第144話 聖夜の動乱篇⑤ イブデートin秋葉原~家族で過ごす聖なる祭日・前編

 *



 12月24日 午後14時00分。秋葉原電気街口。


「仕方ないだろう、朝起きたら右腕が生えてたんだから」


 往来の真ん中で久しぶり(といっても一週間ぶりだが)となる右腕の感触を確かめながら、僕こと成華・エンペドクレス・タケルは言い訳の言葉を口にした。


 現在僕がいるのは秋葉原電気街口。

 UDXやカフェなどがある駅前広場におり、ちょっと視線を上げてみれば540インチの巨大モニターが見える。


 周囲は買い物客やカップルでごった返しており、街並みもクリスマスイルミネーション一色に飾られていた。もう間もなく日が暮れれば、宵闇に綺麗な彩りを添えることだろう。


「あん? 知んないわよそんなの。事実はただひとつ。あんたが私を待たせたってこと。しかもこんな寒空の下で二時間! 二時間もよ!」


 ぷんすか! という感じで気炎を吐いているのはイリーナだ。

 本日はかねてよりの予定、イリーナへの観光案内というか、お買い物に付き合う手はずだった。そのため正午に待ち合わせをしていたのだが、実は僕の方でちょっとしたトラブルがあったのだ。



 *



「暑っつ……」


 季節は真冬。暦の上では師走。室内は過剰暖房。そして暖かな布団の中。


 休みともあって二度寝してしまった僕は、左手で枕元のスマホを手繰り寄せる。

 午前十時。昨夜が遅かったとはいえ、久しぶりに寝坊してしまった。いつもなら、いくら休日とはいえ毎朝八時にはエアリスが起こしてくれるのだが、明日はゆっくりでいいと言ってしまったので彼女も目覚ましをかけ忘れたのだろう。


 本日は全国的にというか世界的にもクリスマス・イブだし、人工知能進化研究所の方でも殆どの職員さんが休みらしい。


 いつもお世話になってる食堂のおばちゃんでさえも子供と一緒にディズニーランドに出かけるとのことで大ハリキリだった。


 唯一予定が立っていないのが誰であろうマキ博士らしく、彼女がイブに酔っ払ってくだを巻くのは毎年の風物詩のようだ。以前なら気を使った職員たちと徹夜で飲みに行っていたそうだが、あまりの酒癖の悪さに本人も周りも反省し、以来ずっとひとりで寂しいイブを送っているという。


「イリーナとの約束はお昼からだっけ……」


 我ながらポワポワとした情けない声が漏れた。

 今日は以前から約束していたイリーナと日本観光をする日だ。ついでに僕らもたまには終日休みにして、どこかで外食でもしようということになっている。


 僕は、必要以上にイリーナと親しくなっていないにも関わらず、エアリスとアウラはもう友達同士の間柄らしい。「あの子供は大したものだ」と、エアリスにしては珍しく人間であるイリーナを認め、アウラは百理の屋敷で預かってもらう際、いつもイリーナが面倒を見てくれているらしい。


 シリア事件での情報精査の件といい、アウラが世話になっていることといい、そして鎧の修復や真希奈のメンテナンスのことといい、僕はすっかりイリーナに頭が上がらなくなってしまっていた。


 今日はそんな彼女へ囁かなお返しをするために案内役を申し出たのだ。


「待ち合わせまでは余裕だし、何か簡単な食事を作ってもらおうかな……」


 もちろんそれはエアリスにお願いするのだ。彼女とともに地球に帰って以来、すっかり発揮されることがなくなってしまった僕の料理スキル。のんきに料理をしている場合ではないというのもあるし、自分で作って食べるよりも、エアリスに作ってもらった方がずっと美味しいし本人も嬉しそうにしているので機会がないと言った方が正確か。


 僕も必要に迫られて料理スキルを身につけた口だが、引きこもっている最中はもっぱらインスタント食品ばかりを口にしていた。自分が食べるだけなら作る必要を感じない。再び料理の腕を振るうことになったのは、ひとえにセーレスが喜んでくれたからである。だからエアリスが僕に料理を作ってくれる気持ちはよくわかるし、とてもありがたいことだと思っている。


(いずれ、返していくことになるんだろうな色々なものを彼女に……)


 さて、いい加減エアリスを起こして顔でも洗ってこようかと隣に首を向けた瞬間――寝起きだった頭にハンマーを振り下ろされたような衝撃が走った。


 何故気づかなかったのだろう。指の隙間ほどの距離を置いて、エアリスの顔がすぐ目の前にあった。意識した途端、しっとりとした小さな吐息を自分の唇に感じた。


(いけない。これは……非情にマズい。動けない)


 エアリスは今僕の肩の上に頭を乗せて、すやすやと穏やかな寝息を立てていた。

 がっちりと腕がホールドされており、もう熱い熱い。エアリスに抱きしめられた僕の腕は着火したように熱くなっていた。


 通りで寝苦しいはずだ。

 二人分の体温に暖められ、布団の中は汗ばむほど。

 コレほどまでに密着していればなおさらである。


(改めて見てもなんつー綺麗な子だよ)


 セーレスとはまた違ったベクトルの美少女というか。

 寝ている顔も神々しいまでに美しいというか。


 外では他者の目があるからキリッとしていることが多いが、最近俺やアウラの前では砕けた表情を見せることも多くなった。


 こんな綺麗な顔で笑ったり怒ったりおどけてみせたり……。

 さらにはこんな無防備な寝顔まで。

 なんというかすごく信頼されている感じがする。


 ……そういえば地球に来てから――アウラが発現してからは特にディーオことは口にしなくなったと思う。もう某か、彼女の中では整理がついたのだろうか。


 僕は左手を持ち上げる。そしてなんとなく、眼の前にあるエアリスの唇に触れてみた。ぷにぷにっと。


「おお……」


 ゆ、指を押し返す確かな弾力を有しながら、指に吸い付くような感触がする。

 もしもこの唇を指ではなく僕自身の唇で触れたらどうなってしまうのだろう。


 ……寝てるよな? 起きないよね? ほんの少し首を進めるだけでこの唇に僕の唇が――


「いやダメでしょッ」


 僕は馬鹿ではないだろうか。

 まさか寝込みを襲うつもりか。

 僕を信頼してくれているエアリスに申し訳ないし、そんなこと知ったらセーレスにも怒られそうだ。


「寝込みを襲うなんて最低だよ。ちゃんと起きてるときにキスしなさい!」


 いや、セーレスならそんなこと言いそうだ……。

 いやいやいや、そもそもエアリスの存在を知ったらきっとセーレスは浮気だって言って激怒するに違いない。


「うん――?」


 無理やり身体を離したため、エアリスさんが目覚めてしまったようだ。

 彼女は寝ぼけ眼のままブルルっと肩を震わせ、ギューっと僕の腕を抱きしめる。


「え、あれ……?」


 抱きしめられてる腕は誰の腕だ?

 僕の左手はエアリスの唇に触れた余韻が残っている。

 じゃあ今彼女に思いっきり抱きしめられているのは――


「おおおおッ――!」


「ふにゃ……タケル?」


 僕は布団をはねのけ一気に立ち上がる。コバンザメよろしくエアリスも一緒にくっついてくるが、そんなことには構っていられなかった。


 何故なら僕の右肩から下には確かに『腕』が生えていたからだ。


「やった――右腕復活!」


 利き腕が再び生え戻った喜びなど、地球上で味わえるのは僕くらいのものだろう。トカゲでもプラナリアでも、なんでもいいからこの気持を分かち合える生物は僕の元にDMを送って欲しい。


「もしかしたら魔力も戻ったのか? いや、ここで試すわけにはいかないか。エアリス、人研に行くぞ。真希奈を僕に戻してステイタスチェックをしてもらおう!」


「いや待て待て、今日は中天からイーニャと待ち合わせのはずではなかったか……?」


 彼女は僕の右腕にぶら下がったまま、眠たそうに目を擦っている。何気に彼女は低血圧だ。普段は結構がんばって僕を起こしてくれているのだ。


「大丈夫、時間ならまだあるから!」


「そも朝食を抜くのはよくないぞ。しばし待て。何か簡単なものを作ってやろう」


「そんなの道すがら朝マック見つけて食べればいいよ!」


「朝まっく? よくわからんが、それは私が作る食事より美味いのか?」


「いやいやマズいよ! 一般的には早くて安くて美味い部類に入るが、おまえが作ってくれる飯と比べれば手間も暇も愛情も段違いさ!」


「ふむふむ――むう? あ、あああ、愛じょ……?」


 あれ、エアリスがなんか赤くなって口をあわあわさせてるぞ。

 僕なにか不味いこと言ったかな?


「とにかく、今すぐ確かめたいことがあるんだ! 急いで出かける用意をしてくれ!」


 やれやれ、せっかちな男だな……。とエアリスは僕に微笑んでくれる。そして「はて」と首を傾げた。


「ところで貴様は寝起きに大声を上げながら何を確かめたいと言うのだ?」


右腕これだよ!」


「おおっ――!?」


 珍しい。エアリスも気づいていなかったようだ。ようやく僕の腕が復活していることに気づいた彼女は、照れ隠しなのかペシペシムニムニとやたらと腕に触れてくる。そして、未だ隣で静かな寝息を立てる我が子を優しく揺さぶった。


「アウラ、起き抜けで申し訳ないが、すぐに出かけるぞ。パパの腕が治ったようだ」


 うわ、という悲鳴を僕は飲み込んだ。彼女がアウラに僕のことを『パパ』なんて言ってるのを初めて聞いたためだ。もしかして僕が知らないところで結構呼んでるんだろうか。アウラが僕を「パパ」と呼ぶ100倍恥ずかしいぞ。


「ん……パパ、マ、マ……」


「アウラ?」


「どうしたんだ?」


 どうやらアウラの寝起きが悪いらしい。そういえば最近元気がないように見えるとイーニャが言っていた、とエアリスが零す。


 結局僕らは交代でアウラを抱えたまま人研へ向かうことになった。

 僕とエアリスに抱っこされながらアウラは終始元気がない――というよりずっと眠り続けていた。


 風の魔素の高密度集合体であるアウラは普通の子供と比べても軽く、魔族種である僕らの腕力にしたら風船のように軽いので苦にはならないが、なんだかずっと胸にしがみついたまま寝息も立てずに眠るアウラに一抹の不安を覚えるのだった。



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