだけだ。なあ、まずあたしの問いに答えてくれよ。どうして家族以外の他人に優しくしちゃダメなんだ?」


 セレスティアは残り一口となったジェラートサンドを手に持ったまま、口を真一文字に引き結んで地面の一点を見つめる。そして絞り出すように吐き出した。


「て……敵だから。家族以外はみんな敵なの。だから――」


「じゃあ、あたしもお前とは家族じゃなく赤の他人だから敵か?」


「ち、違うよ、マリアは敵じゃないよ!」


 そんなことを言われるとは思ってなかったのだろう。セレスティアは必死になって否定する。


「なんでだ? 普通家族ってのは血のつながりがあるやつのことを言うんだぞ。お前の場合の家族は母ちゃん、アリスト=セレスだろ」


 精霊と精霊魔法使いを家族と言っていいのかはわからないが。あと家族と呼べそうなのはあの男――タケル・エンペドクレスくらいか……。


「違うの、マリアは特別なの! お母様の次に大切なの! 人間だけど好きなの! だから家族じゃないけど家族なの!」


 セレスティアが子供の駄々のように声を荒げる。ガーデンスペースのベンチや、鉄柵にもたれて休憩中だった学生が何事かとこちらを見ている。本当にこんな会話、駐屯地やそこらの喫茶店にいてはできやしない。偶然だが本当にいい場所を見つけたものだ。


「そっか。あたしのこと、そんな風に思ってくれていたのか……」


 つい口元が緩みそうになってしまう。マリアはハンカチを取り出し、セレスティアの手をそっと取った。ジェラートサンドの最後の一口は握りつぶされ、セレスティアの手はベチョベチョになっていた。


「なあ、セレスティア。なんで家族じゃないやつに親切にするのか、だったよな。答えは簡単だよ。あたしも家族じゃないヒトたちに優しくされて嬉しかったからさ」


「どういうこと……?」


「あたしもな、お前と同じだったんだよ。周りが――世界のすべてが敵にしか見えなかったときがあったんだ……」



 *



 目に映る者すべてが敵に見えていた時期。

 マリアにとってそれは、母を失い、翌年にまた祖父までも失ってしまった直後のこと。


 突然、たったひとりになってしまったマリアは恐怖した。

 頼れる者が誰もいない――自分以外は全て赤の他人である世界に恐れおののいた。


 情けないことに、自分が頼れるものは、祖父が残してくれた粗末な家と、母が残してくれた僅かな現金だけだと思った。


 毎日心配して様子を見に来てくれる隣のおじさんも、仕事がしたかったらいつでもおいでという観光協会のジジイも、困ったことがあったら相談しなさいという学校の先生も、みんながみんな敵だと思った。


 油断した瞬間、自分のような子供など骨までしゃぶり尽くされてしまう。そして無理やり乱暴されて、知らない町に売り飛ばされるに決まっている――そんなことを本気で思っていた。


 小さい町のことだ。身寄りをなくしたマリアの噂は誰もが知っていた。中には本気でマリアをどうこうしてやろうと思う輩もいただろう。だがそういう悪い奴らから守ってくれたのは敵だと思いこんでいた大人たちだった。


「スウさんが作ってくれてたのとは違うかも」そう言いながら隣の奥さんが作ってくれたラワールアヤム……鶏肉をサンバルマタという調味料で炒めたスパイシーな料理を差し入れてくれたり。


「ボロいんだけどおまえは頭いいし、俺なんかよりよっぽど使えるだろう」そう言って観光協会のジジイがお古のノートパソコンをくれたり。


「僕が使ってたものなんだけど、わからないところはいつでも聞いてくれ」そう言って学校の先生が高価な高等学校の教科書をくれたり。


 そんなことが続いていく内にマリアは「あれ?」と思うようになっていく。


 実際母親が作っていたラワールアヤムは鶏肉を蒸して作っていたので、隣の奥さんが油で炒めたものはくどくて胸焼けがしてしまった。でも何故かひどく懐かしい味がして、一人で食べながらポロポロと涙が溢れた。


 もらったノートパソコンを起ち上げてみると、各種ソフトがきっちり最新の状態でインストールされているだけではなく、都市部に行かなければ買えないようなオフィスソフトが全部入っていてビックリした。おまけに観光協会の事務所に行けばインターネットは好きに使っていいとまでジジイは言ってくれた。胸の奥がキュウっと締め付けられた。


 手垢が着いた古い教科書を開いてみれば、まるで今慌てて消しゴムをかけたように落書きが消された跡が残っており、その上から各種解説やメモ書きが真新しく付け足されていた。あんな生真面目そうな先生でも偉人の写真を髭まみれにしていたのかと思うと笑えてくるし、笑えすぎて泣けてきてしまった。


 いいのかもしれない、とマリアは思った。


 のべつ幕なし噛み付くことなどしなくても、世界はそんなに非道いことばかりじゃないのかもしれない。自分の大切な家族を奪った憎き世界もまた、見方を変えれば違う絆とぬくもりをマリアに与えてくれていたのだ。



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