第134話 追いすがる過去と今⑨ 第一次食堂内会戦~美しき聲に魔は宿る

 *



 10分ほど前。


「え、どっか行っちゃったの?」


 お昼休み。

 例の留学生同士のイチャコラを見物するため、私は希と夢を引き連れてE組の教室へと向かいました。


 いつもなら、手作りのお弁当を持参してくるというエアリス先輩を目当てに、結構な数の野次馬が集まるそうですが、今日は閑散としたものでした。


 近くにいた子を捕まえて、留学生は居ないの? と聞いてみると、どうやら入れ違いになった様子。何人か親しい友人を引き連れて教室の外でご飯を食べに行ったようです。


「ついてないね。どうしよっか心深?」


 希と夢がそれぞれのお弁当箱を抱えながら私に意見を仰ぎます。

 ひと目その留学生たちを見てから、どこかでお弁当を食べようとしていた私達は、好奇心を満たすことができず、急速にお腹が減ってくるのを感じました。


「まあ、お昼じゃなくてもエアリス先輩には逢える機会もあるでしょ。とりあえずはご飯にしよっか」


「うん、そうしようそうしよう」


 夢がホントにそれで足りるの? といった風情の小さなお弁当箱の包みを掲げます。


 ちなみに私は結構ご飯を食べます。と言っても人並みにくらいですが。

 声優のお仕事の時間は収録に合わせて変わります。

 長丁場になることもあるので、基本的に体力勝負なのです。

 しっかりご飯を食べて、体力づくりにランニングだってしています。


「でも私、今日お弁当ないから購買にしようと思ってたんだけど……」


 本当は遅刻したのでお母さんのお弁当を持ってくるのを忘れてしまっただけなのですが……。


「あー、もう冬休みだから今日からお休みだって言ってたよ」


 希の情報にそれもそうだと思い出します。

 学校にブランクがあったので忘れていました。


「そっか。じゃあ今日は食堂で食べよっか。うどんかおそばくらいなら残ってるでしょ」


「異議なーし」


「大丈夫だよ心深ちゃん。いざとなったら私のお弁当分けてあげるから」


「ありがと夢。でも気持ちだけで十分だから」


 私たちは連れ立ってお昼休みの騒がしい廊下を行きます。

 食堂に到着すると、ちょっと異様な空気が漂っていました。


 みんな、どこか緊張した様子で、ご飯の手が止まっています。

 奥の窓際の席に見慣れない生徒がふたり、食事をしているのが見えました。


 遠目でも一発でわかります。

 あれがエアリス先輩……。


「なんか、すごいねあのヒト……」


 私は思わず呟いていました。

 彼女が座っている周りだけ、まるで空気が輝いてるように見えます。


 纏っているオーラ、というのでしょうか。それが普通の人とは段違いです。

 映画の宣伝イベントを通して数多くの有名人芸能人と接する機会が増えた私ですが、ちょっとあれは次元が違います。


「ああ、今日はこっちにいたんだエアリス先輩」


「相変わらず綺麗だねえ」


 お腹が空いたと私を急かしていた希と夢も足を止めて見ています。

 その時、ザワッと食堂内が震えました。

 エアリス先輩がサンドイッチを取り、手を添えながら隣の男子生徒の口元に差し出したではありませんか。


「わあ、マジで『あーん』ってやってる! うわ、うわ!」


「エアリス先輩ちょっと笑ってる? あんな表情するんだ」


 色めき立つ生徒たち。

 こんな大勢の前でなんて大胆なんでしょう。


 私達がやれば「は、バカじゃないの?」と言いたくなる行為でも、エアリス先輩だととんでもなく絵になります。ちょっとあれは卑怯だなあ。


「え? あれは……?」


 私はそこで初めて気付きました。

 圧倒的な存在感を放つエアリス先輩の隣にあって、恐ろしいまでに目立たない男子生徒の存在に。


(なに、あいつ……?)


 目を凝らしてよく見れば、なるほど、エアリス先輩とはまるで釣り合わない容姿をしています。


 ざんばらで伸ばし放題の前髪に分厚いメガネをしていて顔がまったく見えない。怪我をしていることを差し引けば、エアリス先輩に食事の介添えをしてもらうに値しない男の子と言わざるを得ません。


 でも、私は無意識に歩き出していました。


 視界の中で、エアリス先輩に口元を拭われ、恥ずかしそうに俯いている彼から目が離せなくなっていたのです。


 窓から燦々と注ぐ逆光の中で、幸せそうに食事の世話をするエアリス先輩と、そんな幸福を分かち合っている彼の姿を見るにつけ、私の胸は知らずに早鐘を打っていました。


 私の存在に気づいた何人かが「え?」「あれ?」と声を上げます。

 エアリス先輩も私に気づいたようです。

 ですが知ったこっちゃありません。

 私は口元を引き結び、険しい表情のまま彼の顔を覗き込みました。


 確信が――彼が振り返り、目が合った瞬間、私を貫きました。


 半年もの間、行方不明だった幼なじみの男の子が目の前に居ました。

 口いっぱいにエアリス先輩のお弁当を頬張った間抜けな表情かおで。冗談みたいな眼鏡を取り上げれば、カラーコンタクトでしょうか、実に不愉快な金色の瞳が私を見上げてきます。


「あんた……、何してるの?」


 まさに……それしか声が出ませんでした。


 生死不明になった分際で、何故あんたはこんなところでもぐもぐと食事をしているのか。今までどこで何をしていて、何故すぐにでも帰ってこなかったのか。


 この漫画みたいな分厚い眼鏡はなに? 格好つけたカラコンも全然似合っていません。


 様々な感情が綯い交ぜになって、私の心を激しく揺さぶりました。


「いや、誰かと勘違いしてませんか?」


「は――!?」


 言うに事欠いて。

 私があんたを見間違えるわけがないでしょう!


 気がつけば彼を思いっきり引っ叩いていました。

 叩いた私の手のほうが痛くなるほどの力で。


 その時です。

 風が――目の前で爆発しました。



 *



「貴様、私の前でよくも――今手を上げたのが誰かわかっているのかッッ!!」


 怒気とともに窓が一斉に破裂する。

 さながら暴風の塊と化したエアリスは椅子を引き倒しながらユラリと立ち上がった。


 食堂内はパニックになった。

 突然、正体不明の嵐が巻き起こり、窓という窓が破砕してテラスは酷い有様になっている。


 これは僕の責任だ。

 苦手とする幼なじみとの不意の再会で、色々と想定していた脳内シミュレーションが飛んだのだ。


 彼女が僕を殴るのも無理は無い。決定的な第一声を間違ってしまった。

 繰り出された平手からは、決して憎しみや怒りだけではない、悲しみの感情も伝わってきた。


 だが、それを看過できないのがエアリスである。

 学校生活に於いては魔法使用禁止という僕の命令を忘れてしまうほど、今の彼女は沸騰している。こんな攻撃的な表情、出会ったばかりの頃以来、見るのは久しぶりだ。


 何とかしてこの場を収めなければ。

 だが、さらなる想定外のできごとが起きる。


 僕の幼なじみ、綾瀬川心深が、怒りの化身と化したエアリスに正面から喧嘩を売ったのだ。


「は? 何なんですかあなた。留学生だかなんだか知りませんけど、私はこの馬鹿に話があるんです。関係のないヒトは引っ込んでいてください」


 無知とは恐ろしい。

 今心深は、自分が何者を相手にしているかも知らず、昔よりもさらに磨きの掛かった美声でエアリスの逆鱗を丁寧に逆なでしていく。


「言うに事欠いて我が主を馬鹿だと……? 関係がないのは貴様の方であろう……?」


 エアリスの顔面が真っ青になっていく。

 ああ、完全戦闘モードだ。最も血流を必要とする脳から戦うための末端に血が通い始めているのだ。


 全身に纏う風の魔素も、やれもっと輝け、もっと……もっとだ! と言わんばかりに色めき立っているのが見て取れた。


「いいえ。みんな何を勘違いしているのかは知りませんが、こいつは留学生でもなんでもない、ただの私の幼なじみです。半年前家が焼け落ちて以来ずっと雲隠れしていた。――そう、あんた家がなくなってから今までどこで何してたの!?」


「いや、あの――」


 綺麗にシャギーが入った前髪の奥から疑念を宿した瞳がズイッと迫る。

 あまりに急な展開と、幼なじみからの詰問と叱責、何よりエアリスが怒りに任せて無分別に魔法を使わないかなどなど……。


 僕は情けないことにふたりの間で板挟みになって動けないでいた。


 ちらりと周りを見やれば、きつねうどんと菓子パンと弁当箱を持ってちゃっかり避難していた星崎、甘粕、針生くんたちがチャンピオンマッチの解説者さながらに真剣な表情で僕らを見物している。


 パニックに陥ったはずの他の生徒達も、正体不明の風ではためく髪やスカートの端っこを抑えながら固唾を呑んでこちらを見守っていた。


 ――ああ、神は死んだぞこんちくしょう。


「私がどれだけ心配したと思って――絶対に許さない! ちゃんと説明してもらうんだから!」


 心深が僕の襟首を掴もうと手を伸ばす。

 肩を掴まれるより一瞬早く、僕は左腕を掴まれ、後ろに倒れこむようにエアリスに抱きとめられていた。


「乗っとるがな」


 星崎くんの言うとおりだった。

 包帯が巻かれた僕の頭頂部に看過できない重質量物の存在を感知した。

 エアリスさんの海よりも深い母性を象徴したような――つまりはおっぱい様だった。


「我が主に貴様ごときが気安く触れるな。彼の名はタケル・エンペドクレス。根源27貴族が一角であり、最強にして不可侵なる神である。今すぐ謝罪するというのなら、不遜にも貴様が振り上げたその手首を切り落とすだけで恩赦を与えよう。――疾く跪けッ!」


「27貴族? 頭沸いちゃってるんですか? そいつの名前は成華タケル。神でもなければ不可侵でもなんでもない。単なる偏屈で屁理屈ばっかの引きこもりニートゲーマーです。……ねえ、何鼻の下伸ばしてるのよ、あんたちょっとこっち来なさいよッ!」


 心深の再アタック。

 だがその手はまたもや空を切る。


 絶対に渡すものか、とでも言うようにエアリスが僕を後ろからひょいっと持ち上げたからだ。


 エアリスの匂いと体温と、しっとり汗ばんだ胸の谷間から緊張した心臓の音まで聞こえてくる。僕は恐らく心深が言うように情けなくもだらしない顔をしているのだろう。だってしょうがない男の子ですもの。


「なによ何なのよあんたは……! 久しぶりに帰ってきたと思えば、そんな見ず知らずの女なんかにデレデレして――!」


 いかん。どうにも収集がつかない。

 心深も頭に血が昇っていて、なりふり構わず飛びかかってきそうな勢いだ。


 僕はペシペシとエアリスの腕をタップする。

 テディベアよろしく抱えられていた身体が床に降ろされる。

 顔を真っ赤にして今にも爆発しそうな幼なじみの少女に、僕は精一杯の笑みを浮かべた。


「こんにちは、初めまして。成華・エンペドクレス・タケルと言います」


「――なッ!?」


 心深は、大きなショックを受けたようだった。

 ふらっと後ろに倒れそうになり、慌ててたたらを踏む。


 僕へと伸ばそうとしていた腕が力なく下がり、かと思えば握りこんだ拳がブルブルと戦慄いている。青い顔をした彼女は、ほの暗い色を宿した瞳で僕をじっと見上げてきた。


「何言ってるの……? エンペドクレス? あんたは『成華タケル』のはずでしょう……!?」


 違う。厳密にはもう『成華タケル』はいないのだ。

 でも今それを説明することはできない。


「申し訳ありません。響きはよく似ているようですが、他人の空似です。眼鏡、返してもらってもいいですか?」


 僕が一歩近づこうとするのを、エアリスが制した。

 僕の代わりに心深へと歩み寄り、手を差し出す。


「我が主はとても寛大である。貴様の無礼も許すそうだ。我が主の所有物を返せ。それで貴様の罪は不問とする」


 間違い。ウソ。大げさ。紛らわしい。

 だがそういうことにでもしなければこの場は収まらないだろう。


 僕がこの豊葦原にやってきた目的のひとつは確かに心深との接触ではあるが、このような衆人環視のシチュエーションでは断じてない。今この場を切り抜けられれば、後でいくらでも仕切りなおしができる。


 心深は、僕の大きな伊達眼鏡を渡そうとし、だが震える手を抑えこむように胸元へと引き寄せた。


 すう――っと彼女が息を吸い込むのが見えた。僕は戦慄した。

 それが記憶のとおりなら、現在の彼女が発するそれは立派な『攻撃』足りうると思ったからだ。


 警告しようとする試みは間に合わない。

 次の瞬間には、エアリスの風に勝るとも劣らない『音』が爆発した。


「我が主我が主ってクソうるさいのよ――ちょっと黙ってなさいよ、バカッッッ!!!!!!」


 恐らく。

 エアリスが壊すまでもなく、窓はその声だけで吹き飛んでいただろう。


 それと同時に、食堂という本来開放的な造りをしているはずの空間が、目には見えない閉塞感に支配された。


 息をするのも苦しい。

 空気を伝播したのは音の波だけではない。

 明確な、意志ある『エネルギー』もまた伝わったのだ。

 驚くべきことにそれは、僕とエアリスがよく知る類のものだった。


 耳の奥がぐわんぐわんとする。

 一瞬遠ざかった現実が再び津波のように戻ってくる。

 僕はハッとして叫んだ。


「エアリスッ!!」


 呼ばれた意味を彼女は正確に理解していた。


「風よ――!」


 浄化の風が屋内を満たしていく。エメラルドグリーンの宝石を散りばめたような風の魔素が、心深が不用意に発した『エネルギー』を打ち消していく。


「ぐは――!」


「は――、はあはあ」


「がは、げほ、ごはッ!」


 星崎くんも針生くんも甘粕くんも、そして他のみんなも、大事になる前に呼吸を取り戻した。


 そうなのだ。心深が発した『黙れ』という言葉に呼応して、騒然としていた食堂は誰も彼も一切が言葉を発せない無音の空間へと変貌したのだ。


 耐性のある僕とエアリスには単なる大きな声としか認識されなかったが、そうではない一般の生徒たちは違う。心深は、これだけ大人数を一瞬にして支配してしまったのだ。


 出口の方を見やれば、心深が人混みをかき分け走り去っていくのが見えた。


「タケルよ」


「ああ、わかってる」


 紛れも無い。

 心深が発した声には『魔力』が宿っていた。


 彼女はそれを力ある言葉として他者の精神に、あるいは心に、重篤なまでの影響を及ぼすことができるというのか――


「あ、眼鏡……」


 ジッと、呼吸不全から回復しつつある生徒たちが僕を見ていた。

 正確には顕になった僕の瞳――金色の妖しい虹彩を宿す龍神族の目を物珍しそうに見ているのだった。

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