第136話 追いすがる過去と今⑪ 女の戦い〜激突・白焔の羅刹と赤光の魔女

 *



 御堂百理の私邸。

 大座敷の客間にて、通話が途切れたガラケーを折りたたみ、イリーナは不機嫌そうに呟いた。


「ふん、あいつってばいつまで学生気分で遊んでるだろうねーアウラちゃん?」


「……パパ?」


 クリっと畳に寝そべり、お絵かきをしていた褐色の少女が振り返る。


「そそ、タケルのやつ、帰ってくるの遅れるってさ」


「パパ……」


 シュンと俯いたアウラにイリーナは慌ててフォローを入れた。


「ああ、そんな顔しないで。大丈夫だよ、ちゃんと夜にはアウラちゃんを迎えに来るから。こなかったら私がぶっ飛ばしてやるから」


「うん……」


 ずっと一人っ子だったイリーナは自分が下の子の世話ができるなんて思ってもみなかった。でも実際小さな子がしょげていたら元気づけてやりたいし、一緒に遊ぶことも全く苦ではなかった。


 どうして自分にこんなことができるんだろう、そう思って百理に相談すると『イーニャさんの前世は下の子の世話をするお姉さんだったり、もしかしたら保母さんだったのかもしれませんね』と言われてしまった。


 前世ってなに? と尋ねれば、輪廻転生や過去生の話をされてしまった。つまり今のイリーナを起点として、それより前の人生があったかも知れないと言うのだ。


 かつてのイリーナは今とはまったく違う人生を歩んでおり、その時に小さな妹を世話をする立場だったり、大勢の子供たちを預かる保母のような仕事をしていたかもしれない。


 そしてその人生を全うした魂が現代に転生し、今の自分自身になったのかも……という東洋圏に語り継がれる生まれ変わりの話を、いつしかイリーナは夢中になって聞いていた。


「それじゃあ百理ちゃんの前世はなんだったんだろうね?」


 そう言うと、百理は困ったような顔をして口を閉ざしてしまった。


 百理はなにか普通とは違う。イリーナもまた普通とは違うが故に、百理が纏うそんな雰囲気も感じ取っていた。それが何かはわからない。でも無理に聞き出す必要はない。例え百理が何者でも自分の友だちには違いないのだとそう思っていた。


 イリーナは畳に座り込み、ひたすら感性抜群のアートを描き続けるアウラの様子を見守り続けていた。そのうち、少女が何やら人物らしきものを描いているのに気づく。


 薄い茶色で描かれた肌、そして銀色の髪。「それ、誰なの?」と聞くと「ママ」という予想通りの答えが返ってくる。


「へえ、上手だねえ」


 でも、とイリーナは首をひねった。

 エアリスちゃんってこんな格好してたことあったかな、と首をひねる。


 画用紙の中に描かれたエアリスは、全身に見たこともない純白の衣装を着こみ、褐色の肌には入れ墨のようなモノが入っていて、しかもやたらキラキラと輝いてる印象だ。


 ――まあ、子供が想像で描いてるだけだろうな、とイリーナ立ち上がる。


「ちょっと私百理ちゃんに携帯返してくるね」


 ちらっと振り返ったアウラがコクリと頷く。勝手にどっか行っちゃダメだよ、とちゃんと言い聞かせてから、イリーナは自室にと与えられている大座敷を出た。


 木でできた廊下は中庭に面しており、どこからかカコン、と鹿威しの音が聞こえてくる。「ああ、私こういうの好きだなあ、初めて見るのに何でだろ? 私の前世って日本人なのかな」などと呟きながら廊下を歩いていく。


 途中で女中のひとりと鉢合わせになると、向こうの方から端に寄り道を譲ってくれた。私みたいな子供相手に大げさだなあとは思うが、彼女たちもそれが仕事なのだろうと理解している。


「百理ちゃんいる?」と携帯電話を見せながら聞くと、「執務室においでです」と頭を下げられた。お礼を言ってから更に奥へ進み、一際大きな両開き扉をノックする。


「はい、どうぞ」


「入りまーす」


 よいしょっと、かなり重い扉を開ければ、中は洋室の造りになっていた。

 瀟洒なソファセットがあり、その奥に大きくて立派な執務机がある。


 百里は執務机に向かいながらうなだれていた。

 顔を上げた彼女はいつもより青い顔をしているように見えた。


「ああ、イーニャさん、不躾なお願いをしてしまって申し訳ありませんでした」


 自分の代わりに自分の言葉をタケルに伝えてくれてありがとう、という意味だった。


「それは別にいいんだけど。ちょっと顔色悪いよ、大丈夫百理ちゃん?」


「……実は、あまり大丈夫じゃないかもしれません」


 イリーナはビックリした。本気で驚いた。

 百理がそんな弱みを自分に見せることにだ。

 たった四日間の付き合いだが、イリーナはかなり正確に百理のことを理解していた。


 百理は自分を本気で好いてくれているし、自分もまたそうだ。

 でもどこか一線を引いているところがあり、その線を守り続ける限り百理は変わらずイリーナのことを好きでいてくれるだろう。そう認識している。


 今の百理の発言は、まさにその線を踏み越える一歩のように感じられた。

 同時にその境界が曖昧になってしまうほど、今の百理は参っているのだともわかった。


「どうしたの? なにかあったの? 気分が悪いなら誰か呼んでこようか?」


「ありがとうございます。それには及びません。実は少々、喧嘩をしてしまいまして、落ち込んでいました」


「け、喧嘩~? 百理ちゃんが? 誰と?」


「誰、とはちょっと申し上げることはできないのですが。一応友人・・とだけ。相手に言った暴言がすべて自分に帰ってきました。言っているときにはとんと気付かないものですね。自己嫌悪です……」


「百理ちゃんがそんな風になるってよっぽどでしょ。その友達に相当怒ってたんだね」


「そう、そうですね……こんなに怒りと嫉妬・・を覚えたのは本当に久しぶりです」


 百数十年来の、という言葉を百理は辛うじて飲み込んだ。



 *



「あれ? どもども。お二方、おはようございま、す?」


 それは今から数時間前。

 カーミラとベゴニアがタケルの学校の正門前に現れてからのことである。


 人工知能進化研究所の地下、第八ラボは現在立ち入り制限が課せられている。

 広大な実験場の中央には、ボロボロになったタケルの鎧、プルートーの鎧が安置されているからだ。


 五体満足だった時に比べて、禍々しい妖気も放っていないし、近づいただけで虚脱するようなことはないが、それでも念には念を入れて必要な人間以外は近づけないように指示が下されている。


 人工知能進化研究所所長にして主席研究員である安倍川マキ博士は、そんな中で数少ない『立ち入る必要のある』人物である。


 短い睡眠時間後にシャワーを浴びて、お肌がまた水を弾かなくなったとがっくり肩を落とし、基礎化粧品を塗布することで女としての矜持を最低示したあと、食堂でたらふくご飯をかっ込んだ――そんなさわやかな午前中のことだった。


 現在の彼女はイリーナと共にプルートーの鎧の『触媒修復』を試みている真っ最中だった。


『触媒修復』とはその名の通り化学反応を激化させる触媒を修復や修繕に用いる方法である。およそ生物に於ける酵素のように、有機化学の分野で使われる言葉ではあるが、ただしこれの対象が『金属修復』になった場合、それは魔法と同じ意味合いになる。


 プルートーの鎧に使用されている金属は、今の地球上には存在しない古代金属、あるいは地球外金属である可能性が高いと考えられている。


 生命エネルギーという魔力が通っていない状態では、鎧は普通の製鉄となんら変わらない強度しか持たない。


 だが魔力を循環させた状態では『ウルツァイト窒化ホウ素』の化学結合体を凌ぐ個体強度を誇るのだ。


 現在プルートーの鎧は、実にその70%が破壊、もしくは消失し、見るも無残な姿となっている。


 これを『触媒修復』するためには、金属組成そのものを構造解析し、新たな『触媒促進物質』を作り出し、分子結合反応を加速させていくという気の遠くなるような作業をしなくてはならない。


 まさに現代の『錬金術』とも呼ぶべき修復方法をイリーナは実行しようと言い出したのだ。


「お子様は常識ってものがないんですか~? 未知の金属の構造解析だけで何千年かかると思ってるんですか~? そんなのミニュレーションだけでおばあちゃんになっちゃいますよ~?」


 できないこと、現在は不可能なことでも未来に可能性のあれば、手を伸ばそうとするのが科学者の常だが、今回の事案に限っては確実な保証は一切ない。


 結果のでない研究に人生を費やし、無能の烙印を押されて死んでいった科学者はごまんといる。


 こんな小さなうちから絶対不可能に挑むより、もっと他に有意義なものがあるだろう。そんな親心から出たマキ博士の言葉(決して嫉妬の類ではない)だったのだが、イリーナはあっさりと反論してきた。


「真希奈ちゃんいるじゃん。現存する世界最強の量子コンピューターより遥かに優秀なのがさ。金属組成の構造解析と分子配列のシミュレーションだって真希奈ちゃんの計算速度なら現実的な時間でできるでしょ。それにこの未知の金属と単分子結合させたシルバーチタニウムを発見したのっておばさんでしょ? 地球上の金属でもきちんと相性があるって確認できてるじゃん。絶対不可能なんかじゃないよ。意外とあっさり新しい元素とか発見しちゃうかもね。その時はどんな名前にしようか。トップが『ヴィブラニウム』で次点が『アダマンチウム』がいいなー。おばさんも忙しくなるよ。小ジワ伸ばしばっかりしてないでちゃんと働いてよね」


 キーッ、悔しい! となったのも最初だけ。

 成華タケルが創りだした人工精霊をスーパーコンピューターに見立てて利用するのは上手い考えだ。


 真希奈自体のメンテナンスは終了しており、本人はさっさと自分を主の中に戻せと主張しているが、もう少し時間がかかると言って「タケルのためなんだから」と嘯けば真希奈はホイホイ協力するだろう。


 使えるものはなんでも使う。

 発表すれば、一台10億円の量子コンピューターがゴミ同然になるような究極の情報生命体である真希奈の存在をマキ博士はすっかり失念していた。


「柔軟な発想力では上を行かれたが、この研究所の主席研究員は私なのよ! その実力と経験の差、魅せつけてやるだわさ!」


 そうして今現在、第八ラボにて色々と準備に余念がない博士の元に、巨凶の星は舞い降りた。御堂百理とカーミラ・カーネーション・フォマルハウトの登場だった。



 *



「あれー? なんか気のせいですか、ふたりとも険悪な雰囲気なんですけどー……?」


 人工知能進化研究所は御堂財閥――というか御堂百理の100%私物である。そんなスポンサー様の天敵、カーネーショングループ会長のカーミラのことは当然知っている。


 でも最近ではあの成華タケルを文字通り『触媒』とすることで、友好関係を加速させたはず……ではなかっただろうか。


「なんスかなんスか? そんなおふたりとも青白いオーラと真紅のオーラなんか体表面から立ち昇らせて、科学者の前で漫画時空みたいなのは勘弁して下さ――ってアッチッチ!」


 ふたりから漂う青白い炎と真紅の光輝がぶつかり合った途端、ボッとオレンジ色の火の粉が散って、マキ博士の頭上に降り注いできた。


 百理とカーミラは、ここならば誰にも迷惑はかからないとでも思っているのか、周囲のことなど最初から眼中にない様子だった。


 安倍川マキは己が不運を呪う。なんでこんな貧乏くじばっかり引くんだろうアタシは。楓ちゃんがずっと休んでいるおかげで仕事は進まないし、ロシアから来た小娘にお株を奪われそうだし。ただでさえ怖いふたりが今は超怖くなってるし!


 残骸とはいえ、呪いの妖甲の影に隠れて、マキ博士はガタガタと震えながら、対峙する人外ふたりを見守るのだった。

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