第135話 追いすがる過去と今⑩ 放課後のお誘い・あんた絶対逃さないから

 *



『それは恐らく《げんれい》と呼ばれるものだと思われます、だって』


「げんれい? なんだそれ?」


『知んないわよ。そう書いてあるんだから』


 放課後。

 多くの生徒が掃除や部活、それぞれの帰途に向かう中、僕は一番人気の少ない屋上前へと続く階段の途中で、イリーナからの電話を受けていた。


「なあ、それって漢字でなんて書いてある?」


『漢字? えーっと、《言う》に幽霊の《霊》かな』


 ちゃんと日本語読めるんだからね私、とイリーナ。


言霊ことだまか。僕もなんか聞いたことあるな」


『タケル、あんたもともとは日本人なんでしょ? 漢字も読めないの?』


 いやいや音読みと訓読みがあってだな、と説明しようとしたが、別にそれは今重要じゃないと思ってスルーする。イリーナならそのうち自分で気づくだろう。


「それにしても百理の携帯にどうしておまえが出るんだよ。忙しいのか彼女?」


 昼休みの心深の事件を受けて、僕は早速百理に相談の電話を入れてみた。

 長いコールのあと、ガチャっと出たのがイリーナだったのだ。

 なんでカーミラに相談しなかったかのというと……それはお察し下さい。


「用件はなによ」と横柄に問われ、戸惑いながら僕は昼休みに幼なじみが巻き起こした事件の一部始終を簡潔に話した。


 そこはさすがイリーナで、日本人でも難しいであろう内容を一言一句間違えず百理に伝えてくれたようだ。


 そうして、放課後になったころを見計らって再び返信が来た。その相手は百理ではなく、やっぱりイリーナだったのだが……。


『そりゃ、のんびり学校行ってるタケルよりかは遥かに忙しいでしょうよ。あ、でも「今は話したくない」って言ってたかな。あははー、あんた嫌われたわね』


「妙に嬉しそうだな……?」


『別にー。そもそもタケルみたいなのが色々な女の子に好かれてる今の状況がおかしいのよ』


「僕が一体誰に好かれてるっていうんだよ」


「あんたね……」


 なんとなく、その声のトーンから、通話の向こうでイリーナが頭を抱えている姿がありありと想像できた。


『日本のサブカルチャーじゃさ、「鈍感系」って言うらしいじゃんそういうの。でもね、それって現実にいたらほんとただキモいだけだから。タケルのこと色々と聞いてるけどさー、自分のしてきた行動の結果が今の状態なんでしょ。キチンとケジメつけなきゃイケない時期が来てるんじゃないの?』


「耳がいたいよ。てかおまえ本当に子供か?」


『タケルの経験には負けるけど、私こう見えて大学の最高学府ランキングでトップから10校全部入試パスしてるから。その辺の同い年の子よりもわかってることはたくさんあるの。まあ全部非公式だけどさ』


 さすがは旧ソビエトが作り出したデザインチャイルドさんだ。

 御堂財閥とカーネーショングループがタッグを組んで、彼女を長年監禁していた勢力の闇を暴くことで急速な弱体化を行い、晴れて彼女は自由の身となった。


 日本に来てからはその能力を遺憾なく発揮し、先日のシリアの事件でも情報分析と精査を行い、僕のピンチをエアリスに伝えてくれたりと大活躍をしている。


 そうして現在は『人工知能進化研究所』に於いて、色々な仕事を手伝っているらしい。真希奈のメンテナンスから解析、そして破壊しつくされてしまった僕の『鎧』の修復もしてくれているとか。


『そんで、続き話すよ。えーっと、げんれいとは、言葉に宿る霊的な力のこと。げんたましい? とも書くってさ』


 それは多分『言魂ことだま』のことだろうな。


『でね、それら声に出した言葉が現実の事象に対して某かの影響を与えるもののことなんだって。いい言葉を発すれば良いことが、悪い言葉を発すれば悪いことが起こるとされる。そのために……しゅくじをそう、うえ? するときには絶対に誤読がないように徹底された。……なんの話かわかる?』


 祝詞のりと奏上そうじょうね。


 なるほど。いい言葉、悪い言葉とはそのまま、魔法決定の意志力、即ち『愛』と『憎』と置き換えることもできる。まあつまりは、心深は地球世界の数少ない本物の『魔法使い』なのか。


 かつて、僕は魔法世界から地球へと帰還した時、違うことわりの世界にやってきて魔法そのものが使えなくなってしまうのでは、と危惧を抱いたことがあった。だが、地球上には魔法行使に必要な条件はちゃんとそろっていた。


 即ち『炎』『水』『風』『土』の四大魔素の存在。

 そして魔法師の意志力、『愛』と『憎』の概念。


 ただ一点、魔法師を魔法師たらしめる根幹の力、無色透明な生命エネルギーである『魔力』だけがすべての人々から失われていた。


 多くの人類は魔法を発動できるほどの意志力や魔力がない。

 まれに炎を発現させたり、微量の魔力を媒介に物体を動かしたり、思念を送受信したりする『超能力』と呼ばれるものは存在する。


 心深の能力、『言霊の魔法』はどうだろうか。


 声優という仕事をしているだけあって、『声』にかけて彼女はプロであり、一流といっても過言ではない。そんな彼女が内在する魔力によって、無意識の内に『言霊の魔法』を発現させているのだとしたら……しかも本人は無自覚にだ。そして自分のその時時の気分によって『愛』と『憎』の感情を垂れ流しにしているのだとしたら。


「危険だな。でも……」


『なに? なんか言った?』


「いや、なんでもない。ありがとう。だいたいわかったよ。百理にもありがとうって伝えておいてくれ」


 確かに昼休みの事件は一歩間違えば惨事になっていたかもしれない。

 でもよくよく考えて見れば、彼女があれほど激情的になる場面は限定的なのではないだろうか。


 声優という仕事を通して、同年代ではビックリするくらい彼女は大人だ。

 ヒトより以上に分別はあるし、感情のコントロールもできる。

 やっぱり、僕が近くにいることだけが、危険を助長しているのだ。


『あ。タケルね、もう学校終わりなんでしょ。さっさとアウラちゃん迎えに来なさいよ。起きてからもずーっと元気ないんだから。タケルみたいのでも一応父親なんだからね!』


「アウラと遊んでくれてたのか。悪いな……今度、僕で良かったら日本観光とか付き合うからさ」


『じゃあタケルは荷物持ちね。私としてはアウラちゃんとエアリスちゃんがいれば十分だから』


「ああ、わかって――……いや、ごめん。もうちょっとだけアウラの面倒見ててくれるか?」


『はあ? いきなり何言い出してんの? いい加減にしないと怒るよっ!』


「ごめん、本当に。でも案の定というか、さっさと解決しなきゃいけない相手がきた」


『は? 何を言って――ちょっとタケ』


 僕は通話を終了し、階下を見下ろした。


「急かしたみたいで堪忍やで、センセ」


 この時期、屋上へ繋がる扉は締め切られていて、こんな場所に生徒が来ることは滅多にない。僕のように人目をはばかって密談をしたり、なんなら男女の告白のシーンなんかでも使われるだけだろう。


 そんな場所に僕を迎えにやってきたのは、星崎くんを始めとした針生くんと甘粕くん。そして――見知らぬ女子生徒ふたりを引き連れた綾瀬川心深そのヒトだった。


「綾瀬川のヤツがおまえに話があるんだと。聞いてやれよ」


 そう言って心深を促す針生くん。

 心深は階段の踊場から僕を見上げたのも一瞬、深々と頭を下げてきた。


「昼休みは叩いちゃってごめんなさい、エンペドクレス・・・・・・・くん。あなたがあんまりにも私の知り合いに似てたもんだから、その、つい取り乱しちゃって」


 なんて殊勝な態度だろうか。恐らく心深はまず星崎くんたちにも同様の謝罪をしているのだろう。昼休みのことは誤解なのだと、つい大きな声を出してしまい、みんなをビックリさせてしまった。本当に申し訳ないと。


 だが実際は申し訳ないどころの話ではない。心深は事実、食堂に居た100人からの生徒を『黙れ』という『言霊の魔法』で呼吸停止させたのだ。四大魔素を伴わない系統外の魔法。ヒトの精神や生理機能に直接影響をおよぼすとても危険な魔法を使用したのだ。


「気にしなくていいよ。僕って昔からいろんなヒトに誤解される質だから。ね、針生くん星崎くん」


「うお、今ここでそれを言うか? あん時はマジで悪かったって」


「いやあ、はっはっは。それにしてもセンセの素顔、みんなにバレてもうたねえ」


 星崎くんが言うとおり、僕は昼休み以降、ずっと伊達眼鏡なしで過ごすハメになったのだ。ちゃんと留学生っぽいところが物珍しかったのか、結構な野次馬が教室までやってきたりしていた。それを受けて何故かエアリスは上機嫌だったのだが。


「そうそう、これも返すね。本当にごめんなさい」


 カツカツと階段を登ってきた心深が眼鏡を差し出してくる。

 渡す直前、言葉とは裏腹な、猜疑心の固まりみたいな瞳が僕を見上げてきた。


 それも一瞬、くるりと振り返った彼女は「みんなもごめんなさい」と改めて頭を下げたあと「お詫びと言ってはなんだけど、これからみんなでカラオケ行かない?」などと言い出した。


「カ、カラオケやて!? え、それってええの? 心深ちゃんの歌とか聴けちゃうん?」


「うん、私なんかの拙い歌で良かったらいくらでも歌わせて欲しいな」


「おお、これってすごいレアなことじゃねーか!? なあ、甘粕も確か聴いてたよな、綾瀬川が歌ってた何とかってアニメの主題歌」


「うむ。ダウンロード購入済みだ。しかし俺としては彼女の演じ役よりも妹キャラの方が好ましいのだが」


「あ、アニメの方も見てくれてるんだ。何なら今度『富士宮ゆり』役の諸見さくらちゃんのサイン貰ってきてあげようか?」


「ほ、本当か! ああ、それが本当だとしたら俺は一体どれほどの対価を支払えばいいんだ?」


「対価って、友達なんだしそんなの必要ないでしょ」


「ええの? 僕ら心深ちゃんの友達でええの? よっしゃ――!」


 僕の意志に反して次々と外堀が埋められていく。

 こちらの立ち位置、心深より数段だけ上の足場から彼女を見下ろす。


 みんなにはわからないようほんの数瞬だけ――だが何度も何度も、彼女は僕を振り返り、その度にゾッとするような目を向けてきている。


 こいつ……僕を絶対逃さないつもりだ。


「当然センセとエアリス先輩も行くやろ?」


 これで詰みだった。

 友人三人の期待に満ちた顔が見える。


 肩越しに振り返った心深は、底冷えするような瞳を向け、言葉はなくとも僕に問いかけてくる。「さあ、あんたはどうするのよ?」と。


「ああ、もちろん行くよ。綾瀬川さんもそう何度も謝らなくていいよ。僕は全然気にしてないから」


「そう、よかった。じゃあ行こ。あ、エアリス先輩は?」


「彼女は用事があるって先に帰ったよ」


「そう、好都合ね」


 ぼそっと、みんなには聞こえないよう、でも僕にだけ確実に聞こえるよう心深は囁いた。


「エンペドクレスくんに紹介するね、この子は支倉夢、こっちが朝倉希。どっちも私の親友なの」


「初めましてー。いやあ、なんか昼休みはごちそうさまというかごめんなさいというか、この子にも色々あるんで勘弁してやってくださいよー」


「ああ、うん」


「わあ、近くで見ると綺麗な目だね。あ、そんなすぐに隠さなくてもいいのに」


「いやあ、眼鏡がなくて大変だったよ。あ、別に非難してるわけじゃないからね綾瀬川さん」


「うん、ならよかった。じゃあみんなで駅前まで行こっか」


 おー、とやたら元気な三バカと支倉さんと朝倉さんが声を上げた。

 僕は内心で大きなため息をついていた。

 友達っていいけど、こういうとき面倒だな、と思ってしまうのだった。


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