第137話 追いすがる過去と今⑫ 百理とカーミラ・憎らしいほど似たふたり

 *



「やれやれですわ……」


 喧嘩を売られるまま気の向くまま……百理の挑発に乗り、ついバトルフィールドまで足を運んでしまったが、カーミラは正直それほど乗り気ではなかった。


 百理の怒りは――まあ分かる。

 同じ女として、十分に理解の及ぶ範囲のものだ。

 だからこそ、その嫉妬の感情さえも、手に取るようにわかってしまう。


 百理もまた、人外の長命種である。

 カーミラの半分ほどしか生きていないようだが、それでも人間社会からすれば、十分に身分を隠さなければならないほどの異常者である。


 カーミラもまた、戦後間もなくにカーネーショングループを立ち上げた当初は、自らの美貌を売りにして創業社長の肩書に公然と胡座をかいていた。


 だが人間とは年老いる生き物なのだ。いつまでも若く美しく、小じわのひとつも刻まれないカーミラは、影でバケモノと噂されるようになっていく。


 彼女に近しい者たちこそ、その醜聞を封殺しようと躍起になったものだが、実は本人はどこ吹く風だった。


 なにせそれは事実だから。カーミラは人間などではなく、永遠に朽ちることのない絶世の美貌を持つ吸血鬼。


 何十年と社長の椅子に座り、誰より激務をこなそうとも、身体は老いることはおろか草臥くたびれることすらない。


 人間の生き血など必要としなくても、もっと栄養価の高い普通の食事で足りたし、いまさら嗜好として誰かの血を啜る趣味もない。


 だが時の流れとは残酷だった。やがて彼女を慕っていた者達ですら、カーミラを訝しみ、恐れるようになり、次第に距離を置くようになっていく。


 その段になってようやく彼女は、「あら、これって思ったよりも深刻ですわ。うまく立ち回らないと」と考えるようになり始めた。そして――


「私の隠し子です。夫は死にました。この子を二代目社長に致します」


 決意から十数年。カーミラは一から人材を育てることに成功する。

 世界中から候補者を募り、いくつもの条件を設定し、選定して絞り込んで、ひとりの少女の『足長おばさん(誰がおばさんですの!)』になった。


 カーミラの後継になるべく選ばれた少女は、恐らくカーミラに見い出さなければ生涯を北欧の貧しい漁村の、これまた小さな缶詰工場のライン工で過ごしたはずの地味な女の子だった。


 カーミラはそんな少女の人生を丸ごと買った。決して安くないお金を投資し、教育を施し、生活水準を引き上げ、礼儀作法を叩き込み、ある程度の分別がつくようになるまで徹底して『恩』を売った。


 やがて見えない『足長おばさん』のことを生みの親以上に慕い、少女の心に崇敬の念が生まれる時期を待って、カーミラは一世一代の大博打に打って出た。


「実は私、普通の人間ではありませんの」


 自らの正体を明かしてもなお気持ちの揺るがぬ者の育成。それが齢600年目にして極東の島国で初となる大規模事業を起ち上げたカーミラが手探りであっても作り上げたかった集大成であった。


 賭けと言ったのは、あくまで少女が自らの意志でカーミラを受け入れてくれるのがベストであり、もしダメならば、巨額を投じた数十年は徒労に終わってしまうからだ。


 告白してから急激にカーミラは怖くなった。

 もし少女が自分のことを受け入れてくれなかったらどうしよう。


「そんな非道い! 私のことを長年支え続けてくれた恩人が吸血鬼だったなんてあんまりだわ! 裏切りよ!」なんて言われたら……全てが水の泡である。


 もしそんなことになったら……いえいえ、痛いことなんてしませんとも。ただちょっと血を吸って精神的に支配した状態で記憶を操作して私のことをまるごと忘れてもらうだけです。恐らくなんらかの障害が残る可能性もありますが仕方ありませんよね?


 これが最初から血を吸って支配すればいいというものではない。そういうことではないのだ。カーミラが欲しいのは傀儡ではなく、あくまで自由意志を持ったまま最大限自分に協力してくれる人材を手に入れることなのだ。


 などということを、カーミラは馬鹿正直に全て話していた。


 極東の島国で事業が上手く行っているからこのまま成長を続けていきたい。でも不老不死な自分ではいつまでも舵取りができない。だから自分の代わりに表舞台に立って社長のフリをしてくれる人材が必要なのだと。


 そこまで言う必要は皆無だというのに、カーミラはせめてもの誠意を示すため偽ることなく告白していた。そして――


「いいですよ。私の残りの人生をあなた様のために捧げます。その代わりお願いがあるのですがよろしいですか?」


 少女の色よい返事にカーミラは歓喜した。今自分は賭けに勝ったのだのだと。

 この後少女が更なる金銭を要求しようとも支払う心算であった。

 だが、そんな俗物的なカーミラとは対照的に少女の願いはどこまでも純粋だった。


「カーミラ様のこと、私が死ぬまでの間ずっと『お母様』とお呼びしてもよろしいですか?」


「採用ですわ。あなた私の娘に決定です!」


 思わずカーミラは少女を抱きしめていた。穢れきった自分が恥ずかしかった。その資格がないとわかりながらも、少女が望むのなら母になることも苦ではなかった。


 そうして少女は最新の整形技術を経て、カーミラの遺伝子を髣髴とさせる容姿に生まれ変わり、二代目カーネーションの社長となるべく幹部たちにお披露目されることとなる。


 その後、数年の時間をかけてカーミラは引退を宣言。

 若く美しい二代目女社長が辣腕を振るった結果、カーネーショングループは高度経済成長の日本を牽引する大企業として名を馳せることとなるのだった。


 ――とはいえ何のことはない。二代目社長の判断はすべて影からカーミラ本人が行ったものだった。引退を宣言しながらも、合計にして70年近くを、カーミラは企業経営に費やしていた。


 そうして時は流れ、カーミラをバケモノと嫌厭していた者たちは寿命を迎え、二代目社長を支え続けた幹部達も引退。そうして昔なじみが次々と天寿を全うして行く中、ついに避けられない別れのときが訪れる。


 二代目社長を引き受けてくれた少女にも最後のときがやってきたのだ。


 かつて少女だった老婆は言った。

「お母様のお役に立てて私は幸せだった」と。


 それはカーミラが望んだ少女のあり方からすれば100点満点の遺言だった。

 だが、本当にそうだったのだろうか。缶詰工場のライン工であっても、少女には本来素朴な幸せがあったのではないか――


 例えば、同僚の若者と結婚し、子供を産み、学のない自分たちに代わり、せめて生まれてくる子には真っ当な教育を受けさせようと、都市部の全寮制学校へと送り出してやる。


 我が子とは年に数回しか会えないし、夫婦揃って懸命に働いても、教育費を支払っては爪に火をともすような生活がやっと。それでもたまに来る子供からの手紙と、その成長を唯一の拠り所にして、人間らしく慎ましやかに伴侶とともに年老いていく……そんな未来が本来あったのではないだろうか。


 自分はそれを奪ってしまった。

 そんな少女の人生を不幸と断じて変えてしまった。

 今にして思えばそれはなんと傲慢だったのだろうかと。


 亡くなった二代目社長に代わり、もはや世界的企業となったカーネーションを引き継いだのは、である三代目会長・・。誰であろうカーミラ本人だった。


 未だ学生の身であり、後見人である臨時社長である叔父・・から仕事の手ほどき受けながら、積極的に企業経営に参加している、という設定。


 数十年の間に周到に準備してきたカーミラの日本での家系図は、一部の隙もなく完成していた。二代目社長を据えたのと同じく人生をロンダリングすれば、約30~50年周期でカーミラは何度でも表舞台に帰ってこられる。


 だがそれは、また再び誰かの人生を買わなければならないことを意味していた。

 どこか後進国の、未だ本当の幸せを知らない、無知な少女が憧れるきらびやかな生活を与え、洗脳し、選択肢を奪って、心を縛り付けて、望む答えを誘導して……。


 そんな卑怯なことをカーミラはまたいずれ行わなければならないのだ……。



 *



「何を嗤っているのですかあなたは……?」


 ハッとする。

 百理の射るような視線が刺さる。

 知らず、いつの間にかカーミラの口角はつり上がっていた。


「いえ、少々思い出し笑いを。失礼しました」


 口元を抑えながら笑みを引っ込めるも、時すでに遅し。

 相手はそれを宣戦布告とみなしたようだ。


「随分と余裕ですね。あなたはいつもそうして、ヒトを小馬鹿にして……!」


 カーミラは決して百理を嘲笑・・したわけではない。

 それは多分に自身へ向けた皮肉の微苦笑なのだが、怒りに身を焦がす百理には挑発としか映らなかったようだ。


「そういうあなたは余裕がないようですわね。少し落ち着いたらいかが?」


「タケル様にあのような不埒な真似をしておいて……勝者の余裕というわけですか?」


「勝者って、私とあなたがなにか競っていたことがありましたかしら?」


「ない、とは言わせません。あなたは、私にとって常に目の上の瘤でした」


 片や影に日向に日本を古来より支えてきた一族の当主。

 片や第二次世界大戦後に裸一貫でのし上がってきた一個人。

 だからこそ、百理はカーミラを意識せずにはいられなかった。


 たった一人、なんの基盤も持たず日本にやってきたカーミラは、今や国内はおろか世界でも無視できないほどのビジネスパーソンとなった。


 その自由奔放かつ大胆な発想は常に流行を生み出し、深く日本国民に浸透してきた。


 二度の代替わりをしたカーネーショングループではあるが、それがフェイクであることを百理は当然のように看破していた。


 とすれば、戦後からわずか70年あまりで、カーミラは今日こんにちまでの栄華を築き上げたことになる。


 果たして自分に彼女と同じことができるだろうか。

 日本に於いて『御堂』の名前はあまりにも大きすぎる。

 百理に傅く者達はみな、百理一個人ではなく、『御堂』というビッグネームに敬服しているのだ。


 折しも高度経済成長期。

 奇しくも日本国内が湧く第一回東京オリンピックの間近。


『外来の強力な吸血鬼が素知らぬ顔で商売をしている』と。


 その報を受けた百理は、日本の人外を預かる頭領としてこれを問題有りとし、調査に乗り出した。しかしカーミラは本当に合法的に商いを回しているだけだった。


 多方面から様々な粗を探してみても、必要な駆け引きやグレーゾーンを敢えて行く作戦をとっているだけで、とても違法とまでは言えないものばかりだった。


 百理はすぐさまヤブを突付く戦略に出た。

 卑怯と言われようとも何らかの示威行為を行わなくては御堂に従う人外や企業の手前具合が悪い。


 だが決して武力で挑発してはいけない。ここは御堂財閥として後の禍根を取り除くために村八分にしよう。そうしよう。


 御堂に連なる関連企業にカーネーションとの取引中止を水面下で打診した。

 原材料の調達から流通まで、一切合財を阻害した。

 結果、日本市場からカーネーションブランドはまたたく間に消滅した。


 どうせ伊達や酔狂だろうと思った。

 これに懲りてすごすごと日本から消えてくれるだろうと。もしも怒り狂って戦いを仕掛けてくるのならば、その時こそ大手を振って戦争ができるというものだ。


 そもそもが謎なのだ。北欧で発生した強力な吸血鬼の神祖が何故なにゆえ日本を根城にしているのか。そして何故、安全安心高品質な美容品を作って真っ当に商売をしているのか。


 程なくして、カーネーションが海を渡り、アメリカで事業展開をすると耳にした。

 ふむ。予想通りだ根性無しめ。日本から撤退するように仕向けたのは百理自身だったが、こんなものかと落胆もしていた。


 だがわずか数年で百理は思い知ることとなる。

 雌伏の時を経て、カーネーションブランドが帰ってきた。

 アメリカで爆発的な人気を誇った商品を引っさげて日本に再上陸してきたのだ。


 それを水際で止める手立てはさしもの御堂にもなかった。

 何故なら日本国民が、消費者が、そして世の女性達がそれを求めてやまなかったからだ。


 やられた、と百理は思った。逆輸入戦略である。

 日本国内で一度売れなかった商品でも、海外で実績を積んで舞い戻ってみれば爆発的な支持を得ることがあるのだ。


 ことさらに外圧に弱く、海外の反応を気にする国民性を逆手に取られた。昔から日本国民はインスタントコーヒーからカップ麺に至るまで、逆輸入に飛びつく傾向にあるのだ。


 原材料の調達はすべて海外。生産工場も世界に複数。

 流通経路を差し止めようとも、カーネーションブランドを求める日本国民がそれを許さない。逆にどこが妨害しているのかと、今度は御堂が恨まれてしまうだろう。


 こうして日本から追い出したはずの吸血鬼は再び台風の目となって日本に凱旋した。新たな事業を次々と展開をして、その悉くを成功へと導き始めた。


 百理は自身もまた経営者のひとりとしてカーミラのことを一抹の尊敬とともに唾棄せずにはいられなかった。


 企業人として敗北を喫した百理だったが、戦闘面ではどうか。


 大江戸人外おおえどじんがい化生改方けしょうあらためかたとして天才の名を欲しいままにした百理は、例え相手が神の血を引く一族の末裔であっても負けることはない。戦うからには勝つ。最悪相打ちであっても必ず仕留めてみせる。


 先日、タケルを間に挟んだ70年めの戦い。

 その死闘の果てに於いて、カーミラと百理の実力は拮抗していた。


 決め手となったのはナンバー2の存在。

 カーミラが日本でこしらえた唯一の眷属ベゴニア。


 その戦闘能力が予想を大きく上回っていたため、百理の戦闘部隊はすべて退けられてしまった。


 もしあのまま、拮抗状態にあった戦闘にベゴニアが参戦していれば、百理の敗北は確実だっただろう。


 そしてもうひとつ。

 つい最近意識し始めた女としての勝負はどうだろうか。


 否。勝負とすら言えない。

 あんな横から掻っ攫うような結果は断じて認めない。

 まるでタケルの弱みにつけ込むような、あんな恥知らずで愚かなことなど……!


『G.D.S』人質事件の当事者のひとりとして事後処理にあたりながら、百理は返す返すもカーミラへの怒りを募らせ続けていたのだった。



 *



「どこまでも……本当にどこまでも憎たらしい女……、やっぱり私、あなたのことが大っ嫌いです――!」


「ふ、ふふふ……」


「何がおかしいのですかッ!?」


 カーミラは『嘲笑っていた』。

 自嘲的な先程までの笑みとは違う。

 今は明らかに百理を蔑み嗤っていた。


「嫉妬は女の誉れ……。今改めてそう感じていたところですわ」


「嫉妬? 嫉妬と言いましたかあなたは!? 私の抱くこの怒りを、あなたはそんな俗物的なものへと貶めるつもりですか!」


「嫉妬でなくてなんだと言うのですか。三百年来の未通女おぼこ娘が、好いた男を取られて悔しくて悔しくて仕方がないんでしょう……?」


「お、おぼ――!? こ、この無礼者が……!!」


 百理は目をむいて噛みつく。

 カーミラは眉を潜めるとオーバアクションで口元に手を当てた。


「あらら、その反応……ホントにマジでそうなんですの? 300年以上生きていて、一度もそういうことを殿方となさったことないんですの? うわあ。ちょっと引きますわ。女としてどこか問題があるのではなくてあなた?」


「黙りなさい!」


 青白い鬼火がカーミラへと襲いかかる。だが一瞬の閃き。真紅の光輝によって鬼火は叩き落とされた。


 急速に温度が低下した鬼火は、青白い色からオレンジ色になって、最後はくすんだ赤色になって床に落ちた。白色矮星が年老いで赤色巨星へとなり、やがて滅びていくようだった。


 どこから「あじゃじゃあ!」と、ドラ猫を踏んづけたような悲鳴が聞こえてきたがふたりは無視した。


「私も――状況を楽しんでしまったことは認めますが、そもそもあの時、アレ・・以外にタケルを救う術がありましたか? 刻一刻と死に近づいてくタケルを前に誰も何もできず右往左往するしかなかったではありませんか」


「いいえいいえ、まだ他に手はあったはずです。私が専門の医師団を用意している間にあなたが勝手に医療行為と称してタケル様をその汚穢なる毒牙にかけたのです」


「あら、私にはあの状態のタケルを確実に救うことができるという確信がありました。いくら優秀とはいえ人間の医者を連れてきたところで役に立ったとは思えませんわね」


「私が招聘した医師は古来より御堂に仕えてくれた霊験あらたかなる呪法師です。生命エネルギーが枯渇したタケル様への対処もまた可能なはずでした」


「西洋東洋の違いはあれど、やることは同じであると? ならやっぱり私がいたして正解でしたわ。どこの馬の骨とも知れない者にタケルを任せることはできませんもの」


 著しく損傷したタケルの肉体は手の施しようがなく、普段ならなんでもないはずの怪我で彼は死にかけていた。従って本来タケルが持っているはずの回復力が戻れば、すべては万事解決するはずだった。


 ところがその回復力に必要な魔力自体が枯渇していたのだ。聖剣というカーミラたちには預かり知らぬ異世界の異能の力が、タケルの魔力を根こそぎ奪い続けていた。


 ならばこそ、魔力に頼らない別の力で治癒能力を高めてやればいい。


 それは吸血鬼という生物が持つ本能。自らの眷属を造り出すということは、己の精神と肉体の繋がりを相手に構築して、自分のアビリティを分け与えるということ。


 タケルの肉体を回復させたのは紛れも無くカーミラの自身の生命力であり、吸血鬼としての能力だった。


 そのプロセスにこそ倫理的な問題はあれど、彼女がしたことの結果はごくごく理にかなったベストな選択だったのだ。


「それとも……ああ、もしかしてそういうことですの? なんだ、そうならそうと言ってくださればよかったのに。まあ、あなたなら私は構いませんわよ?」


「何を――どうせ下衆なことを考えているのでしょうが敢えて聞いてあげましょう。言ってごらんなさい」


「嫌ですわ、タケルと同じように言い難いことをわざと言わせて愉しむプレイではないでしょうね?」


「さらりとタケル様を貶める発言も今は咎めません。さっさとお話しなさい!」


 声を荒げる度に百理自身から鬼火が吹き上がり火の粉を散らす。

 まるで火山噴火のように、百理は頭の天辺から本気で火を噴いていた。


「えー、ですからー、あなたはヘソを曲げてるんでしょう? のけ者にされたから」


「はい?」


 のけ者とはなんの話か。

 百理はパチクリと目を瞬かせる。


「治療行為とはいえ快楽は快楽ですもの。女としてその喜びを享受することは確かに幸せですわ。私たちにとってはエアリスちゃんやセーレスちゃんという最大の壁を超えられる得難い機会でしたものね。あなたとしても既成事実が欲しかったのでしょう?」


「…………」


 婉曲なようでストレートな表現を多用するカーミラに百理は一瞬眉をひそめた。白いかんばせがみるみる赤くなっていく。その意味するところを理解し、想像し、怒りと羞恥と嫌悪と、もう様々な感情が一気に押し寄せてきたのだ。


「なッ――、ななな、なんと破廉恥な! ど、どのような生を歩んできたらそのような発想ができるようになるのです! 殿方との秘め事をそそそ、そのような複数、複数で愉しもうとするなど、恥を知りなさい――!」


「だってタケルはひとりしかいないんですもの。仕方がないじゃありませんの」


 ふう、やれやれ、と両手を広げるカーミラ。これまた鼻につくアメリカンナイズなリアクションだった。


「あなたまさか……、いえ、やっぱり・・・・本気でタケル様のことを――!?」


 ふたりはなんだかんだと長いつきあいである。

 例えいがみ合う関係や目の上の瘤だっとしても、驚くほどふたりは通じあっていた。


「そうです。私はもう見送ることに飽いたのです。あなたもこれまで好いた男のひとりもいたでしょう。なら私の言ってることも理解できるはずです。その点タケルならば私よりも先に死ぬことはないでしょう」


「それは……」


 最初で最後の恋だと思っていた。

 百理が兄と慕った男は、現代の世にも語り継がれる偉人として名を馳せている。


 わかりきったことだが、人間は必ず老いて死ぬ。

 兄も最後は脳卒中で生涯を終えた。


 本人の遺言で、決してには遺骸は見せぬようにとあった。

 百理もまたそれに従い、思い出の中の兄を――若く逞しく武芸に秀でた雄々しい姿だけを瞼の裏に浮かべて枕を濡らした。


 その時に思ったのだ。もう二度と恋はしないと。人外の徒である百理の恋の結末が、常に死という永遠の別離ならば、こんな想いはもう御免だと。


 女としての幸せよりも、企業人として、そして日本人として国民生活を憂い、部下たちの生活と安寧を守ることに喜びを感じてた昨今、突如として百理の前に現れたのがタケルだった。


 彼は普通の子供だった。

 子供がある日突然、異能を手に入れた異常な存在だった。


 その目的――願いは純粋なものだった。

 大切な者を取り戻したいと。


 百理からすればあまりにも幼いみぎり、過酷な運命に立ち向かおうとする姿に心を打たれた。それはカーミラも同じであったことだろう。


 だがしかし、いやだからこそ、あり得ないと。

 まだ初めての恋も想いも成就していない少年に、自分たちのような重しを被らせてしまうことに、百理は忌避感を覚えていたが故に己の想いは封印していたのだ。


「聞きましたわよ。あなたいつかタケルに酔っ払って縋ったそうではないですか。『お胤をくらさいませ~』って」


「あ――」


 タケルは笑って赦してくれたし、エアリスも気にした様子はなかった。だがあれはない。情けなくも酒精によって普段抑圧されていた感情が解き放たれてしまった。その意味するところは変わらないのだ。百理も所詮カーミラと同じ穴のムジナなのだった。


 だからこそ百理は――


「あらあらまあまあ……!」


 カーミラの口調は呑気なものだったが、ジリッと一歩引き、やや腰を落とす。

 百理は知らず、ギリッと小さな口から犬歯を覗かせカーミラを睨みつけていた。


 最も忌むべき女と自分が同じであると、認めてしまった。認めさせられてしまった。


 澄ました表情かおを取っ払った途端、その下から溢れ出てきたのは、マグマのように熱く滾った嫉妬の表情だった。


「いいですわねその顔。企業人でもない、人外の頭領でもない。ようやく醜い嫉妬だけに狂う本当の御堂百理と出会えましたわ。初めまして負け犬・・・さん」


「――私は、負けてなどいません」


 青白い鬼火が正真正銘、純白の光輝を放つ白炎・・へと変貌していく。


 まるでよけいなものを廃するように純度を高められた百理の炎は、体表面に纏わせているだけで、広大な第八ラボをまるごと炙り始めた。


 鎧のエントリーハンガーの影にいる若干一名、普通の人間はさっきからチビリっぱなしでガタガタ震えていた。


「断じてあなたにだけは負けません。企業人としても、人外の徒としても、そして女としても……! そもそもタケル様ご自身には、あなたの行為は治療としか思われていないのです。むしろ迷惑がられているのではありませんか?」


「ほほ、あの年頃の男の子ですもの。あれは意識しているのを必死に隠しているんですわ。可愛いものではありませんの。でもいいですわよ、私は自由恋愛を推奨します。寝とってごらんなさいな、その貧相極まりないあなたの身体で……!」


「口を慎みなさい……殺しますよ?」


「お好きにどうぞ。でも今私が死ねば、タケルも一緒に死にますわね」


「あなたという女は――どこまでもヒトをバカにして……!」


 クライマックスを迎え、極限まで高まるふたりの殺気。

 だがしかし、しばしのにらみ合いを続けたあと、百理は不意に背を向けた。


 敵を前に隙だらけに見えて、その実一分の隙も伺えなかった。

 カーミラはただただその白炎を纏った小さな背中が出口へと消えるのを待って、「ホッ」と息を吐いた。


「はあ。お腹が空きましたわ……。タケルの分と合わせて三人分は食べたい気分ですわね……」


 そう呟きながらカーミラもまた第八ラボを後にするのだった。


 こうして、戦後数十年来の劇的な和解を果たしたはずのふたりは、僅か三ヶ月あまりで再び決裂を迎えることとなった。


 タケルが取りなしたふたりの仲は、皮肉にも当の本人を原因にして引き裂かれる運命なのだった。


 そして――


「あ、お母さんおっかあ? うん、マキだよ。声聞きたくなったん。ごめんね、今度一度田舎に帰るから。うん、なかなか会えなぐっでほんど親不孝だよねわだし……。ううん、泣いでないよ? 平気だがら……!」


 死の恐怖から解放された安倍川マキ博士は、何故か唐突に母親の声を聞きたくなり、親孝行に目覚めていた。


 続く。

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